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2023年 ねじ子のハロプロ楽曲ランキング

ねじ子の俺コンランキング2023ハロプロ版です。
2年遅れですが書きます。

1位 なんざんしょ そうざんしょ / モーニング娘。’23

つんく♂さん作詞作曲の恋する女の子の曲。久しぶりで嬉しい。女子目線で語られる不思議なデートが始まる。

主人公はどうやら、家まで彼を迎えに行っている。彼は準備が遅くだらだらしており、それを見た彼のお母さんは恐縮している。デート内容は「でっかいパフェ」を食べに行くことに決まっている。しかもそれは彼の希望らしい。それなのにやたらもたもたしている彼。結局行かない可能性すら示唆されている。なんだそれ。「私が居なきゃ終わってる」し「将来が思いやられる」し「後悔の念に駆られる」けれど、「甘える技は天才的な人」なのである。

なんだそれ。いや、こんな人とは別れろ。そもそも、なぜすでに将来が決まっているの?なぜ家まで上がりこんでいて、彼の母親がこっちの味方状態なの?自由な出会いと恋愛の末に成立したカップルと思いにくい。「母性の域を超えている」大きな愛で「こうなりゃとことん教育するしかない」とまで考えてる。いやそこまでする?

どうやら、彼はいいところのお金持ちのボンボンである。おそらく少しポンコツであり、時間を守れず、浮世離れしている。それでも教育するだけの見返りがあると主人公は踏んでいる。そうじゃなきゃここまでやらない。というわけで、これは「いいところの子」との「親公認」で「世間公認」のお付き合いなのではないだろうか。上級階級の男子に、結婚前提の交際を目的として紹介された女子の曲。そう考えれば辻褄が合う。「お見合い」したあとのデート曲だ。

こんな状況は普通の庶民の男女には存在しにくい。誰を想定してるんだろう?あ、そうか飯窪さんか。飯窪さんの曲なのか。私は勝手にそう結論づけた。明石家さんまさんの息子さんと「結婚前提」の「交際前提」の飲み会をセッティングされ、それをラジオでネタにされまくっていた飯窪さんの状況として考えると、しっくりくる歌詞なのだ。

私の周囲の世界ではこのようなシチュエーションをあまり見かけない。「こんな男とは別れた方がいいのでは?教育するメリットある?そもそもすでに成長した大の男を『教育』しなおすって無理では?」と思ってしまう。でも資産家に嫁ぐことが前提であれば、そのくらい目を潰れるのかもしれない。

モーニング娘。の女子は上流階級の「お嫁さん候補」としてうってつけなのだと思う。関西における宝塚卒業生みたいなものだ。すれてないし、いろいろな意味で比較的安全に囲われているし、努力家であることはお墨付きだし、もちろん可愛らしく、知名度もありすぎずなさすぎずちょうどいい。トロフィー・ワイフが欲しい貪欲な人にもいい。卒業後に、この歌詞のような状況になるハロメンって実は結構多いのかもしれない。私には縁遠くても、ハロメンにとってはありふれた話なのかも。

新しく加入した井上はるさんと弓桁あここんが1番・2番の最初にソロパートを歌っているのもいいですね。明るくて夢がある。

2位 OCHA NORMA /シェケナーレ

発表時はこの曲にあまりピンときていなかった自分を殴りたい。私がこの曲を初めていいな!と思ったのは、つばきファクトリーの武道館コンサート「2023秋 可惜夜~山岸理子・岸本ゆめの 卒業スッぺシャル~暁」のオープニングアクトを見たときであった。遅い。

アニソン界隈ではTVアニメ「シャドウバースF」セブンシャドウズ編EDとしてとっくに注目されており、雑誌Newtypeの「アニソンを聴きまくってるDJたちが選ぶ2023年ベストアニソントップ20!」で『シェケナーレ』は1位に輝いている。

たしかにこのED映像のダンスには『らき☆すた』や『ハルヒ』によく似た多幸感がある。アニメEDのシェケ!シェケ!の手をふる振り付けはOCHA NORMA本家と同じ。

つばきファクトリーのオープニングアクトとして武道館で聴いたこの曲を、数年後に開催されるOCHA NORMA単独武道館公演の最後に聴くことができたなら。私は泣いてしまうかもしれない。あぁ、落ちサビで銀テープが宙に舞っているのが見える。

3位 プライド・ブライト / Juice=Juice

山崎あおいさんの魅力大爆発の一曲。かなともとまなかんが抜け、石山咲良ちゃんと遠藤彩加里ちゃんが入り、なかなか安定しなかったJuice=Juiceの今後の方向性がぴたりと定まった一曲だと思う。これだよ、これ。るるちゃんとれいれいががっつりと音程を支え、ゆめりあいが1番のAメロBメロを作り、サンフラワーが飛び道具としてキリングパートを決める。いいね。

どうしてJuice=Juiceに入った子はみんな歌がうまくなっていくんだろう。不思議だ。そのノウハウを共有してほしいよ。

4位 つばきファクトリー / でも…いいよ

メンバーのアップと森の自然がとても美しいMV。森の映像の質感がとてもいい。これからもこのクオリティを常にキープしてMV撮影よろしくお願いします!ハロプロ様!

彼女たちの表情はあどけなく、清廉で純粋だ。でもよく聴くと歌詞はどろどろ。どろっどろのどろ。

「ほんのちょっと遅かった出会い」「週末も会いたいよなんて二度と言わないよ」という歌詞から、主人公はどう考えても不倫中である。しかも「二番目の女でいい」という弱気な姿勢が終始一貫している状態だ。よくない、これはよくないよー。既婚者は時間の無駄ですよー。やめときなさーい。あなたの若く美しく何でもできる時間を無駄に使っちゃだめですよー。

それはさておき、映像の美しさと歌詞の泥沼感の対比はとてもいい感じ。この切なさと儚さと上品さを出せるのはハロプロにおいてつばきしかいない。まじでつばき。ザ・つばき。最高。

作詞は西野蒟蒻さん、作曲と編曲はスウェーデンのエリック・リボム(Erik Lidbom)さんです。Erik Lidbomさんは私の中でかなりのヒットメーカーです。メロディがいつも美しい。

5位 求めよ…運命の旅人算 / BEYOOOOONDS

ハロプロがときどき出す「お勉強ソング」である。『ロックンロール県庁所在地』が有名ですね。どうやらこの曲は「普通じゃないテーマを」「小学生や親御さんにも届くように」というコンセプトが先に決まり、そこから旅人算の歌詞ができていったという。ニシのホイッスルボイスも最高。よい曲である。よい曲なんだが、なんだが、……旅人算って、あんまり使わないのよ。わざわざ公式として覚えない。算数が得意な子どもなら特にそう。「考えればわかること」なのだ。

ハロプロお勉強ソングの先駆け『ロックンロール県庁所在地』には需要があった。なぜなら、県庁所在地は非常に覚えにくいから。そのくせ小学四年生で無理矢理にでも暗記しなければいけないから。だから小学生向け勉強ソングとして一定の需要があったのだ。でも旅人算はそうじゃない。旅人算は暗記ではなく「考え方」なのである。なぜ歌にするのか、その目的がよくわからない。そうすると「大人が子ども向けを狙っている」意図だけが浮き上がって見えてしまう。うーん、小学校算数の特殊算から選ぶなら鶴亀算の方がよかったな……。そっちは中学受験でもよく使うから……。

6位 OCHA NORMA / オチャノマ マホロバ イコイノバ ~昭和も令和もワッチャワチャ~

これもいい曲である。いい曲なんだが、歌詞がつらい。作詞家がものすごく苦労して捏ね繰り回したことが伝わってくる。苦労がうかがえる。そう思いながら星部さんのプレゼン動画も見た。↓

歌詞を6回書き直しさせられた苦労が語られている。

私が一番がっかりしたのは、OCHA NORMAの「お茶の間」というグループ・コンセプトが、ここに至るまではっきりと固まっていなかったことである。

今の日本に「お茶の間」はない。テレビがないご家庭も多く、「みんなでテレビを見ながら食事をとる部屋」という意味の「お茶の間」はもう絶滅危惧種である。誰の家にも「お茶の間」が存在したのは、昭和から平成前半までだ。歌詞の中でもそう言ってる。ではなぜ令和のいま10代女子を集めて「お茶の間」なのか。

ちなみにねじ子が「お茶の間」と言われて真っ先に思いつくのはオタク用語の「茶の間」である。「テレビの前で消費しているだけの現場に来ないファン」のことであり、もともとはジャニーズファン界隈の言葉だと聞く。

実は私は、オタク用語の「茶の間」はコロナ禍でデビューしたOCHA NORMAにぴったりだと思っていた。「NORMA」は時勢的に、コロナ禍の暮らしぶりである「NEW NORMAL」から来ているのだろう。SNSやYoutubeコンテンツやTiktokを駆使し、リアルでは会えなくても画面を通してたくさんの情報を提供・共有できる存在を目指すのだと私は勝手に思っていた。スマホの画面を通してリアルタイムにつながるアイドル。それができたら、確かにハロプロのアイドルとして新しい風が吹く。いいね、新しい。

でも、特にそうはならなかった。ハロプロは相変わらずサブスクもTiktok音源も公開しておらず、Youtubeコンテンツにも特に変化がない。じゃあ「お茶の間」というグループ名でいったい何を目指しているんだろう?お茶の間の存在を知らない10代女子を集めて「お茶の間」を名乗らせる意味はなに?もう一度言うと、私が一番がっかりしたのはOCHA NORMAの「お茶の間」というコンセプトがセカンドシングルに至るまではっきり決まっていないと、この曲で感じてしまったことだった。なんでやねん。6回駄目出ししてる場合じゃないでしょ。ユニット名を決めた人間がコンセプトまで固めておいてよ。頼むよ。いきなり星部さんに投げられたって、星部さんも困っちゃうよ。船頭は誰なの?OCHA NORMAという船の船頭は誰?星部さんじゃないことと、メンバーじゃないことだけはわかる。まさか誰もいないわけじゃないよね……?

楽曲に戻ろう。Earth, Wind & Fire の『Boogie Wonderland』 がオマージュされたイントロが最高。赤羽橋ファンクなアレンジも素晴らしい。田代すみれちゃんの気の抜けた「ないはずじゃーん」から突然明るく転調するサビも好き。北原ももちゃんの落ちサビ「きっと生まれません What’s your お茶の間」の表情も最高。

以上です。2024年はリリースが増えることを願っています。

2023年 ねじ子の楽曲ランキング(前編)

ねじ子の俺コンランキング2023です。
2年遅れですが書きます。

1位 想像以上 / PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS

2023年秋、ハロヲタに激震が走った。元アンジュルムのかっさーことももにゃこと笠原桃奈ちゃんが視聴者参加型オーディション番組に参戦したのだ。卒業時の宣言通り、K-POP系列のオーディションであった。

本当のことを言うと、当時私は番組を見ていなかった。なぜか。それは簡単である。視聴方法がわからなかった。Leminoってなに?当然のように投票方法もわからなかった。dアカウントを持ってない、いや、自分がdアカウントを持っているのかどうかすらわからなかったのだ。

多くのハロヲタのレベルって実はこんなもんである。我々の腰の重さを舐めないで欲しい。調べる、インストールする、その面倒くささを乗り越えるだけのモチベーションが沸かなかったのだ。

さらにもう一つ、ハロヲタらしい理由がある。「かっさーが帰ってきた!」とハロヲタが大騒ぎしているなか見たシグナルソング『LEAP HIGH!~明日へ、めいいっぱい~』のMVが、ユニゾンの口パク映像であった。これは萎えた。ハンドマイクを持っていない。口とマイクの距離を一定にするそぶりもない。誰が欠けても問題がなく、誰がどの声なのかを考える必要もない。秋元グループを思わせる架空の制服衣装を身にまとっていることも、多人数で群舞しつつステージの段差によって序列が明白なのであろう演出も、まったく好きになれなかった。エンタメとしての面白さを感じることができなかったのだ。私個人で言えば「どうせかっさーは実力で受かる。かっさーが落ちるはずがない。あやちょとハロプロが育てた自慢の娘だからな!」と、たかをくくっていた面もある。

放送中に「ハロヲタの組織票が多すぎて迷惑だ!」という声がSNSで流れているのをよく目にした。それは完全に的外れであることを私は知っていた。だってハロヲタって少ないから。そんな人数いないことは長年身にしみてわかってるから。しかも、自分の周囲のハロヲタは番組を見てさえいなかった。いやあ、年老いると新しい文化の扉を開くのがおっくうになっるのよ。我々の年寄りぶりを舐めないでほしい(2回目)。私の体感では、番組を見ていたのは全ハロヲタのうち約半分。残りの半分は口パクのステージにまったく価値を感じない人種で、K-POP全般を(おそらく今のME:Iも)うっすら苦手で避けてるタイプ。そして番組を見ていた半分のハロヲタのうち、かっさーに投票し続けたのはおそらく半分くらい。つまり桃奈に熱心に投票していたハロヲタは全体の4分の1程度だと推測する。

そもそも「モーニング娘。」の「現役」メンバーにしか興味がないハロヲタは多い。想像以上に多い。ハロヲタの中で一番多い派閥だと思う。アンジュルムに興味がなく、さらにその卒メンである桃奈のことをほとんど知らない(正確には研修生実力診断テストの衣装しか知らない)ハロヲタも多いはずだ。

投票第2週において、桃奈は4位の票しか集められなかったという。妥当だ。以前から桃奈を知っているハロヲタが「決め打ち」した投票数として、そのくらいが現実的な数字だと思う。ハロヲタの数ってそんなもんだろ。我々に111万の投票力があるはずもない。ハロヲタがそんなにいるはずない。そんなこと我々が一番よくわかってる。そんなもんがあったらとっくにSSAも地方アリーナも東京ドームも埋められてるんだよ!!!!!

いろいろあって桃奈は圧倒的な差をつけて一位でデビューを勝ち取りグループのリーダーになったようだ。おめでとう。見事だよ。桃奈一人だけ、ここに来るまでにばらまいた伏線の量も長さも違うもんね。一人だけ違う「戦(いくさ)」をしてる。おそらく番組の中でも彼女は完璧な物語を描いたのだろう。周囲の人間は「ずるい」と思ったかもしれないが、そんなことはもういいのだ。「勝ったもん勝ちや!」って四天宝寺中学の皆さんも言ってるし。

……さて、ここまでが2023年末当時の私の記憶である。

私が日プ女子に、いやME:Iに始めて興味を持ったのはその4ヶ月後。ME:Iがデビュー曲『Click』をTVの歌番組でつぎつぎ披露し、その中で「生歌論争」が行われていることに気付いたときであった。大変申し訳ないことに、私はずっとME:Iは完全口パクであり、パフォーマンス時にいつも同じ音源を流していると思い込んでいた。でも違った。音源の上に生歌が乗っている、いわゆる「かぶせ」のようだ。ハロプロのコンサートでも曲によっては「かぶせ」をしている。

生歌もちゃんとやる意思があるのか。それに気付いた私は初めてME:Iに興味が沸いた。デビュー曲『Click』もわりと好みであった。ようやくグループ創世のオーディション番組である日プ女子を見る気持ちになった私は、2024年4月に「日プ女子 視聴方法 無料」と初めて検索した。Leminoなんてアプリは聞いたこともなかったし、視聴できる環境にたどり着くまで苦労した。新しい巨大なコンテンツにふれるための「私自身の」コンディションがようやく整った、とも言える。

日プを一話見てわかった。

なんだ、これASAYANじゃないか。

「カメラの入った公開合宿オーディション」がまずASAYANであり、モーニング娘。創世の歴史である。その中で行われる個性的なプロトレーナー陣による熱血指導。それによって泣く姿、努力するさま、協力する様子をカメラが逐一とらえて流す。一人一人のスキルが上昇していく、それが一番のエンタメになる。見ている方も感情移入しやすい。これはまさにASAYANが25年前にやっていたことである。モーニング娘。もそうやって作られたし、太陽とシスコムーンもそうだった(サンフランシスコで合宿審査したから太陽(サン)とシスコムーン)。デビュー前の一般人を残酷なほどはっきりと画面にさらし、見世物にし、メンバーをしっかり比較したうえで容赦なく切り捨てていく。ああ、これもASAYANだ。モーニング娘。も8期まではこれを放送していたのだ。このエンタメを地上波で供給できていた。

私が最初に食わず嫌いしていた「AKBっぽさ」は、制服衣装と視聴者投票システムだけだった。その視聴者投票システムだって、ASAYANのモーニング娘。6期オーディションの国民投票の方が先にやっていたことだし。どうしてやらなくなってしまったの?モーニング娘。だって昔はこれができていた。国民投票をまるで無視したメンバーを選んで視聴者の顰蹙をかったのがダメだった?しかもそのとき投票一位だった女性がアダルト業界へ行ってしまったから?それとも8期オーディションで落とした柏木さんと指原さんがAKBに入ってハロヲタをごっそりさらっていってしまったから?だからオーディションを公開するのやめたの?それともAbemaでハロプロ20周年オーディションを大々的に放送してもらったのに「合格者はゼロ!全員研修生に誘います!」というひどい不義理をやってハロヲタすらもドン引きさせたから?あれよく怒られなかったよね?いや怒られたのかな?私がAbemaならキレるけどな。

