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2020年 ハロプロ楽曲ランキング

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

2020年3月、新型コロナウィルス感染症が世界中を襲いました。新型コロナウィルスはエアロゾルによって感染が広がることから、ライブハウスや劇場におけるクラスターが各地で大量発生しました。世界規模でのマスクやアルコールの不足も重なり、2020年3月から6月にかけて音楽・芸能関係の興業活動はいっさい開催できなくなります。もちろんハロプロも、リリースイベント・コンサート・舞台・握手会などほぼすべての活動が中止や延期になりました。

私は医療従事者なので、その時期は自分のことだけで手一杯です。「中止になるのは当然だ」という科学者としての思考はもちろんありつつも、いちオタクとしては「ハロプロがつぶれてしまうのではないか」という恐怖が常にありました。コンサートがなくなるということは、私の生きる喜びもなくなるということです。ちっぽけな一医師である私にできることは、ただ目の前の仕事を淡々とこなすことと、学校や保育園が休みになった子どもたちをどうにか生きのびさせることだけでした。「ハロメンには心身ともに健康なまま安全な環境で生きていてほしい。私の分まで」と遠くから願うことだけが精一杯の毎日です。

2020年7月11日、ハロプロはコンサートをいち早く再開しました。

夏のハロコン開幕、ソロ&バラードツアー初日にモー娘。譜久村「皆さんの顔見てウルってきました」(写真13枚)

52名のハロプロメンバーがA・B・Cの3チームに分かれ、ハロー!プロジェクトの楽曲ではないバラードのカバーをソロで歌うという斬新な形式です。素晴らしい企画であり、本当によく考えられたアイディアだと私はめちゃくちゃ感心しました。

まずメンバーを3つに分けることで、演者やスタッフの数を絞ることができます。感染者が出たときの濃厚接触者の数も減らせます。公演に穴を開けずにすみますし、万が一1つのチームが全滅になったとしても他のチームで代替公演ができます。

ハロプロのライブといえば、客席のオタクによる大きな声援です。いわゆる「コール」ですね。2020年3月、それは突如「今だけは絶対にやってはいけない行為」になってしまいました。飛沫が飛びまくるから。でも、ハロプロの曲ならばオタクは自然にコールを入れてしまいます。条件反射のようにコールが体に染みついているのです。だからコールが入れにくいバラードにする、念には念を入れてハロプロ以外の曲にする。芸能業界各社に利益を配分できる、つまり何か不備があっても「叩かれにくくなる」というメリットもあったのでしょう。だって記念すべき初日公演の一曲目がAKB48の『365日の紙飛行機』ですよ。完全なライバル同業他社の代表バラード曲をサプライズ披露ですよ。信じられない!過激なファンの中にはAKBグループを目の敵くらいに思っている方だっているというのに!その選曲に私は事務所の強い覚悟を感じました。

コンサートは大いに成功しました。「絶対に口パクをしない」という姿勢を貫いてきた生歌コンサート重視のアイドルだからこそできる素晴らしい企画だったと思います。朋子の『ジュピター』はよかった、まじでよかった。

仁王立ちの小田さくらが歌う『もののけ姫』もまじでおもしろかった、まじでよかった。

客席のルールもずいぶんと変わりました。会場でのグッズ販売なし・一つ飛ばしの座席販売・エリアごとの入場時間を分けての整列入場・規制退場により、観客同士のソーシャルディスタンスが確保されました。マスク着用・検温・会場や手指の消毒も徹底されました。そして極めつけは「全面着席、発声なし」です。これが絶対のルールになった2020年7月11日の中野サンプラザ講演。正直、私はそれが本当に守られるのかとても不安でした。

2020年初頭に(おそらく武道館で起こった転落事故の影響で)客席でのジャンプが一切禁止になったとき、ハロヲタは大いに荒れ、抵抗し、SNSや掲示板上でいっぱい文句を言っていました。そんなオタクの皆さんが、三度の飯より大好きなコールを本当にやめられるのか。本当に黙って座って見ていられるのか。スタッフの言うことをきかないオタクや、発熱しているのに入口を突破するオタクや、つい声を出してしまうオタクは本当に一人もいないのか。コンサート後に反省会という名の「オタク呑み」をしないでいられるのか、本当に直帰できるのか。正直に言うと、私はあまり自信がなかったのです。わたし自身は参加できるはずもないですから、遠くから見守っていました。

……結果として、そんなオタクはどこにもいませんでした。みんなしっかり感染対策のルールを守っていたのです。ジャンプ禁止にすら大荒れに荒れて大論争していたハロヲタたちが、三度の飯より好きなコールを放棄し、静かに着席している姿に私は感動の涙を流しました。ハロヲタってすばらしい。私はみんなが大好きだ。私はかなり長い間コンサートに行けそうにないけれど、私のかわりに参加できる人たちがハロプロを守ってほしい。そう思うに十分な、完璧な感染対策のコンサートでした。演者も、客も。

ハロプロが“観客あり”コンサート 徹底した感染対策の全貌|NEWSポストセブン 

安心した私は、2020年10月12日に武道館にて開催されたバラードコンサートに参加しました。一席空け市松模様での座席販売でしたが、チケットは余っていました。小片リサちゃんは急遽欠席となり、かわりに小田さくらちゃんと高木紗友希ちゃんが『会いたくていま』を歌ってくれました。

武道館会場のスタッフの数は例年の2倍ほどもいます。ものすごい厳重ぶりです。スタッフ全員がフェイスシールドとマスクを着用しています。COVID-19クラスター発生時に周囲に連絡するため、観客にはメールアドレスの登録が義務付けられていました。

東京オリンピックをへてきれいになった武道館

列のソーシャルディスタンス

追跡システムのお知らせ

登録するとこんな感じのお知らせが来る

入場は検温→靴裏消毒マット→チケット確認(もぎりなし、見るだけ)→手指消毒という流れでとても円滑でした。グッズの販売はさらに厳重対策だったと聞きます。なんとクレジットカード支払いの端末で暗証番号のボタンを押すために綿棒を提供していたとか。詳細はこちら↓

感染対策を万全に行いながら、なんとしてでも音楽コンサートを実施する方法を模索する姿は本当に素晴らしかったです。医療従事者としての私は皆さんの工夫と努力と試行錯誤に本当に感謝している。素晴らしい、ありがとう。さすがハロプロだ。

……それなのに。オタクとしての私は、着席も声援なしで他人のバラード曲を2時間聴くのは、なかなかにつらかったです。私は2時間半の公演のかなり長い時間、子どもの音楽発表会に参加しているときと同じ静寂に包まれてしまいました。客席で音をたててはいけない緊張感、咳一つ許されない空気、まっすぐに南一階席(おそらく業界の偉い人たちがいる)を見つめて棒立ちで歌う女の子たち(客席の親だけを見て歌う子どもを思い出す)、聞いてるのが少々つらい音程の演者がたまに混ざる感じ、古くて耳慣れた流行歌、そのすべてが合わさって私の中で「習い事の発表会」らしさが増幅してしまったのだと思います。「この既視感はヤマハ音楽コンクールだな!」と。たまに原曲をガラッとアレンジして歌ってくれるメンバーが出てきたときだけハッと目が覚めるのですが。これもまた人間の感情です。

その後、ハロプロのバラード曲が解禁され、次にすべてのハロプロ曲が解禁され、グループを横断したシャッフルメンバー4グループによる「花鳥風月」公演が日本各地で開催されるようになりました。これもまたメンバーやスタッフがCOVID-19に感染して欠席しても柔軟に対応できる、いい作戦だったと思います。

それに対してグループ単独コンサートは、メンバー卒業時しか開催されなくなってしまいました。卒業のうえに単独公演自体が貴重ですから、チケットは争奪戦です。コンサートに参加することができなくなった私は、在宅でさまざまな中継を見て楽しむオタクとして2020年後半から2021年を過ごしました。地方在住の皆さんや都道府県外に行くことが禁止されている職業の方など、同様のファンは多かったのではないでしょうか。

2020年のハロプロ楽曲ランキングは以下になります。

 

1位 DADDY! DADDY! DO! feat. 鈴木愛理 / 鈴木雅之

TVアニメ「かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~」OP主題歌。鈴木雅之先生と鈴木愛理ちゃんのデュエット。二人とも抜群に歌がうまい。ハモりも最高。

愛理が小学3年生の頃から彼女を知っているにもかかわらず、MVを見た瞬間に私は「この赤い服の女の子はいったい誰!?とろけるような笑顔がすげえ可愛い!八重歯が最高にキュート!しかもすごい歌がうまい!」と思ってしまった。誰って、愛理だよ。8歳の頃から見てるでしょ。何度も生で見たし、握手だってしたことあるでしょ。そのくらい『DADDY! DADDY! DO!』の愛理はひどく新鮮で、ひどく可愛かった。

The First Takeにおける一発撮りも最高だった。

愛理はすごい。愛理を見ていると私はいつも、美少女戦士セーラームーンの作者・武内直子先生がセーラームーン実写化の際に語った名文を思い出す。以下に部分引用する。

「女の欲望って果てしないのね。この星と人間を支えているのは女。女は大きくてもちっちゃくてもオンナ。オンナのパワーの源は夢でも恋愛でもなく欲望ですよ、皆様。願わくはオーディションで選ばれた美しい少女達が、欲望のカタマリでありますように。そうすれば実写版は大成功することでしょう。」

鴻上会長もびっくりの欲望の肯定っぷりである。武内先生はすごい。そう、女を生かすのはすべてを欲しがる欲望なのである(おそらく女じゃなくてもそうだと思う、当事者ではないので断言できないが)。

愛理は生まれながらにして、多くの女子が心の底から欲しがる要素をたくさん持っている。すべてを生まれながらに手に入れていると言ってもいいほど、彼女はたくさんのものを最初から持っていた。そしてそれに飽きたらず、さらに上の肩書きや実績を貪欲に手に入れようとし続けている。

彼女は両親ともに有名なプロゴルファーの娘だ。きっと生まれながらのお金持ちであろう。8歳でハロープロジェクトのオーディションに合格してアイドルに選ばれた。歌唱力は幼少時から抜群に高かった。声質もいい。成長し、美しい美貌と完璧なスタイルを手に入れた。℃-uteという女性アイドルグループで絶対的センターとして降臨しつづけ、武道館でも横浜アリーナでもさいたまスーパーアリーナでもライブを成功した。Bouno!で『初恋サイダー』という女性アイドル界でも一、二を争う名曲を手に入れた。慶応SFC卒業という華々しい学歴も手にした。ソロでも武道館公演を成功させた。そして今回、アニソンとしても圧倒的な名曲を持ち歌として手に入れた。NHK教育テレビでクラシック音楽にまつわるレギュラー番組もやっている。

このどれもが、「たった一つでもいいから手に入れたい」と渇望している女性タレントが何万といる実績だ。「そのうちのたった一つだけでもいいからほしい、私にください」と思う人間はごまんといるだろう。そんな多くの女性アイドルにとっての「目標」を、愛理は一人で10個も20個も手に入れている。そしてこれからもさらに上に行こうとしている。すごい。

武道館公演で『DADDY! DADDY! DO!』を一人で歌う愛理

私はただのオタクなので、愛理を見て「おもしれー、どこまでいくんだこの女!まじすげー、まじおもしれー、どんどんいけー!!」と遠くからニコニコしているだけだ。でも実際に彼女の近くにいると、心中穏やかではいられなくなってしまう人間もきっといるだろう。嫉妬という感情の制御はとてもむずかしい。愛理が持っているものへの嫉妬や羨望や驚愕や落胆で、おかしくなってしまったり、心が折れてしまう人も、彼女のまわりには少なからずいるのではないだろうか……。ついそんな妄想をしてしまう。そしてそんな周囲の感情などまったく意に介さず、これからも欲望のままに突き進んでいくであろう愛理の姿は、狂おしいほどに魅力的なのである。

そしてついに──これは2022年の出来事だが──彼女はついに有名プロサッカー選手との交際を公表した。しかも彼女の親御さんの御紹介でのお付き合いらしい。ちょっとこれはすごいぞ。愛理の欲望がまさに世界を動かしている。「欲しがりたまえ!貪欲に!欲望こそ生きるエネルギー!」って鴻上会長が私の脳内で叫んでいる。愛理にはぜひこのままどんどん行けるところまで突き進んでほしい。

2位 ポップミュージック / KAN

Juice=JuiceのカバーよりもKANさんの原曲が好き。57歳の男性が歌うからこそ、この曲の歌詞は深みが増す。ぎこちないダンスも、心地よい高音の声のかすれも、突然の転調も、歌唱中のちょっとした表情も、壮年の男性歌手だけが出せる悲哀が随所にあふれている。

