ねじ子web

ねじ子のLINEスタンプが発売されています
  • カテゴリーなし

2021年 ハロプロ楽曲ランキング

※今更2021年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

私はこの文章を長いあいだ書くことができませんでした。2021年2月に高木紗友希ちゃんが突然いなくなったことに、私はひどく萎えてしまったのです。彼女をあんなにも早く──週刊誌の報道からたった一日で──Juice=Juiceというグループから脱退させる必要などなかった。お相手のミュージックステーション初登場にあてつけるかのように、生放送直前に脱退を発表する必要などまったくなかった。私は今でもそう感じています。せめて、紗友希とファンがお別れできる場所をどこかに作ってあげてほしかったです。

2021年2月12日、それは私が首を長くして待っていた新型コロナウィルスのワクチンがついに日本に届き、厚生労働省の専門家部会において承認が了承された日でした。私は早くから好きな酒を用意してこの日を待っていたのです。私にとって「今世紀最大の祝祭」といえる日に、大好きな女の子がクビになるとは。「なにこのニュース。最悪の対応だわ。古い悪習を断ち切る最大のチャンスを事務所は自らつぶした」としか思えませんでした。

紗友希の彼氏が出ると聞いて、私は数年ぶりに生放送の音楽番組ミュージックステーションを録画予約したのに。「紗友希の彼氏ならば口パクは絶対に許さんからな!」「紗友希より歌が下手だったら許さんからな!」「いやそれはさすがに無理があるでしょ」などと笑いながら楽しみに待っていたというのに。優里さんは実力あるシンガーソングライターだと聞いていたから、ハロプロに曲を提供してくれればぜんぶ許す!と思っていたのに。

紗友希をグループからとつぜん脱退させたうえにM-LINEに引き留めることができなかった事務所、彼女を罵倒する少なくない数のハロヲタの仲間たち、彼女を引き抜いたっぽく?見える?周囲の大人たち。そのすべてに私は大いに冷めてしまいました。

「アイドルが恋愛することによって離れるファンがいる」と主張する人間がいるならば、私はハロプロ結成当初からずっと「アイドルに恋愛禁止ルールを押し付けていることが露呈することによって離れるファン」なのです。矢口がモーニング娘。を首になったときも、ものすごく、ものすごーく萎えました。私がハロプロから最も離れていたのは、矢口がモーニング娘。を首になったあとの二年間です。その期間だけ私はハロプロを追っていません。まあ正確には冠番組の『ハロステ』だけは毎週見ていたのですが、ろくすっぽ楽曲を聴いていませんでした。

恋愛は生命の根源的な衝動です。生命の根源的欲望を軽く見てはいけません。それを甘く見ると、反動で必ずひどいしっぺ返しが来ます。恋愛は私たち凡人が世界を変えるための唯一の方法であり、自分がこの世に存在していたことを歴史に残すたった一つの手段なのです。「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と太宰治も言っています。

10年間やり切った仕事──しかも人間として当然の権利を行使しただけなのにファンからの罵倒が待っているであろう仕事──と、いまの恋愛。どちらをとるかは明白です。私が紗友希でも恋人をとるでしょう。

現代日本において、一個人に恋愛を禁止することは人権侵害です。ハロプロがそのような人権侵害を若い女子に強いる組織であるならば、私の心が寄り添うことはできないのです。誰も得しない短絡的な人事に、私はすっかり萎えました。ハロプロのために長文を書く意欲がなくなってしまったのです。これは私なりの抗議のかたちでもあります。

私はずっとずっと、自分が思っているよりもずっと、紗友希のことが好きでした。みんなそうでしょう?ハロメンも、ハロヲタも、ハロプロに関わっているすべての人間が彼女の歌を愛していた。ハロプロに紗友希という歌姫がいることを自慢し、誇りに思い、鼻高々だった。そうだったでしょう、みんな。もう忘れちゃった?

会場を埋めるファン全員が彼女のパートを心待ちにしていた。どのグループのファンであっても、誰のメンバーカラーのTシャツを着ていても、どんな色のペンライトを振っていたとしても、紗友希のフェイクの後では「fuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!」と叫ばずにはいられなかった。彼女のパートのあとは、地が揺れるような喝采が自然にわいてホールを埋めつくす。それがハロプロでありハロヲタだったのだ。みんな彼女の歌を心の底から愛していた。「私たちが誇る歌姫・紗友希の歌を、みんな聴いてよ!」とハロメンもハロヲタも、おそらくスタッフも、ハロプロに関わる全員が思っていた。思っていたのに。

紗友希がハロプロを辞めると言うならば、周囲の大人たちは全力でそれを止めなければならなかったのです。せめて卒業イベントができるように、それまではなんとか、必死で説得するべきだった。紗友希自身が強固に辞めたがって、もうどうしようもなかったであろうことはなんとなくわかっています。それでも、なんとか説得してほしかった……。

紗友希はハロプロで文句なく一番歌がうまかったし、歌が上手くあり続けるために、子どもの頃から絶えず努力し続けていました。彼女はハロプロが掲げる「芸術至上主義」のいわば象徴と言える存在だったのです。そんな彼女が犯罪でも不倫でもない、ただの自由恋愛でクビになるというのは、はたから見たら「芸術至上主義が処女信仰に負けた」という極めてダサい結論に他なりません。私には到底受け入れられない結論です。極めて旧時代的な組織の、醜い末路としか思えないのです。実際、ニュースを受けてそのような外野の声がたくさん届きました。ハロヲタである私もそれにまったく反論することができません。ていうか私だってそう思うわ。

Juice=Juiceが主演したドラマ『武道館』の男性出演者陣の性的スキャンダルの多さを見るに(仮面ライダーメテオこと吉沢くんと仮面ライダーバースこと君嶋くんはどうか無事でいてほしい)、ハロプロのガチガチの恋愛禁止は「彼女たちを悪い共演者やスタッフから守るため」という要素がきっと多分にあるのでしょう。それはわかります。

それでも、私は紗友希の卒業コンサートが見たかった。なんなら円満卒業後に優里さんにハロプロに楽曲を提供して欲しかった。できたはずだよ。なんでできなかったんだ?私たちは、ミキティ10周年ライブで庄司さんが客席に表れたとき、歓声を上げて「庄司コール」をすることができるオタクなんだよ?その日の2ちゃんねる狼板に「同じ女を愛した男だからな」って書き込んじゃうのがハロヲタなんだよ?もっと私たちを信頼してくれよ。ていうか紗友希の一件の顛末を見る限り、誰よりも処女信仰が強いのは他ならぬ事務所自身じゃねーか!おたくのせいにするんじゃねーよ!!……と私は思わずにいられない。優里さんに「同じ女を愛した男だからな」と私たちが笑って言える日は来ますか?来てほしいよ。事務所さんは頑張ってくださいね。

ハロぺディア 同じ女を愛した男だからな

庄司智春、藤本美貴と結婚時のネットの声に感動「同じ女を愛した男だから許してやろうぜ」


庄司さん、筋肉を仕上げてきたことは高く評価しますが、ロマンスの腕の伸びと顔と体幹の角度が甘いので、次はそこを練習してきてくださいね。あとサビはちゃんと360度回ること。

さて17年前の矢口更迭後しばらくして、私はまたハロヲタに戻ってきました。『テニスの王子様』アニメ再放送のついでに見たアニメ『きらりん☆レボリューション』のOP「バラライカ」がたいへん素晴らしかったことが帰還の理由です。月島きらりちゃんの楽曲とアニメがあまりに素晴らしかったから、私はハロプロに帰ってきました。今ものすごく萎えている私もまた、月島きらりなみに魅力的なコンテンツと『バラライカ』なみの名曲が発表されれば、またハロヲタに戻るのでしょう。

よって今年は記述が短いです。以下に順位を置いておきます。

1位 涙のヒロイン降板劇 / つばきファクトリー

MVを見た瞬間に、Tsubaki Factory New Era !と叫びたくなる一曲。海外オタクのYouTubeコメント”New era for Tsubaki.” “Perfect start for a new era.”がすべてを物語っている。

小片リサちゃんという楽曲の核を失ったつばきファクトリーが出してきた新機軸だ。新メンバー4人も全員可愛く、個性的で、歌も上手い。現ハロプロ随一の歌姫であるきしもんが覚醒している。若い男性の間で流行している黒髪センター分けの髪とスタイルのよさが相まって、男性若手俳優のようだ。凛々しい。最高。MVもアイディアにあふれていて、小道具にお金がかかっている。顔のアップが多く、アイドルのMVらしさを忘れていないところもいい。

そしてなんと言ってもタイトルと歌詞が素晴らしい。タイトルは最初「『涙の』ヒロイン降板劇」と読んでしまって「おいおい、なんて攻めたタイトルだよ。いくらなんでも現状に寄り添いすぎだろう」と不安になったけれど、実際は「『涙のヒロイン』降板劇」であった。サビの歌詞「涙のヒロイン 降りる宣言 君の代わりはいるでしょう 私が私のこと愛さなくちゃだめ」から、それが伝わってくる。

歌詞はまるで、グループ一番人気だった小片さんの突然の脱退のあと新しいメンバーを加えて再出発するつばきファクトリーの状況にあわせて「あて書き」したかのようである。実際はあて書きではなく、山崎あおいさんが別の機会に提出済の歌詞がここで使われたという。この時期のつばきファクトリーに提供されたことによって、あまりにぴったりのタイミングで歌詞が現実に寄り添ってしまったことに、山崎さんは驚いたという。※ソース

歌を聴きながら「いったい誰が『涙のヒロイン』なんだろう?」と考えるのも楽しい。悲劇的につばきファクトリーを去ることになった小片さんこそが涙のヒロインと考えてもいいし、メジャーデビューをつかんで初舞台に立つ新人四人こそが涙のヒロインとも言えるし、この曲においてはセンターの立ち位置ではない樹々ちゃんの歌だと考えてもいいし、持ち前の歌唱力を存分に発揮して楽曲の柱になっているきしもんこそが涙のヒロインと思っても成立する。たくさんの女子一人一人の人生に合わせて、解釈が何通りも成立する歌詞なのだ。

そして最後はきしもんによるフェイクと「惨めな役は 似合わない 癪(しゃく)なスポットライト 躱(かわ)して つかもうぜ!華やかな Next ストーリー」で楽曲が終わる。素晴らしい。これまで泣いてばかりの悲劇のヒロインだった自分たちが、その悲劇から自力で脱け出し、この曲を手に次に進む。そんな現状にぴったりだ。つばきファクトリーは確かに再生した。それだけの力を持つ楽曲だ。

さて、ここからは私一人の勝手な喜びを書きます。

ルパパト好きの私としては、ルパパト第12話に車椅子の少女役として出演していた河西結心ちゃんが、前事務所であるアミューズを辞め一般の高校生になったあと、ハロプロのオーディションに合格して歌手デビューし武道館に立つ、という「物語」が見られたことがとても嬉しかった。ルパパト12話劇中の少女は、歌が大好きでステージに上がりたいという夢があるけれど、足を悪くして車椅子生活となり、その夢を諦めかけているという設定である。その物語の続きを見ているような、車椅子の少女が本当に数年後に夢を叶えたかのような錯覚に私は容易におちいった。大手事務所を辞めて山梨の田舎の一高校生として暮らしていた河西結心ちゃんが、ルパンイエローの事務所のオーディションに合格し歌手として武道館に立ったという「物語」は、まるで劇中の車椅子の少女の足が無事に治ってステージで歌う夢をかなえたかのような幸福な錯覚を私に見せてくれる。物語の中の少年がルパンブルーに触発されて一念発起したように、現実でも、ルパンイエローに触発された一人の少女が一念発起して自らの夢を叶えたのだ。結心ちゃん、ハロプロに来てくれてありがとう。

2位 愛してナンが悪い!? / モーニング娘。’21


モーニング娘。新アルバム『16th~That’s J-POP~』冒頭の一曲。

当初、このアルバムは私の琴線にあまり触れなかった。それはコロナのせいで楽曲を披露する場所がまったくなかったゆえであると、佐藤優樹ちゃんの卒業公演で私は気が付いた。娘。のエースであるまーちゃんの卒業公演を見て、私は初めて「娘。の楽曲の魅力はライブでこそ出る」という当たり前の事実にたどり着いたのである。遅いね。

ハロプロにおいては(時系列的に)一番最初にCD音源が収録される。そのため、その後何十回と行われるライブで歌唱力と表現力がどんどん上達した結果「CD音源が一番下手」という珍現象が発生する。口パクせずに生歌のライブを地道に積み重ねる若い音楽集団ゆえだ。その上にオタクのコール(コロナ以前)やクラップが乗るため、楽曲はさらなる別物に進化していく。その変化と成長こそがハロプロの面白さである。簡単に言うと、曲がライブで成長していくのだ。

ハロプロの楽曲はライブでどんどん洗練されていく。これを逆に言うと、ライブがない場合、曲が変わらない。こっちも聞き込むことがない。音源を聞く機会が減る。歌詞への共感やなじみも減っていく。娘。は、いやハロプロは、くりかえされるライブと公式から(昔は一部有志によって)Youtubeに次々とあがるライブ映像ありきの集団芸術なのだ。

そんな状況の中、ライブなし、音源を聴いただけで好きになった曲が『愛してナンが悪い!?』。ライブで聴いたらさらに好きになった。つんく♂さん真骨頂の一曲。

歌詞は明らかに高木紗友希のためのものであり、彼女を肯定するための歌詞である。愛して何が悪い。もちろん、何も悪くない。いや本当は紗友希のためではないと思うけれど、タイミング的にはそうとしか思えない時期に発表された。愛して何も悪くない。当たり前だ。あの三島由紀夫でさえ「少年がすることの出来る──そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう」と言っている。医学的に言えば、男女の恋愛を否定するのは、人類に「滅べ」と大声で叫んでいることと同じである。まあ別に世界破壊願望を持つこと自体はかまわない。反出生主義もよくわかる。しかし、それを他人に強要するのはまちがいだ。繁殖を否定されても困るし、女性の性欲を否定するのは女性の人権を否定していることと同じである。私たちには確かに肉欲があり、その相手を自由に選ぶ権利がある(もちろん相手の同意は必要)。肉欲のわく相手と一緒に過ごしたいと願う、その欲望自体を否定することは許されない(もちろん相手の同意は絶対に必要)。つんく♂さんありがとう。

さてこれが二番になると、「グーグーグーGood ! 親指が人気の基準じゃん アホらしい」とSNSのいいね!の数を競う世の中を憂いつつ、突然「シャーシャーシャーシャー洒落臭い 宵越しの恋愛」と、初恋の狂乱から急激に冷めた目線に主人公が変化している。いったい何があったんだ。1番の歌詞で「深夜焼き肉デート 親密じゃん」していた相手とは別れてしまったんだろうか?これまた味わい深い。そして最後は結局、人生の野望のために現実を見すえて、限界を決めずに想像力を発揮していくしかないよね!といういつもの結論に至る。これまた表現者たちの正しい現実主義で素晴らしい。バランスがとれている。

決めのパートの「Oh 愛して何が悪い!?」と「常識は非常識」を、入ったばかりの15期三人が順番に回しているところも好きだ。それぞれの声の個性が出ている。この曲がアルバムの一曲目に置かれているということは、つんく♂さんが新メンバーを軸にモーニング娘。の次の時代を考えているということである。よかった。

私がモーニング娘。に求めているのは「変化」である。大好きだった福田明日香がいなくなった23年前から、私が娘。に求めているのは常に「変化」である。変化が欲しい。それ以外はいらない。変化してくれ、モーニング娘。

3位 空を遮る首都高速 / 和田彩花


ハロプロの事務所は「ハロプロを宝塚にしたい」という野望があるんだな、と私が気付いたのはいつ頃だっただろうか。高橋愛ちゃんが宝塚の大ファンであったこと、その愛ちゃんが「宝塚には『すみれコード』があるけれどモーニング娘。には『モーニング・コード』がある。卒業して『モーニング・コード』がなくなったとたんに、これかぁ!って感じです」と発言した時(2011年11月27日帝国劇場での記者会見)だろうか。ハロプロエッグに大量に人材を投入し、そこからデビューさせたりグループを作り始めた時期だろうか。
① 25歳までの女子による
② 在京の
③ TVの歌番組にも出られる
「アイドル版宝塚」をハロプロは目指しているんだろうな、という意図を私は嗅ぎとりはじめていた。

その頃ハロプロを支えていたBerryz工房と℃-uteは、あまりに幼ない時期からあまりにも長い時間を固定メンバーで拘束していたために、新しいメンバーの中途加入を受け入れることはできなかった。メンバーもそうであったし、ファンもそうであった。Berryz工房と℃-ute(とその選抜ユニットであるBouno!)は結局最後まで卒業・加入制のグループにすることはできず、休止または解散した。

娘。以外に初めて卒業・加入制グループとして独り立ちできたのが、他ならぬアンジュルムである。アンジュルムは娘。以外のハロプログループで初めて、宝塚の一つの「組」にあたる存在になった。モーニング娘。が花組であるならば、アンジュルムは月組になったのだ。

宝塚の組にもそれぞれ得意分野とカラーがあるときく。モーニング娘。とアンジュルムにも、れっきとしたグループの色と存在意義がある。

モーニング娘。は結局のところ、どこまでいっても「つんく♂にインスピレーションを与える楽器」である。ではアンジュルムは何か。それは「日本における女性の自立を、女性自身が考えること」だと私は思う。まぁ、これをものすごーくおおざっぱに言うと、女性の自己選択権と自己決定権、ひいてはフェミニズムと呼んでいいのかもしれない。

これはあやちょの作った唯一無二の道である。そして、モーニング娘。には歩むことのできない道である。モーニング娘。は「つんくのインスピレーションを刺激する楽器」であることが最も強い命題のグループだから、「女性自身が考えて自己の表現を選択・決定する」という視点はどうやっても持ち得ない。それを持ったときは卒業するときであり、父性からの脱出こそが娘。卒業のメタファーとなる。

アンジュルムはスマイレージの創世期からずっと、あやちょがただ一人のリーダーであった。長い低迷期にも彼女は決してくじけなかった。大人の男性たちに「日本一スカートの短いアイドル」というキャッチコピーをつけて売り出された女性アイドルグループのリーダーだったあやちょが、自力でフェミニズムにたどり着いた。その成長過程こそがアンジュルムの核である。アンジュルムというグループの中に、一番太い、真ん中に通る骨を作った。アンジュルムの中心にはその柱が通ってしっかりと立っているから、新人として誰が入ってきても大丈夫なのだ。そんなグループになった。だからアンジュルムはモーニング娘。とは別の存在になれた。これはハロプロの新基軸であり、あやちょ以外の誰にも成しえなかった。


だから私があやちょに思うことはたった一つ。どんどんやれ。この一言しかない。他の誰にも真似できない創造性を持った思想家に、ほかに言えることなんてある?想像がつかなかったものを生み出した芸術家に、他に言えることなんてある?何もないでしょう。

あえてアンジュルムの姿勢を言葉にするなら「可愛いこともきれいになることも否定せず、自分の権利も主張しながら表現者として成り上がり、かつ幸せになる道を自分で模索する女性」あたりだろうか。若い女性ファンが増えるのも当然である。そしてその信念通り、アンジュルムの女たちは自分の頭で考えて、自分の野望のために行動していく。ハロプロにいる間がキャリア・ハイではない。その先でもいろんな道へ進んでいく。田村芽実ちゃんは本当に素敵なミュージカル俳優になった。めいめいが私たちハロヲタをふたたび帝国劇場に連れていってくれると、私は信じている。

ちなみにカントリー・ガールズは「かわいいだけでなんとかなる、か?」というデビュー時の秀逸なキャッチコピー通り、「かわいい女の子がかわいい服でかわいい歌を歌う、という生身の人間が続けるには厳しいほど純度の高いアイドルらしさをキープするために、メタ視点とギャグを織り交ぜてプレゼンする」という最高のコンセプトでけっこう成功していたのだが、桃子の引退とともにつぶされてしまった。Juice=Juiceは「研修生から歌唱力エリートを次々と選抜して、歌のアベンジャーズを作る」という新機軸を見いだし、これもいったんは成功していた。Juice=Juice最初のCDアルバムの一曲目が『選ばれし私達』だったのは、まさにその象徴であったと思う。Juice=Juiceは宝塚における「雪組」になっていた、と思う、朋子卒業で横浜アリーナを埋められるくらい動員できていたんだし。それなのに、今はそのコンセプトが消えている。これからどうするつもりなのかよくわからない。つばきファクトリーもまだ未知数だ。両グループにはきっとこれから2、3年かけて、新しい色が出てくるのだろう。期待しながらゆっくり待っている。

4位 愛されルート A or B? / アンジュルム


めずらしい三拍子の曲。この曲をもって卒業する、ももにゃこと笠原桃奈ちゃんの魅力が大爆発している。卒業直前最後のシングルでようやく卒業メンバーの魅力が開花して「何でもっと前からこれをやれなかったの!?」とファンが怒る。これもまたハロプロの恒例行事である。『泡沫サタデーナイト!』の鈴木香音ちゃんもそうだった。

おそらくこの現象は「星は爆発する前が最も輝きを増す」のと同じ原理なのだろう。辞めるからこそ、自分に知らず知らず課していた心のカセが外れて、好きなように自分を表現することができるようになる。結果として限界を超え、その人にしかない魅力が花開く。それにようやく周囲が気付く。でも、もう遅い。そのときにはもう若い少女の心はとっくによそにうつっている……。卒業のたびに、何回も繰り返されてきた悲劇だ。「私の魅力に気付かない鈍感な人」にはなりたくない!って私もずっと思っているんだけどね。むずかしいね。ごめんなさい。

5位 ミステイク / ハロプロ研修生ユニット(現OCHA NORMA)


