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2019冬コミ新刊『現着! QQQ 2』

2019/12/30 コミックマーケット 南4ホール ハ-18a ねじ子アマ

★冬コミ新刊 『現着!QQQ 2 ―病院に着く前に―』96ページ 1000円

 

 

マンガと文章の本です。
昨年の冬コミで出した『現着!QQQ』の続きです。
一話完結なので『2』だけでも読めます。『現着!QQQ』も搬入しているので、同時に購入することもできます。

救命救急士さん・救急隊員さん向け実務情報雑誌『プレホスピタル・ケア』2011年8月号~2014年2月号にて連載した原稿です。今回は第10話から16話までを加筆修正してまとめ、さらに「オチ」として17話を描き下ろしました。

現着は「げんちゃく」と読みます。「現場に到着」という意味です。QQQはQQQuesitonであり、仮面ライダーOOO(オーズ)が大好きだった頃に描いたことのあかしでもあります。

119番が鳴り、救急車が呼ばれ、救急隊が現場に着いてから病院に着くまでの間。短いようで、当事者には永遠のように長く感じられるあの時間。その間に必死に頭を働かせて考えること。そんな内容を漫画とクイズとその解説の文章としてまとめました。救命救急士の秋山くんと、その幼なじみで特撮オタクの外科医・辻先生による掛け合い医療マンガをお楽しみください。

収録内容はざっとこんな感じです。
(目次自体がクイズのヒントになってしまうので、順番は本編と変えています)

・小児の頭部外傷
・高エネルギー交通外傷
・透析患者の救急
・頚椎損傷
・風呂場での急変
・急性胃腸炎
・失神発作の鑑別 etc

以下サンプルです。第11話をまるごと載せました。↓

 

おまけ。医療従事者向けノロウィルスお掃除方法も載ってます↓

(2019/12/29)

修羅場終わりました

冬コミの修羅場が終わった。今回は特に「実生活」と「医業」と「執筆」の三つの兼ね合わせがむずかしかった。さらにそこに家族のインフルエンザと溶連菌と自分の腱鞘炎と家事と育児とサンタさんのお手伝いとカントリー・ガールズ全員卒業(「なんの理由があって私の可愛い娘たちがこんなひどい目にあわなきゃいけないんだよ!おかしいだろ!」って憤りが止まらない)と、ガラルチャンピオンリーグとポケモンカレー図鑑完成とリングフィットトレーニングが重なって、死ぬかと思った。


スーパー戦隊Vシネマ「リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー」の一報があったから私は頑張れた。これがなかったら頑張れなかった。脚本が香村さんと荒川さんの共作で嬉しい。戦隊Vシネマが全国ロードショーに戻ったことが嬉しい。快盗たちの後日談が描かれていそうな予告であることが、飛び上がるほど嬉しい。原稿用紙に埋れて徹夜しながら、私はこの動画を100回は再生した。あぁ、この数ヶ月夢にまでみたルパパトの新規映像だ!

そしてサンタさんからもクリスマスプレゼントが来たよ!ありがとうサンタさん!良い子とはいえない私の元にも、サンタさんが来てくれた!やったあ!

……脊髄反射で予約注文したあと商品説明をじっくり読んでるんだけど、初美花ちゃんの要素が全然ないな(小声)ブロマイド?にいるかもしれないくらい?

戦隊ブログvol.107 ルパパトのメモリアルアイテム、予約受付開始! | スーパー戦隊おもちゃウェブ | バンダイ公式サイト

商品開発者さんのライナーノーツがとても熱くて嬉しい。新規音声収録がたくさんあって嬉しい。私の一番好きな劇伴である『快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ』がボタン一つで流れるだけでも1万円の価値はある。やったね!

しかし初美花ちゃんの要素が全然ないな(小声)

戦隊メンバー全員分の音声を少しだけでも入れてくれていいのよ、ほら、変身時の名乗りとかさ。決め台詞もいいね。一言だけでもいいから、なにかないのかな。

……プレミアムバンダイはいつからか、私達ハロヲタの財布を狙わなくなった。放送開始初期はWヒロイングッズだの何だのを用意して私たちを狙い撃ちしていたというのに、今はまったくない。

これはWレッドとノエルにたくさんの新規ファンがつき、金銭化のめどが立っている(つまりそっちの方が儲かる)ということなんだろう。これはこれで素晴らしいことだ。

Wヒロインのみが出演したてれびくんDVD『ガール・フレンズ・アーミー』はその販売形態とあまりの高額ぶりに、特撮ファンからもハロヲタからもかなりの反発を招いた。

癒してハロプロ てれびくんのルパパトヒロインDVD 本編16分で6500円っておかしくない?

ハロプロニュース : 【工藤遥効果】子供の味方「てれびくん」がおっきなお友達向けの商売に手を出してしまう

工藤ファンの中からも「あんな商品をあんな値段で買ってはいけない」「あんなぼったくりDVDでもファンは買う。足下を見られてるんだ」「あんな値段でDVDを買った奴がいるから、小学館は調子に乗って15000円もする超全集を出すんだよ」という声も聞いた。

それらの意見は正しい。きっと正しい。私も当時、怒髪が天をついた。私は古い人間なので10年前に『てれびくん特せい 仮面ライダーオーズ超(ハイパー)バトルDVDクイズとダンスとタカガルバ』(本編23分)を送料込で1250円で購入したことを、きちんと覚えている。つまり16分6,500円は明らかに高い。アイドルの映像商品の相場としてもありえないほど高い。ましてや子ども向けのお値段からはかけ離れている。全国の良心的な親御さんや特撮ファンが怒るのも当然だ。

ハロヲタすらも分断するような、そんな売り方はもう真っ平ごめんだ。おたくの財布を狙われまくって、足元を見られまくり、オタクの間でも激しく意見が割れてしまうような事態はもう二度とごめんなのだ。ごめんなんだけど。

……全然あてにされなくなると、それはそれで、嬉しいような、ありがたいような、少しさびしいような。(2019/12/29)

追記:クリスマスケーキは子どものリクエストで仮面ライダーゼロワン(プログライズキー付き)を選びました。スモークサーモンのサラダも作って食べたよ!

