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最悪の富士F1

富士スピードウェイに日本グランプリを見に行った。最悪のイベントだった。こんなひどいイベントを私は見たことがない。

予選の行きのシャトルバスは、雨の中1時間待った。その程度なら、鈴鹿でもあったことだし、まだ良かった。
予選の帰りのバスは全く来なかった。見渡す限りの行列と人の群れ。雨が降り続く。雨露をしのげる場所もない。屋根もない。座る場所もない。高地だから寒 い。日没になり気温はどんどん下がる。濡れて体温はどんどん奪われる。あとで聞くと、気温は13度だったという。実際に何度なのかはともかく、そんなこと になるとは誰も予想していないから、防寒・防水の甘い人も多かった。半袖の人も、カッパを持ってない人もいた。ヒールを履いた女の子もいた。赤ちゃんも子 供もたくさんいた。(そんな奴は来るな、という突っ込みは間違っている。鈴鹿では、女性・子供・お年寄りのような「身体的に弱い」人間だって、知恵と十分 な対策を使えば楽しく観戦できた。)大行列だが、1時間待っても5mしか進まない。暗い。照明もほとんどない。お腹も空いてきた。自動販売機のあたたか~ いお飲み物は、あっというまに売り切れた。バス停近くのトイレは大行列だ。間に合わない女の子も、たくさんいた。心の底から同情した。私だって危なかっ た。ちょっと歩けば他の仮設トイレがあったらしいが、そんな情報はなく、しかも友人がバス待ちの行列に代わりに並んでくれている中で、「あるかわからない トイレや売店を探しに」暗闇の山道を遠くまで歩いていくことはできない。その間に友人がバスに乗れてしまったら、次のバスは何時に来るのか永遠にわからな いからだ。

とにかく希望がなかった。それが一番つらかった。まず、この大混乱に関して何のインフォメーションもなかった。「道路が陥没したため、 一車線になりバスが通れなくなった」というアナウンスが流れたのは、たった一回きりだった。しかも19:30。私がバスに並び始めて三時間後だ。電車遅延 でパニックを起こさない基本は「乗客に迅速に状況を伝えること」だという。そんなことすらしなかった。(ちなみに陥没情報は、行列に並び初めて十分後にア クセスした2chではすでに流れていた。)把握するのが遅いのか情報伝達が遅いのか現場の混乱を把握するのが遅いのか指揮系統がなってないのかあるいはそ の全てか。なんにしろイベンターとして最も必要な能力が欠除していると言わざるをえない。

現場は地獄絵図だった。あんなひどい惨状を私は生涯で見たことがない。私はここで死んでしまうかもしれないと、本気で思った。殺される と。人生においてどんな困難も、悲惨な状況におかれても、しかるべき英知と努力と知恵を持ってすれば、必ず一つくらいは希望の光が見いだせると、これまで 私は信じていた。しかし、あの状況ではどんな希望も見いだせなかった。阪神大震災や満州の引き上げって、こういう状況だったのかもしれない。人間を殺すに は、希望を奪うことが一番効果的だ。どんなに英知を尽くしても希望も逃げ道もないということほど、恐ろしいものはない。

歩いて駅まで帰ろうにも、真っ暗な山道を、道もわからないまま、歩き出すことは自殺行為に近い。しかも公式で徒歩は禁止されている(実 際は徒歩で帰る難民も多かった。バス停で雨の中4時間待たされるなら、2時間かかってもいいから徒歩で駅まで行く方が賢い、と思うのも当然だ。)バスを待 つしかないのだ。しかしそのバスは来ない。永遠に来そうもない。何の情報もない。現場の係員に聞いても、誰も何も把握していなくて埒があかない。食料や毛 布などの援助もない。トイレも混んでいる。誰かに車で迎えに来もらうこともできない(周辺は交通規制で一般車立ち入り禁止。)まさにどうにもならない。八 方塞がりだった。雨で濡れて立ちつくして永遠に来なそうなバスを待ってお腹が空いてトイレすら入れなくて屋根もない屋外で4時間半。それが二万人以上。そ んな状況に、この平成も19年になった日本で陥るなんて。