2021年・ハロヲタが聴かされた回数ランキング第一位の曲。なぜなら、ハロプロがおこなったほぼすべての興業でオープニングアクトとして披露されていたためである。私も何回聴かされたかわからない。研修生オタクの皆さんはもう聞き飽きて、うんざりしていたはずだ。でも私はこの曲好きよ。特に4人時代の『ミステイク』が好き。デビュー前のメンバー4人が不安そうな面持ちで登場しながらも、どんなアウェーの会場でも力強く歌い踊っていた印象が強い。歌も上手だった。落ちサビ導入部の斉藤円香ちゃんの「だめね」(この動画の2:54)と、落ちサビ最後でウィンクしながら観客を指鉄砲でうつ石栗奏美ちゃんの「だから」(この動画の3:10)が好き。好きだったんだけど、新メンバーの加入によって両方ともパート割が変わってしまった。残念。

誰かを好きになりそうで、でもまだその気持ちを認めたくない。初恋の感情のコントロールを知らない、でも不器用なりに策略をめぐらす少女の心の揺らぎを描いた歌詞も最高だ。

6位 このまま! / モーニング娘。’21


ライブが楽しい、明るい曲。近年の娘。に提供された唯一の明るいアイドルらしい曲である。この曲だけを頼りに生きていくのはつらいです。つんく♂の初恋真っ最中の浮かれトンチキな楽曲をもっと出してください。私もそろそろ、ドクターストップがかかるほど「恋落ち」したいんです。よろしくお願いします。

7位 激辛LOVE / BEYOOOOONDS

山崎夢羽ちゃんがサビ後に一回だけ舌を出すのがアップになるところが好き(この動画の1:46)。そこを見るためだけに20回くらいMVをリピートしている。他のメンバーがあまり舌を出さないのはどうしてなんだろう?カメラに抜かれていないだけなのかな?みんなやってほしい。

2021年の夢羽ちゃんといえば映画『あの頃。』である。夢羽ちゃんは劇中で、当時のあややこと松浦亜弥さんに扮している。これがきちんと当時のあややに見えて、すごくよかった。

『あの頃。』という映画は、なんだか筋書きに「照れ」があった。照れないで!もっとはじけてよ!上京して、「神聖かまってちゃん」のマネージャーとして売れて、ベーシストとしてもフジ・ロック・フェスティバルにまで出て、コミックエッセイも出してTVにも出て、素敵なパートナーができて子どもにも恵まれ、ハロメンとも共演して、ついに映画化したぜ!主演は松坂桃李だぜ!ハロメンに仕事を作ってハロプロに恩返しもしたぜ!うはははははは!……という主人公の展開まで含めてこそ、うだつのあがらない若者の「成り上がり」物語だと私は思うのだが。そこまで描いてこそおもしろい、いやむしろそれこそが必要では?その「落ち」がないと、ただの謎の若者集団の謎の趣味と謎の盛り上がりとその終了と別れの話になっちゃって、読後感がわけわかめだよ!!……と感じてしまった。アイドルへの情熱がだんだん冷めていくところも、それぞれにアイドルよりも大切な何かを見つけて徐々に散っていくところも、それでも友情は細々と続いていくところも、病気とともに三次元女性に耐えられなくなり二次元にはまっていくさまも、忌憚なく描いてほしかった。そのなかで上京した主人公が「俺だけは音楽で成り上がっていく!一緒に馬鹿やってた昔の仲間と離れて、なんとか成功したぜ!でも心の中では当時のことを決して忘れていない!だから、この物語を描いた!」まで突き抜けてくれれば、私は『トレインスポッティング』と同じ味わいで楽しむことができたと思うのに。でも、物語はそのずっと手前で終わってしまった。

実際の原作では、コズミン(役名)が死ぬとき、主人公はすでに神聖かまってちゃんのマネージャーとして表立った仕事を順調に行っている成功者になっている。でも、あまりそうは描写してくれない。もっとガツガツしてくれ、主人公。もっと野心をもってくれ、主人公。もっと自我を見せてくれ、主人公。それがオタクってもんだろ。そこになんだか「かっこつけ」というか、「照れ」が見えてしまったのだ。

私はオタクなので劔さんのその後のご活躍を知っている。だから、映画の後を脳内補完して楽しむことができる。でもそれはあくまで作品外の予備知識だ。ちょっとだけでも映画内で示して欲しかった。本音を言えば映画の中で現実と交差して、劔さんが自分の過去のマンガを描く、さらにそれが映画になるところまでやってくれたってよかった。ちょっとメタフィクションくさくて萎えるかもしれないけど、そこはまぁ上手くやってもらって。原作の「ダメな若者ばかりだけど妙に爽やかな読後感」との差は、結局、主人公があの後どうなるのかよくわからないことにあるのかなぁと思った。

演出や楽曲、小道具の時代再現や役者さんの演技は素晴らしかったと思う。コンサート会場の客席の再現度も完璧だった。石川梨華ちゃん卒業コンサートにいた、大箱の卒コンだけにはチケット譲渡も辞さずに参加するお堅い職業の一人参加の高齢女性ハロヲタは、一瞬自分のことかと思ってしまった。物語全体で見ればあの女ヲタはなんで出てきたのかよくわからない存在だったけれど、観客である私が「おっ自分のことかな?」と思う人物が出てきたという事は、ハロヲタを細部まで描けているということなんだろう。たぶん。

2021年は以上です。2022年は今のところモーニング娘。の『よしよししてほしいの』一強の予定です。いまだ続く新型感染症のせいで新曲をリリースすることすら大変なご時世かと思いますが、一曲でも多く新鮮な曲が聴けることを楽しみにしています。(2022/10/30)

仮面ライダーオーズ10周年記念映画『復活のコアメダル』を見た

仮面ライダーオーズ10周年記念映画『復活のコアメダル』を見た。

※以下映画のネタバレしかないので、ネタバレを見たくない方は回避してください。

先行上映組が続々とファントムを生み出し各地でサバトが開催されているのを見ていたので、心の弱さを自覚している私は、ネタバレありの掲示板やブログやふせったーや映画レビューサイトを事前に熟読し、完全に予習してから映画館へのぞんだ。子どもを連れて行って大丈夫かを判断する必要もあった(だめだと判断して一人で行った)。

ちなみに私は、オーズ直撃世代の子どもとともに当時のTV放送をのめり込んで見ていた人間である。2011年放送当時、東日本大震災がおきて福島第一原子力発電所が爆発した。一日何回も緊急地震速報が鳴り響き、小刻みな余震が絶えず発生していた。放射性物質の被害がどのくらい広がっていて、いつまで続くのか誰にもわからなかった。そんな中、我慢や自己犠牲を徹底して否定し、人間の欲望を高らかに肯定しながらすべての誕生を祝福する「仮面ライダーオーズ」という物語に、どれだけ救われたかわからない。当時の私は日曜日の朝のために生きていた。先日行われていた仮面ライダー大投票でも、入れられる票はほぼすべて仮面ライダーオーズと将軍と21のコアメダルとMOVIE大戦MEGA MAXとTime judged allに入れた。小説版オーズも発売してすぐに買って読んだ。

中学生に成長した長男のみならず、当時生まれていなかった園児である次男も、いまだに13年前の商品であるDXオーズドライバーとDXメダジャリバーとDXタジャスピナーで遊ぶ。DXオーズドライバーは10年に一度の傑作玩具だと思う。変身して楽しい、メダル投げても楽しい、音を鳴らして楽しい、ただ眺めているだけでも楽しい。オーズになりきって「変身!」する子どものために、「オイこれを使え」とぶっきらぼうに言いながらメダルを投げさせられた回数は数知れない。津波の映像を流し続けるTVニュースを背景に、無邪気に変身して遊ぶ子どもの姿を私は今でもあざやかに思い出せる。彼らにとって火野映司はいまでも「ヒーロー」かつ「自分」であり、私にとって火野映司はすでに「10年育てた息子」なのである。

子どもを映画に連れて行くのをやめた判断は、結果として大正解であった。

私の視聴直後の感想は不覚にも「『がんばれいわ!!ロボコン』よりはましだったな」というものであった。事前の予習により心の中のハードルを最大限に下げた努力のたまものといえよう。『がんばれいわ!!ロボコン』を映画館で見たゲテモノ東映特撮大好き人間のねじ子にとって、今作は「思っていたよりも食べられる料理が出てきた」と感じてしまった。私の中の映画星取レビューは「がんばれいわ!!ロボコン<復活のコアメダル<スーパーヒーロー大戦」だな!どれも星1つだけど!

なぜなら、この映画はラスト5分まではそこそこ面白かったのである。ラスト5分で、ここまで積み上げてきたキャラクターの行動原理と物語のテーマが突然すべてひっくり返ったので驚いた。最初の50分とラスト5分(正確にはゴーダの裏切りのあたりから)で別の作品をくっつけたのではないかと思うほど、脈絡が離断しているのだ。

今からでも遅くないからアンクが腕にくっついてる映司が砂浜を歩く映像を作って、ED後に3秒でいいから流してくれないかな。まじで。そうしないと映画内ですら矛盾がはなはだしくて、見ていられないよ。「なんで映司くんが助かる手段があるのに使わないの?さんざん自分たちで『信吾のときのようにできる』『最後まであきらめるな』と言ってたのに?アンクくっつけたまま映司の体を治す旅に出る(たまにアンクが不貞腐れてどっか行っちゃって比奈ちゃんが怒るギャグ回がある)でよくね?何がダメなの?」という、視聴者の「誰もが」もつ疑問への答えは、この映画のどこにもない。

つまり、これは「映司が死ぬ」という「結論ありき」で作られた映画である。おそらくこの映画の作者(誰だか知らない)は「一個の命を戻すには一個の命の犠牲が必要」という等価交換の価値観を強くもった人なんだろう。それ自体は理解できる信条である。しかしそれは「仮面ライダーオーズ」という作品のテーマとは致命的に食い合わせが悪い。壊滅的なほどに合わない。だから最初の50分とラストの5分で物語が乖離してしまっている。「命の等価交換のお話がやりたいならオリジナルでやれ。オーズの10周年でやるな」としか言いようがない。

だって映司くんはすべてを救う手段を最後まであきらめずに考え、狡猾にそれを成し遂げるヒーローなのである。映画『将軍と21のコアメダル』で「ここにいる全員が家族だ」と言い放って悪役さえもだまし町民全員を救ったように、映司は誰よりも大きい欲望をもって目の前にいるすべての人間を救おうと最後まで冷静かつ強かに知恵をしぼる人間なのだ。この映画の中でさえ、そう語られていたではないか。アンクとジェネリック爆撃少女(なんで最後出てきたの?)を助けて満足して死を選ぶなんて、そんな小さい欲望で映司が満たされるはずがない。彼のもっている危うい自己犠牲的な側面はTV本編で否定されつづけ、最終回に「他人と手をつなぐことでより広い範囲まで手が届く」という結論にたどり着いたのではなかったのか。

震災による自粛が叫ばれる中、「我慢しないでいい」「もっと欲しがれ」「欲望こそが明日を切り開く」がオーズという物語最大のテーマであった。それは当時の私にとって、絶望の中で光り輝く生命賛歌であった。こんなテーマのヒーロー作品は他に類を見ない。自己犠牲こそを尊いものとして美しく伝え、欲望を否定する英雄譚はこの世にありふれている。そうじゃない、むしろ真逆だからこそ「仮面ライダーオーズ」という物語は今でも特別な人気があり、映司は唯一無二のヒーローであり続けてきたのだ。

そして、グリードであるアンクはさらに欲望に忠実な存在だったはずである。欲にまみれた粗暴な怪人が人に囲まれて生きざるをえなくなり、しだいに変化し、最後には自分を捨てて映司の暴走を止め自らは消えていくという「たった一度の献身」にいたる過程こそが、主人公と対になるこの作品のテーマであったはずだが、……なんでアンク突っ立って泣いてるのよ。おめーそんなタマじゃねーだろ。もっと欲しがれよ!伊達さんも医者でしょ。なに突っ立ってるのよ。胸骨圧迫のひとつもしろよ。私が好きだった伊達さんはそんなヤブではなかったはずだ。

そもそも当時壊れたはずのメダルが普通にもりもり残ってるのはなんで?どの時間軸とつながってんの?MEGA MAXとつながってる世界なら、風都も天の川学園も2021年には壊滅してるし、仮面ライダーWとフォーゼもここまで助けに来れないほど無力化されてるってこと?平ジェネFINALとつながってるならエグセイドまでのライダー世界も全滅に近いのでは?「全人類の8割死んでる」「メダルのことを知っているのはここにいる人間だけ」って、オーズが本編で助けたゲストキャラもみんな死んじゃったの?剣道少女もマイペンライも八景島シーパラダイスのトイレの福くんももういないの?そんなの嫌だよ!!あとなんかベルト増えてない?全部で3つくらいあるような。鴻上ファウンデーション製であるメダジャリバーを古代王はどこからもってきたの?メルカリで買った?ノブくんの剣とメダジャリバーで二刀流になったときは面白すぎてポップコーン吹き出しちゃったよ。東映の倉庫から引っ張り出してきたのかな?なんでもありだね!あとなんでアンクは王の中で紫のメダルを取り出して外に投げられるのかな?それができるならTV本編後半でやればよくね?映司グリードの悲劇がすべて台無しじゃない?そもそも瀕死の人間にしかアンク取り付けないはずなのに、お兄ちゃん別に瀕死じゃないよね?お兄ちゃんのこめかみに指をあてれば記憶を全部読めること、アンク忘れちゃった?なんで比奈ちゃんすら兄の人権をずっと無視してんの?そもそもアンクって寄生主の意思で追い出せるような生ぬるいシステムだったか?それならTV本編のお兄ちゃんは気合が足りなかっただけになっちゃうよね?そもそも古代王が復活して他のグリードを蘇らせたときに、アンクのコアメダルだけが「都合よく」復活していないのはどうして……?

……果てしなく「そもそも」が出てくる。これら多くの「ご都合主義」は、ラストの展開のためにすべて目をつぶらされている。いくらなんでも多すぎる。目をつぶりきれない。しかも目をつぶった先にあるのは、非合理で唐突な主人公の死の描写なのである。

お祭り映画ならば、ご都合主義でも私は許すんだよ。『将軍と21のコアメダル』に「なんで暴れん坊将軍がいるんだよ!なんで将軍がメダル持ってるんだよ!」などと突っ込むのはきわめて野暮だ。サービスでフォームチェンジをいっぱい出したっていい、お祭り映画ならば。ゴーカイジャーがオーズ全コンボにゴーカイチェンジしてガレオンバスターぶっ放したっていい。当時は呆れ果てたけどもうぜんぶ許す。いま思えば、あれだけうんざりしていた春映画だってまだマシだったんだな。だって「パラレル」だもん。全部なかったことにできるから。

恐ろしいことにこれは「完結編」なのである。「本編です!正史です!大人向けです!キリッ!」という姿勢でお出しされている作品なのだ。それならば、TV本編での成長がすべてなかったことになっている物語と、あふれるほど多い矛盾点から目をそらすことはできない。これらはシンプルに前作の勉強不足と設定無視であり、誰が制作したものであろうと、言いわけがきかない杜撰さである。考えれば考えるほど「公式が解釈違い」「公式が勝手にやったことだから私には関係ない」という言葉が口からあふれ出てきてしまう。どちらも、今までのオタク人生で禁句にしていた、絶対に言わないようにしている言葉なのに!

なお演者さんはみんな最高だった。浅井さんのオーズも線が細く軽やかでよかった。まあオーズだったのは古代王にやられる一瞬だけで、ずっとゴーダ(かアンク)だったんですけどね!だから高岩さんに似ていなくても別にヨシ!なんだよね!よくねえよ!!!!なんだかなぁ!!ゴーダのキャラは、映司のファンボーイ丸出しでアンクと絡みたがるウザさがこちらまで伝わってきて、結構よかったんだけどね!でも(ラストの展開に無理やりつなげるために)裏切りが唐突!あとコンボの音楽はちゃんと流せや!それがオーズだろ!タジャドルすら流れないってどーゆーことだよ!!(だんだん言及が細部になってきました)

それより何より。ヒーロー玩具好きとして「10年間オーズを買い支えた結果がこれかよ……」という失望感がどうしても、どうしても止められない。これは本当に困っている。私が貢いだ金で、私のヒーローが殺されてしまった。しかも整合性もなく、唐突に。そんな作品が作られてしまった。これが私には耐えがたい。

「仮面ライダーオーズ」は大人向けアイテムの販促が長期間続いている奇跡的なIP(のうちの一つ)だと思う。大人向けのプレミアムバンダイ限定商法が非常に上手くいき、関連商品がコンスタントに出続けていた。少子化が進む中、戦隊好きの私としては羨ましく思うほど、大人向け玩具展開がうまくいっている「金の成る木」だったと思う。だからこそVシネマを作る企画が通ったのだろう。私ももちろん、オーズに定期的にお金を使っている人間のうちの一人であった。オーズという作品は10年間ずっと「客はお金を使って幸せ → バンダイもおもちゃが売れて幸せ → 東映も作品を作れて幸せ → 客は新作が見れて幸せ、演者もときどき思い出してもらえて幸せ」という完璧な「正の」フィードバックができていた。そんな奇跡のようなヒーローだったのに。『復活のコアメダル』を見てからというものの、わたしはオーズはもちろんのこと、他の過去の東映特撮作品にお金を使うことをひどく躊躇している。ていうかやめている。だってそのお金で、私の大好きなヒーローやヒロインが殺されるかもしれないんだよ!そんな「死の商人」になってたまるか!

私にはオーズの他にも「続編を作ってもらいたいから」関連商品を買い続けているIPがあった。仮面ライダーマッハとかチェイスとかシンケンとかゴーカイとかルパパトとかね。私がルパパトを買い支えた金で作られる『10 years after』で、魁利くんや初美花ちゃんが整合性もなく死んだら私は許さない。許さないぞ!(※復コアオーディオコメンタリーで演者さんが「許さない、と思った」と語っていると聞いた。少なくとも演者さんとは解釈が一致しているようでほっとした、私も同じ気持ち)。確実にファントムになって暴れまわり一人サバトを開催する自信がある。オーズと同様に「いやぁ快盗は放送当時から死亡エンド案もありましたからねぇ」なんて、したり顔で識者に語られたりしたら、もう目も当てられないほど怒り狂うだろう(『秘めた思い』の歌詞を見るかぎり快盗には死亡エンドが想定されていたと思う)。まぁつまり今のわたしは目も当てられないほど怒り狂っているってことなんだな。ふふ。今から先に予防線を張っておく!香村さんが脚本じゃないなら、ルパパトの続編は作らないでいいから!!センパイジャーは香村さん脚本だからすごく楽しみにしている!魁利くんおかえり!元気にしてた?初美花ちゃんは元気?

