2014年ハロプロ「歌詞だけ」ランキングです。あくまでも歌詞だけ、他の要素には完全に目をつぶっています。つんく♂さんハロプロ総合プロデューサー卒業の発表の日に、あえて上げます。
※ここに書かれているのはあくまでねじ子個人の解釈です。「俺の解釈と違う!」と感じることもあるでしょう。歌詞の解釈は人それぞれです。むしろ100人が読めば100通りの読み方ができるのが素晴らしい詩というものであり、素晴らしい芸術作品だと思います。
1位 普通、アイドル10年やってらんないでしょ!? / Berryz工房
個人的な共感で1位(共感の詳細は2014年ハロプロ楽曲ランキングで書きました)。共感要素がなかったら「1億3千万総ダイエット王国」が1位だと思う。
ハロプロのアイドルにはルーティンワークが多い。毎年1~2月にハロコンがあり、3月にひなフェスがあり、春と秋に長い全国ツアーがあり、夏休みと冬休みにハロコンがあり、年末にカウントダウンがある。この周期からぶれることがない。いったんハロプロに就職してしまえば、その女の子には(よほどのことがない限り)半永久的に仕事と給与が与えられる。福利厚生が手厚い。そんな環境の良さから、ハロプロはよく「アイドル界の公務員」と揶揄される。
でも、その仕事は決して楽ではない。小中学生のうちから自由を制限される。プライベートで水着を着られない。プールも温泉も公衆浴場も入れない。買い物もお食事も部活も勉強もまともにはできない。土日と放課後はすべてつぶれる。もちろん、学校では周囲から浮く。浮くくらいならまだいい、いじめられることも多いときく。デビュー前と同じ学校にはいられなくなってしまうことも多い。
歌や踊りが上手ければ順風満帆、と言うわけでもない。顔が可愛ければいいわけでもない。普通の人間でも、思春期には自分と世界との居心地のいい距離感をさぐって右往左往するものだ。魑魅魍魎が跋扈する芸能の世界の中で、それをやっていかなければいけない。他にもたくさんの女性アイドルがいる中で、どう個性を出していくか。どう立ち位置を確保するか。自分の頭で考えて、自分だけの幸福をつかみ取っていかなければならない。辻加護加入以降の「ハロープロジェクト」という組織は、まだ何者でもない10代の女の子たちが10年かけて自分のキャラクターと進路を確定していく過程を、屋根瓦のように積み重ねて客に提供していく重層構造になっている。
10年後の最終的な結論が「芸能界引退」でもよし。学芸員とアイドルの両立でもよし。結婚出産ママドルでもよし。モデルや女優を目指してもよし。何でもいいから全力で自分の道を決めて、全力で突き進んでくれればいいのだ。ハロヲタは何でも受け入れる。自立に向けてあがく姿こそが思春期の美しさであり、ハロプロの面白さである。Berryz工房は12年かけて確かに完全に自立した。自立したからこそ、ハロプロという「優しい檻」からは出ていく時期なのだと思う。
私だって本当はいつまでもBerryz工房を見ていたかった。活動停止なんて認めたくなかった。久しぶりに会った知人に「Berryz工房活動停止なんですね!ニュースを見てまっさきにねじ子さんの顔が浮かびましたよ!大丈夫でしたか?」と心配された上に、「あー、大丈夫ではありませんでした……。一週間くらい自分を失ってましたかね……。はは……」と、ふらふらと目を泳がせながら答えている有様である。Crazy完全にダメな大人。
2位 1億3千万総ダイエット王国 / Berryz工房
平成の東京に住む20代前半の女子が、朝起きて家を出て、満員電車に乗って、仕事して、ご飯を食べて、家に帰る。決まった恋人はいない。昨日と何も変わらない一日が、また始まる。その道すがら、一人で歩きながら頭の中で適当に巡らせている意識をすべて文字にしたかのような歌詞である。主人公の女の子に去来する思念を、切れ目なく直接的に映し出していく文体だ。これはジェイムス・ジョイスが名著「ユリシーズ」の中で実践していた「意識の流れ」とまったく同じ手法である。「ユリシーズ」は20世紀初頭のダブリンのとある1日の物語だが、「1億3千万総ダイエット王国」は21世紀初頭の東京のとある2日間の物語である。つんく♂はこの歌で、平成の東京の女の子限定でジョイスに並んだ!とねじ子は勝手に確信している。