まとめると、①ASAYANの合宿オーディションと個性的なプロトレーナーによる熱血指導の公開システムに、②AKBの視聴者投票で決まった順位を公開放送するシステムを盛り込み、さらに③韓国の練習生組織の中で行われている「定期的にグループを組ませ発表会して個人評価する」ステージを盛り込んで、お金をかけてショーアップしたのがPRODUCE101シリーズ(略して「プデュ」)なんだろう。なるほど、これは上手くできてる。ハロヲタは夢中になるに決まっている。だってASAYANだから。私もASAYANロックヴォーカリストオーディションでモーニング娘。を(正確には福田明日香さんを)大好きになったクチだ。だからこういうの大好きよ。まんまとはまった私は、どんどん日プ女子を再生し始めた。

私がずっと前から好きだった女の子がもう一人いる。石井蘭ちゃんだ。ファントミダイヤだ!セイラちゃんだ!当時ここ★に書いたけど、私はファントミダイヤに鞘師の面影を見ていた。ファントミラージュが放送されていたのは、ちょうど鞘師がステージにいない時期だったのだ。赤い衣装でひときわキレのいいダンスを踊って変身するファントミダイヤに私は鞘師の幻影を見ていた。失礼な話である。本当にすみません。極上のダンサー二人を比較したり、どちらかにどちらかの幻を見るのは両方にとって失礼だ。わかってる、ごめんなさい。本当に申し訳ない。ダンスを語る語彙を持っていない私にとって「鞘師に見える」というのは最大級の褒め言葉だったです。亡霊の戯言だと思って許してほしい。まぁとにかく私は紅羽セイラことファントミダイヤが大好きだった。あと『私がモテてどうすんだ』は2020年楽曲ランキング8位にしてたね。

セイラちゃん、じゃなかった蘭ちゃんがいるじゃないか!しかも一話からアンジュルムを大好きだと言ってくれてるぞ!マジで!?ありがと蘭ちゃん!確かアンジュとガルガルって対バンしてたよね?(これ★)蘭ちゃん最高!ガルガル辞めちゃったの知らなかったよ、結構最近までいたよね?と思いながら見たのがこれらである。

TOKYO GIRL

蘭ちゃんのキリングパートと、蘭ちゃんを左右でシンメトリーに支える桃奈と恵子ちゃんが素晴らしい。

蘭ちゃんのダンスの実力はファントミダイヤの頃から折り紙付きであった。しかし、Girls2の中で蘭ちゃんはあまり推されていなかったよう思う。その境遇はどこか桃奈に似ていた。ハロプロとLDHという日本では「かなり大手」の事務所に所属しながらも、その中で順番がまわって来ない。そもそも所属グループ自体があまり推されていない。実力はあるのに、グループの露出量が極端に少ない。グループの中での役割も少なく、別の子がセンターとして推されている。このまま順番をじっと待っていても、私がメディアに映る機会は来なそうだ。女性アイドルの寿命は短い。時間がない。チャンスを求めて外へ出よう!!!……そう思う気持ちはよくわかる。桃奈と蘭ちゃんは境遇が似ていた、と私は勝手に思っている。二人が同じオーディションに参加してよかった。蘭ちゃん、挑戦してくれてありがとう。蘭ちゃんに投票してくれた国民プロデューサーの皆さんもありがとう。

桃奈の話に戻ろう。桃奈と心ちゃんの最初のアクト、rebloomの『アイドル』において桃奈が(自分のA評価ではなく)心のA評価で泣き崩れたとき、そして第一回順位発表会で桃奈が唐突に「私は心ちゃんを愛しています」と宣言したとき、私は桃奈が一位になった理由をはっきりと理解した。

オーディション番組は上手くアングルを組むことができた人間が勝つ。物語を作った奴が勝つ。そう決まっている。桃奈はこの時点ですでに優勝を決めていたのだ。

桃奈は自分の物語を作るのが上手い。流行の言葉でいえば「ナラティブ」ってやつだ。これが桃奈は昔から上手かった。アンジュルムを卒業して消息を完全に絶ち、一般人になってから韓国に単身レッスン留学に行って2年後にこのオーディションに参加するまで、桃奈は着々と物語を仕込んできた。そして彼女はここで自分が積み上げてきた長い物語をいったん捨てて、「心ちゃんが主役の物語を」「心ちゃんといっしょに」作ることに決めたのだ。

なんで彼女がそんな決断をしたのかわからない。

だって私は、出番前の桃奈が心ちゃんに「あなたのためのステージだよ」と言ったとき、「はぁ?何言ってんのよ!?桃奈のためのステージでしょーが!?私は!!あなたのためだけに!Leminoくんだりまで来てこの番組を見ているんだよ!?」と画面の前で叫んだのだ。でも、桃奈はそうじゃなかった。心ちゃんと組むことになって一緒に練習した短い間に、彼女は自分の物語を完全に捨てて心ちゃんの物語を作りあげることに決めていたのである。

そしてそれは完全に上手くいった。rebloomは完璧な再生の物語を見せた。心ちゃんも桃奈も泣きながらぎゅっと抱き合っているのをカメラが映しだす。

ああ、これは一位を取るわ。相変わらずだな、桃奈!この人たらしが!この感触はかみかさ(アンジュルムの上國料萌衣ちゃんと笠原桃奈ちゃんのペア)に似ている。かみかさもすごく魅力的だった。かみこはグループ一番下の末っ子かわいがられポジションを、早々に桃奈に取られた。かみこはそれに当初反発していた。しかしいつのまにか二人はいてても仲良しになって、最終的にはかみこから桃奈への愛の方がずっと重くなっていた。あのときと同じだ。やってんな桃奈!

……ちょっと昔話をしよう。アンジュルムで桃奈と一番仲のよかったかみこは、桃奈の卒業を「卒業を決めて次の夢について話している桃奈はすごくかっこいいなと思います」「桃奈から聞いてるその夢を桃奈と一緒に叶えたかったなって思ってた」と泣きながらも受け入れ、新しい挑戦を祝福した。それがあったから、ハロヲタは桃奈を心置きなく応援することができた。日プ女子を見たハロヲタ全員が「かみこの言ってた桃奈の次の夢とは、このことか」と一瞬で理解した。かみこが桃奈の卒業を受け入れてなかったら、私たちはここまで一丸となって桃奈を応援することはできなかったと思う。だってかみこが大切だから。彼女が傷ついたらいやだから。

ハロプロは桃奈に見限られた。どんなにごまかそうとしても、それはそうなんだよ。「ハロプロの中で私はこれ以上の上がり目がない」と桃奈に判断された。そして悲しいことにその判断は正しい。だから私たちは桃奈をまったく恨んでいない。ハロプロという組織は、桃奈の音楽性や発信力の高さやK-POP好きな一面をまるで尊重してこなかったのだから。

私はコロナ禍が始まったばかり、緊急事態宣言下の桃奈のこのブログを思い出す。
一気に遡る猿時代 笠原桃奈

しかし翌日、桃奈は「だめになった」とブログで報告した。音なしですら、IZ*ONE『Fiesta』のダンスを披露する許可が出なかった。なぜかはわからない。

いつもこういう顔 笠原桃奈

その2ヶ月後、同じ曲をモーニング娘。の加賀楓ちゃんがカバーし、音声なしで公開した。なぜかこちらは世に出た。

投稿しました。 加賀楓

別に加賀ちゃんがえこひいきされていたとは思わない。これだけダンスカバー動画が日常にありふれている中で、「音声なしならOK」という判断が通るのも間が抜けていると思う。この出来事からわかることは、当時のかっさーのまわりに「緊急事態宣言下でも供給できるサービスを少しだけでもファンに提供したい」という、かっさーの真摯な思いをくんであげる大人が一人もいなかったということだけである。モーニング娘。には加賀ちゃんのために交渉してくれる大人が(一応)いた、ということでもある。くだらねー、まじでくだらねー。萎えるわ。なんでだめだったの?なんで急にOKになったの?どっちも意味が分からん。若いかっさーが自らの環境にがっかりしたことは、想像に難くない。


ちなみに桃奈は2024年5月、KCON2024Japanの満員の客席の前でFiestaのダンスカバーを披露した。私は画面の前で泣いた。ああ桃奈、よかったね。ハロプロでこれをやらせてあげられなくて本当にごめんね。私が代わりに謝るよ。

これが桃奈の紡いできた物語(のごく一部)である。桃奈がハロプロを見限るのは当たり前だし、桃奈がハロプロを見限ったところまで含めて私は彼女のことを愛している。彼女の先見の明と、勇気と度胸とチャレンジ精神を愛しているのだ。それでこそ自主性と多様性を重んじるアンジュルムが生んだ娘だと、誇らしくさえ思っている。

桃奈はハロプロを、アンジュルムを捨てたのにハロヲタに支持された。これは素晴らしいことである。これができる人間が他にどれだけいるだろう。「ハロプロの卒メンが次の投票制オーディションに出たら、またハロヲタ票で無双されてしまう」という意見もあるようだが、それは違う。ここまで長い時間をかけて丁寧に下地を作る人は他にいない。桃奈は若くしてそのような環境を育てることができる言葉使いとネゴシエーションの天才なのである。プロレスで言うならば「ブック」作りが天才的にうまい。この特殊能力が披露されてしまったのだから桃奈は一位を取る。

……あとになって背景を知れば知るほど、rebloomで桃奈が自分を主役にせず、心ちゃんの物語を支える役割に回ったことは100%の「正解」なのだ。J-POPアイドルの申し子である桃奈と、K-POPアイドルの申し子である心。ハロプロで5年活動し武道館で祝福されながら円満卒業した桃奈と、1年足らずで理由のわからない脱退を余儀なくされて深く傷ついている心。あえて強気を表に出す桃奈と、あえて不安を口に出す心。シュッとした表情が得意でいつも大人じみていると言われる桃奈と、笑顔が似合う甘い顔の心。何もかもが正反対の二人。投票の舞台はK-POPアイドルの土壌であるPRODUCE 101で、観客もスタッフもK-POPの影響を強く受けている。おそらく桃奈のおかれた立場はアウェイだ。傷ついた心ちゃんの復興の物語を支えるのが正しい。自分の物語を捨てて心ちゃんを支える決意に桃奈が短期間でたどり着いたことが、桃奈の一番の勝因だった。時がたてばたつほどそう思えてくる。それは戦略的に行ったことではなく、あくまで桃奈が自然な気持ちの動きのままに行動したらそうなったのだろう。結果的にそれがベストの戦略だっただけで。それを含めて「桃奈の読みがいい」と言うべきだ。二人の友情は美しい。

日プ女子の番組は後半になるにつれてよくわからないものになっていった。軸を作れずに迷走していたのかもしれない。あまりに多くなった投票数に困惑し、振り回されていたのかもしれない。桃奈と心ちゃんのライバルアングルは「愛しています」によって潰され、蘭ちゃんと美羽ちゃんのライバルアングルは本人たちがまったく乗り気じゃないことが明白だったから、なんとか他に注目メンバーを作りたかったのかもしれない。よくわからない。私はステージと楽曲が素晴らしいものであることにしか興味がないし、後追い視聴なので番組外の炎上情報は一切入ってこない。「どの子も可愛いなぁ、目移りしちゃう。この子(ぱるたん)とこの子(内山凜ちゃん)はハロプロに入ってほしいなぁ」などと、のんきに思うばかりであった。

桃奈のラップはトレーナー陣の評価が渋かった。しかし「賞賛も批判も愛してるわ」という歌詞の持つ力が、そのすべてに勝っていた。あの状況の彼女から生まれた「賞賛も批判も愛してるわ」というパンチラインが持つ力を下げることは誰にもできなかったのだろう。桃奈が一位になった理由を、ここでまたひとつ理解した。

K-POPに強いこだわりを持つ完璧で冷たい氷の女王かのような印象だったシグナルセンターの櫻井美羽ちゃんが、いつのまにか桃奈と仲良しになっていたのにも驚いた。運動会で一緒に風船を割る姿を見たとき、その派生で白雪姫衣装で林檎を派手に飛ばす桃奈に爆笑する美羽ちゃんを見たとき、私は体が震えるのを感じた。いつの間に仲良しになってんだよお前ら!やってんな!(二回目)この人たらしが!(二回目)桃奈が圧倒的な票数で一位になった理由を、ここでまたひとつ理解した。美羽ちゃんってばこんなに面白い人だったのか。私の大好きな、こつこつ時間かけて上達するマイペースな職人タイプ(コミュニケーションは少し不得手)じゃん!以前から知ってる桃奈と蘭ちゃんがいなかったら、私は美羽ちゃんに投票してたな。

そしてここらへんで、Lemino再生中に頻繁に挟まれるDocomoのCMが完全なネタバレになることに、私は気が付いた。これは非常に困った。当初は桃奈しか見分けが付かなかった(そして桃奈が合格することは知っていた)ために何の問題もなかったのに、こちらの解像度がだんだん上がってきてしまった。やばい、誰がどの子かわかるようになってきてしまったぞ!これは大いなるネタバレだ!いかん!見ちゃダメだ!しかもLeminoさんってばCM飛ばせないのよ。それどころか、ちょっと早送りしたりちょっと巻き戻したりするだけでも頻繁にCMを挟み込んでくる!不便だ!あんまり使い勝手よろしくない!どうしよう!……そこからは、CMの間は耳をふさぎ、薄目で画面をなるべく見ないように遠くを見ながらの視聴になった。こんな私でも、最後に誰が選ばれるかは知りたくない。

そして最終回。最終順位発表だ。TikTokで女子中高生に圧倒的人気のりんりん姫が二位になり、桃奈が一位になる。すげえなTikTok。今の世界で楽曲が流行するのにTikTokは不可欠なんだな。ハロヲタはTikTokに全然生息してないから守備範囲外だったよ。勉強になった。そして最後に11位で心ちゃんが選ばれ、1位の桃奈が侍泣きをするアップで番組は終わる。

……なんだこれ。おかしいだろ。あまりにもできすぎている。完璧じゃないか。桃奈だけじゃなく、rebloomとしても完成された物語だ。これはエンタメだ。現実なのに最高のエンタメだ。誰が脚本を書いたんだ?桃奈か。ここで私は、桃奈が投票中だけでなくデビュー後も高い人気を保っている理由を知った。

桃奈は昔から伏線を張るのがうまかった。長い時間をかけて自分の物語を作るのが抜群にうまい。あとスピーチもうまい。11歳のハロプロ研修生発表会のときからそうだった。

もう10年近く前、彼女は小学5年生でハロプロ研修生になった。すぐに行われた研修生発表会ではモーニング娘。の『春ビューティフルエブリデイ』を歌った。まず選曲がいい。すでに引退から数年たっていた亀井絵里ちゃんメインの隠れた名曲だ。音程はえらいことになっていたけど、そんなの些細なことだ。だってこのときすでに桃奈は翌年への伏線を張っていたのだから。

一年後、桃奈は再び研修生発表会に表れた。選曲はこれまた亀井絵里メインの隠れた名曲『愛しく苦しいこの夜に』。渋い。渋すぎる。「小学生にしてえりりんのオタクとは!すげえ!大人びてる!」と多くのハロヲタがうなった。一年前の伏線回収であり、えりりん亡霊の心を一気に奪った。衣装もすごかった。おへそが見える白いノースリーブニットにホットパンツでロングの黒髪をサイドに寄せ、12歳とは思えないほど体幹が成長している姿は見るものの度肝を抜いた。ハロヲタを席巻しただけでなく、ハロプロ外でも話題になった。アニメやゲームの話題をする掲示板でこのときの桃奈の写真が貼られているのを私は何度も見たことがある。ロリコン紳士達の大騒ぎにもしょっちゅう巻き込まれていた。そこでは決まって「この逸材を生かせないハロプロはだめだな」と言われていた。ぐうの音も出ません。

二年続けてえりりんメイン曲という「通」な選曲、小学生の突然の成長、それを上品に見せる衣装とヘアメイクで桃奈は堂々ベストパフォーマンス賞を取る。これは中野サンプラザに集まったオタクによる現場投票だけで決まる。プデュでいう「現場票」だ。思えばこの頃から桃奈は長い時間をかけて伏線を張り、自分の物語を作るのが上手かった。現場でファンをつかみ取るパワーもあった。突然振られたときのスピーチも当時から抜群にうまい(この画像の31:46)。小6とは思えん受賞コメントである。桃奈はおおいに注目され、画像がネットを駈けめぐり、半年後にアンジュルムに昇格した。

桃奈は日プ女子というコンテンツの中でも初回(レベル分け発表回)に完璧な伏線を張り、最終回でそれを最も美しい形で回収した。ブック作りの名人と言わざるを得ない。分量を減らされても、自慢のスピーチ力で順位発表会の短い尺の中で印象を残した。三週間足らずで日プ女子動画のすべてを見終わった私は、桃奈がハロヲタ以外からもたくさんの票を集めて一位になったことに納得した。なるほど、こりゃ一位になるわ。

最後にもう一度言う。

ハロヲタが111万もの組織票を集められるはずがねーだろ!
そんなにいるはずがねーわ!目を覚ませ!現実を見ろ!!ガラガラの地方公演から目をそらすな!!!!
そんな人数と熱意があったらYoutubeの新曲MV再生回数があんな数字のはずがないんだよ!