こうなると「続編が作られない作品のほうが幸福」のみならず「作品を守るためにはファンが金を使わないほうがいい」という逆転現象まで起きてしまう。負のフィードバックである。役者さんが非協力的なIPのほうが幸せ、売れなかったIPの方が恵まれている、ということになってしまう。思い出の中でじっとしていてくれるのだから。実際に、私のニチアサの親は井上御大であり、私は仮面ライダーキバが好きなのだけど、キバは後から少しも汚されない。変なものを後から付け足されることもない。主人公が一年間命をかけて守った平和がおびやかされることもない。幸せだ。ちょっとマンホールが飛んでくるくらいどうということはない。

私は自分と自分のヒーローを守るために、この映画を脳内消去した。私の中の映司くんはいまでもアンクを復活する方法を探しながら世界を旅している。またはTV本編→『復活のコアメダル』→MEGA MAXでアンクとミハルが戻って時系列分岐、絶滅回避→平ジェネFINAL→映司くんの旅は続く……という「ゼルダの伝説」や未来トランクス形式の時系列だと勝手に思い込むことにする(メダルの数や出どころなど所々の辻褄はまったく合わないが)。あぁ、本当はこんなこと書きたくなかった。でもこの一週間私はずっともやもやしていて、この記事を書かずに鬱憤を消化することが結局はできなかった。

私は今でも、すべての人間に手を伸ばしてその手を必ずつかもうとしながらも、自己犠牲を徹底して否定し、すべての欲望を高らかに肯定する唯一無二のヒーローである仮面ライダーオーズを愛している。(2022/3/19)

追記:お口直しに押し入れから12年前のDVDを引っ張り出してきて、当時生まれていなかった子どもと一緒に踊りながら見ました。子どもが楽しめる動物クイズもあり、すごくよかったですよ。

2020年 ねじ子の子ども向けおもちゃランキング

※今更2020年末の記事です。新型感染症流行に免じて許してほしい。

ねじ子のおもちゃ大賞2020、簡易コメントつきです。

新型コロナウィルス流行下におけるステイホームの中、おうちで子どもたちと長時間過ごすために2020年はかなりたくさんの子ども向けおもちゃで遊びました。2020年おもちゃランキングのレビューを当時書いていたので、ここに載せておきます。自分で買って遊んだものの中からのランキングです。

2021年のハロプロ楽曲ランキングの筆がなかなか進まず、逃避してる間に書いた側面もあります。

1位 鬼滅の刃 DX日輪刀(竈門炭治郎)

素晴らしい。

まず、長い。DX日輪刀という玩具の素晴らしさはその「長さ」にある。きちんと長い。剣の長さと重さを感じながら、子どもたちが振り回すことができる。剣という武器は長く、重く、重心のコントロールが非常にむずかしい武器なのだ。だからこそ、持ち手から剣先まで十全にコントロールができた瞬間にもっとも強い威力を発揮する。身体的高揚感を味わうこともできる。刀とはそういう武器だ。ヒーローが長物をぶんぶん振り回して刃先をコントロールしているからこそ、かっこいいのだ。時代劇の殺陣やスターウォーズのライトセイバーだって同じ。チャンバラ・アクションの楽しさの起源はここにある。

近年の小児用の剣のおもちゃはどんどん刃が短くなっていた。新しい剣のおもちゃは毎年のように発売されていたけれども、少子化のせいなのか、原材料費高騰のせいなのか、安全基準のせいなのか、長さがどんどん短くなっていたのだ。「長物を振り回すと楽しい」という実感は、近年の剣の玩具から失われていた。

長さ比較。

上からビルドのDXドリルクラッシャー、ジオウで「ン我が魔王!」が口癖の人が使ってたステッキ(今検索したら仮面ライダーウォズのDXジカンデスピアーという商品名)、ゼロワンのDXアタッシュカリバー、アイドルのMIX口上そっくりな音声がやたらでかい音量で流れるニンニンジャーの刀、次男がこれまでの人生で最も長い時間遊んだおもちゃ・ルパンソード、リュウソウケン、そしてDX日輪刀。日輪刀が群を抜いて長いことが一目でわかると思う。

ちょっと昔の、長男のころのコレクションとも比較してみた。

上から仮面ライダー電王のデンガッシャー・ロッドモード、ディケイドのカードを入れる本の形の剣(DXライドブッカー。お気に入り)、Wのヒートメタルの棒をめいいっぱい伸ばした状態、オーズのメダジャリバー、鎧武の剣(これは二つの商品をくっつけてる。お値段二倍なのでちょっと反則)、DX日輪刀、キョウリュウジャーの獣電剣ガブリカリバー、シンケンジャーのDXシンケンマル、ゴーオンジャーのマンタンガン(変形して銃にもなる。お気に入り)。昔の商品と比べても、DX日輪刀はかなり長めの刀である。「長男と次男の間の数年に日本はこんなに不景気になったのか……」とも言えるし、「シュリンク・フレーションもいい加減にしろや!消費者舐めんな!親は気がついているぞ!」という憤りも、まぁ、ある。だからDX日輪刀の長さは素直に嬉しかった。これが売れたことはおもちゃ好きとして小気味よくすらある。いい商品が売れるのは嬉しい。

DX日輪刀は『鬼滅の刃』主人公・竈門炭次郎のなりきりアイテムである。なりきり玩具において最も重要なのは「子どもがなりきりたくなるかどうか」。つまり原作マンガおよびアニメの『鬼滅の刃』の充実度と没入しやすさこそが最も重要になる。

原作マンガ『鬼滅の刃』は2年ほど前から小学生の間で大流行していた。

炭治郎と禰?豆子の迷いのない家族愛。迷いなくわかりやすい理想の上司であり、恵まれた環境にいながらも弱者を救うために自身の力をすべて使い、強い暴力や権力への誘惑には決してなびかない煉獄さん。その喪失。わかりやすく女好きでへたれで普通の少年・善逸。いつも前向きで元気に強く、ギャグもこなしてくれる猪突猛進な伊之助。悩み多いクールな二枚目の義勇。プリキュアやセーラームーンそのものである女子戦闘集団の理想のトップ・胡蝶しのぶ。その姉・カナエは小学生女子が憧れる「大人の女性」として完璧であったが、妹のために死んでいる。しのぶの下には、人に心を開けない妹分の少女カナヲがいる。姉たちを見ながら、カナヲも他の少女たちも成長する。どのキャラも正しくて優しくて強い。子どもたちが自分を重ねるのにぴったりだ。その中の誰かを選び、共感し、キャラクターになりきりって物語を楽しむことができる、そんな登場人物が取り揃えられている。

弱者や市民を守るヒーローを冷笑する風潮は、一切ない。悪役が可哀想な過去を少しさらしただけで(これまでどれだけの悪行を重ねていても)「悪には悪の事情がある。だから人を殺していても許す。感動した!」というような、悪役への奇妙なおもねりも一切ない。弱者を守るために必死に闘う真面目で真摯な鬼殺隊が、悪い奴らを倒す。悪役はすがすがしく倒され、みじめに醜態をさらして死んでいく。

ステイ・ホーム期間に、インターネット上の様々なサブスクリクションサービスで『鬼滅の刃』一期アニメが全話公開されていたことも効果的であった。学校が休みで死ぬほど退屈していた日本中の子どもたちが、親のスマホやiPadやAmazon Fire stick TVで鬼滅のアニメを再生したのだ。紙の鬼滅の単行本は、その時期ずっと品切れであった。鬼滅のアニメ一期は、新型コロナウィルス感染症という突然来た世界的なパラダイム・シフトとステイホームの時代に奇跡的にぴったりと合ったのだ。そうやってステイホーム中にため込んでいた視聴者が、アニメの続きを見るために映画館に向かった。みんないっせいに向かった。

『無限列車編』映画公開は、たまたま、本当にたまたま、コロナウィルス感染者数が比較的少ない時期であった。でもなかなか遠出まではできない。海外旅行はもとより、都道府県をまたいだ旅行や、人が多いイベントを躊躇する空気の中、一席あけて市松模様で座席を販売をしてくれる「近所の映画館」は、さまざまな人にとって格好の週末の娯楽となった。家族連れも安心して行ける数少ない目的地にもなった。そのタイミングの奇跡こそが映画『鬼滅の刃 無限列車編』400億円の原動力であったと、私は思う。一期アニメの連作の素晴らしさ、公開タイミングの良さ、そしてもちろん『無限列車』のストーリーの素晴らしさと映画としての出来のよさ、これらすべてが重なった結果だ。こんな私でも、息子のお付き合いで1回、4DXを体感するために1回、計2回無限列車に乗った。どちらも客席は埋まっていた。

DX日輪刀はデザインもいい。アニメで刀の周りに出現するエフェクトをそのままプラスチックで再現させて、刀のまわりにくっつけちゃおう!と最初に考えついた人は天才である。刀は二本入っており、長い方がもともとの炭治郎の水の呼吸の日輪刀、短い方が刀が折れた状態でヒノカミ神楽を初めて出したときの日輪刀だ。本物の炭治郎の声優さんの声で、水の呼吸 拾ノ型まで鳴ってくれる。ヒノカミ神楽は「演舞!」のみ。

子どもたちはさらに上を求め「鍔が外れないのかー!煉獄さんの鍔を入れたいのに!外れたらもっとよかった!」「ヒノカミ神楽を長い刀で出したいよー!」と言う。アニメではまだそこまで放送してないので、それは玩具でネタバレをすることになってしまう。現時点では無理だ。このおもちゃが売れまくって、今後そのような商品が出ることを期待しよう。

余談ですが、私の好みは当然のように甘露寺蜜璃ちゃんです。蜜璃最高にかわいいよ!!でもたぶん蜜璃の子ども用玩具は出ない。だって観測中の保育園の女児人気は圧倒的にしのぶさん>>>>>>>>>>>>>禰?豆子=カナヲ>>>>>>>>>>蜜璃ちゃんだから……。どうして……。

2位 快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー -VS MEMORIAL SET-

最高。Wレッドの劇中音声が全部聞ける。とくに私の大好きな劇伴「快盗演舞」が変身音と名乗りの台詞とともに流れて嬉しい。

販売ページはここ↓
快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー -VS MEMORIAL SET-| プレミアムバンダイ 

2019年末、自分へのクリスマスプレゼントとして予約注文したあとでゆっくり商品説明の詳細を読んだが、このおもちゃには私の大好きなルパンイエローの要素が全然ない。ブロマイドに少しうつっているだけだ。

戦隊ブログvol.107 ルパパトのメモリアルアイテム、予約受付開始! | スーパー戦隊おもちゃウェブ | バンダイ公式サイト

商品開発者さんのライナーノーツがとても熱くて嬉しい、新規音声収録たくさんで嬉しい、私の一番好きな劇伴『快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ』がボタン一つで流れるだけでも1万円の価値はある。やったね!

しかしうみかちゃんの要素が全然ないな(小声)

全員分の音声を少しだけでも入れてくれてもいいのよ、ほら変身かけ声とか名乗りとかさ……。と思っていたのだが、まぁ結局、入りませんでした。メンバー全員の声を変身音だけでも入れてほしかった。その後発売されたDXリュウソウケンには全員分の音声が入っていて、とてもうらやましかった。

Wレッドの音声がたくさん聴ける(ほんの少しノエルも出てくる)のはとても楽しい。劇中再現もはかどる。当時販売のDX玩具にも音声対応しているので、そちらでの拡張遊びもできる。

※ここからはこの記事の再放送となります。

プレミアムバンダイはいつからか、私達ハロヲタの財布を狙わなくなった。当初はルパパトWヒロインのグッズだの何だのを出してきていたというのに、今はまったくない。最近のルパパト商品発売ラインナップを見ても、プレミアムバンダイはハロヲタの方を向いていない。Wレッドとエックスの商品ばかりだ。

これはルパパトという作品およびWレッドとノエルにたくさんの新規ファンがついて、金銭化のめどが立っているということなんだろう。ハロヲタを頼りにしなくてもルパパトという商材が購買力を得たのだ。素直に喜ぶべき、素晴らしいことだ。

癒してハロプロ てれびくんのルパパトヒロインDVD 本編16分で6500円っておかしくない?

ハロプロニュース : 【工藤遥効果】子供の味方「てれびくん」がおっきなお友達向けの商売に手を出してしまう

いつかのてれびくんDVDのように、おたくの財布を狙われまくって足元を見られまくって、ハロヲタの間でも激しく意見が割れてしまうような事態はもう二度とごめんだ。工藤ファンの中からも「あんな商品をあんな値段で買ってはいけない」「あんなぼったくりDVDでもファンは買う。足下を見られてるんだよ」「あんな値段でDVD買った奴がいるから、小学館は調子に乗って15000円もする超全集を出すんだ」という声も聞いた。その意見は正しい。私も当時、怒髪が天をついた。私は古い人間なので10年前に『てれびくん特せい 仮面ライダーオーズ超(ハイパー)バトルDVDクイズとダンスとタカガルバ』(本編23分)を送料込1250円で購入したことを、きちんと覚えている。物価高騰を加味したとしても、本編16分で6500円はあまりに高すぎる。ファンを分断するような売り方は二度とごめんだ。ごめんなんだけど。

……相手にされないとそれはそれで、嬉しいような、少しさびしいような。

3位 きめつたまごっち

2020年は結局ずっと鬼滅の年だった。この商品は「開発者はとても鬼滅が好きなんだろうな」とわかる仕様で、すごくよかった。きめつたまごっちは鬼滅の本編にそった成長をみせる。

最初は名もない「癸」の鬼殺隊士が登場する。この初期キャラクター(うちでは「村田さん(仮)」と呼ばれている)を「死なない」程度のギリギリで最大限ほおっておくと、伊之助になる。解釈一致。ほどほどに世話をして、あまり鬼を倒さないでいると「甲」の隊士には出世せず、かまぼこ隊のどれかになる。ちなみに炭次郎を育てたあと丁寧にお世話をしていると禰?豆子を連れてきてくれる。解釈一致。

村田さん(仮)をきちんと世話して定期的に現れる鬼たちを三回以上倒すと「甲」に出世する。その後、柱の誰かに分岐する。私はいつもご飯とお茶をたっぷりあげすぎてしまうので、蜜璃ちゃんに育つ。これまた完全な解釈一致。蜜璃ちゃん今日も最高にかわいいよ!!!(女性アイドルにかけるかけ声)

……私は大満足だが、息子たちは不満そうである。そしてリセットされてしまう。死ぬか、リセットするか、電池が切れないと次のたまごっちを育てられない仕様だからだ。

さまざまな鍛錬を何回も繰り返すこと、それがノーミスでできたか否か、鬼を殺すスピード、食事量などによってどの柱になるかの分岐先が変わる。これが結構むずかしく、なかなか狙った柱に育ってくれない。狙った進化先にするための発動条件は公式からいっさい発表されていない。ネット上にあるユーザーの経験談に頼るしかないのだ。

そして──これが最も重要なことだが──鬼滅たまごっちたちはあっさりと死ぬ。鬼に襲われて、本編通りにあっけなく死ぬ。たまごっちを家に忘れて仕事に行くと、帰ったら死んでいる。たまごっちの存在を一日忘れると、もう死んでいる。本編と同様に、決して生き返らない。なんたる解釈一致。原作と同様に、隠(カクシ)の皆さんがやってきて亡骸を持ち去っていく。

あんなに頑張って煉獄さんにしたのにさぁ!!!私の馬鹿!いまわのきわの煉獄さんに「俺の方こそ貴女のような人に生んでもらえて光栄だった」と思ってもらえるような立派な母に、私はなれていたでしょうか?どう考えてもなれてないです!

この散り際のあっけなさと命の取り戻せなさも非常に『鬼滅の刃』らしい。それと同時に、往年のたまごっちと同じ楽しみ方もきちんとできるので、これは非常によくできたコラボだと思う。一日一回特に意味もなくお館様や無惨様や珠代さんの猫が出てきてくれたり、第二弾ではしのぶさんがカナヲちゃんに進化したり、煉獄さんのもとへ弟くんがたまに来て掃除してくれたり、細かいイベントも作り込まれていてやりがいがありました。

4位 DXゼロツープログライズキー&ゼロツードライバーユニット

仮面ライダーゼロワンのおもちゃはとにかくデザインが最高。可動変形も最高。機械仕掛けの音声も最高。

これは従来ならば最終フォームにあたる仮面ライダーゼロツーに変身するための追加玩具である。ゼロワンドライバーのパーツを一部外して、上からつけるシステムもすごく面白い。見た目が大胆に変わって楽しい。

TV本編中の仮面ライダーゼロツーは、コロナの放送中断が重なった不幸によって、ほとんど活躍の場がなくなってしまった。それはもちろんしかたのないことであり、そのハンデをもってしても、ゼロツーのおもちゃは最高におもしろかった。映画『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』でゼロツーの役割がとても美しいかたちで新しいイズに引き継がれたのもよかった。

ただし!ゼロワンTV最終回の「きみはイズだ」という或人の発言は、ヒューマギアという商品の存在意義、ヒューマギアに自我を認めるか否かという古典的議題への結論、或人のヒューマギア製作会社の社長としての社会的責任、つまり一年間積み上げてきた物語と「主人公のヒーロー性」をすべて台無しにする壊滅的台詞だと思う。あれはいったいなんだったんだ。

5位 ポケットモンスター スマホロトム

気の抜けた音声がとてもいい。ポケモンのアニメが新作になるたびに出る、液晶つきのおもちゃである。3DSやSwitchでポケモンの本編をやるにはまだ早い幼児向けの商品だ。簡単な物理操作でポケモンをゲットして、図鑑の完成を目指すことができる。ポケモンにふれてみたい、でもまだ数万円するビデオゲームを買い与えるには早い年齢の保育園・低学年幼稚園児にぴったりだ。

なんといっても玩具としての寿命が長い。これがスマホロトムの最大の利点である。3年間は使える。ゲーム本編ができるようになればこのおもちゃは不要になるが、それでも3年間は使える。ありがたい。

写真右は同機種の前の型、2018年発売の「ポケットモンスター ウルトラゲット! ロトム図鑑」である。2つの物理ボタンが「決定」と「戻る」にあたり、横についてるロトムの手(棒)を回して上下を操作する。液晶はタッチ対応してない。写真左、後継機であるスマホロトムは2020年発売。きちんとスマホっぽいユーザー・インターフェイスになっている。液晶もタッチパネルで、液晶タッチとホームボタンで操作する。自分のスマホが欲しいけれど、当然まだ買ってもらえない子どもたちの「憧れ」にぴったりフィットしたユーザー・インターフェイスに進化しているのだ。素晴らしいね。

6位 仮面ライダーセイバーのなりきり玩具類(DX聖剣ソードライバー)

2020年の園児用クリスマスプレゼント筆頭商品。次男はセイバーが大好きである。「剣で変身するライダーって他にいないでしょ。かっこいい」がその理由だそうだ。なるほど、確かに。セイバーのベルトをもらって本当に嬉しそう。変身ギミックは三冊並べて剣を抜く、という過程で、オーズドライバーにそこそこ似ている。

仮面ライダーセイバーのベルトには、初期装備である「プッシュ必殺技」ができないという致命的欠点があった。プラスチックのパーツが干渉してぶつかりあうために、ページを押し込むことができない。無理やり押すとミシミシ音がして、ライドブックのページ下部のプラスチックがへこんで傷がついてしまう。やりすぎると折れそう。そもそもあまりに堅く、うちの個体では大人が押しても必殺音が鳴るところまで至らなかった。子どもはそのギミックに気づいてすらいなかった。分解して改造したブログなどによると、内部のプラスチックのパーツ形状の不備で、単純な設計不良のようである。

プラスチックのおもちゃを傷がつくほど強く推すことを、4歳児に教えることはできない。おもちゃを壊してしまう。保育園や児童館のおもちゃ、友人に借りたおもちゃを子どもが同じくらいの力で押すことを覚えてしまったら困るから、プラスチックが壊れるほど強い力でおもちゃを押せとを推奨することは私にはできない。

きちんと試遊して欲しかった。対象年齢の子どもを使って試しているとは到底思えない。きっとコロナのせいで細部を作り込む時間がなかったり、工場との伝達がうまくいかなかったりしたのだろう。それでも、一万円近くする子ども向けおもちゃで大事なギミックが一つ死んでるのはきつい。そしてなによりも、これを「仕様」とし、メーカー対応がなかったことに私はとてもがっかりした。初期ロット以降はバンダイが対応してくれるかと思って、クリスマスまで待っていた親御さんもそこそこいたと思うのだが……。今どきの親子はTwitterやYouTubeでレビュー動画をじっくり見てからおもちゃの購入を決めるから、商品の不備にごまかされたりはしないんだよ……。

さてここからは少し話題を広く、コロナによるパラダイム・シフト後の仮面ライダーについて書いてみる。

悲しいことに、幼児の間で、仮面ライダーと戦隊の知名度がどんどん減っている。恒常的で手軽な安価の見逃しネット配信が存在していないからだ。(TTFCにいきなり1000円払って入る人はよほどのマニアしかいないし、マニアはすでに全員入っている。)いまや、特撮番組そのものよりも特撮玩具系Youtuberの方が子どもたちに名が知られているかもしれない。

子どもたちには、ネットで無料または、親がすでに加入している配信サイトで見られるコンテンツしか「存在すら」していない。それだけでも見きれないほどのコンテンツがある。

前述の『鬼滅』はもちろんのこと、『パウ・パトロール』(NetflixとHulu)、『ウルトラマン』シリーズ(YoutubeとAmazon Prime)、『すみっこぐらし』(Amazon Primeで見た映画が最高でした)、『フォートナイト』と『マインクラフト』(どちらもオンライン通信が無料。だから子どもに強い。ちなみにスプラトゥーンやあつ森やスマブラのネット通信対戦には、有料のNintendo Online加入が必要。年間500円しかかからないが、それでも子ども人口の差はそこで大きく出る。親がゲーマーでないと厳しい)。これらの商材の子ども向け利用率の高さの正体は、(子どもたちにとっては無料の)ネット配信の恒常性だと私は思う。

※『フォートナイト』はオンライン対人バトルロワイヤルであり、CERO:C(15才以上対象)のゲームである。小学生向けの児童雑誌「コロコロコミック」の『フォートナイト』の連載漫画の巻末には必ずこのような説明ページが入っている。

さて、今の話題は仮面ライダーシリーズだ。

2019年7〜9月頃に、それまでAmazon Prime Videoにあがっていた有名東映特撮TVシリーズが軒並み配信終了した。具体的には、TVシリーズの仮面ライダーカブト・仮面ライダー電王・仮面ライダーディケイド・仮面ライダーW・仮面ライダーオーズ・仮面ライダードライブ・仮面ライダー鎧武など。名作映画の『仮面ライダーW FOREVER A to Z/運命のガイアメモリ』『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』『劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』など。そしてクソ映画として誉れ高い『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』などもだ。ライダーも戦隊も、Amazon Prime Videoの動画見放題作品がほぼなくなってしまった。

なぜこれら過去の名作が突如レンタル扱いになったのかはわからない。その半年後に訪れたコロナ禍と、それに伴うステイホーム需要下においても、これはまったく変わらなかった。非常にもったいなかった。緊急事態宣言下において、仮面ライダーを追加料金なし配信で見られるサブスク環境はdTVかHuluくらいであった。どちらも入っていないご家庭が多いだろう。ちなみに私のHuluは、見たい作品があるときだけの限定契約である。最後に使ったのは何年前だろう?子どもがアンパンマンにガチはまりしていた時かな?

