(前編はこちら )
※この文章はCOVID-19流行前の2020年2月末までにほぼ9割を書いています。文章がまとっている時代の空気が明らかに現在と違いますが、2019年のランキングなので、あえてそのままにしています。
6位 お願いマッスル / 紗倉ひびき(ファイルーズあい) & 街雄鳴造(石川界人)
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渋谷のまんだらけでルパンレンジャーVSパトレンジャーの中古玩具を探しながら店内BGMとして耳にし、一気にひき込まれた曲。古典的かつ普遍的な音楽との出会いである。その場で歌詞を検索し、『ダンベル何キロ持てる?』アニメ主題歌であることを知った。なんといっても主役二人の声優さんの掛け合いが素晴らしい。石川界人さんすごい。
三島由紀夫は小説の中で自らが感情移入する右翼軍人の主人公に「どんな時代になろうと、権力のもっとも深い実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。」と言わせていた。当時の私にはその意味がさっぱりわからなかった。でも今ならわかる。若者の衝動をもって筋肉――つまり接近戦で行われる一対一の突発的で避けきれない暴力――を使うことは、確かに人を畏怖させ、周囲の人間を萎縮させ、結果的に集団を動かしてしまう「力」になる。つまり権力になる。
一部の富裕層が若者や女性や貧困者の身分を下位で固定し、古くは小作人/現在日本ならば派遣社員や低賃金労働者として搾取し、その差を決して埋めず、格差をますます拡大・固定化しようとする時代において、肉体至上主義が台頭してくるのは必然である。つまり若い部下が尊厳を破壊された瞬間に、かっとなって暴力を使い、ひょろひょろでしょぼしょぼな老人の上司相手の肉体を一瞬で破壊したくなる衝動だ。映画『Mr.インクレディブル』冒頭のあれ。米国のマッチョイズムにもきっと似たような根幹があるのだろう。
自分よりも弱い相手だけ攻撃する(強い相手とは戦わない)人間はたくさんいる。「反撃の可能性がない」と判断した相手に対して、どんな失礼なことも平気で行う人間はいる。本当にたくさんいる。そういう奴らに舐められないために必要なのが「わかりやすい見た目の強さ」、つまり筋肉だ。というわけで筋肉至上主義が台頭してくるのは歴史の必然。「私も体を鍛えよう!」そう思った私は、自宅でNintendo Switch リングフィットトレーニングを始めた。ジムへ通う社交性は、ない。どこまでもインドア。
7位 やる気のない愛をThank you! / 吉本坂46
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先ほど「メジャーボーイ」を知った同じスレッド の中で、「吉本坂2ndシングルのチームREDみたいなのをモー娘。がやって欲しかったよね」というコメントとともに紹介されていたゆえに聴いた曲。
中の人は全員吉本所属であり、他に本業がある。グループ名に数字と「坂」が付いている。作詞は秋元康である。もう清々しいほどに「企画もの」である。企画以外の何ものでもない。おそらく広告代理店主導。どの程度の期間やるのか、どの程度の手間と予算を割くつもりなのか、どの程度新しいアイディアを盛り込むか、そのすべてが「企画」で決まり「企画」で始まり「企画」で終わることは、火を見るより明らかである。はっきり言うと萎える。そこに芸術家のほとばしる衝動が発露することも、魂がこもることも期待しにくい。それでも、この曲はいい。このMVが好きだ。歌詞は薄目で見ないようにしている。カジキイエロー↑↑ことスパーダこと新撰組リアンこと榊原徹士くんがいることに、4周目の再生で気が付いた。
8位 朝日のように輝きたい / 眉村ちあき
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眉村ちあきちゃんの即興曲の質の高さ、ライブにおける歌唱力、どう見ても孤高のシンガーソングライターであるのにも関わらずなぜか「女性アイドル」を自称してのびのびと活動する姿、全てが最高。いまさら私のような部外者が語るまでもないほど良い。新しいアルバムだって素晴らしかった。それでも、私が一番感情を揺さぶられたのは『朝日のように輝きたい』。深夜バラエティ番組『ゴッドタン』2019年9月21日の放送にて朝日奈央ちゃんのために作られた即興曲である。「何かやれ、何かやれ」というサビの歌詞が心に響く。
「具体的に」やるべき行動を提示することができる人って、実はそんなに多くない。具体的に「〇〇をやれ」って言えないんだよ。だってそう言っちゃったら、その結果の責任を自分が取らなくちゃいけないから。責任を取る勇気や決断力がある上司は実は非常に希有である。
何が受けて何が売れるかなんて、本当は誰にもわからない。そこで勝負できる独自のアイディアや自信のある人は少ない。そもそもそんなアイディアがあったら組織に所属せず独立してやる方が、今の日本ではてっとり早かったりする。
だから自分よりも若い人、自分よりも社会的地位が低い人に「何かやれ」と言う。何「を」やれ、とは言わない。丸投げである。組織の責任者であるにも関わらず「具体的に」何をやるか指示をしないのだ。そういう管理職は以前よりも増えているように私は感じている。
丸投げされた若者は窮地に陥り、とりあえず「何か」をやる。偉い人たちはただそれを「評価」する。「面白い」「使える」「使えない」「だめだこりゃ」などの評価。何も作り出さず、出来上がった作品をただ評価する。これは非常にたやすい。優越感さえ感じるだろう。その「何か」行われた事象について、責任を取る必要もない。だって具体的な指示をしていないのだから。「あいつが勝手にやった」と言える。責任を取らされるのは、その「何か」をすることに決めた若者である。偉い人はその「何か」を具体的にやれと指示したわけではないのだから、売れなくても面白くなくても炎上しても責任を逃れる(または逃れようとする)。「何か」をやらされた若者たちは、パニックになったり、炎上して社会的に抹殺されたり、トカゲの尻尾のように切られたり、何もできなかった自分に凹んだり、自分に才能がないと落ち込んでしまったりする。そんなことないのに。(ちなみに、それが奇跡的に当たった場合は「俺が育てた」と言い始めたり、自分の手柄にしたりする。)
会議において偉い人たちがただ「何かやれ」と言ってきたとき、それは「自分には今とくに新しいアイディアがない」と白状しているも同然の状態なのである。今ならわかる、私も歳をとったから。「具体的なアイディアが今のこの人には浮かんでいないのかもな」と思う。でも、世に出たばかりの若い頃はそうは思えなかった。ただ自らを責めるだろう。そうやって潰され、自信を失い、表舞台を去っていく作家志望の若者たちやハロプロの女の子たちを私はたくさん見てきた。彼女らのことを思い出し、私はテレビを見ながら泣いていた。朝日奈央ちゃんも泣いていたし、松丸アナも泣いていた。
若者たちはそうやって心を折られ、去っていく。創作の現場には(創作の現場であるにも関わらず)何も生み出せずアイディアのない年老いた権力者だけが残り、新商品を生み出せず、保守的な再生産品ばかりになって組織は立ち枯れていく。日本のいろんな社会に見られる縮図だと思う。
9位 Over “Quartzer” / Shuta Sueyoshi feat. ISSA
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『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズOP主題歌。AAAの末吉秀太さんとDA PUMPのISSAさんのコラボ。
『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズは結局、文脈がよくわからないまま終わってしまった。シリーズ脚本の下山さんにとって2019年は大変な年であったと思う。「東映特撮の最大のライバルに成長したシンカリオンを意識しまくった結果、シンカリオンのシリーズ脚本の下山さんを連れてきたのかな?」といううがった見方をしてしまったほどである。私は意地が悪いな。下山さん、昨年は大変でしたね。シンカリオンの映画、サービス満点で最高によかったですよ。映画興行成績が思ったより振るわなかったとしても、それはあなたのせいではありません。だってシンカリオンの映画は見たいものが全部入ったサービス満点な最高の脚本だったから。TVシリーズが突然終わってしまったこと(そして需要がどこにも見当たらないオリンピックの特番が始まったこと)と、映画まで期間が半年あいたことが、視聴者の子供が離れた最大の要因だと私は思っています。
さて2019年8月、私は貴重な夏休みを一日潰してひとりでジオウの夏映画を見に行った。誰も私に付き合ってくれなかった。子どもも夫もすでに『ジオウ』という作品の物語に何かを期待していなかった。
結論として、この映画にはきちんとした物語があり「脈絡」があった。『ジオウ』でスタッフが本当にやりたかったのは、もしかしたら「これ」だったのかもしれない。TVの『仮面ライダージオウ』という物語には、結局のところ脈絡はなかった。私はなかったと思うし、あったと思う方はその筋を私に教えてほしい。『ジオウ』の結末を映画のようにしたかったのに、いろんな理由でそれができなかったのだとしたら(例:ウォズを悪役ライダーにできなかった)私は制作陣に同情する。映画の物語をTV本編でやらせてあげたかった。横やりがあったのかもしれないし、予算やスケジュールの都合もあったのかもしれない。わからない。わからないけれど、『ジオウ』の脚本をなんとか一年間成し遂げた下山さんと毛利さんには、あたたかいお風呂に入っておいしいごはんを食べてほしい。
ジオウの夏映画は私の大好きな「やけくその祭り」要素が満載で、とてもよかった。DA PUMPもよかった。一茶さん最高。メタフィクションも盛りだくさんで、あまりのテンションの高さと不条理さをゲラゲラ笑って楽しんだ。
特に秀逸だったのは長篠の戦いである。馬が一頭もいない。かわりに3人の人間による「運動会の騎馬」がいる。てっぺんに乗っている騎手は仮面ライダーである。「いけー!」と言いながら突き進んでいるのだ、「運動会の騎馬戦の騎馬」が。確かに騎馬ではある、騎馬ではあるが、まさかこれがあの有名な武田の騎馬隊なのだろうか。
織田軍の鉄砲隊も、もちろん存在しない。それどころか火縄銃は一丁も画面に写ってない。織田軍所属の仮面ライダーと、武田軍所属の仮面ライダーがそれぞれ巨大ロボを召喚し、乗り込み、小さい小川の狭い河原で戦っている。なんだこれ。こんな長篠の戦いを私は見たことがない。「ずば抜けた描写である」と言わざるをえない。
しかもその後のシリアスなシーンで主人公が「僕たちの知っている歴史って、後世の俺たちが勝手にイメージした話に過ぎないんじゃない?」という識者っぽい台詞を挟み込むのである。確かにそうだ。近年の研究では、三段構えの鉄砲隊は江戸時代の創作であり、実際は存在していなかったと言われている。武田の騎馬隊もそこまで多くなかったと言われているそうだ。本当の歴史では、武田騎馬隊に馬なんか一頭もいなかったのかもしれないし、銃だって一丁もなかったのかもしれないし、仮面ライダーが戦って勝敗を決めていたのかもしれない。現代の人間がそれを否定することは、決してできない。誰にもできない!「低予算で馬が用意できなかったんでしょ?」とか言ってはいけない。
「平成」生まれだけを吸い込むブラックホールといい、仮面ノリダーといい、平成額縁ライダーキック(そうとしか言いようがない)といい、どれもこれも2時間の映像をもたせるネタとして最高だった。でも、2時間「しか」もたないようにも思う。これをTVで1年間続けていたらどうなっていたんだろう?それはそれでキツいのかな?