サビの歌詞「ぶっちゃけ聞くけど トップってどんなフィーリング?」は、『愛は勝つ』でポップミュージックのてっぺんを実際に取ったことのあるKANさんだからこそ意味が出る。一位を本当に取ったことがあるKANさんが30年後にこの曲を歌っているから、いい。すっとぼけているけど、KANさん、あなたはトップのフィーリングを知っている数少ない人間のはずでしょう?……その前提があるから、この曲はからっと明るい。歌詞がねたみやそねみに聞こえない。若い女子の間で大流行中のタピオカミルクティは近いうちに廃れると予見しつつも、決して否定はせずに「でもいつかまた会いたいね」と言葉を選ぶところもいい。

そして、曲の最後にKANさんはリスナーに向かって突然ボールを投げてくる。「ていうか最後に聞くけど この曲どんなフィーリング?」だ。イヤホンの間にあるこちらの脳に直接お伺いを立ててくるのだ、KANさんが。最初の15秒しか楽曲が再生されないこのご時世に、最後まで聴いた人間だけが味わえる特別なメッセージである。私は脳内で「最高でした」と答える。モニターごしに行われるコール・アンド・レスポンスだ。楽しい。

若い女子たちであるJuice=Juiceに、この深い味わいは出せない。当たり前である。でも、おそらく楽曲はJuice=Juiceの方が売れる。こんなことを書いている私だって「Juice=Juiceがカバーするらしいから、先に聴いておこう!」と思ってこのMVを再生したのだ。カバーしていなかったら原曲の視聴には至っていなかっただろう。アンテナが低くてすみません。いやぁ、商売ってむずかしいね。


Juice=Juiceバージョン

ここまで厳密に言えばハロプロの曲ではない。どちらも壮年男性の熟練の妙技が光る楽曲ばかりだ。ここからが純粋なハロプロ楽曲の順位になります。

3位 好きって言ってよ / Juice=Juice


この曲は歌詞だ。まじで歌詞がいい。私が一番好きなパートは落ちサビで一人一人がワンフレーズずつ順番に歌唱をつなぎ、朋子のファルセットの効いた「駆け引きなしで」のあと、最後にちぎれるような口調で歌われる紗友希の「無償の愛はとうに品切れ」である。

Juiceにおいて「無償の愛」といえば、デビュー二曲目『イジワルしないで 抱きしめてよ』のサビである。6年前に「無償の愛なの抱きしめるわ」と歌っていた彼女たちの「無償の愛」は、ついにここで品切れした。佳林の無償の愛は6年かけて。そして紗友希の無償の愛も(私たちファンから見ると突然切れたように見えるけれど)おそらく実際は時間をかけてゆっくりと、すり減っていたのだろう。どちらにしろ、二人とも本当に長い間よく頑張ってくれたと思う。ありがとう。朋子だけはファンに対する無償の愛がほんの少し残っていたようで、しばらくグループに残ってくれている。

おたくたちへの「無償の愛はとうに品切れ」になった佳林(と紗友希)は、この楽曲を最後にJuice=Juiceを出て行く。グループの大きなうねりにそった歌詞でたいへんいい。百点。

先ほども書いたソロパートが繋がっていく落ちサビは、高い歌唱力による畳みかけで聴くものを圧巻する。歌唱力の暴力だ。頬にビンタを左右からくらい続けてるような、強い陶酔を感じる。すごい。千点。しかもみんな顔が抜群に可愛い。はい一万点。しかもみんなスタイルまでいいんだよ。いったいどういうことだ?ちょっとおかしいでしょ。はい十万点。しかもみんな性格もいいうえに努力家なんだよ。奇跡だね。はい百万点。

この曲は聴いているうちにどんどんポイントが加点されていき最後には天まで届くほどの高得点をたたき出す、右肩上がりの楽曲なのである。クラシックで言えばボレロ。絶頂期のフィギュアスケーターのフリー演技のように、飛ぶたびに、回るたびに、演者が何か動作をするたびにポイントがどんどん加算されていく。そんな曲はなかなかない。

4位 Va-Va-Voom / Juice=Juice

歌詞は児玉雨子さん、作曲はジャニーズの楽曲が多いShusui/JosefMelinさん。いつものハロプロ楽曲とはひと味違うメロディと編曲。大人になることも、変わっていくことも、美しくなることも、すべてを肯定し楽しんだうえで日常という名の戦いに向かっていく歌詞が好きだ。メイクして、両手首とうなじに香水をつけて、戦闘力を徐々に上げていくかのようなイントロの振付がいい。この曲の世界観を体現している。初披露の代々木体育館で落ちサビを歌いきったあとの得意げな佳林の顔がいい。朋子が苦手なフェイクを頑張っているところもいい。

ステイホーム中にアップされた瑠々ちゃんによるソロダンス。踊りきったあとの一人語りがちょっと可愛いすぎる……やばいよ……。

この曲は「ほら かかってきなさいよ」のにらみつけるような野性的な視線と挑発的な指の振付が最大の見所である。「ほらかかってきなさいよ」のために私はいつもこの曲を聴いている。挑発に乗って実際にかかっていったら、たぶんあっさりこちらが負ける。

5位 イマナンジ? / つばきファクトリー

まさに小片さんの歌。この曲の小片さんの落ちサビ最後のパート「私を見て」は2020年もっとも私の心を打ったフレーズであった。

『イマナンジ?』の落ちサビは3位で紹介した『好きって言ってよ』と同様、メンバー1人ずつが順番にフレーズをつないでいくメドレー形式である。両者を聞き比べるとグループの歌唱力の差が如実に表れてしまっている。そんな中でも小片さんの最後のパート「私を見て」の表現力は素晴らしく、落ちサビを引き締め、この楽曲の魅力を一段上に引き上げている。ちっぽけな勇気を振り絞って小さい声で必死に何かをこちらに伝えてくるような、切迫した歌い方なんだよ。これは小片さんにしかできない。儚く切ない雰囲気を出すのが抜群にうまい。

2020年私が最も萌えたのは『イマナンジ』リリースイベントのニコニコ生中継において、小片さんが目に涙を抱えながらも正面からカメラを見て少しの音程も外さずに「私を見て」と歌った瞬間であった。私は胸が締め付けられた。「あなたを見ているよ。みんなずっとあなたを見ていたよ。あなたの苦労にずっと気がつかなくてごめんね。りさまるは最高の頼れるサブリーダーだって、私たち勝手に思い込んでいた。あなたに負担をかけ過ぎていた。本当にごめんね。でも、何がたりなかったの、何がたりなかったのよ、りさまる……」と思わずにはいられなかった。


この動画の3:10から。

なぜこの曲の良さが肝心の小片さん本人には伝わらなかったのだろう。この曲は小片さんのための曲だと思う。歌詞は朝加圭一郎の名曲『Keepin’Faith』のSoflan Daichiさんである。初めてハロプロに書いた歌詞として十分な及第点であり、とてもいい仕事をしてくださっていると思う。なにより、つばきに合っている。「イマナンジ 大惨事」の駄洒落が苦手だったのかな?間奏の時計を模した振付も、この曲でしかできないアイディアだからいいと思う。

※ここから先は2020年10月当時に書いていた文章をそのまま載せます。まだ小片さんが活動停止中に書いたものです。つばきファクトリーのその後の選択を踏まえていない文章ですが、当時の感覚を残すためにあえてそのまま載せました。※

私は小片さんこそがつばきファクトリーの核だと思っていた。彼女のことが今でも大好きだ。彼女の吐露していた「愚痴」における卓越した言語能力には驚いた。もちろん、他のつばきファクトリーメンバーのことも全員好きだ。

小片さんのことはきちんとケアしてあげて欲しい。愚痴を吐くことは生きていく上で絶対に必要なことである。「内面の自由」を犯すことは誰にもできない。愚痴を取りあげられてしまった労働者は、精神を病むしか道がなくなってしまう。最悪の場合、自死を選んでしまうことだってありうる。

小片さんこそがつばきファクトリーの核であり、柱であり、御本尊であった。さらに言えば、小片さんが愚痴っていた内的独白こそが、ハロー!プロジェクトの歌詞に出てくる女子の本懐であるとさえ、私は思う。自分よりもいい待遇を受けている(ように見える)女子へのねたみ、そねみ、やっかみ、不満。でもそれを口には出せない。その鬱屈した感情が、毎日の努力の原動力になる。もっといい歌割りが欲しいから、もっといい立ち位置が欲しいから、毎日必死で努力する。外見も磨く。歌もダンスも向上を目指し、歌詞の意味や歴史も勉強する。自分一人でコツコツと表現力を高め、いつか隣の女子を追い越す。恋は止められているけれど、ほのかな憧れはじっと心の奥底に存在していて、ときにそれが奇妙な形でこっそりと吹き出す。もちろんそれは世間に隠し続ける。その姿はまさにハロー!プロジェクトの女子そのものである。これぞハロプロ、まさにハロプロ。「そのまま歌詞にしてくれ!すごいよ!すげぇいい!!」というのが、あの一連の「愚痴」を読んだ私が率直に、まっさきに抱いてしまった感情なんだよ……。本当に申し訳ない。私はダメなおたくです。

私の奇妙な高揚はさておき、小片さんのようなタイプの職人にとって「2020年秋のバラードソロで武道館に立てなかった」というたった一点だけでも、十分すぎるほどの威力を持つ懲罰になっているはずだと思う。すでに十分な懲罰が与えられていると思う。私は彼女が心配だ。

そしてもちろん、他のメンバーの心労もいかばかりかと推察する。裏で自分の悪口を言っている人間と一緒にはいられない、という感覚も非常によくわかる。私の身にこの事態が降りかかったら、「その人と物理的・心理的に十分な距離を取ること」を結論とするだろう。それもよくわかる。しかしそれは現状のつばきファクトリーという箱の死を意味する。先ほども言ったように、小片さんこそがつばきファクトリーの儚く切ない作風、あえて言葉で表現すると「クラスで一番目立つ女子の隣にいる清楚な服装の、ぱっと見は地味だけれど意識が高くて芯のある女子大生が声に出さず心に抱えている悶々とした感情」という唯一無二の作風を支えているからだ。

スタッフはさぞかし頭を抱えていることだろう。今後のつばきファクトリーがどんな選択をしても私はそれを「しかたのないこと」として受け入れる。私にはその用意がある。一番悪いのは鍵アカウントをさらした人間であることを忘れてはいけない。「鍵アカウントをさらした人間」が持っている強烈な悪意を、これ以上周囲に伝播してはいけない。いまのハロプロの現状は、不幸をこれ以上連鎖させてもいいような余裕はまったくないと私は思う。

ちなみに私は今回の一件で初めてつばきファクトリーのメンバーの人間性が見え、関係性に興味がわいた。りさまるの愚痴は『少女革命ウテナ』の高槻枝織や篠原若菜みたいで最高だし、りさまるときしもんの関係は枝織と天上ウテナみたいだし、キキちゃんが特に明確な説明もなくセンターにずーっといる感じは薔薇の花嫁っぽいし、何を奪い合っているのかよくわからないけど何かを競い合っているし、なんだかつばきファクトリーそのものが『少女革命ウテナ』の鳳学園みたいに思えてきた。ここから上手くキャラを立てて魅力的に見せることだってできるはずだ。できるはずだよ。できるはずなんだが。ほんとにできるかな。

※ここまで。いま読むとやはり抱えている感情が古いです。でも、当時の混乱を残す意味であえてそのまま載せました。その後、小片さんはグループを脱退してソロになりのびのびと活動しています。つばきファクトリーには一気に4人が増員されて立派に再生しました。

6位 アップフロントグループ テレワーク合唱「愛は勝つ」「泣いていいよ」「負けないで」 (2020/05/04) / 全グループ

この記事に書きました。アップフロントグループの皆さん、どうもありがとうございます。

 

番外 逆襲のYEAH!/ つぼみ大革命

つぼみ大革命さんたちのことを私は何も知らない。いまWikipedia読んできたけれど、本当に何も知らなかった。ハロープロジェクト所属アイドルではなく、よしもと所属の女性アイドルグループである。どうしてつんく♂さんがこの曲を彼女たちに提供して、どういう経緯でプロデュースすることになったのかさえ、私は知らなかった。