さっきも書いただろ、番組を見ていたのはハロヲタの半分。そのうち、かっさーに投票し続けたのはおそらく半分くらいしかいないね。つまり桃奈に熱心に投票していたハロヲタは全体の4分の1程度しかいないんだよ。そう私は確信する。残りの4分の1は、文寧かしーちゃんかぱるたんか内山凜ちゃんに流れたと見るね。それがハロヲタ好みのど真ん中でしょ(断言)。私たち所詮ドルオタなんだから、自分の欲望に正直に決まってるのよ。111万はなぁ、桃奈が自力で外から勝ちとってきた数字なんだよ!

表題に戻ります。一位に選んだ『想像以上』は、私の再生回数が最も多い曲です。オーディション最後の課題曲であり、デビューできるかどうかわからない極限状態のメンバーが鬼気迫るパフォーマンスをしていて最高です。髙畠さんのセンターが非常にいい。彼女の「イマッジネー」が好き。ハスキーな歌声も大好き。髙畠さん、今からでも遅くないからハロプロに入りませんか?今さらハロなんていやだ?そりゃそうか。すいません。ちゃんみなの方がいいよね。私もそう思うよ。

以下後編へ続く。(2024/6/1 文筆、2025/3/10 完成)

2022年 ねじ子の楽曲ランキング

※今さら2022年の記事です。新型感染症流行に免じて許してほしい。
※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

 

1位 KICK BACK / 米津玄師

アニメ『チェンソーマン』オープニング曲。モーニング娘。往年の名曲『そうだ!We’re ALIVE』からの引用フレーズ「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」が多用されている。

チェンソーマン第一部は、モーニング娘。黄金期の1999年頃の物語である。モー娘。が流行している華やかな世相をよそに、貧乏から抜け出すためだけに戦っている少年のやけくそじみた焦燥感がよく表れている。ごろつき状態で生きるためだけにデビルハンターになった何もない少年・デンジの乾いた孤独感がむき出しで、すごくいい。米津さんが自ら描いたジャケットの絵も最高。

当時を知るハロヲタとしても、このオマージュには大満足だ。満足しかない。しやわせになりたい。ハッピー。ラッキー。こんにちはベイベー。良い子でいたい。そりゃつまらない。努力、未来、A BEAUTIFUL STAR。なんかすごいいい感じ。めっちゃハロプロだ。ハロプロへのオマージュを強く感じる。「しあわせ」を「しやわせ」と歌うのがつんくさんなのだ。「幸せ」はひらがなで「しあわせ」と書くけれど、口に出すとき確かに我々は「しやわせ」と発音している。そんなの考えたこともなかったけど、つんくさんだけは歌に乗せるときにそういうことを考えている。そして米津さんはそれをきちんと踏襲する。米津さんの「原作理解度の高さ」はこんなところにも現れている。

本家の『そうだ!We’re ALIVE』は「幸せになりたい あなたを守ってあげたい 平凡な私にだってできるはず」と続く。等身大の女子が自分の平凡さを自覚しながらも、幸福に生きる方法を模索する素晴らしい歌詞だ。でも『KICK BACK』では「幸せになりたい 楽して生きてたい 全部めちゃくちゃにしたい 何もかも消し去りたい あなたのその胸の中」になってしまう。とてもデンジくんっぽい。

男子中高生の子ども達は「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」と歌いながらゲームをし、オンライン通話をしていた。これを見るのは私にとって無情の喜びだった。つんく♂さんの珠玉のリリックが当代最高のミュージシャンによって加工され、蘇り、焦燥感あふれる若者達がくりかえし叫ぶネットミームになっている。こんなに嬉しいことはない。元ネタの歌詞が「努力 前進 A BEAUTIFUL STAR」「努力 平和 A BEAUTIFUL STAR」だから、デンジくんが「なんか忘れちゃって」んのは、前進と平和だろうか?

米津さん自ら出演するMVもおもしろかった。思わせぶりで考察しがいのあるMVだ。なぜギャグみたいな肉じゅばんを着てムキムキになってるんだ?そしてすぐ脱ぐんかい!?なんで車にひかれる?東映特撮で頻繁に使われる「例の海沿いのコンテナヤード」でパルクールが突然始まるのはなぜ?「いつもの採石場」こと埼玉県寄居町の大英興業を通って、あれこれ岩舟山だよね?なんで徒競走始まってんの?岩舟山で大運動会するのって、確かに日本の特撮で育った男子共通のロマンなのかもしれないが。ロケハン中の米津さんが突然乱入して先頭走者を突き飛ばし、一位をとった!見事勝利!なんで?すげぇ面白いけど、なんで???そして急にトレーニングジムに戻る。あれ、ここまですべて幻想だった?一緒に体を鍛えていた友人すら消えるってことは、あれイマジナリーフレンドだった?すべてが謎。金と手間がかかっていて、思わせぶりで、勢いがあって、演者も楽しそう。何度見ても満足感がある。

コロナ禍に無料でオンライン中継されたライブもすごくいい。チェンソーマンのモブ敵(悪魔)みたいなダンサーさんたちの群舞が最高です。

2位 Don’t Boo! ドンブラザーズ / 森崎ウィン

「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」のエンディング主題歌。森崎ウィン氏、歌うめー。田村芽実ちゃんのウェスト・サイド・ストーリーのときはハロオタがうるさくてすいませんでした。

さて、私は井上敏樹氏の脚本が好きだ。私がニチアサを見るようになったのは井上御大のおかげである。

私と井上脚本との出会いは深夜の大人の女性特撮テレビドラマ『キューティーハニー THE LIVE』であった。ハロプロのカラオケ番組『歌ドキッ!』のあとに実況しながらついでに見ていた『キューティーハニー THE LIVE』が非常に面白かった。キューティーハニー THE LIVE最終回、番組が終わってしまったことをハロオタが集まる匿名掲示板上で残念がっていたら、「だったら同じ井上脚本の仮面ライダーキバを見たら」と教えてもらったのだ。ありがとう、あのときの見知らぬハロオタの御方。ミュージカル・テニスの王子様で三代目菊丸をやっていた瀬戸康史君(当時は瀬戸丸と呼ばれていた)が主役ということもあり、「じゃあ仮面ライダーキバを見てみるか!」と思ったのが私のニチアサ視聴のきっかけである。だから私はキバが大好きだし、キバにやたらとしゃしゃり出てくる電王という一個上の先輩のことを疎ましく思っていた(その後きちんと電王も見て、電王も大好きになった)。

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』で久々に井上敏樹先生が帰ってきた。井上先生が通年でシリーズ脚本をするのはキバ以来である。子ども達は井上脚本を知らない。正確に言うとジオウのマンホールしか知らない。井上脚本の登場人物のキャラ立ちの早さ、繰り返される情報伝達不足からのすれ違い、精一杯生きる人間同士が対立する群像劇。ふんだんに盛り込まれるキザったらしい台詞。毎週のように浴びせられる、むせかえるほどの井上節。おいしそうな料理と食事シーン。「このあとどうなるんだよ!?」と毎週思う強い引き。だんだんと恋に落ち、だんだんと引かれあう登場人物たち。対立する中でも少しずつ共闘する理由が描かれ、最後は納得する落ちを迎えること。ヒーローであっても人を殺したものは罰を受け、怪物であっても人を殺していないものは生きのびて市井で暮らす、勧善懲悪のさじ加減。子ども達はすべて初めて見るのだ。きちんと毎週見ていたし、はまっていた。ロボがとにかく巨大で、ロボ戦になっても誰が乗ってるかわかりやすいのもよかった。

ただ、大人である私が見ると納得がいかない点も多かった。キャラ立ちの上手さとキザったらしいポエムはもう100点満点の井上脚本だ。大満足だ。大満足なんだけど、夏美とみほちゃんはまったくの別人だよね?それでいいの雉野?犬塚の人生もそんなんでいいのか?それほんとにハッピーエンド?設定を細かく考えることを放棄しているかのようなドンキラーキラーやムラサメまわりの適当さなど、ところどころ唐突な展開に見えてしまった。過去の井上脚本にある「後半になるにつれて前半の謎が晴れ、だんだん辻褄があっていく気持ちよい爽快感」や「後半になるにつれて決裂が決定的になっていく仲のよい二人の絶望感」が足りなかった。私の中の井上脚本特撮基準で採点すると、キューティーハニー THE LIVEが200点、ゴーカイジャーのジェットマン回が150点、仮面ライダーキバが140点、仮面ライダー555が120点、ドンブラザーズは80点。近年のスーパー戦隊シリーズとしては文句なしで100点満点なんだけど、井上敏樹脚本としては私の中で80点。贅沢を言っていることはわかってる。忘れてくれ。

さて、このエンディング曲は物語の最後に、ドラマにかぶせるように流れはじめる。「どんぶらこ どんぶらこ どんぶらゆらり揺れて 目指すはどんなハッピーエンド?」という歌詞が、どうなるかわからないトンチキな引きにかぶさって毎週流れるのだ。それが非常によかった。確かに毎週、いい意味でも悪い意味でもドラマは大きく揺れていた。どんな絶望的な展開でも「ハッピーエンドを目指す」と明言された歌詞が流れるのは非常に心地よく、来週まで待つための希望になった。すべての登場人物が、自分にとって精一杯のハッピーエンドを目指す。それぞれのキャラが生きているって結局そういうことだと思う。キャラクターが書き割りではなく、物語のための駒でもなく、それぞれに「生きている」ならばそれぞれ幸福を目指すのは当然のことなのだ。

井上敏樹先生はSPAのインタビューで「正義とはなにか」という質問に「あえていうなら、それぞれが一生懸命生きるってことじゃないかな」と答えたという。そうだ、それがヒーローだ。仮面ライダーオーズ続編で「主人公を殺す」というオチ──おそらく上層部によってあらかじめ決められたゴミみたいな落ち──のためだけに、ヒーローであったはずの登場人物が全員、最善を尽くさない無気力で無能な人間に改悪されたことにひどく気付いた私の心に、井上先生の言葉は深く染みわたった。

3位 俺こそオンリーワン / 森崎ウィン

上に同じ、暴太郎戦隊ドンブラザーズ主題歌。これはオープニングの方。歌詞が聴き取りやすい。男子一人でも歌える。大声で番組タイトルを叫び、終始テンションが高いオープニング主題歌。最高だ。特撮主題歌として必要な条件をすべてかね備えている。文句なし。「どんどんどんどんどんどんどん!いぇぇぇぇえええええええええい!」と力いっぱい叫んで踊りたくなる勢いが、この曲にはある。

OP映像はキャストによるダンスがついている。ドラマに使える時間を確保するためにエンディングの時間を節約して、オープニングにダンスを入れるという手法は『ゼンカイジャー』で確立した。子どもはダンス主題歌が大好きだからとてもありがたい。毎年きちんと踊ってほしいし、毎週きちんと踊ってほしい。レクチャー動画が無料でYoutubeで見られるのも嬉しい。

4位 戦闘!カシオペア / 『ポケットモンスタースカーレット・バイオレット』より

久方ぶりのポケモン本編『ポケットモンスタースカーレット・バイオレット』は素晴らしかった。なんといってもストーリーがいい。なんとシナリオ三本同時進行である。オープンワールドで自由度が高く、ある程度好きなやり方で進めるシナリオが三本あり、同時平行で進む。どこからはじめてもいい。三つの物語にはそれぞれ中心人物がいて、友達になる。物語は最後に一つにまとまって、主人公(私)と友達三人が集まり、全員で未踏の奥地に進みラスボスを倒す。オープンワールド・ゲームなのによく練られた物語構成で、素晴らしかった。

ポケモンはここ何作か「ポケモンらしい物語」と「時代に追いついた最新のゲーム性=オープンワールド」をどう両立するか、を模索していたと思う。『ソード・シールド』では「ワイルドエリア」というごく一部の地域だけをオープンワールドにすることで対応した。『ダイヤモンド・パール』のリメイクではオープンワールドをあきらめ、旧作をそのまま3Dリメイクした『ブリリアントダイヤモンド・ダイヤモンドパール』と、完全新作オープンワールドの『ポケモンレジェンヅアルセウス』のふたつにゲームを分けた(結果、『ブリリアントダイヤモンド・ダイヤモンドパール』は旧来のファンから非常に不評であった)。

そして最新作『ポケットモンスタースカーレット・バイオレット』において、おもしろい物語とオープンワールドが見事に両立した。しかも三本の本筋(①ジムバトルからチャンピオンになる・②秘伝技を手に入れつつ伝説のポケモンを探す・③悪の組織を倒す)の並列。最後に三つが収束して世界の謎が明かされる。すばらしいと思う。ここまで物語が練れているのなら、オープンワールドのグラフィックがガタガタでも許す。全部許す。ミライドンが壁に埋まっているくらいご愛敬である。

『戦闘!カシオペア』は三つの物語の中の③いわゆる「悪の組織」のラスボス曲だ。ジャンルはハードコアテクノ。曲全体で響く低音のリズムはガバキックというらしい。勉強になる。

ポケモンの戦闘曲って、考えてもいなかったジャンルの曲が突然飛びこんでくるんだよね。おそらく敵のキャラクターに合わせて、いろんなジャンルの楽曲を意図的に持ってくるようにしてるんだと思う。私はそれを聴くのがすごく好き。いろんなジャンルの勢いのいい楽曲が流れてくるから、聴いていて楽しい。飽きない。戦っていて楽しいし、やる気が出る。歌詞のないリフレイン構造なので作業用BGMにもぴったりだ。

この曲がハードコアテクノというジャンルなことも、キャラに合っている。「学校に反抗したいじめられっ子」のボス・カシオペアの性質がよく表れているのだ。機械に詳しくて、コミニケーションが苦手で、引きこもりがちだけど内なる攻撃性を秘めていて、趣味はめっちゃファンシーで、ぬいぐるみみたいなリュック背負ってて、出すポケモンはブイズ統一。可愛いものが大好きな引きこもり病み系女子で赤髪丸眼鏡でBGMはハードコアテクノ。最高じゃね?好きだ。

5位 戦闘!ゼロラボ / Toby Fox

上と同じ、ポケモン本編の戦闘曲。『UNDERTALE』で『MEGALOVANIA』を作ったToby Fox氏の曲である。Tobyさんがポケモンにたくさん曲を提供してくれて嬉しい。これはラストバトルの曲である。チャンピオン戦の後も物語が続くのはこれまでのポケモンの常識をくつがえしており、新鮮だった。ライバル達と雑談しながら力を合わせて未知の世界を探索するのも遠足みたいで楽しかった。『龍が如く7』のサブクエストみたいでワクワクした。重要なネタバレになるのでどこまで書くか悩ましいけれど、世界を作った人物とその子どもの成長物語が最後に見られたのも、とてもよかった。

6位 クマさんからのおねがい / 『スプラトゥーン3』より

Nintendo Switchのシューティングゲーム『スプラトゥーン3』ストーリーモード最後の一曲。

『スプラトゥーン3』のストーリーは、なんと『スプラトゥーン2』の途中から加わったミニゲーム「クマさん商店」の謎のバイトの正体が解明される話であった。驚いた。当時、「なんで突然木彫りのクマに命令されるの?」「哺乳類は絶滅したはずだから、木彫りのクマに意志だけが残った状態なのか?」という疑問は確かにあった。でも、それはそれ。「ゲームなんだから面白ければよかろう。細かいことは気にしない」と思っていた点が、すべて解明されたのだ。

バイトのミニゲームは面白かったし、ゲーム内ミニゲームが追加コンテンツとして加わることはマンネリを防ぐ意味でもよかった。つまりは大歓迎だった。伏線が仕込まれてるなんて思ってもいなかった。いやあ、そうきたか。私はテンタクルズの謎(敵対していたタコであるイイダさんの紆余曲折)が解明されると思っていたんだけど、まさかクマさんとは。びっくりした。すごくよかった!もちろん、テンタクルズのその後が見られるであろう追加コンテンツも楽しみにしています。

クマさんがだんだん壊れていく不協和音が最高です。敵にガンガン攻撃されながら聴くと、生命の危機を感じながら宇宙空間を飛んでいる浮遊感と恐怖を味わえます。100年後の人類ならば日常的に感じる不安感なのかしら。未来を疑似体験。

7位 蛮殻ミックスモダン / すりみ連合 スプラトゥーン3

スプラトゥーン1のメイン・パーソナリティはイカの女の子二人組のシオカラーズであった。スプラトゥーン2はのイカ女とタコ女の二人組テンタクルズ。そして今回、スプラトゥーン3はサメ使いのタコ女とウツボ使いのイカ女とマンタ男の三人組・すりみ連合である。サメもエイもウツボも「すり身」の原料だからすりみ連合なんだね。なるほど。いや次は男子入るよな。「男子二人組だとスプラのイントロ特有のハイテンション感がなくなっちゃうかな、どうなるかな」と思っていたのだが、女子二人・男子一人の三人組か。なるほどいいね。私の好みは京都弁だけど上品というよりはヤカラっぽいフウカちゃんです。