10位 Keepin’ Faith /パトレン1号/朝加圭一郎(結木滉星)
さてここからはいきなり時間が戻り、2020年8月パンデミック後の世界線でこの文章を書いている。
2018年に発表の特撮番組のキャラクター・ソング。当時、私はこの曲にそこまでの思い入れはなかった。武道館の超英雄祭のトップバッターで初披露されたときも、「難しい曲だな!武道館公演の一番手でこんなに難易度が高い曲を歌うなんて結木くんは大変だ!」という感想しか持っていなかった。
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当時の超英雄祭の映像。これを見ても分かるように、初披露においてはサビのオイ!くらいしか観客のコールは入っていない。
特撮ものの番組は、TV本編終了後に「ファイナルライブツアー」という名の全国をまわる興行ツアーをする。前半はヒーローショー、後半は番組主題歌やキャラクター・ソングの披露の合間にキャストのトークが入る二部構成だ。全国の劇場を回って、地方の子ども達に夢を届ける。キャストは子ども達から生の声援をもらう。この公演をもって役者たちは一年間続いたヒーローという役職から「卒業」する。ハロプロでいうところの「モーニング娘。コンサートツアー 2019春 ~○○○○卒業スペシャル~」と同じ構造だ。
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https://natalie.mu/eiga/news/319317
キャラクター・ソングの披露は場所ごとに2~3人ずつ行われる。『Keepin’Faith』は浜松・福岡・大阪で合計7回披露された。その課程の中で「Keepin’ Faithのコールがすごいことになっている」という観客レポートを私はよく目にしていた。「圭ちゃんコールがだんだん増えている」と。私はそれを生で見ることは叶わなかったので(チケットは争奪戦であった)映像を楽しみにしていた。
2019年ファイナルライブツアーラスト公演のDVDに入っているこの曲を聴いて、私は腹を抱えて笑った。コールが進化してる!!!!しかもこれはハロヲタが入れたコールだ!私にはわかる!これ、ハロヲタのコールじゃねーか!ハロプロの文脈ですくすくと成長したコールだよ!
しかも、「ハロヲタのしわざだ」って絶対にばれないように、各会場に少しずつ紛れ混んでいただろう工藤のおたくたちが少しずつ丁寧に育てたコールだ。私にはわかる。
どこらへんをもってして「ハロプロのコールっぽい」と思うのか?詳細はめちゃくちゃ長くなるが、これから意を決して書く。「くだらねぇ」と思う方は読み飛ばしてくれて構わない。本当にくだらないので。
★★★★ここの部分執筆作業中(書けたらリンク貼ります)★★★★
このライブ映像を持って『Keepin’ Faith』は私の中で「最も魅力的なキャラクター・ソング」に一気に躍り出た。現場で育ったコール&レスポンスの持つ力である。この曲の作詞家であるSoflan Daichiさんがつばきファクトリーの新曲の歌詞を書く、と聞いて私は一人で納得の微笑みを浮かべている。さすがアップフロント!いいところに目を付ける!ハロヲタに受ける曲を作れる作詞家だって、一曲で見抜いたんでしょ?だから声をかけたんでしょ?さすがである。
ここからは余談だが(ずっと余談では?)私は「全然ハロプロじゃない人達の歌にたまたま居合わせたハロヲタが即興で入れるコール」が大好物なのだ。
※参照例
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久住小春ちゃんが主演していた女児向けアニメ「きらりんレボリューション」のイベントに突如出てきた男子二人組・SHIPSに、初見にもかかわらず全力でコールを入れる皆さん。男子二人の名前の区別がいまいち付いていない状態でもメンバーコールを入れるおたくの皆さんが愛おしい。間違った名前をコールしている人もいる、推しジャンしてる人もいる、間奏のMIXが不発に終わっている(当時のハロプロではMIXが残存していたこともわかる)。
悲しいけれど、このような文化・このような現象が起こることはきっともうないだろう、という確信めいた予感が私の中にはある。
2020年8月現在、ハロヲタがコールできる現場は完全に失われてしまった。ヒーローショーで子供たちが声を出してヒーローを応援できる環境も、半永久的に奪われている。この2つがたまたま出会い、日本全国を回りながらゆっくりと時間をかけて成熟し、男性ヒーローのキャラクターソングに女性アイドルの客が集まり、アイドル文脈の応援コールがのってコール・アンド・レスポンスが育っていくという奇特な現象が起こることは、おそらくもう二度とない。それを語れる機会も、今しかない。それを語る人間も、きっと私しかいない。だから、いま書いた。ここまでお付き合いいただいた皆さま、どうもありがとうございました。
★★★★★★★★
以上です。即売会もできず楽曲のリリースがままならぬ中、2020年楽曲大賞選びはどれも困難を極めると思います。今のところ、私の中ではアニメ「アースグランナー」主題歌である『世界が君を必要とする時が来たんだ』がぶっちぎりの一位となる予定です。「痛いのは無理 めんどくさいのは嫌だ 平気な振りしてマジちびりそうさ てちょちょっとまってよベイビー これって現実なの!?」という歌詞が、個人防護具もないのに謎のウィルスに突然対峙せざるをえなくなった自らの現状にぴったりと寄り添いまくっていて、本当に困っています。私は世界を救うヒーローなんかになるのはまっぴらごめんです。自分と家族と周囲の知人と、自分の患者さんたちだけで手一杯ですから。(2020.9.30)
※この文章はCOVID-19流行前の2020年2月末までにほぼ9割を書いています。文章がまとっている時代の空気が明らかに現在と違いますが、2019年のランキングなので、あえてそのままにしています。
1位 戦闘!ジムリーダー / ポケットモンスターソード・シールド
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2019年11月に発売されたポケモン完全新作ゲーム『ポケットモンスター ソード・シールド』は本当に素晴らしい。ポケモン文化は今まさに世界中で美しく花開いている。
新作の舞台はイギリスだ。「イギリスという歴史ある国にどうアプローチするんだ?」という問いの答えは、サッカーとロックンロールであった。なるほど。「サッカーをどうやってポケモンに?」という問いへの答えは「観客」と「スタジアム」である。ポケモンバトルが欧州プロサッカーリーグのような一大興行になっているのだ。巨大スタジアムに大量の観客を入れて中継込みでバトルをする。たくさんの観客が観戦して盛り上がる。すげぇ!楽しい!
最も盛り上がるジムリーダーとの戦いは、サッカーのスタジアムを模した巨大な会場で行われる。主人公はユニフォームを着てピッチに向かい歩いて行く。スタジアムを大勢の観客が埋めている。観客はポケモンを倒すごとに、技が決まるごとに、そして技を外すたびに!おおいに盛り上がり歓声を上げる。
この曲は、イントロ→通常時→優勢/劣勢→最後の一匹と、戦況に応じて複数のフレーズが切り替わっていくのが最大の特徴だ。ポケモンが次々に倒れいよいよ最後の一匹になると、リズム隊だけが残ったBGMの上に観客の大合唱とエールが加わり、楽曲が一気に盛り上がっていく。ジムリーダーの最後の口上とともにピッチに投げ込まれたポケモンが巨大化する。キョダイマックスだ。この曲の素晴らしさと相まって気分が最高に高揚する瞬間である。
ゲーム発売前のCMでキョダイマックスを見たとき、私は「最後の一匹で巨大化って、スーパー戦隊かよ!」と不覚にも思ってしまった。何なら今でもキョダイマックスするたびに「産ー業ー革ー命ー!」とか「二の目があるぞー」とか「サンキューナリアァ!」って口に出してしまうときはある。そんな私の思慮の浅さに反して、キョダイマックスはとても魅力的だ。ゲームバランス的にも――強すぎず便利すぎず乱用しにくく――ちょうどいい。キョダイマックスポケモンの見た目の変化と、エフェクトの派手さも楽しい。盛り上がるね。
2位 メジャーボーイ / CUBERS
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『ラジオ音源「青春night」超絶神曲のお知らせ』というスレッド でこの曲に出会った。もちろん、「青春nightいい曲だな」と思いながらスレッドを開いたのだ。
なんだよ、『メジャーボーイ』めっちゃいい曲じゃないか!!!つんく♂さん2019年度最高の名作だ。私の求めるつんく♂が詰まってる。なんでこの曲が娘。じゃないんだ!なんでこの曲がJuice=Juiceじゃないんだ!悔しい。これが嫉妬という感情か!うわーん!!!!