しかも、空のバスが何台も私たちの前に何もせず停まっているのだ。しかもしかも、私たちの目の前を、空のまま発車していくのだ。どうや ら、「○○行きは何台」と、駐車場ごとにバスの台数が決まっていて、それをこなしたら終了であり、行き先の違うバスを、臨機応変に別の行き先に変えるとい うことすらしないらしい。我々乗客も、「あっちの方が空いてるから」といって臨機応変に行き先を変えることができない(公式で禁止されている。)誰も乗せ ずに腐っているバスを何台も見て、心の底から殺意が湧いた。なぜ新幹線のように車内を解放しない?雨の山奥の屋外で何千人が濡れて待っているんだぞ。女性 もいる。子供もいる。日本語がわからない上に地の利がなくて不安であろう外国の人もたくさんいる。バスを解放するだけでも随分違うのに、どうしてそんなこ とすらできないんだ?バスの行き先を変えて走らせることだって、上の人の判断一つでできる事じゃないか。それすらもできないのか?係員に何を言っても、 まったく埒があかず、挙げ句の果てにこちらの言っていることを聞こえないふりまでされた。希望がない、とはこのことだった。

行列に16:30に並び初めて、バスにようやっと乗れたのは21時だった。宿に着いたときはもう話すこともできなくなっていた。凍死者が出ても全くおかしくない環境だった。あのときの赤ちゃん達は無事に生きて家まで帰れたのだろうか。本当に心配だ。

決勝の行き。9時半から並び、サーキットに着いたのは13:20だった。レースは13時半から。10時から並んだ人は、決勝に間に合わなかっただろう。バスの所要時間は30分と公式に書かれているにもかかわらず、だ。

帰りは、前日の惨劇を知っていたので、レースの1/3を見ずに帰路についた。それでもバスは二時間半待った。五万円以上の金を払って行っ たのに、なんでレースの1/3を放棄しなければならないのか。意味がわからない。前日のバスに関する場内アナウンスも、お詫びも、私が聞く限りでは一切な かった。客を馬鹿にしているとしか思えなかった。

月曜日、私は熱を出した。体温調節機構が完全に狂ったのだろう。仕事ができない。あきらかにF1のせいである。

道路の陥没なんて関係ない。明らかにこれは人災である。(そもそも陥没だってサーキット内の道路なんだから、サーキットの工事がお粗末 だっただけだ。台風が来たわけでもあるまいに、その程度で陥没する道路を造ったのも運営側の致命的ミスだろう。)渋滞は当初から十分予想されていたのに、 何の対策もしなかった。対策をしていた、というのなら、明らかにその対策をした人は無能である。警備員の再配置やバスの再配分や適切な誘導を行うことで挽 回することも可能だったのに、それも全くできていなかった。そして観客は4時間以上、山奥の屋外で雨に濡れながら待たされたというわけだ。東京競馬場はダービーの日には22万人が来る。コミケも3日で48万人来る。それでも、こんな大失態は犯したことがない。地理的に多人数を捌ききれないというのなら、富士にはF1をやる資格がない。ただそれだけのことだ。

私は、もう二度と富士には行かない。適切な反省と対応策と損害補償が見られない限り、富士スピードウェイおよび、その親会社のトヨタを誠実な会社とは思わ ない。私は日本グランプリ主催者に殺されかけた。何匹もパトラッシュが見えた。あ、何匹も見えるのは天使様か。F1を現地まで見に行くような「良質なモー タースポーツファン」の大多数が、富士スピードウェイで殺されそうな目にあったことは紛れもない事実である。この損害は計り知れないだろう。そして、

F1を鈴鹿に返して欲しい。心の底から願う。(2007/10/1)