「朝起きてすぐメイクでユラユラの通勤がキツイ」「昨晩のビュッフェディナー胃もたれ」「天に誓う今日からのダイエット」よくある朝のOLの出勤風景である。ビュッフェディナーに出かけられるのだから、そこまで貧乏ではない。多少はお金を稼いでいる。
そして唐突に「恋したい」と来る。つまり、今は恋をしていない。
仕事でいろんな人に会う。若い女性に会った人間は、まず外見でこちらのことを評価する。「どいつもこいつも美人好き」である。最初から私の中身を見てくれる人間なんて、ほとんどいやしない。若い女性であればあるほど、人の評価基準における「外見」の占める割合が大きくなる。腹が立つ。外見を磨く努力をどうしても(ある程度は)しなくちゃいけない。ダイエットに励まざるをえない。めんどくさい。本当はただ楽しく過ごしていたい。外見なんか関係なく誰かを愛したいし、愛してほしい。でも、そんな相手もまだいない。
ダイエットを決意していても夜ご飯に誘われる。もちろん行く。最初から「割り勘だし元とろう」と宣言しているから、相手はおそらく恋の対象ではない。同性の友人か仕事仲間あたりである。ご飯はおいしい。とてもおいしい。食べることは生きることである。
そして唐突に「生きている意味が知りたい」と来る。この導入が秀逸である。都会に生きる女性にとって、食べることは唯一の「生命の根元に繋がる」行為なのだ。食べることで大地につながり、生命につながり、自分が動物として生きていることを実感する。自然と隔絶した都会の中でサービス業に従事する女性にとって、「食べること」しか生きていることを実感する手段はないのだ。次に来るのは「愛する意味を知りたい」つまり主人公はまだ恋愛を知らない。彼氏ができれば、恋愛やセックスの要素が人生に加わり、「生きている意味」や「生命の根元」をその身に実感できるのだろう。でもまだ、それもない。食べることだけが唯一の生命維持活動となる。
そしてさらに唐突に「優しい人になりたい」「この世の為になりたい」と発展する。食べること以外に生命を実感する行為がない、と断言しながらも、誰だってただの「うんこ製造器」にはなりたくないのである。誰かの役に立ちたいし、世の中の役に立ちたいし、「私の本当の意味を知りたい」のだ。
さらに不幸なことに、彼女にはそんな焦燥感を相談する相手もいない。思春期女子の歌だったら、2番のBメロあたりで唐突にママや姉貴や大切な親友あたりが登場してアドバイスをくれるのがつんく♂の定石なのだが、20代社会人にもなると、もう家族にも友達にもなかなか人生相談ってしにくいんだよね。だからこの曲は、どこの誰にに向けているのかすらさっぱりわからない「お願い」の連呼で終わる。漠然と、そこらへんにふわふわと漂っている八百万の神様に、「お願い」と連呼するしかないのだ。そんな孤独も、都会で働く20代女性の歌として大いに共感できる。私も20代前半はずっとずっとこんなことを考えていたよ。
ちなみにこの曲は医学的にも正しい。昔で言う拒食症、正確な診断名でいう「神経性食思不振症」は女性に多く、周囲から見たら病的なまでに痩せやせていても、本人は「まだ太っている」と思いこんでしまう。この思いこみはなかなか外れない。人間が最も長寿を保つのはBMI(体重kg÷身長m÷身長m)=22とされている。メディアでもてはやされている若い女性の体型はおそらくBMI=17くらいで、これは明らかにやせすぎである。本当は、そこまでやせているとかえって健康的ではない。でも、メディアによって幼い頃から「美しい女性の理想はこれだ!」と洗脳されてしまっているんだから、どうしようもない。すべての人間が「もっと痩せる」ことを目標にせざるをえなくなり、結果として「日本国中 年がら年中ダイエット中」になってしまう。そして神経性食思不振症は、完治が非常に難しい病気で、致死率も高い。どんなに痩せても、「私はまだ太っている」という思いこみをなかなか消すことができず、結果として栄養失調で死んでしまうのだ。医学的にはいい迷惑である。女性アイドルを体型のことで叩く心ない人たちは、その女の子の一生を台無しにする可能性を秘めた鬼畜の所行を自らが行っていることをよく自覚してほしい。