現行作品は無理だというなら、東映特撮は今すぐ、過去作(特に名作と言われている作品)を有名どころのネット配信に全話まるごと永続的にあげておくことを私は強くおすすめする。そうだな、仮面ライダー龍騎と555とWとオーズとエクゼイドとビルド、デカレンジャーとゴーオンジャーとシンケンジャーとキョウリュウジャーとトッキュウジャーとルパパトあたりがいいかな……。これらをネット上のどこか、できればYoutubeかAmazon Primeで、いつでも全話見られるようにしておくことを本気でおすすめする。まじで。そうしないと、子どもたちがライダーと戦隊を知らなくなっていってしまう。

※これを書いた2021/2/28はまだそうでした。2022年3月からようやく、Amazon Primeに一部の仮面ライダーと戦隊シリーズが復活してきています。現行作品も、戦隊は2022年3月から、ライダーは2022年9月からようやく、Amazon Primeでアーカイブが配信されるようになりました。これは同業他社のウルトラマンのネット展開のフットワークの軽さと比べると明らかに遅く、コロナによる巣籠もり需要を逃してしまったように感じます。

2020年はこんな感じです。2021年はDX日輪刀(胡蝶しのぶ)がきっと私の中で一位になるでしょう。いや、煉獄さんのDX日輪刀が出るなら、煉獄さんかな。(2021/2/28文筆、2023/1/24 uploaded)

2020年 ハロプロ楽曲ランキング

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

2020年3月、新型コロナウィルス感染症が世界中を襲いました。新型コロナウィルスはエアロゾルによって感染が広がることから、ライブハウスや劇場におけるクラスターが各地で大量発生しました。世界規模でのマスクやアルコールの不足も重なり、2020年3月から6月にかけて音楽・芸能関係の興業活動はいっさい開催できなくなります。もちろんハロプロも、リリースイベント・コンサート・舞台・握手会などほぼすべての活動が中止や延期になりました。

私は医療従事者なので、その時期は自分のことだけで手一杯です。「中止になるのは当然だ」という科学者としての思考はもちろんありつつも、いちオタクとしては「ハロプロがつぶれてしまうのではないか」という恐怖が常にありました。コンサートがなくなるということは、私の生きる喜びもなくなるということです。ちっぽけな一医師である私にできることは、ただ目の前の仕事を淡々とこなすことと、学校や保育園が休みになった子どもたちをどうにか生きのびさせることだけでした。「ハロメンには心身ともに健康なまま安全な環境で生きていてほしい。私の分まで」と遠くから願うことだけが精一杯の毎日です。

2020年7月11日、ハロプロはコンサートをいち早く再開しました。

夏のハロコン開幕、ソロ&バラードツアー初日にモー娘。譜久村「皆さんの顔見てウルってきました」(写真13枚)

52名のハロプロメンバーがA・B・Cの3チームに分かれ、ハロー!プロジェクトの楽曲ではないバラードのカバーをソロで歌うという斬新な形式です。素晴らしい企画であり、本当によく考えられたアイディアだと私はめちゃくちゃ感心しました。

まずメンバーを3つに分けることで、演者やスタッフの数を絞ることができます。感染者が出たときの濃厚接触者の数も減らせます。公演に穴を開けずにすみますし、万が一1つのチームが全滅になったとしても他のチームで代替公演ができます。

ハロプロのライブといえば、客席のオタクによる大きな声援です。いわゆる「コール」ですね。2020年3月、それは突如「今だけは絶対にやってはいけない行為」になってしまいました。飛沫が飛びまくるから。でも、ハロプロの曲ならばオタクは自然にコールを入れてしまいます。条件反射のようにコールが体に染みついているのです。だからコールが入れにくいバラードにする、念には念を入れてハロプロ以外の曲にする。芸能業界各社に利益を配分できる、つまり何か不備があっても「叩かれにくくなる」というメリットもあったのでしょう。だって記念すべき初日公演の一曲目がAKB48の『365日の紙飛行機』ですよ。完全なライバル同業他社の代表バラード曲をサプライズ披露ですよ。信じられない!過激なファンの中にはAKBグループを目の敵くらいに思っている方だっているというのに!その選曲に私は事務所の強い覚悟を感じました。

コンサートは大いに成功しました。「絶対に口パクをしない」という姿勢を貫いてきた生歌コンサート重視のアイドルだからこそできる素晴らしい企画だったと思います。朋子の『ジュピター』はよかった、まじでよかった。

仁王立ちの小田さくらが歌う『もののけ姫』もまじでおもしろかった、まじでよかった。

客席のルールもずいぶんと変わりました。会場でのグッズ販売なし・一つ飛ばしの座席販売・エリアごとの入場時間を分けての整列入場・規制退場により、観客同士のソーシャルディスタンスが確保されました。マスク着用・検温・会場や手指の消毒も徹底されました。そして極めつけは「全面着席、発声なし」です。これが絶対のルールになった2020年7月11日の中野サンプラザ講演。正直、私はそれが本当に守られるのかとても不安でした。

2020年初頭に(おそらく武道館で起こった転落事故の影響で)客席でのジャンプが一切禁止になったとき、ハロヲタは大いに荒れ、抵抗し、SNSや掲示板上でいっぱい文句を言っていました。そんなオタクの皆さんが、三度の飯より大好きなコールを本当にやめられるのか。本当に黙って座って見ていられるのか。スタッフの言うことをきかないオタクや、発熱しているのに入口を突破するオタクや、つい声を出してしまうオタクは本当に一人もいないのか。コンサート後に反省会という名の「オタク呑み」をしないでいられるのか、本当に直帰できるのか。正直に言うと、私はあまり自信がなかったのです。わたし自身は参加できるはずもないですから、遠くから見守っていました。

……結果として、そんなオタクはどこにもいませんでした。みんなしっかり感染対策のルールを守っていたのです。ジャンプ禁止にすら大荒れに荒れて大論争していたハロヲタたちが、三度の飯より好きなコールを放棄し、静かに着席している姿に私は感動の涙を流しました。ハロヲタってすばらしい。私はみんなが大好きだ。私はかなり長い間コンサートに行けそうにないけれど、私のかわりに参加できる人たちがハロプロを守ってほしい。そう思うに十分な、完璧な感染対策のコンサートでした。演者も、客も。

ハロプロが“観客あり”コンサート 徹底した感染対策の全貌|NEWSポストセブン 

安心した私は、2020年10月12日に武道館にて開催されたバラードコンサートに参加しました。一席空け市松模様での座席販売でしたが、チケットは余っていました。小片リサちゃんは急遽欠席となり、かわりに小田さくらちゃんと高木紗友希ちゃんが『会いたくていま』を歌ってくれました。

武道館会場のスタッフの数は例年の2倍ほどもいます。ものすごい厳重ぶりです。スタッフ全員がフェイスシールドとマスクを着用しています。COVID-19クラスター発生時に周囲に連絡するため、観客にはメールアドレスの登録が義務付けられていました。

東京オリンピックをへてきれいになった武道館

列のソーシャルディスタンス

追跡システムのお知らせ

登録するとこんな感じのお知らせが来る

入場は検温→靴裏消毒マット→チケット確認(もぎりなし、見るだけ)→手指消毒という流れでとても円滑でした。グッズの販売はさらに厳重対策だったと聞きます。なんとクレジットカード支払いの端末で暗証番号のボタンを押すために綿棒を提供していたとか。詳細はこちら↓

感染対策を万全に行いながら、なんとしてでも音楽コンサートを実施する方法を模索する姿は本当に素晴らしかったです。医療従事者としての私は皆さんの工夫と努力と試行錯誤に本当に感謝している。素晴らしい、ありがとう。さすがハロプロだ。

……それなのに。オタクとしての私は、着席も声援なしで他人のバラード曲を2時間聴くのは、なかなかにつらかったです。私は2時間半の公演のかなり長い時間、子どもの音楽発表会に参加しているときと同じ静寂に包まれてしまいました。客席で音をたててはいけない緊張感、咳一つ許されない空気、まっすぐに南一階席(おそらく業界の偉い人たちがいる)を見つめて棒立ちで歌う女の子たち(客席の親だけを見て歌う子どもを思い出す)、聞いてるのが少々つらい音程の演者がたまに混ざる感じ、古くて耳慣れた流行歌、そのすべてが合わさって私の中で「習い事の発表会」らしさが増幅してしまったのだと思います。「この既視感はヤマハ音楽コンクールだな!」と。たまに原曲をガラッとアレンジして歌ってくれるメンバーが出てきたときだけハッと目が覚めるのですが。これもまた人間の感情です。

その後、ハロプロのバラード曲が解禁され、次にすべてのハロプロ曲が解禁され、グループを横断したシャッフルメンバー4グループによる「花鳥風月」公演が日本各地で開催されるようになりました。これもまたメンバーやスタッフがCOVID-19に感染して欠席しても柔軟に対応できる、いい作戦だったと思います。

それに対してグループ単独コンサートは、メンバー卒業時しか開催されなくなってしまいました。卒業のうえに単独公演自体が貴重ですから、チケットは争奪戦です。コンサートに参加することができなくなった私は、在宅でさまざまな中継を見て楽しむオタクとして2020年後半から2021年を過ごしました。地方在住の皆さんや都道府県外に行くことが禁止されている職業の方など、同様のファンは多かったのではないでしょうか。

2020年のハロプロ楽曲ランキングは以下になります。

 

1位 DADDY! DADDY! DO! feat. 鈴木愛理 / 鈴木雅之

TVアニメ「かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~」OP主題歌。鈴木雅之先生と鈴木愛理ちゃんのデュエット。二人とも抜群に歌がうまい。ハモりも最高。

愛理が小学3年生の頃から彼女を知っているにもかかわらず、MVを見た瞬間に私は「この赤い服の女の子はいったい誰!?とろけるような笑顔がすげえ可愛い!八重歯が最高にキュート!しかもすごい歌がうまい!」と思ってしまった。誰って、愛理だよ。8歳の頃から見てるでしょ。何度も生で見たし、握手だってしたことあるでしょ。そのくらい『DADDY! DADDY! DO!』の愛理はひどく新鮮で、ひどく可愛かった。

The First Takeにおける一発撮りも最高だった。

愛理はすごい。愛理を見ていると私はいつも、美少女戦士セーラームーンの作者・武内直子先生がセーラームーン実写化の際に語った名文を思い出す。以下に部分引用する。

「女の欲望って果てしないのね。この星と人間を支えているのは女。女は大きくてもちっちゃくてもオンナ。オンナのパワーの源は夢でも恋愛でもなく欲望ですよ、皆様。願わくはオーディションで選ばれた美しい少女達が、欲望のカタマリでありますように。そうすれば実写版は大成功することでしょう。」

鴻上会長もびっくりの欲望の肯定っぷりである。武内先生はすごい。そう、女を生かすのはすべてを欲しがる欲望なのである(おそらく女じゃなくてもそうだと思う、当事者ではないので断言できないが)。

愛理は生まれながらにして、多くの女子が心の底から欲しがる要素をたくさん持っている。すべてを生まれながらに手に入れていると言ってもいいほど、彼女はたくさんのものを最初から持っていた。そしてそれに飽きたらず、さらに上の肩書きや実績を貪欲に手に入れようとし続けている。

彼女は両親ともに有名なプロゴルファーの娘だ。きっと生まれながらのお金持ちであろう。8歳でハロープロジェクトのオーディションに合格してアイドルに選ばれた。歌唱力は幼少時から抜群に高かった。声質もいい。成長し、美しい美貌と完璧なスタイルを手に入れた。℃-uteという女性アイドルグループで絶対的センターとして降臨しつづけ、武道館でも横浜アリーナでもさいたまスーパーアリーナでもライブを成功した。Bouno!で『初恋サイダー』という女性アイドル界でも一、二を争う名曲を手に入れた。慶応SFC卒業という華々しい学歴も手にした。ソロでも武道館公演を成功させた。そして今回、アニソンとしても圧倒的な名曲を持ち歌として手に入れた。NHK教育テレビでクラシック音楽にまつわるレギュラー番組もやっている。

このどれもが、「たった一つでもいいから手に入れたい」と渇望している女性タレントが何万といる実績だ。「そのうちのたった一つだけでもいいからほしい、私にください」と思う人間はごまんといるだろう。そんな多くの女性アイドルにとっての「目標」を、愛理は一人で10個も20個も手に入れている。そしてこれからもさらに上に行こうとしている。すごい。

武道館公演で『DADDY! DADDY! DO!』を一人で歌う愛理

私はただのオタクなので、愛理を見て「おもしれー、どこまでいくんだこの女!まじすげー、まじおもしれー、どんどんいけー!!」と遠くからニコニコしているだけだ。でも実際に彼女の近くにいると、心中穏やかではいられなくなってしまう人間もきっといるだろう。嫉妬という感情の制御はとてもむずかしい。愛理が持っているものへの嫉妬や羨望や驚愕や落胆で、おかしくなってしまったり、心が折れてしまう人も、彼女のまわりには少なからずいるのではないだろうか……。ついそんな妄想をしてしまう。そしてそんな周囲の感情などまったく意に介さず、これからも欲望のままに突き進んでいくであろう愛理の姿は、狂おしいほどに魅力的なのである。

そしてついに──これは2022年の出来事だが──彼女はついに有名プロサッカー選手との交際を公表した。しかも彼女の親御さんの御紹介でのお付き合いらしい。ちょっとこれはすごいぞ。愛理の欲望がまさに世界を動かしている。「欲しがりたまえ!貪欲に!欲望こそ生きるエネルギー!」って鴻上会長が私の脳内で叫んでいる。愛理にはぜひこのままどんどん行けるところまで突き進んでほしい。

2位 ポップミュージック / KAN

Juice=JuiceのカバーよりもKANさんの原曲が好き。57歳の男性が歌うからこそ、この曲の歌詞は深みが増す。ぎこちないダンスも、心地よい高音の声のかすれも、突然の転調も、歌唱中のちょっとした表情も、壮年の男性歌手だけが出せる悲哀が随所にあふれている。

サビの歌詞「ぶっちゃけ聞くけど トップってどんなフィーリング?」は、『愛は勝つ』でポップミュージックのてっぺんを実際に取ったことのあるKANさんだからこそ意味が出る。一位を本当に取ったことがあるKANさんが30年後にこの曲を歌っているから、いい。すっとぼけているけど、KANさん、あなたはトップのフィーリングを知っている数少ない人間のはずでしょう?……その前提があるから、この曲はからっと明るい。歌詞がねたみやそねみに聞こえない。若い女子の間で大流行中のタピオカミルクティは近いうちに廃れると予見しつつも、決して否定はせずに「でもいつかまた会いたいね」と言葉を選ぶところもいい。

そして、曲の最後にKANさんはリスナーに向かって突然ボールを投げてくる。「ていうか最後に聞くけど この曲どんなフィーリング?」だ。イヤホンの間にあるこちらの脳に直接お伺いを立ててくるのだ、KANさんが。最初の15秒しか楽曲が再生されないこのご時世に、最後まで聴いた人間だけが味わえる特別なメッセージである。私は脳内で「最高でした」と答える。モニターごしに行われるコール・アンド・レスポンスだ。楽しい。

若い女子たちであるJuice=Juiceに、この深い味わいは出せない。当たり前である。でも、おそらく楽曲はJuice=Juiceの方が売れる。こんなことを書いている私だって「Juice=Juiceがカバーするらしいから、先に聴いておこう!」と思ってこのMVを再生したのだ。カバーしていなかったら原曲の視聴には至っていなかっただろう。アンテナが低くてすみません。いやぁ、商売ってむずかしいね。


Juice=Juiceバージョン

ここまで厳密に言えばハロプロの曲ではない。どちらも壮年男性の熟練の妙技が光る楽曲ばかりだ。ここからが純粋なハロプロ楽曲の順位になります。

3位 好きって言ってよ / Juice=Juice


この曲は歌詞だ。まじで歌詞がいい。私が一番好きなパートは落ちサビで一人一人がワンフレーズずつ順番に歌唱をつなぎ、朋子のファルセットの効いた「駆け引きなしで」のあと、最後にちぎれるような口調で歌われる紗友希の「無償の愛はとうに品切れ」である。

Juiceにおいて「無償の愛」といえば、デビュー二曲目『イジワルしないで 抱きしめてよ』のサビである。6年前に「無償の愛なの抱きしめるわ」と歌っていた彼女たちの「無償の愛」は、ついにここで品切れした。佳林の無償の愛は6年かけて。そして紗友希の無償の愛も(私たちファンから見ると突然切れたように見えるけれど)おそらく実際は時間をかけてゆっくりと、すり減っていたのだろう。どちらにしろ、二人とも本当に長い間よく頑張ってくれたと思う。ありがとう。朋子だけはファンに対する無償の愛がほんの少し残っていたようで、しばらくグループに残ってくれている。

おたくたちへの「無償の愛はとうに品切れ」になった佳林(と紗友希)は、この楽曲を最後にJuice=Juiceを出て行く。グループの大きなうねりにそった歌詞でたいへんいい。百点。

先ほども書いたソロパートが繋がっていく落ちサビは、高い歌唱力による畳みかけで聴くものを圧巻する。歌唱力の暴力だ。頬にビンタを左右からくらい続けてるような、強い陶酔を感じる。すごい。千点。しかもみんな顔が抜群に可愛い。はい一万点。しかもみんなスタイルまでいいんだよ。いったいどういうことだ?ちょっとおかしいでしょ。はい十万点。しかもみんな性格もいいうえに努力家なんだよ。奇跡だね。はい百万点。

この曲は聴いているうちにどんどんポイントが加点されていき最後には天まで届くほどの高得点をたたき出す、右肩上がりの楽曲なのである。クラシックで言えばボレロ。絶頂期のフィギュアスケーターのフリー演技のように、飛ぶたびに、回るたびに、演者が何か動作をするたびにポイントがどんどん加算されていく。そんな曲はなかなかない。

4位 Va-Va-Voom / Juice=Juice

歌詞は児玉雨子さん、作曲はジャニーズの楽曲が多いShusui/JosefMelinさん。いつものハロプロ楽曲とはひと味違うメロディと編曲。大人になることも、変わっていくことも、美しくなることも、すべてを肯定し楽しんだうえで日常という名の戦いに向かっていく歌詞が好きだ。メイクして、両手首とうなじに香水をつけて、戦闘力を徐々に上げていくかのようなイントロの振付がいい。この曲の世界観を体現している。初披露の代々木体育館で落ちサビを歌いきったあとの得意げな佳林の顔がいい。朋子が苦手なフェイクを頑張っているところもいい。

ステイホーム中にアップされた瑠々ちゃんによるソロダンス。踊りきったあとの一人語りがちょっと可愛いすぎる……やばいよ……。

この曲は「ほら かかってきなさいよ」のにらみつけるような野性的な視線と挑発的な指の振付が最大の見所である。「ほらかかってきなさいよ」のために私はいつもこの曲を聴いている。挑発に乗って実際にかかっていったら、たぶんあっさりこちらが負ける。

5位 イマナンジ? / つばきファクトリー

まさに小片さんの歌。この曲の小片さんの落ちサビ最後のパート「私を見て」は2020年もっとも私の心を打ったフレーズであった。

『イマナンジ?』の落ちサビは3位で紹介した『好きって言ってよ』と同様、メンバー1人ずつが順番にフレーズをつないでいくメドレー形式である。両者を聞き比べるとグループの歌唱力の差が如実に表れてしまっている。そんな中でも小片さんの最後のパート「私を見て」の表現力は素晴らしく、落ちサビを引き締め、この楽曲の魅力を一段上に引き上げている。ちっぽけな勇気を振り絞って小さい声で必死に何かをこちらに伝えてくるような、切迫した歌い方なんだよ。これは小片さんにしかできない。儚く切ない雰囲気を出すのが抜群にうまい。

2020年私が最も萌えたのは『イマナンジ』リリースイベントのニコニコ生中継において、小片さんが目に涙を抱えながらも正面からカメラを見て少しの音程も外さずに「私を見て」と歌った瞬間であった。私は胸が締め付けられた。「あなたを見ているよ。みんなずっとあなたを見ていたよ。あなたの苦労にずっと気がつかなくてごめんね。りさまるは最高の頼れるサブリーダーだって、私たち勝手に思い込んでいた。あなたに負担をかけ過ぎていた。本当にごめんね。でも、何がたりなかったの、何がたりなかったのよ、りさまる……」と思わずにはいられなかった。


この動画の3:10から。

なぜこの曲の良さが肝心の小片さん本人には伝わらなかったのだろう。この曲は小片さんのための曲だと思う。歌詞は朝加圭一郎の名曲『Keepin’Faith』のSoflan Daichiさんである。初めてハロプロに書いた歌詞として十分な及第点であり、とてもいい仕事をしてくださっていると思う。なにより、つばきに合っている。「イマナンジ 大惨事」の駄洒落が苦手だったのかな?間奏の時計を模した振付も、この曲でしかできないアイディアだからいいと思う。

※ここから先は2020年10月当時に書いていた文章をそのまま載せます。まだ小片さんが活動停止中に書いたものです。つばきファクトリーのその後の選択を踏まえていない文章ですが、当時の感覚を残すためにあえてそのまま載せました。※

私は小片さんこそがつばきファクトリーの核だと思っていた。彼女のことが今でも大好きだ。彼女の吐露していた「愚痴」における卓越した言語能力には驚いた。もちろん、他のつばきファクトリーメンバーのことも全員好きだ。

小片さんのことはきちんとケアしてあげて欲しい。愚痴を吐くことは生きていく上で絶対に必要なことである。「内面の自由」を犯すことは誰にもできない。愚痴を取りあげられてしまった労働者は、精神を病むしか道がなくなってしまう。最悪の場合、自死を選んでしまうことだってありうる。

小片さんこそがつばきファクトリーの核であり、柱であり、御本尊であった。さらに言えば、小片さんが愚痴っていた内的独白こそが、ハロー!プロジェクトの歌詞に出てくる女子の本懐であるとさえ、私は思う。自分よりもいい待遇を受けている(ように見える)女子へのねたみ、そねみ、やっかみ、不満。でもそれを口には出せない。その鬱屈した感情が、毎日の努力の原動力になる。もっといい歌割りが欲しいから、もっといい立ち位置が欲しいから、毎日必死で努力する。外見も磨く。歌もダンスも向上を目指し、歌詞の意味や歴史も勉強する。自分一人でコツコツと表現力を高め、いつか隣の女子を追い越す。恋は止められているけれど、ほのかな憧れはじっと心の奥底に存在していて、ときにそれが奇妙な形でこっそりと吹き出す。もちろんそれは世間に隠し続ける。その姿はまさにハロー!プロジェクトの女子そのものである。これぞハロプロ、まさにハロプロ。「そのまま歌詞にしてくれ!すごいよ!すげぇいい!!」というのが、あの一連の「愚痴」を読んだ私が率直に、まっさきに抱いてしまった感情なんだよ……。本当に申し訳ない。私はダメなおたくです。