絵というものは、作者が世界をどう見ているかの表出である

インフルエンザ療養中で暇を持て余していた長男のために、塗り絵を作ることにした。すでに解熱して体力は有り余っているものの、他人への感染力があるため外で遊ぶことができない状態の子供を退屈させないために、塗り絵はとても有益である。私も好きなファン・フィクションを描けてよい気分転換になる。一石二鳥だ。ちなみに台風で2日間家から出られない間も、この塗り絵は非常に役に立った。なんと言っても電源を使用しない。停電しても大丈夫。ていねいに塗っていると、そこそこ長い時間をつぶせる。親子の遊びとして最適だ。

「変身後も描いてほしい」と言われたので「るぱぱとぬりえ その2」も作った。金と銀の色鉛筆があると、より楽しい。

私は人体のデフォルメをするとき、四肢の末端を肥大させる癖がある。これは完全に手塚治虫先生の影響である。吾妻ひでお先生や内山亜紀先生も私と同じタイプであった。私の動物イラストの原点がテディベアやパンダのぬいぐるみにあることも一因なのだろう。とにかく手足を大きく描いてしまう。

ちなみに、現在における人体デフォルメイラストの流行は「手足の先端を細く小さくする」ことである。私も仕事であれば手足の先を細く小さく描くこともある。でも、自分が「可愛い!」と思うように描くとつい手足の先が太くなってしまうのだ。

「絵を描く」という行為には肉体的な喜びがある。特に、好きなものの絵を描いているときに感じる喜びは大きい。好きな対象の絵を描きあげたあと、全身が喜びで満たされるのがわかる。この前腕の筋肉に、この手掌と指に集まったたくさんの小さな伸筋群と屈筋群に、それらにつながる末梢神経と前頭葉に喜びが走る。ただじっと対象を見ることよりも、語ることよりも、関連グッズを消費するよりも、よりよく対象を理解し対象と溶け合うような感覚に満たされる。これは他では得がたい肉体的な喜びの体験である。プールでたっぷり泳いだ後に肌と筋肉が感じる、水と溶け合うような感覚。または緑の森の中を歩いた後に感じる心地よさと爽快感。それらに近いものを感じる。絵を描くことで私は対象を十全に咀嚼し、理解することができる。「絵を描く」ということは愛する対象を「理解する」ことであり、私がどのように世界を理解したかを「表に出す」行為でもある。描画以外では得られない高揚感を私はいま感じている、ルパンレンジャーとパトレンジャーの絵を描きながら。(正確には、医学の絵を描いているときにも私は同じ快感を感じている。絵を描きながら私は、このちっぽけな私は、人類の四千年の歴史とともに続く医学という学問の海に溶けて融合していくのだ。)

例えば私は初美花ちゃんのイヤリングやつかささんの前髪サイドの編み込みの構造に大きく注意が向く。資料をじっくり観察し、丁寧に書こうと心がける。それに対して、VSチェンジャーはもうできるだけ描きたくない。描写も適当になる。なんなら「しまった、どうしてVSチェンジャーを持つ構図にしてしまったんだろう。VSチェンジャーを描くのが面倒くさい!違うポーズにするべきだった!」とさえ思う。

ところが小学生の息子は、私が適当に描いたVSチェンジャーの構造のミスにすぐに気がつくのである。彼は塗り絵をしながら「VSチェンジャーが左右対称じゃない、おかしい」「オレンジ色を塗る部分がない、おかしい」「圭一郎の手の関節がおかしい。肘をひねってる。これじゃチェンジャー持てないよ?」という感想を持つのである(その通りであった)。VSチェンジャーに関しては、わざわざ本物のおもちゃを手元にもってきて赤いパトランプやオレンジのラインや黒い縁取りをわざわざ追加で描いていた。私はうろ覚えで適当に描いて満足していたのに!

それに対して、私が注力して描いた女子の髪型に関してはなんの興味もない。子「つかさ先輩の髪の毛の横、これなに?」母「編み込みだよ」子「なにそれ?そんなのあったっけ?」母「あったよ!ほら!(実際の写真を見せる)」子「あー、いらないよ。これ」という反応である。「いらなくねえよ!むしろ一番重要だよ!」という私の叫びも、彼には響かない。彼は人体の関節の構造とメカの細かい意匠にしか関心がないのだ。「絵を描く」という行為には「興味の違い」が如実に出ることがよくわかる一例である。興味の違い、つまり「世界を見つめる角度の違い」が露骨に出る。私が全力で注視した①まず顔を似せること、②髪型を似せること、③快盗衣装と警察衣装の細かい意匠を四頭身に可愛く落とし込むことに、彼はまったく関心がない。でもVSチェンジャーにオレンジ色のランプが描かれてないことは耐えられない。絵を描くということは対象をより知るということであり、対象に向いている興味が露骨に表に出てしまうことであり、その人が世界をどのように見ているかを(自らの意図よりもずっと赤裸々に)うつし出す行為である。絵を見れば、その人が世界をどう見ているかがわかる。

ちなみにその後、帰宅した次男は変身後のノエルがいないことに耐えられないらしく「エックスは!?エックスいるでしょ。かいて」としつこく食い下がられた。「あ、いや、活動初期ってことでどうですか?ノエルが来日する前の絵ってことで、よくない?だめ?」という私の意見は彼にまったく受け入れられなかった。しかもルパンエックスとパトレンエックスの両方を追加で描かされた。まったく、たとえ塗り絵であっても絵を描くということはその人が世界をどう見ているかを表出させる行為である。画家には世界が彼ら/彼女らの描く絵のように見えているのだ。(2019/10/20)

るぱぱとぬりえ
るぱぱとぬりえ その2
(ご自由にお塗りください)

コンプリートまでの期待値

ラバーストラップコレクション ルパンレンジャーVSパトレンジャー全8種類。
完全ランダム封入。
コンプリートまでの期待値は22個、正確には21.742857142857個です。
(なおそれでも期待回数内ですべてそろう確率は 64 %ぐらい)
今回は12個買ってみました。

さあ開封式です。

揃いました。やったね。8種類あるガチャを12回引いた場合コンプリートする確率は9.3306424096227%ですから、「よっしゃラッキー!」と叫んでいいでしょう。
「統計をやっていてよかった」と思うひとときです。

 

こちらは全20種のシール入りウェハースです。

完全ランダムならばコンプリートまでの期待値は72個です。でも大人ですから、大人らしく、大人買いつまり20個入りの一箱まるごと買いました。全種揃っていることを期待します。

よかった、揃いました。「大人になってよかった」と思うひとときです。
キュウレンジャーの皆さんはスコルピオ兄貴も含め、役者さんの美麗な顔面が映っています。ルパパトはガワのみですが、スタイリッシュでいい写真です。ウェハースが思ったよりも大きくて、なかなか食べきれません。詳細はこちら

 