この曲に寄せたつんく♂さんのコメントも、くやしいほどの名文であった。
「やっちまった感というより、やらされちゃった感。
俺も時にプロデューサーでアーティストの才能を拡張させる立場。時に一作家。マネージャーの熱い情熱が作家の引き出しをこじ開け良い意味暴発させららることもあるんよね。シャ乱Q時代の和田マネがそうやったな。これ手応え!」
これを読んだ私はすべてを納得した。そうか。この曲がそんな経緯で作られたのならば、私の考えは完全に的はずれである。私はとんだかんちがいをしていた。CUBERSとCUBERSのスタッフにしか、この曲は引き出せなかった。だからこの曲は当然CUBERSに与えられるべきものであり、絶対に他の人間が掠め取ってはならない。「この曲をハロプロに」なんていう私の思惑はとんだ的外れであった。
だとしたら、今のハロプロはつんくさんの「引き出し」をこじ開ける装置としてあまり機能していないのかもしれない。是非もなし。
3位 Shanti Shanti Shanti/ BABYMETAL
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RIHO-METAL version
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鞘師METAL、わたしは大歓迎です。小学生だったアクターズスクール広島時代から続く鞘師とすぅちゃんの歴史がいまだ続いていることに、私は歓喜の涙を流しています。世界中のメイトのみなさん、鞘師をよろしくおねがいいたします。
Purfumeを排出したアクターズスクール広島のほぼ同期でライバルだった鞘師とすぅちゃん。歌の中元、ダンスの鞘師と言われた両雄。モーニング娘。が好きだった鞘師は娘。オーデに合格し、すぅちゃんは順当にPurfumeの後輩になって可憐Girl’sになりさくら学院重音部になりBABYMETALになり、アイドルメタルでブレイクした。
いろいろあって鞘師は娘。を辞めソロパフォーマーになることを選んだ。いろいろあってBABYMETALからは重要なダンサーであるゆいちゃんが抜けた。広島の小学生だった二人が、大人になった今お互いのピンチに助け合い、協力し、Glastonburyの何万人もの観客の前でステージに立つ。こんなに盛り上がる物語が他にあるだろうか。鞘師にとってもすぅちゃんにとってもwin-winだ。私はこれを仕掛けてくれた全ての大人たちに感謝している。
とち狂って「最愛ちゃんと鞘師が『4の歌』を歌う日が来る!?鞘師にまた赤いサイリウムを振れる日が来るの!!?ふあー!!」と私は一瞬いきり立ったのだけれど、ベビメタってもう、そういうんじゃなかった……。そうか、そうだった……。ごめん……。私、まったく時代についていけてない。不勉強だわ。私の中のベビメタは今でもなお「さくら学院重音部」なのだ。しかも当時ですら私は、「さくら学院ならバトン部Twinklestarsでしょ!」っていうアイドル文脈大好きっ子だったのだ。(2011年俺コン参照 ) そんな調子だから「BABYMETAL3人目のサポートダンサーは姉METALことひめたんか、武藤会長で決まりでしょ!」とか思ってしまうのだ。まぁ、違いますよね。そりゃそうか。
BABAYMETALの握手会がない/ファン接触がない/ブログもSNSもない/写真集もない/歌のパート割もない/セクハラまみれのラジオもない/余分なMCもない環境は、ただただステージで自己を表現したい職人タイプの鞘師には向いていると思う。
サポートメンバーとして何の告知もなく、サプライズで横浜アリーナのステージに初登場するというやり方も、私は「ちょうどいい」采配だと思った。ハロプロファンとゆいちゃんファン両方の気持ちに目を配った名判断と感じた。
ハロヲタは結局のところ実力至上主義者なのでステージを見ないと納得しない。そして圧巻のステージを見れば、全ての言葉を飲み込んで幸せの微笑みを浮かべる。近年のハロヲタは「少女を消費しない」ことに敏感なので、鞘師がいきなり正規メンバーになっていたら、それはそれでYUIMETALの脱退とそれにまつわる職業選択の自由の有無、未成年の酷使(これはハロプロもそう)とメンタルケア(これはハロプロもそう)、プライベート露出に強い制約があることへの困惑、公式アナウンスが少ないことの不満がハロヲタの間で議論になったと思う。
その一方で、ゆいちゃんのファンや三姫体制を愛するメイトの皆さんも、ゆいちゃんにかわる新メンバーとして突然誰かが固定されたら、たとえそれが誰であっても拒否反応が出ていただろう。
ゆいちゃんがアメリカツアーに現れなかったとき私は打ちひしがれた。ゆいちゃんの不在について公式から長い間説明がなかったことにも失望していた。#whereisyuiタグを検索しながらゆいちゃんの絵を描くことくらいしかできなかった。私はハロプロ育ちなので、あまりの情報の少なさに耐えられなかった。それがベビメタという箱の特徴だとわかっていても。
ゆいちゃんのいなくなったベビメタはしばらくすぅもあ2人+複数の大人の女性バックダンサー体制で展開した。通称「ダークサイド」だ。ダンサーの一人である仮面ライダーマリカこと佃井さんのことを私は大好きだったし、彼女は素晴らしい仕事をしていたけれど、それでも私はダークサイドを楽しむことができなかった。三姫体制の「カワイイメタル」をまた楽しむことができたという意味でも、私は鞘師のアベンチャーズ加入に歓喜している。
なにより”Shanti”から始まる新曲がすっごくいい。この曲の素晴らしさで私はなにもかもを歓迎した。詩吟とインド歌謡を混ぜたような曲調も、すぅちゃんの歌声も、二人のダンスも素晴らしい。曼荼羅の中央に三姫が映るバックモニターの映像も素晴らしい。独特の中毒性がある。
この曲を踊る鞘師が見られるのなら私はどこへだって行くのだけど、アベンチャーズか誰なのか幕が上がるまでわからないの!?海外だったら鞘師の可能性が高いのか?えええああぁぁぁぁぁううううぅぅううまじでか……。
4位 メテオ / ピンクレディー
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『妖怪ウォッチ』2019年冬映画の主題歌です。妖怪ウォッチの映画、毎年上映してるんですよ。もう6年目です。皆さん知ってました?冬休みにあわせてやってます。今年は、妖怪を擬人化した上に学園ものです。二次創作界隈でもよく見る定番ですね。ちなみに昨年は60年代もの、一昨年は鬼太郎コラボ、その前は8割実写でした。
『妖怪』のコレクションアイテムって、もうメダルじゃないんですよ。アークっていう別のおもちゃなんです。メダルとの互換性は、なし。当然なし。レベルファイブはいつもそう。せっかく作ったコンテンツを長く続けるつもりがないんです。おもちゃだってあっという間に使い捨て。過去作のポケモンをどこまでも連れてこられるよう、できる限りの手を尽くすゲームフリークとは企業姿勢がまるで違います。
ちなみにコロコロの『妖怪ウォッチ』漫画の中には、「メダルをアークに買えてくれるお店」があります。現実でもそんな店があったらいいのに!漫画の方がずっとずっと子ども達のことわかってるよ!!!!!現実のレベルファイブとバンダイは、『妖怪』も『妖怪』のおもちゃもあっという間に「過去」ってことに決めつけて、勝手に投げ捨ててしまうのです。
そんな私のイライラに反して『妖怪ウォッチ』アニメの楽曲は毎回非常に打率が高く、私の心にしょっちゅうクリーンヒットします。この曲は、ニコニコ動画で人気だったプロデューサーが熱心にピンクレディーへオファーして実現した曲とのこと。若い音楽家がピンクレディーの歌声に惚れ、時を経て自分の曲を歌ってもらう夢がかなう。素晴らしいですね。過去映像や過去曲にYoutubeでふれやすくなった世界の恩恵です。
5位 限界突破×サバイバー / 氷川きよし
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まず、ドラゴンボールのタイアップ曲として完璧。
第二に、歌が上手すぎる。
第三に――これがもっとも重要なことだが――この曲のタイミングで、彼は衣装や演出を意図的に変化させ、長い間封印していた側面を全面に押し出してきた。楽曲の方向性と、本人の自意識の変化のタイミングが奇跡的にぴったり合った。必然とも思えるような奇跡のタイミングである。彼が彼らしく生きている姿は本当に素晴らしい。まさに限界を突破したサバイバーである。私も元気が出る。「私もまだ変われる、頑張りたい」と素直に思う。「おばあちゃんたちのアイドルをやりきっているプロの演歌歌手」という認識だった氷川きよしさんが、私という個人にとって「励まされる存在」に変化した。全王様もオッタマゲ~である。私も己の限界を突破してサバイブしたい。
(2020/8/12)
(後編へ続く)
2020年4月・5月、みんなが本当にStayHomeしてくれたから、感染拡大が落ち着いてきたときの私
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「無償の愛なの 抱きしめるわ」
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2020年7月、Go To Travelキャンペーンがこれだけの反対にあいながらも本当に強行されることに気付いたときの私
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「無償の愛はとうに品切れ あいにく そんな余裕はないの」
Juice=Juiceの皆さんが6年掛けてたどり着いた境地に、たった3ヶ月で到達してしまったな……。(2020/07/22 Go To Travelキャンペーン開始)
今の私には休日に行く場所がない。ハロプロの現場も同人誌即売会もヒーローショーもなくなってしまった。
2020年6月下旬某日、中野ブロードウェイに行った。3ケ月ぶりくらいだろうか。外国人観光客のいない中野ブロードウェイは閑散としていた。様々なおもちゃが細かく並んで陳列され、購入されていくのをひたすら待っている。私はソーシャルディスタンスを保ちながらいつもと同じ順番でいつもの店を渡り、狭い店内をくねくねと棚に体が当たらないように練り歩き、きらきらとしたショーウィンドウやレンタルボックスを眺めながら、思った。
私には今、欲しいものがない。何もない。
私がいま欲しいものってなんだろう。
私が欲しいものって、いったい何だったんだろう。
私がいま欲しいもの。
安全と健康。
平和。
気兼ねなく使い捨てることができる十分な量の個人防護具。
簡便に受診できる地域ごとの発熱外来。
CDC。国単位のものが無理なら、「東京CDC」と呼べる組織。
どれも中野ブロードウェイには売ってない。売っていないのだ。
結局私は子ども達が欲しがっていた「どうぶつの森」の住人amiboカードのみを購入し、ぼう然としながら帰路についた。
自身の属性が他者に感謝されている文言をこの眼で初めて見た。
(2020/06/23)
アップフロントグループ テレワーク合唱「愛は勝つ」「泣いていいよ」「負けないで」 (2020/05/04)
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2020/05/25 東京都の緊急事態宣言が終了した。
そして私はその日にようやくこの動画を再生することができた。動画が投稿されてから21日後のことだった。
つんく♂さんの「私達は、最後に必ず勝つことができます」という言葉、相変わらず羽の生えた姿でグランドピアノを弾くKANさん、『愛は勝つ』冒頭の「心配ないからね」というフレーズ。たったそれだけで私の目はボロボロと涙を流していた。制作者の狙い通りである。しかも『愛は勝つ』を聴いてびーびー泣いていたら、そのあとすげえかわいいふくちゃんとたけちゃんに励まされたうえに史上最高に美しい顔の朋子に『泣いていいよ』って言われたから二度びっくりした。確かに私は泣いていた。泣いていいのか。そうか。ありがとう、じゃあ遠慮なく泣くよ。そう言ってくれてありがとう。
(1周目感想)
・みんなの自宅と部屋着と薄化粧がかわいい(アイドルファンになりたての小学生のような感想)
・Stay Home してくれてありがとう、かわいい子たち。
・暗闇で突然の後ろ回り受け身からのカーテンダンスしている女子が最高なんだがいったい誰?あゆみん?