3位 TIKIBUN / モーニング娘。’14
TIKIBUNって何のことかと思ったら、「チッ」気分、つまり「舌打ち気分」ってことなのね。「笑顔の君は太陽さ」は2013年にモーニング娘。が紅白に出場できなかった悔しさを歌詞にした曲だった。今回の「TIKIBUN」は2014年にモーニング娘。が紅白に出場できなくてムカムカしている気分を歌った曲である。つんく♂にしてはめずらしくネガティブな情景描写の後に「TIKIBUN」というフレーズが繰り返される。「寝不足は寝るしかない」というフレーズがいい。そして特に素晴らしいのはサビの歌詞だ。
「Here we go!炎上したってなんも恐れない その全部にウソがないなら良い 君が創造(うみだ)したんだし
Here we go!チャチャ入ったって何も動じない 自分信じて突き進めば良い 君の全てなんだから」
SNS全盛の現代日本において少しでも何かを表現しようとしている人間すべてが共感できる歌詞だと思う。全員が賛成する意見など、この世に存在しない。何かを言えば、必ず誰かが異を唱える。賛成の意見が10000人中9999人で、たった1人だけが反対しているという状態なのに、その1人が発言者に対して強烈な攻撃を加え続ける、という状態が各所で勃発することになる。
そもそも、全員が賛成する無難な意見には新鮮味や面白味がないから、発信する意義に欠ける。なにか面白いこと、人目を引く意見を言おうとすれば、そこにはどうしても「批判」「炎上」「賛否両論」のリスクがつきまとうのだ。昔はそのリスクを負うのは限られた文筆業・出演者の人間だけだった。ところがソーシャルメディアが盛んになった今は、インターネットにふれるすべての人間に「発言」の機会が与えられ、結果として「炎上」のリスクがすべての人間に広がっている。
アイドル含む表現者たちは、その中で何としても生き残っていかなければならない。ブログもツイッターも上手に使い、テレビや雑誌やコンサート会場で生の発言をすることでセルフ・イメージを上手にコントロールしなければいけない。無難なことしか言わないのも、それはそれで人気が上がらない。少しでも言い過ぎた表現を使えば、とたんに叩かれる。どこに正解があるのか、誰にもわからない。そんな中で発信し続けるのは非常に骨が折れることだろう。
それでも、ねじ子がハロプロの女子たちに一番求めるのは「自分の言葉で語ること」である。自分の言葉がまだ出てこない若い子たちはまぁしばらく静かにしていればいい。でも自分の言葉がある子たちは、率先して前に出て、言いたいことを言ってほしい。ブログも好きに書けばいい。Twitterもやればいい。Twitterを取り上げたくせにろくに出演番組の告知もしないのは言語道断である(あ、これはBerryz工房とスマイレージの当時のスタッフに対する明確な批判です)。思うことを思うようにやってほしい。「従順なお人形さん」が見たい人たちは、とっくに二次元や他のアイドルに移動したよ。言いたいことを言えばいいし、やりたいようにやればいいのだ。恐怖で萎縮しているのが一番つまらない。
だから私は、成人式に参加できず「一生恨みます」とブログで不満を爆発させたあやちょのことを大いに評価している。彼女には、賛否両論どちらの意見も受け止める覚悟がきちんとあっただろう。言論とはそういうものである。なにより彼女の心の叫びを聞けたことが嬉しかった。
P.S. 松島みどり先生に衣装監修をお願いするのはもうこれきりにしてください。