さて、2012年にメダカカレッジ&大上先生と一緒に作った数学の新書『マンガでわかる統計学』が最近好調です。発売当初からAmazonでずっと上位をキープしているわりに、店頭ではあまり見かけない、かつみんなが読んでいるように見えてあまり言及もされない、不思議な動向の本です。Amazonでは長い間さまざまなジャンルでトップセールスを維持し、2019年10月現在、いよいよAmazonで「森皆ねじ子」と検索すると、医学書よりもこの本がトップに来るようになりました。恐ろしい。もう7年も前の本なのに、不思議です。「ものの売れ方」って本当に予想がつきませんね。売れるにしても売れないにしても、売れる時期にしても、一筋縄ではいかない。作者の思うようになんて少しも動いてはくれません。もちろん当時も全力で、「売れるように」というありったけの願いを込めて制作していたわけですが。正直、こんなにロングテールの商品になるとは予想していませんでした。ありがたく思います。

表紙の推移をここにまとめておきます。

最初。中がこれ↑で帯がこれ↓でした。

好評だったので帯が表紙に出世しました。↑

↑深帯、という名前の実質二重カバーになりました。『マンガでわかる統計学』は深帯にしてから非常に好評です。上品な新書っぽさがよいのでしょうか。ブック・デザインの大勝利。プロってすごいですね。

ちなみに表紙に選ばれた絵は表紙用に描いたわけではありません。マンガの中の一コマです。よく見ると細かいところに「あら」があります。狼の足が地面にめり込んでいたり、足首が奇妙な形の人がいたり、ウサギさんの身長がそれほど高くなかったり、なぜか先頭にねじ子がいたり。いやー、なんでこの絵が選ばれたのか、私にもわからない!でも!どんな小さなコマのどんな絵も、手を抜いて描いてはいけないってことだけは!わかる!いちど世に出したあとは、どんな使われ方をするかわかったもんじゃないから!まさか表紙になるとは、油断してた!(2019/10/10)

 

Once Upon A Time in AKIHABARA<各論>


POARO / Once Upon A Time in AKIHABARA
2002年当時の秋葉原。

秋葉原もずいぶん変わった。この曲がリリースされた当時の私も「秋葉原はずいぶん変わったなぁ!」と思っていたが(URL)そのときからもずいぶん変わった。

この曲が出たのは、電気工学とパーツの街だった秋葉原にアニメキャラの看板が乱舞するようになり始めた時期である。自らがオタクでありながらも、私は街の変貌に困惑した。

「電車男」というテレビドラマが大ヒットし、秋葉原は「オタクの街」として一躍有名になった。美少女アニメキャラの看板が舞い踊り、メイドと地下アイドルが大量に集まって一大ムーブメントを作り、外国人観光客が押し寄せ、静岡から来た男が歩行者天国で通り魔事件を起こした。いまやそんな時代すらも過去になった。今の秋葉原にはもう、バスケットボールコートも石丸電気も紙風船もメッセサンオーもアソビットシティもアキハバラデパートも交通博物館もボウルズボールBBもない。再開発が進み、大型ビルがにょきにょきと生え、ラーメンとケバブとおでん缶しかなかった(だから「一食くらい食わなくても死なない」というPOAROのリリックが心に響いた)食事場所は格段に増えた。秋葉原にすらタピオカ屋が生えていて笑っちゃった。様々な国の観光客がポケモンやドラゴンボールや美少女フィギュアを買い漁りに来る、日本を代表する巨大エンターテイメント街になったのだ。

もちろんそんな周囲の喧噪は意に介さず、電気街としての秋葉原は存在し続けている。秋月電子と千石電子と謎のジャンク屋は相変わらず健在だ。ガード下のパーツ屋のたたずまいも変わらない。闇市だった戦後当時から存在するアダルトショップは、中国語で呼び込みの放送を流す観光客向けテンガショップに生まれ変わっていた。たくましすぎる。これらの店が存在している限り、秋葉原はきっと変わらない。

●ハロヲタ兼特撮おもちゃ好きのための秋葉原巡回ルート2019年版

秋葉原駅に到着→ラジオ会館を下から上へざっと流す(特撮関連商品があるのはハピコロ玩具、あみあみ、宇宙船、アキバのエックス、イエローサブマリンなど) → ジャングル2号館 → 千石電子 → 秋月電子 → カルチャーズZONE1階のらしんばん秋葉原店新館(特撮DX玩具とフィギュア) → 同じビル3階のTRIOカルチャーズZONE店でハロプロの中古商品を探す → まんだらけコンプレックスを上の階から下の階までざっと流す(7階に特撮DX玩具)→ 駿河屋秋葉原本店3階(おすすめ。特撮玩具がワンフロアにあり便利※1)→トレーダー本店で仮面ライダーの玩具とDVDチェック(扱いは少ないが相場より安い)→ 駿河屋アニメ・ホビー館3F(おすすめ。特撮玩具山盛り※2)→リバティ8号館(おすすめ。特撮玩具山盛り※3) → ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ → 買いたいものがある場合は秋葉原駅方面へ戻る、特に戻る必要がないときは末広町駅から帰る。

※1※2 同じ駿河屋でも店舗によって値段が違うので注意。
※3 DX玩具は3階、ガチャガチャと食玩は7階にある。フロアが分かれているのが難点。相場より値段が高い。そのせいもあって古い作品の在庫が潤沢に残っている。商品の種類の多さは抜群で、「放送当時はこんなものを売ってたのか!」という古典作品玩具との様々な出会いがある。一回しか来店できない観光客が多い秋葉原という立地に合っていると思う。ゴーオンジャーのガチャガチャの炎神があんなに揃っている実店舗は初めて見たし、シンケンジャーやジュウオウジャーのスィングが今でも手に入るのなんて秋葉原でもここくらいだろう。

今日一番の収穫は、TRIOカルチャーズZONE店のハロプロのショーウィンドウにハロメンのフィギュアスタンドキーホルダーが全50体くらい並べられているど真ん中に、新木優子さんのサイン入り卓上カレンダーが鎮座されていたことです。可愛い女子に囲まれた新木優子さんは、満面の笑顔でとてもとても幸せそうに見えました。ディスプレイした人は、ハロプロのことも周辺文化のことも、完全にわかってるな。

放送当時品切れで手に入らなかったビルド&ルパパト夏映画のパンフレットと勇動パトレン1号とノエルのミニプラセットも手に入りました。やった。次の休みは勇動スーパーパトレン1号とミニプラVSXを自作しよう、そうしよう。(2019/9/6)