・タコちゃんの謎の折り紙は一体何を表現しているのだろう?「タコちゃんそれなに?なに?なにそれ?ギャハハ!!」って大爆笑してしまった。このような謎の行動がなんの脈絡もなく突然メンバーの独断でぶちこまれることは、私がハロプロを最高だ!と感じる瞬間の一つです。
・矢口の歌声が久しぶりに聴けて嬉しい
・よっすぃがいない……(当たり前)
・真野ちゃんが元気そうでほっとした。スペイン大丈夫かな?
・久しぶりに見るOGも多くて嬉しい。みんなかわいい。みんな大好き。
・つんく♂さんに「私達は、最後に必ず勝つことができます」って言ってもらえると心が強くなる。
(2周目の感想)
・『泣いていいよ』って今こんな歌割なのか……。
・動画コメントに「私の職業は〇〇なのですが、私の職業が初めて言及され、感謝されていてて嬉しかったです」というものが多く、私ははっとした。私は真っ先に――それこそこの動画でも一番最初に――言及されている職業なわけであるが、それでも「欧米に比べたら医療従事者は全然感謝なんかされていない!差別ばっかり受けているよ!」とこの2ヶ月ずっと感じていた。私は視野が狭かった。自分の視野の狭さに私はこの動画のコメントで初めて気がついた。余裕がないときって、どうしても自己中心的になってしまうものなんだな。
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(関連動画から飛んだ東日本大震災のときの『愛は勝つ』を見て)
・よっすぃがいる……リカちゃんの隣でニコニコしてる……ああああぁぁぁぁ……。
・つんく♂さんが歌っている……あぁ……。
・当時はこれだけの大人数がスタジオに集まって歌えていたんだね。そんなの当たり前のことだと思っていたけれど、当たり前じゃなかった。(2020/05/29 )
まずは、キラメイレッドこと小宮璃央くんが自らの感染を公表した勇気と決意を、私は高く評価します。
彼が感染したことを謝る必要は「まったく」「どこにも」ありません。どこからうつったのだとしても、あなたは我々と同じ、普通の生活をしていただけです。悪いのはウィルスです。 ここを絶対に間違ってはいけません。患者さんが謝罪する必要など、まったくない。一切ない。 周囲も彼を謝らせてはいけません。今後感染する罪のない子どもたちが罪悪感をもってしまいます。
なぜなら、日本は2020年3月末現在、「全員の検査」を方針としていないからです。それはひとえに「検査数を増やすだけのキャパシティが日本という国の中に『ない』」からです。言い訳はしません。ないんです。病院にも、保健所などの検査期間にも、圧倒的に人数が足りていません。武漢で感染が爆発してから3ヶ月たちましたが、発熱外来もいまだにありません(病院が独自に設置している例はありますが、地域の発熱患者を集約できる大規模なものはありません)。コロナウィルス検査専用の大規模な社会的システムも、まだありません。これは明らかに対応として遅いですが、これらを準備する時間を稼ぐために、検査の条件をつけて医療現場の疲弊を防いでいる側面があったと私は思っています。
つまり、現状では全例を拾うつもりはありません。どこかでたまたまウィルスを拾って、「街中で突然感染者として見つかる」ケースを国も医者も許容しています。それは避けられないリスクとして想定されているのです。たまたま行った駅のトイレ、たまたま行った店のレジ、たまたま乗ったエレベーターのボタン、たまたまさわった電車の吊り革、それからの感染リスクをゼロにできる段階はもう過ぎました。市中で感染する人がいることはもう「織り込み済」です。もう誰でも感染する環境なのです。小宮君はたまたまくじ引きに当たっただけです。だからこそ、少しでもリスクを減らすために外出の機会を減らし、集団で集まって食事したり歌ったり運動したりすることをやめ、鼻や目や口を触らず、こまめな手洗いをすること。それらが推奨されているのです。(もちろん検査「可能」件数はこれからどんどん増やしていかなくてはならないでしょう。増えるんですよね?ここまで現場が時間稼ぎしたんだから検査「可能」件数は増やしていなかったら許しませんよ?)
それはそれとして「なるべく流行の伝播をゆっくりにする」必要は、いまだにあります。それは誰も抗体を持っていない病気だからです。急に感染が拡大すると、その地域の医療機関が麻痺します。「流行の伝播をなるべくゆっくりにする」そのためだけに、クラスター対策班の皆さんは日夜頑張っています。頭が下がります。もう街中のどこで感染してもおかしくないし、自分が感染者でもおかしくない。それも事実。それはそれとして、感染が発見された人からなんとかしてクラスターを見つけ出す必要があるのも、事実です。2つとも必要であり、並行して行われる仕事です。 クラスター対策班の仕事を助けるために、彼がどこから感染したか、そしてどこへ伝播しそうか、その調査は(保健所にとって)不可欠です。役者さんも東映の皆さんも是非協力してほしい。絶対に隠蔽などしないでほしい。正直に、包み隠さず話してほしい。それが不幸な感染の連鎖を減らす最もいい方法です。でも、その情報を私達に知らせる必要はありません。保健所の皆さんだけが知っていればいいことです。一般に公開する必要はありません。
感染症は隠せば隠すほど広がります。だから小宮くんとおそらくその御両親(17歳の少年なんですから同意があったはず)と関係者の皆さんが情報を公開した姿勢に、私は最大限の敬意を払いたいのです。日本には穢れの思想があり、病気や病気を連想させる事象を忌み嫌う風習があります。コロナウィルスが流行してから、医療従事者とその家族が科学的根拠のない差別を受けた事例は枚挙に暇がありません。きっとコロナウイルス感染者とそのご家族も、周囲からいわれのない差別や風評被害を受けてしまうのでしょう。それでも、感染を公表した勇気を私は買いたい。その一点だけをもってしても、あなたは私にとってヒーローです。
絶対にやめてほしいのは、放送をやめてしまうこと、そして彼を降板させることです。それだけは本当に絶対にやめてください。番組に穴が開くというのなら、再放送でもいいし劇場版の放送でも構いません。なんとか引き伸ばして、絶対にこのままのキャストでキラメイジャーを続けてほしい。いくら中断があっても構いません。なんなら先日の劇場版リュパパト&キラメイをテレビで放送してくれないかな?テレビで髪が伸びた初美花ちゃんが見たいんだけどな!?うふふ♪(完全な私情)キラやばなラストダンスもつけてね!いくらでも手はあるのだから、小宮くんはまず元気に復帰すること。全国で君を心配しているちびっ子たちに、コロナウィルスに打ち勝った姿勢を強く見せてほしい。
いま、子どもたちは言いしれぬ不安に包まれています。明らかに世の中の様子が変わったことに、4歳の子どもでも気付いています。首都圏で続く土日の自宅待機は、子どもたちにとって無限に続く廊下のように長く感じることでしょう。永遠に続く地獄です。毎週遊びに行っていた遊び場のどこにも行けません。ショッピングモールも行けない、ディズニーランドも行けない、ヒーローショーも行けない、おじいちゃんおばあちゃんの家にも行けない、いつもの友達にも会えない、児童館は閉まってる、図書館さえ閉まってる、公園をそそくさと散歩するだけ。いったい何が起こっているのか、小さい彼らにわかるはずもありません。でも、お父さんとお母さんはずっと何かについて難しい顔で話している。ちなみに小学生長男はもう様々なことがわかっているので、私がネットサーフィンしていると(COVID-19の毎日あがる論文を眺める必要がある)「ジュール、大丈夫かなあ?」って聞いてきます。一日一回必ず。私はざっと検索し、悪いニュースがないことを確認してから「大丈夫だよ」と答えています。
家から出られない長い長い土日のど真ん中、日曜の朝に、ヒーローたちが来てくれる。プリキュアが来る、仮面ライダーが来る、戦隊ヒーローが来る。強くてかっこよくて優しいヒーローとヒロインの映像を届けてくれる。このルーティンに私と私の家族がどれだけ救われているか。どれだけの子どもたちが夢中になり、どれだけの親が息を抜いてホッとするか、わかりません。彼らは間違いなく子どもたちにとって、そして親である私達にとって最高のヒーローなのです。
「コロナウィルス」という単語を、4歳児ももう覚えてしまいました。半年前までは、医者である私でさえ「冬に流行る風邪のウィルスの一つ。ごくたまに変異してSARSやMERSになる」程度の認識だった微生物の名を、いまや世界中の誰もが知っています。「〇〇に行きたい」と彼が言い、「そうだね、でも今は行けないんだ」と私が答えると、彼は「コロナウィルスのせい?」と答えるようになってしまいました。そう教えた覚えはないのに。