どうせ当時発足した第2次安倍改造内閣に便乗して「女性が最も多い組閣人事だ!よし!これからは女性が輝く時代!女性管理職をもっと増やせって諸外国からも圧力かかってるし!」ってノリで、キャリアウーマンのビジネススーツ風にしたんだろうけどさぁ。でも第2次安倍改造内閣、すぐにつぶれちゃったね。残念。ビジネススーツにだって、もっといろいろあると思うよ。
・・・と思っていたら今度はJuice=Juiceが社民党にヘアメイクおよび衣装監修をお願いしてた。いやーん、もうやめてぇ。


4位 愛はいつも君の中に / Berryz工房
2014年のベリの曲はすべていい。散り際が最も美しい桜のようであった。
世の中には愛の言葉があふれている。「アイラブユー」という歌詞を入れると、流行歌の売り上げは格段に上がるという。でも、声高に愛を歌っても、コンサート現場で「ちなみー!俺だー!結婚してくれー!」と叫んでも、Twitterで愛の文字列をつぶやいても、ブログに熱い文章を投げつけて全世界に愛を叫んでも、それ自体は何も生み出さないし、何の意味もない。
現実の恋愛だってそうだ。憧れている男子の部活動を校舎のすみからそっと覗いていても、二人で花火を見た後に柳の葉のかげでそっとキスをしても、布団の中で愛の言葉を照れくさそうにささやいても、それはすべてほんの一瞬の出来事である。何かの結果を生み出すものではないし、何かを期待しても無駄である。期待した通りの結果など得られない。たとえそれが家族や恋人であったとしても、自分の思うままに他者を操ることなどできない。誰かを愛するってことは、いつだって自分の心の中だけのきわめて個人的な事象である。誰かを愛しいと思うことで、自分の心が一瞬でも満たされ、癒されればそれで十分なのだ。それ以上いったい何を望むというのか。「愛はいつも君の中で光る」ってのはそういうことだと思う。「愛おしいという感情はいつだって個人的なものである。外の世界に過度の期待をするな」と。それをたった一言「愛はいつも君の中で光る」という言葉に集約し、リフレインさせるつんく♂はたいした詩人だと思う。
軍歌のような曲調はおそらく日本が集団的自衛権を認めた時期の楽曲であることが背景にあるのだろう。アメリカB級映画のセクシーポリスみたいなみやびちゃんがおもしろい。明らかにやりすぎ(誉めている)。りさこの金髪ボンバーな髪型もやりすぎ(誉めている)。
5位 伊達じゃないようちの人生は / Juice=Juice
これぞ金澤朋子の曲。「そりゃたまに誰かと食事もするでしょう 繋がりもこれだけ生きてりゃあるでしょう そのへんを逐一説明するなんて 暇じゃないようちの人生は」もう、完全にかなとも。
かなともは高校2年生からアイドルの道に入った。私はちょうどいい時期だと思う。でも、一番金を出す男性アイドルファンに言わせると、アイドルになるには「遅すぎる」らしい。ハロヲタのロリコン紳士たちにとっては、高校生からアイドルになるようではもう遅いのだ。「それまでの間に彼氏がいたのではないか」「素行不良があったのではないか」」「それが将来暴露されるのではないか」と不安になり、心おきなく推すことができないらしい。うーん。まぁ確かに世の中にはリベンジ・ポルノを仕掛けてくる馬鹿な元彼もいるし、嫉妬に狂った同級生女子による下らない暴露(嘘含む)もあるし、そんなもろもろをタッチ一つで簡単にできるご時世でもある。たとえ嘘八百であったとしても、その情報は真偽不明のまま永遠にインターネット上に残り、タレント・イメージを傷付けるには十分な武器になったりする。いやな時代だ。繊細な男性ファンの懸念も、わからんでもない。
でもなー、そんな文言を見るたびにねじ子は芥川龍之介先生の言葉を思い出すんだよ。
「勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものはおそらく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。」 芥川龍之介『侏儒の言葉』より