Once Upon A Time in AKIHABARA<総論>

自由な時間が一日できると、私は今でもひとり秋葉原に行く。

秋葉原は夢の国だ。自分の大好きなアニメや漫画やゲームやアイドルや特撮の、フィギュアや写真や本や映像媒体や買い逃したグッズやコンプリートし損ねたコレクションアイテムを探すために、街を一日中くまなく歩きまわってしまう。薄汚れた雑居ビルに入り、狭い階段を登って、興味ないジャンルの商品の山をかき分けながらお目当ての棚にたどりつき、品揃えを確認し、商品の値段と状態と適正価格を調べ、かごに入れたり、棚に戻したりする。前の店の値段と比べて前の店のほうが安ければ買いに戻る。今の店が安ければここで買う。

秋葉原に行くと自分が歳をとったことを忘れる。自分の年齢も忘れ、自分の性別も忘れ、自分の職業も溜まった仕事も家事も家族構成も来し方も行く末も、何もかもを忘れて私はただの「消費者」になる。秋葉原を歩く私は完全に「無」の存在だ。自我を持った生命体ですらない。秋葉原で架空の世界の玩具を探す私は、完全なる世界の傍観者になる。

まんだらけの狭いエレベーターに乗りあわせた私たちは、さまざまな国籍のさまざまな人種のさまざまな性別のさまざまな年齢の人間だけれども、それぞれにみな無であり、それぞれみな「私」である。私みたいな人ばかりだ。「私は一人ではない」と、確かに私はそのとき実感する。私はあなたであり、あなたは私だ。夢中になっている対象はそれぞれ違うけれど、あの街の狭い雑居ビルのエレベーターに乗りあわせたあなたは私であり、私はあなたなのだ。誰も私のことを気にしない。私も誰のことも気にしない。どんな服であろうとどんなかばんを持っていようとどんな靴を履いていようと、どんな顔や体型や髪型であろうと、男であろうと女であろうと若かろうと老人であろうと、なにもかもすべてどうでもいい。そんなことより、これから行く店にどんなフィギュアとガチャポンと食玩と同人誌が置いてあるか。その方がずっと重要なのだ。

すべての目的地を回り、欲しいものを買い、今日は手に入らなかった商品を把握し、訪れるべき店もなくなったところで私はふと立ち止まる。お腹がすき、足も疲れ、行くところがなくなった私は我に返り、桃井時計を見上げる。そしてふと気が付く。私には何もないと。私の人生には何ひとつないと。人生には何もなく、私はこのまま死ぬ。何もないまま死ぬ。私は特別ではない。歴史に名を残すこともない。人類に貢献する仕事を成すこともない。何もないまま生き、何もないまま死ぬ。死ぬんだよ。そんな思いが去来する。目の前の看板の可愛らしいアニメ塗りの美少女は巨大な瞳孔をめいっぱい開きながら、その中には何も入れず、ただこちらに顔を向け微笑んでいる。

この感覚を感じるまで私はこの街を歩き、満足して帰路につく。私は肩に食い込むかばんの紐の重みだけを感じながら人混みとともに秋葉原駅の自動改札機に吸い込まれ、プラットホームへの階段を登る。このかばんの中身を少しずつ開封し、消費しながら私はこれからの一週間を生きていく。(2019/09/04)

ゲリ・ル・モンドと現代の懲罰

「大切な人を取り戻すために戦う」というテーマがゴーバスターズと重なっていることもあり、ルパパトとゴーバスターズはよく比較対象になっていた。ゴーシュが持っていたキーアイテムであるルパンコレクション「ゲリ・ル・モンド」の元ネタがゴーバスターズの武器だった関連もある。ゴーバスターズが失った大切な人たちは、結局最後まで帰ってこなかった。ルパンレンジャーの大切な人たちは果たして帰ってくるのかどうか?これは物語をつらぬく根幹の議題であった。

私は一年間ずっと「大切な人たちは帰ってこない」と思っていた。ゴーバスターズが大好きだから、「大切な人たちは帰ってきてはいけない、帰ってきたら都合が良すぎる」とすら思っていた。化けの皮の作り方が判明してからは(ザミーゴ・デルマのデルマって、そういう意味だったのか……)大切な人たちのうち誰か一人くらいは化けの皮の姿で登場し、快盗の顔が絶望にゆがむとさえ思っていた。

「快盗の正体がどうやってばれるか」はもう一つの物語の注目ポイントだ。視聴者はみな楽しくその状況を予想していた。放送中は「ルパンレッドがパトレン1号をかばって変身がとけるorマスクが割れる」という予想が最も多かったと思う。兄を突き飛ばして行方不明になる要因を作った魁利くんが、兄によく似た圭一郎のことは身を挺して助けることができた=成長、というベタながらも熱い展開を予想する人は多かった。もちろん私もそうなるだろうと思っていた。警察をかばった快盗(魁利くんが圭ちゃんをかばう or 初美花が咲也をかばう)→ 快盗はそのせいで死ぬ、またはどっかいく → 警察が全力で快盗を助けにいく → 和解 → 共闘 → 働きを認められ恩赦、という王道の展開だ。

しかし、誰も予想しなかった方法で正体はバレた。仮面を「自ら」外すさまを「全世界公開生中継」するとは思っていなかった。

我々はなぜかみな「警察、しかもパトレンジャーだけに正体がばれる」と思い込んでいたのだ。GSPOの諸君はすでにジュレの彼らの人柄と事情をよく知っているから、ルパンレンジャーの正体がわかっても決して悪くは扱うまい。プライバシーを尊重して余計な公表もしないだろう。彼らの功績を踏まえて、罪を帳消しにしてくれるかもしれない。そこまでいかなくても、減刑と社会復帰に協力してくれるのでは?と見積もっていたのだ。その見積もりは甘かった。結局、番組を見ていた誰もが警察「だけ」に正体がばれると思い込んでいた。

現実でもよくあることだ。警察沙汰や逮捕案件はこの世にいっぱいあるけれど、実名報道されるのはほんの一部である。実名と外見が世間に公表されるかどうかで、その後の容疑者が送る人生はまるで違う。保釈後の生きやすさが全然違うのだ。「知り合いの範囲だけで過去の悪事がさらされる」のなら、社会復帰は比較的たやすい。逆にこのネット社会において、本名や顔が報道されて個人情報が残ってしまうとダメージが非常に大きい。

悪役のボス・ドグラニオはそこまで考えたうえで、素顔の全世界公開に踏み切ったのだろう。さすがである。一味違う。最高にゲスい。器の広い好々爺にしか見えていなかったドグラニオ様の外道っぷりは、この行為でぐんと増した。彼は確かに外道の世界のボスである、と我々にじゅうぶん感じさせる描写であった。「なんて残酷なことをするの!さすがはギャングだ!いい趣味してんな!」って私も思ったもん。この世で一番恐ろしいのは親身になってくれる警察ではない。無責任で善良な一般市民の、保身に基づく集団行動である。いつの時代もそうだ。