私の奇妙な高揚はさておき、小片さんのようなタイプの職人にとって「2020年秋のバラードソロで武道館に立てなかった」というたった一点だけでも、十分すぎるほどの威力を持つ懲罰になっているはずだと思う。すでに十分な懲罰が与えられていると思う。私は彼女が心配だ。

そしてもちろん、他のメンバーの心労もいかばかりかと推察する。裏で自分の悪口を言っている人間と一緒にはいられない、という感覚も非常によくわかる。私の身にこの事態が降りかかったら、「その人と物理的・心理的に十分な距離を取ること」を結論とするだろう。それもよくわかる。しかしそれは現状のつばきファクトリーという箱の死を意味する。先ほども言ったように、小片さんこそがつばきファクトリーの儚く切ない作風、あえて言葉で表現すると「クラスで一番目立つ女子の隣にいる清楚な服装の、ぱっと見は地味だけれど意識が高くて芯のある女子大生が声に出さず心に抱えている悶々とした感情」という唯一無二の作風を支えているからだ。

スタッフはさぞかし頭を抱えていることだろう。今後のつばきファクトリーがどんな選択をしても私はそれを「しかたのないこと」として受け入れる。私にはその用意がある。一番悪いのは鍵アカウントをさらした人間であることを忘れてはいけない。「鍵アカウントをさらした人間」が持っている強烈な悪意を、これ以上周囲に伝播してはいけない。いまのハロプロの現状は、不幸をこれ以上連鎖させてもいいような余裕はまったくないと私は思う。

ちなみに私は今回の一件で初めてつばきファクトリーのメンバーの人間性が見え、関係性に興味がわいた。りさまるの愚痴は『少女革命ウテナ』の高槻枝織や篠原若菜みたいで最高だし、りさまるときしもんの関係は枝織と天上ウテナみたいだし、キキちゃんが特に明確な説明もなくセンターにずーっといる感じは薔薇の花嫁っぽいし、何を奪い合っているのかよくわからないけど何かを競い合っているし、なんだかつばきファクトリーそのものが『少女革命ウテナ』の鳳学園みたいに思えてきた。ここから上手くキャラを立てて魅力的に見せることだってできるはずだ。できるはずだよ。できるはずなんだが。ほんとにできるかな。

※ここまで。いま読むとやはり抱えている感情が古いです。でも、当時の混乱を残す意味であえてそのまま載せました。その後、小片さんはグループを脱退してソロになりのびのびと活動しています。つばきファクトリーには一気に4人が増員されて立派に再生しました。

6位 アップフロントグループ テレワーク合唱「愛は勝つ」「泣いていいよ」「負けないで」 (2020/05/04) / 全グループ

この記事に書きました。アップフロントグループの皆さん、どうもありがとうございます。

 

番外 逆襲のYEAH!/ つぼみ大革命

つぼみ大革命さんたちのことを私は何も知らない。いまWikipedia読んできたけれど、本当に何も知らなかった。ハロープロジェクト所属アイドルではなく、よしもと所属の女性アイドルグループである。どうしてつんく♂さんがこの曲を彼女たちに提供して、どういう経緯でプロデュースすることになったのかさえ、私は知らなかった。

でも、この曲はあふれんばかりに「ハロプロ」である。ハロプロっぽい曲を考えてください、と言ってイメージする曲と言えばまさにこういう曲なのである。全盛期Berryz工房が一番イメージに近いのかな。当時『LOVEマシーン』の歌詞で没になったという「魚魚魚 家家家」という歌詞も、そのまま入っている。つんく♂さんはどうしてこういう陽気でハッピーでアッパーなアイドル楽曲をハロプロに提供してくれなくなってしまったのか、いや違うな、どうしてハロプロはつんくさんにこういう曲をオーダーしなくなったんだろう。私にはわからない。くれ。もう包み隠さず素直に書こう。この曲ハロプロにくれ。いやまじで欲しいです、ください、お願いします。

以上です。2021年は『愛して何が悪い』が確実に一位です。ごきげんよう。(文筆は2021/11/30、アップロードは2022/6/30)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(後編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

6位 ご唱和ください 我の名を! / 遠藤正明

特撮番組『ウルトラマンZ』オープニング主題歌。テンションが上がる最高の曲。
『ウルトラマンZ』は最高の特撮ドラマだった。ウルトラマンは『Z』以降、大躍進している。私が思うその理由は以下である。

・Zのシナリオが完璧、完璧、完璧。
・ZのSF考証もバトルも映像も巨大特撮も最高。
・坂本監督は最高です!
杉原監督がルパパトで見せたあのグルグルまわるカメラワークを、坂本監督がリュウソウジャーで学び、ウルトラマンZに持っていったことがよくわかる映像美だった。あのカメラワーク、本家の戦隊では最近ぜんぜんやってくれないんだよね……。どうして……。
そして坂本監督の過去作リブートの巧みさは、あいかわらず卓越している。『MOVIE大戦アルティメイタム』のときに坂本監督は「石ノ森アベンチャーズやりたい」って言っていた(できていない)。それを実際に実現しているのが『ウルトラギャラクシーファイト』である。太っ腹にもYouTubeで無料配信である。世界中のファンが同時に盛り上がっている。ウルトラマンは古くなっておらず、10年前に買った指人形すらも現役のおもちゃとして使える。
・人物描写が最高だった、とくにヨウコ先輩とマッド・サイエンティスト・ユカ。キラメイジャーの女性描写の前時代ぶりと女子陸上選手をお尻のアップから撮るカメラワークとは雲泥の差であったと言わざるをえない。
・思わせぶりで、たっぷりと過去作を持つヘビクラ隊長の怪演。「ヘビクラの過去を知りたい!」というZ新規視聴者の欲求と、過去作がネットで見やすくなっているウルトラのネット環境の良さが、ぴったりとはまった。2021年12月現在ではついに、ニュージェネレーションのすべてがAmazonPrimeで見られるようになっている。これらは今のウルトラの強さの源だと私は思っている。
・ネット配信の充実ぶり
最も重要。『ウルトラマンZ』は、TV放送からすぐにYoutubeやAmazonPrimeで見ることができたため、簡単に本放送に追いつくことができた(緊急事態宣言のステイホーム中に見始めた)。ネット上での特別番組や見逃し配信も多く、子どもも親も非常にアクセスしやすい。コロナの自宅待機時期に放送されていて、一話も飛ばさずに全話放送できたことも(偶然のタイミングであったのだろうが)よかった。どこにも出かけられない子どもと親の憂鬱を、『Z』は大いに晴らしてくれた。

・ソフビの出来がよく、値段も手頃で、怪獣も含めたコレクタブルな玩具として充実している。ライダーの小物商法よりも廉価だし、一年で使い捨てにされない。出番も活躍もある。
ウルトラマンのソフビは『ウルトラマンギンガ』当時に一新され、サイズがぐんと小さくなった。私は同時とてもがっかりしたし、ぶーぶー文句も言った。言ったけど、いやぁ、私が完全に間違っていました。すみませんでした。
(現状の「仮面ライダー」ソフビは値段の高さと無駄な大きさと塗装の少なさが目立ちすぎるし、現状の「戦隊」のソフビはついにレッドと追加戦士以外はろくに販売されなくなってしまった。ギンガ当時のウルトラソフビの展開は、きちんと時代に沿った戦略だったんですね……。)
・怪獣の人気が根強い。過去怪獣を最新の番組に出せるシステムを、十年掛けて作り上げた。ヒーローと戦わせるブンドドの相手役として最適である。(仮面ライダーの怪人はおもちゃとしてなかなか根付かないのか、敵もライダーばかりになってしまった。)

・DX玩具の出来のよさ
ウルトラマンZの変身玩具『DXウルトラゼットライザー』は、10年に一度の傑作玩具『仮面ライダーオーズドライバー』と同じシステムであった。(そして偶然なのか何なのか『仮面ライダーセイバー』の三冊変身システムもオーズドライバーによく似ていた。)
私はDXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくて、いてもたってもいられなかった。しかし時は緊急事態宣言下である。おもちゃ屋さんも営業していない。仮面ライダーオーズのDX玩具を持っている子どもたちは、『ウルトラマンZ』をめちゃくちゃ楽しく見ているものの、DXウルトラゼットライザーとウルトラメダルにあまり興味を示してはくれなかった。長男には、はっきりと「うちにはオーズのベルトとメダルがあるから、Zライザーは別にいいかな」と言われてしまった。彼らの年齢的にも「なりきり」の欲求がすでに希薄になりつつあり、玩具の可動システム自体に興味が移行している時期ゆえの当然の反応なのだと思う。でも私は、DXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくてしかたがなかった。

コロナが落ち着いた7月頃に、私はようやくおもちゃ屋さんへ行くことができた。久しぶりに行ったおもちゃ屋からは、玩具を直接さわれる「試遊コーナー」が撤去されていた。そりゃそうだ。セブンガーはどこへ行っても見る影もなく、ウルトラメダルセットも売り切れの店が多かった。

たまたま仕事で東京駅を通ったとき、専門店・ウルトラマンワールドM78 東京駅店にて私は初めてDXウルトラゼットライザーをさわることができた。店員のお兄さんが飛んできて、本当に丁寧に、うれしそうに使い方を教えてくれた。東京駅のウルトラショップの店員さんはウルトラマンが大好きな人たちばかりで、いつも本当に親切にウルトラマンを教えてくれる。私は何年たってもウルトラマンと怪獣の解像度に自信がないので(頼まれたものと違うものを買ってしまいそうになる)いつも店員さんに助けてもらっている。コロナで会話がマスク越しになっても、以前と変わらず親切な店員さんが饒舌に商品を教えてくれることが嬉しかった。知らない人と好きな作品について長い時間話す、という体験自体も本当に久しぶりだった。
店員さんもきっと嬉しかったのだろう、私もいろいろと質問された。Zからウルトラマンを好きな子どもが保育園にどんどん増えていること、ほかに流行っているヒーローのこと(鬼滅と答えた)、どの媒体でZを見ているか(店員さんはYouTubeだと思っていたようだが私はAmazonPrimeと答えた)、ヘビクラの過去を知りたければ何を見ればいいのか、これからYoutubeで新作の配信が始まるからぜひ見て欲しい!おすすめです!ということ……いろいろ教えてくれた。
おそらく私よりも一回り以上若い店員さんから、ウルトラマンが大好きで大好きでしかたがないという激情があふれ出ていた。それはコロナ禍で人と人が分断されている中、私が久しぶりに感じる生命の息吹であった。10年ほど辛酸をなめながら地道に蒔きつづけていたウルトラマンというコンテンツの種が、ついに芽吹き美しいつぼみをつけ始めている。彼は再生の瞬間に立ち会っているのだ。その高揚感がこちらにも痛いほど伝わってきた。コロナによる圧倒的閉塞感と不景気の中で感じる、数少ない沸き上がる情熱に私も嬉しくなった。

7位 ポケモンしりとり / ポケモン音楽クラブ(増田順一/パソコン音楽クラブ/ポケモンキッズ2019)


アニメ「ポケットモンスター」エンディングテーマ。

2020年から始まった新しいアニメシリーズ、無印の「ポケットモンスター」。そのEDが『ポケモンしりとり』である。子どもたちと一緒に歌える、遊び歌だ。ポケモンセンター内の回復音のSEがジングルとして入るところがよい。「しりとりで一回『ん』になって瀕死になったけど、また生き返った」ということがよくわかる。子どもたちの歌声もいい。

この曲は今後、長く使える。これは私事であるが、たくさんの子ども達と、ある程度の時間を一緒に潰さなければいけないとき(電車を待っている、渋滞中のバスの中、遠足の合間の待ち時間など)私ができる最も効果的な遊びが「ポケモンしりとり」である。ポケモンの名前だけで、ひたすらしりとりをする。たとえ初めて出会った子どもばかりであっても、子どもがポケモンを知っていたら、これで30分は潰せるのだ。大変ありがたい。私はこれまでの人生でこの手段をすでに8回ほど使って、日常における危機的状況を乗り切っている。

ちなみに、子ども達がしりとりに飽きたら次は「ポケモンものまね」をする。LoVendoЯの宮澤茉凜ちゃんが当時ブログでやっていた「スボミーのものまね」からアイディアを得たジェスチャーゲームだ。ポケモンのポーズのマネをして、何のポケモンか当てる。

例:
・首を少し震わせた後に大きく左に傾ける → 「ミミッキュだ!」
・後ろから棒を抜いて振り回し、後ろに戻す → 「テールナー!」
・パントマイムの壁→「バリヤード!」
・タップダンスして両手を広げる→「バリコオル!」
・リフティングの後シュートの仕草→「エースバーン!」
・口を丸く開けて両手のひらを前に向けてゆらゆら左右に揺れる→「ルージュラ!」
など。これで15分は潰せる。

ポケモンしりとりもポケモンものまねも、子どもたちと一緒に長い時間を楽しく安全にすごせる遊びである。暇つぶしの道具を持ってきていないときにおすすめします。

前アニメシリーズであった『ポケットモンスター サン&ムーン』は、かなり思い切って低年齢向けに振り切った内容だった。永遠の10歳であるサトシが――ポケモン以外は頭の中に存在しないサトシが――初めて学校に通う描写がされた。学校生活の中で、ポケモンとのふれあいを全面に押し出す内容であった。

その反面、バトルは非常に少なく、タイプ相性などのポケモンバトルシステムの説明もほとんどなかった。ポケモンバトルが大好きな私や、高学年の長男にはバトル描写のない『サン&ムーン』は極めて不評であったが、保育園児である次男やその周囲の子どもたちには大人気であった。『サン&ムーン』は一話ごとにわかりやすく、入りやすく、親しみやすい。そのように作られていた。つまり対象年齢を下げたのだ。そしてそれは成功した。園児や小学校低学年児に『サンムーン』は大受けであった。YoutubeやAmazonPrimeにすぐにアニメが上がって世界中ですぐに見られるようになったのもよかった。同時期に『ポケモンGO』の大ブームも起こり、ポケモンはその対象を幼児から高齢者まで広げた。

その後、満を持して新作ゲーム『ソード・シールド』が登場。アニメは何も冠しない『ポケットモンスター』となった。ポケモンはいまや、3歳くらいの児童から社会人までの男女ともに大人気である。デジタル機器の普及によってゲーム開始年齢が低年齢化した影響もあるだろう。10年前は「ゲームは早くても小学校入学から」だったように思うが、いまや3~4歳からゲームを始めている子どもが多い。「お気に入りYoutuberのゲームプレイ動画を勝手に何時間も見続けている現状よりは、自分でプレイさせた方がマシだ」という親の(あきらめに近い)判断もある。

ポケモンが未就学児にも大人気になって私は素直に嬉しい。『XY』のころ、ポケモンをやっている未就学児は私の息子しかいなかった。園や学童の先生たち(20代が多い)には「彼とだけはポケモンの話題ができて嬉しい」と言われていた。あの頃、ポケモンバトルの解説動画をコンスタントに上げてくれていたのはニコニコ動画におけるもこう先生しかいなかった。私はポケモンバトルのすべてを「ポケモンXY 新・厨ポケ狩り講座!」で学んだ。時代が変わり、もこう先生がYoutube動画配信で大金を稼いでいるっぽいこともこっそり嬉しい。

8位 私がモテてどうすんだ / Girls²


映画「私がモテてどうすんだ」主題歌。

2020年はねじ子史上、最も「映画館で」映画を見た年でもあった。このご時世ならではである。
①休日が不定期な上に、友人と遊べない
②一人で時間を潰すしかない
③(感染対策)人混みはいやだ。すいているところがいい
④(感染対策)外食はまったく落ち着けない

この4つのコロナ対策を解決してくれる娯楽が、郊外の映画館いわゆるシネマ・コンプレックスであった。なんといっても客席はガラガラである。それでも毎日、朝から晩まで営業してくれている。一席とばしで席を販売しているので、ソーシャルディスタンスが「完全に」保証されている。これは本当に快適かつ安心であり、孤独な私に合っていた。コロナが終わっても市松模様で売りつづけて欲しいくらいだった。

映画館独自で様々なキャンペーンを行っていて、サービスもよかった。ドリンクが飲み放題だったり、ポップコーンも食べ放題だったり、どちらも半額だったりした。映画館内は周りに人がいないうえに、正面を見て食べればいいのだから「外食の感染リスク」はほぼゼロである。

映画自体のチケットも安かった。一日見放題・半額キャンペーン・ポイントバックなどなど、人寄せのため様々なキャンペーンを行ってくれていた。そしてそれでも、客席は空いていた。たった一人の観客で貸切状態で映画を見たのも人生で初めてであったし、2本続けて見る体験も初めてであった。そんなこんなで私は2020年、人生で一番多く、映画館で映画を見た。「こんな中でも私は文化を支えているんだ!」という優越じみた使命感と、「私は困っている人につけ込む詐欺師のような客だな」という申し訳ない感情の両方が沸いた。

名作も迷作も洋画も邦画もアニメも実写も、とりあえず広告で何かがひっかかれば見た。ちなみに2020年個人的ベスト映画は『劇場版騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』と『アナと雪の女王2』、ワーストは『がんばれいわ!!ロボコン』だったような気がするのだが、『ロボコン』の後の『スプリンパン まえへすすもう!』があまりに、あまりに衝撃が大きかったため正直『ロボコン』の内容をあまりよく覚えていない。私の心もスプリンパンのお母さんと一緒に遠い夜空に飛ばされてしまったようだ。『スプリンパン』はAmazonPrimeに入っているので皆さんもぜひ見てほしい。「5分でいいから見て」というコメントであふれているが、まったくもってその通り。5分でいいから見て欲しい。サブ・スクリプションで見るぶんには最高の映画だ。映画館で見ていると、このドラッグ映像がどこまで続くのか本当にわからないから(『スプリンパン』は3本同時上演の中の真ん中だった、しかも多くの観客の子どもの本命は最後に上映される『人体のサバイバル!』であった)血の気が引くほどの恐怖を味わうことになる。鑑賞中に「もうどうしたらいいかわからないよ」と思った映画は初めてであった。横で見てる子どもにも、なんて声をかけたらいいかわからなかった。困惑で唇が震えた。終了時には3時間ロードショーを乗り切ったほどの疲労感を味わうことができた。あ、『人体のサバイバル!』は本当よくできたいいアニメでした、原作も大好きです。

スプリンパンはさておき。映画『私がモテてどうすんだ』を私は一人で見た。客席には私一人しかいなかった。どこの席に座ってもよかった。でも私はいつもと同じように、廊下に出やすくトイレに行きやすい後方の通路脇の席で映画を見た。(ちなみに続けて映画『ソニック・ザ・ムービー』も見た。『ソニック』はアメリカで受けるに決まっているヒーローものとして非常によくできており、ハリウッドのマニュアル通りの完璧な筋書きで、だからこそ、私があえて書かなくてはいけないこともなかった。)

『私がモテてどうすんだ』は、思春期女子が「恋愛すること」ではなく、「いま誰とも恋愛をしていないこと」を肯定する珍しい映画であった。思春期女子にまとわりつくルッキズムと、外見が変わることによって(中身は一つも変わってないのに)周囲(特に異性)のからみつくような視線の質が変化することへの嫌疑感と、努力する自己への肯定感を、時代に合わせて上手く表現していた。

女子高生の頃の自分であったら、映画の中に入りこみ、主人公または主人公の親友あまねちゃんにアイデンティファイして一喜一憂していたに違いない。「私のことを描いた映画だ」と思っただろう。そしてそれは「私を肯定してくれている映画だ」という自己肯定につながったであろう。主題歌の「行くぜ ベイベベイベ FU FU GiRL 恋も愛もくだらないわ!」と宣言するサビの歌詞は「腐女子」とダブルミーニングであり、その陳腐さにとまどい笑いながらも、歌詞に大いに共感し、励まされ、脳内に繰り返し鳴り響くアンセムになっていたに違いない。

しかし私はすでに女子高生ではない。

この映画の正しい見方。それはイケメン俳優目当てでシネコンに来た女子高生二人組が映画を見た後に、階下のフードコートでたこ焼きとフライドポテトを食べながら、「映画の中のどの男子が好みか」をきゃあきゃあと笑いながら伝えあうことなのである。親友といえる女子と映画を見た後に、映画館で飲みきれなかったメロンソーダとコカコーラをストローですすりながら「自分は五七派か、七五派か」を真剣に話しあうこと。かけがえのない、その年代でしか持てない貴重な時間を同性の友人と共有すること。それこそがこの映画の正しい鑑賞方法である。

しかし私は女子高生ではない。子持ちの中年女性だ。年齢は彼女らの親に近い。すっぴんでボロボロの仕事帰りだ。鞄の中には、100円均一で買ったレインコートがぐしゃぐしゃに丸まって入っている。なーんも防護具がない環境を体験した2020年4月以来、医者の仕事に行くときは必ず持ち歩いている防護服代わりのレインコートだ。映画館階下のフードコートはガラガラで、映画を見た後に語り合っている女子高生など一人も見当たらない。そんな世情であることも悲しい。

ちなみに私は七五派だ。誰も聞いてない。そう、誰も聞いていない。そんなことを聞いてくれる友達は、この世にはいるけど、いま私の隣にはいない。

私にだって級友もママ友もパパ友も存在する。でもみんなそれぞれ忙しい。しかもコロナである。育児に仕事にいっぱいいっぱい、追い詰められて目が回るほどであるだろう。さらにコロナである。こんな状況で医療従事者に会うなんて、恐ろしいに違いない。子どものお迎えに行って、保育園の前ですれ違うときだって、お互い会話もせずにおじぎ程度ですませているというのに。このご時世で誰が医者なんかと会って話したいものか。今日の空き時間だって、たまたま予期せずできたものだ。仕事終わりの奇跡的にできた空白の時間に、私は一人でふらっと映画館に寄ったのだ。感染症流行中のこんな中でも、なんとか楽しめる余暇を見つけ出したのだ、たった一人で。そんな突然の気まぐれに、誰が付きあえるものか。