この曲はフェス中に広場でわんさか流れる。三台の大きな山車が出て、音楽に合わせてすり身連合の三人がそれぞれの山車の上でソロで歌い舞い踊る。京都女フウカは和風、ウツホちゃんは中東風、マンタローはサンバ風、と時間帯にあわせてアレンジも変わる。フェス後半の2日目は、3人が一台の神輿に乗ってEDMミックスされた曲(マンタローがミックスしたという設定)を歌い上げる。とても凝っている。もともとの曲調自体も多国籍で、混沌が支配するバンカラシティにふさわしい。

ライブも最高。下の動画の35:00から

スプラ3戦闘曲の中では「張拳(ハリケーン)ゴーアヘッド」が一番好き。この動画で6:27から。ゲーム・ミュージックなのに、しかもバトル中の曲なのに、メロディアスなサビをもつ曲を私は結局一番好きになっちゃうんだなぁ。J-POPで育った人間なのでしかたない。

7位 CHAINSAW BLOOD / Vaundy

アニメ『チェンソーマン』のエンディング曲。チェンソーマンのエンディングは一話ごとに変わる超!ぜいたくな仕様であった。曲も映像も変わる。豪華。豪華すぎる。しかもどれも名だたる歌手が力を入れて作った名曲で、チェンソーマンの物語展開と曲のコンセプトが完全一致しているのだ。すごい。ソニーの本気を感じる。アニメタイアップをつけることがいまや最も日本中、いや世界中に歌を聴いてもらうために有効な方法である。アニメは世界中で再生される。そのついでに曲も流れる。そして一定数の耳に届く。これだけ音楽コンテンツがあふれている昨今、新しい楽曲をなんとしてもリスナーの耳に、くりかえし流し込む方法として、最も効果的なのはアニメの前後に毎回曲を流すことなのだ。実はここで最も重要なのは「くりかえし」である。そう、くりかえし。

チェンソーマンの一回で終わっちゃうエンディングはこの「くりかえし」がない。一回限りで変わっちゃうから。チェンソーマン第二話を見た私の感想は「えっVaundyさんじゃないの!?」であった。Vaundyさんが聴きたいんだよ。くりかえし、何度も、毎回ききたいんだよ。映像コンテンツのエンディング曲は、凄惨な物語から現実の日常に帰るための「儀式」としての役割がある。Vaundyさんの「CHAINSAW BLOOD」は、グロテスクな物語から日常へ戻るためのスイッチとして、一話の時点ですでに私の中に組み込まれていた。同じ曲が同じように流れるという反復は、「物語はめちゃくちゃで思いもよらない方向に進んでいくけれど、私の世界はいつもと変わらない」「この物語を見終えた私はいつもの日常に帰っていく」という気持ちの切り替えポイントなのだ。だから同じものが同じように流れる必要がある。その時間にトイレにだって行けるし、お茶を入れに立つこともできる。エンディングで毎回違うものが流れたら、気が抜けない。日常からの変異がまだまだ続いていると脳がとらえてしまう。結果として、耳に曲が残るまで至らない。物語と曲が一体化して、曲とともにアニメ視聴当時の思い出がよみがえってくる、という「タイアップ曲だけが持てる魔法」も薄れてしまう。もっとCHAINSAW BLOODが聴きたかった。残念だ。毎回CHAINSAW BLOODでよかった。もちろん「ちゅ、多様性」も好きだしマキシムザホルモンさんの曲も好きだ。どれも単品で好き。これだけ名曲のストックがあるなら、この後も続くであろうチェンソーマン映画や二期にまわしたってよかったと思う。もったいない。

6位 M八七 / 米津玄師

映画『シン・ウルトラマン』主題歌。もう完璧。

『シン・ウルトラマン』の映画自体は、『シン・ゴジラ』にくらべると一見さんに伝わりにくい内容だったと思う。いや私はウルトラマンの初代TVシリーズをすでに全話見てしまっているので「なるほど!メフィラスはこう処理したか!さすがだ!」「ゼットンはこうきたかーなるほどー」といちいち全肯定のうなりをあげることが多かったのだが、ウルトラマンまったく知らない人たちは果たしてどうだったんだろう。大丈夫なのか?理解できたのか?なんだこれ?のオンパレードにならなかったか?ゼットンってなに?え、ウルトラマン死ぬの?ゾフィーって誰だよ?唐突じゃね?と首をかしげるばかりにならなかっただろうか。不安である。

しかしそんな不安を全部吹っ飛ばすのが、『M八七』米津玄師。さすだがだよ。ぜんぶぶっ飛んだもん。ゼットンが来るの唐突じゃね?とか山ちゃんボイスのゾフィーって何?とかそもそも斎藤工なんでウルトラマンになってるの?みたいな疑問やモヤモヤや唐突な終わり(すべて原作ママ)を全部ふっとばす歌声とメロディ。圧倒的説得力。ぶつ切りのように突然エンディングが流れ始めたら、ぶつ切りのように突然だったはずなのに「そっか、ウルトラマンってば人間を大好きになっちゃったんだね。じゃあしかたないね」「地球を守ったんだね、身を挺して人間を守ったんだね、BIG LOVEだね」という感情がなぜかこみ上げてきちゃうんだもん。こんな私でも泣けてきちゃうんだからすごい。説明不足(原作ママ)などどうでもいいと思わせる、すべてを吹っ飛ばす歌声であった。この曲を十全に味わうために映画を2時間見たと言ってもいい。

ちなみにサブスクに降りてきてから子どもと一緒にもう一度『シン・ウルトラマン』を見た。長男(中学生・ウルトラマンゼロ世代)の感想は「面白かった」、次男(小学校低学年・ウルトラマンZ世代)の感想は「いつ終わるのこれ。長いよー」であった。是非もなし。

来年に続く。ようやく時代に追いつけそうだ!やったね。PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSの曲をハロプロ楽曲に入れようか入れまいか、ちょっと悩んでいます。うーん、入れない方がいいんだろうな。(2024/06/11)

2022年ハロプロ楽曲ランキング

※今さら2022年の記事です。新型感染症流行に免じて許してほしい。
※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

2022年はハロプロから少し遠ざかった一年になった。理由は四つ。

一つ目。私は自由恋愛でクビになるメンバーが出ると、ハロプロという組織への関心が途端に落ちる。歌が好き(声質や歌唱力が好き)なメンバーでそれをやられると、さらに萎える。私がなぜハロプロを見続けているかって、「歌が聴きたい」からだ。「上手な生歌が聴きたい」という絶大な欲求の前には、メンバーの恋愛事情などささいなことである。それなのに、後者のせいで前者がつぶれる状況を見ると応援する気が失せる。

二つ目。新型コロナウィルス感染症流行のせいで自分自身の予定が立たない。チケットの転売がオリンピックによって規制され、東京都内で1000~2000人規模のコンサートができる箱が減り、ソーシャル・ディスタンスの確保や座席数制限のために公式のチケット数も少なくなった。すいている公演に当日ふらっと入ることもできなくなった。

そのかわり、オンラインサービスが格段によくなった。コンサートやイベントの配信も増え、時間を気にせずお茶の間で消費できるコンテンツが増えた。結果として、映画館のライブビューイングや配信でコンサートを見る機会が多くなった。

三つ目。コロナのせいで新曲が出るペースが落ち、新しい曲があまり出なかった。これはもうしかたのないことだ。つんくさん♂の提供楽曲も少なかった。もっとくれ。毎年これを書いてる気がするけど、つんくさんの曲はなんぼあってもいいですからね。たぶんこれからも言い続ける。

四つ目。一番好きだった金澤朋子ちゃんが引退し、二番目に好きだった高木紗友希ちゃんは理不尽に更迭され、三番目に好きだった佐藤優樹ちゃんが娘。から卒業した今、どうやってモチベーションを保てばいいのかわからない。これは非常に個人的で普遍性がなく、でもアイドルを応援するには一番要なモチベーションの問題である。

2022正月ハロコンの記事で私は「2022年は一推しを探す行程の旅路になる」と書いた。その通りだった。私はいま「推してるメンバー」略して「推しメン」がいない。いわゆるDD、誰でも大好きである。今の私のペンライトは、卒業コンサートでは卒業メンバーの色になり、そのときステージ上でMCしてるメンバーの色になり、そのとき「いいな」と思ったメンバーの色になる。ゆるやかに地元のスポーツチームを応援しているような、おだやかで凪た心持ちだ。感情に凹凸がない。心が揺れない。「チケットが取れたら、空いた時間にふらっと試合(コンサート)を見に行こうかな。会場近くでついでにおいしい定食でも食べよう」くらいの感覚だ。

以上四つにより、2022年の私は多くの時間を「お茶の間」のオタクとしてすごした。OCHA NORMAのオタクでもあるけれど、お茶の間のオタク。こたつに入ってモニターの前でお茶を飲みながら、または布団の中でスマホ片手にニヤニヤしている、それが私だ。私はすっかりゆるやかに過ごしている。

新型コロナウィルス感染症はこれからきっと、ありふれた一般的な病気になっていくだろう。コンサートもだんだん元のかたちに戻っていく。そんな中で、医療従事者である私がコンサート現場に戻ることはできるのだろうか?マスクなしの狭い会場で、たくさんの人に囲まれた状態で全力でコールできるのだろうか?声出し可のコンサートを、心から安心して楽しむことができるのだろうか?未来のことはわからない。わからないなりに、これからも私はおだやかにハロプロ好きとして過ごしていこうと思う。

1位 Hello! 生まれた意味がきっとある / HELLO KITTY

つんく♂さん最高。キティちゃん最高。さすが世界のアイドル・ハローキティだ。50年近くも「かわいい」で世界を背負って立ってるだけある。ハロプロの尻の青い十代の小娘たちが、キティさんにかなうはずもない。年季の入ったアイドル性をきらきらと周囲にまき散らしている。あまりにも華やか、あまりにも堂々としている。

しかもキティちゃんってば、めっちゃ歌がうまい。リズムも完璧、音程も完璧。その上でしっかりキティちゃんを演じる声。それをハロプロ歌唱でやってのけてる!ハロプロ独特の語尾上げやしゃくりが、随所に埋め込まれているぞ!なんだこれ。林原めぐみさんまじですごい!

そして、この曲はなんと言っても歌詞である。歌詞だよ。まじでつんく♂そのものの、ハロプロそのものの歌詞なんだよ。

タイトルは『Hello! 生まれた意味がきっとある』。重い。やたら重い。私の隣で聴いていた息子(中学生)はタイトルを見てすぐに「重いな」と言い、「生まれた意味が『きっと』あるって、これ、現状では生まれた意味を感じてないってことだよね……?」とつぶやいていた。うーん、そうなっちゃうよね。私もそう思う。

楽曲を聴いている間にも彼は「きっと?きっと?」「転んでも再チャレンジ?恨んでもしょうがない?いや、重いよこの歌」とつぶやいていた。私は笑顔でこう返した。
「え?なに言ってんの?めっちゃくちゃ明るくてかわいい希望に満ちたアイドルソングじゃないか。ほら見てよ!キティちゃんだよ!世界一かわいい!世界一輝いてる!フレッシュな十代女子たちを後ろに従えて、堂々とセンターで踊ってるじゃん。『かわいい』しかない世界だよ?明るく何回も『いえーい!』って叫んでるし!ほら、つんく♂さんのラーナーノーツ見て!『キティちゃんといっしょに歌ってくれるちびっ子のみんなもお父さんもお母さんも一つになれるようなそんな曲をイメージして作りました。 』って書いてあるよ!」
「いやいやいや。『生まれたからは そう“きっと” 意味があるんだよ』って、いま生きてる意味を失ってる人からしか出てこない言葉だよね……?」
「いやだなぁ、気のせいだよ!深読みしすぎじゃない?」
「いやいやいや」
「……本当のこと言うと、この重さこそがつんく♂さんなんだと思う」という会話をした。

その後Youtubeが勝手に続けて再生した『ザ・ピース!』キティちゃんバージョンにも、彼は「いやこの曲もちょいちょい重いな」とつぶやいていた。ばれたか。

ザ☆ピ~ス! / HELLO KITTY

つんく♂さんのライナーノーツ

※キティちゃんの中の人の声が変わってしまって悲しい。キティちゃんさんの『LOVEマシーン』『ザ・ピース!』歌ってみた動画も非公開になっていた。悲しい。これからの若い観客がこれを聴くことができないなんて大いなる文化的損失だ。

2位 プラトニック・プラネット / Juice=Juice(Ultimete Juice Version)

2019年の代々木コンサートで初披露された名曲。なかなか音源化されず、ファンはずっとやきもきしていた。その間に多くのメンバーがグループを去っていった。この曲の輝きはもう失われてしまうのだろうかと危惧していたが、なんと!Ultimete Juice Versionという名義でほぼ初期と同じパート割でアルバムに収録されることになった。よかった。やはりこの曲は佳林ちゃんのクリスタルボイスの「ちょっぴりいい感じなんじゃないの?」がないと始まらないよ。あと落ちサビの朋子「絶対あなたじゃなきゃヤだよ」→ 紗友希「飛び出してプラトニック・プラネット」も不可欠だね!

当時のJuice=Juiceのメンバーが揃った歌割が聴けて私はすっかり恵比寿顔である。嬉しい。こういうところに、アップフロントがアイドル事務所ではなく音楽事務所であるという強い矜持を感じる。音楽という芸術の前には、しがらみなど簡単に捨てる。人間関係のもつれやプライドを軽く投げ捨てて、「いい音楽を作る」ことに真摯であり続けている。その姿勢が好きだ。佳林も紗友希も朋子も声の使用を許諾してくれてありがとう。

「プラトニック・プラネット」や「銀色のテレパシー」のアレンジは宇宙感が強い。この二曲をライブで聴いていると、コンサート会場が宇宙空間のように思えてくる。ペンライトは暗闇に浮かぶ無数の星だ。中野サンプラザや武道館にいるはずなのに、真空でまっくらな宇宙の中に放り出されたような浮遊感に引き込まれていく。おそらくこの没入感は彼女たちの歌唱力の高さによって引き出されたものであり、当時のJuice=Juiceのライブでしか感じることのできなかった魅惑的空間であった。

3位 よしよししてほしいの / モーニング娘。’21

リリース自体は2021年末の楽曲。佐藤優樹ちゃんによく似合う歌詞とメロディとリズムの曲だ。一番の「本音を話すとみんな眉をひそめて問題児扱いするじゃん」「今夜の終わりが来たなら眠る 今夜の終わりがいつだかわからない」という歌詞がいい。まさに佐藤優樹の歌詞。二番の導入の「笑顔が私の防御ですから 返事がいいのも防御ですから 優等生なのも防御ですから みんなそれぞれに防御があるんでしょうが」もいい。まさに小田さくらの歌詞。最高だ。間奏で広がる宇宙感が強いアレンジもいい。これぞつんく♂さん、これぞ大久保薫さんだ。

今のモーニング娘。には変化が少なすぎる。退屈だ。退屈すぎて涅槃像よ~(たけちゃんが肘をついて寝転がりながら)。

2022年末、リーダーであるふくちゃんの卒業発表があった。しかしその内容から、2023年の一年間は体制に何の変化もないことが示唆されてしまった。2023年はふくちゃん卒業一色の一年になると、2022年のうちにほぼ決まってしまったのだ。これは長い。さすがに長い。ふくちゃんとさくらのことは大好きだが、あまりに変化を感じない。最近その二人も音程や歌の入りが安定しなくなってきてしまった。それも悲しい。新しい声が聴きたい。新しい歌割が見たい。せめてアンジュルムやJuice=Juiceのように、既存の歌割であってもツアーごとに容赦なく変えていってほしかった。新人にどんどん歌割をあたえていってほしかった。私がモーニング娘。に求めているのは常に変化と成長なのだ。

4位 ノクチルカ / Juice=Juice

金澤朋子卒業後すぐ、植村あかりリーダー体勢にて発売されたサードアルバム『terzo』収録の一曲。東京女子流でおなじみの松井寛さんの作曲・編曲。まさに松井さんの得意とする、都会的でおしゃれなハロプロファンクだ。ああー大好き!最高!『terzo』収録曲の『ノクチルカ』と『G・O・A・T』が素晴らしかったから、私はJuice=Juiceのファンを続けられている。かなともとさゆきがいなくなったあとも。

この二曲を聴くために稲場まなかんの卒業コンサートのライブビューイングにも行った。とてもいい、予定通りの、秩序だった卒業コンサートだった。まなかんがソロで『もしも…』を歌ってくれたことで「カントリー・ガールズのまなかん」と当時きちんとお別れできなかったことの困惑と悲しみが、私の中で浄化されたように思う。『もしも…』の間はまなかんコールがしたくてしたくて、たまらなかったよ。全力でコールしたかった。武道館のオタクの皆さんはよく我慢したと思う。偉い。マジで偉いよ。

もう少し、もう少しのはずだから、武道館で全力でコールができるその日までなんとか生きのびていこう。ハロヲタの皆さん。もちろん私も。

さてここからは極めて個人的なお話である。ハロオタの皆さんは読まないでいいです。

******ここから******
まなかん卒業ライブビューイングを見たのは、某仮面ライダーオーズの忌まわしき続編映画(もう作品名すら口に出したくないほど嫌い)を3か月前に見た映画館であった。コンサート中のなんでもない時間に、何の前ぶれもなく突然、血の気が引いた。「あの映画」を見た後の怒りと悲しみとやるせなさが突如私を襲ったのだ。2月中旬の乾いた空気、上映直後の観客のため息、泣き声、じっと動かずただ前方を呆然と見ている隣の席の女性客、席にうずくまって動けないでいる人、文句を言いながら出口に向かうカップルの姿が、私の中に瞬時に蘇ってきた。血の気が引いた。

これはいわゆる「フラッシュバック」である。

「オーケー、わかってる。これはフラッシュバックだ。いま私がいるのは、まなかんのコンサートだ。彼女は予定通り、みんなに祝福されながら卒業する。予定外のことなど一切おこらない。スクリーン画面から卑劣なふいうちを受けることはない。誰も不幸になったりしない、不幸な出来事は一切おこらない。あれは過去だ。今の私を脅かすことはない。」私は自分にそう言いきかせ、周囲の落ち着いたハロヲタを見渡した。流れる良質な音楽にひたって深呼吸することで、私は自分を取り戻し「いま」の時間に帰ってくることができた。

それ以来私はその映画館のチケットを取るのをやめた。
******ここまで******

5位 素肌は熱帯夜 / OCHA NORMA

2022年11月30日、私はひとり池袋サンシャインにいた。OCHA NORMA(オチャノーマとよむ)という新人女子アイドルグループを見るためである。コロナ禍により画面越しでしか見ることができなかった彼女たちを、初めて生で、とても近くで見られるチャンスだ。やった!よっしゃいくぞ池袋!まだ声出しはできないけれど、よっしゃいくぞー!