誰も予想しなかった方法での正体バレを見た私は一転して「ここまで犠牲を払ったんだから大切な人たちは絶対に帰ってきて!帰ってこなきゃダメでしょ!」と思うようになった。それまでずっと「大切な人は死ぬでしょ、なんなら皮になって帰ってくるよ!うっしっし!楽しみ!」とさえ思っていたのに。全世界生中継を見た瞬間に「快盗たちの失ったものが大きすぎる。ここまでの犠牲を払ったんだからルパンレンジャーの諸君には願いを叶えてほしい」と切に願うようになってしまった。

だってこれでは彼らの大切な人が戻ってきても、一緒に暮らせないではないか。2年前と同じ穏やかな暮らしはとうてい望めない。帰ってきた魁利君のお兄さんも弟が心配で仕方ないのではないか、彩さんは透真と穏やかな新婚生活など送れないではないか、初美花は自分の服飾の夢が叶わないし、しほちんも親友を思って苦しむのではないか。それでいいのか、いやよくないだろ。あ、それでもいいから大切な人たちに生き帰って欲しかったのか?すげぇな。でも、その大切な人の隣に自分はいなくてもいいの?本当に?

つまり私は「実名」と「顔」の「全世界公開」が今の時代において最も重い懲罰であり、耐えがたい苦痛である、と認識していることになる。その通りである。このSNSとスマホの時代において最も重くてどうにもならない懲罰は「デジタルタトゥー」である。そんな残酷な現実をルパパト制作陣は視聴者の子どもたちに突きつけてきた。うーん、恐ろしい。確かに私も「快盗はあそこまでの犠牲を払ったんだから、彼らの目的はなんとしても達成されて欲しい」と思うようになっちゃったよ。宇都宮Pは初めからこの展開を考えていたはずだよね。うちのルパンブルー推しの小学生男子も48話を見た直後にぼそっと「透真……。48話冒頭で夜逃げしていた方がよかったな……」とつぶやいていたよ。「むやみに自分の名前や住所をネットに書くな、教えるな。自分の写真を絶対に送るな」という教育はいまや小学校でもよく行われている。「一回ネットに流した情報は一生消せない。絶対に消せない」という文言とともに。

ルパンレンジャーとしてのデジタルタトゥーがばっちり残ってしまった彼らの将来はいったいどうなるんだろう。特に未成年で手に職もない魁利と初美花は、どうやって自立して生活していけばいいんだ。あのリアリティーのフィクションラインの日本社会では、元の生活に戻ることも一生快盗を続けることも難しいだろう。保険もないし病院にも行けないし外出や買い物もままならないだろう。やだよー、初美花ちゃんが怪我や病気で苦しむの見たくないよー。ねじ子はルパン家に独自の高い医療技術があることに一縷の望みをつないでいたのだけれど、49話で市販の瓶入り鎮痛剤(おそらくアセトアミノフェンかアスピリン)をガバ飲みしている魁利くんを見た瞬間にその線は消えた。やべぇ、ルパン家の医療水準は低くて古いぞ。現在日本の医療技術があれば、あんな無意味なことはさせない。肝臓を壊すだけだ。ロキソニンを普通に1錠飲ませて、6時間後にも飲めるようにもう1錠手にもたせる。あ、ひょっとしたら外国からオキシコドンを密輸入している可能性もあるか……。褐色の瓶だしな……。だとしたらある意味ルパン家の医療水準は驚くほど高いな、完全非合法だけど……。圭一郎と咲也じゃなくても一刻も早く快盗辞めさせたくなるな……。

結局ルパンレンジャーは全員、劇中の「勝利条件」を半分しか満たしていないのだと思う。透真はこのままじゃ彩さんと結婚できないし、初美花は服飾の夢も咲也への淡い恋心も捨てなくちゃいけないし、初美花の両親はあまりに気の毒だし、魁利くんだって一生怪盗はつづけらんないでしょ、仕事どうするの、「おれ怪盗向いてるわ」と自虐的に語っていた伏線はどうするの、お兄さんともそこそこは一緒にいたいでしょ。ルパンレンジャー最大の目的「大事な人を取り戻す」は果たされたものの、それは彼らの勝利条件の半分に過ぎない。半分のままで諦めるのか、諦めないのか、どちらにしても社会とどう折り合っていくのか、決意や結末は語られていない。ノエルの「勝利条件」に至っては完全に道半ばであり、何の結論も出ずにストップしている。

もちろん今後の客演や追加映像やヒーローショー等を考えて、とりあえずTVシリーズを終わらせるための「最終回」としてベストの状態で「時を止めた」ことはわかる。どうにでもできる、非常にいいところで止まっていると思う。あれだけ壊滅的なテコ入れを受けながら本当によくここまで素晴らしいドラマが続いたと思うし、最高の最終回を迎えたと思う。スーパーパトレン1号が出てきたときに我が家では拍手喝采が巻き起こったよ。スーパーパトレン1号の肩のトリガーを2号と3号がつかみ後ろから支えて一緒にストライクを撃ったときはスタンディングオベーションが巻き起こった。日曜の朝から布団の上でパジャマでスタンディングオベーション。いったい何をやってるんだ。

よっすぃ~こと吉澤ひとみcが逮捕された週という神がかり的なタイミングで放送されたヨシー・ウラザー回は、「司法取引」という制度を子供たちに説明するための回であった。これは将来的にルパンレンジャーに司法取引制度を適応するための伏線だったと私は今でも思っている。そうじゃなきゃあの回、いらないでしょ?いつか司法取引するんでしょ?司法取引して共闘するんでしょ?なんならルパンレンジャーも警察の外部戦力になるんでしょ?私は今でも勝手にそう信じているのだけれど。三谷幸喜さんも「いつかみんな警察戦隊になる」って予想してたじゃん。将来の客演のためにVS構造をある程度引っ張りたいのはよくわかるし、ダブルレッドがゲストで出てきて小競り合いするたびに客席がキャッキャッと沸く姿は容易に想像がつくけれど、うーん、いつまでやるんだろう?このままではノエルの結論はいつまでたっても出ない。彼らが対立をやめるのは10years afterになってしまうのだろうか?わたし、そこまで生きていられるかな?初美花ちゃんに社会復帰して夢を叶えてほしいし、咲也さんとの淡い恋の行方が見たいと願ってしまうのはおたくである私の勝手な思い入れなのかな?