「みんなのヒーロー・キラメイレッドがコロナにかかったけど、元気に帰ってきた!コロナウィルスをやっつけたんだ!」……それだけで、どれだけの数の子供たちが救われ、勇気づけられるか。こんなにわかりやすい「勝利」の描写ってないでしょう。子どもたちの感じている生命の根源的不安が、シンプルに晴れる。きれいに解消する。それだけのパワーがある。
私の子供は、4歳児のほぼ全てがそうであるように、手を洗うことがあまり好きではありませんした。特に石けんを使うのが嫌いでした。彼なりに色々と理由はあるのでしょう。「水が冷たくていやだ」「おうちに帰ったらすぐにだらだらしたいし、遊びたい」「以前は水だけで手を洗えばよかったじゃないか、どうして急に石けんを使わなくちゃいけないんだ?おかしいだろ」などなど。気持ちはよくわかります。どうしてここ1ヶ月で急に液体石けんで厳重に手を洗わなくちゃいけなくなったのか、意味がわからないでしょう。当たり前です。でも、もう何が何でも、外から帰ってきたら!すぐに!石けんで手を洗わなくてはいけないのです。そこに理屈はありません。とにかく、すぐにやらないとダメなのです。
彼を説得するのは苦労しました。本当は、家の中でなにかモノにさわる前に、洗面所に引きずってでも連れていき、無理矢理にでも腕をつかんで手を洗わせたい。医学的にはそれが圧倒的に正しい。長い目で見れば彼を守ることになる。でも、それじゃダメなのです。無理矢理ではダメなのです。最初に力ずくでやらせると、次はそれがトラウマになってさらに嫌がるようになります。ますます手洗いを嫌いになり、将来的には必ず失敗します。なんとしても、「嫌い」にならずに、手を洗わせないといけない。でもすでに一刻の猶予もない。一回だって手洗いはサボれない。彼はもう泣き出しそうです。そこで私の口からとっさに出たセリフはこれでした。
「キラメイジャーも、ゼロワンも、手を洗おうって言ってたでしょ!」
彼ははっとして、泣き止み、手を洗い始めました。それから、手洗いに苦労したことはありません。
いいですかキラメイレッドくん。
君は、母である私よりも、医者である私よりも、最も科学的に有効な方法で、私の息子の健康を守ってくれています。
これは、あなたにしかできないことです。
キラメイレッドに選ばれたあなただけが持つ力なのです。
あなたは、全国の未就学児童の健康を、誰よりも医学的に正しい方法で守っています。
それがあなたたち、ヒーローの持っている特別な力です。
次は、あなたが、あなたたちが、番組関係者すべてが、コロナウイルスという敵に打ち勝って元気に帰ってくる姿を、子どもたちに見せなければなりません。
見せてください。あなたたちならできるはずです。
※「手を洗おう」啓発動画、一回しか流してくれなかったけど、できれば毎週流してほしい
私の子供は、4歳児のほぼ全てがそうであるように、マスクを付けることが好きではありません。あのWHOとCDCが4月2日に「無症状者もマスクすることがCOVID-19感染の拡大抑制に一定の効果がある」と方針変更しました。驚くべきことであり、歴史的な変節です。今後は日常生活において「入場時マスク必須」「マスクがないと、入ることすらできない場所」が増えていくと予想されます。私は、これから4歳児にマスク着用を教えていかなくてはいけない。これはきっと難渋します。
持っててよかった、駐車場代を無料にするためにたまたま買ったマスク。子供が嫌がりそうなことは、大好きなキャラクターを利用して導入する。これ育児の頻用テクニックです。「キラメイレッドはコロナに勝ったんだから!大丈夫!これで君もコロナに負けない!」って言いながら慣らしていく予定なので、キラメイジャー諸君は元気な姿を私たちに見せてくださいね。待ってますよ。(2020/4/1)
こんなご時世ですが、商業の新刊が2020/03/27に発売となりました。
『ねじ子が精神疾患に出会ったときに考えていることをまとめてみた』
よろしくお願いいたします。
流行に合わせたサイケデリックな書籍デザインを、照林社編集部の皆さんと、ハロヲタ仲間のデザイナーさんが可愛く仕上げてくださっています。
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今回のテーマは「精神」です。
「おや。この人、言動や行動が少しおかしい?精神疾患かも?」と感じる患者さんが現れたとき、医者が頭の中でどう考え、どう診断し、どう行動していくのか。その過程についてイラストと文章で書きました。「手」の技というよりも「脳」の技と言ったほうがいいかもしれません。
いつものシリーズと同様に、この本も「何も知らない研修医が当直させられた、または外来させられたときになんとか対応できる知識」を目指しています。ナースさんなら「1年目ナースが外来や当直で突然遭遇した不測の事態にも、なんとか対応できる程度の知識」が目標です。
「医学」という学問自体の初心者・初学者に向けた内容ですから、精神医学や臨床心理学の専門家を目指す人にとっては内容が薄いと感じられることでしょう。「当直をのりきる」以上のことをしたい方は、この本を読んだ後にぜひ専門書にあたり、各疾患の知識をもっと掘り下げていってください。「自分や家族のかかってる病気について詳しく知りたい!」という一般の患者さんや御家族には、講談社の『健康ライブラリーイラスト版』をおすすめします。
精神科の看板をまったく掲げていない場所でも、「この人はどう考えても精神疾患だ……」と感じる患者さんは日々我々医療者の前に現れます。そんなとき、本書の知識が少しでも皆さまのお役に立てば幸いです。(2020/03/28)
※この本は 同人誌『平成医療手技図譜 精神編』と『心療内科編』を合冊して加筆修正した内容になります。
おそらく世界中の医療従事者がそうであるように、2020年3月は私の医者人生の中で最もつらい1ヶ月でした。この過酷さはしばらく継続するのでしょう。ひょっとしたら、さらなる波が待っているのかもしれません。
欧米各国の医療従事者への感謝の拍手動画を見ながら私は今日一人で泣きました。
日本国内の拍手の動画は見つけられませんでした。そのかわりに、コロナ患者の出た病院や医療従事者やその子供への差別や偏見の記事は随所で散見されています。
私も夫も医者で、子供は小学生です。彼にはこの1ヶ月たくさんの苦労をかけました。彼は一言も文句を言わず、毎日変わる私達の予定にあわせてくれました。私の自慢の息子です。
日本において3月は年度末、4月は年度始まりです。新入や人事異動は予定通りやってきます。それらを決めた当時とは病院の様相が大きく変わってしまったにも関わらず。
感染の渦中にいる病院に入っていく人もいれば、出る人もいるでしょう。みんな様々な思いがあると思います。
正直に言うと私は少し疲れています。頑張りすぎてはいけないなぁと思います。
医療者の皆さん、みなで健康で、生き延びましょう。
来年はお花見ができたらいいな。
ディズニーランドにも行きたいな。
モーニング娘。のライブにも行きたいな。
(2020/03/24)
4位 高輪ゲートウェイ駅ができる頃には / CHICA#TETSU
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明らかに松任谷由実『中央フリーウェイ』のオマージュである。私も若い頃、中央自動車道を走りながら「右に見える競馬場、左はビール工場~♪ってここのことか!なるほど!」と思った経験がある。しかも困ったことに恋人と乗っている車の中でそう思ったりするのである。おそらく現在の若い恋人たちも、電車に乗りながらこの曲の歌詞のように「右に泉岳寺、左に巨大な折り紙の屋根が確かにある!」と思うのだろう。彼らは車に乗らない、車を持っていないから。電車移動である。きっと電車から車窓を眺めてそう思う。そんな時代性を歌詞の中に封じ込めることも含めて、よくできた歌だと思う。この曲の賞味期限が非常に短いことを私は少し危惧していたのだが、そんなことはまったくなかった。高輪ゲートウェイ駅ができた後にも「高輪ゲートウェイ駅ができる前の空気」を思い出すためのトリガーにこの曲はなる。それだけの力がある。
5位 全然起き上がれないSUNDAY / アンジュルム
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なんだこれ。すごいな。暗い。暗すぎる。土曜日の夜に失恋した、または失恋よりももっとひどい目にあった女性の日曜日の朝のお話。土曜の夜にいったい何があったの?