でも、この曲はあふれんばかりに「ハロプロ」である。ハロプロっぽい曲を考えてください、と言ってイメージする曲と言えばまさにこういう曲なのである。全盛期Berryz工房が一番イメージに近いのかな。当時『LOVEマシーン』の歌詞で没になったという「魚魚魚 家家家」という歌詞も、そのまま入っている。つんく♂さんはどうしてこういう陽気でハッピーでアッパーなアイドル楽曲をハロプロに提供してくれなくなってしまったのか、いや違うな、どうしてハロプロはつんくさんにこういう曲をオーダーしなくなったんだろう。私にはわからない。くれ。もう包み隠さず素直に書こう。この曲ハロプロにくれ。いやまじで欲しいです、ください、お願いします。

以上です。2021年は『愛して何が悪い』が確実に一位です。ごきげんよう。(文筆は2021/11/30、アップロードは2022/6/30)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(後編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

6位 ご唱和ください 我の名を! / 遠藤正明

特撮番組『ウルトラマンZ』オープニング主題歌。テンションが上がる最高の曲。
『ウルトラマンZ』は最高の特撮ドラマだった。ウルトラマンは『Z』以降、大躍進している。私が思うその理由は以下である。

・Zのシナリオが完璧、完璧、完璧。
・ZのSF考証もバトルも映像も巨大特撮も最高。
・坂本監督は最高です!
杉原監督がルパパトで見せたあのグルグルまわるカメラワークを、坂本監督がリュウソウジャーで学び、ウルトラマンZに持っていったことがよくわかる映像美だった。あのカメラワーク、本家の戦隊では最近ぜんぜんやってくれないんだよね……。どうして……。
そして坂本監督の過去作リブートの巧みさは、あいかわらず卓越している。『MOVIE大戦アルティメイタム』のときに坂本監督は「石ノ森アベンチャーズやりたい」って言っていた(できていない)。それを実際に実現しているのが『ウルトラギャラクシーファイト』である。太っ腹にもYouTubeで無料配信である。世界中のファンが同時に盛り上がっている。ウルトラマンは古くなっておらず、10年前に買った指人形すらも現役のおもちゃとして使える。
・人物描写が最高だった、とくにヨウコ先輩とマッド・サイエンティスト・ユカ。キラメイジャーの女性描写の前時代ぶりと女子陸上選手をお尻のアップから撮るカメラワークとは雲泥の差であったと言わざるをえない。
・思わせぶりで、たっぷりと過去作を持つヘビクラ隊長の怪演。「ヘビクラの過去を知りたい!」というZ新規視聴者の欲求と、過去作がネットで見やすくなっているウルトラのネット環境の良さが、ぴったりとはまった。2021年12月現在ではついに、ニュージェネレーションのすべてがAmazonPrimeで見られるようになっている。これらは今のウルトラの強さの源だと私は思っている。
・ネット配信の充実ぶり
最も重要。『ウルトラマンZ』は、TV放送からすぐにYoutubeやAmazonPrimeで見ることができたため、簡単に本放送に追いつくことができた(緊急事態宣言のステイホーム中に見始めた)。ネット上での特別番組や見逃し配信も多く、子どもも親も非常にアクセスしやすい。コロナの自宅待機時期に放送されていて、一話も飛ばさずに全話放送できたことも(偶然のタイミングであったのだろうが)よかった。どこにも出かけられない子どもと親の憂鬱を、『Z』は大いに晴らしてくれた。

・ソフビの出来がよく、値段も手頃で、怪獣も含めたコレクタブルな玩具として充実している。ライダーの小物商法よりも廉価だし、一年で使い捨てにされない。出番も活躍もある。
ウルトラマンのソフビは『ウルトラマンギンガ』当時に一新され、サイズがぐんと小さくなった。私は同時とてもがっかりしたし、ぶーぶー文句も言った。言ったけど、いやぁ、私が完全に間違っていました。すみませんでした。
(現状の「仮面ライダー」ソフビは値段の高さと無駄な大きさと塗装の少なさが目立ちすぎるし、現状の「戦隊」のソフビはついにレッドと追加戦士以外はろくに販売されなくなってしまった。ギンガ当時のウルトラソフビの展開は、きちんと時代に沿った戦略だったんですね……。)
・怪獣の人気が根強い。過去怪獣を最新の番組に出せるシステムを、十年掛けて作り上げた。ヒーローと戦わせるブンドドの相手役として最適である。(仮面ライダーの怪人はおもちゃとしてなかなか根付かないのか、敵もライダーばかりになってしまった。)

・DX玩具の出来のよさ
ウルトラマンZの変身玩具『DXウルトラゼットライザー』は、10年に一度の傑作玩具『仮面ライダーオーズドライバー』と同じシステムであった。(そして偶然なのか何なのか『仮面ライダーセイバー』の三冊変身システムもオーズドライバーによく似ていた。)
私はDXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくて、いてもたってもいられなかった。しかし時は緊急事態宣言下である。おもちゃ屋さんも営業していない。仮面ライダーオーズのDX玩具を持っている子どもたちは、『ウルトラマンZ』をめちゃくちゃ楽しく見ているものの、DXウルトラゼットライザーとウルトラメダルにあまり興味を示してはくれなかった。長男には、はっきりと「うちにはオーズのベルトとメダルがあるから、Zライザーは別にいいかな」と言われてしまった。彼らの年齢的にも「なりきり」の欲求がすでに希薄になりつつあり、玩具の可動システム自体に興味が移行している時期ゆえの当然の反応なのだと思う。でも私は、DXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくてしかたがなかった。

コロナが落ち着いた7月頃に、私はようやくおもちゃ屋さんへ行くことができた。久しぶりに行ったおもちゃ屋からは、玩具を直接さわれる「試遊コーナー」が撤去されていた。そりゃそうだ。セブンガーはどこへ行っても見る影もなく、ウルトラメダルセットも売り切れの店が多かった。

たまたま仕事で東京駅を通ったとき、専門店・ウルトラマンワールドM78 東京駅店にて私は初めてDXウルトラゼットライザーをさわることができた。店員のお兄さんが飛んできて、本当に丁寧に、うれしそうに使い方を教えてくれた。東京駅のウルトラショップの店員さんはウルトラマンが大好きな人たちばかりで、いつも本当に親切にウルトラマンを教えてくれる。私は何年たってもウルトラマンと怪獣の解像度に自信がないので(頼まれたものと違うものを買ってしまいそうになる)いつも店員さんに助けてもらっている。コロナで会話がマスク越しになっても、以前と変わらず親切な店員さんが饒舌に商品を教えてくれることが嬉しかった。知らない人と好きな作品について長い時間話す、という体験自体も本当に久しぶりだった。
店員さんもきっと嬉しかったのだろう、私もいろいろと質問された。Zからウルトラマンを好きな子どもが保育園にどんどん増えていること、ほかに流行っているヒーローのこと(鬼滅と答えた)、どの媒体でZを見ているか(店員さんはYouTubeだと思っていたようだが私はAmazonPrimeと答えた)、ヘビクラの過去を知りたければ何を見ればいいのか、これからYoutubeで新作の配信が始まるからぜひ見て欲しい!おすすめです!ということ……いろいろ教えてくれた。
おそらく私よりも一回り以上若い店員さんから、ウルトラマンが大好きで大好きでしかたがないという激情があふれ出ていた。それはコロナ禍で人と人が分断されている中、私が久しぶりに感じる生命の息吹であった。10年ほど辛酸をなめながら地道に蒔きつづけていたウルトラマンというコンテンツの種が、ついに芽吹き美しいつぼみをつけ始めている。彼は再生の瞬間に立ち会っているのだ。その高揚感がこちらにも痛いほど伝わってきた。コロナによる圧倒的閉塞感と不景気の中で感じる、数少ない沸き上がる情熱に私も嬉しくなった。

7位 ポケモンしりとり / ポケモン音楽クラブ(増田順一/パソコン音楽クラブ/ポケモンキッズ2019)


アニメ「ポケットモンスター」エンディングテーマ。

2020年から始まった新しいアニメシリーズ、無印の「ポケットモンスター」。そのEDが『ポケモンしりとり』である。子どもたちと一緒に歌える、遊び歌だ。ポケモンセンター内の回復音のSEがジングルとして入るところがよい。「しりとりで一回『ん』になって瀕死になったけど、また生き返った」ということがよくわかる。子どもたちの歌声もいい。

この曲は今後、長く使える。これは私事であるが、たくさんの子ども達と、ある程度の時間を一緒に潰さなければいけないとき(電車を待っている、渋滞中のバスの中、遠足の合間の待ち時間など)私ができる最も効果的な遊びが「ポケモンしりとり」である。ポケモンの名前だけで、ひたすらしりとりをする。たとえ初めて出会った子どもばかりであっても、子どもがポケモンを知っていたら、これで30分は潰せるのだ。大変ありがたい。私はこれまでの人生でこの手段をすでに8回ほど使って、日常における危機的状況を乗り切っている。

ちなみに、子ども達がしりとりに飽きたら次は「ポケモンものまね」をする。LoVendoЯの宮澤茉凜ちゃんが当時ブログでやっていた「スボミーのものまね」からアイディアを得たジェスチャーゲームだ。ポケモンのポーズのマネをして、何のポケモンか当てる。

例:
・首を少し震わせた後に大きく左に傾ける → 「ミミッキュだ!」
・後ろから棒を抜いて振り回し、後ろに戻す → 「テールナー!」
・パントマイムの壁→「バリヤード!」
・タップダンスして両手を広げる→「バリコオル!」
・リフティングの後シュートの仕草→「エースバーン!」
・口を丸く開けて両手のひらを前に向けてゆらゆら左右に揺れる→「ルージュラ!」
など。これで15分は潰せる。

ポケモンしりとりもポケモンものまねも、子どもたちと一緒に長い時間を楽しく安全にすごせる遊びである。暇つぶしの道具を持ってきていないときにおすすめします。

前アニメシリーズであった『ポケットモンスター サン&ムーン』は、かなり思い切って低年齢向けに振り切った内容だった。永遠の10歳であるサトシが――ポケモン以外は頭の中に存在しないサトシが――初めて学校に通う描写がされた。学校生活の中で、ポケモンとのふれあいを全面に押し出す内容であった。

その反面、バトルは非常に少なく、タイプ相性などのポケモンバトルシステムの説明もほとんどなかった。ポケモンバトルが大好きな私や、高学年の長男にはバトル描写のない『サン&ムーン』は極めて不評であったが、保育園児である次男やその周囲の子どもたちには大人気であった。『サン&ムーン』は一話ごとにわかりやすく、入りやすく、親しみやすい。そのように作られていた。つまり対象年齢を下げたのだ。そしてそれは成功した。園児や小学校低学年児に『サンムーン』は大受けであった。YoutubeやAmazonPrimeにすぐにアニメが上がって世界中ですぐに見られるようになったのもよかった。同時期に『ポケモンGO』の大ブームも起こり、ポケモンはその対象を幼児から高齢者まで広げた。

その後、満を持して新作ゲーム『ソード・シールド』が登場。アニメは何も冠しない『ポケットモンスター』となった。ポケモンはいまや、3歳くらいの児童から社会人までの男女ともに大人気である。デジタル機器の普及によってゲーム開始年齢が低年齢化した影響もあるだろう。10年前は「ゲームは早くても小学校入学から」だったように思うが、いまや3~4歳からゲームを始めている子どもが多い。「お気に入りYoutuberのゲームプレイ動画を勝手に何時間も見続けている現状よりは、自分でプレイさせた方がマシだ」という親の(あきらめに近い)判断もある。

ポケモンが未就学児にも大人気になって私は素直に嬉しい。『XY』のころ、ポケモンをやっている未就学児は私の息子しかいなかった。園や学童の先生たち(20代が多い)には「彼とだけはポケモンの話題ができて嬉しい」と言われていた。あの頃、ポケモンバトルの解説動画をコンスタントに上げてくれていたのはニコニコ動画におけるもこう先生しかいなかった。私はポケモンバトルのすべてを「ポケモンXY 新・厨ポケ狩り講座!」で学んだ。時代が変わり、もこう先生がYoutube動画配信で大金を稼いでいるっぽいこともこっそり嬉しい。

8位 私がモテてどうすんだ / Girls²


映画「私がモテてどうすんだ」主題歌。

2020年はねじ子史上、最も「映画館で」映画を見た年でもあった。このご時世ならではである。
①休日が不定期な上に、友人と遊べない
②一人で時間を潰すしかない
③(感染対策)人混みはいやだ。すいているところがいい
④(感染対策)外食はまったく落ち着けない