池袋サンシャインに久しぶりにハロプロが帰ってきた。嬉しい。池袋サンシャイン噴水広場は改修工事があり、しばらくイベントができなかった。そうこうしているうちに新型コロナウィルスが大流行してしまった。だからハロプロの噴水広場でのリリースイベント自体が、とても久しぶりなのだ。

ちなみにその前の月(2022年10月27日)にはこちらへ参加したよ。好きな女が池袋に来てくれるっていうんだから、そりゃ会いに行くよね!池袋を過ぎたってこの愛は永遠!小片さんも元気そうでよかった。

リリースイベントはすいていた。それはそうだろう。平日だし、まだコロナは猛威を振るっているし、東京都外のオタクが来るのは無理だろうし、イベント自体の告知もそこまで大がかりではなかった。リリースイベントを開催できただけでも御の字だ。おかげさまで私はゆっくりと快適に視界をさえぎられることなくイベントを眺めることができた。n年ぶりに生のアイドルに直接ペンライトを振ることができて、嬉しかった。以前と変わらぬファンが、同じ場所に集まっている。ハロヲタのみんなも元気に生きてる!よかった!以前と変わらぬ日常が存在していることを実感できて嬉しかった。

そのリリースイベントのセットリストの中で、一番いいな!と思った曲がこの『素顔は熱帯夜』である。ろこちゃん!かわいい!ももも!最高!『Hello!生きている意味がきっとある』も歌ってくれて生歌最高だったけど、すでに一位に書いたので割愛します。

『お祭りデビューだぜ!』の最後のハモりも非常によかった。『お祭りデビューだぜ!』は歌詞と曲調がハロプロの「いつもの手癖」のお祭りソングであることに落胆していたが、ライブで見たら一気に好きになった。ろこちゃん低音、まどぴ高音で「デビューは祭りだっぜ~!」と叫ぶようにハモリを重ねるラストが好き。ようやくデビューできたリーダーのまどぴが力の限り歌い上げるのが好き。魂の叫びだ。その隣でろこちゃんが年齢にそぐわぬ落ち着きで低音を支えているのも好き。このパートのためだけにライブ会場に行く価値があると思う。今しか使えない歌詞に見えるが、何食わぬ顔で末長くやり続けてほしいな。

以上です。2023年に続く。(文筆2023/02/28、アップロード2024/01/26)

BEYOOOOONDS夏公演と立川ステージガーデン

BEYOOOOONDS夏のコンサートツアー「NEO BEYO」ENCORE千秋楽に行ってきた。ビヨのホールコンは完成度が高い!と聞き、ぜひ一度見てみたかったのだ。

今週末、2023年9月2日・3日はすべてのハロプログループ(モーニング娘。・アンジュルム・Juice=Juice・つばきファクトリー・BEYOOOOONDS)が立川ステージガーデンでコンサートを開催した。そのすべてで当日券が購入できる状態だった。

立川ステージガーデンに私は今日初めて来た。その座席配置は、確かに「インターネットで読んだことはぜんぶ本当だったんだね……」と感じるものであった。座席番号を確認せずにこの会場のチケットを買うことは、私にはできそうもない。

しかしここまで来たからには、何があろうと全力で楽しむのだ。「楽しむことは人間の義務なんだよ」ってつんく♂さんも言ってるし。よし。立川ステージガーデンは、人気グループの千秋楽公演でも直前までチケットが買えるところがいいね!だから私も今日来られた!あとモノレールに乗れる!奥武蔵の美しい山々が見えるよ!このまま多摩動物園まで行っちゃおうかな!?たーのしー!!天気がいいとモノレールから富士山も見られるよ!あとあと、隣のIKEAでおいしいアイス(50円)とホットドッグ(100円)が食べられる!有料トッピング(+50円)でピクルスとフライドオニオンをたっぷりかけると、さらにおいしい!暑くても寒くても雨が降っていても、IKEAという快適な環境で退屈せずに時間をつぶせるのもいいね!

立川ステージガーデンの好きなところ:
・人気グループの千秋楽でも直前までチケットが買える
・当日券が出やすい
・新しくてトイレや設備がとてもきれい。トイレが一方通行なのもよし
・ロビーが広々としてソファーが多い
・ロビーに自動販売機が多い。自動販売機のドリンクの値段も高くない。
・会場内のピクトグラムがかわいい。エレベーターの乗客もトイレの男も女も車椅子の方もみんな拳を突き上げて盛り上がってる。かわいい。

おむつ替えスペースのピクトグラム。 赤ちゃんも拳を上げて盛り上がってる。

・周辺の飲食店が豊富
・周辺で買い物や休憩やひまつぶしができる店舗が豊富。コトブキヤは店内に入るだけで楽しい。
・周辺に緑も多く、天気がよければピクニックできる
・休憩時間にIKEAで買い物ができる
・休憩時間にIKEAでごはんが食べられる
・休憩時間にIKEAの50円アイスが食べられる。おいしい
・休憩時間にIKEAの100円ホットドッグが食べられる。おいしい。私のおすすめはプラス50円して有料トッピングのピクルスとフライドオニオンをたっぷりかけること。
・IKEAで買い物する口実ができる

・モノレールに乗れる。楽しい(東京の西側の一部の住民限定)
・夜になると周辺の建物のライトアップが美しい
・スピッツの名曲『夜を駆ける』は再開発された立川駅北口で夜に遊ぶ子どもをモデルに描かれた歌なので、夜公演が終わった後に立川駅へ歩いて帰ると『夜を駆ける』の世界を疑似体験できる

立川ステージガーデンのあまり好きじゃないところ:
・一部の座席からの視界が悪い。上記の利点すべてを上回るほどに悪い。
・上記の座席ガチャを乗り越えたうえで、さらに前の人の身長/座高ガチャがある。前の人の頭が視界にかぶる席が、あまりに多いのだ。
・客が私一人ならばどの席からも十全に見えるのかもしれないが、そんな公演は存在しない。
・サイド席の場合は、隣の人の体格ガチャになる。舞台に近い側の隣の人の恰幅がよいと、視界に被ってきて手前側の舞台が見えない。ペンライトを振られるとそれが視界に入る。ハロプロでペンライトを振るな!と言うのは野暮なので、絶対に言いたくない。
・サイド席が舞台に90度の椅子、しかも固いのでステージを見ていると首や腰が痛くなる
・椅子の背中があたるクッション部分に座席番号が書かれているため、人が着席している状態で座席番号が見えない。遅く入るとどこが自分の席かわからん。
・立川駅から遠い。15分くらい歩く。雨や酷暑など、天候が荒れているときにはきつい距離だ。帰り道はとくにこの距離が長く感じる。IKEAでいろいろ買い物していると、なおつらい。(コンサート帰りなのにそんなに買うなよ……と自分でも思うが、たまにしかIKEAに行けないのでついいろいろストックを買ってしまうのだ)
・モノレールの駅ですら駅前ではない
・そもそも立川駅自体が都心から遠い。東京都民であっても遠い。東京駅も羽田空港も遠いため、遠征組にとっては相当きつい場所だと思う。日帰りができなそう。

……さて、ここからはコンサートの内容を書く。

声出し可能なホールコンサートに生で入るのは、実に4年ぶりであった。もう、ウリャオイが生で聴けるだけで嬉しい。重低音のウリャオイが好き。大好き。コロナ禍で発売した新しい曲にもコールが入っているのが嬉しい。コロナ前の定番コールがちゃんと復活しているのも嬉しい。桃々姫の元気な姿が見られたのも嬉しい。心配してたのよ!『求めよ…運命の旅人算』→『Hey!ビヨンダ』→『英雄~笑ってショパン先輩~』という新曲の流れとコールと生歌にすっかり満足して、最初の三曲だけで私は満足していた。桃々姫のトークボックスとDJみいみによる三曲の「つなぎ」のジャンクション、間奏の即興ダンスも最高だった。BEYOOOOONDSの近未来的なイメージと卓越した技術がバッチリはまっている。まんぷくだー。

写真は子どもの保育園のお道具箱から借りてきたカスタネット。ビヨのコンサートには必須らしいので、持ってきてみた。BEYOOOOONDS公式のカスタネットもある模様。

中盤でカスタネットを使ったリズムゲームが突然始まったことにも驚いた。一曲目『アツイ!』は客が自由にリズムを取っていい方式(メンバーのカスタネットに合わせるルールはあるのかな?)で、「パラッパラッパー」形式のリズムゲームであった。一転して二曲目『涙のカスタネット』は打つ場所がバッチリ指示されている「太鼓の達人」形式の目押し音ハメリズムゲーである。モニターの右から左へカスタネットのイラストが流れていき、判定枠に重なった瞬間に叩くやつだ。「太鼓の達人」じゃねえか!しかもかなり長い連打があるぞ!楽しい!なるほどこれはマイ・カスタネットあった方がいいね。もっとやりたい!

随所に入る小演劇、生ピアノ、トークボックス、ヒューマンビートボックス、みいみDJなど、他のハロではみられない要素が次々とお出しされてくる構成はめまぐるしくも充実していて、とても楽しかった。歌も上手く、ダンスも上手く、小ネタがよく作り込まれている。個々のスキルも高い。メンバーのコンビネーションもよく、ダンスも完璧に揃っている。非常によく練習されていてコンサート全体の完成度が高い。大満足だ!!!!

「これは完成形だ!」という思いとともに、完成しているがゆえに、ここから新しい要素をどんどん入れ続けていくのは大変だろうな……という気持ちも生まれた。私はBEYOOOOONDSの単独ホールコンサート初見なので非常に満足度が高かったが、繰り返し見ている人たちは、きっとどこかで飽きてしまう。同じメニューが続くと、たとえそれが高級食材で完璧に作り上げられた料理だとしても飽きる。または「一度でいい」と思ってしまう。お客さんが「新しい要素が欲しい」と思う時期が、そろそろ来る。

新しいアイディアを練り続けるのはとても骨が折れる作業だろう。でも、スタッフの皆さんには頑張って欲しい。ドルヲタってのは常に新しい刺激を求める罪深い生き物だから。
BEYOOOOONDSはあて書きの曲が多いため、「このメンバーじゃなくちゃ絶対ダメ!」というイメージが非常に強いグループだ。でも実は、ごく少数のメンバー卒業・加入(というか入れ替わり)によってBEYOOOOONDSはさらに魅力的になり得るんじゃねーかな?という印象を私は受けた。メンバー自身および、彼女らを支えるガチオタの皆さんはどうお考えなんだろうか?

三階サイド席で首を90度にひねりながら、私はそんなことをつらつらと考えていた。ああ、首と腰が痛い。正面が向きたい。なるほど、これが噂に聞く立川サイド席か。武道館のようにセンターステージや花道を作ってくれるならば、この椅子の向きも耐えられる。真ん中にリングを置いてバスケットボールをしてくれたら最高だ。でも、そうじゃない。ステージは私の90度左方にある。ステージの方を向いてない椅子を作りながら、少しは違和感を感じなかったのだろうか?人が座っていると座席番号が見えず迷子になることといい、前や横の観客が視界にかぶることといい、全席にお客さんがいる状態を本当に想定したのか?と疑いたくもなる。リリース前にテストプレイをせずデバック不足でバグだらけのゲームをやっている気分だ。客から金を取ってテストプレイさせるのはやめてほしい。

どうやらメンバーたちは会場の評判を知っているようで、観客をていねいに気遣ってくれていた。MCで高瀬くるみちゃんは「ちょっと不思議な形だから、見えにくかったりするかな?私たちからは皆さんのこと、全員、見えてますからね!」と言っていた。ありがたい。とてもありがたいが、そういう問題ではない。私はライブを見に来たのだ。「自分の顔」をメンバーに見てもらうために来たのではない。その二つはまったく等価交換ではない。むしろ、オタクの出席確認なんてどうでもいいんだ。そんなもんは二の次なんだよ。ライブが見えなかったら、なんのお話にも!ならないんだよ……。ごめんね、くるみん。

少なくとも
・一階席をフラットにせず段差を出す
・視界が見切れる席は売らない、または注釈をつけて売る(なんなら少し安めの値段にする)
・一階後ろやサイド席に客席降臨する
・花道を作るか、出島を作るか、センターステージにする

これらを徹底することによって、少なくともハロプロの客の不満は「そこそこ」減らせると思う。今後も立川ステージガーデンを使うつもりならば、ぜひ一考してほしい。

正直に言うと、今回のハロプロ夏ツアー大千秋楽祭のすべての公演において「一階がフラット」であったことに、私はとてもがっかりした。「客席からの視界が悪い」と主催者側が把握しているのに、それを解消するための努力をしていない。あまつさえメンバーに言い訳をさせている。これはよくない。次に立川ステージガーデンの公演チケットを予約するとき、大きな心理的足かせになる。残念ながらオタクからの信頼度は大きく下がってしまった。見えにくいことがわかっているのなら、主催者は観客を楽しませるための工夫をできる限りすべてやってほしい。メンバーに言い訳させるのは、その次だと思う。よろしくお願いします。

(2023/09/04 文筆、2024/1/20アップロード)

2021年 ねじ子の楽曲ランキング

※今さら2021年の記事です。新型感染症の流行に免じて許してほしい。
※一定期間がたったら、文筆時の時系列に記事を移動します。

第1位 Show Window / 岡崎体育



劇場映画『ポケットモンスター ココ』の挿入歌。

『ポケットモンスター ココ』はココという10歳の少年の物語だ。赤ん坊のころ川に流され、ザルードというポケモン(おそらくチンパンジーがモデル)に拾われて山奥で育った野生児ココの物語である。自分はポケモンだと信じていた彼が、サトシたちに出会い、たくさんの人々が集う街に連れていかれ、人間の文明に初めてふれる。そして自分はザルードではなく人間と気付く。そのとき流れるのがこの『Show Window』という曲だ。

初めて見るたくさんの人々、街のあかり、料理、見たこともない商品ときらびやかなショウ・ウィンドウ。華やいだ街の祭りがキラキラしたエフェクトとともに描かれる。それをながめるココが今まさに感じている高揚感と、サトシの「友達に素敵なものをたくさん見せてあげたい!」という少し浮かれた親切心。その二つがこちらまで伝わってくる。そんなシーンにぴったりのウキウキした曲だ。

『ポケットモンスター ココ』はザルードという父親のための物語である。しかも「自分の手で」子どもを世話している父親のための映画である。子育てを母親にまかせている父親ではない。金と口を出すだけの父親でもない。日々自分の手を動かし、食事や着替えや風呂や寝かしつけを一人でやっている父親の物語だ。ザルードはポケモンたちの社会の中で必死に子どもを育てているシングル・ファーザーなのである。実務としての子育てをしている孤独な父親だ。このテーマにきちんと向かいあった邦画をポケモンというジャンルでやったことに、私は心動かされた。アメリカの映画ならば1979年の『クレイマー、クレイマー』で通った道を、ついに日本の映画、それもポケモンで見られた。とても嬉しい。

日本の大手メディアで描かれてきた「父親」はおむつを替えないし、糞尿でよごれた子どもの下着を手洗いしないし、食事を手渡しで与えない。ひとときも目を離せない子どもに振り回されて自分の時間が食いつぶされることもない。育児に無限に使われていく時間と体力のせいで社会的自己実現ができず、途方に暮れることもない。ちなみに「子どものために料理を作る父の描写」はプリキュアや戦隊ものなど幼児向けコンテンツにおいて10年ほど前から行われていた。それすら、他の映像作品ではあまり見かけない。

しかしそれではもう現在の父親たちを表現することはできないのだ。現在の父親たちは自分の手を動かしている。少なくとも、動かそうと努力している。それはいままさに子どもと一緒にポケモンの映画を見に来ている観客の姿だ。

初代ゲーム『ポケットモンスター』が発売されてから25年たつ。当時サトシと同い年(10歳)だった男児は35歳だ。30歳で第一子が生まれれば子どもは5歳、もうポケモンが好きな年齢だ。ポケモンは名実ともに親子二代のコンテンツになった。