さっき「2019年は鞘師里保と工藤遥と田村芽実と和田彩花の年だった」と書いたように、今年は若いうちにハロプロを卒業したメンバーによる新しい挑戦が目立つ年だった。とすると現役ハロプロメンバーの中にも「私も早く次のチャレンジがしたい」「ここに長くいてはいけない」と感じる子が増えてくる。これは必然である。アンジュルムは和田彩花ちゃんの卒業以降、メンバーの卒業ラッシュが続いている。どの子も次の仕事や人生のステップを考え、25歳になる前に自分の意志で卒業していく子ばかりである。
カントリー・ガールズの意味不明な解体劇は「同じことを次は自分のグループにしてくるかもしれない」という不信感と恐怖心を娘。以外のすべてのメンバーとファンに植え付けた。「信用できない」「こんな恐ろしい場所に長くはいられない」と感じるのも当然だろう。モーニング娘。以外のグループのメンバーが「私はここにいてもこれ以上のチャンスを与えられない」と思ってしまうのもしかたない。だって、そうやってグループごとに扱いの差や、チャンスの優劣を付けてきたのは他ならぬ事務所なのだから。25歳以降の人生の指針を一切示さず、その後の人生を自分で切り開くように仕向けてきたのも事務所である。思春期の女子の自意識を満足させるだけの活動を現状でさせてあげられてないのならば、彼女らがハロプロという組織から飛び出していくのを止めることはできない。
彼女らの憧れでもあったBerryz工房と℃-uteの、25歳までがっつりアイドル活動を行ったメンバーの現状、そして早めに卒業した鞘師や田村芽実ちゃんや工藤の活躍を見ると、「定年までここにいてはいけない」「早く次のステップに進まないとその後の芸能活動のチャンスがなくなる」と若いメンバーが思うのもわかる。役者になるにも、26歳からでは配役のチャンスが減ってしまうようだ。もう正直に言っちゃうけど、道重さゆみと嗣永桃子が脈々とつないできた事務所のTVバラエティ枠を壊滅させるような岡井ちゃんの恋愛に私は困惑している。他人の恋愛に口を出すのは野暮だってわかってる。わかってるけど。仕事場の信頼関係も、先輩から受け継ぎ後輩へ譲るはずの椅子も、結構な力で破壊するタイプの恋愛だよ、あれは。
6位 ふわり、恋時計 / つばきファクトリー
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ハロプロの女の子たちはある日突然、まったく悪意なく、威力の高いナパーム弾を一人で作り上げ、どこかに向かって投げることがある。爆撃された客席に死体が累々と転がり周囲が焦土になったあとに「何かが起こった」と気付く。その有名な例が飯田圭織の大人の七夕バスツアーであり、2019年の小野田紗栞ちゃんのデート疑惑ブログである。
飯田圭織の大人の七夕バスツアーはあんなに有名になってしまったが、実際当時のハロヲタはゲラゲラ笑いながら2chで実況していたし、参加しているオタクも自らを客観視しながら状況を楽しんでいる人が多かった。まず、あのツアーはアイドルを卒業してから2年も経った後の話である。あのバスツアーの最もダメなところは運営会社側(この場合は事務所と旅行代理店)が提供したサービスの悪さである。そこは大いに是正されるべきだと思うし、実際、飯田さんのバスツアーの悪評がネットに知れ渡った後のハロプロバスツアーの食事とタイムテーブルはかなり改善された。
飯田さん自身はむしろ「自分にとって最も重要な人生の節目を、自分のファンと共有したい」「ファンの皆さんに一番に報告したい!」くらいの幸福な心持ちであった、と私は予想している。それはまぎれもなく「善意」である。最愛の夫に恵まれ子供も授かった、その幸福をファンとも共有したい。自分の口から報告したい。きっとファンも祝福してくれる。そのくらいの夢見ごごちだったと、私は予想している。そこにあるのはアイドルとファンの間の悲しい気持ちのすれ違いと認知の「ずれ」だけである。どちらも「愛」によって構成されている。決して「悪意」ではない。彼女がオタクを人間として扱っていなかったわけではない。絶対にない。
それに対して当時の旅行会社の企画と事務所のやり口には、やはり多少の「悪意」を感じる。悲しいことに当時のハロプロでは「オタクを人間と思っていないのでは?」「我々にも人権があるということをご存知でしょうか?」と問いかけてしまいたくなるイベントが頻繁に開催されていた。残念なことにそれは当時の事務所の通常営業であった。リリイベの握手会で、アイドルの手に触れた1秒後に剥がしの男性に投げ飛ばされた(メンバーも驚いていた)ことを私は決して忘れない。私が今でも握手会を大の苦手とするゆえんである。エンドユーザーをなめ腐った価格とサービスの悪さゆえに、多くのドルヲタはハロプロを捨ててAKBへ流れた。当時の秋葉原のAKB劇場はファンをきちんと人間扱いしていたからだ(今は知らない)。AKBはその力を借りて大ブレイクし、ハロプロをこてんぱんにした。当然である。因果は巡っているのだ。
昔話はさておき、小野田さおりんのブログは女性アイドルが本当に好きな男の子とこっそりデートをしたときに書くブログとして1000点満点の出来栄えである。他の人間がこれを作ることはできない。あの日のさおりんのブログは唯一無二の芸術作品であると私は感じてしまう。そこに「あおり」や「悪意」を見いだしてしまうファンも多いようだけれど、私はあんまり悪意を感じないんだよね……。それよりもただ、生まれたばかりの恋の高揚だけを感じる……。「恋情に酔う少女の激情」がほとばしってる……。恋する人間だけが出す特別な粒子がwifiに乗ってブログの文字の隙間から流れてくるようだ……。『今夜だけ浮かれたかった』をさおりんが誰よりも上手に歌っている理由もわかったよ。今夜だけ浮かれてたんでしょ?わかる、わかるよ。最高に面白いよ!……と私は感じてしまうのだ。
もちろん、これはドルヲタとして最低最悪の感情であることはわかっている。悪趣味だってこともわかってる。私はアイドルの恋愛禁止は人権の侵害だと思っているし、矢口がモーニング娘。を辞めたときは彼女よりも「彼女を辞めさせた事務所」に対して怒髪天をつくほどの怒りを覚えていたけれど、そんなドルヲタは少数派だってこともわかってる。実際に金を出しCDを積みすべてのライブに通うタイプのおたくにとって、この一件が許し難いこともわかってる。つばきファクトリーという箱にとっても、この一件が致命傷になることは容易に想像できる。きっとファンは大いに萎えている。それもよくわかる。『ふわり、恋時計』はとてもいい曲だ。おのみずが大好きだ。きしもんも大好きだ。つばきファクトリーのみんなも大好きだ。もちろんさおりんのことも大好きだ。でも、つばきファクトリーがこの一件をどう乗り切ったらいいのかは、私にもわからない。
事務所は結局、小野田さおりんを「切らない」方針をとったようだ。それならば、これからのつばきファクトリーはさおりんがいかに何事もなかったように、または何事かはあったけれどむしろそれをうまく利用して「開き直っていくか」にかかっている。根性見せてほしい。
7位 トウキョウ・コンフュージョン / PINK CRES.
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なんだかなんだかありえないなんだかなんだかありえない。サビの「そういう考え全然おしゃれじゃない ねぇ そういう考え全然時代じゃない」という歌詞が大好き。決めに決めたファッションで身を包んだ雅ちゃんだけが放つことができる謎の説得力である。
だから、だからね、女性ファッション雑誌ViViが自民党のキャンペーンで雅ちゃんをセンターに使ったことは許せない。まさにアイドルが政治利用されているその瞬間を見てしまった。やめてよ!糞事務所め!許さん!断れや!
その告知において雅ちゃんが出したコメント「Be Happy ハッピーに生きていける社会にしたい!」「いじめ問題などがなくなりみんなが明るく暮らしやすい世の中になればいいなって思ってます✌」は彼女なりに必死に考えたパーフェクトな解答だと思う。雅ちゃんすごい。雅ちゃん頑張ってるよ、だからこそ!上からの命令でアイドルを特定政党のキャンペーンに参加させるのは本当にダメ。もちろん彼女自身が彼女自身の意志で自らの支持政党を表明する(それによるリスクを理解し、引き受ける覚悟がある)なら何の問題もないし、むしろその姿勢を支持するんだけど。でもそうじゃないでしょ、あれは。こんなことをされると、『トウキョウ・コンフュージョン』の素晴らしい歌詞の意味が変わってきちゃうんだよ。事務所が断れや!!!まったく!
番外 ニッポンノD・N・A! / BEYOOOOONDS
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曲とアレンジとメロディだけでいえば、今年のハロプロ楽曲大賞1位でもいい。でも歌詞が浅慮。あまりに歌詞がダメだから、この曲はおそらくメディアで推されることはない。非常にもったいないと思う。どうしてこの歌詞で「いい」と思ったんだ?どうしてこの曲の歌詞は(きついことで有名なハロプロ特有の)ダメ出しの対象にならなかったの?雨子やヒャダインの歌詞にダメ出ししまくっている場合じゃないんじゃないの?
まず、個人の性格や行動を遺伝子と結びつける議論は危うい。よほど慎重にやらないといけない。人格の形成は遺伝だけでなく、その後の環境や教育によって大いに左右される。「遺伝子で性格や行動が決まる」という考えは、優生学や血統主義や差別に利用されやすい非常に危険な思想である。「○○人種は犯罪を犯しやすい」「○○人種は知能が低い」というような、安易で差別的なレッテル貼りに容易に使われてしまう。貧困や教育資源の少なさなどの「社会的な不平等要素」を配慮せずに、あまりに少ないサンプルに基づく思い込みからそのような社会的レッテルを他人に貼りたがる人達は、残念ながらたくさんいる。そんな差別主義者に利用されてしまうから、DNAと個人の行動や性格を結びつける議論は非常に危険なものになる。後天的・社会的要素を「完璧に」排除してエビデンスを出すことは不可能であるとさえ、私は思っている。
ましてやこの曲で歌われているのは「集団」としての行動心理である。そんなもんをニッポンのDNAと言われては困る。コンビニで列になって会計を待っていることを「生粋の内弁慶」と言われても困惑するばかりだ。電車の中でみんながスマホを見ていることを「付和雷同の美学」とか言われても。関係なくない?スマホが便利なだけだろ?しかもそれを「日本のDNA」と言われても。いやそれ違うでしょ。DNAを一体なんだと思っているんだ?私の知っているDNAとはずいぶん違うぞ?まじで何を指しているつもりだ?「日本人らしい」と世間で言われている(私はそうは思わないが)集団心理の事象を「DNA」として勝手に再定義しているのだろうか?でも間奏で「デオキシリボ核酸!デオキシリボ核酸ですからー!」って前田こころちゃんに叫ばせているよな?それは辞書で引いた略語の説明をなぞっているだけ?
世界的な遺伝子解析によって、アフリカで発生した人類(ホモサピエンス)がどのような経路で世界中を移動し、日本列島までたどり着いたかの解析は順次行われている。解析しやすいミトコンドリアDNAやY染色体やHLAハプログループでさえ、かなりたくさんの種類があることが判明している。
日本人 – Wikipedia
ja.wikipedia.org › wiki › 日本人
分子人類学による説明
ニッポンのDNAって、このうちのどれかのつもりなんだろうか?それとも日本在住ってこと?使用言語が日本語ってこと?本当にDNAを何だと思っているんだ?大丈夫か……?などと思っていると、サビに「モンゴロイドDNA」と来る。
まじかよ。こりゃだめだ。大丈夫じゃなかった。やめてくれ。モンゴロイド以外の日本人は今すでにたくさんいる。日本中にいる。私の子どもの通う小学校にもたくさんいる。東京だからかもしれないが、コーカソイドもネグロイドもその他様々な人種の人々が、いたるところで働き生活している。もちろん彼らの子どもは地元の学校に通っている。モンゴロイドのDNAであることが日本のDNAではない。絶対にない。この曲は何を言っているんだろう?大丈夫か?
実際はただ音の面白さから「モンゴロイド」という言葉を採用しただけなのかもしれないし、さらに「DNA」もDA PUMPの「USA」の語感をもじっただけなんだろう。『USA』のアンサーソングという指摘も、その通りなんだろう。それにしても、思慮が足りなくないか?ニッポンのDNAって本当に何のこと?何を指しているつもりなの?今からでも遅くないから「モンゴロイド」の部分だけでも歌詞を変えませんか?