シャバダバ岡村靖幸ちゃん

あぁああぁぁぁああぁぁ岡村靖幸ちゃんが帰ってきて嬉しい。お願いだからもうクスリはやらないでくれ。芸 術家にこんな事を言っても意味がないことは重々承知しているけど、あんなものはただ神経伝達物質の量をほんの一瞬増やすだけなんだよ!!すぐにレセプター が馬鹿になっちゃって何にも感じなくなるんだよ!!そうするとどんどんクスリの量を増やすしかないんだよ!!待ってる先には金が尽きるか命が尽きるかしか ないんだよ!金も時間も体力も寿命も無駄遣いでしかありません。ほんの一瞬の全能感のために、ホントもったいない。

そんなことよりなにより、どんなに太っても、どんなに高音が出なくなっても、私はあなたの作る歌詞と紡ぎ出すメロディーをずっと聞いていたいんだよ!!ふしぎな踊りをずっとずっと見ていたいんだよ!!!他の人じゃ駄目なんだよ!!!!塀の中に入っちゃったら、それもできなくなっちゃうじゃないか!!

というわけで復活ライブのチケットを死守するために今から@ぴあのクリックの素振りをしてきます。

追記:桜塚やっくんの「どぉなっちゃんてんだよ」カバーも、アレンジでテクノサウンド作っている人が頑張っていて、良い出来でした。やっくんにもこんな セーラー服の脱ぎ方があったとはね。スケバンキャラをいつまでも続けるのも難しいでしょうから、このPVの衣装で歌番組にもっと出た方が良かったんじゃな いかと個人的には思います。(2007/9/13)

コミケの三日目

コミケの三日目は人も多いし、男性向けは華やかだし、評論ブースは興味深い本が多いし、当たり日だと思っている。お買い物をとっても楽しみにしている。医 療ジャンルが三日目で本当に嬉しい。だがしかし、唯一の不満。それはハロプロの日と違うことだ!!ふがー!なんで芸能は二日目なのーぅ!!

私はハロプロが好きだ。つんく♂の作る歌が好きだ。歌詞が特に好きだ。人生をかけてけなげに歌い踊る女の子達が大好きだ。そもそも宴会芸で新入社員の女の 子達や病棟の新人ナースさん達が踊ってるだけでも(それこそ超下手クソで、全く揃ってないのに)楽しい気分になれるっていうのに。それをプロの、日本中 (最近はアジア中?)からかき集めた、とっておきの美しい女の子達が、とっておきのメロディで、完璧なダンスで、煌びやかな衣装を着て歌い踊ってくれるの だから。最高に楽しいに決まっている。気分が高揚しないはずがない。

彼女たちはプロだ。人生をかけたプロだ。一般人より数段美人なお嬢さん達さんが、ろくに学校にも行かせてもらえず、人生と青春をかけて、限りある若い時間 をなげうって仕事をしている。自由恋愛も制限されて、お買い物も遊びも満足にさせてもらえなくて、自分とは正直「全く釣り合わないような」男性のお客さん 達に完璧な笑顔を振りまいて、何の迷いもなく「ファンの皆さん愛してるよー」と言って。なにこの娘たち、天使?天からの使いとしか思えないんだけど。どう してその若さでそこまで人間ができているの?

この世の中に、「この人は天使に違いない」と確信し、背中に羽が生えてるんじゃないかとチェックしたくなる女性は意外とたくさんいるものだけど(ナースさ んや介護をしている主婦の方々に多い)、そのうちの一つがハロプロの女の子達だと、ねじ子は思う。あの年齢でその境地に行くのは大変だよなぁ。ただ可愛い だけじゃ駄目だもの。いや、むしろ顔の可愛さなんて、大して必要ないのかもしれない。一番必要なのは心意気だ。とても私にはできない。まぁ実際天使を続け きれず精神的に破綻してしまったと思われる例も近年多々出てきているけど(辻ちゃん加護ちゃんとか)、それも含めて女の子の人生模様だ。

男性ファンの皆さんは、ハロプロの女の子達のその「心意気」をもっと大切にしてあげないとダメだと思う。(2007/8/19)