映画館から出たら外は霧雨であった。私はここまで自転車で来た。くしゃくしゃのレインコートを無言で広げた私は、びしょ濡れになりながら自転車をこいで家へ帰った。

※本家MV。ここまで歌詞と映像に関連性がないと、見ていて何かを語ることができない。Girls²には『ガールズ×戦士』シリーズで毎週見ていた女の子たちが所属しているはずなのだが、モノクロ眼鏡で同じような衣装のためそれさえも区別がつかない。名曲なのに、もったいないと思う。

9位 紅蓮花 / Lisa

アニメ『鬼滅の刃』の主題歌。曲自体は2019年の曲である。

2019年末にはすでに、音楽会で保育園の子ども達が(客席の小さい子ども含めて)自然発生的に『紅蓮花』を大合唱していた。「鬼滅はこんなに小さい子どもたちにも人気なのか!」と驚いた。「人があんなに簡単に死ぬのに!サイコロステーキになるのに!まじで!」という衝撃である。もちろん私の子どもたちも大声で一緒に歌っていた。彼らは勝手に『鬼滅』のアニメをAmazonPrimeで見ていたのだ。いつのまに。小学生の間ではアニメ化の前から『鬼滅の刃』の単行本が人気だったのは知っていたが、まさかここまで低年齢に浸透していたとは思わなかった。

さきほど「パウ・パトロールは戦隊ものである」と書いたが、『鬼滅』もまた「戦隊もの」なのである。「パウ・パトロール」と違って『鬼滅』は戦隊ものと直接かぶってはいないし、かぶせてきてもいない。ただ、消費者として子ども達が味わっている「要素」が、鬼滅と戦隊もので非常によく似ている。わかりやすく色分けされた個性の強いキャラ、一人では弱い主人公たちがチームとなって鬼に勝つ、頼れる複数の年長者の存在、滅私の象徴であるリーダー、これら全員が一丸となってより強い敵を少しずつ倒していきながら成長する……という物語構成が、たまたま戦隊とかぶっているのだ。例えばオタトークをするときに「チームの中で少し引いているようなクールで強いキャラが好き」という場合、昔ならば「戦隊ものでいうブルーのような」と言えば通じたのだが、今だとこれでは通じにくい。「鬼滅の冨岡義勇のような」と言うと通じてしまう。

非常事態宣言が終わった後にひさびさに近所の大型玩具店へ行ったら、『鬼滅』が一列を占めるようになっていた。戦隊の列はなくなり、仮面ライダーの列もなくなり、そのふたつはまとめて1/2列の棚に押し込められた。かわりに鬼滅と呪術とウルトラマンソフビとすみっこぐらしとアニアとポケモンと任天堂関連商品が、その場所を少しずつ埋めている。悲しい、と同時に「そりゃそうだろうな」とも思う。だって鬼滅の登場人物は男女ともに強く優しく、弱者を搾取する独裁者への誘いに決してなびくことがなく、滅私で弱者を救い続ける正しいヒーローばかりだから。

もちろん煉獄さんの鎮魂歌『炎』も好きだ。『炎』を聴くと私の目は勝手に涙を出す。条件反射のようにこの曲を聴くと涙が出てしまう。困る。だから『炎』は「泣きたい」という気分のときにしか再生できない。

10位 ドンじゅらりん / 「みいつけた!」より

(カバー)

NHK Eテレ、3~5歳児向けの15分番組『みいつけた!』内の一曲。番組の主人公であるスイちゃん(6歳・四代目)が歌っている。作詞作曲はくるりの岸田繁。岸田バージョン配信希望。

くるりは今、私の中で第三次黄金期を迎えている。

第一次:アルバム『図鑑』のころの初期衝動ロック。
第二次:『ワールドエンドスーパーノヴァ』の電子打ち込み。
第三次:今。
教育テレビの5分間番組っぽいコンセプトに基づいた作り込みが随所に見られて楽しい。この「おふざけ感」はつんく♂っぽい、ハロプロっぽいとも言える。もちろん、くるりのほうがずっとずっと洗練されていますが。というわけでハロプロの事務所さん、いまこそ岸田氏に作詞作曲をオファーしませんか!?確実に断られる気もしますが!

アルバム『天才の愛』も最高でした。とんでもないタイトルですが最高です。2021年ねじ子の楽曲大賞最有力候補はくるりの『野球』か『コトコトことでん』です。

ここからは2020年ハロプロ楽曲大賞に続きます。続きますが、高木紗友希ちゃんの突然の消失をまだ現実と受け止めきれていない私に、果たして長文が書けるのでしょうか……。(2021/11/20)

会場推しとハロプロ新春おみくじ

ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザ新春恒例のハロープロジェクトコンサート、略称「冬のハロコン」です。毎年1月2日の中野サンプラザから始まり、全国を巡業してまた2月に中野へ帰ってきます。ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザなのです。

私はハロコンのチケットを取っていませんでした。COVID-19の流行がどうなるかさっぱりわからない情況の中、チケットを予約することができなかったのです。

三賀日のたまたま空いた日に、私はひとり中野サンプラザへ向かいました。チケットもないのに。いわゆる「会場推し」です。チケットを持っていないからコンサートに入れないのに、会場前に行くことをハロヲタは「会場推し」と呼びます。雰囲気を味わうため、オタクに会うためだけに行くのです。COVID-19流行によって世界中の医療従事者が抱える孤独と分断を癒やすために、私はかつての仲間であるハロヲタの姿をひとめ見たかったのです。知り合いもおらず誰の名前も知らないのに(私は孤独なおたくです)みんなに会いたかった。ハロヲタの熱気と会場の雰囲気を久しぶりにこの身に浴びたかった。「私の帰る場所はなくなってなどいない」「私には帰れる場所があるんだ」と、ただ思いたかったのかもしれません。それは「新春ハロプロ詣」というよりも、「ハロヲタ詣」とよぶべき衝動でした。

オミクロン株の感染力の高さにあわせて、2022年1月に入ってから東京都の新型コロナウィルス感染者数はぐんぐんと伸び始めていました。「ハロコンは2月の中野サンプラザ凱旋に行けばいっか」と思っていましたが、それでは遅そうです。このままではもう2月までもたなそうだ。2月にはもう感染が拡大してコンサートが開催できない、または開催されたとしても私が参加することはできないだろう。そう判断した私は、1月某日、ハロコンの当日券販売に並ぶことに決めました。

当日券は抽選販売です。「ハロプロ新春おみくじ」ともよばれます。今年の冬のハロコンの倍率は「毎回150人程度並んで、10人程度が当たる」くらいでした。当選確率は1/10~1/20といったところでしょうか。

「ハロプロ新春おみくじ」はこういった仕組みになっています。
・定時に並んだ人数分の竹串が用意されて、小さい筒に入れられます。
・並んだ順番に前の人から、その竹串を引いていきます。
・当たりくじの先には赤い印がついています(これは毎回変わり、当たりが青だったり、当たりが無色で外れくじに赤や青が着色されていることもあります)。

当選確率1/10~1/20ですから、これは「外れて当たり前」です。寒空の中ひとりで中野サンプラザまで行くこと、じっと当日券販売開始の掛け声を待つこと、そのために家でしっかり防寒対策をとってくること、ソーシャル・ディスタンスを取って並びつづけること、前公演が終わって会場から出てくるオタクたちの満足そうな笑顔をながめること、彼らの高揚を感じること。これらすべてがいわゆる「前戯」であり、ハロコンという「お祭り」の一部です。ディズニーランドのアトラクションの行列に並びながらポップコーンを食べている時間や、サッカースタジアムへ続くさわがしい徒歩の道のり、競馬場でテイクアウト・フードを片手にパドックをまわる馬をながめている時間と同じです。それらの過程をふくめてイベントであり「お祭り」なのです。私の正月ハロコンはすでに始まっています。たとえチケットが当たらず、このまま中野ブロードウェイに寄ってフィギュアを一通りながめたあと、家へ帰ることになっても。

私のくじの順番が来ました。あまりの寒さにふるえる手で、私は竹串をいっぽん抜きました。竹串の先端には、赤い色が付いていました。その意味がわからずぽかんとしていた私に、係員さんが大きな声で「おめでとうございます!」と声をかけてくれます。私の後ろで行列していたオタクの皆さんの拍手の音を聞いて、私は初めて自分がチケットに当選したとわかりました。

ハロコンの当日券抽選に並んでいるオタクたちは、数少ないチケットを奪い合うライバルです。それなのに、彼らは自分より前で当たりが出ると、その当選を祝って拍手をするのです。当たりはどんどん減っていくのに、当選した見知らぬオタクへ「おめでとう」の拍手をするのです。古き良きハロヲタの素晴らしさがよくあらわれた光景だと思います。私の心は正月から喜びに満たされ、感動的な出来事となりました。ザッツオールライト。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,PEACE,PEACE。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,YeahYeahYeah !

嬉しさのあまりそこらへんの石のベンチで撮った記念写真↑

まさに公演名のとおり、LOVE&PEACEです。これから私が入るのはPEACE公演。公演のテーマ曲は『ザ・ピ~ス!』。まさにその通りです。ハロプロもハロヲタも素晴らしく、世界は平和で愛に満ちている。さっきまで私は、私を取り巻く世界がオミクロン株に侵食されはじめている現状にひたすら絶望していたのに。いまは世界が愛と平和に満ちている!そう思える瞬間でした。神様、仏様、わたしにハロコンを見せてくださってありがとうございます。

ハロプロの「現場」に入ることができたのは、Ballad武道館公演以来1年半ぶりでした。
かなとももさゆきもまーちゃんも卒業してしまったので、今の私はこの手でゆらすペンライトの色がありません。通俗的な言葉でいえば「推しメン」がいない状況です。ハロメン全員が出てくる場面において、ペンライトを何色にしたらいいのか、自分でもわからないのです。私のキングブレードはズッキがいる間は緑、桃子がいる間はピンク、そしてその後はずっと朋子のりんご色に輝いていました。その色を選ぶことに、なんの迷いもありませんでした。でも今はそうではない。こんなにフラットな気持ちでハロプロを見るのはひさしぶりのことです。

1月9日PEACE公演のベストアクトは『ジェラシージェラシー』の上國料萌衣ちゃんと『背伸び』の北原ももちゃんでした。かみこはただでさえ歌がうまかったのに、さらに歌唱力が上がってる!そしてなんといっても!表現力が!抜群に上がってるよ!『ジェラシージェラシー』がぴったり合っていて、本当にめっちゃジェラシー持ってそうな感じがした。かみこの歌からヒリつくような強い情念を感じたのは初めてだった。すごかった。かみこの圧倒的表現力に敬意を表して、その後はずっとペンライトをかみこのアクアブルーにしましたよ。楽しかった。2022年のハロプロは私にとって一推しを探す行程の旅になりそうです。(2022/01/15)

追記:結局オミクロン株の蔓延による第6波によって緊急事態宣言が発動し、2022年2月の中野サンプラザ凱旋公演は中止になった。予想通り。誰も悪くない、悪いのはウィルス。悪いのはウィルスだけ。

おたく活動備忘録 : 佐藤優樹卒業公演をライブビューイングで見た

佐藤優樹ちゃんの卒業公演へ行った。武道館はもとより、映画館のライブビューイングですらチケットがぜんぜん取れなかった。ようやく買えたのは、練馬区大泉の駅から遠く離れた映画館であった。わざわざ行った。遠かった。映画館で一番大きいスクリーンが使われていたが、それでも会場は満席だった。

まず、モーニング娘。の単独コンサート自体がとってもひさびさだ。2020年の新型コロナウィルス流行以来、ハロプロで定期的に開催される公演はハロコンだけになってしまった。正確に言うと、5つのグループをシャッフルして4つに分け、入れ替わりで公演するコンサート(花鳥風月)だけになった。グループごとの単独コンサートが行われるのは、誰かが卒業するときのみ。もちろんそれは大人気公演になり、チケットは争奪戦になる。ハロプロ一番人気のまーちゃんの卒業コンサートともなれば、チケットが取れるはずもない。武道館では狭すぎる。

モーニング娘。の単独コンサートはファンタスティックで魔法のような音楽体験を私にくれる。この高揚は他では得られない。ファンのコールなしでも、ぜんぜん退屈しなかった。

セットリストは新しいアルバム「16th~That’s J-POP~」中心でよかった。『愛してナンが悪い!?』と『このまま』が聴けてよかった。そもそも新アルバムが出てから、モーニング娘。が単独公演をするのもこれが初めてなのだ。ライブで聴くとどの曲も新鮮に生まれ変わる。生歌と表情とダンスがステージにはえて、別物になるのだ。シングル先行曲の『よしよししてほしいの』はやはり最高であったし、『ビートの惑星』も単純明快で楽しかった。

私の脳と体は映画館を出たあとも16ビートに細かく揺さぶられている。これはおそらく今日の夜、ベッドに入ってからも続く。

これは私の主食だ。

私はモーニングの単独コンサートが開催されなかったこの二年、いったい何を食べて生きてきたんだろう?本気でわからない。ひょっとしたら死んでいたのかもしれない。

モーニング娘。はつんく♂さんという最高の農家が腕によりをかけて作ってくれている白米だ。またはつんく♂さんという最高の料理人が出してくれる最高のディナー。実際のモーニング娘。の名前の由来は喫茶店のモーニングセットであり、トーストとコーヒーとサラダとゆで卵が食べられて、みんなが気軽に親しめるお得な朝食なんだけど、私にとっては最高のごちそう。一番のメインディッシュだ。

私はいま混乱している。足に力が入らない。こんな経験はズッキ卒業公演以来だ。あのときも私は武道館の席からしばらく立ちあがれず、周囲の見知らぬオタクに心配そうにのぞき込まれながらも席で長いことうずくまっていた。2021年のいまの私は、映画館のロビーにすわってただただぼーっとしている。これから一人で暗い夜道を歩いて帰らなければいけないのに。

今日はモーニング娘。’14のペンライトを持ってきた。今日で何かと決別するつもりだった。’14の楽しかった思い出が、今日で終わる気がしていた。あの夢のような時間がひと段落する気がしていたのだ。

まーちゃんは’14の末っ子だった。実際はどぅーの方が年下で、さくらの方が加入は後だったけれど、まーちゃんは確実にカラフル期のモーニング娘。の末っ子だった。そして誰よりも早い速度で、毎日のように、みるみる成長した。パートがどんどん増えていった。あの頃から娘。を見ている人ならば、この感覚をわかってくれるだろう。

まーちゃんは私の娘だ。私が産んだ。そのくらいの気持ちでいたんだよ、わたしは!気持ちが悪いことに!卒業の日までどうしてそれに気が付かなかったんだろう?柳原可奈子さんは2014年当時から「私がまーちゃんを産みたかった」と宣言していたというのに!

私の娘がいま巣立つ。巣立つことを自ら選んだ。病気ゆえもあるだろう、コロナ禍ゆえもあるだろう。口惜しい。でも旅立ちを祝福したい。楽しかった’14がこれで終わる。心が千々に乱れている。どうしていいかわからない。わからないから私は、ロビーで食べきれなかったポップコーンと烏龍茶を口につめこみながらこの文章を書いている。心の中の混濁を吐き出して、いったん落ち着いてから帰ることにする。

映画館のライブビューイングのいいところは、こういったときに決してせき立てられたりせず、ゆっくり心を落ち着かせてから帰れることだと思う。(2021/12/13文筆、2023/9/18投稿)

おたく活動備忘録 : 金澤朋子卒業公演をライブビューイングで見た

朋子が25歳定年の壁を打ち破った日、私は人生で初めて「本人不在の誕生会」を行った。ハロプロの伝統であった25歳定年制度が静かに打ち破られたことが、そのくらい嬉しかった。

しかしその一ヶ月後、朋子は病気によるグループ卒業を決断した。それ自体はしかたのないことだ。わかっている。私が朋子の主治医であったとしてもその決意を支持するだろう。挙児希望のある子宮内膜症の女性に勧めることは、結局のところ月経周期が一回でも少ない状況での妊娠出産を目指すことに尽きる。私は医者として彼女の決定を大いに肯定する。

朋子も、それからまーちゃんも、現代医学が不甲斐なくて本当に申し訳ない。あなたたちの活動を支えられる医療を、現代の医学では提供できなかった。それが悔しい。本人たちはもっともっと悔しくて悲しいと思う。

私は「ここだよ朋子」コールが可能になるまで、朋子には卒業しないで欲しいと思っていた。でもそれはかなえられなかった。市松模様の一席飛ばしで販売された横浜アリーナ卒業公演のチケットはとれなかった。この私が朋子の卒業に立ち会えないなんて、思ってもいなかった。でも私は世情を考えて粛々とそれを受け入れ、ライブビューイングのチケットを取った。

Juice=Juiceというグループは、安定して高いクオリティをキープしながら歌唱サービスを提供し続ける、ずっとそこにある組織であった。それはまるで朋子の人生目標であった「地方公務員」のような安定感とたたずまいで、ハロプロという組織の中にずっと存在し続けた。歌唱への過剰な鍛錬ぶりも、消防署の職員さん達のストイックな訓練と自己研鑽を見ているようだった。コンサートはさながら消防隊の出初め式やブルーインパルスの航空祭だ。娘。から大好きなズッキがいなくなったときも鞘師がいなくなったときも、Juice=Juiceは変わらずそこにあり続け、安定した歌唱力で私を支えていてくれた。私にとってJuice=Juiceは安定した自治体の福祉厚生であり、インフラであり、ベーシックインカムだった。

最初の武道館からの帰り道、高揚感に包まれながら私は「Juiceは最高だ。いつまでも存在し続けて欲しい。佳林と朋子と紗友希がいつまでも一緒に歌っていてくれたらいいのに」という強い幸福感に包まれていた。それと同時に、それが不可能であることもわかっていた。どこかで必ず終わりは来る。彼女たちがいなくなったら、私はどうなってしまうんだろう。私は幸福の絶頂の中にいながらそれを失うことにおびえていた。多幸感と、その消失への恐怖。両方を漠然と抱えながら、私は人混みにまぎれて田安門を通り皇居の堀の坂をくだっていた。九段坂駅への道は人混みにあふれ、アン・オフィシャルな写真を売るあやしげな露天のハロゲンランプでぎらぎらと輝いていた。

当時、武道館のチケットは苦労せず一般でも買えた。武道館の客席が満員になったのも直前であったように思う。だから当時の私は、朋子・佳林・紗友希という三人の歌姫が卒業するコンサートの「どれにも」現地で参戦することができないなんて、夢にも思ってなかった。ただ、ベーシックインカムがいつか途切れることだけを、漠然と不安に思っていた。そしてその日が来る。

私は朋子の卒業発表から一ヶ月の間ずっと目をそらし、発表を信じることができないままに卒業コンサートのライブビューイングに参加した。

オープニングは彼女の代名詞である『イジワルしないで抱きしめてよ』だ。ハロー・プロジェクトの全楽曲の中でも一二を争うくらい好きな曲である。『イジ抱き』のCD音源で朋子が歌っていたパートは、すべて朋子に戻っていた。私はそれが嬉しかった。そして他のパートは、すべてオリジナル当時とは違うメンバーたちが歌っていた。開始一曲目だったこともあり、朋子も含めた全員の声量や音程が安定していなかったが、それもまたグループの歩んできた歴史を感じさせてよかった。

コンサートはとても素晴らしかった。まず、朋子の美しさが極まっていた。あんな美しい姿のままステージからいなくなるなんて信じられないほどであった。生まれ変わったら朋子の卒コンの赤いストレートビスチェドレスの背中のサテンのリボンになりたい。Juice=Juiceの次の展望がほのかに予感できるパート割りやセットリストもよかった。つまりきちんと完成された、予定通りの卒業コンサートだった。

そして私は、紗友希がいなくなったことをここでようやく実感した。今日この日まで、紗友希がJuice=Juiceからいなくなったことを私は本当は信じていなかった。朋子の卒コンを見て私は初めて紗友希の突然の消失を自覚し、現実だと認識し、消化するとまではいかないものの、ゆっくりとかみ砕いてのみこむことができたのだ。

朋子と紗友希の友情と歌唱力における切磋琢磨こそが、Juice=Juiceという女性アイドルユニットの「核」であった。5人のオリジナルメンバーによって作られたJuice=Juiceの絶対的センターだった佳林ちゃんでもなく、初代リーダーのゆかにゃでもなく、朋子と紗友希という稀代の女性歌手2人が、歌割をめぐってせめぎ合い自己研鑽を重ねる姿。それこそがJuice=Juiceという女性アイドルグループの「核」であったと私は思う。2人は常にお互いを高めあっていた。2人のパワフルで声質が違う歌声の上に佳林のアイドル歌唱のクリスタルボイスが乗ることで、Juice=Juiceという歌唱グループは完成し、大きなグルーブを作っていた。


私が以前Twitterで書いたJuice=Juice『微炭酸』池袋リリースイベントのレポートにて、「お互いの声がちょっとかすれたり、ちょっとだけ音程がずれたりした直後にニヤっと笑いあう2人」というのは、朋子と紗友希であった。

どちらも女性アイドルとして最上級に(でも少し違う方向性で)歌の上手い二人が、お互いの歌を認め、技術を評価しあい、監視しあい(パートを奪いあうのだから)手を抜けない中で切磋琢磨する。それこそがJuice=Juiceというグループの中心をささえる本質であった、と私はいま思っている。最高のライバル、かつ最高の親友。それが朋子と紗友希だった。この9年間ずっと。いや実際は二人がそんな関係になったのはここ6年くらいな気もするが、とにかく私は、音楽に対する二人の真摯な姿勢にずっと励まされてきた。