人材の幅を狭めるのはよくないよ。人妻も子持ちも、スナック勤めの経験者も、元オリンピック選手も、ヤンキー上がりも、外国人も、茶髪も金髪もアフロも、チビものっぽもデブも貧乳も巨乳もいてこそのハロプロではないか。私はかなとものこれからをとても楽しみにしているよ。「レッスンは続くよ どんなときも」だよ。いま真摯にレッスンしてどんどん上手になっているんだから、それでいいじゃないか。かなともには歌詞の通り、もっともっと開き直ってほしいし、夢も恋も両方手に入れてほしい。
2番の「もたれかかる君の肩 せまってくる月曜 Yes 現実はそろそろ 帰らなけりゃ」って歌詞もいい。月曜から仕事なんだよねぇ。日曜にデートできる時間って、働く女子にとって貴重なんだよねぇ。別に月曜からの仕事が、嫌ってわけじゃないんだよ、いやむしろやる気まんまんなんだ。仕事も、彼氏との時間も、どっちもうまくやりたい。金も名声もすてきな彼氏も、どれもこれも全部欲しいんだよ。まさに「夢も恋も両方手に入れたい」のさ。この強欲さは、全能感に満ちあふれた社会人1~3年目くらいの、美人女性によくある症状である。幸運を祈る。
6位 I miss you /℃-ute
ファミコン音源みたいな三重奏の曲。とても変わった試みで面白い。℃-uteちゃんたちの歌唱テクニックがここぞとばかりに見せつけられている。歌詞はよくある、ひっかかりのない流れである。「大人だし」という歌詞と、まったく大人っぽくないクネクネした動きをする舞美がとても面白い。舞美に色っぽさを求めるのはいいかげんやめていただきたい。
この曲の歌詞の真骨頂はCメロの愛理ソロ「カフェで一人 お茶してる 深夜過ぎ 誰にも会いたくない時もあるよ」である。深夜過ぎまで開いているカフェという時点で、かなり都会でアンニュイにふけっていると予想される。ほぼ100パーセントの確率でスターバックス・コーヒーである。愛理の地元である千葉県のベッドタウンの駅前にあるドトール・コーヒーでは決してないし、24時間営業のマクドナルドで100円コーヒー片手に5時間ねばっているわけでもあるまい。もっともっと、「おしゃれ」を気取った場所に決まっている。愛理ほどの美しい女性が、一人で都会のカフェで深夜にアンニュイを気取っているのだ。この一文だけで面白い。いろいろなことが想像できる。
まずは、日本って治安がいいよねってこと。そして、子供だった愛理が今時の若者らしい「意識の高い女子大生」に成長したことを見事に表現している。
愛理は昔から自意識が高かった。自己演出も上手だった。今はそれを「セルフ・ブランディング」って言うらしいね。知らなかったよ。歌やダンスに対する努力も人一倍重ねてきた。その努力は実り、℃-uteのセンターになり、ハロプロ全体でも一番人気になり、慶応ガールになり、今がある。素晴らしい。どこにも間違いはない。完璧な人生設計である。
しかし、これらはすべてソーシャル・メディアで散見される「意識の高い女子大学生」の定型にぴったりと重なってしまうのである。これが彼女の不幸である。彼女自身は10年前から変わっていないのに、ソーシャルな世界の成り立ちの方が変質して、彼女に寄り添ってきてしまった。世の中にあふれる「意識の高い女子大生」は、本人はいまだ何も成し遂げていないにも関わらず、言葉だけはやたらと上から目線で高圧的だから、見ている側の笑いを誘うのである。現実と理想の乖離が面白いのだ。でも、愛理はたくさんの仕事をすでに成し遂げた立派な社会人でもあるんだから、現実と理想の乖離なんてどこにもないはずである。少なくとも歌とダンスとアイドルの世界に関してなら、彼女は何を言ってもいいはずだ。
結局のところ、愛理は何も変わっておらず、彼女を見る「周囲の目」の方が変わってしまったのだと思う。そもそも、自分より学歴が高い女性を好む男性は(残念ながら)少ない。さらにその中でも、「意識が高い」女子は男性には好まれない。いや男性だけでなく、女性にも苦手とする人は多いかもしれない。私自身は「愛理は今が一番おもしろいぞ!慶応大学卒業後は、いったいどうなっちゃうんだろう!ワクワクする!」と思っているが、これはおそらく私が傍観者だからである。