「好きなもの」のリスク分散

よっすぃのソロでのお仕事が順調でホクホクと喜んでいたら、その隙に西武が10連敗して最下位になっていた。おそろしい。この前もマクラーレンが恐ろしい ほど強くてにわかには信じられず浮き足だっていたら、ミキティが懲罰人事食らっていなくなってたし。禍福はあざなえる縄のごとし。人生はやはり油断ならな いものだな。

人間は好きなものや応援しているものから、少しずつパワーをもらって生きているのだと思う。好きな漫画から、好きな歌から、好きな作家から、好きな球団か ら、そして好きな家族や恋人や友達からも、少しずつ幸せをもらって生きていると思う。私も、野球なら西武、F1ならマクラーレン、カーリングならチーム青森、 サッカーならポルトガル代表、ロックならスピッツとくるりとソウルフラワーユニオンとダンスマンとThe WHOとデビッドボウイとQUEENとそれからそれから…(以下略)から、少しずつ幸せを分けてもらっている。しかし同時に、負けたときはほんの少しだ け、不幸も頂いている。それは表裏一体のものだ。どちらかだけということはできない。

そして年を取ってくるごとに、どんどん好きなものが多くなる。イチロー並に守備範囲が広くなってきた自分が怖い。「人生は楽しい!」と心の底から思えるほ どだ。秋葉原まわってても見るべきモノが多すぎて、一日で終わんないんだもの。スーパードルフィーも海洋堂フィギュアもケロロ軍曹のガチャガチャも自作 PCとCGの本もリバティのハロプロ中古DVDも見なきゃいけないし。どれひとつとっても一生かかっても見きれないほどの量があるし。あぁオタクって楽し いわぁ。

というわけで「好きなものが多い」状態だと、リスク分散ができる。一個のラブリーが調子悪くても、他のラブリーの調子が良ければ、幸せだ。その幸せで生き ていける。調子の悪いラブリーも、長い目で見ていればきっと調子が上がってくる。その時に幸せを分けてもらえばよい。あんなに火を噴いていたマクラーレン のマシンが、こんなに速くなるんだもの。5年間後列だったよっすいーが、最後にセンターになって輝くことができるんだもの。

昔は一途に幽遊白書だけが好きだったりして、連載が終わったときは海の底まで落ち込んだりしたものだが、あれは思春期特有の一途さ(というか思いこみ)だったんだなぁ。私も大人になったと思う。こんなことで自覚するのもナンだが。(2007/6/22)

岡田斗司夫さん著、オタク・イズ・デッド

岡田斗司夫さん著、オタク・イズ・デッドの同人誌を今更ながら読んだ。最後の岡田さんの搾り取るような告白を呼んだとき、私の目から涙が流れてきた。そ う、オタクは死んでしまったのだ。その台詞を、あの岡田さんが、ガイナックスを退職して失意の中でオタキングという呼称をでっちあげ「自らのオタクぶり」 のみを売りに生きていこうと決めた人が、一体どんな気持ちで言ったのか。万感の思いをこめて、とはまさにこういうことを言うのだろう。

我々オタクが差別されていた貧民時代は終わったのだ。今やオタク文化は日本が世界に誇る一代産業だと認知された。私達はあんなにも求めていた桃源郷に辿り着いたんだ。そのはずなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。

今の秋葉原は、少なくとも当時の私達が探し求めていた街ではない。

改札を出た瞬間にオタクのオの字もよくわかっていなそうなキャバクラ感覚のメイドさんにチラシを渡され、どでかいキャラクター看板が街中に反乱し、そこら じゅうが私達オタクの財布を狙っている。動物園の珍獣を見るような目で私達を見る観光客たち。外人さんも喜んでデジカメを振りかざしている。確かに喜ぶだ ろうなぁ、日本人で東京人でオタクの私だってこの街の風景にはびっくりだもの。