2021年1月に紗友希がいなくなったということは、私にとってJuice=Juiceの「核」が突然消失することであった。生物の世界ならば核が消滅した細胞は死ぬ。細胞質が均一になり、あっという間に溶けていく。突然おこったビックバンを私はなかなか受け入れることができなかった。


2021年3月のひなフェスでは、紗友希のパートを引き継ぐのに明らかにみな四苦八苦していた。『DOWN TOWN』の大サビで紗友希の見せ場として作られたパートを歌わざるをえなくなった朋子は「つらくてしかたない」という表情で目に涙をためていたし(音程を外さなかったのはさすが)、瑠々ちゃんはCHOICE&CHANCE最後の紗友希パートを伸ばしきることができなかった(あの声量であの音程を出してオリジナルのフェイクを入れろっていうのが無理筋なのだ)。

朋子は25歳を過ぎても残留し、Juice=Juiceの核は残った。他のメンバーもふんばって紗友希のパートを練習してきた。細胞は生き残った、それがこの卒コンでわかった。特に瑠々ちゃんが紗友希のパートを随所でこなしていて立派だった。半年で仕上げてきたんだね。あぁ、Juice=Juiceのそういうところが好き。「Juiceはこれからも続く」と感じることができる卒業コンサートだった。

佳林と紗友希と朋子がいなくなったいま、Juice=Juiceという女性アイドルユニットがいったいどんな存在であったのか、ゆっくりと考えながら私は帰路についた。新宿バルト9の11階から続く長い下り階段は、女性客のヒールがステップをたたく音であふれていた。

ここからは未来の話をしよう。

『DOWN TOWN』『プラスティック・ラブ』という新曲の流れを見るに、2021年のJuice=Juiceはシティポップ路線に舵を切るようだ。シティポップか……。うーん、事務所の偉い人の趣向があまりに強く、観客は二の次というか完全においてかれているように感じるけれど、まあいいか……。紗友希というアドリブのフェイクの女王と、朋子という唯一無二の妖艶な歌声を失ったJuice=Juiceが、従来のファンキーな大人の女性の恋愛路線を続けるのはむずかしいだろう。まだ時間がかかる。シティポップを歌うためならば、新メンバー3人の人選も納得がいく。特に江端妃咲ちゃん。初めて見た江端ちゃんは、輪郭も顔立ちも体型も手足の細さも「初代リカちゃん人形」そのものであった。今のリカちゃんではなく「初代」リカちゃんね。

初代リカちゃん

彼女のレトロでキッチュな、昭和のプラスティック人形のようなたたずまいと可愛らしさは唯一無二であり、確かに昭和シティポップおよび『プラスティック・ラブ』という楽曲という楽曲によく似合っていると思う。私にとっては新しい刺激に乏しく、あまりおもしろみがないけれど、あたたかく見守っていきたい。(2021/12/10)

※追記:

山下達郎氏が2023年7月9日にジャニー喜多川の児童性虐待問題について言及。この最後に「このような私の姿勢を忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」と発言した。なるほど、私には山下達郎氏の音楽は不要になったようだ。よって今後のJuice=Juiceでは彼の曲を歌わないでほしい。セットリストにも入れないでほしい。

山下氏のこの発言以降、私はJuice=Juiceのライブに足を運んでいない。彼の曲を聴きたくなくなってしまったからだ。わざわざ高い金を払って遠くまで足を運んで、悲しい気持ちになる必要はない。おうちで一人でJuiceの曲を聴くぶんには彼の曲を除外できるけれど、ライブではそうもいかない。流れる曲を選べない。だから私は7月9日以来、Juiceのライブに行く気力がしぼんでしまった。とても残念だ。

シティポップの世界的流行に乗りたいのならば、よその過去の有名曲にすがるのではなく、自分たちで新しい曲を作れ。私は事務所にそう言いたい。それが音楽事務所の役目ってもんでしょ、と思う。 (2023/09/13)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(前編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

1位 世界が君を必要とするときが来たんだ / オーイシマサヨシ

タカラトミーのロボットおもちゃ販促アニメ『アースグランナー』オープニング主題歌。作詞作曲はオーイシマサヨシさんです。オーイシさん、2017年の『ようこそジャパリパーク』につづいての個人的楽曲大賞となります。

1番Bメロの歌詞「痛いのは無理 めんどくさいのはイヤだ 平気なフリしてマジちびりそうさ ってちょちょっとまってよベイベー これって現実なの!?」が、個人防護具もないのに謎のウィルスにとつぜん対峙せざるをえなくなった2020年4月の自らの現状にぴったりとよりそっていたことが受賞の理由です。

ミュージック・ビデオは時折山※、じゃなかった岩舟山で撮影されております。「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」の撮影でつねづね使われている採掘場跡地です。『アースグランナー』の裏番組かつ、視聴者もおもちゃ売上も完全に食いあうライバル作品のまさに「聖地」といえる場所でそれはもう堂々と、オーイシさんがヒーローになりきっております。爆発を背に嬉々としてヒーローを演じるその姿は、たいへんほほえましいです。

※息子たちはルパパトっ子なので岩舟山のことを「時折山」と呼びます。ルパパト14話で幼稚園児たちが遠足に行こうとしていた場所であり、映画『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』で最後の決戦場所として「明朝6時 時折山 怪盗BN団」と予告状に書かれていたあの場所です。彼らにとってこの山はーー関東近郊で本物の火薬を使った爆破撮影が唯一可能なのであろうあの山はーーいつまでたっても「時折山」なのです。さまざまな東映特撮番組で岩舟山がうつるたびに、彼らは「こんな危険な場所で遠足をするあの幼稚園はおかしい」と突っ込んでいます。いまでも律儀に。

さて、アニメ『アースグランナー』の内容はおもちゃ販促番組としてよく見るもので、特記すべきことはなかった。子ども達は早々に視聴から離脱してしまった。親がついでに見ている範囲としても、特に「引っかかり」を感じなかった。

おもちゃや販売促進や視聴環境もふくめた『アースグランナー』の私の所感は、以下の4つ。

①おもちゃの変身可動、造形のかっこよさ。これは本当に素晴らしい。
②新型コロナウィルスが直撃しても延期も再放送もせず、通常放送をつづけていた点。最高の評価に値すると思う。
③AmazonPrimeですぐに全話が見られること、YouTube見逃し配信の早さ。この二つはコロナウィルス流行下において非常に、非常に強かった。2021年の今、ネット配信が存在しないコンテンツは、幼稚園or保育園から中学校の子ども達にとって「存在しない」コンテンツである。ライダーや戦隊もこの姿勢を見習ってほしい、さもなければ子ども向け東映特撮おもちゃは死んでしまうであろう。
④既存の定番玩具(この場合はトミカ)との連携。

昨今のタカラトミーの児童向け玩具の販売力の強さは、以上の4点にあると思う。

2位 手を洗おう / パウ・パトロール

2020年はさまざまな「手洗いソング」が発表された。医療従事者として本当に本当にありがたい。「日本のみんな、手を洗ってくれてありがとう!みんなのおかげで私はまだ生きてるよ!本当にありがとう!!」って心の底から叫びたい。保証も強制もないのにステイ・ホームしてくれた地域住民の皆さんに、手を洗ってくれる皆さんに、今でもマスクをしてくれる皆さん全員に、大声でお礼を言いたい。これを当たり前だと思っちゃいけない。周囲への感謝は大切。とても大切。

そして私という一個人にとって、2020年もっとも口ずさんだ歌は、カナダのアニメ『パウ・パトロール』が作った『手を洗おう』であった。実用的な意味でもっとも役にたった一曲といえる。私はいまでも毎日、この曲を歌いながら子どもたちと一緒に手を洗っている。

日本語訳MVを出したタイミングの早さ、子どもにとっての歌いやすさ、適度な曲の長さ(手洗いは約20秒間、石けんの泡を皮膚につけた状態にしたい。そしてこれはとても長い。子どもたちにとってはダイオウグソクムシが餓死しそうなほど長い)、番組の最後のおまけ映像として今でも毎週流してくれる律儀さ。すべてが私の子どもたちにぴったりだった。そしてきっと、世界中の子どもたちにもぴったりだった。

子どもに手洗いをさせる(啓蒙する、といってもいい)歌としてもっとも大切なこと。それは「子ども自身が大好きなキャラクターである」ことだ。アニメ『パウ・パトロール』は2020年もっとも我が家で再生された番組であり、園児である息子の注意をもっとも引きつけ、私が休む時間をもっとも長く作ってくれた作品であった。

話が少し変わる。

私は2020年、戦隊もライダーもあまり楽しめなかった。特にコロナ中断から再開して以降、どちらの番組にも制作者と自分のあいだで価値観や倫理観の「ずれ」を認識する場面が多くなった。登場人物に対して「ああ、私は彼らにヒーロー性を見いだすことができない」と思う場面がたくさんあった。新型感染症の大流行で世の中が変わり、私自身も変わり、作品そのものも(撮影の中断と短縮によって)ストーリー展開を大きく変えざるをえなかったのだろう。だから、それに文句を言う気はない。ただ、作品と自分とのあいだで「英雄」に対する価値観があわなくなってしまった。

そんな中で私がヒーロー性を見いだせたのは『パウ・パトロール』と『ウルトラマンZ』と『ヒーリングっとプリキュア』の終盤の展開(2020年という時代に白い衣をまとって戦う少女たちがウィルスである敵と共存する終わりはありえない、根絶しかない)、『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎、そして早朝に再放送中の『暴れん坊将軍Ⅲ』であった。

パウ・パトロールは「戦隊もの」である。子どもたち、とくに2歳から4歳くらいまでの子どもたちは「戦隊もの」という「概念」が大好きである。私も大好きである。

「戦隊もの」という「概念」とは何か。それは、
 ①わかりやすく色分けされた複数の人間が
 ②それぞれの個性を生かし、得意な分野を合わせて「協力」することによって
 ③一人では絶対に勝てなかった強い相手を倒す
という物語の構造だとねじ子は思っている。これは石ノ森先生の偉大な発明である。

①色分けのおかげで、子ども、特に幼児前期(1~3歳くらいの低年齢)でも登場人物の区別をつけることができる。変身前の私服でも、メンバーは必ず自分の色をまとう。
②個性や特技。だれか一人、自分と似た性格や特技をもっていればいい。自分がなりきることができるキャラクターが見つかる。一人遊びを卒業した2~4歳くらいの児童が最も大好きな「象徴遊び」(いわゆる「なりきり」遊び)がしやすい。親は、敵やライバルキャラを演じればよい。
そしてである。協力することの大切さ、他者への思いやりを学べる物語が展開されるのだ。これは見事としか言いようがない構造であり、ねじ子は「20世紀でもっとも偉大な発明である」とさえ思っている。

①色分け ②役割分担 ③一人では乗り越えられない課題が提示され、いったんは負けるも、複数人で協力して課題を乗り越える という、石ノ森先生が発見した「概念」が下敷きになって生まれた作品は世界中に数えきれないほどある。スーパーマンに代表される、たった一人のスーパーヒーローが天才性と努力で敵にうち勝つ成長物語とは性質がまったくちがう。

「戦隊という概念」は世界にもそのままの形で通用している。パワーレンジャーは言うにおよばず、ベイマックスもそう、セーラームーンもそう、プリキュアもそう、メンバーカラー制度をもつアイドルグループもそう。そして『パウ・パトロール』はまさに「そう」なのだ。ちなみに『パウ・パトロール』は世界中のテレビで視聴率一位を取っているし、Netflixキッズ部門の再生回数において長期間トップを独走している状態である。

私は「戦隊もの」という「概念」が好きだ。だから何年も毎週欠かさず、戦隊ものを見ているのだ。仕事をし、家事をし、食事をつくって食べ、入浴して寝るという日々の生活において絶え間なく体を動かしていると、ふと「戦隊という概念」を補充したくなる。自分でもなぜかわからないけれど、補充したくてたまらなくなるのだ。これは禁断症状、医学的には離脱症状と言っていい。『美少女仮面ポワトリン』や『ナイルなトトメス』や『有言実行三姉妹シュシュトリアン』や『来来!キョンシーズ』を幼少期にあびて育った影響なのかもしれない。

そして2020年、アニメ『パウ・パトロール』はその役割をじゅうぶんに果たしてくれた。

それぞれに得意分野があり個性的な、きっちりと色分けされた服を着る犬たち。ポリスカーに乗る、かしこい実質リーダーの警察犬チェイス(青)。消防車にのる消防犬で、ちょっとおっちょこちょいだけど勇気があり、子どもたちが感情移入しやすいマーシャル(赤)。ヘリコプターに乗り、唯一空を飛ぶことができる雌犬スカイ(桃)。パワーブルドーザー乗りで関西弁、食いしん坊のブルドッグ、ラブル(まさにキレンジャーそのもののコメディリリーフ)。清掃車に乗るアイディアマンのロッキー(緑は少し軟弱な発明家、『ゴーカイジャー』と同じ)。ホバークラフトで水面移動が可能なズーマ橙)

まさに戦隊もの、まさにゴレンジャーである。三要素すべてが完璧にブレンドされている。そして主人公は、パウ・パトロールの司令官であるしっかりものの人間の少年ケント(10歳)。視聴者である子どもが、完全に自らをアイデンティファイできる存在なのだ。

様々な場所から集められた6匹の犬がいる。人々の助けを求める声を聞いた主人公の号令とともにそくざに基地に集まる。それぞれ得意分野のアイディアや知恵を出しあい、技術を発揮する。一人ではとうてい勝てない敵やどうにもできない災害も、全員で協力すれば必ず克服できる。命を救い、トラブルを解決し、人々の安全な暮らしを守る。これぞまさに平和を守る「戦隊」である。犬だけど。

今年の戦隊からは失われていた「戦隊ものという概念」が、『パウ・パトロール』にはあった。それはもうキラキラとまぶしいほどに満ちあふれていた。さらにジャッカー電撃隊が発明した第二の「戦隊概念」である「追加戦士」も登場するんだな。雪山救助に特化した白い雌犬・エベレストだ。最高の布陣である。

しかも!(ここから大声)『パウ・パトロール』には彼らに対抗する悪の戦隊6人組が登場するんだよ!!ライバール市長(いい名前だ)直結の、色分けされた衣を着る6匹の猫。その名も「ニャン・パトロール」だ!私はこれを見た瞬間いろめきだった。「VSだ!VSじゃないか!うそだろ?VS戦隊だよ!わーいわーい!私の大好きなVSだ!」と。これはもう『パウ・パトロール』は『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』である、と言ってもいいんじゃないかな!?よくないよ!

ちなみに、パウ・パトロールの犬たちは人の言葉をしゃべる。なぜかペラペラとよくしゃべる。他の動物たちは人の言語をまったく話さない。ニャウ・パトロールの猫たちも非常によく訓練されているのだが、人の言葉を話さない。どうしてパウ・パトロールだけが人間と同じ知能を持ち、言語をつかうことができるのか?その理由は、最初から最後までまったく明かされない。作中の人間たちはどうしてそれを疑問に思わないのだろう。それも一切語られない。明らかに異常なのである。

それなのに、『パウ・パトロール』はリアリティ・ラインがしっかりしている。「なんで犬だけが人と同じアイデンティティと知能と言語をもっているの?世界観どうなってんだ?」などと疑問に思うのは野暮だ。だって大人である私も「私のところにもパウ・パトロールが助けに来てほしい!助けてパウ・パトロール!」と思ってしまうのだから。パウ・パトロールの「人助け」という正義の前に、そんなものは些細な問題なのだ。大人の視聴者にすらそう思わせるだけの力がパウ・パトロールにはある。パウッと解決。


2020年当時限定公開された映画『パウ・パトロール カーレース大作戦GO!GO!』も、奇想天外でありながらリアリティ・ラインがはっきりしていてわかりやすく、わくわくするカーチェイス・アクションの連続で、はっきりとした勧善懲悪かつ見応えのある成長物語だった。つまりは最高の脚本であった。主人公の犬の名前が「マーシャル」でありF1におけるメカニックの呼称と同じであることと、ルイス・ハミルトンそっくりのF1レーサーにもクスッときた。

2020年、キラメイジャーの録画をまったく再生しなくなってしまった次男は、一週間で5回くらいパウ・パトロールを見ている。母はさすがに1回で飽きるが、彼はお気に入りの回を複数回見る。それが子どもだ。親が子の興味をコントロールすることはできない。おそらく世界中のタブレットの中のNetflixで同じ現象が起きている。パウ・パトロールのおもちゃは今のところ店舗であまり売ってない。CMもほとんどない。コロナ不況が吹き荒れる中、母の財布は非常に助かっている。クリスマスにはDX日輪刀とスマホロトムと鬼滅のたまごっちと、いくつかの任天堂のゲームソフトがうちに届く。

3位 pray / 赤い公園

津野米咲さんの遺作。同時発売のシングル『オレンジ』をあわせて聴くと、津野さんの中に混在していたと思われる「陰と陽」の両方をかいま見ることができる。

小片リサちゃんがいなくなった10日後に、津野さんがいなくなってしまった。COVID-19流行という世界的にみても最悪だった2020年という一年間において、私が最も落ち込んだニュースは津野さんの取り返しがつかない極端な選択だった。

『pray』のMVを見ると「津野さんはこの作品を最後に旅立つことを、撮影当時から決めていたのではないだろうか」という気持ちになってしまう。実際はそうではないのだと思う。ふと、暗い森の中へ引きずり込まれてしまったのだろう。ふと通りすがった心の闇、死へのいざないに、突発的にのみこまれてしまったのだと思う。私がこれまで目にした、生命を絶つ選択をある日とつぜん取ってしまった症例の多くがそうであったように。

★★

ここからは私事である。

新型コロナウィルス感染症が流行っている。ステイホームしろ、と偉いひとたちは言う。家から出るな、他人に会うな、他人と話をするな、食事もするな、マスクを外すな、と言う。そして、ものすごくしっかりとそれを守ってくれる人達がたくさんいる。素直にありがたい、と思う。それと同時に「とてもつらいことを赤の他人に強制している」ことは、医者である私もわかっている。他人に無償で頼む範囲を、ゆうに超えていると思う。偉いひとたちの言うことを本当に律儀にぜんぶ守っていたら、ストレスが溜まりすぎて死んでしまうだろう、そんな人たちもたくさんいる。コロナウィルスを用心しすぎているゆえに鬱になってしまうほど感受性が高い人には「気にしすぎてはいけません、気晴らしを用意しましょう」「ネットやテレビは控えましょう、ニュースも感染者数も見る必要はありません」「三蜜を避けてたまには出かけましょう、その方がいいですよ」と伝えなければならない。

その一方で、「コロナは風邪だ」「コロナで死ぬのは自然淘汰だ」と公言し、あえてマスクもせず、手も洗わず、熱も測らず、大人数で会食し、大騒ぎしながら毎晩飲み歩いている人もいる。これはもう絶対に、ある一定数いる。そういう方々には、感染対策の具体的方法をゆっくりと時間をかけて説明しつづけ、そのうちの一つだけでも実行してもらう必要がある。

これは二元論ではない。感染対策の「お願い」を内面化しすぎて「守りすぎてしまう人」と「完全に意にかいさない、またはかえって反発する人」。どちらもある一定数の人間がおちいる状態であり、両方への対策が同時に必要になる。どちらかだけ、になってはだめだ。二元論に走ってはいけない。絶対にいけない。前者で暴走すると鬱になり(飲食・芸能に従事する人たちがたくさん旅立ってしまったし、医療従事者のメンタルもちぢに乱れている)、後者が暴走すると感染拡大に歯止めがきかなくなる。どちらも地獄へと続く道であり、患者さんは崖へ向かってがむしゃらに突進する馬車のようになってしまう。

「人によって対策やアドバイスを変える」これは臨床医療において普通に行われていることだ。それなのに、これをメディアや電波やインターネット回線に乗せて「一般論」として語ろうとすると、とたんにむずかしい。どちらの立場に立ってアドバイスをしても、逆の立場の人からの異論や反論が瞬時にあふれ出てくるのだ。SNSというメディア上においてその勢いは猛烈なものとなり、一気にあふれて一個人に押しよせる。それは津波である。私ならばとても立ってはいられない。結果、うかつなことも言えず黙りこみ、ふさぎこんでしまう人がさらに増える。

そういう意味では、尾見先生も忽那先生も西浦先生も、もちろん岩田先生も、彼らの発言はいつもそれぞれに「医学的に正しかった」と私は思っているし、彼らの立場において最大限言えることを精一杯伝えようとしてくれていた。それはかけがえのない大仕事であり、私の精神の安寧は彼らによって支えられていたんだな、と今でも思っている。

4位 だいスキRAP / みんなのリズム天国

2011年発売のゲーム『みんなのリズム天国』の中の一曲。

2020年4月、世界中の人々が一斉に軟禁された。何も悪いことなどしていないのにとつぜん受刑者になったようなものである。外に出られない。運動もできない。買い物も行きにくい。近所の公園に行くことすらもはばかられる。旅行も行けない。コンサートも演劇も開催されない。こんな状況では、もうゲームをするしかないじゃないか。多くの趣味を絶たれた2020年の私は、任天堂のおたくになるしか道がなかった。

思い返せば私は、ファミコンを買ってもらった小学生の頃から極めて浅い任天堂ライトユーザーであり、極めて浅いマリオのおたくであった。いや、おたくですらないな。ほどほどに楽しんでほどほどに時間を費やし、できるならばクリアまでやるけれど、クリアできなかったら自然にプレイ時間が減ってしまうような、こだわりや執着の少ないゲームユーザーだ。いわゆる「エンジョイ勢」である。SNSのプロフに書くなら「ポケモン図鑑コンプ勢/あつ森マイペース時間操作なし/リズム天国switch正座待期/推しは桜井政博」といったところか。実際の私はろくにSNSをやってないのだが。

私はステイホーム中にストレスなく子どもと一緒にやれるゲームとして押し入れからwiiUを引っぱり出し、『みんなのリズム天国』を始めた。すごくよかった。『リズム天国』シリーズは「ゴールド」が最高傑作だと思っていたが、「みんな」もすごくいいな。つんくさん天才だわ!