この4つのコロナ対策を解決してくれる娯楽が、郊外の映画館いわゆるシネマ・コンプレックスであった。なんといっても客席はガラガラである。それでも毎日、朝から晩まで営業してくれている。一席とばしで席を販売しているので、ソーシャルディスタンスが「完全に」保証されている。これは本当に快適かつ安心であり、孤独な私に合っていた。コロナが終わっても市松模様で売りつづけて欲しいくらいだった。

映画館独自で様々なキャンペーンを行っていて、サービスもよかった。ドリンクが飲み放題だったり、ポップコーンも食べ放題だったり、どちらも半額だったりした。映画館内は周りに人がいないうえに、正面を見て食べればいいのだから「外食の感染リスク」はほぼゼロである。

映画自体のチケットも安かった。一日見放題・半額キャンペーン・ポイントバックなどなど、人寄せのため様々なキャンペーンを行ってくれていた。そしてそれでも、客席は空いていた。たった一人の観客で貸切状態で映画を見たのも人生で初めてであったし、2本続けて見る体験も初めてであった。そんなこんなで私は2020年、人生で一番多く、映画館で映画を見た。「こんな中でも私は文化を支えているんだ!」という優越じみた使命感と、「私は困っている人につけ込む詐欺師のような客だな」という申し訳ない感情の両方が沸いた。

名作も迷作も洋画も邦画もアニメも実写も、とりあえず広告で何かがひっかかれば見た。ちなみに2020年個人的ベスト映画は『劇場版騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』と『アナと雪の女王2』、ワーストは『がんばれいわ!!ロボコン』だったような気がするのだが、『ロボコン』の後の『スプリンパン まえへすすもう!』があまりに、あまりに衝撃が大きかったため正直『ロボコン』の内容をあまりよく覚えていない。私の心もスプリンパンのお母さんと一緒に遠い夜空に飛ばされてしまったようだ。『スプリンパン』はAmazonPrimeに入っているので皆さんもぜひ見てほしい。「5分でいいから見て」というコメントであふれているが、まったくもってその通り。5分でいいから見て欲しい。サブ・スクリプションで見るぶんには最高の映画だ。映画館で見ていると、このドラッグ映像がどこまで続くのか本当にわからないから(『スプリンパン』は3本同時上演の中の真ん中だった、しかも多くの観客の子どもの本命は最後に上映される『人体のサバイバル!』であった)血の気が引くほどの恐怖を味わうことになる。鑑賞中に「もうどうしたらいいかわからないよ」と思った映画は初めてであった。横で見てる子どもにも、なんて声をかけたらいいかわからなかった。困惑で唇が震えた。終了時には3時間ロードショーを乗り切ったほどの疲労感を味わうことができた。あ、『人体のサバイバル!』は本当よくできたいいアニメでした、原作も大好きです。

スプリンパンはさておき。映画『私がモテてどうすんだ』を私は一人で見た。客席には私一人しかいなかった。どこの席に座ってもよかった。でも私はいつもと同じように、廊下に出やすくトイレに行きやすい後方の通路脇の席で映画を見た。(ちなみに続けて映画『ソニック・ザ・ムービー』も見た。『ソニック』はアメリカで受けるに決まっているヒーローものとして非常によくできており、ハリウッドのマニュアル通りの完璧な筋書きで、だからこそ、私があえて書かなくてはいけないこともなかった。)

『私がモテてどうすんだ』は、思春期女子が「恋愛すること」ではなく、「いま誰とも恋愛をしていないこと」を肯定する珍しい映画であった。思春期女子にまとわりつくルッキズムと、外見が変わることによって(中身は一つも変わってないのに)周囲(特に異性)のからみつくような視線の質が変化することへの嫌疑感と、努力する自己への肯定感を、時代に合わせて上手く表現していた。

女子高生の頃の自分であったら、映画の中に入りこみ、主人公または主人公の親友あまねちゃんにアイデンティファイして一喜一憂していたに違いない。「私のことを描いた映画だ」と思っただろう。そしてそれは「私を肯定してくれている映画だ」という自己肯定につながったであろう。主題歌の「行くぜ ベイベベイベ FU FU GiRL 恋も愛もくだらないわ!」と宣言するサビの歌詞は「腐女子」とダブルミーニングであり、その陳腐さにとまどい笑いながらも、歌詞に大いに共感し、励まされ、脳内に繰り返し鳴り響くアンセムになっていたに違いない。

しかし私はすでに女子高生ではない。

この映画の正しい見方。それはイケメン俳優目当てでシネコンに来た女子高生二人組が映画を見た後に、階下のフードコートでたこ焼きとフライドポテトを食べながら、「映画の中のどの男子が好みか」をきゃあきゃあと笑いながら伝えあうことなのである。親友といえる女子と映画を見た後に、映画館で飲みきれなかったメロンソーダとコカコーラをストローですすりながら「自分は五七派か、七五派か」を真剣に話しあうこと。かけがえのない、その年代でしか持てない貴重な時間を同性の友人と共有すること。それこそがこの映画の正しい鑑賞方法である。

しかし私は女子高生ではない。子持ちの中年女性だ。年齢は彼女らの親に近い。すっぴんでボロボロの仕事帰りだ。鞄の中には、100円均一で買ったレインコートがぐしゃぐしゃに丸まって入っている。なーんも防護具がない環境を体験した2020年4月以来、医者の仕事に行くときは必ず持ち歩いている防護服代わりのレインコートだ。映画館階下のフードコートはガラガラで、映画を見た後に語り合っている女子高生など一人も見当たらない。そんな世情であることも悲しい。

ちなみに私は七五派だ。誰も聞いてない。そう、誰も聞いていない。そんなことを聞いてくれる友達は、この世にはいるけど、いま私の隣にはいない。

私にだって級友もママ友もパパ友も存在する。でもみんなそれぞれ忙しい。しかもコロナである。育児に仕事にいっぱいいっぱい、追い詰められて目が回るほどであるだろう。さらにコロナである。こんな状況で医療従事者に会うなんて、恐ろしいに違いない。子どものお迎えに行って、保育園の前ですれ違うときだって、お互い会話もせずにおじぎ程度ですませているというのに。このご時世で誰が医者なんかと会って話したいものか。今日の空き時間だって、たまたま予期せずできたものだ。仕事終わりの奇跡的にできた空白の時間に、私は一人でふらっと映画館に寄ったのだ。感染症流行中のこんな中でも、なんとか楽しめる余暇を見つけ出したのだ、たった一人で。そんな突然の気まぐれに、誰が付きあえるものか。

映画館から出たら外は霧雨であった。私はここまで自転車で来た。くしゃくしゃのレインコートを無言で広げた私は、びしょ濡れになりながら自転車をこいで家へ帰った。

※本家MV。ここまで歌詞と映像に関連性がないと、見ていて何かを語ることができない。Girls²には『ガールズ×戦士』シリーズで毎週見ていた女の子たちが所属しているはずなのだが、モノクロ眼鏡で同じような衣装のためそれさえも区別がつかない。名曲なのに、もったいないと思う。

9位 紅蓮花 / Lisa

アニメ『鬼滅の刃』の主題歌。曲自体は2019年の曲である。

2019年末にはすでに、音楽会で保育園の子ども達が(客席の小さい子ども含めて)自然発生的に『紅蓮花』を大合唱していた。「鬼滅はこんなに小さい子どもたちにも人気なのか!」と驚いた。「人があんなに簡単に死ぬのに!サイコロステーキになるのに!まじで!」という衝撃である。もちろん私の子どもたちも大声で一緒に歌っていた。彼らは勝手に『鬼滅』のアニメをAmazonPrimeで見ていたのだ。いつのまに。小学生の間ではアニメ化の前から『鬼滅の刃』の単行本が人気だったのは知っていたが、まさかここまで低年齢に浸透していたとは思わなかった。

さきほど「パウ・パトロールは戦隊ものである」と書いたが、『鬼滅』もまた「戦隊もの」なのである。「パウ・パトロール」と違って『鬼滅』は戦隊ものと直接かぶってはいないし、かぶせてきてもいない。ただ、消費者として子ども達が味わっている「要素」が、鬼滅と戦隊もので非常によく似ている。わかりやすく色分けされた個性の強いキャラ、一人では弱い主人公たちがチームとなって鬼に勝つ、頼れる複数の年長者の存在、滅私の象徴であるリーダー、これら全員が一丸となってより強い敵を少しずつ倒していきながら成長する……という物語構成が、たまたま戦隊とかぶっているのだ。例えばオタトークをするときに「チームの中で少し引いているようなクールで強いキャラが好き」という場合、昔ならば「戦隊ものでいうブルーのような」と言えば通じたのだが、今だとこれでは通じにくい。「鬼滅の冨岡義勇のような」と言うと通じてしまう。

非常事態宣言が終わった後にひさびさに近所の大型玩具店へ行ったら、『鬼滅』が一列を占めるようになっていた。戦隊の列はなくなり、仮面ライダーの列もなくなり、そのふたつはまとめて1/2列の棚に押し込められた。かわりに鬼滅と呪術とウルトラマンソフビとすみっこぐらしとアニアとポケモンと任天堂関連商品が、その場所を少しずつ埋めている。悲しい、と同時に「そりゃそうだろうな」とも思う。だって鬼滅の登場人物は男女ともに強く優しく、弱者を搾取する独裁者への誘いに決してなびくことがなく、滅私で弱者を救い続ける正しいヒーローばかりだから。

もちろん煉獄さんの鎮魂歌『炎』も好きだ。『炎』を聴くと私の目は勝手に涙を出す。条件反射のようにこの曲を聴くと涙が出てしまう。困る。だから『炎』は「泣きたい」という気分のときにしか再生できない。

10位 ドンじゅらりん / 「みいつけた!」より

(カバー)

NHK Eテレ、3~5歳児向けの15分番組『みいつけた!』内の一曲。番組の主人公であるスイちゃん(6歳・四代目)が歌っている。作詞作曲はくるりの岸田繁。岸田バージョン配信希望。

くるりは今、私の中で第三次黄金期を迎えている。

第一次:アルバム『図鑑』のころの初期衝動ロック。
第二次:『ワールドエンドスーパーノヴァ』の電子打ち込み。
第三次:今。
教育テレビの5分間番組っぽいコンセプトに基づいた作り込みが随所に見られて楽しい。この「おふざけ感」はつんく♂っぽい、ハロプロっぽいとも言える。もちろん、くるりのほうがずっとずっと洗練されていますが。というわけでハロプロの事務所さん、いまこそ岸田氏に作詞作曲をオファーしませんか!?確実に断られる気もしますが!

アルバム『天才の愛』も最高でした。とんでもないタイトルですが最高です。2021年ねじ子の楽曲大賞最有力候補はくるりの『野球』か『コトコトことでん』です。

ここからは2020年ハロプロ楽曲大賞に続きます。続きますが、高木紗友希ちゃんの突然の消失をまだ現実と受け止めきれていない私に、果たして長文が書けるのでしょうか……。(2021/11/20)

会場推しとハロプロ新春おみくじ

ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザ新春恒例のハロープロジェクトコンサート、略称「冬のハロコン」です。毎年1月2日の中野サンプラザから始まり、全国を巡業してまた2月に中野へ帰ってきます。ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザなのです。

私はハロコンのチケットを取っていませんでした。COVID-19の流行がどうなるかさっぱりわからない情況の中、チケットを予約することができなかったのです。

三賀日のたまたま空いた日に、私はひとり中野サンプラザへ向かいました。チケットもないのに。いわゆる「会場推し」です。チケットを持っていないからコンサートに入れないのに、会場前に行くことをハロヲタは「会場推し」と呼びます。雰囲気を味わうため、オタクに会うためだけに行くのです。COVID-19流行によって世界中の医療従事者が抱える孤独と分断を癒やすために、私はかつての仲間であるハロヲタの姿をひとめ見たかったのです。知り合いもおらず誰の名前も知らないのに(私は孤独なおたくです)みんなに会いたかった。ハロヲタの熱気と会場の雰囲気を久しぶりにこの身に浴びたかった。「私の帰る場所はなくなってなどいない」「私には帰れる場所があるんだ」と、ただ思いたかったのかもしれません。それは「新春ハロプロ詣」というよりも、「ハロヲタ詣」とよぶべき衝動でした。

オミクロン株の感染力の高さにあわせて、2022年1月に入ってから東京都の新型コロナウィルス感染者数はぐんぐんと伸び始めていました。「ハロコンは2月の中野サンプラザ凱旋に行けばいっか」と思っていましたが、それでは遅そうです。このままではもう2月までもたなそうだ。2月にはもう感染が拡大してコンサートが開催できない、または開催されたとしても私が参加することはできないだろう。そう判断した私は、1月某日、ハロコンの当日券販売に並ぶことに決めました。