岡田斗司夫さんの時代のオタクの定義、それは「細かい作画の機微や、演出の歴史や、コマ送りしないとわからない職人芸を『読む』」ことのできる人種」で あった。「通」であった。私の世代のオタク(俗に言う「エヴァ世代」)は、某連続幼女誘拐犯のせいでオタクな自分を徹底的に弾圧批判されながら生きてい た。その中で同じオタク代表の庵野君、おっとちがったシンジ君の魂の叫び「僕はここにいていいんだ!」に、恥ずかしながらも真に共感し、心から救われた人 間の集まりだった。そして今現在、「萌え」文化のオタク世代がやってきた。

歴史なんてどうでもいい、細かい作画の機微なんてどうでもいい。誰かの手のひらの上でもいい。ただ、「萌え」さえあればいい。そんな風に定義されている、 今のオタクのカタチ。まあ実際はそんなに単純なものではないことは知っている。しかしその「上澄みを吸おう」という魑魅魍魎が跋扈する街に、アキバはなっ てしまった。あふれんばかりの萌えの洪水、萌えのネズミーランド。与えられた萌えを、与えられたとおりに、消費する世界に成り下がった。

もちろん、そんなものに一人一人は流されてなんかいないと、審美眼はまだまだ失われていないと、私は信じている。「オタクは萌えとかいう笛を吹いときゃ、 簡単に踊るだろ」などという、オタクを舐めた匂いが少しでも感じられるものはきちんと拒否する。そういう眼を持っている。つるぺたスクール水着ツインテー ルの美少女が上目遣いで「お兄ちゃん、DVD買って」って言ったら、どんな内容でもDVD買ってしまうようなお馬鹿さんは、きわめて少数派であると、ねじ 子は信じている。

だがしかし、オタク界隈が巨大産業になり、金が大きく動くことがばれてしまった今。汚いハイエナ共が上辺だけをかすめ取ろうと鼻息荒く参入してくる姿が、 私には見える。寂しい。そこに職人の心はあるのか?世界も驚く匠の技はあるのか?存在を否定されていた人間が、救われる喜びはあるのか?それとも、そんな ものはもういらないの?私が古いだけなの?

市場が大きくなるのは正しいことだ。仕方のない事とも言える。たかが趣味一つのせいで人格まで否定される社会よりは、ずっといい。でも。

選ばれし者たちだけの、辛くとも楽しい「楽園の時間」は、終わってしまったのだ。

誰も理解してくれなくても、自分たちは違いのわかる人間だと思っていた。確かに格好悪くて、見た目も悪くて、全然モテなくて、犯罪者みたいな目で見られ て、実際にコミケ参加者から犯罪者が出て、でもでもそれでも。自分たちだけは漫画やアニメの本質がわかっていると。世界にも通用する本物の良さを、私達だ けは知っていると。そう信じることで、生きていくことができた。あの辛くて楽しかった時代は、もう戻らないのだ。今この世にあるのは、誰でも楽しめる漫画 とアニメと萌えのネズミーランドなんだ。

それは素晴らしいことなんだと思う。進歩なんだと思う。私の感傷は懐古趣味だと若い人に言われたら、ぐぅの音も出ない。でも、でも。悲しいもんは悲しいの よ。決死の覚悟で戦った戦争に敗け、アメリカに飼い慣らされてサムライの心を忘れた日本人を見た時の三島由紀夫もこんな気持ちだったのかなぁ。そういえば 三島由紀夫のアジテーションも、若い自衛官には全然響いてなかったもんなぁ。なんだかんだ言って大量消費文化の魅力には勝てないよ。

当時の私を救ってくれたオタキングの悲壮の決意に、涙が止まらなかった。一つの時代が終わったのだと感じた。(2007/6/14)

辻ちゃんと加護ちゃん

加護ちゃんがいなくなって泣いたと思ったらその後2ヶ月も経たずに辻ちゃんもいなくなってしまった。一体どういうこと。よっすぃの卒業コンサで ”I  wish” 聞いて、一時代が終わった気がして感慨にふけってたら、その2日後に辻ちゃんがデキちゃった結婚って。それどういうこと。ふがふが。最近のハ ロプロにまつわる展開は久々にASAYANを思い出させる。思春期の女の子の成長や売り出しの課程を赤裸々に露出することにより、話題性と各メンバーの個 性を際だたせる手法ね。あれはプロモーションも含めたフィクション半分だったけど、今回はオール実話だからなぁ。