※ポケモンパンのCM『親子でポケモンパン篇』。
「息子よお前が大好きなそのシール お前がハイテンションで貼ってるそのシール 何を隠そう俺もハマってた ドはまりしてた そしていま父となった 俺はいま やっぱり好きだぜポケモンパン 親子で好きだぜポケモンパン」という歌詞を聞くと涙が出そうになる。

「なるほど!『ココ』は母である私じゃなくて、隣の子どもと、その隣に座ってる父のための物語なのか!」と私は劇場で感心した。ポケモンが好きだった父親と、ポケモンが好きになった子ども。その二人で見ることが想定されている。新しい視点であり、新しい試みだ。

しかし、残念ながら映画『ココ』の興業は振るわなかったようだ。なぜだろう?悲しい。映画限定ポケモン・ザルードの配布は、前売り券購入または映画入場者特典でのシリアルコード配布だった。以前は映画館に携帯ゲーム機を持ちこんで、上映後に館内でポケモンのダウンロードを行う形式であったが、今回はそうではなかった。その影響なのかもしれない。コロナのせいで親子連れの客足が伸びなかったせいかもしれない。わからない。

ちなみに長男とDiscord越しにゲームをしてた中学生男子は、ぼそっと「だってザルード、かっこよくないもん……」と言っていた。「ザルードってゴリランダーとかぶってるし。なんならゴリランダーの方が強くね?」確かに。その通りだ。ぐうの音も出ない。ゴリランダーは最新ゲーム「ポケモンソード・シールド」で一番最初にもらえる草ポケモンの最終進化形である。そこそこ強くて、すでにみんな持っている。子どもの意見は残酷なほどに正しい。

子どもたちにとって、ポケモンが「かっこいい」ことはなにより大切だ。見た目のかっこよさ強さ。この二つよりも重要なものはない。次のポケモン映画では、見た目がすっごくかっこよくて!めちゃくちゃ強い!ポケモンを配ってほしい。それなのに!ポケモン映画の新作が来ない。もう全然来ない。どういうこと?ポケモンの映画はもう新作を作らないの?おしまいになっちゃった?そんなのいやだよ!また映画館でポケモンもらいたいよー。頼むよ。

第2位 駆け上がるボルテージ / 浦島坂田船


アニメ『シンカリオンZ』のエンディングテーマ。つんく♂さんのファンクだ!!やった!やったあ!やったあああああああああああああああああああああ!……と叫んだ一曲。つんく♂ファンクが好きだ。大好きだ。そして編曲はいつもの大久保薫さん。私が一番大好きな老舗の味!いつもの顔ぶれ!これだよ、これ!みんなが待ってたやつだよ!みんな聴いてえ!!

……と思っていたのだが、この曲はあまり聴かれていない。赤羽橋ファンクあらため五反田ファンクが大好物なハロヲタでさえ、この曲にはたどり着いていない。宣伝が足りてないと思う。

私はたまたま適齢期の息子と一緒にアニメ『シンカリオンZ』初回を見ていたので、エンディングでこの曲を聴いた。つんく♂さんだと最初は気付かなかった。「お?男性声のファンクだな。いいじゃんいいじゃん!誰の歌だろう?」と思いながら一時停止してクレジットを見たら、つんく♂大久保ペアの名前が出てきてひっくり返った。突然あらわれる実家。ぜんぜん違うところを旅していたら、いきなり頭上から実家の味噌汁が降ってきたかのようだ。

私は歌い手にもVチューバーにも明るくない。だから浦島坂田船さんがどんな人たちなのかよくわからない。頑張って検索してみたのだが、公式サイトを見てもWikipediaを読んでもつんく♂さんのライナーノーツを読んでも結局よくわからなかった。

『駆け上がるボルテージ』のライブ映像が見たい。どう検索してもたどりつくことができない。この曲を歌って踊る姿が見たい。どこにあるの?Youtubeでもニコニコでも有料配信でもいいから、公式のフル動画が見たい。出してください。

さて、アニメ『シンカリオンZ』は、親である私も子どももはじめの数回で視聴をやめてしまった。大好きだった前作『シンカリオン』のキャラとロボットがあまり出てこなかったことも一因だ。でもそれだけではない。『シンカリオンZ』という物語の大きな目的、登場人物たちの目標がよくわからなかった。それが一番きつかった。

一番の目的はタカラトミーが新しいシンカリオンの玩具を売ることだって?そんなことはわかってるよ。そうに決まってるでしょ。でもそれを言っちゃおしまいよ。ロボットの玩具の宣伝の中に、むりやり物語――子ども達が同一視できるヒーローと、子どもの玩具を使って本気で世界征服をもくろむ敵と、なぜか子どもたちが最前線に立って戦う理由と勝利条件をくっつけて――力業でダイナミズムを生んでこそのホビーアニメじゃないのかい?私はその切磋琢磨が見たいんだよ。

……ここまでアニメ『シンカリオンZ』のことを書いてきたが、よく考えると楽曲『駆け上がるボルテージ』はタイアップ先との関連がぜんぜんない。すがすがしいほどに、ない。アニメの内容をほのめかす歌詞も、新幹線や在来線やシンカリオンを連想させる単語も見いだせない。でもまぁ、名曲だからいいか!最高のつんく♂&大久保楽曲なので、皆さんぜひ聴いてくださいね!

このファンクっぷりと、アニメに関係ない歌詞にもかかわらず雰囲気は合っている気がしてくる力技は、まさしくつんく♂の仕事だと思う。ねじ子はチョコボールのキャラのアニメ「キョロちゃん」とココナッツ娘。『ハレーションサマー』を思い出したよ。Amazon Primeで第一話無料だから、「キョロちゃん」のOPもついでに聴こう!名曲だよ!

第3位 ピーターパン / 優里


ハロヲタの間で「紗友希の彼氏」として一躍名をはせた優里さんである。

優里さんのことを、私は寡聞にして知らなかった。私が彼を初めて認識したのは高木紗友希ちゃんの交際相手としてであった。世間的にはすでに『ドライフラワー』がヒットしており、ハロプロの誰よりも有名なミュージシャンだったのだろう。しかし私は極めて視野の狭いハロヲタなので、2009年のハロプロエッグの頃から10年以上見ていた紗友希の交際報道で優里さんのことを知った。

ちなみに私の脳内のカテゴリ分類において最も優先してつけられる項目は「ハロプロ」である。私の脳内には棚があり、その中にはたくさんの本がある。図書館ならばジャンルごとに、映画ならば製作国別に並んでいるであろう棚。私の脳内の知識分類で、最も優先してつけられる第一類は「ハロプロ」なのだ。

だから日本一の投手兼メジャーリーガーであった田中将大選手は私の中ではどこまでいっても「サトタの夫」である。山崎育三郎さんは「なっちの夫」であり、庄司は当たり前のように「ミキティー!」だ。おはスタの名司会ぶりから「最も尊敬する男性声優」と思っていた山寺宏一さんは、ある日突然カテゴライズが「ポッシボーのロビンの夫」になった。BUMP OF CHICKENのボーカルもある日突然「えりりんと結婚できるとか、いいなあ!ちくしょー!うらやましい!えりりんと一緒の生活ってきっと毎日すっごく幸せでしょう。うらやましい!まぁでも、えりりんが元気で幸せに暮らしてるってことがわかってよかったよ。それが一番だよね。おめでとう……」に変化した。先日行われた2022ワールドカップの日本対スペイン戦なんて「愛理の彼氏が逆転ゴールを決めて真野ちゃんが国際映像に抜かれたからワールドカップは実質ハロコン」「グループリーグ突破は実質ハロプロのおかげ」みたいな我田引水の書き込みで試合結果を知ってしまった。いや、最後まで見ず寝落ちした自分が悪いんだけど、そんなネタバレを踏むとは思ってなかったよ。

というわけで、私のひどく狭い視野に優里さんは「紗友希の彼氏」として突然あらわれた。そのとき歌を初めて聴いた。紗友希の彼氏ならば歌が下手であることは許さない。口パクなど絶対に許さない。そう思いながら、Youtubeにある大量の動画もかいつまんで再生した。

それから数ヶ月がたった。

私はとある休日にひとり、近所の100円ショップで買い物をしていた。店内には流行曲の有線放送が流れていた。私はその中の一曲に惹かれた。「いい歌だ。声もいい」そう思った私は、その場で歌詞を検索した。曲名と歌手名を調べるために。その瞬間、気がついた。

優里さんだ。
これは優里さんの曲だ。
私たちから紗友希の心を盗んでしまった、優里さんの。
だから声に聞き覚えがあったんだ。
私のスマートフォンは無情にも「ピーターパン/優里」という検索結果を示していた。

くやしい。くやしい。
私の負けだ。
耳が惹かれてしまった。吸い込まれてしまった。
郊外の巨大な100円ショップの一角で流れるBGMをふと聞いて、いい曲だと思ってしまった。それがあの優里さんだと知らずに。

どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだ。
私はたまの休日に、息抜きのお買い物をしに来たんだ。決して立体化されないキャラクターのねんどろいどどーるを自作するために、布とフェルトと粘土とレジンを探しに来ただけだ。私の完全なる回復の時間、私の幸福なひとときに入り来んでくるな!ああ!でも。


※こういうの

ちくしょう。ちくしょう。紗友希をかえして。

……口には出さなくても、本当はずっとそう思っていた。他の多くのハロヲタと同じように、私もほんとはずっとそう思っていた。優里さんがTVに出てると聞くたびに生まれる「紗友希は歌手としてのキャリアを奪われてしまったのに、どうして彼はTVでのびやかに歌っているの?」というドス黒い感情を抑える努力を、私はひとり必死で続けていた。これは無駄な感情だ。わかってる。私の思いは見当違いで、言葉に出してはいけない嫉妬だ。誰も悪くない。芸術に罪はない。それもわかっている。

私の耳は、彼の作った曲と歌声に、それとは知らずに惹かれてしまった。それも巨大なダイソーの片隅で。しかたない。私の負けだ。私は優里さんの歌声とメロディに殴られて一瞬で気絶したのだ。芸術の世界は、いいものを作り続けた人間が必ず最後に勝つ。つまり私は負けたのだ。

優里さんには才能がある。悔しいが、もう認めざるをえない。紗友希が惹かれるのも当たり前だ。だって紗友希のアイデンティティはずっと歌にあるのだから。歌手という生物は、自分が生きていくために自分にいい楽曲を提供してくれる人間が不可欠なのである。ハロプロという組織は25歳以上の大人の女性に良曲を提供してはくれないだろう?そんなこと知ってるよ。

だからこのあとの長い人生を生きていくために、紗友希が彼に惹かれるのは当然なのである。紗友希にいい楽曲を提供してくれるのだから。自分が生きていくために必要なパートナーを選んだ、ただそれだけのことだ。彼女には見る目がある。そして、優里さんの趣味もいい。すごくいい。紗友希はとても魅力的な女性だ。歌手としても実力がある。優里さんが惹かれたのも当たり前だ。

私は、2014年当時まだ17歳だった紗友希が、東京都議会において女性議員がセクハラヤジをされた問題に言及して、自分の意見をブログに書いていたことをきちんと覚えている。同時はまだ、女性の権利や社会人として生きていく中で受けるセクハラ問題を「女性自身が」インターネットで語ることが今ほど行われていなかった。「紗友希は自分の頭で女性の権利について考えてる。骨がある。好きだ」と私は思っていた。だから、自由恋愛でグループをやめさせられるという不条理に、彼女が怒りをもって対応したのも私は大いに納得できるのだ。

つまり、二人はただの「お似合いのカップル」なのである。世界中にありふれているシンプルな自由恋愛だ。祝福以外の感情をいだく必要など、どこにもない。

こんな単純な話がどうしてここまでこじれてしまったんだ?中世ヨーロッパか?ここはヴェローナ?私たち、いつの間にか『ロミオとジュリエット』の観客席に座らされてるの?マジかよー、勘弁してくれよー。私たちただの小汚いハロヲタなんだから、中世の演劇をそのまま見せられても困っちゃうよー。そもそも『ロミオとジュリエット』ってシェークスピアの中でも現在の観客の価値観に合わせるのが相当きつい演目じゃありません?小池修一郎先生の潤色にしてくれなきゃ現代のおたくが見るに堪えませんよ?

何が起こっているのかさっぱりわからないが、二人の周囲の大人たちは頼むからこの問題を「うまいこと」まとめてほしい。できれば、和解してほしい。時間はたっぷりかけていい。優里さんにはもっともっと売れてほしい。紗友希には定期的に歌を歌ってほしい。それが私の願いである。

第4位 宇多田ヒカル / One Last Kiss


映画『シン・エヴァンゲリオン』主題歌として劇場で聴いた。「初めてのルーブルはなんてことはなかったわ 私だけのモナリザもうとっくに出会ってたから」という最初のフレーズに心を打ち抜かれた。うらやましい。そんな人にすでに出会っている宇多田さんがうらやましい。宇多田さんにとっての「モナリザ」さんのことは、もっとうらやましい。

……ここらへんにしておこう。

さて、映画『シン・エヴァンゲリオン』である。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のときに「序・破・急のあとどうすんだ?」という記事を書いてからはや14年。『シン・ゴジラ』が興行的に大当たりして以来、庵野さんが自らのブランドに「シン」と名付け、いろいろな過去特撮作品を新たに作り直してくれるようになった。嬉しい。いろいろあった、本当にいろいろあったエヴァンゲリオンの権利をきちんと取り返して、新作を作りつづけてくれたことも嬉しい。

私は高校生の頃エヴァンゲリオンのTVアニメシリーズを見ていた程度のライトユーザーである。エヴァンゲリオンの物語はいわゆる旧劇――正式名称『THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』――できちんと終わったと思っている。サードインパクトで全人類が液体になり、大好きな人の幻覚がお迎えに来たらパシャっと溶けて一つの液体になる。その展開が好きだ。そのときに流れるクラシカルな謎の楽曲『Komm, süsser Tod/甘き死よ、来たれ』も好きだ。なんなら私がエヴァンゲリオンというアニメを最も愛していたのは『THE END OF EVANGELION』の頃である。エヴァはあの映画できちんと終わった、と私はずっと思っている。

だから「エヴァの新作は不要だ」と私はずっと思っていた。庵野がやりたいなら好きに作ればいいけど、エヴァは「気持ち悪い」でちゃんと終わってるでしょ?だからあとは庵野の好きにすればいいんじゃね?と思っていた。Qの感想は「なんじゃこりゃ?」だったけど。

そんな斜に構えたライトファンである私も、『シン・エヴァンゲリオン』を見た客の「今回は本当にきちんと終わった」という感想を見て、なんだかんだで初日に見に行ってしまった。25年間の自分の気持ちを納める場所が欲しかったのかもしれない。

結果として、エヴァがきちんと終わってよかった。レイの田舎町での健康的な生活と農業といい、アスカを見守る大人になったケンケンといい、母ユイの後輩であった「理解ある彼女ちゃん」の具現化こと真木波マリといい、なんだか精神療法のオンパレードを見ているみたいな映画であった。それが面白かった。

どちらも幼少期に心に深い傷を持つシンジとアスカは、一瞬だけ寄り添うことはあっても、長い時間をともに生きることは不可能である。どちらにもそれぞれ長い時間そばにいてくれる精神的に安定した理解者が必要なのだ。それが大人になったケンケンと、マリである。これは「なるほど」と思う展開である。身も蓋もないことを言えば、「パーソナリティ障害の治療には精神的に安定した細く長く寄り添ってくれる理解者が不可欠である」という落ちだ。教科書にも確かにそう載っている。その現実的な「落ち」にたどり着いて、かつエンターテイメントであることは素晴らしい。

そもそもシンジの父・ゲンドウという孤独な天才にとってのユイがそれであった。ユイが死んでしまったところから、エヴァンゲリオンという物語の一連の悲劇が始まる。TV版においてカヲルが現れたとき、カヲルはシンジにとっての「それ」になるためにここに来たことが示唆された。でもそのカヲルもさっさと死ぬ(しかもシンジが自分で殺す)ために、悲劇はさらに加速していく。シンジの精神的安定という「落ち」にいくためには、結局新しいキャラを出すしかなかったのだろう。現実的な終わり方である。

そしてその「落ち」にするためには、現実においても25年間の歳月が必要だったこともわかる。当時シンジやアスカに強くシンパシーを抱いていた観客たちも大人になって、彼らが結ばれず、それぞれ別の道を進む結論を受け入れられるようになったのだろう。たぶん。なってるかな。なってるよね。あれ?違う?LASの皆さん生きてますか?大丈夫?心配してます。

ちなみに私は『シンエヴァ』を見た今でもなお、『THE END OF EVANGELION』の「自分と世界が完全に一体化した均一な液体であってほしい」という狂気が好きだ。自他の区別がまったくできていない人間が、自他の区別がまったくない究極の状態を求めて突き進む。直球の欲望の最終形が見事に映像化されている。そののちの荒野に、自分と好きな女だけが(まるでアダムとイブ、イザナギとイザナミのように)残される。でもその好きな女には「気持ち悪い」って言われちゃう。そんな終劇もいまだに好きだ。お互いに傷つけ合っているハリネズミ同士の救いのなさを描ききっている。