当日券は抽選販売です。「ハロプロ新春おみくじ」ともよばれます。今年の冬のハロコンの倍率は「毎回150人程度並んで、10人程度が当たる」くらいでした。当選確率は1/10~1/20といったところでしょうか。

「ハロプロ新春おみくじ」はこういった仕組みになっています。
・定時に並んだ人数分の竹串が用意されて、小さい筒に入れられます。
・並んだ順番に前の人から、その竹串を引いていきます。
・当たりくじの先には赤い印がついています(これは毎回変わり、当たりが青だったり、当たりが無色で外れくじに赤や青が着色されていることもあります)。

当選確率1/10~1/20ですから、これは「外れて当たり前」です。寒空の中ひとりで中野サンプラザまで行くこと、じっと当日券販売開始の掛け声を待つこと、そのために家でしっかり防寒対策をとってくること、ソーシャル・ディスタンスを取って並びつづけること、前公演が終わって会場から出てくるオタクたちの満足そうな笑顔をながめること、彼らの高揚を感じること。これらすべてがいわゆる「前戯」であり、ハロコンという「お祭り」の一部です。ディズニーランドのアトラクションの行列に並びながらポップコーンを食べている時間や、サッカースタジアムへ続くさわがしい徒歩の道のり、競馬場でテイクアウト・フードを片手にパドックをまわる馬をながめている時間と同じです。それらの過程をふくめてイベントであり「お祭り」なのです。私の正月ハロコンはすでに始まっています。たとえチケットが当たらず、このまま中野ブロードウェイに寄ってフィギュアを一通りながめたあと、家へ帰ることになっても。

私のくじの順番が来ました。あまりの寒さにふるえる手で、私は竹串をいっぽん抜きました。竹串の先端には、赤い色が付いていました。その意味がわからずぽかんとしていた私に、係員さんが大きな声で「おめでとうございます!」と声をかけてくれます。私の後ろで行列していたオタクの皆さんの拍手の音を聞いて、私は初めて自分がチケットに当選したとわかりました。

ハロコンの当日券抽選に並んでいるオタクたちは、数少ないチケットを奪い合うライバルです。それなのに、彼らは自分より前で当たりが出ると、その当選を祝って拍手をするのです。当たりはどんどん減っていくのに、当選した見知らぬオタクへ「おめでとう」の拍手をするのです。古き良きハロヲタの素晴らしさがよくあらわれた光景だと思います。私の心は正月から喜びに満たされ、感動的な出来事となりました。ザッツオールライト。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,PEACE,PEACE。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,YeahYeahYeah !

嬉しさのあまりそこらへんの石のベンチで撮った記念写真↑

まさに公演名のとおり、LOVE&PEACEです。これから私が入るのはPEACE公演。公演のテーマ曲は『ザ・ピ~ス!』。まさにその通りです。ハロプロもハロヲタも素晴らしく、世界は平和で愛に満ちている。さっきまで私は、私を取り巻く世界がオミクロン株に侵食されはじめている現状にひたすら絶望していたのに。いまは世界が愛と平和に満ちている!そう思える瞬間でした。神様、仏様、わたしにハロコンを見せてくださってありがとうございます。

ハロプロの「現場」に入ることができたのは、Ballad武道館公演以来1年半ぶりでした。
かなとももさゆきもまーちゃんも卒業してしまったので、今の私はこの手でゆらすペンライトの色がありません。通俗的な言葉でいえば「推しメン」がいない状況です。ハロメン全員が出てくる場面において、ペンライトを何色にしたらいいのか、自分でもわからないのです。私のキングブレードはズッキがいる間は緑、桃子がいる間はピンク、そしてその後はずっと朋子のりんご色に輝いていました。その色を選ぶことに、なんの迷いもありませんでした。でも今はそうではない。こんなにフラットな気持ちでハロプロを見るのはひさしぶりのことです。

1月9日PEACE公演のベストアクトは『ジェラシージェラシー』の上國料萌衣ちゃんと『背伸び』の北原ももちゃんでした。かみこはただでさえ歌がうまかったのに、さらに歌唱力が上がってる!そしてなんといっても!表現力が!抜群に上がってるよ!『ジェラシージェラシー』がぴったり合っていて、本当にめっちゃジェラシー持ってそうな感じがした。かみこの歌からヒリつくような強い情念を感じたのは初めてだった。すごかった。かみこの圧倒的表現力に敬意を表して、その後はずっとペンライトをかみこのアクアブルーにしましたよ。楽しかった。2022年のハロプロは私にとって一推しを探す行程の旅になりそうです。(2022/01/15)

追記:結局オミクロン株の蔓延による第6波によって緊急事態宣言が発動し、2022年2月の中野サンプラザ凱旋公演は中止になった。予想通り。誰も悪くない、悪いのはウィルス。悪いのはウィルスだけ。

コミケありがとうございました。2022年もよろしくお願いします

2021年冬のコミックマーケットに来てくださった方々、寒い中ありがとうございました。

まずは無事にコミケが開催できてよかったです。ワクチンパスポート導入・検温・チケット制・厳重な本人確認と、どれをとっても考えうる限りで最善のコロナ感染対策を準備会は行っていたと思います。人の流れは従来の1/4程度でしたが、それでも、まずは開催できてよかったです。

次の参加は(間に合えば)5月のコミティアか、(開催されれば)夏のコミケになると思います。今回途中まで作った手技図譜をぜひ完成させたいですね。

新型コロナウィルス感染症は「個人用防護具とPCR検査の2020年」「ワクチンと自宅療養の2021年」と来て、2022年はどうなるのでしょうか。少しでも収束の兆しが見えてくるといいな、と思います。まずはオミクロン株と3回目ワクチンが話題の中心ですね。

さて、コミケの後は年末恒例ハロプロカウントダウンこと『Hello! Project Year-End Party 2021 ~GOOD BYE & HELLO ! ~』モーニング娘。プレミアムのライブビューイングを見に行きました。ベストアクトは『涙のヒロイン降板劇』におけるきしもん(ハロプロ現役最高の歌姫では?)とおのみず(急成長してる)、そして『元気+』の田中れーなちゃん(選曲理由とMCも最高)でした。私が一番最初に参加したハロプロ現場が「Sexy 8 Beat」のツアーだったので、私も『元気+』大好きです。

ライブ中、誰だかわからない子がアンジュルムに一人混じっていました。桃奈が歌っていたはずのパートを完璧にこなしており、まったく違和感を感じさせません。その違和感のなさは、逆に恐怖を感じるほどでした。登場人物が別人と入れ替わっているのに周囲はそれにまったく気付かずに話が進んでいく古典民話(「カチカチ山」「赤ずきんちゃん」「王子と乞食」など)を見ているような恐ろしさを感じたのです。

その女の子は昨日加入したばかりの平山遊季ちゃんであると、MCで紹介されました。すごい!そして、信じられない!「アンジュルムに誰かが加入する」とは聞いていたけど、すでに混じっているとは聞いてないよ!私がコピー誌の印刷と大量のA4用紙の二つ折りに忙殺されているたった一日のあいだに、こんなことになっていたとは。たった一日で浦島太郎状態の私。恐るべしアンジュルム、恐るべしハロプロ研修生。来年もよろしくお願いします。(2021/12/31)

 

2021年冬のコミケ お品書き

サークル「ねじ子アマ」
2021年12月31日金曜日 東地区“R”ブロック-15b

2021年冬コミ新刊は
「令和医療手技図譜 新型コロナウィルス編 自宅療養の巻」となります。


無料配布/A5/32p/コピー本 です。

今年の8月ごろに書いた「コロナ陽性で自宅療養せざるを得なくなった方とご家族への説明」をブラッシュアップしてまとめました。

「令和医療手技図譜 新型コロナウィルス編」は、分量的に無理でした……。
たぶん次のコミケかコミティアあたりが完成目標になります。

※既刊は以下のみになります。
・平成医療手技図譜 ICU編 A5/116p/1000円
・平成医療手技図譜 精神編 A5/116p/1000円
・『現着!QQQ 2 ―病院に着く前に―』A5/96p/1000円
・『現着!QQQ ー病院に着く前にー』A5/96p/1000円
・『救外戦隊ネラレンジャー』A5/80p/600円
いずれも少部数ずつ持ち込んでいます。

久しぶりの開催、事前チケット完全予約制、東西分裂、オミクロン株など「読めない」要素が多すぎて、どうなることやらさっぱりわからない今回のコミケですが、皆さん無理なく過ごしましょう。(2021/12/30)

 

 

2021年冬のコミケに出ます

おかえりコミケ、久しぶりだね。会いたかったよ。

サークル「ねじ子アマ」
2021年12月31日金曜日 東地区“R”ブロック-15b

に配置されました。

参加にはワクチン二回摂取証明書またはPCR陰性証明書、身分証明書が必要だそうです。
なにか作って、持っていけるといいな。

おたく活動備忘録 : 佐藤優樹卒業公演をライブビューイングで見た

佐藤優樹ちゃんの卒業公演へ行った。武道館はもとより、映画館のライブビューイングですらチケットがぜんぜん取れなかった。ようやく買えたのは、練馬区大泉の駅から遠く離れた映画館であった。わざわざ行った。遠かった。映画館で一番大きいスクリーンが使われていたが、それでも会場は満席だった。

まず、モーニング娘。の単独コンサート自体がとってもひさびさだ。2020年の新型コロナウィルス流行以来、ハロプロで定期的に開催される公演はハロコンだけになってしまった。正確に言うと、5つのグループをシャッフルして4つに分け、入れ替わりで公演するコンサート(花鳥風月)だけになった。グループごとの単独コンサートが行われるのは、誰かが卒業するときのみ。もちろんそれは大人気公演になり、チケットは争奪戦になる。ハロプロ一番人気のまーちゃんの卒業コンサートともなれば、チケットが取れるはずもない。武道館では狭すぎる。

モーニング娘。の単独コンサートはファンタスティックで魔法のような音楽体験を私にくれる。この高揚は他では得られない。ファンのコールなしでも、ぜんぜん退屈しなかった。

セットリストは新しいアルバム「16th~That’s J-POP~」中心でよかった。『愛してナンが悪い!?』と『このまま』が聴けてよかった。そもそも新アルバムが出てから、モーニング娘。が単独公演をするのもこれが初めてなのだ。ライブで聴くとどの曲も新鮮に生まれ変わる。生歌と表情とダンスがステージにはえて、別物になるのだ。シングル先行曲の『よしよししてほしいの』はやはり最高であったし、『ビートの惑星』も単純明快で楽しかった。

私の脳と体は映画館を出たあとも16ビートに細かく揺さぶられている。これはおそらく今日の夜、ベッドに入ってからも続く。

これは私の主食だ。

私はモーニングの単独コンサートが開催されなかったこの二年、いったい何を食べて生きてきたんだろう?本気でわからない。ひょっとしたら死んでいたのかもしれない。

モーニング娘。はつんく♂さんという最高の農家が腕によりをかけて作ってくれている白米だ。またはつんく♂さんという最高の料理人が出してくれる最高のディナー。実際のモーニング娘。の名前の由来は喫茶店のモーニングセットであり、トーストとコーヒーとサラダとゆで卵が食べられて、みんなが気軽に親しめるお得な朝食なんだけど、私にとっては最高のごちそう。一番のメインディッシュだ。

私はいま混乱している。足に力が入らない。こんな経験はズッキ卒業公演以来だ。あのときも私は武道館の席からしばらく立ちあがれず、周囲の見知らぬオタクに心配そうにのぞき込まれながらも席で長いことうずくまっていた。2021年のいまの私は、映画館のロビーにすわってただただぼーっとしている。これから一人で暗い夜道を歩いて帰らなければいけないのに。

今日はモーニング娘。’14のペンライトを持ってきた。今日で何かと決別するつもりだった。’14の楽しかった思い出が、今日で終わる気がしていた。あの夢のような時間がひと段落する気がしていたのだ。

まーちゃんは’14の末っ子だった。実際はどぅーの方が年下で、さくらの方が加入は後だったけれど、まーちゃんは確実にカラフル期のモーニング娘。の末っ子だった。そして誰よりも早い速度で、毎日のように、みるみる成長した。パートがどんどん増えていった。あの頃から娘。を見ている人ならば、この感覚をわかってくれるだろう。

まーちゃんは私の娘だ。私が産んだ。そのくらいの気持ちでいたんだよ、わたしは!気持ちが悪いことに!卒業の日までどうしてそれに気が付かなかったんだろう?柳原可奈子さんは2014年当時から「私がまーちゃんを産みたかった」と宣言していたというのに!