最新作「ザ・ベスト」ももちろん大好きなのだけれど、ストーリーがどうしても悲しくて、つらくなってしまう。ゲームの中で天国に行くことを求め、それが叶えられそうになった直後にまた俗世に落っこちてしまうチビリくんがつんく♂さんに見えてしまう。そして、本当にそのまま天国に行ってしまった任天堂の岩田聡社長のことを思わないではいられない。※考えてはいけないと思うのに、考えてしまう。リズムゲームに集中できない。あとハロメン(ナイスガールプロジェクトもハロメンとしてカウントしています)や未成年少女の曲が少ないのが悲しい。

※『リズム天国 ザ・ベスト』が発売されたとき、リズム天国の企画者であるつんくさんと、それを支えていた任天堂の岩田社長は、どちらもガンの闘病中であった。2人の対談も残っている。
社長が書面で訊く『リズム天国 ザ・ベスト+』

その後、岩田さんは胆管腫瘍で55歳の若さで逝去。つんくさんは声帯切除の手術後も制作をつづけ、リズム天国続編の意見収集をTwitter上でおこなっている。

というわけで、2020年ねじ子が最も多く聴いたハロプロの曲は『僕らの世代!/ナイスガールトレイニー』である。スタッフクレジットもリズムゲームになっているのは『リズム天国』シリーズの恒例サービス。

しかもゲームクリア後のゲームセレクト画面のBGMがずーっと『僕らの世代!(Instrumental)』なのである。パーフェクトを目指して頑張っていると数百回は聴くことになるのである。いやぁ、2020年は小片リサさんの年でしたね!他のハロヲタのみなさんも、きっとそうだったでしょう!

5位 アーバンけけ / とたけけ(あつまれどうぶつの森)

音源バージョン↓

ライブバージョン↓

ゲーム『あつまれどうぶつの森』には、すべての欲望を満たしてもらった。ステイホームの時期とゲームの発売日がぴったりと合ったことによる奇跡である。

旅行をしたい欲、海で泳ぎたい欲、南の島でのんびりしたい欲、釣りがしたい欲。天気のいい屋外で走り回って自然を感じたい欲望、ひなたぼっこしたい欲望、とつぜん降りだした雨にぬれたい欲望。友人が住む知らない土地を訪れてみたい、友人の家に集まって食事をしたい、誕生日を祝いたい、みんなでBBQがしたい。ウィンドーショッピングしたい、いろんな服を着てお出かけしたい、色ちがいのたくさんの家具を並べて吟味したい、つまりあらゆる物欲。そして、音楽ライブに行きたいという衝動。

2020年2月まで当たり前にあって、今では失われてしまった喜びを『あつ森』はすべて満たしてくれた。『あつ森』をプレイすると、あのときの閉塞した空気とガラガラの通勤電車、部屋にみちる次亜塩素酸のにおい(アルコールが手に入らなかったため、我が家ではドアノブとフェイスシールドを次亜塩素酸で消毒していました)を思い出す。それほどに『あつ森』というゲームは私のステイホーム生活を支えてくれた。

『あつ森』は動作中のサウンド・エフェクトもよかった。レンガの道をヒールで踏みしめる音、新雪をつぶす音、砂浜を踏みしめて足の指の間から砂がもれる音、芝生を駆けるスニーカーの音。そのすべてが、ステイホームでは決してえることのできない体感であった。これら「自然の与えてくれる五感」は、人が生きていくために必要な刺激であった。人が健全に生きていくために、周囲の環境からえられる五感は不可欠であると私は思い知った。拘禁状態ともいえるステイホームの状況下、『あつ森』というゲームの中で私はその音を何度も聴き、体にしみこませた。それらは私の脳を活性化させた。

というわけで私が今年最も愛聴したミュージシャンは「とたけけ」なのである。土曜の夜にアコースティック・ギターをもって私の島にふいと現れる、白いはだかの犬だ。彼はどんなジャンルの歌も歌う。アレンジの幅も広い。どんな悪天候の中でも屋外でライブしつづける心意気もいい。ライブとCDで音源がまったくちがうのもいい。ライブのときだけ「アオーン」っていうフェイクが入るのも最高だ。犬の遠吠え、とか言ってはいけない。あれはフェイクだ。そうだよ、こういうアドリブやフェイクや合いの手を聴くために、私はハロプロのライブに行っていたんだよ!COVID-19がはやる前は!

今の私にはもう本物のアイドルのライブに行くことができない。だから、右手に黄色く光る棒をもって友人の島に行き、アバターの仲間たちとバーチャルなライブを楽しむことができる、それだけでも嬉しかった。

アイドル好きとして『けけアイドル』は外せない。ウーハーの効いた値段の高いコンポを(ゲーム内で)買って、(ゲーム内の)自室のBGMとして『アーバンけけ』を流しながら(ゲーム内のアバターが)眠るのもたまらない。

後編に続く。(2021/11/30)

2019年 楽曲ランキング(後編)

(前編はこちら

※この文章はCOVID-19流行前の2020年2月末までにほぼ9割を書いています。文章がまとっている時代の空気が明らかに現在と違いますが、2019年のランキングなので、あえてそのままにしています。

6位 お願いマッスル / 紗倉ひびき(ファイルーズあい) & 街雄鳴造(石川界人)

渋谷のまんだらけでルパンレンジャーVSパトレンジャーの中古玩具を探しながら店内BGMとして耳にし、一気にひき込まれた曲。古典的かつ普遍的な音楽との出会いである。その場で歌詞を検索し、『ダンベル何キロ持てる?』アニメ主題歌であることを知った。なんといっても主役二人の声優さんの掛け合いが素晴らしい。石川界人さんすごい。

三島由紀夫は小説の中で自らが感情移入する右翼軍人の主人公に「どんな時代になろうと、権力のもっとも深い実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。」と言わせていた。当時の私にはその意味がさっぱりわからなかった。でも今ならわかる。若者の衝動をもって筋肉――つまり接近戦で行われる一対一の突発的で避けきれない暴力――を使うことは、確かに人を畏怖させ、周囲の人間を萎縮させ、結果的に集団を動かしてしまう「力」になる。つまり権力になる。

一部の富裕層が若者や女性や貧困者の身分を下位で固定し、古くは小作人/現在日本ならば派遣社員や低賃金労働者として搾取し、その差を決して埋めず、格差をますます拡大・固定化しようとする時代において、肉体至上主義が台頭してくるのは必然である。つまり若い部下が尊厳を破壊された瞬間に、かっとなって暴力を使い、ひょろひょろでしょぼしょぼな老人の上司相手の肉体を一瞬で破壊したくなる衝動だ。映画『Mr.インクレディブル』冒頭のあれ。米国のマッチョイズムにもきっと似たような根幹があるのだろう。

自分よりも弱い相手だけ攻撃する(強い相手とは戦わない)人間はたくさんいる。「反撃の可能性がない」と判断した相手に対して、どんな失礼なことも平気で行う人間はいる。本当にたくさんいる。そういう奴らに舐められないために必要なのが「わかりやすい見た目の強さ」、つまり筋肉だ。というわけで筋肉至上主義が台頭してくるのは歴史の必然。「私も体を鍛えよう!」そう思った私は、自宅でNintendo Switch リングフィットトレーニングを始めた。ジムへ通う社交性は、ない。どこまでもインドア。

7位 やる気のない愛をThank you! / 吉本坂46

先ほど「メジャーボーイ」を知った同じスレッドの中で、「吉本坂2ndシングルのチームREDみたいなのをモー娘。がやって欲しかったよね」というコメントとともに紹介されていたゆえに聴いた曲。

中の人は全員吉本所属であり、他に本業がある。グループ名に数字と「坂」が付いている。作詞は秋元康である。もう清々しいほどに「企画もの」である。企画以外の何ものでもない。おそらく広告代理店主導。どの程度の期間やるのか、どの程度の手間と予算を割くつもりなのか、どの程度新しいアイディアを盛り込むか、そのすべてが「企画」で決まり「企画」で始まり「企画」で終わることは、火を見るより明らかである。はっきり言うと萎える。そこに芸術家のほとばしる衝動が発露することも、魂がこもることも期待しにくい。それでも、この曲はいい。このMVが好きだ。歌詞は薄目で見ないようにしている。カジキイエロー↑↑ことスパーダこと新撰組リアンこと榊原徹士くんがいることに、4周目の再生で気が付いた。

8位 朝日のように輝きたい / 眉村ちあき

眉村ちあきちゃんの即興曲の質の高さ、ライブにおける歌唱力、どう見ても孤高のシンガーソングライターであるのにも関わらずなぜか「女性アイドル」を自称してのびのびと活動する姿、全てが最高。いまさら私のような部外者が語るまでもないほど良い。新しいアルバムだって素晴らしかった。それでも、私が一番感情を揺さぶられたのは『朝日のように輝きたい』。深夜バラエティ番組『ゴッドタン』2019年9月21日の放送にて朝日奈央ちゃんのために作られた即興曲である。「何かやれ、何かやれ」というサビの歌詞が心に響く。

「具体的に」やるべき行動を提示することができる人って、実はそんなに多くない。具体的に「〇〇をやれ」って言えないんだよ。だってそう言っちゃったら、その結果の責任を自分が取らなくちゃいけないから。責任を取る勇気や決断力がある上司は実は非常に希有である。

何が受けて何が売れるかなんて、本当は誰にもわからない。そこで勝負できる独自のアイディアや自信のある人は少ない。そもそもそんなアイディアがあったら組織に所属せず独立してやる方が、今の日本ではてっとり早かったりする。

だから自分よりも若い人、自分よりも社会的地位が低い人に「何かやれ」と言う。何「を」やれ、とは言わない。丸投げである。組織の責任者であるにも関わらず「具体的に」何をやるか指示をしないのだ。そういう管理職は以前よりも増えているように私は感じている。

丸投げされた若者は窮地に陥り、とりあえず「何か」をやる。偉い人たちはただそれを「評価」する。「面白い」「使える」「使えない」「だめだこりゃ」などの評価。何も作り出さず、出来上がった作品をただ評価する。これは非常にたやすい。優越感さえ感じるだろう。その「何か」行われた事象について、責任を取る必要もない。だって具体的な指示をしていないのだから。「あいつが勝手にやった」と言える。責任を取らされるのは、その「何か」をすることに決めた若者である。偉い人はその「何か」を具体的にやれと指示したわけではないのだから、売れなくても面白くなくても炎上しても責任を逃れる(または逃れようとする)。「何か」をやらされた若者たちは、パニックになったり、炎上して社会的に抹殺されたり、トカゲの尻尾のように切られたり、何もできなかった自分に凹んだり、自分に才能がないと落ち込んでしまったりする。そんなことないのに。(ちなみに、それが奇跡的に当たった場合は「俺が育てた」と言い始めたり、自分の手柄にしたりする。)

会議において偉い人たちがただ「何かやれ」と言ってきたとき、それは「自分には今とくに新しいアイディアがない」と白状しているも同然の状態なのである。今ならわかる、私も歳をとったから。「具体的なアイディアが今のこの人には浮かんでいないのかもな」と思う。でも、世に出たばかりの若い頃はそうは思えなかった。ただ自らを責めるだろう。そうやって潰され、自信を失い、表舞台を去っていく作家志望の若者たちやハロプロの女の子たちを私はたくさん見てきた。彼女らのことを思い出し、私はテレビを見ながら泣いていた。朝日奈央ちゃんも泣いていたし、松丸アナも泣いていた。

若者たちはそうやって心を折られ、去っていく。創作の現場には(創作の現場であるにも関わらず)何も生み出せずアイディアのない年老いた権力者だけが残り、新商品を生み出せず、保守的な再生産品ばかりになって組織は立ち枯れていく。日本のいろんな社会に見られる縮図だと思う。

9位 Over “Quartzer” / Shuta Sueyoshi feat. ISSA

『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズOP主題歌。AAAの末吉秀太さんとDA PUMPのISSAさんのコラボ。

『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズは結局、文脈がよくわからないまま終わってしまった。シリーズ脚本の下山さんにとって2019年は大変な年であったと思う。「東映特撮の最大のライバルに成長したシンカリオンを意識しまくった結果、シンカリオンのシリーズ脚本の下山さんを連れてきたのかな?」といううがった見方をしてしまったほどである。私は意地が悪いな。下山さん、昨年は大変でしたね。シンカリオンの映画、サービス満点で最高によかったですよ。映画興行成績が思ったより振るわなかったとしても、それはあなたのせいではありません。だってシンカリオンの映画は見たいものが全部入ったサービス満点な最高の脚本だったから。TVシリーズが突然終わってしまったこと(そして需要がどこにも見当たらないオリンピックの特番が始まったこと)と、映画まで期間が半年あいたことが、視聴者の子供が離れた最大の要因だと私は思っています。

さて2019年8月、私は貴重な夏休みを一日潰してひとりでジオウの夏映画を見に行った。誰も私に付き合ってくれなかった。子どもも夫もすでに『ジオウ』という作品の物語に何かを期待していなかった。

結論として、この映画にはきちんとした物語があり「脈絡」があった。『ジオウ』でスタッフが本当にやりたかったのは、もしかしたら「これ」だったのかもしれない。TVの『仮面ライダージオウ』という物語には、結局のところ脈絡はなかった。私はなかったと思うし、あったと思う方はその筋を私に教えてほしい。『ジオウ』の結末を映画のようにしたかったのに、いろんな理由でそれができなかったのだとしたら(例:ウォズを悪役ライダーにできなかった)私は制作陣に同情する。映画の物語をTV本編でやらせてあげたかった。横やりがあったのかもしれないし、予算やスケジュールの都合もあったのかもしれない。わからない。わからないけれど、『ジオウ』の脚本をなんとか一年間成し遂げた下山さんと毛利さんには、あたたかいお風呂に入っておいしいごはんを食べてほしい。

ジオウの夏映画は私の大好きな「やけくその祭り」要素が満載で、とてもよかった。DA PUMPもよかった。一茶さん最高。メタフィクションも盛りだくさんで、あまりのテンションの高さと不条理さをゲラゲラ笑って楽しんだ。

特に秀逸だったのは長篠の戦いである。馬が一頭もいない。かわりに3人の人間による「運動会の騎馬」がいる。てっぺんに乗っている騎手は仮面ライダーである。「いけー!」と言いながら突き進んでいるのだ、「運動会の騎馬戦の騎馬」が。確かに騎馬ではある、騎馬ではあるが、まさかこれがあの有名な武田の騎馬隊なのだろうか。

織田軍の鉄砲隊も、もちろん存在しない。それどころか火縄銃は一丁も画面に写ってない。織田軍所属の仮面ライダーと、武田軍所属の仮面ライダーがそれぞれ巨大ロボを召喚し、乗り込み、小さい小川の狭い河原で戦っている。なんだこれ。こんな長篠の戦いを私は見たことがない。「ずば抜けた描写である」と言わざるをえない。

しかもその後のシリアスなシーンで主人公が「僕たちの知っている歴史って、後世の俺たちが勝手にイメージした話に過ぎないんじゃない?」という識者っぽい台詞を挟み込むのである。確かにそうだ。近年の研究では、三段構えの鉄砲隊は江戸時代の創作であり、実際は存在していなかったと言われている。武田の騎馬隊もそこまで多くなかったと言われているそうだ。本当の歴史では、武田騎馬隊に馬なんか一頭もいなかったのかもしれないし、銃だって一丁もなかったのかもしれないし、仮面ライダーが戦って勝敗を決めていたのかもしれない。現代の人間がそれを否定することは、決してできない。誰にもできない!「低予算で馬が用意できなかったんでしょ?」とか言ってはいけない。

「平成」生まれだけを吸い込むブラックホールといい、仮面ノリダーといい、平成額縁ライダーキック(そうとしか言いようがない)といい、どれもこれも2時間の映像をもたせるネタとして最高だった。でも、2時間「しか」もたないようにも思う。これをTVで1年間続けていたらどうなっていたんだろう?それはそれでキツいのかな?

10位 Keepin’ Faith /パトレン1号/朝加圭一郎(結木滉星)

さてここからはいきなり時間が戻り、2020年8月パンデミック後の世界線でこの文章を書いている。

2018年に発表の特撮番組のキャラクター・ソング。当時、私はこの曲にそこまでの思い入れはなかった。武道館の超英雄祭のトップバッターで初披露されたときも、「難しい曲だな!武道館公演の一番手でこんなに難易度が高い曲を歌うなんて結木くんは大変だ!」という感想しか持っていなかった。

当時の超英雄祭の映像。これを見ても分かるように、初披露においてはサビのオイ!くらいしか観客のコールは入っていない。

特撮ものの番組は、TV本編終了後に「ファイナルライブツアー」という名の全国をまわる興行ツアーをする。前半はヒーローショー、後半は番組主題歌やキャラクター・ソングの披露の合間にキャストのトークが入る二部構成だ。全国の劇場を回って、地方の子ども達に夢を届ける。キャストは子ども達から生の声援をもらう。この公演をもって役者たちは一年間続いたヒーローという役職から「卒業」する。ハロプロでいうところの「モーニング娘。コンサートツアー 2019春 ~○○○○卒業スペシャル~」と同じ構造だ。

https://natalie.mu/eiga/news/319317

キャラクター・ソングの披露は場所ごとに2~3人ずつ行われる。『Keepin’Faith』は浜松・福岡・大阪で合計7回披露された。その課程の中で「Keepin’ Faithのコールがすごいことになっている」という観客レポートを私はよく目にしていた。「圭ちゃんコールがだんだん増えている」と。私はそれを生で見ることは叶わなかったので(チケットは争奪戦であった)映像を楽しみにしていた。

(映像を見たい方はこのDVDを購入して下さい)

2019年ファイナルライブツアーラスト公演のDVDに入っているこの曲を聴いて、私は腹を抱えて笑った。コールが進化してる!!!!しかもこれはハロヲタが入れたコールだ!私にはわかる!これ、ハロヲタのコールじゃねーか!ハロプロの文脈ですくすくと成長したコールだよ!
しかも、「ハロヲタのしわざだ」って絶対にばれないように、各会場に少しずつ紛れ混んでいただろう工藤のおたくたちが少しずつ丁寧に育てたコールだ。私にはわかる。

どこらへんをもってして「ハロプロのコールっぽい」と思うのか?詳細はめちゃくちゃ長くなるが、これから意を決して書く。「くだらねぇ」と思う方は読み飛ばしてくれて構わない。本当にくだらないので。

★★★★ここの部分執筆作業中(書けたらリンク貼ります)★★★★

このライブ映像を持って『Keepin’ Faith』は私の中で「最も魅力的なキャラクター・ソング」に一気に躍り出た。現場で育ったコール&レスポンスの持つ力である。この曲の作詞家であるSoflan Daichiさんがつばきファクトリーの新曲の歌詞を書く、と聞いて私は一人で納得の微笑みを浮かべている。さすがアップフロント!いいところに目を付ける!ハロヲタに受ける曲を作れる作詞家だって、一曲で見抜いたんでしょ?だから声をかけたんでしょ?さすがである。

ここからは余談だが(ずっと余談では?)私は「全然ハロプロじゃない人達の歌にたまたま居合わせたハロヲタが即興で入れるコール」が大好物なのだ。

※参照例

久住小春ちゃんが主演していた女児向けアニメ「きらりんレボリューション」のイベントに突如出てきた男子二人組・SHIPSに、初見にもかかわらず全力でコールを入れる皆さん。男子二人の名前の区別がいまいち付いていない状態でもメンバーコールを入れるおたくの皆さんが愛おしい。間違った名前をコールしている人もいる、推しジャンしてる人もいる、間奏のMIXが不発に終わっている(当時のハロプロではMIXが残存していたこともわかる)。

悲しいけれど、このような文化・このような現象が起こることはきっともうないだろう、という確信めいた予感が私の中にはある。

2020年8月現在、ハロヲタがコールできる現場は完全に失われてしまった。ヒーローショーで子供たちが声を出してヒーローを応援できる環境も、半永久的に奪われている。この2つがたまたま出会い、日本全国を回りながらゆっくりと時間をかけて成熟し、男性ヒーローのキャラクターソングに女性アイドルの客が集まり、アイドル文脈の応援コールがのってコール・アンド・レスポンスが育っていくという奇特な現象が起こることは、おそらくもう二度とない。それを語れる機会も、今しかない。それを語る人間も、きっと私しかいない。だから、いま書いた。ここまでお付き合いいただいた皆さま、どうもありがとうございました。

★★★★★★★★

以上です。即売会もできず楽曲のリリースがままならぬ中、2020年楽曲大賞選びはどれも困難を極めると思います。今のところ、私の中ではアニメ「アースグランナー」主題歌である『世界が君を必要とする時が来たんだ』がぶっちぎりの一位となる予定です。「痛いのは無理 めんどくさいのは嫌だ 平気な振りしてマジちびりそうさ てちょちょっとまってよベイビー これって現実なの!?」という歌詞が、個人防護具もないのに謎のウィルスに突然対峙せざるをえなくなった自らの現状にぴったりと寄り添いまくっていて、本当に困っています。私は世界を救うヒーローなんかになるのはまっぴらごめんです。自分と家族と周囲の知人と、自分の患者さんたちだけで手一杯ですから。(2020.9.30)