エヴァが無事完結した今、庵野監督には思う存分趣味と実益をかねた新作を作り続けてほしい。シン・ゴレンジャーとシン・仮面ライダー555とシン・セーラームーンとシン・来来!キョンシーズとシン・美少女仮面ポワトリンとシン・キューティーハニー The Liveを、ぜひぜひ何とぞよろしくお願いします。あ、最後のやつはもうすでにやってたか。

第5位 東京スカパラダイスオーケストラ / 仮面ライダーセイバー

特撮番組『仮面ライダーセイバー』のエンディングテーマ。タイトルはそのまま「仮面ライダーセイバー」。私はヒーローの名前を大声で叫んでくれる主題歌が好きだ。サビ前に変身!って声が最初から入ってるのも好きだ。

『仮面ライダーセイバー』のTV放送のエンディングにはダンスがあった。主役と二号ライダーとヒロインの3人が、とても広い部屋の真ん中で踊っている。「左右に妙に空いているスペースには、きっとこれからメンバーが増えていくのだろう。そして最後は群舞になっていくのだろう」と私は予想していた。でもそうはならなかった。最後まで三人だけのダンスだった。悲しい。味方の仮面ライダーが増えていくにつれ、ダンスする仲間がどんどん増えて最後には大演舞になると思っていたのに。大演舞に映える振り付けだと思っていたのに。

ちなみに味方ライダー全員でのダンスは、この動画で演者さんたちが練習して披露してくれた。ありがとう。本音をいえば役の衣装でやってほしかったけど、贅沢は言うまい。コロナ禍によるさまざまな制約の中、本当によくやってくれたと思う。このダンス動画だって明らかにソーシャル・ディスタンスをとりながら踊っている。大変な中、どうもありがとうございます。

さて、私は仮面ライダーセイバーが好きである。なぜならここ5年の仮面ライダーの中で、唯一きちんと「ヒーロー」をしているのが仮面ライダーセイバーこと神山飛羽真だからである。

「利他をなすものが英雄であり、利己をなすものが悪である」これが英雄譚の基本だと私は思っている。でも近年の仮面ライダーはそうではない。どいつもこいつも私欲のために戦っている。自分を捨てて弱い者を助けたり、巻き込まれた見知らぬ市民を守ったり、自分の目的を捨ててでも他人の命を救ったりはしない。ただただ、自分の利益と目的の遂行のため「だけ」に戦っている。私はそれを英雄と呼ばない。ただの力の強い一般人だ。手に入れた強大な力を自分のためだけに使うならば、それはただの傲慢で尊大な人間であるとさえ私は思う。

私事であるが、私の次男はセイバーが大好きであった。我が家には13年分の仮面ライダーの玩具があったが、それでも次男が一番好きな仮面ライダーはセイバーである。それについてはまた今度書く。

東京スカパラダイスオーケストラによるライブバージョンも最高。生演奏と生歌はいいですね。

第6位 BOYS AND MEN / どえりゃあJUMP!


2位に続いて、こちらも最高のつんく♂ファンク男性ボーカル曲。ハロヲタにもすぐに見つかって、熱心に聴かれていた。

その理由は、フルMVとダンスがよく見えるライブ映像が発売後すぐにYoutubeに上がっていたことにあると思う。宣伝がうまい。メンバーの顔のアップがたくさん入り、衣装の色が分かれているMVとライブ映像。まさにハロプロ。めっちゃハロヲタ好みの、つんく♂プロデュース作品である。初めてボイメンを見た人間にも個体識別がしやすい。誰が誰で、どのパートを歌っているのかわかりやすい。私も、ボイメンのことは仮面ライダーバロンことゆーちゃむと、ポケモンのバラエティ番組「ぽけんち」に頻繁に出ていた辻本達規さんしか知らなかったのだが、他のメンバーのこともきちんと認識できた。

……そして、そのゆーちゃむこと小林豊さんが突然いなくなってしまった事実を、私はまだ子どもたちに伝えられていない。彼らは、ゆーちゃむが仮面ライダーバロンであることを知っている。バロンのおもちゃも家にある。ポケモン番組「ぽけんち」でも、彼は大活躍していた。子どもたちにどう伝えたらいいんだ?本当にわからない。「お店のものはお金を払ってから店の外に持っていく。お金を払わずに持っていったら絶対ダメだよ」と子どもたちには一番最初に教えなくちゃいけないのに。ちなみに『アナと雪の女王』が大好きな子どもたちに、神田沙也加さんが突然いなくなってしまった事実をどう伝えたらいいのかも、私にはわからない。「まだ早いな」ということだけは、わかる。大きくなって自分で検索して、経緯にたどり着くまで待ってもらうのがいいんだろうか。

第7位 野球 / くるり


アイドルのファンはコールを奪われている。ロックミュージックのファンはモッシュを奪われている。ヒーローショーを見る子ども達は「がんばえー」という声援を奪われている。そして野球ファンも、何十年も続いた伝統文化である「声援」を奪われている。この曲を聴いて、私は初めてそれを実感した。「声援」を奪われて苦しんでいるのは私たちドルヲタだけじゃない。もっともっと、いろんなところにいる。スポーツのサポーターだってそのうちの一人だ。

2021年のいま、コロナのせいで野球における「声援」を奪われているからこそ、「それを残したい」という衝動が岸田さん(カープファン)の中に生まれたのだろう。音源として永遠に残る形にしたい、という欲求がこの曲を作ったのだろう。

歌詞の字幕も凝っている。選手の文字は所属したチームカラーの色になっている。移籍した選手はきちんと移籍した順に、所属チームの色をまとった文字になっているのだ。芸が細かくていいね。

第8位 うまぴょい伝説 / ウマ娘


「ウマ娘 プリティダービー」というスマホゲームにおける勝利のご褒美の歌。「ウマ娘 プリティダービー」は、美少女に擬人化された実在の馬たちを育成し、史実にそった成長やストーリーを経てレース(見た目は女子の徒競走)で勝利を目指す育成ゲームである。レースで勝つと、センターでライブができる。

『うまぴょい伝説』という歌は、レース開始時のファンファーレと拍手と、競馬場を埋め尽くす観客の雄叫びから始まる。「うううううううううううううう」と叫ぶオーイングも、いかにもオタクたちがかぶせてコールしそうな「きみの愛馬が!」や「だいすーきーだよー」も、サビの「ふっふー!」も「3・2・1・ハイ!」も最初から音源に入っている。観客の野太い声のコールが、最初から音源に組み込まれているのだ。タイトルの「うまぴょい!うまぴょい!」は、ハロプロであればまぎれもなく「ウリャオイ」にあたるものである。女性アイドルのイントロやAメロに入れられる伝統のコール「ウリャオイ」。ショッピングモールのリリースイベントで通りすがりの一般客からよく「気持ち悪い」「なんだあれは」と揶揄されていたウリャオイすらも、最初から音源に入ってる。

観客のコールが少し箔から遅れて入っているのも、臨場感があっていい。広い会場(もちろん競馬場もそう)でのライブは、音速がそこまで早くないために、メロディよりも少し遅れて観客のコールが聞こえることがある。現実でもウマ娘たちがそんな大きい会場でライブできるようになった、それくらい人気者になったかのようなイメージが生まれてくるのだ。

コロナで忙殺されている中で私はこの曲を聴いた。そして心底「あぁ いいな!」と思った。コールがしたい。あの一体感と高揚を味わいたい。この曲には現場の高揚が最初から録音されている。だから再生するだけで高揚を味わえる。コロナ禍に適応した楽曲だ。時代にそった冴えたアイディアだと思う。女の子がたくさん出るアニメの楽曲には、やたらパートが多くて合いの手が数多く入るお祭り楽曲がよくあるが(「ようこそジャパリパークへ」など)コロナ禍に合わせた2021年における最高傑作だと思う。

数年後にコロナが収束して観客の声出しが復活したあかつきには、満を持して観客も一緒に大声で叫べばいい。音源と一緒にファンが叫ぶ。コロナ禍を越えて集まることのできたオタク全員での「うまぴょい!うまぴょい!」の大合唱は感動的な光景になるだろう。いいな!すごい盛り上がりそう!

これはハロプロでもぜひやってほしい。従来のハロプロ楽曲は、ファンがコールを入れる間を「空白」にして作られている。コールを入れる場所のリズムがわざと空けてあるのだ。コンサートで曲を聴き慣れると、コールが入っていない音源では物足りなさを感じるようになる。さみしい。ハロプロもコロナ禍の間は、あらかじめ音源にコールを入れておいてくれてかまわない。「ここだよ朋子!」も「L・O・V・E LOVERY あーりー!」も、過去の録音を流してくれてかまわない。今だけは文句言わない。

……そんなことを思いながら、「FNS歌謡祭」に出ているウマ娘。と『うまぴょい伝説』を見ていたら、その日の夜に大好きな金澤朋子ちゃんの卒業のお知らせが発表された。かなともには「ここだよ朋子!」ってファンが叫べるようになるまでJuice=Juiceにいてほしかったのだが、それは叶わぬ夢になったようだ。さみしい。

以上です。2022年のランキング一位は米津玄師さんの『KICK BACK』一択です。ハロプロ楽曲大賞に『KICK BACK』を投票できなかったことを私はとても残念に思っています。どうしてだよー。完全にハロプロ魂の一曲じゃん!しやわせになりたい。ハッピー。ラッキー。こんにちはベイベー。良い子でいたい。そりゃつまらない。なんかすごいいい感じ。努力、未来、A BEAUTIFUL STARだよ。まさにハロプロ。これぞハロプロ。ハロプロの歌詞としか言いようがない。

そろそろ時代に追いつきたいので、さっと短文で完成させたいです。(2022/07/05にだいたい文筆、アップロードは2023/06/04)

2021年 ハロプロ楽曲ランキング

※今更2021年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

私はこの文章を長いあいだ書くことができませんでした。2021年2月に高木紗友希ちゃんが突然いなくなったことに、私はひどく萎えてしまったのです。彼女をあんなにも早く──週刊誌の報道からたった一日で──Juice=Juiceというグループから脱退させる必要などなかった。お相手のミュージックステーション初登場にあてつけるかのように、生放送直前に脱退を発表する必要などまったくなかった。私は今でもそう感じています。せめて、紗友希とファンがお別れできる場所をどこかに作ってあげてほしかったです。

2021年2月12日、それは私が首を長くして待っていた新型コロナウィルスのワクチンがついに日本に届き、厚生労働省の専門家部会において承認が了承された日でした。私は早くから好きな酒を用意してこの日を待っていたのです。私にとって「今世紀最大の祝祭」といえる日に、大好きな女の子がクビになるとは。「なにこのニュース。最悪の対応だわ。古い悪習を断ち切る最大のチャンスを事務所は自らつぶした」としか思えませんでした。

紗友希の彼氏が出ると聞いて、私は数年ぶりに生放送の音楽番組ミュージックステーションを録画予約したのに。「紗友希の彼氏ならば口パクは絶対に許さんからな!」「紗友希より歌が下手だったら許さんからな!」「いやそれはさすがに無理があるでしょ」などと笑いながら楽しみに待っていたというのに。優里さんは実力あるシンガーソングライターだと聞いていたから、ハロプロに曲を提供してくれればぜんぶ許す!と思っていたのに。

紗友希をグループからとつぜん脱退させたうえにM-LINEに引き留めることができなかった事務所、彼女を罵倒する少なくない数のハロヲタの仲間たち、彼女を引き抜いたっぽく?見える?周囲の大人たち。そのすべてに私は大いに冷めてしまいました。

「アイドルが恋愛することによって離れるファンがいる」と主張する人間がいるならば、私はハロプロ結成当初からずっと「アイドルに恋愛禁止ルールを押し付けていることが露呈することによって離れるファン」なのです。矢口がモーニング娘。を首になったときも、ものすごく、ものすごーく萎えました。私がハロプロから最も離れていたのは、矢口がモーニング娘。を首になったあとの二年間です。その期間だけ私はハロプロを追っていません。まあ正確には冠番組の『ハロステ』だけは毎週見ていたのですが、ろくすっぽ楽曲を聴いていませんでした。

恋愛は生命の根源的な衝動です。生命の根源的欲望を軽く見てはいけません。それを甘く見ると、反動で必ずひどいしっぺ返しが来ます。恋愛は私たち凡人が世界を変えるための唯一の方法であり、自分がこの世に存在していたことを歴史に残すたった一つの手段なのです。「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と太宰治も言っています。

10年間やり切った仕事──しかも人間として当然の権利を行使しただけなのにファンからの罵倒が待っているであろう仕事──と、いまの恋愛。どちらをとるかは明白です。私が紗友希でも恋人をとるでしょう。

現代日本において、一個人に恋愛を禁止することは人権侵害です。ハロプロがそのような人権侵害を若い女子に強いる組織であるならば、私の心が寄り添うことはできないのです。誰も得しない短絡的な人事に、私はすっかり萎えました。ハロプロのために長文を書く意欲がなくなってしまったのです。これは私なりの抗議のかたちでもあります。

私はずっとずっと、自分が思っているよりもずっと、紗友希のことが好きでした。みんなそうでしょう?ハロメンも、ハロヲタも、ハロプロに関わっているすべての人間が彼女の歌を愛していた。ハロプロに紗友希という歌姫がいることを自慢し、誇りに思い、鼻高々だった。そうだったでしょう、みんな。もう忘れちゃった?

会場を埋めるファン全員が彼女のパートを心待ちにしていた。どのグループのファンであっても、誰のメンバーカラーのTシャツを着ていても、どんな色のペンライトを振っていたとしても、紗友希のフェイクの後では「fuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!」と叫ばずにはいられなかった。彼女のパートのあとは、地が揺れるような喝采が自然にわいてホールを埋めつくす。それがハロプロでありハロヲタだったのだ。みんな彼女の歌を心の底から愛していた。「私たちが誇る歌姫・紗友希の歌を、みんな聴いてよ!」とハロメンもハロヲタも、おそらくスタッフも、ハロプロに関わる全員が思っていた。思っていたのに。

紗友希がハロプロを辞めると言うならば、周囲の大人たちは全力でそれを止めなければならなかったのです。せめて卒業イベントができるように、それまではなんとか、必死で説得するべきだった。紗友希自身が強固に辞めたがって、もうどうしようもなかったであろうことはなんとなくわかっています。それでも、なんとか説得してほしかった……。

紗友希はハロプロで文句なく一番歌がうまかったし、歌が上手くあり続けるために、子どもの頃から絶えず努力し続けていました。彼女はハロプロが掲げる「芸術至上主義」のいわば象徴と言える存在だったのです。そんな彼女が犯罪でも不倫でもない、ただの自由恋愛でクビになるというのは、はたから見たら「芸術至上主義が処女信仰に負けた」という極めてダサい結論に他なりません。私には到底受け入れられない結論です。極めて旧時代的な組織の、醜い末路としか思えないのです。実際、ニュースを受けてそのような外野の声がたくさん届きました。ハロヲタである私もそれにまったく反論することができません。ていうか私だってそう思うわ。

Juice=Juiceが主演したドラマ『武道館』の男性出演者陣の性的スキャンダルの多さを見るに(仮面ライダーメテオこと吉沢くんと仮面ライダーバースこと君嶋くんはどうか無事でいてほしい)、ハロプロのガチガチの恋愛禁止は「彼女たちを悪い共演者やスタッフから守るため」という要素がきっと多分にあるのでしょう。それはわかります。

それでも、私は紗友希の卒業コンサートが見たかった。なんなら円満卒業後に優里さんにハロプロに楽曲を提供して欲しかった。できたはずだよ。なんでできなかったんだ?私たちは、ミキティ10周年ライブで庄司さんが客席に表れたとき、歓声を上げて「庄司コール」をすることができるオタクなんだよ?その日の2ちゃんねる狼板に「同じ女を愛した男だからな」って書き込んじゃうのがハロヲタなんだよ?もっと私たちを信頼してくれよ。ていうか紗友希の一件の顛末を見る限り、誰よりも処女信仰が強いのは他ならぬ事務所自身じゃねーか!おたくのせいにするんじゃねーよ!!……と私は思わずにいられない。優里さんに「同じ女を愛した男だからな」と私たちが笑って言える日は来ますか?来てほしいよ。事務所さんは頑張ってくださいね。

ハロぺディア 同じ女を愛した男だからな

庄司智春、藤本美貴と結婚時のネットの声に感動「同じ女を愛した男だから許してやろうぜ」


庄司さん、筋肉を仕上げてきたことは高く評価しますが、ロマンスの腕の伸びと顔と体幹の角度が甘いので、次はそこを練習してきてくださいね。あとサビはちゃんと360度回ること。

さて17年前の矢口更迭後しばらくして、私はまたハロヲタに戻ってきました。『テニスの王子様』アニメ再放送のついでに見たアニメ『きらりん☆レボリューション』のOP「バラライカ」がたいへん素晴らしかったことが帰還の理由です。月島きらりちゃんの楽曲とアニメがあまりに素晴らしかったから、私はハロプロに帰ってきました。今ものすごく萎えている私もまた、月島きらりなみに魅力的なコンテンツと『バラライカ』なみの名曲が発表されれば、またハロヲタに戻るのでしょう。