結論として最終回には大満足してる、想像の余地が残っているのは素晴らしいと思う、かつ、今後も展開があると信じている。ギャラクシー賞も取ったことだし、Vシネクストかスピンオフやりませんか?だってさ、あと一回、あと一回なんだよ!あと一回あればスーパールパンイエローがこの目で見られるはずなんだよ!!!!!!!!!!!(本音が出た)!!!!三谷幸喜さんも一回くらい脚本書いてみてくれませんでしょうか。大それた願いだってわかっても、口に出してみた。「口に出したことは叶う」っていうし。もう恥も外聞もなくルパパトの新規映像が見たい。見たいんだよぉ!どうすればいいんだよぉ!!DXおもちゃだって全部買ったよ、ブルーレイも手に入るものは全部買った、関連書籍も全部買った!「『南山堂医学大事典』より高い児童書」こと『てれびくん超全集』だってブツブツ文句言いながらも買ったよ!ブログだってたくさん書いた!!これ以上何をすればいいの!?ふがー!教えてよアルセーヌ!!!!

※ 以下自分用メモ 回収して欲しいネタ一覧 ※
・そもそも誰が警察に装備を流したか。ノエル?悟(化けの皮前)?悟(化けの皮後)?
(ちなみに私は化けの皮前の悟、小学生の息子は化けの皮後つまりナリズマが横流ししたと予想している。警察の装備を作ったのはノエルだけど、装備を流したのはノエルではない、と考えている根拠は、警察に輸送されるときグッドストライカーが雁字搦めに束縛されていたこと。ノエルならばグッディを説得することができるはずだし、ノエルは友達にそんなことしないと思う。よってグッディの輸送はノエルの意思ではない=横流しはノエルの意思ではない、と予想。)
・ついでに言うと「もう一人のパトレン2号」最後の悟は何者だったのか
・ノエルは最終回の後、警察組織にいるのかいないのか、日本にいるのかいないのか
・ルパンコレクションのコンプリート特典はいったい何か
・アルセーヌが100年前にかなえた願いとは何か
・「ギャングラーの本体は金庫である」というギャングラーと異世界人とコレクションの関係性
・そもそもルパンコレクションって何?誰が作ったの?
・最終回後の快盗の社会復帰の度合い
・透真と彩さんの結婚式
・没音声であるルパンブラック・0号・マイナス1号の回収
・Wヒロインアイドル回(しつこい)(別に回収されるべき伏線でもない)
・オープニングの初美花の後ろ歩きの伏線回収はもう諦めた

以上です。大人財布用意して待ってます。(2019/9/1)

「とても勝てない……」

2019年6月、TVアニメ『シンカリオン』の放送が予兆もなく突然終わった。4月から2期の放送が始まったばかりだというのに、驚いた。その2ヶ月後の夏休み、我が家に大量のシンカリオンが入庫した。「もうシンカリオンは誰かにあげちゃっていい」「空いたスペースに新しいおもちゃが欲しい」というお子様のおうちから大量に譲り受けたのだ。昨年販売されたシンカリオンがこれでほぼ全種揃った。私たちは昨年ルパパトとビルドとジオウのおもちゃに夢中になりすぎて、シンカリオンをそれほど買っていなかったのだ。具体的に言うと主役4人のマシンしか買ってなかった。

合体パーツが多い6000円以上もするシンカリオンを、私はそこで初めて手にした。シンカリオンドクターイエロー、ブラックシンカリオン、500系こだま、そしてシンカリオントリニティだ。どれ一つとっても、おもちゃとして素晴らしい出来である。このうちの一つでも2019年の発売であれば、今年のおもちゃ大賞はDXキシリュウオースリーナイツセットではなくシンカリオンシリーズが取っていたのではないかと感じる※1。それくらいどれも独創的でかっこいい。組み立て方法は革新的であり、変形は大胆で複雑。かつ子供にもじゅうぶんできる形状。デザインもかっこいい。何より一箱で完結する。この手の合体ロボおもちゃにしては、安い。プラレールとしても自走する。これはすごい。大人の私でもわくわくする。変形しながら私は思わず感嘆の声を上げてしまった。

特にブラックシンカリオンの自由度とジョイント構造は、今年の戦隊合体ロボであるキシリューオーに強く影響を与えていると私は思う。キシリューオーの「竜装ジョイント」は、ブラックシンカリオンの黄色い羽パーツを自由に刺せるギミックと同じアイディアだ。ブラックシンカリオンは1つ穴で、竜装ジョイントは4つ穴という違いはあるけれど。

私は下を向いてブラックシンカリオンをかちゃかちゃといじりながら、「とても勝てない……。こんなのとても勝てないよ……」とつぶやいてしまった。心根から出た気持ちだった。私にシンカリオンをくれた5歳の少年の耳にそのつぶやきは拾われてしまい、「えっ?なにが?ブラックシンカリオンは強いよ?」と不思議がられてしまった。「あ、いや、勝てるよね、強いよね!ドクターイエローもブラックシンカリオンも強い!」と笑ってごまかした。

こんないい商品に、ルパパトの玩具はとても勝てない。デザインも、プレイバリューの高さも、可動の多さも、盛り込まれた変形ギミックの数も、アイディアの量も、値段も、売り方のわかりやすさも、映像とのマーチャンダイジングの上手さも、何もかも上をいっている。完全に負けた。完敗だ。ブラックシンカリオンもシンカリオンドクターイエローも500系こだまもシンカリオントリニティも、どれもこれも本当によくできているよ!

そして、そんなよくできたおもちゃであるシンカリオンでさえも適齢期の少年には簡単に飽きられ、たった半年で手放されてしまう。なんたる非情。私は現実に打ちのめされた。これが子供だ。興味がどんどん新しいことに移っていく、それが子供達の日常であり健全な成長なのだ。去年終わった戦隊のことをいまだ引きずってグズグズ泣きながら長文を書いているのは、大人でありおたくである私一人なのだ。圧倒的な現実の残酷さに私は打ちのめされている。そして里子に出された先である我が家のおもちゃ箱でも、シンカリオンの出番はそれほど多くない。息子たちはすでに、さっそく手に入れた飛電ゼロワンドライバーとエイムズショットライザーに夢中である。それでこそ子供だ。