そんな彼女に勧める方法はただ一つ。気にするな。好きなようにやれ。我が道を進め。どんどん貪欲にステータスを上げていってほしい。意欲的に戦う20代女性に道は2つしかないのである。進むか、今の場所にとどまるか。愛理は「進む」と決めているのだろう。ならば進め。貴女自身の努力で手に入れたステータスを、誰にも手が届かないレベルまでどんどん積み上げていってほしい。とりあえず、ファッション雑誌「Ray」の専属モデルのお仕事が順調なようでなによりである。
あまりに違う次元にいった人間には、文句をいう人も減ってくる。嫉妬する人間もだんだん少なくなっていく。その高みにまで突き進んでほしい。目的地に行くまでは外野からいろいろ言われもするだろうが、気にするな。それこそが人生だ。まぁ今の愛理がいったい何を人生の目標にしているのか、私にはよくわからないんだけどね!彼女の人生の目標が決まった時が、℃-uteの将来が決まる時なんだろう。
アイドルとしての℃-uteに残された時間は、おそらくあと2~3年程度だと思う。その2年でどんな展開を見せるか、そしてその後どうなるのか、とても楽しみにしている。(2015/9/9)
久々に数学書のお仕事です。

技術評論社さんから、「ワナにはまらない」シリーズ第2弾『ワナにはまらないベクトル・行列』が出ます。ねじ子は今回も漫画とイラストを担当しています。前作『ワナにはまらない微分積分』の発売から2年、いやあ、今回も大変だった!本が出ることになって、本当に嬉しい!発売日は2015/9/26です。
高校までの数学の知識を使って、ベクトルと行列を説明しています。ベクトルと行列の本なのに、なぜか多項式の剰余定理から始まる独特の目次構成も大上先生ならではだと思います。
なおこの本は、長らく絶版になっていた『四次元の林檎』を大幅に加筆修正したものです。かなりわかりやすく、生まれ変わっていると思います。旧版を持っている方も新たな気持ちで楽しんでいただけるのではないでしょうか。
ちなみに、旧『四次元の林檎』ファンのために!技術評論社さんが!またも!粋な計らいをしてくれましたよー!拙著をお買い上げの際は、ぜひ表紙カバーを取って、カバーの裏側を確認してみてください。そっちを表紙として使ってくださっても、良くってよ。
次回作は旧『数学のできる人できない人』のリメイクですね。私も楽しみにしています。『ワナにはまらない』数学3部作はかなり長く時間のかかるプロジェクトですが、ようやく先が見えてきました。(2015/9/3)
佐賀大学美術館で絶賛開催中の『知られざるメディカルイラストレーションの世界-描かれた からだの神秘-』展に行ってきましたよー!楽しかった!


本格的メディカルイラストレーションの世界をかいま見ることができて、とても勉強になりました。
古典的で写実的な臓器や手術のイラストが多いなか、私の作品はやはりプカプカと浮いていましたが、それはそれでメディカルイラストレーションの多様性が来場者の皆さんに伝わりやすくなったかな、と感じました。「医療イラストにもいろんな幅があるんだ、漫画もアリなんだ」と思っていただければ本望です。
自分の作品の周辺はこんな感じでした。


私の作品(が載っている雑誌)の横に解体新書のレプリカが並べられていて、非常に恐れ多く、穴があったら入りたい気持ちになりました。いやー、解体新書のイラストって、筆で描いたとは思えぬ繊細さで本当に上手ですよね!ちなみにその横にあるのは3Dプリンタで再現した臓器だそうです。新しい!そんな表現方法もありだ!

撮影禁止ですが、無料でA5の目録がもらえます。一作者につき一作品のイラストが抜粋されて載っています。

ちなみにねじ子の漫画制作パンフレット「NEJIMAN2015」も数量限定で置いてもらいました。
さらに、このメディカルイラストレーション展、今後もいろいろな地域で開催する予定とのことです。東京に来る野望もあるとか!ぜひ来てほしい!楽しみにしています。都会にはこういうの好きな好事家がたくさんいるはず!