辻ちゃんは、何もかもこれからだったんじゃないの?モーニング娘。に入ったときも追加扱いで、始めはプッチモニにもタンポポにも入れてもらえなくて、As For One Dayでは「たぶん」しかパートがなくて、加護ちゃんと常にセットで扱われて、それでも健気にまっすぐに純粋に働き続けて、ようやっと陽の目を浴びている 真っ直中だったんじゃなかったの?舞台だのユニットだのソロデビューだのバラエティだの、卒業組の中では一番の売れっ子だったんじゃないの?それを全部投 げ打っちゃうってどういうこと?他の多くの人が喉から手が出るほど欲しがっているものだろう、それは。一度捨てたらもう二度と手に入らないものだというの に。

あのくらいの年齢の女の子が、恋情に目覚めた途端にそれしか見えなくなってしまうというのは非常に良く 理解できる心情だ。子供なんてできた日には、なおさら浮かれるだろう。他が見えなくなるほどに。当然だ。幸せで微笑ましいことでもある。でもなぁ、仕事と 恋愛は別よ。もっとうまくやらなきゃ。明らかに下手を打っているよ。

小さい頃から見てた親戚のような気分で、おばちゃんちょっと悲しくなっちゃったよ。(2007/5/13)

涙のハロモニ@

もう7年間密かに見続けていたテレビ東京「ハローモーニング」が「ハロモニ@」に改悪した。なにアレ。あの猫耳と首輪としっぽはなに?何かの罰ゲーム?

えーっと、今時のアキバ系萌え中心オタク文化を流行と信じて疑わず、偏見に満ちあふれた目で上辺だけかすめ取っていく気でいっぱいのマスゴミの皆さんは知らないのでしょうけど

屋外でのコスプレは禁止です。(ただし秋葉原以外)
着替えはきちんとビッグサイトの更衣室で行いましょう。
コスプレのまま家から来る奴や、帰宅する奴クズ以下です。

日常の街中をコスプレで歩くなど論外です。周囲の迷惑を考えましょう。
貴方の行動が周囲に偏見を抱かせ、さらなるオタク差別へと繋がるのですよ。

…横道にそれたので本題に戻ると、ねじ子内統計によるとモーオタの男子とアキバ系の男子は、ほぼ99%、かぶっておりません。あれだけ中古コレクターズア イテムがそろっている秋葉原でも、モー娘。の写真やトレカは、レンタルスペースを虱潰しに探してもなかなか見付けられない、そのことからも明白です。(ち なみに中野ならばどちらも見ることができます。)よって、モーオタの皆さんは、それほど猫耳に喜ぶ属性は持ち合わせていないと考えます。また、猫耳が三度 の飯より好きなアキバの皆さんは、三次元の女性に興味がないので、モー娘。がもっともっと二次元に近づかないと、いくら猫耳をつけても残念ながら触手が動 きません。さらに言うならば、アキバ兼腐女子兼モーヲタのこの私ですら、モー娘。が猫耳しっぽで街を練り歩くのにはまったく萌えないっていうか本人達がお気の毒としか思えませんでした。結局どっちの需要にもハマらず、「かえって安く見られてしまう」という最悪の状態に陥っているのではないかと感じます。

あぁ、でも、みんな実は喜んでるの?私、もう古い種類のオタク?そんなことないよね?(2007/4/18)

加護ちゃんと素敵な未来

加護ちゃんが解雇された夜に、I wishのPVを一人で観ていたら涙が出てきた。

あの頃のモーニング娘。は輝いていた。全員が奇跡的なほどに可愛く、やる気もあり、自信と尊厳に満ちていた。彼女たちの歌の歌詞ではないけれど、未来がピ カピカと輝いて見えた。入ったばかりの四期の面々は初々しく、無垢で愛らしかった。これからいいことがいっぱいあると信じることができた。