それでも私は、少し壊れた状態でやってきたシンカリオンドクターイエローを修理するために、夜中一人でyoutubeの玩具レビュー動画を見ながらプラスドライバーを握っている。ドクターイエローの構造はむずかしく、いまだに立ちポーズの作り方すらよくわからない。でも私にこれをくれた小学生と保育園児は、完璧に組み立てて完璧に元に戻していたなぁ。このくらい複雑な構造でも全然いけるんだなぁ。ジュウオウジャーの最初のDXロボとか簡略化されすぎてて子どもすら引いてたなぁ。低年齢児童のためにシンプルを目指したのかもしれないけど、そんな必要なかったよなぁ※2。そんな事を考えながらドクターイエローを頑張って修理しても、果たして子ども達は遊んでくれるのだろうか?わからない。それでもやる。

子供向けのおもちゃを売る商売は霞をつかむような生業だと思う。何が当たるのかさっぱりわからない。先がまったく読めない。外した場合の損失が大きいし、必要以上にあたってしまった場合の在庫管理も難しい。少子化で子供の絶対数が減ったうえに、親の多くは氷河期世代である。我々の世代の平均賃金は極端に少ない。その中での勝負である。こんな大博打を何十年間も何十億もかけてやっているバンダイと東映は、素直に尊敬に値する。なんだかんだ言って私は仮面ライダーディケイド以来、11年間連続で仮面ライダーの変身ベルトを買い続けている。あ、サンタさんが勝手に届けてくれたのもあるわ。サンタさんってば、親の意思に反して子供のお願い通りのものを勝手に届けてくれるから困っちゃうよね。サンタさんにお手紙書かれたら、しかたないよね。今年のサンタさんは一体何を届けてくれるのかな。楽しみに待っているよ。

※1リュウソウジャーは剣の武器が最も子供受けがよい。ニンニンジャーの剣以来の「ちゃんとした」剣のおもちゃだ。嬉しい。近年ちゃんとした剣のなりきりおもちゃが出ていなかったから、これはいい商品だと思う。ちなみに「ちゃんとした」剣のおもちゃとは、①音が鳴る ②光る ③可動部がある この3つを満たしていることである。これを満たしていないDX玩具のなんと多かったことか。ドリルクラッシャー君、ニンニンコミック君、ルパンソード君、パトメガボー君、ジカンギレード君、ジカンデスピアー君、アタッシュカリバー君、君たちのことだよ。
※2ジュウオウジャーの最初のDXロボは足が分離されず、あまりに稼動が少ない串刺し変形であった。最後まで見ると、14個ものキューブが可動変形合体する圧巻の全合体が見られるのだけれど……。(2019/9/16)

○○ロスの正体

ルパパト放送終了後、ルパパトロスをこじらせた私はルービックキューブをはじめた。もちろん目標は「ルービックキューバー」になることである。

半年かけ、私はついに一人で6面を揃えることができるようになった。子どもの頃から幾度チャレンジしても、まったくできなかったのに。ありがとう工藤。あなたのおかげだ。この歳になっても新しくできることが増えて嬉しい。まだまだ成長できる、その事実が嬉しい。

ルパパトロスへの薬として私は今、『ジュウオウジャー』と『ファントミラージュ』を交代で見ている。同じ香村脚本であるジュウオウジャーと、初美花ジェネリック感の強い衣装で何の憂いもなく「大切な人を守りたい!」と宣言するファントミ女子を見ていると、なんだか胃の中で混ざって回腸のあたりでルパパトかのような成分を摂取している気分になれる。周囲の人間には「体感幻覚では?」と指摘された。

すべてが終わった今だから言うけど、私は朝加圭一郎に何度も鞘師里保の面影を見ていた。まっすぐな黒髪、白い肌、小さい顔、意志の強そうな黒い眉、涼し気な奥二重から放たれる鋭い眼光、薄い唇がムニュッと波型に結ばれる笑い顔。赤を身にまとってセンターに立つ姿。ほら鞘師。鞘師でしょ。しかも隣にはお姉さんピンクと2人の緑がいるんだよ!?え、これ奇跡じゃね?これはもう9期でしょ!9期だ!やったあ!

私は大上先生に意気揚々と伝えた。

私「朝加圭一郎って鞘師にそっくりじゃない?顔がすごく似てる」
大上先生「……。君は鞘師が恋しすぎて、目がおかしくなってるんだね」
私「そんなことない!ほらこのスレッド見て!みんな鞘師と1号が似てるって言ってる!同じこと言ってるハロヲタ、たくさんいるよ!」
大上先生「それはみんな同じ病気の人でしょ」
私「え」
大上先生「患者会が開催されている場所だって言ってるの、そこは」
私「え?そうか、ここに『りほロス』患者が集まっているのか。え、それにしても、客観的に見ても似てるでしょ?奥二重だし唇薄いし黒髪だし色白だし赤い服だしセンターだし」
大上先生「……いや、そこまでは似ていない」

信じられなかった。私は朝加圭一郎がアップになるたびに鞘師を思い出していたというのに。30分の放送中で最低3回くらい鞘師の面影を見ていたのに。そっくりではないか。

ところがである。

2019年3月の「ひなフェス」で本物の鞘師が帰ってきて圧巻のステージを見たあとにルパパトの朝加圭一郎を見たとき、私はまったく鞘師を思い出さなかった。そこにいるのは朝加圭一郎という成人男性そのものだった。「なーんだ!ぜんぜん鞘師に似てないじゃん」と思った。その時期にちょうどファイナルライブツアーを観劇したため、魁利くんの「やっぱり兄貴とぜんぜん似てねーわ」という台詞に私の気持ちはぴったりと重なった。わかる、わかるよ魁利くん!魁利くんも兄が突然いなくなって、会いたくても会えないからこそ、兄ちゃんと圭ちゃんを重ねて見ちゃったんだよね!本物の兄が帰ってきて、二人を同時に見比べることができるようになったら「ぜんぜん違う」って気付くよね!私も同じだよ!!兄貴じゃなく鞘師だけど!!!!朝加圭一郎を見て「なんだ、ぜんぜん鞘師に似てないじゃん」って思った、私も!期せずして魁利くんの追体験をしちゃったよ!

さらに、ところがである。

ひなフェスのあと鞘師は再び表舞台からいなくなり、何の音沙汰もなく数ヶ月が経過した。そのころ私は期間限定上映の映画『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』を見に行った。そしたらね!画面の中の朝加圭一郎がもう何度も何度も何度も何度も何度も鞘師に見えるんだよー!うわーん!私はもうだめだー!病気だ!わかってる!病識はある!また「りほロス」になってるんだよおおお!しかも今後はりほロスのうえに、ルパパトロスまで加わるんだよ!!ひーん!私はもうだめだー!もう圭ちゃんでも兄ちゃんでも鞘師でもなんでもいいから、早く帰ってきてえぇぇぇぇ!