私の娘がいま巣立つ。巣立つことを自ら選んだ。病気ゆえもあるだろう、コロナ禍ゆえもあるだろう。口惜しい。でも旅立ちを祝福したい。楽しかった’14がこれで終わる。心が千々に乱れている。どうしていいかわからない。わからないから私は、ロビーで食べきれなかったポップコーンと烏龍茶を口につめこみながらこの文章を書いている。心の中の混濁を吐き出して、いったん落ち着いてから帰ることにする。

映画館のライブビューイングのいいところは、こういったときに決してせき立てられたりせず、ゆっくり心を落ち着かせてから帰れることだと思う。(2021/12/13文筆、2023/9/18投稿)

おたく活動備忘録 : 金澤朋子卒業公演をライブビューイングで見た

朋子が25歳定年の壁を打ち破った日、私は人生で初めて「本人不在の誕生会」を行った。ハロプロの伝統であった25歳定年制度が静かに打ち破られたことが、そのくらい嬉しかった。

しかしその一ヶ月後、朋子は病気によるグループ卒業を決断した。それ自体はしかたのないことだ。わかっている。私が朋子の主治医であったとしてもその決意を支持するだろう。挙児希望のある子宮内膜症の女性に勧めることは、結局のところ月経周期が一回でも少ない状況での妊娠出産を目指すことに尽きる。私は医者として彼女の決定を大いに肯定する。

朋子も、それからまーちゃんも、現代医学が不甲斐なくて本当に申し訳ない。あなたたちの活動を支えられる医療を、現代の医学では提供できなかった。それが悔しい。本人たちはもっともっと悔しくて悲しいと思う。

私は「ここだよ朋子」コールが可能になるまで、朋子には卒業しないで欲しいと思っていた。でもそれはかなえられなかった。市松模様の一席飛ばしで販売された横浜アリーナ卒業公演のチケットはとれなかった。この私が朋子の卒業に立ち会えないなんて、思ってもいなかった。でも私は世情を考えて粛々とそれを受け入れ、ライブビューイングのチケットを取った。

Juice=Juiceというグループは、安定して高いクオリティをキープしながら歌唱サービスを提供し続ける、ずっとそこにある組織であった。それはまるで朋子の人生目標であった「地方公務員」のような安定感とたたずまいで、ハロプロという組織の中にずっと存在し続けた。歌唱への過剰な鍛錬ぶりも、消防署の職員さん達のストイックな訓練と自己研鑽を見ているようだった。コンサートはさながら消防隊の出初め式やブルーインパルスの航空祭だ。娘。から大好きなズッキがいなくなったときも鞘師がいなくなったときも、Juice=Juiceは変わらずそこにあり続け、安定した歌唱力で私を支えていてくれた。私にとってJuice=Juiceは安定した自治体の福祉厚生であり、インフラであり、ベーシックインカムだった。

最初の武道館からの帰り道、高揚感に包まれながら私は「Juiceは最高だ。いつまでも存在し続けて欲しい。佳林と朋子と紗友希がいつまでも一緒に歌っていてくれたらいいのに」という強い幸福感に包まれていた。それと同時に、それが不可能であることもわかっていた。どこかで必ず終わりは来る。彼女たちがいなくなったら、私はどうなってしまうんだろう。私は幸福の絶頂の中にいながらそれを失うことにおびえていた。多幸感と、その消失への恐怖。両方を漠然と抱えながら、私は人混みにまぎれて田安門を通り皇居の堀の坂をくだっていた。九段坂駅への道は人混みにあふれ、アン・オフィシャルな写真を売るあやしげな露天のハロゲンランプでぎらぎらと輝いていた。

当時、武道館のチケットは苦労せず一般でも買えた。武道館の客席が満員になったのも直前であったように思う。だから当時の私は、朋子・佳林・紗友希という三人の歌姫が卒業するコンサートの「どれにも」現地で参戦することができないなんて、夢にも思ってなかった。ただ、ベーシックインカムがいつか途切れることだけを、漠然と不安に思っていた。そしてその日が来る。

私は朋子の卒業発表から一ヶ月の間ずっと目をそらし、発表を信じることができないままに卒業コンサートのライブビューイングに参加した。

オープニングは彼女の代名詞である『イジワルしないで抱きしめてよ』だ。ハロー・プロジェクトの全楽曲の中でも一二を争うくらい好きな曲である。『イジ抱き』のCD音源で朋子が歌っていたパートは、すべて朋子に戻っていた。私はそれが嬉しかった。そして他のパートは、すべてオリジナル当時とは違うメンバーたちが歌っていた。開始一曲目だったこともあり、朋子も含めた全員の声量や音程が安定していなかったが、それもまたグループの歩んできた歴史を感じさせてよかった。

コンサートはとても素晴らしかった。まず、朋子の美しさが極まっていた。あんな美しい姿のままステージからいなくなるなんて信じられないほどであった。生まれ変わったら朋子の卒コンの赤いストレートビスチェドレスの背中のサテンのリボンになりたい。Juice=Juiceの次の展望がほのかに予感できるパート割りやセットリストもよかった。つまりきちんと完成された、予定通りの卒業コンサートだった。

そして私は、紗友希がいなくなったことをここでようやく実感した。今日この日まで、紗友希がJuice=Juiceからいなくなったことを私は本当は信じていなかった。朋子の卒コンを見て私は初めて紗友希の突然の消失を自覚し、現実だと認識し、消化するとまではいかないものの、ゆっくりとかみ砕いてのみこむことができたのだ。

朋子と紗友希の友情と歌唱力における切磋琢磨こそが、Juice=Juiceという女性アイドルユニットの「核」であった。5人のオリジナルメンバーによって作られたJuice=Juiceの絶対的センターだった佳林ちゃんでもなく、初代リーダーのゆかにゃでもなく、朋子と紗友希という稀代の女性歌手2人が、歌割をめぐってせめぎ合い自己研鑽を重ねる姿。それこそがJuice=Juiceという女性アイドルグループの「核」であったと私は思う。2人は常にお互いを高めあっていた。2人のパワフルで声質が違う歌声の上に佳林のアイドル歌唱のクリスタルボイスが乗ることで、Juice=Juiceという歌唱グループは完成し、大きなグルーブを作っていた。


私が以前Twitterで書いたJuice=Juice『微炭酸』池袋リリースイベントのレポートにて、「お互いの声がちょっとかすれたり、ちょっとだけ音程がずれたりした直後にニヤっと笑いあう2人」というのは、朋子と紗友希であった。

どちらも女性アイドルとして最上級に(でも少し違う方向性で)歌の上手い二人が、お互いの歌を認め、技術を評価しあい、監視しあい(パートを奪いあうのだから)手を抜けない中で切磋琢磨する。それこそがJuice=Juiceというグループの中心をささえる本質であった、と私はいま思っている。最高のライバル、かつ最高の親友。それが朋子と紗友希だった。この9年間ずっと。いや実際は二人がそんな関係になったのはここ6年くらいな気もするが、とにかく私は、音楽に対する二人の真摯な姿勢にずっと励まされてきた。

2021年1月に紗友希がいなくなったということは、私にとってJuice=Juiceの「核」が突然消失することであった。生物の世界ならば核が消滅した細胞は死ぬ。細胞質が均一になり、あっという間に溶けていく。突然おこったビックバンを私はなかなか受け入れることができなかった。


2021年3月のひなフェスでは、紗友希のパートを引き継ぐのに明らかにみな四苦八苦していた。『DOWN TOWN』の大サビで紗友希の見せ場として作られたパートを歌わざるをえなくなった朋子は「つらくてしかたない」という表情で目に涙をためていたし(音程を外さなかったのはさすが)、瑠々ちゃんはCHOICE&CHANCE最後の紗友希パートを伸ばしきることができなかった(あの声量であの音程を出してオリジナルのフェイクを入れろっていうのが無理筋なのだ)。

朋子は25歳を過ぎても残留し、Juice=Juiceの核は残った。他のメンバーもふんばって紗友希のパートを練習してきた。細胞は生き残った、それがこの卒コンでわかった。特に瑠々ちゃんが紗友希のパートを随所でこなしていて立派だった。半年で仕上げてきたんだね。あぁ、Juice=Juiceのそういうところが好き。「Juiceはこれからも続く」と感じることができる卒業コンサートだった。

佳林と紗友希と朋子がいなくなったいま、Juice=Juiceという女性アイドルユニットがいったいどんな存在であったのか、ゆっくりと考えながら私は帰路についた。新宿バルト9の11階から続く長い下り階段は、女性客のヒールがステップをたたく音であふれていた。

ここからは未来の話をしよう。

『DOWN TOWN』『プラスティック・ラブ』という新曲の流れを見るに、2021年のJuice=Juiceはシティポップ路線に舵を切るようだ。シティポップか……。うーん、事務所の偉い人の趣向があまりに強く、観客は二の次というか完全においてかれているように感じるけれど、まあいいか……。紗友希というアドリブのフェイクの女王と、朋子という唯一無二の妖艶な歌声を失ったJuice=Juiceが、従来のファンキーな大人の女性の恋愛路線を続けるのはむずかしいだろう。まだ時間がかかる。シティポップを歌うためならば、新メンバー3人の人選も納得がいく。特に江端妃咲ちゃん。初めて見た江端ちゃんは、輪郭も顔立ちも体型も手足の細さも「初代リカちゃん人形」そのものであった。今のリカちゃんではなく「初代」リカちゃんね。

初代リカちゃん

彼女のレトロでキッチュな、昭和のプラスティック人形のようなたたずまいと可愛らしさは唯一無二であり、確かに昭和シティポップおよび『プラスティック・ラブ』という楽曲という楽曲によく似合っていると思う。私にとっては新しい刺激に乏しく、あまりおもしろみがないけれど、あたたかく見守っていきたい。(2021/12/10)

※追記:

山下達郎氏が2023年7月9日にジャニー喜多川の児童性虐待問題について言及。この最後に「このような私の姿勢を忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」と発言した。なるほど、私には山下達郎氏の音楽は不要になったようだ。よって今後のJuice=Juiceでは彼の曲を歌わないでほしい。セットリストにも入れないでほしい。

山下氏のこの発言以降、私はJuice=Juiceのライブに足を運んでいない。彼の曲を聴きたくなくなってしまったからだ。わざわざ高い金を払って遠くまで足を運んで、悲しい気持ちになる必要はない。おうちで一人でJuiceの曲を聴くぶんには彼の曲を除外できるけれど、ライブではそうもいかない。流れる曲を選べない。だから私は7月9日以来、Juiceのライブに行く気力がしぼんでしまった。とても残念だ。

シティポップの世界的流行に乗りたいのならば、よその過去の有名曲にすがるのではなく、自分たちで新しい曲を作れ。私は事務所にそう言いたい。それが音楽事務所の役目ってもんでしょ、と思う。 (2023/09/13)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(前編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

1位 世界が君を必要とするときが来たんだ / オーイシマサヨシ

タカラトミーのロボットおもちゃ販促アニメ『アースグランナー』オープニング主題歌。作詞作曲はオーイシマサヨシさんです。オーイシさん、2017年の『ようこそジャパリパーク』につづいての個人的楽曲大賞となります。

1番Bメロの歌詞「痛いのは無理 めんどくさいのはイヤだ 平気なフリしてマジちびりそうさ ってちょちょっとまってよベイベー これって現実なの!?」が、個人防護具もないのに謎のウィルスにとつぜん対峙せざるをえなくなった2020年4月の自らの現状にぴったりとよりそっていたことが受賞の理由です。

ミュージック・ビデオは時折山※、じゃなかった岩舟山で撮影されております。「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」の撮影でつねづね使われている採掘場跡地です。『アースグランナー』の裏番組かつ、視聴者もおもちゃ売上も完全に食いあうライバル作品のまさに「聖地」といえる場所でそれはもう堂々と、オーイシさんがヒーローになりきっております。爆発を背に嬉々としてヒーローを演じるその姿は、たいへんほほえましいです。

※息子たちはルパパトっ子なので岩舟山のことを「時折山」と呼びます。ルパパト14話で幼稚園児たちが遠足に行こうとしていた場所であり、映画『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』で最後の決戦場所として「明朝6時 時折山 怪盗BN団」と予告状に書かれていたあの場所です。彼らにとってこの山はーー関東近郊で本物の火薬を使った爆破撮影が唯一可能なのであろうあの山はーーいつまでたっても「時折山」なのです。さまざまな東映特撮番組で岩舟山がうつるたびに、彼らは「こんな危険な場所で遠足をするあの幼稚園はおかしい」と突っ込んでいます。いまでも律儀に。