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さて、2020年2月号雑誌「ダ・ヴィンチ」にてハロプロが特集された。嬉しい。私がこのブログを立ち上げた頃、私は駆け出しの文筆家であった。まだ一冊の商業誌も出したことがなかった。モーニング娘。を好きといえば「モー娘。ってまだあったの?」と言われ、ハロプロはどん底の時期であった。私は仕事で会う様々な立場の編集者全員に「ハロプロのことが書きたいんです!」と訴えていた。当時すべての人に言われた。「もう遅い」「今の時代じゃない」「AKBならまあ、いいですよ」と。私はそのたびに、ルパンレンジャーVSパトレンジャー最終回のしほちんのごとく「そんなことありません!モー娘。は必ず復活します!」と叫んでいた。もちろん編集者さん全員が困ったように苦笑いしていた(相手は医療以外を求めていなかった、そりゃそうだ)。時は経ちあれから13年。いよいよ文芸雑誌でハロプロが表紙になった。女性目線で分析された歌詞が特集されている。私は嬉しい。生きていてよかった。もうこのブログは役目を終えたのかもしれない。
特集のサブタイトルは「ハロプロが女の人生を救うのだ!」である。大きく出たな。確かに少なくともハロプロは私の人生を救っている。それだけは確かだ、ありがとう。他の女の人のことは知らない。でも、困ったことにハロプロの「中にいる」女の人生が救われているのかどうか、今の私にはわからない。近年のグループ解体・解散・卒業ラッシュを見ていると、正直自信がなくなってきた。ハロメンには全員幸せになってほしい。卒業や脱退や突然いなくなってしまったメンバーも含めて、全員が幸せになってほしい。メンバーの幸福の前には、私たちオタクの救済なんてどうでもいいのだ。来年は幸福なお知らせが多いことを心より願っている。
※この文章をほぼ書き終わった後に新型コロナウィルス感染のパンデミックが起こった。ハロプロは現在、すべての興行を開催できていない。握手会もライブハウスもなくなりそうだ。ここに書いた事象のうちかなりのものが形を変えることを余儀なくされ、立ち行かなくなるものも出てくるだろう。世の中は本当に何が起こるかわからない。(2020/3/19)
突然だが、私は「自分が魅力的に感じるハロプロの歌詞」を大まかに3つのテーマで分類している。
①とある女子の日常風景
(例:『恋をしちゃいました!』『乙女パスタに感動』、ひとりきりイヤホンで音楽聴いている、『テーブル席空いててもカウンター席』など)
②女子の独立と自立、いわゆるジェンダー問題
(例:ガラスの靴はこの手の中にある、カボチャの馬車を正面に回して、女が目立ってなぜいけない、あぁ女なら感覚でわかるだろう、女の悲しみ三部作、『I’m a lady now』など)
③政治・環境問題
(例:選挙の日ってうちじゃなぜか投票行って外食、地球が泣いている、米がうまいぜ日本中、地球に流れる素敵な空気ぐっすり眠れる平和が好き、自由な国だから私が選ぶよ)
もちろん①女子の日常は②女子の独立と自立に直結しているし、②ジェンダーの抱える問題には③政治要素がたぶんに含まれているので、これらを分ける必要はないのだと思う。でもあえて3本柱に分けてみた。つんく♂はこの3つすべてにおいて高得点をたたき出す仕事をしてきた。その模倣を一人の作家で行うことはとうてい不可能である。つんく♂更迭後のハロプロにおいてハロプロをプロデュースしている人達(いったい誰なんだろう?個人名または団体名を公表してくれよ)は、この3種を様々な作家に分散させることによってハロプロらしさを担保しようとしている、と私は考えている。
①とある女子の日常風景と②ジェンダー問題は児玉雨子さんと山崎あおいさんと大森靖子さんがすごくいい仕事をしている。①とある女子の日常 は福田花音ちゃんも上手かった(彼女が辞めてしまうのはもったいない)。
そして②ジェンダー問題③政治環境問題を星部ショウさんや中島卓偉さんに無理矢理やらせようとして、あまり上手くいってない(ように私には見える)。そもそも、歌い手自身の思想を反映しているわけではない政治的議題を未成年女子に歌わせるのは、かなり危険な橋だ。作家自身が当事者ではないジェンダー問題を未成年女子に歌わせるのも危険な橋である。細部によほど気を使わないといけない。作詞家に対して「そんな大切なイシューは自分で語れ」「自分自身の作家生命をかけて世に語りかけろ」「他人、しかも社会的立場の弱い未成年女子を前線に出して自分の信条を語らせてるんじゃねーよ」という批判が来てしまう。とても繊細でむずかしい仕事だ。できる人の方が珍しい。星部さんと中島さんに②ジェンダーや③政治環境問題のハロプロの詞を作らせるのはあまり得策ではないと、私は思う。具体的には『赤いイヤホン』や『BRAND NEW MORNING』や『就活センセーション』あたりね。
『ニッポンのD・N・A!』の歌詞がかかえる違和感(後述)、『素直に甘えて』の「男のくせにおしゃべりが過ぎるわ」という歌詞にOKを出してしまえるところ、『赤いイヤホン』のサビに「男なんかのわがままに女はもう縛られない」という歌詞を入れてしまえるところを見ると、「つんく♂さん以外に①②③のすべてを上手に歌詞に乗せてハロプロの女子達に歌わせるのはむずかしいのではないだろうか」と感じてしまう。だって、逆に考えて「女なんかの〇〇〇〇に」という歌詞だったら、たとえそこにどんな単語が入ろうとも私は許容できないのだ。「男なんかのわがままに」という歌詞は主語が大きすぎると思う。「あなたなんかの わがままに 私はもう縛られない」だったら印象が全然違うのに。
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ちなみにつんく♂さんの男性ジェンダーに関する最新の解釈は「なぜ『愛してる』それが言えないんだろう アホらしい「男」という意地のせいなら「男」はいらない」@岸洋介 なのだ。視点の深度が違いすぎる……。
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実際のつんく♂さんのハロプロ歌詞は、①とある女子の日常②ジェンダー③政治環境問題 の三つの柱のうち一本だけをメインに歌詞を書くのではなく、三本すべてを一曲の中に内包させている。原子のまわりをふわふわとただよう電子雲のように。これはとんでもない曲芸であり、(よくできている方の)つんく♂歌詞の希有な点である。
最もわかりやすい例としてここでは『ザ・ピース!』を紹介する。軽く一聴しただけだと、都会で暮らす恋愛至上主義な女の子の脳天気な日常の歌に聴こえるかもしれないが、内包している要素は全然違う。好きな人のお昼ごはんを妄想しながら、選挙に行って外食する。まず若い女の子が安心して安全に選挙に参加できることが平和だし、投票後に家族で外食できることが平和である。まさに「政治」だ。「好きな人が優しかった」「大事な人がわかってくれた」「道行く人が親切だった」「愛しい人が正直でした」これらはすべてただの日常に見えて、実は確かに主人公を取り巻く世界が平和であることの象徴である。主人公はそれらを「感動的な出来事」と総括する。さらにつんく♂が後年語ったように、この曲の主人公は「夜に」「一人で」食べるデリバリーピザのサイズを悩んでいる。都会に暮らす女子の「孤独な」日常の風景でもあるのだ、実は。タイトルは直球で『ザ☆ピース!』。すげぇ。こんなもの、他の人には作れないよ。
私が2019年末に一番元気が出たのはつんくさんがVtuber向けに作った曲『OH!Young Heart』のライナーノーツにて、ずっと思春期女子がこれまでの自分とこれから世に出る決意を語っていたのに、最後に突然「だって、この地球を愛してるから。」という一文が挟み込まれたことであった。これだよ、これ。ゲラゲラ笑った後にすごく元気が出たよ。そうだよね!わたしもこの地球を愛してる!たとえコロナウィルスが私の身体にふりかかってARDSで死んだとしても、結局私はそんなウィルスを作り出してしまうこの地球の自然科学ごと愛しているのだ……。
つんくさんは咽頭がん術後5年を迎え「寛解」といっていいはずの状態のはずだが、ハロプロに帰ってくる気配はない。なぜだろう。さみしい。これはつんく♂がナイスガールプロジェクトをやっていた頃と同じ感覚である。あの頃も、ハロプロの外の人間の方がたくさんつんく♂の新曲を歌っていた。当時と違って今はYoutubeがあるから、マイナーな楽曲でもエンドユーザーに届く環境がある。つんく♂の作品を追うこともできる。それでもね、やっぱり私はハロプロの女の子がつんく♂のリズムと珍妙な歌詞に乗って歌い踊り出すときの高揚感が好きなんだよなぁ。
1位 KOKORO & KARADA / モーニング娘。’19
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つんく♂のハロプロ最新曲。素晴らしい。正確には2020年の楽曲大賞として挙げるべきなんだろうけど、もう知らん。だって2019年秋の娘。ツアータイトルは「KOKORO & KARADA」だったんだぞ。この曲はずいぶん前から作られていたのに、どうして2019年のうちにリリースされなかったんだろう。2019年のモーニング娘。はなんと!1回しか!シングルを出さなかった。なんで?少なすぎるよ。今年は卒業もなかったし舞台もなかったのに。もっと新曲を出してほしかった。
「やばい!娘。に動きが少なすぎてつまんないぞ!」というこの感覚には覚えがある。2008年である。この年、モーニング娘。はシングルを『リゾナントブルー』『ペッパー警部』の2枚しか出さなかった。2枚しかないうえに、そのうちの1枚は大人の事情にまみれたカバー曲。「今年のハロプロは面白くなかったなぁ。ハロプロができて以来、ハロプロが最も面白くない一年だった。寂しい。」と当時の自分もブログに書いている 。この年にAKBは大ブレイクし、モーニング娘。の人気は歴史上最も深い地底まで落ちた。娘。に動きがないとハロプロ全体が低調になっちゃうんだよ。やめてよ。もっと動いてよ!私の心は娘。15期が決定するまで沈んでいた。
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私の大好きな北海道研修生・山﨑愛生ちゃんが娘。15期に決定して私の心は舞い踊っている。『リアル☆リトル☆ガール』にて私は彼女の独特の声質に心を射貫かれていた。2018年のハロプロ研修生実力診断テストで『Wonderful World』をなぜか英語で歌ったのもすごかった。なんだったんだあれ。ひとり次元が違っていたぞ。今から思えば、ハロプロ研修生・北海道という謎団体は山﨑愛生ちゃんを守り育てるための組織だったんだな。ハロプロ研修生名古屋レッスン場が牧野真莉愛ちゃん一人を守り育てるためのゆりかごであったように。
愛生ちゃんがゴリ押し中の謎のキャッチフレーズ「パンダさんパワー!」は私への私信だと勝手にほくそ笑みつつ、私はこれからもハロヲタとして生きていくつもりです。あ、あと北川莉央ちゃんの顔とスタイルと大物然とした風格もまじで好み。Juice=Juiceの松永里愛ちゃんといいタコちゃんといい、今年ハロプロに入ってきた新人たちはみな独特の大物感がある。数年後が楽しみだ。
さて、前置きが長くなったが『KOKORO & KARADA』である。三人のメインボーカル(ふく・さく・まー)にぴったりあった一曲。
この曲はサビだ。もうサビ以外いらない!って思うくらいサビがいい。いや実際はサビ前の長いピアノソロが聴き手の感情をより高い場所へつれていく装置なんだろうけど。「君が好きさ そう好きさ もう心止められない 未来へ向かう雲に飛び乗って」「だから君もMore愛して Yes 体おもむくまま 太陽浴びてはためく帆のように」これだよこれ!相思相愛の二人のコールアンドレスポンスとしてこれ以上のものはない!最高!