……そして私はいままた、性懲りもなく『ファントミラージュ』のファントミダイヤが鞘師に見えているし(赤だし、涼しげな目元だしダンス上手いし)さらにそのうえ『仮面ライダーゼロワン』のイズが鈴木香音ちゃんに見えている。だってさ、くりっとした目、ぱっつん前髪のおかっぱ黒髪、胸の曲線が際立つ銀色の衣装、しかも緑だよ。これはもうまじで香音ちゃんでしょ。『恋愛ハンター』の香音ちゃんだよ。わーい!やったー!かのんちゃんだー!かのんちゃんだー!わかってます、私はもうだめです。

※追記 鞘師はその後RIHOMETALとしてステージに帰ってきてくれました。ありがたいことです。複雑な気持ちを抱くハロヲタも多いとは思いますが、私個人はRIHOMETALを大歓迎しています。小学生だったアクターズスクール広島時代から続く鞘師とすぅちゃんの歴史が10年以上経った今でも続いていること、お互いのピンチに手を取り合ったこと、その協力が世界的な大舞台の上で行われていることがとても嬉しい。私は歓喜の涙を流しています。世界中のメイトのみなさん、鞘師をよろしくおねがいします。あ、鈴木香音ちゃんとルパパトはまだ帰ってきていません。(2019/9/10)

今日は一日 #ハロプロ三昧 を聴きながら

2019年8月16日金曜日の夜。

他人の病気を治し他人を健康にするために自らの身を削り精神の安寧を持ち崩している現状にひどく疲れ、汚いシーツの上でひとりうつ伏せになってNHK-FMの8時間生放送『今日は一日#ハロプロ三昧』を聴いていたら涙が流れてきた。

ラジオの終わりには『Happy大作戦』が流れた。この曲は疲れた心に染みわたる。「そうだ、もっと良いアイディアいっぱい出し合って切磋琢磨するしかない」そうだよね。それしかないって、わかってる。わかってるんだけど。こんな私だって、「恋も仕事も勉強も全部100%手は抜かない」で、ここまで頑張ってきたんだよ。

「世界はー!あーぁ!ひーとつー!」という歌詞でこの曲は終わる。でも。世界は本当に一つなのか?私にはそうは思えない。世界は隙あらば自分以外の他人を糾弾し、自分と違う属性を持つものを下に置き、立場の弱い人間から搾取する構造を構築する。今の私にはそのように思えてしまう。ああでも確かに、このラジオを聴いている間だけは!世界は一つだ!私たちは大きな「愛」という名の糸で繋がっている。そう思える。放送ブースにいるキラキラした娘たちと、夜中に一人部屋でradikoを聴きながら泣いている私と、私と同じように一人部屋でスマホを抱える孤独なリスナーたち。今まさに全員が電波の糸で繋がっている。同じ気持ちを抱えてこの夜を過ごしている。

そして放送が終わった瞬間、私たちはまた一人になる。空に向かって突然放り出されたような浮遊感が私を包む。

ハロプロの可愛い女の子たちを守るためだけに生きていけたら、どんなにかいいのに。

こんな私でも、疲れた金曜日の夜にそう思ってやまないときがある。

『46億年LOVE』という曲の中で「夢に見てた自分じゃなくても真っ当に生きていく今どき」と、雨子は語っていた。この曲は同時代性が高い歌詞として若い女性ファンたちに受けている。さっきラジオでそう言っていた。

でもね、私たちの世代は真っ当に生きてきたのに、気付いたら夢に見ていた自分からかけ離れていたんだよ。その乖離はどんどん広がって、もう取り返しがつかない。「取り返しが付かない」という残酷な現実が、今まさに私たちの目の前に突きつけられている。それが40代氷河期世代の現実だ。私たちの世代は同窓会ができない。同じ小学校、同じ中学校、同じ高校に通っていたのにもかかわらずそれぞれの社会的格差が開きすぎているからだ。私たちの世代は、ニートか引きこもりか生活保護か、派遣切りに何度もあって精神を持ち崩しながらも日銭を必死で稼いでいるワーキングプアか、なんとか正社員になったもののバブル世代とゆとり世代に挟まれた数が少ない世代として、働きづめで疲弊しきっている中間管理職しかいない。誰も同窓会など開こうとしないし、その余力も残っていない。賃金格差が激しいから、集まろうとしたところでどの値段の店を選んだらいいかもわからない。だんだん話題も噛みあわなくなってしまった。自家用車で言うならば、高級車持ちか、車自体を持ってないか。この二択しかない。「あいだ」がないのだ。私たちは分断されている。そして我々の親世代は要介護の年齢になり、自らはたっぷりと年金をもらいながらもなぜか我々の税金や人手を頼ってくる。いったい何を言ってるんだ?我々の世代を雇用せず賃金も上げず棄民したのはあなたたたちなのに?

私たちの世代にとって雨子の歌詞は前後が逆だ。「真っ当に生きてきたのに、夢に見てた自分じゃない」。それが氷河期世代の「今どき」である。女性ならばもう妊娠がしにくい年代になってしまった。男性だって40代で年収が低ければ、結婚相手が見つかる可能性が極端に低くなる。将来への希望がついえた瞬間に、自暴自棄になって世の中に漠然と復讐する人間も出てきてしまう。京アニを放火したクズもカリタス小学校のバスを狙ったクズも、(ついでにその報道を受けて高級官僚の父親に殺されてしまった練馬の無職男性も)ぜんぶ私と同世代だ。彼らや彼らの犯した犯罪を擁護するつもりは毛頭ない。彼らに殺された人たちもまた、私や私の子供と同じ属性をもつ弱い人間なのだから。彼らは残念ながら強い人間を狙わず、自分よりさらに弱い存在に牙を向ける。

汚ないシーツの上で一人ハロプロ三昧を聴きながら泣いている私の隣に、宮本佳林ちゃんみたいな女の子がそっと寄り添ってくれたらどんなにかいいのに。でも、そんな瞬間は私たちの元には永久に訪れない。この先も一生そんな瞬間は訪れない。自分には無縁のことだ。それに気付いてしまった。40年間ずっと真っ当に生きて、自分なりに手を抜かずに死ぬ気で勉強して死ぬ気で働いてきたのに。自分たちを取り巻く世界はもう永遠に変わらず、我々の世代が報われることはないと、私たちは気付いてしまった。

私も現世で徳を積んで、来世はハロプロに楽曲が提供できるオタクになることを誓う。前世において、私は少し徳の積み方の方向性を間違えてしまったようだ。音楽ではなく医療の方に、映像ではなく書籍の方向に行ってしまった。くそう。(2019/08/16)