さて、アニメ『アースグランナー』の内容はおもちゃ販促番組としてよく見るもので、特記すべきことはなかった。子ども達は早々に視聴から離脱してしまった。親がついでに見ている範囲としても、特に「引っかかり」を感じなかった。

おもちゃや販売促進や視聴環境もふくめた『アースグランナー』の私の所感は、以下の4つ。

①おもちゃの変身可動、造形のかっこよさ。これは本当に素晴らしい。
②新型コロナウィルスが直撃しても延期も再放送もせず、通常放送をつづけていた点。最高の評価に値すると思う。
③AmazonPrimeですぐに全話が見られること、YouTube見逃し配信の早さ。この二つはコロナウィルス流行下において非常に、非常に強かった。2021年の今、ネット配信が存在しないコンテンツは、幼稚園or保育園から中学校の子ども達にとって「存在しない」コンテンツである。ライダーや戦隊もこの姿勢を見習ってほしい、さもなければ子ども向け東映特撮おもちゃは死んでしまうであろう。
④既存の定番玩具(この場合はトミカ)との連携。

昨今のタカラトミーの児童向け玩具の販売力の強さは、以上の4点にあると思う。

2位 手を洗おう / パウ・パトロール

2020年はさまざまな「手洗いソング」が発表された。医療従事者として本当に本当にありがたい。「日本のみんな、手を洗ってくれてありがとう!みんなのおかげで私はまだ生きてるよ!本当にありがとう!!」って心の底から叫びたい。保証も強制もないのにステイ・ホームしてくれた地域住民の皆さんに、手を洗ってくれる皆さんに、今でもマスクをしてくれる皆さん全員に、大声でお礼を言いたい。これを当たり前だと思っちゃいけない。周囲への感謝は大切。とても大切。

そして私という一個人にとって、2020年もっとも口ずさんだ歌は、カナダのアニメ『パウ・パトロール』が作った『手を洗おう』であった。実用的な意味でもっとも役にたった一曲といえる。私はいまでも毎日、この曲を歌いながら子どもたちと一緒に手を洗っている。

日本語訳MVを出したタイミングの早さ、子どもにとっての歌いやすさ、適度な曲の長さ(手洗いは約20秒間、石けんの泡を皮膚につけた状態にしたい。そしてこれはとても長い。子どもたちにとってはダイオウグソクムシが餓死しそうなほど長い)、番組の最後のおまけ映像として今でも毎週流してくれる律儀さ。すべてが私の子どもたちにぴったりだった。そしてきっと、世界中の子どもたちにもぴったりだった。

子どもに手洗いをさせる(啓蒙する、といってもいい)歌としてもっとも大切なこと。それは「子ども自身が大好きなキャラクターである」ことだ。アニメ『パウ・パトロール』は2020年もっとも我が家で再生された番組であり、園児である息子の注意をもっとも引きつけ、私が休む時間をもっとも長く作ってくれた作品であった。

話が少し変わる。

私は2020年、戦隊もライダーもあまり楽しめなかった。特にコロナ中断から再開して以降、どちらの番組にも制作者と自分のあいだで価値観や倫理観の「ずれ」を認識する場面が多くなった。登場人物に対して「ああ、私は彼らにヒーロー性を見いだすことができない」と思う場面がたくさんあった。新型感染症の大流行で世の中が変わり、私自身も変わり、作品そのものも(撮影の中断と短縮によって)ストーリー展開を大きく変えざるをえなかったのだろう。だから、それに文句を言う気はない。ただ、作品と自分とのあいだで「英雄」に対する価値観があわなくなってしまった。

そんな中で私がヒーロー性を見いだせたのは『パウ・パトロール』と『ウルトラマンZ』と『ヒーリングっとプリキュア』の終盤の展開(2020年という時代に白い衣をまとって戦う少女たちがウィルスである敵と共存する終わりはありえない、根絶しかない)、『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎、そして早朝に再放送中の『暴れん坊将軍Ⅲ』であった。

パウ・パトロールは「戦隊もの」である。子どもたち、とくに2歳から4歳くらいまでの子どもたちは「戦隊もの」という「概念」が大好きである。私も大好きである。

「戦隊もの」という「概念」とは何か。それは、
 ①わかりやすく色分けされた複数の人間が
 ②それぞれの個性を生かし、得意な分野を合わせて「協力」することによって
 ③一人では絶対に勝てなかった強い相手を倒す
という物語の構造だとねじ子は思っている。これは石ノ森先生の偉大な発明である。

①色分けのおかげで、子ども、特に幼児前期(1~3歳くらいの低年齢)でも登場人物の区別をつけることができる。変身前の私服でも、メンバーは必ず自分の色をまとう。
②個性や特技。だれか一人、自分と似た性格や特技をもっていればいい。自分がなりきることができるキャラクターが見つかる。一人遊びを卒業した2~4歳くらいの児童が最も大好きな「象徴遊び」(いわゆる「なりきり」遊び)がしやすい。親は、敵やライバルキャラを演じればよい。
そしてである。協力することの大切さ、他者への思いやりを学べる物語が展開されるのだ。これは見事としか言いようがない構造であり、ねじ子は「20世紀でもっとも偉大な発明である」とさえ思っている。

①色分け ②役割分担 ③一人では乗り越えられない課題が提示され、いったんは負けるも、複数人で協力して課題を乗り越える という、石ノ森先生が発見した「概念」が下敷きになって生まれた作品は世界中に数えきれないほどある。スーパーマンに代表される、たった一人のスーパーヒーローが天才性と努力で敵にうち勝つ成長物語とは性質がまったくちがう。

「戦隊という概念」は世界にもそのままの形で通用している。パワーレンジャーは言うにおよばず、ベイマックスもそう、セーラームーンもそう、プリキュアもそう、メンバーカラー制度をもつアイドルグループもそう。そして『パウ・パトロール』はまさに「そう」なのだ。ちなみに『パウ・パトロール』は世界中のテレビで視聴率一位を取っているし、Netflixキッズ部門の再生回数において長期間トップを独走している状態である。

私は「戦隊もの」という「概念」が好きだ。だから何年も毎週欠かさず、戦隊ものを見ているのだ。仕事をし、家事をし、食事をつくって食べ、入浴して寝るという日々の生活において絶え間なく体を動かしていると、ふと「戦隊という概念」を補充したくなる。自分でもなぜかわからないけれど、補充したくてたまらなくなるのだ。これは禁断症状、医学的には離脱症状と言っていい。『美少女仮面ポワトリン』や『ナイルなトトメス』や『有言実行三姉妹シュシュトリアン』や『来来!キョンシーズ』を幼少期にあびて育った影響なのかもしれない。

そして2020年、アニメ『パウ・パトロール』はその役割をじゅうぶんに果たしてくれた。

それぞれに得意分野があり個性的な、きっちりと色分けされた服を着る犬たち。ポリスカーに乗る、かしこい実質リーダーの警察犬チェイス(青)。消防車にのる消防犬で、ちょっとおっちょこちょいだけど勇気があり、子どもたちが感情移入しやすいマーシャル(赤)。ヘリコプターに乗り、唯一空を飛ぶことができる雌犬スカイ(桃)。パワーブルドーザー乗りで関西弁、食いしん坊のブルドッグ、ラブル(まさにキレンジャーそのもののコメディリリーフ)。清掃車に乗るアイディアマンのロッキー(緑は少し軟弱な発明家、『ゴーカイジャー』と同じ)。ホバークラフトで水面移動が可能なズーマ橙)

まさに戦隊もの、まさにゴレンジャーである。三要素すべてが完璧にブレンドされている。そして主人公は、パウ・パトロールの司令官であるしっかりものの人間の少年ケント(10歳)。視聴者である子どもが、完全に自らをアイデンティファイできる存在なのだ。

様々な場所から集められた6匹の犬がいる。人々の助けを求める声を聞いた主人公の号令とともにそくざに基地に集まる。それぞれ得意分野のアイディアや知恵を出しあい、技術を発揮する。一人ではとうてい勝てない敵やどうにもできない災害も、全員で協力すれば必ず克服できる。命を救い、トラブルを解決し、人々の安全な暮らしを守る。これぞまさに平和を守る「戦隊」である。犬だけど。

今年の戦隊からは失われていた「戦隊ものという概念」が、『パウ・パトロール』にはあった。それはもうキラキラとまぶしいほどに満ちあふれていた。さらにジャッカー電撃隊が発明した第二の「戦隊概念」である「追加戦士」も登場するんだな。雪山救助に特化した白い雌犬・エベレストだ。最高の布陣である。

しかも!(ここから大声)『パウ・パトロール』には彼らに対抗する悪の戦隊6人組が登場するんだよ!!ライバール市長(いい名前だ)直結の、色分けされた衣を着る6匹の猫。その名も「ニャン・パトロール」だ!私はこれを見た瞬間いろめきだった。「VSだ!VSじゃないか!うそだろ?VS戦隊だよ!わーいわーい!私の大好きなVSだ!」と。これはもう『パウ・パトロール』は『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』である、と言ってもいいんじゃないかな!?よくないよ!

ちなみに、パウ・パトロールの犬たちは人の言葉をしゃべる。なぜかペラペラとよくしゃべる。他の動物たちは人の言語をまったく話さない。ニャウ・パトロールの猫たちも非常によく訓練されているのだが、人の言葉を話さない。どうしてパウ・パトロールだけが人間と同じ知能を持ち、言語をつかうことができるのか?その理由は、最初から最後までまったく明かされない。作中の人間たちはどうしてそれを疑問に思わないのだろう。それも一切語られない。明らかに異常なのである。

それなのに、『パウ・パトロール』はリアリティ・ラインがしっかりしている。「なんで犬だけが人と同じアイデンティティと知能と言語をもっているの?世界観どうなってんだ?」などと疑問に思うのは野暮だ。だって大人である私も「私のところにもパウ・パトロールが助けに来てほしい!助けてパウ・パトロール!」と思ってしまうのだから。パウ・パトロールの「人助け」という正義の前に、そんなものは些細な問題なのだ。大人の視聴者にすらそう思わせるだけの力がパウ・パトロールにはある。パウッと解決。


2020年当時限定公開された映画『パウ・パトロール カーレース大作戦GO!GO!』も、奇想天外でありながらリアリティ・ラインがはっきりしていてわかりやすく、わくわくするカーチェイス・アクションの連続で、はっきりとした勧善懲悪かつ見応えのある成長物語だった。つまりは最高の脚本であった。主人公の犬の名前が「マーシャル」でありF1におけるメカニックの呼称と同じであることと、ルイス・ハミルトンそっくりのF1レーサーにもクスッときた。

2020年、キラメイジャーの録画をまったく再生しなくなってしまった次男は、一週間で5回くらいパウ・パトロールを見ている。母はさすがに1回で飽きるが、彼はお気に入りの回を複数回見る。それが子どもだ。親が子の興味をコントロールすることはできない。おそらく世界中のタブレットの中のNetflixで同じ現象が起きている。パウ・パトロールのおもちゃは今のところ店舗であまり売ってない。CMもほとんどない。コロナ不況が吹き荒れる中、母の財布は非常に助かっている。クリスマスにはDX日輪刀とスマホロトムと鬼滅のたまごっちと、いくつかの任天堂のゲームソフトがうちに届く。

3位 pray / 赤い公園

津野米咲さんの遺作。同時発売のシングル『オレンジ』をあわせて聴くと、津野さんの中に混在していたと思われる「陰と陽」の両方をかいま見ることができる。

小片リサちゃんがいなくなった10日後に、津野さんがいなくなってしまった。COVID-19流行という世界的にみても最悪だった2020年という一年間において、私が最も落ち込んだニュースは津野さんの取り返しがつかない極端な選択だった。

『pray』のMVを見ると「津野さんはこの作品を最後に旅立つことを、撮影当時から決めていたのではないだろうか」という気持ちになってしまう。実際はそうではないのだと思う。ふと、暗い森の中へ引きずり込まれてしまったのだろう。ふと通りすがった心の闇、死へのいざないに、突発的にのみこまれてしまったのだと思う。私がこれまで目にした、生命を絶つ選択をある日とつぜん取ってしまった症例の多くがそうであったように。