ここぞとばかりに佐賀のご当地グルメも食べてきました。九州ってのは何を食べても安くて、おいしくて、自然も豊かな島ですよね。

佐賀ラーメン。博多ラーメンによく似た、こってり白濁とんこつ。思ったよりスッキリしています。柔らか細めん替え玉なし、が博多ラーメンとの違いだとか。

ブラックモンブラン。佐賀を代表するアイス会社・竹下製菓の作っているアイス。全国販売のロッテ・クランキーチョコアイスによく似てますが、こちらの方が粒が細かくて多く、アーモンドの味が濃いです。個人的にはブラックモンブランの方がずっとおいしいと感じます。

佐賀県が県をあげて推している(らしい)B級グルメ、シシリアンライス。ライス+レタスやトマトなどの生野菜+甘辛く炒めた牛肉+マヨネーズの大皿をかき混ぜて食べる。シシリア島とは特に関係ない模様。

佐賀牛。うふふ。できたてのステーキを食べられることほど幸せなことって、この世になかなかないですよね!有明湾ののりとイカもおいしかった!
あ、『知られざるメディカルイラストレーションの世界-描かれた からだの神秘-』展は8/23までですよー!お近くの方は是非どうぞ!(2015/8/20)
東ハ-37a 「ねじ子アマ」
みんな集まる夏じゃん!
今回の医療ジャンルの配置は1日目、8/14の金曜日です。ご注意下さい。(ちなみに次の冬はまた大晦日の3日目に戻る予定です。)
※今回、手技の新刊はありません。
※当日、ねじ子本人は販売ブースにはいません。
--今回の搬入商品リスト--
★平成医療手技図譜【ICU編】1000円(※1)
★平成医療手技図譜【神経編】500円(※2)
★ねじバッジ(全5種) 各100円
★A5クリアファイル 100円

※1 将来的には商業誌化する予定ですが、結構先になりそうです。
※2 商業誌『ねじ子のぐっとくる脳と神経のみかた』にほぼ収録されています。
上のどれかをお買い上げいただいた方へ、おまけのノベルティがこちらです↓
★NEJIMAN 2015

16ページの小冊子です。今回の新刊です。
現在、佐賀大学美術館で行われている『知られざる メディカルイラストレーションの世界-描かれた からだの神秘-』展のために制作した小冊子です。会場でも数量限定で無料配布されています。
ねじ子の本の作り方を描いた4コマ漫画になります。(2009年に三省堂書店さん主催の『森皆ねじ子 ヒミツの原画展』を行った際に作った4コマ冊子を時代に合わせて加筆修正しました。)
ハロプロに何か新しい「お知らせ」があるたびに、つんく♂さんは「つんく♂バージョン」の仮歌を流してステージに光臨していた。メンバーは悲鳴を上げて地面に崩れ落ち、ファンは色めきだって全力でコールを入れる。そうやって、つんく♂さんはさまざまな「お知らせ」を我々に伝えてきた。良いことも、悪いことも。たとえそれが事務所の上層部が勝手に決めた内容で、彼はそれをただ伝えるだけのスケープゴート、いや違ったスポークスマンに過ぎなかったとしても、我々はその登場を楽しみ、彼の伝える「お知らせ」に一喜一憂し、しぶしぶながらも納得してきた。「つんく♂がそう決めたのなら、しかたがない」と。
でも、それをやる人が今はいない。「責任者は俺だ」という顔で出てきてくれる代表者がいない。もちろん、裏にはそれぞれの部署にそれぞれの責任者がいるのだろう。でも、表向きは誰も見えてこない。説得力のあるスポークスマンが欲しい。実際の責任者じゃなくてもいいから、表に出てくる人が一人欲しい。今の状態では、誰によってこの巨大なプロジェクトが操られているのかわからないよ。作り手の顔が見えにくいのだ。工業製品を売る一般企業ならそれでいいのだろうけれど、たくさんの少女たちの将来性を売り込む世界では、ある程度目に見える「指導者」がいないとその魅力が伝わりにくくなってしまう。