止められないのは私の「KOKORO」。そして君に望むのは私をもっと愛して、「KARADA」がおもむくままに動くこと。これが逆だったら「心おもむくまま、体が止められない」であり、ちまたにあふれる凡百のラブソングになる。とくに「体が止められない」という表現は残念ながら歌謡曲によく使われがちで、脳や思考回路をあまりに軽視しており私には共感できない。肉体のせいにするんじゃないよ、その肉体をコントロールしているのは心だろう。心が阿呆であることを肉体のせいにするんじゃない。
つんく♂の描く女の子には先に「KOKORO」がある。私の心が暴走している。まず最初にそれがある。その後にあなたももっと私を愛して、心に体を従わせてくれと言ってる。素晴らしいシビリアン・コントロール。あくまで暴走するのは私の心。暴走の末、相手の心と体に対等に呼びかける。そこに古典的なマッチョイズムや男根主義や「支配と被支配」の関係性が入る隙間はない。対等に愛し合う二人の関係だけがある。
そして私は「未来へ向かう雲に飛び乗って」、対する君は「太陽浴びてはためく帆のように」私を愛する。なにこの比喩。なんと美しい、思い合う2人の歌詞だ。こんな綺麗に比喩できることがすごい。女をメロンジュース、男をバナナに例えたような流行歌もまだまだ日本には流布しているというのに、こんなに美しく対等に愛し合う二人の肉欲を表現できるとは。しかもそれがサビで、突然バックトラックの音が減り無音に近くなった中で流れる。日常から突如垂直に切り離された恋人たちの高いテンションが一瞬に封じ込められているように感じる。
2位 都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて / CHICA#TETSU
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BEYOOOOONDSのファーストアルバム『BEYOOOOOND1St』はすごくすごくよかった。その中でも、女子の日常風景を描くことに大成功し、かつユニットのコンセプトに完璧にはまっている曲が『都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて』である。この曲は私の中の星部ショウさんの最高傑作記録を更新した。去年までは『眼鏡の男の子』が最高傑作だと思っていたのだけど、今はまさにこの曲が最高傑作。星部さんは最高を更新し続ける作家さんである。すごいね。
『眼鏡の男の子』といい『誤爆』といい、星部さんはシチュエーションがゴリゴリに固まった状況での起承転結のある寸劇的な歌詞が合っているんだな。先ほどの三本柱で言えば①である。これは特に新しいわけではなく、古典的には松本隆の『木綿のハンカチーフ』、つんく♂ならば『恋をしちゃいました!』『君の友達』『テーブル席空いててもカウンター席』などで行われている手法だ。同じ星部さんなら『誤爆』の歌詞がまさにこれ。星部さん、生き生きしている。②ジェンダーに言及する歌詞 や ③政治環境問題 に対する不器用さとは対照的だ。②ジェンダーを書くと「男なんかのワガママに女はもう縛られない」になっちゃうし、③政治的な歌詞をむりやり書かせると「新時代の幕開け!」になっちゃうんだもん。
結局、星部さんに最もしっくりくる歌詞は①とある女子の日常描写であり、『都営大江戸線』は素晴らしい案配の女子の日常の歌である。まあちょっと鉄道の小ネタによりすぎだけど、鉄ヲタのリーダー・いっちゃんの存在とCHIKA#TETSUというユニットのコンセプトとあわせて、奇跡的にいい位置に落ちついている。これがあと少しでも演劇性の方向へ振れてしまうととたんに「日常」性が薄れ、私の心はすっと冷めてしまう。「日常」だよ「日常」。『元年バンジージャンプ』の間奏で令和=丸と丸で眼鏡くんを思い出すのは、全然「日常」じゃないよ。
BEYOOOOONDSのファーストアルバムは全体を通して『眼鏡の男の子』の物語だ。星部ショウ著「眼鏡男子サーガ」である。「都営地下鉄を使うような東京23区内に住む、令和元年の女子高生たちの日常」を描いたコンセプトアルバムとして美しく収まっている。そのコンセプト通りの小劇場的なライブを生歌で行っているメンバーたちの努力も素晴らしい。私は『トミー』と『ジギー・スターダスト』に育てられたロックおばちゃんなので、なんだかんだコンセプト・アルバムが大大大好きなのだ。BEYOOOOONDSはこの素晴らしいアルバムをひっさげ、今年一年かけて小劇団一座のように全国を回るのだろう。そしてそれはとても上手くいくだろう。ライブも盛り上がるだろう。問題はその先だ。次の一手をどちらに転ばせてくるのか、私はとても注目している。
3位 「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの? / Juice=Juice
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『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』時代を切り取った絶妙なタイトルである。まさに②ジェンダー問題、女子の独立と自立 そのままのタイトルと歌詞だ。令和元年、今の日本を生きる20代女性向けの立ち位置として完璧。素晴らしい。
私が20代だったころ、ジュラ紀か白亜紀あたりかな、当時は女性が「ひとりで生きられそう」という「仮定」自体が成立していなかった。経済的にも社会的にも「女性がひとりで生きられるはずがない」が、当時の社会を覆うジェンダーの大前提であった。だって初期雇用も賃金も昇進も昇級も、男女で歴然とした差があったのだ。頑張って労働を続けても十分なお金がもらえないんだから、そりゃ生きていけないに決まっている。シンプルに餓死である。「女性であるゆえに」ろくな賃金をもらえない会社や、「女性であるゆえに」昇進しない社会や(残念ながら医学界もそういうところである)、「女性であるゆえに」年齢によって辞めさせる不文律がある会社(ハロプロの悪口ではありません)は、今よりもずっとずっと多かった。女性がひとりで生きる道は(実際はひとりで生きている人もそこそこいたにもかかわらず)この世に存在していないかのように作られていた。今でも、氷河期世代の女性がひとりで生きるにはかなりの重労働と圧倒的な貧困がつきまとっている。これは現在進行形の問題であるが、特に救済は用意されていない。
昔話が過ぎた。そんな時代から幾星霜、この曲に共感する若い女子が多いということは、今の20代の女の子達には女性が「ひとりで生きられそう」という「仮定」自体が(いちおう)成立しているということである。少しずつでも時代は前進している。よかった!!ハロプロに女性ファンが増えていることも嬉しい。
今度映画になるという劔 樹人さん作「あの頃。男子かしまし物語」であるが、モデルとなった当時のハロプロ現場の男女比は98:2であった。2割どころか2%。当時の現場を再現するために200人のエキストラを募集するというのなら、男女比160:40のはずがない。196:4だね。いや199:1でもいいかもしれない。
『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』を中野サンプラザのJuice=Juice公演で初聴したときの私の感想は「え?これ新曲?タイトル長いね?うーん、普通にいい曲。普通のアレンジの普通のJPOP。落ちサビの段原瑠々ちゃんが素晴らしい。しかし、これをJJが歌う意味があるのか?」であった。正直に言うと、あまりピンときていなかった。もちろんその後何度も聴いて「なるほど」と思ったし、今はもうオープニングの佳林と落ちサビの瑠々の歌声に「待ってました!」と盛り上がっている。
結局、私がJJに求めているのは『イジワルしないで抱きしめてよ』や『生まれたてのBabyLove』や太陽とシスコムーンの曲を引き継ぐ姿勢に代表される「和製アイドルファンク」なんだな……。あ、これを「赤羽橋ファンク」って呼ぶのか。
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クリスマスが来るたびに私は2016年クリスマスイベントでカバーされた『ENDLESS LOVE~I Love You More~』を聴きながら真夜中の原稿用紙を埋めている。もう何年もずっと。私の趣味はぜんぜん一般受けしない。私は古い辺境のハロヲタだ。わかってる。私の好みは売れ線からほど遠い。わかってる。『ひとそれ』が受け、JJにも女性客が増えた。来年は『プラトニックプラネット』『Va-Va-Voom』『ボーダーライン』のどれかに必ず楽曲大賞を投票します。だから音源化してよね、頼むから音源化してよ!お願いだよ!
私にとって今年のハロプロは金澤朋子の年だった。ハロプロOG まで含めれば2019年は鞘師里保と工藤遥と田村芽実と和田彩花の年だったと思うが、全員卒業している。現役ハロプロメンバーに限れば、私にとって今年は金澤朋子の年だった。まず非常に個人的なことだが、コンサートに参加できる日程がことごとくJuice=Juiceとしか合わなかった。アンジュルムの現場と日程があったのは後楽園ラクーアのアルバムリリースイベントだけだったし、娘。にいたってはカウントダウンまで予定が合わなかった。今年からコンサートのチケットが極端に手に入りにくくなったせいもある。オリンピック憎むべし。
中野サンプラザからの帰り道も武道館からの帰り道もカウコンライブビューイングの帰り道も、私は暖かいため息をはきながらずっとかなとものことを考えていた。いつもどこか不安そうだった彼女にリーダーとしての風格が出た。度肝を抜かれるほど美しいと思う瞬間が何度もあった。そして何より、歌がさらにうまくなった。これ以上上手くならないだろってくらい最初からとても上手かった歌が、さらによくなった。胸が熱くなる。かなともがハロプロという組織の中で行う仕事はおそらく2020年が最後なのだろう。2020年は、私のハロヲタとして使える時間をできるだけかなとものために使おうと思う。
(後編に続く)
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