★★

ここからは私事である。

新型コロナウィルス感染症が流行っている。ステイホームしろ、と偉いひとたちは言う。家から出るな、他人に会うな、他人と話をするな、食事もするな、マスクを外すな、と言う。そして、ものすごくしっかりとそれを守ってくれる人達がたくさんいる。素直にありがたい、と思う。それと同時に「とてもつらいことを赤の他人に強制している」ことは、医者である私もわかっている。他人に無償で頼む範囲を、ゆうに超えていると思う。偉いひとたちの言うことを本当に律儀にぜんぶ守っていたら、ストレスが溜まりすぎて死んでしまうだろう、そんな人たちもたくさんいる。コロナウィルスを用心しすぎているゆえに鬱になってしまうほど感受性が高い人には「気にしすぎてはいけません、気晴らしを用意しましょう」「ネットやテレビは控えましょう、ニュースも感染者数も見る必要はありません」「三蜜を避けてたまには出かけましょう、その方がいいですよ」と伝えなければならない。

その一方で、「コロナは風邪だ」「コロナで死ぬのは自然淘汰だ」と公言し、あえてマスクもせず、手も洗わず、熱も測らず、大人数で会食し、大騒ぎしながら毎晩飲み歩いている人もいる。これはもう絶対に、ある一定数いる。そういう方々には、感染対策の具体的方法をゆっくりと時間をかけて説明しつづけ、そのうちの一つだけでも実行してもらう必要がある。

これは二元論ではない。感染対策の「お願い」を内面化しすぎて「守りすぎてしまう人」と「完全に意にかいさない、またはかえって反発する人」。どちらもある一定数の人間がおちいる状態であり、両方への対策が同時に必要になる。どちらかだけ、になってはだめだ。二元論に走ってはいけない。絶対にいけない。前者で暴走すると鬱になり(飲食・芸能に従事する人たちがたくさん旅立ってしまったし、医療従事者のメンタルもちぢに乱れている)、後者が暴走すると感染拡大に歯止めがきかなくなる。どちらも地獄へと続く道であり、患者さんは崖へ向かってがむしゃらに突進する馬車のようになってしまう。

「人によって対策やアドバイスを変える」これは臨床医療において普通に行われていることだ。それなのに、これをメディアや電波やインターネット回線に乗せて「一般論」として語ろうとすると、とたんにむずかしい。どちらの立場に立ってアドバイスをしても、逆の立場の人からの異論や反論が瞬時にあふれ出てくるのだ。SNSというメディア上においてその勢いは猛烈なものとなり、一気にあふれて一個人に押しよせる。それは津波である。私ならばとても立ってはいられない。結果、うかつなことも言えず黙りこみ、ふさぎこんでしまう人がさらに増える。

そういう意味では、尾見先生も忽那先生も西浦先生も、もちろん岩田先生も、彼らの発言はいつもそれぞれに「医学的に正しかった」と私は思っているし、彼らの立場において最大限言えることを精一杯伝えようとしてくれていた。それはかけがえのない大仕事であり、私の精神の安寧は彼らによって支えられていたんだな、と今でも思っている。

4位 だいスキRAP / みんなのリズム天国

2011年発売のゲーム『みんなのリズム天国』の中の一曲。

2020年4月、世界中の人々が一斉に軟禁された。何も悪いことなどしていないのにとつぜん受刑者になったようなものである。外に出られない。運動もできない。買い物も行きにくい。近所の公園に行くことすらもはばかられる。旅行も行けない。コンサートも演劇も開催されない。こんな状況では、もうゲームをするしかないじゃないか。多くの趣味を絶たれた2020年の私は、任天堂のおたくになるしか道がなかった。

思い返せば私は、ファミコンを買ってもらった小学生の頃から極めて浅い任天堂ライトユーザーであり、極めて浅いマリオのおたくであった。いや、おたくですらないな。ほどほどに楽しんでほどほどに時間を費やし、できるならばクリアまでやるけれど、クリアできなかったら自然にプレイ時間が減ってしまうような、こだわりや執着の少ないゲームユーザーだ。いわゆる「エンジョイ勢」である。SNSのプロフに書くなら「ポケモン図鑑コンプ勢/あつ森マイペース時間操作なし/リズム天国switch正座待期/推しは桜井政博」といったところか。実際の私はろくにSNSをやってないのだが。

私はステイホーム中にストレスなく子どもと一緒にやれるゲームとして押し入れからwiiUを引っぱり出し、『みんなのリズム天国』を始めた。すごくよかった。『リズム天国』シリーズは「ゴールド」が最高傑作だと思っていたが、「みんな」もすごくいいな。つんくさん天才だわ!

最新作「ザ・ベスト」ももちろん大好きなのだけれど、ストーリーがどうしても悲しくて、つらくなってしまう。ゲームの中で天国に行くことを求め、それが叶えられそうになった直後にまた俗世に落っこちてしまうチビリくんがつんく♂さんに見えてしまう。そして、本当にそのまま天国に行ってしまった任天堂の岩田聡社長のことを思わないではいられない。※考えてはいけないと思うのに、考えてしまう。リズムゲームに集中できない。あとハロメン(ナイスガールプロジェクトもハロメンとしてカウントしています)や未成年少女の曲が少ないのが悲しい。

※『リズム天国 ザ・ベスト』が発売されたとき、リズム天国の企画者であるつんくさんと、それを支えていた任天堂の岩田社長は、どちらもガンの闘病中であった。2人の対談も残っている。
社長が書面で訊く『リズム天国 ザ・ベスト+』

その後、岩田さんは胆管腫瘍で55歳の若さで逝去。つんくさんは声帯切除の手術後も制作をつづけ、リズム天国続編の意見収集をTwitter上でおこなっている。

というわけで、2020年ねじ子が最も多く聴いたハロプロの曲は『僕らの世代!/ナイスガールトレイニー』である。スタッフクレジットもリズムゲームになっているのは『リズム天国』シリーズの恒例サービス。

しかもゲームクリア後のゲームセレクト画面のBGMがずーっと『僕らの世代!(Instrumental)』なのである。パーフェクトを目指して頑張っていると数百回は聴くことになるのである。いやぁ、2020年は小片リサさんの年でしたね!他のハロヲタのみなさんも、きっとそうだったでしょう!

5位 アーバンけけ / とたけけ(あつまれどうぶつの森)

音源バージョン↓

ライブバージョン↓

ゲーム『あつまれどうぶつの森』には、すべての欲望を満たしてもらった。ステイホームの時期とゲームの発売日がぴったりと合ったことによる奇跡である。

旅行をしたい欲、海で泳ぎたい欲、南の島でのんびりしたい欲、釣りがしたい欲。天気のいい屋外で走り回って自然を感じたい欲望、ひなたぼっこしたい欲望、とつぜん降りだした雨にぬれたい欲望。友人が住む知らない土地を訪れてみたい、友人の家に集まって食事をしたい、誕生日を祝いたい、みんなでBBQがしたい。ウィンドーショッピングしたい、いろんな服を着てお出かけしたい、色ちがいのたくさんの家具を並べて吟味したい、つまりあらゆる物欲。そして、音楽ライブに行きたいという衝動。

2020年2月まで当たり前にあって、今では失われてしまった喜びを『あつ森』はすべて満たしてくれた。『あつ森』をプレイすると、あのときの閉塞した空気とガラガラの通勤電車、部屋にみちる次亜塩素酸のにおい(アルコールが手に入らなかったため、我が家ではドアノブとフェイスシールドを次亜塩素酸で消毒していました)を思い出す。それほどに『あつ森』というゲームは私のステイホーム生活を支えてくれた。

『あつ森』は動作中のサウンド・エフェクトもよかった。レンガの道をヒールで踏みしめる音、新雪をつぶす音、砂浜を踏みしめて足の指の間から砂がもれる音、芝生を駆けるスニーカーの音。そのすべてが、ステイホームでは決してえることのできない体感であった。これら「自然の与えてくれる五感」は、人が生きていくために必要な刺激であった。人が健全に生きていくために、周囲の環境からえられる五感は不可欠であると私は思い知った。拘禁状態ともいえるステイホームの状況下、『あつ森』というゲームの中で私はその音を何度も聴き、体にしみこませた。それらは私の脳を活性化させた。

というわけで私が今年最も愛聴したミュージシャンは「とたけけ」なのである。土曜の夜にアコースティック・ギターをもって私の島にふいと現れる、白いはだかの犬だ。彼はどんなジャンルの歌も歌う。アレンジの幅も広い。どんな悪天候の中でも屋外でライブしつづける心意気もいい。ライブとCDで音源がまったくちがうのもいい。ライブのときだけ「アオーン」っていうフェイクが入るのも最高だ。犬の遠吠え、とか言ってはいけない。あれはフェイクだ。そうだよ、こういうアドリブやフェイクや合いの手を聴くために、私はハロプロのライブに行っていたんだよ!COVID-19がはやる前は!

今の私にはもう本物のアイドルのライブに行くことができない。だから、右手に黄色く光る棒をもって友人の島に行き、アバターの仲間たちとバーチャルなライブを楽しむことができる、それだけでも嬉しかった。

アイドル好きとして『けけアイドル』は外せない。ウーハーの効いた値段の高いコンポを(ゲーム内で)買って、(ゲーム内の)自室のBGMとして『アーバンけけ』を流しながら(ゲーム内のアバターが)眠るのもたまらない。

後編に続く。(2021/11/30)

エキスパートナース2021年6月号・7月号 新型コロナウィルスワクチン特集

エキスパートナース2021年6月号

エキスパートナース2021年6月号にて、新型コロナワクチン接種開始にあわせ、ファイザーの新型コロナワクチン・コミナティの扱い方と筋注の手技について解説させていただきました。

多方面からご好評いただき、各地のワクチン接種会場でも利用していただいているようでとても嬉しく思います。

記事を書いた4月中旬は何もかも手探りで、ワクチン接種業務に手をあげた病院の中の人すらも「本当に来週からワクチンが届くんですか?どんなのが届くんだろう?」などと言っていたことが思い出されます。

当時、急な取材を受け入れてくださった東京都看護協会さんに改めて感謝いたします。

エキスパートナース2021年7月号


エキスパートナース7月号では、ワクチン接種会場で生じる副反応としてもっとも重要、かつ想定していなくてはらない疾患である「アナフィラキシーと血管迷走神経反射」にいかに対応するか、を描きました。本当は6月号に入れたかったけど、入り切りませんでした。

どちらもワクチン接種業務に従事する皆さんにとって具体的に実行しやすい内容になっているはずです。ご活用いただけますと幸いです。

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さて、もっぱら報道されている、かつ患者さんが最も口にする副反応は「ワクチン二回目接種後の発熱」のようです。生命予後に関わる副反応ではないので今回の特集では触れていませんが、これについて少し書きます。

実は私も二回目接種の翌日、頭痛がして、全身の筋肉痛が出て、発熱しました。そして、それがすごく恐ろしかった。自分の体がどうなっちゃうのか、とても不安になったのです。「未知の薬」による「未知の体験」が自分の身におこっているからだと思います。

私は2回目接種の時、問診してくれたドクターと「どのくらい熱出ます?」「うーん、うちの職場では1割くらいの人が1~2日寝込みましたかね」「あーそんなもんですよね。私の周りもそんな感じです」なんていう会話をのんきに、さも他人事かのように話していたのです。

つまり私は客観的に知っていた。ファイザーの「二回目接種後7日以内に38℃以上の発熱が11~16%」という報告を4月にはすでに見ていた。2~3日で解熱することも、それ以上続いたら別の疾患を考えるべきことも、ぜんぶわかっていた。それでも、熱が出て全身が痛くなった自分の体の変化が恐ろしかったのです。

自室で一人寝ていた私は不覚にも「ここで一人で死にたくない!」と思ってしまい、オンライン授業していた息子の部屋に行き、隣で寝かせてもらいました。すると私は無事に寝つくことができ、起きたら、熱が引いていた。アセトアミノフェンすら飲まずに。つまり私の発熱という副反応はとても「軽かった」のです。

初めてのウィルス、初めてのワクチン、初めての副反応。自分の体に起こる未知の体験は「たとえ知識があっても」恐ろしいものであると、私はこのとき初めて実感しました。一般の皆さんが怖がるのも当たり前であると。私は自分に副反応が降りかかってくるまで、本当にはわかっていなかったのかもしれません。

そしてそれでも私は、「ワクチン接種が怖い、迷う」という相談を受けるたびに「怖いのはよくわかります。私も怖かったです。熱も出ました。それでも、今回は受けましょう。受けてください」と話しています。それが禁忌ではないかぎり。(2021/6/30)