スポークスマンには誰もがなれるわけではない。スポークスマンの伝える内容が「良い」お知らせであれば、その賞賛を一身に浴びることができるが、「悪い」お知らせであった場合、ファンに容赦なく叩かれることになる。あくまで上層部による会議で決めたことであって、スポークスマン一人が勝手に決めたことではないのに、代表してボコボコにされなければならない。「生け贄」になる覚悟がいる。普通の人間にはとても耐えられまい。
「業績」も必要だ。実績がないぽっと出の人間が何を言っても、「どうしておまえがそんな重要なことを決めるんだ!?」と思われてしまうだろう。ファンだけでなく、メンバーも困惑するだろう。「この人が決めたのならしかたがない」と全員に思わせるだけの説得力と求心力が必要なのだ。
そんなわけで、今こそ道重さゆみが復帰するべき時が来た!とねじ子は確信している。彼女ほど「今の」ハロプロファンとハロプロメンバーに対して説得力を持つ人間は他にいない。アイドルとしての復帰ではなく、プロデューサーあるいはスポークスマンとしての復帰である。もちろん、コンサート中に突如流れる登場曲は「仮歌・道重さゆみヴァージョン」だ。このためだけに仮歌を収録することなど、この事務所にとっては造作もないことだろう。もうとんでもなく下手糞な仮歌を引っさげて、ステージに現れてほしい。一小節でも音痴だとわかるような壊滅状態であることが望まれる。「さゆってば、相変わらず音痴だなー!」と言いながらも、満面の笑みで雄叫びをあげるハロヲタの皆さん。満を持して登場するさゆ。泣き崩れ、動揺するメンバー。ニヤニヤしながら発表をじっくりと読み上げていくさゆ。考えるだけで胸が熱くなるな。あ、仮歌収録風景はぜひMUSIC+で公開してほしい。
嗣永桃子のカントリー・ガールズのプレイング・マネージャー業が大成功を納めているのだから、さゆのハロプロマネージャー業(orスポークスマン業)もきっとうまくいくだろう。どうだろう、さゆ?さゆもさぁ、そろそろ趣味のネットパトロールに飽きてきた頃じゃないの?ねぇねぇ。彼氏がいてもいいし、結婚しててもいいし、子供がいてもいいよ。実働は年に3回くらい「大切なお知らせ☆」をお伝えしに来るだけでもかまわないからさー。つんく♂とハロプロのために一肌脱いでくれないかなー。頼むよ。あなたしかいないんだよ。適任だと思うよ!(2015/5/27モーニング娘。武道館参戦直前)
つんく♂さんが声帯を摘出したことを発表しました。つんく♂さんは勇気ある決断をしたのだと思います。もちろん医者として正しいと思うし、ハロヲタとしても、「つんく♂さんには1日でも長くハロプロを見守っていてほしい」とねじ子は常々思っていますから、「手術に踏み切った」というニュースを聞いたとき、私は正直言ってほっとしました。これで生き延びる「道」ができます。放射線治療と化学療法の後にガンが再発したのなら、もう手術しか生き延びる道はないのです。でも、声を使う仕事をしている多くの芸術家たちが声帯の手術を拒んできました。その気持ちもよくわかります。仕事か健康か、芸術か生命か。どちらかを選ばなくてはいけなくなったとき、患者さん本人がどちらを選ぼうと、その選択を部外者がとやかく言えるような問題ではないのです。
そしてつんく♂さんは「より長く生きることができる」確率が高い選択をしてくれました。ねじ子はハロヲタとしてその選択に感謝しています。手術をすれば100%の生存を保証できるわけではないのが「ガン」という病気の恐ろしいところでもあるのですが、それはそれ。とりあえず先の道はつながりました。つんく♂さんはこれからも、希望を持って明るく創作と子育てを続けていってくれるとねじ子は信じています。
もちろん、つんく♂さんの声が好きでした。つんく♂さんの作る曲もハロプロ仮歌も好きでしたし、メンバーへの歌唱指導ぶりも好きです。つんく♂さんの軽妙なプロデューサーとしての「語り」や突然行われる「大切なお知らせ」も好きでした。それらが失われてしまうのはとても悲しいことです。それでも、ここからはつんく♂さんの軽妙なTwitterを見習って、私も明るい未来の展望についてだけ書いていこうと思います。次のエントリーに続くよ!(2015/4/23)