良い曲は、その曲が流行っていた当時の自分を思い出させる。当時の私は何もなく、頭だけが無駄に先走っている鼻持ちならない学生だったけれど、それでも「未来は無限である」と無駄に信じていた。いや、自分がそう「信じてる」ことすらも自覚しないほど、自明のことだった。

それから六年がたち、モーニング娘。にはもう吉澤ひとみちゃんしか残っていない。そのよっすぃーももう卒業する。卒業してソロをやっているみんなは、正 直、当時ほどの成功を収められていないように思う。スキャンダルにまみれてしまった子も、外見が変わってしまった子もいる。そして、加護ちゃんはいなく なってしまった。あんなに輝かしい未来を持っていた子が。

モーニング娘。やそのファンが当時見ていた未来は、こんなものではなかったはずだ。少なくとも私はそうだった。これが最善の努力を尽くした結果だと分かっていても、失っていったものの大きさに愕然としてしまう。

私自身だって、当時漠然と信じていた素敵な未来像に、今なれているわけでもない。むしろ逆だ。矮小な人間になってしまったと思う。それが未来というものであり、夢であるとわかっていても、悲しくて涙が出た。(2007/3/27)

みっつぃー・ラブ

吉澤ひとみちゃんが卒業したらいったい誰を応援していいのか分からなくて、途方に暮れていたら、先日新しい娘が入荷しました。
モロ私好みです。

さすがつんく♂。痒いところに手が届く男だ。
これであと5年は飯を食って行けそうです。(2007/3/2)

2006年・俺コンランキング

2006年・俺コンランキングはこれだ!!
※俺コンランキングとは2006年に見たり聞いたりしたものの中から勝手に自分内でランキングを付けたもの。独断と偏見に満ちている。しかも必ずしも2006年に発表されたものではなかったりもする。

2006年俺コンランキング・書籍編。
第1位 DEATH NOTE
第2位 よしながふみさんの作品郡
第3位 該当無し

1位は美しく終わったデスノートに。引き延ばし工作などいっさいしない無駄のないストーリーテリングと、綻びの一切見えなかった(ジェバンニの天才的な復 元能力以外)理論構成を、週刊少年ジャンプという「そういうことがもっともやりにくそうな土壌」で行いきったこと。やはり偉業だと思う。
2位は、10年前の同人誌時代から名前だけは知っていたのに、なぜか読んでいなかったよしながふみさんの漫画を。「なんでこれまで読んでなかったんだ!! 私の馬鹿!」と叫んでしまうほど衝撃を受けた。ボーイズラブが読める人なら、「ジェラールとジャック」および「一限目はやる気の民法」(ただし第一巻の み)を読んでみて欲しい。起承転結とコマ割りの演出が見事です。

2006年俺コンランキング・音楽編。
第1位 アンジェラ・アキ「kiss me goodbye」
第2位 David Bowie「ロックンロールの自殺者」
第3位 月島きらり「恋☆カナ」「バラライカ」
次点:宇多田ヒカル「This is love」およびアルバム「ULTRA BLUE」

アンジェラアキは、もろタイプの女性だ。すみません。眼鏡っこ大好きでごめんなさい。あのざんばらの髪も顔も黒縁眼鏡も徳島弁丸出しの喋りも歌番組等で見せる気さくなキャラクターも大好きです。ふが。
2位は、またもや「どこが今年だ」という作品。聞くたびに泣いてしまいそうになる自分。中二病発症か。
月島きらりちゃん改め久住小春ちゃんは、あやや亡き後(いや、死んでないんだけど、100%アイドルサイボーグからは降りてしまったように見える。情緒的 な歌しか歌わないしさ。とっても悲しい。)私が個人的に待ち焦がれている天真爛漫陽気完璧アイドルコマンドーになれそうな予感がする。嬉しい。来年に期待 したい。ちなみにモー娘では最近ガキさんがマジで可愛くなってると思う。(2007/1/12)