よって今年は記述が短いです。以下に順位を置いておきます。

1位 涙のヒロイン降板劇 / つばきファクトリー

MVを見た瞬間に、Tsubaki Factory New Era !と叫びたくなる一曲。海外オタクのYouTubeコメント”New era for Tsubaki.” “Perfect start for a new era.”がすべてを物語っている。

小片リサちゃんという楽曲の核を失ったつばきファクトリーが出してきた新機軸だ。新メンバー4人も全員可愛く、個性的で、歌も上手い。現ハロプロ随一の歌姫であるきしもんが覚醒している。若い男性の間で流行している黒髪センター分けの髪とスタイルのよさが相まって、男性若手俳優のようだ。凛々しい。最高。MVもアイディアにあふれていて、小道具にお金がかかっている。顔のアップが多く、アイドルのMVらしさを忘れていないところもいい。

そしてなんと言ってもタイトルと歌詞が素晴らしい。タイトルは最初「『涙の』ヒロイン降板劇」と読んでしまって「おいおい、なんて攻めたタイトルだよ。いくらなんでも現状に寄り添いすぎだろう」と不安になったけれど、実際は「『涙のヒロイン』降板劇」であった。サビの歌詞「涙のヒロイン 降りる宣言 君の代わりはいるでしょう 私が私のこと愛さなくちゃだめ」から、それが伝わってくる。

歌詞はまるで、グループ一番人気だった小片さんの突然の脱退のあと新しいメンバーを加えて再出発するつばきファクトリーの状況にあわせて「あて書き」したかのようである。実際はあて書きではなく、山崎あおいさんが別の機会に提出済の歌詞がここで使われたという。この時期のつばきファクトリーに提供されたことによって、あまりにぴったりのタイミングで歌詞が現実に寄り添ってしまったことに、山崎さんは驚いたという。※ソース

歌を聴きながら「いったい誰が『涙のヒロイン』なんだろう?」と考えるのも楽しい。悲劇的につばきファクトリーを去ることになった小片さんこそが涙のヒロインと考えてもいいし、メジャーデビューをつかんで初舞台に立つ新人四人こそが涙のヒロインとも言えるし、この曲においてはセンターの立ち位置ではない樹々ちゃんの歌だと考えてもいいし、持ち前の歌唱力を存分に発揮して楽曲の柱になっているきしもんこそが涙のヒロインと思っても成立する。たくさんの女子一人一人の人生に合わせて、解釈が何通りも成立する歌詞なのだ。

そして最後はきしもんによるフェイクと「惨めな役は 似合わない 癪(しゃく)なスポットライト 躱(かわ)して つかもうぜ!華やかな Next ストーリー」で楽曲が終わる。素晴らしい。これまで泣いてばかりの悲劇のヒロインだった自分たちが、その悲劇から自力で脱け出し、この曲を手に次に進む。そんな現状にぴったりだ。つばきファクトリーは確かに再生した。それだけの力を持つ楽曲だ。

さて、ここからは私一人の勝手な喜びを書きます。

ルパパト好きの私としては、ルパパト第12話に車椅子の少女役として出演していた河西結心ちゃんが、前事務所であるアミューズを辞め一般の高校生になったあと、ハロプロのオーディションに合格して歌手デビューし武道館に立つ、という「物語」が見られたことがとても嬉しかった。ルパパト12話劇中の少女は、歌が大好きでステージに上がりたいという夢があるけれど、足を悪くして車椅子生活となり、その夢を諦めかけているという設定である。その物語の続きを見ているような、車椅子の少女が本当に数年後に夢を叶えたかのような錯覚に私は容易におちいった。大手事務所を辞めて山梨の田舎の一高校生として暮らしていた河西結心ちゃんが、ルパンイエローの事務所のオーディションに合格し歌手として武道館に立ったという「物語」は、まるで劇中の車椅子の少女の足が無事に治ってステージで歌う夢をかなえたかのような幸福な錯覚を私に見せてくれる。物語の中の少年がルパンブルーに触発されて一念発起したように、現実でも、ルパンイエローに触発された一人の少女が一念発起して自らの夢を叶えたのだ。結心ちゃん、ハロプロに来てくれてありがとう。

2位 愛してナンが悪い!? / モーニング娘。’21


モーニング娘。新アルバム『16th~That’s J-POP~』冒頭の一曲。

当初、このアルバムは私の琴線にあまり触れなかった。それはコロナのせいで楽曲を披露する場所がまったくなかったゆえであると、佐藤優樹ちゃんの卒業公演で私は気が付いた。娘。のエースであるまーちゃんの卒業公演を見て、私は初めて「娘。の楽曲の魅力はライブでこそ出る」という当たり前の事実にたどり着いたのである。遅いね。

ハロプロにおいては(時系列的に)一番最初にCD音源が収録される。そのため、その後何十回と行われるライブで歌唱力と表現力がどんどん上達した結果「CD音源が一番下手」という珍現象が発生する。口パクせずに生歌のライブを地道に積み重ねる若い音楽集団ゆえだ。その上にオタクのコール(コロナ以前)やクラップが乗るため、楽曲はさらなる別物に進化していく。その変化と成長こそがハロプロの面白さである。簡単に言うと、曲がライブで成長していくのだ。

ハロプロの楽曲はライブでどんどん洗練されていく。これを逆に言うと、ライブがない場合、曲が変わらない。こっちも聞き込むことがない。音源を聞く機会が減る。歌詞への共感やなじみも減っていく。娘。は、いやハロプロは、くりかえされるライブと公式から(昔は一部有志によって)Youtubeに次々とあがるライブ映像ありきの集団芸術なのだ。

そんな状況の中、ライブなし、音源を聴いただけで好きになった曲が『愛してナンが悪い!?』。ライブで聴いたらさらに好きになった。つんく♂さん真骨頂の一曲。

歌詞は明らかに高木紗友希のためのものであり、彼女を肯定するための歌詞である。愛して何が悪い。もちろん、何も悪くない。いや本当は紗友希のためではないと思うけれど、タイミング的にはそうとしか思えない時期に発表された。愛して何も悪くない。当たり前だ。あの三島由紀夫でさえ「少年がすることの出来る──そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう」と言っている。医学的に言えば、男女の恋愛を否定するのは、人類に「滅べ」と大声で叫んでいることと同じである。まあ別に世界破壊願望を持つこと自体はかまわない。反出生主義もよくわかる。しかし、それを他人に強要するのはまちがいだ。繁殖を否定されても困るし、女性の性欲を否定するのは女性の人権を否定していることと同じである。私たちには確かに肉欲があり、その相手を自由に選ぶ権利がある(もちろん相手の同意は必要)。肉欲のわく相手と一緒に過ごしたいと願う、その欲望自体を否定することは許されない(もちろん相手の同意は絶対に必要)。つんく♂さんありがとう。

さてこれが二番になると、「グーグーグーGood ! 親指が人気の基準じゃん アホらしい」とSNSのいいね!の数を競う世の中を憂いつつ、突然「シャーシャーシャーシャー洒落臭い 宵越しの恋愛」と、初恋の狂乱から急激に冷めた目線に主人公が変化している。いったい何があったんだ。1番の歌詞で「深夜焼き肉デート 親密じゃん」していた相手とは別れてしまったんだろうか?これまた味わい深い。そして最後は結局、人生の野望のために現実を見すえて、限界を決めずに想像力を発揮していくしかないよね!といういつもの結論に至る。これまた表現者たちの正しい現実主義で素晴らしい。バランスがとれている。

決めのパートの「Oh 愛して何が悪い!?」と「常識は非常識」を、入ったばかりの15期三人が順番に回しているところも好きだ。それぞれの声の個性が出ている。この曲がアルバムの一曲目に置かれているということは、つんく♂さんが新メンバーを軸にモーニング娘。の次の時代を考えているということである。よかった。

私がモーニング娘。に求めているのは「変化」である。大好きだった福田明日香がいなくなった23年前から、私が娘。に求めているのは常に「変化」である。変化が欲しい。それ以外はいらない。変化してくれ、モーニング娘。

3位 空を遮る首都高速 / 和田彩花


ハロプロの事務所は「ハロプロを宝塚にしたい」という野望があるんだな、と私が気付いたのはいつ頃だっただろうか。高橋愛ちゃんが宝塚の大ファンであったこと、その愛ちゃんが「宝塚には『すみれコード』があるけれどモーニング娘。には『モーニング・コード』がある。卒業して『モーニング・コード』がなくなったとたんに、これかぁ!って感じです」と発言した時(2011年11月27日帝国劇場での記者会見)だろうか。ハロプロエッグに大量に人材を投入し、そこからデビューさせたりグループを作り始めた時期だろうか。
① 25歳までの女子による
② 在京の
③ TVの歌番組にも出られる
「アイドル版宝塚」をハロプロは目指しているんだろうな、という意図を私は嗅ぎとりはじめていた。

その頃ハロプロを支えていたBerryz工房と℃-uteは、あまりに幼ない時期からあまりにも長い時間を固定メンバーで拘束していたために、新しいメンバーの中途加入を受け入れることはできなかった。メンバーもそうであったし、ファンもそうであった。Berryz工房と℃-ute(とその選抜ユニットであるBouno!)は結局最後まで卒業・加入制のグループにすることはできず、休止または解散した。

娘。以外に初めて卒業・加入制グループとして独り立ちできたのが、他ならぬアンジュルムである。アンジュルムは娘。以外のハロプログループで初めて、宝塚の一つの「組」にあたる存在になった。モーニング娘。が花組であるならば、アンジュルムは月組になったのだ。

宝塚の組にもそれぞれ得意分野とカラーがあるときく。モーニング娘。とアンジュルムにも、れっきとしたグループの色と存在意義がある。

モーニング娘。は結局のところ、どこまでいっても「つんく♂にインスピレーションを与える楽器」である。ではアンジュルムは何か。それは「日本における女性の自立を、女性自身が考えること」だと私は思う。まぁ、これをものすごーくおおざっぱに言うと、女性の自己選択権と自己決定権、ひいてはフェミニズムと呼んでいいのかもしれない。

これはあやちょの作った唯一無二の道である。そして、モーニング娘。には歩むことのできない道である。モーニング娘。は「つんくのインスピレーションを刺激する楽器」であることが最も強い命題のグループだから、「女性自身が考えて自己の表現を選択・決定する」という視点はどうやっても持ち得ない。それを持ったときは卒業するときであり、父性からの脱出こそが娘。卒業のメタファーとなる。

アンジュルムはスマイレージの創世期からずっと、あやちょがただ一人のリーダーであった。長い低迷期にも彼女は決してくじけなかった。大人の男性たちに「日本一スカートの短いアイドル」というキャッチコピーをつけて売り出された女性アイドルグループのリーダーだったあやちょが、自力でフェミニズムにたどり着いた。その成長過程こそがアンジュルムの核である。アンジュルムというグループの中に、一番太い、真ん中に通る骨を作った。アンジュルムの中心にはその柱が通ってしっかりと立っているから、新人として誰が入ってきても大丈夫なのだ。そんなグループになった。だからアンジュルムはモーニング娘。とは別の存在になれた。これはハロプロの新基軸であり、あやちょ以外の誰にも成しえなかった。


だから私があやちょに思うことはたった一つ。どんどんやれ。この一言しかない。他の誰にも真似できない創造性を持った思想家に、ほかに言えることなんてある?想像がつかなかったものを生み出した芸術家に、他に言えることなんてある?何もないでしょう。

あえてアンジュルムの姿勢を言葉にするなら「可愛いこともきれいになることも否定せず、自分の権利も主張しながら表現者として成り上がり、かつ幸せになる道を自分で模索する女性」あたりだろうか。若い女性ファンが増えるのも当然である。そしてその信念通り、アンジュルムの女たちは自分の頭で考えて、自分の野望のために行動していく。ハロプロにいる間がキャリア・ハイではない。その先でもいろんな道へ進んでいく。田村芽実ちゃんは本当に素敵なミュージカル俳優になった。めいめいが私たちハロヲタをふたたび帝国劇場に連れていってくれると、私は信じている。

ちなみにカントリー・ガールズは「かわいいだけでなんとかなる、か?」というデビュー時の秀逸なキャッチコピー通り、「かわいい女の子がかわいい服でかわいい歌を歌う、という生身の人間が続けるには厳しいほど純度の高いアイドルらしさをキープするために、メタ視点とギャグを織り交ぜてプレゼンする」という最高のコンセプトでけっこう成功していたのだが、桃子の引退とともにつぶされてしまった。Juice=Juiceは「研修生から歌唱力エリートを次々と選抜して、歌のアベンジャーズを作る」という新機軸を見いだし、これもいったんは成功していた。Juice=Juice最初のCDアルバムの一曲目が『選ばれし私達』だったのは、まさにその象徴であったと思う。Juice=Juiceは宝塚における「雪組」になっていた、と思う、朋子卒業で横浜アリーナを埋められるくらい動員できていたんだし。それなのに、今はそのコンセプトが消えている。これからどうするつもりなのかよくわからない。つばきファクトリーもまだ未知数だ。両グループにはきっとこれから2、3年かけて、新しい色が出てくるのだろう。期待しながらゆっくり待っている。

4位 愛されルート A or B? / アンジュルム


めずらしい三拍子の曲。この曲をもって卒業する、ももにゃこと笠原桃奈ちゃんの魅力が大爆発している。卒業直前最後のシングルでようやく卒業メンバーの魅力が開花して「何でもっと前からこれをやれなかったの!?」とファンが怒る。これもまたハロプロの恒例行事である。『泡沫サタデーナイト!』の鈴木香音ちゃんもそうだった。

おそらくこの現象は「星は爆発する前が最も輝きを増す」のと同じ原理なのだろう。辞めるからこそ、自分に知らず知らず課していた心のカセが外れて、好きなように自分を表現することができるようになる。結果として限界を超え、その人にしかない魅力が花開く。それにようやく周囲が気付く。でも、もう遅い。そのときにはもう若い少女の心はとっくによそにうつっている……。卒業のたびに、何回も繰り返されてきた悲劇だ。「私の魅力に気付かない鈍感な人」にはなりたくない!って私もずっと思っているんだけどね。むずかしいね。ごめんなさい。

5位 ミステイク / ハロプロ研修生ユニット(現OCHA NORMA)


2021年・ハロヲタが聴かされた回数ランキング第一位の曲。なぜなら、ハロプロがおこなったほぼすべての興業でオープニングアクトとして披露されていたためである。私も何回聴かされたかわからない。研修生オタクの皆さんはもう聞き飽きて、うんざりしていたはずだ。でも私はこの曲好きよ。特に4人時代の『ミステイク』が好き。デビュー前のメンバー4人が不安そうな面持ちで登場しながらも、どんなアウェーの会場でも力強く歌い踊っていた印象が強い。歌も上手だった。落ちサビ導入部の斉藤円香ちゃんの「だめね」(この動画の2:54)と、落ちサビ最後でウィンクしながら観客を指鉄砲でうつ石栗奏美ちゃんの「だから」(この動画の3:10)が好き。好きだったんだけど、新メンバーの加入によって両方ともパート割が変わってしまった。残念。

誰かを好きになりそうで、でもまだその気持ちを認めたくない。初恋の感情のコントロールを知らない、でも不器用なりに策略をめぐらす少女の心の揺らぎを描いた歌詞も最高だ。

6位 このまま! / モーニング娘。’21


ライブが楽しい、明るい曲。近年の娘。に提供された唯一の明るいアイドルらしい曲である。この曲だけを頼りに生きていくのはつらいです。つんく♂の初恋真っ最中の浮かれトンチキな楽曲をもっと出してください。私もそろそろ、ドクターストップがかかるほど「恋落ち」したいんです。よろしくお願いします。

7位 激辛LOVE / BEYOOOOONDS

山崎夢羽ちゃんがサビ後に一回だけ舌を出すのがアップになるところが好き(この動画の1:46)。そこを見るためだけに20回くらいMVをリピートしている。他のメンバーがあまり舌を出さないのはどうしてなんだろう?カメラに抜かれていないだけなのかな?みんなやってほしい。

2021年の夢羽ちゃんといえば映画『あの頃。』である。夢羽ちゃんは劇中で、当時のあややこと松浦亜弥さんに扮している。これがきちんと当時のあややに見えて、すごくよかった。

『あの頃。』という映画は、なんだか筋書きに「照れ」があった。照れないで!もっとはじけてよ!上京して、「神聖かまってちゃん」のマネージャーとして売れて、ベーシストとしてもフジ・ロック・フェスティバルにまで出て、コミックエッセイも出してTVにも出て、素敵なパートナーができて子どもにも恵まれ、ハロメンとも共演して、ついに映画化したぜ!主演は松坂桃李だぜ!ハロメンに仕事を作ってハロプロに恩返しもしたぜ!うはははははは!……という主人公の展開まで含めてこそ、うだつのあがらない若者の「成り上がり」物語だと私は思うのだが。そこまで描いてこそおもしろい、いやむしろそれこそが必要では?その「落ち」がないと、ただの謎の若者集団の謎の趣味と謎の盛り上がりとその終了と別れの話になっちゃって、読後感がわけわかめだよ!!……と感じてしまった。アイドルへの情熱がだんだん冷めていくところも、それぞれにアイドルよりも大切な何かを見つけて徐々に散っていくところも、それでも友情は細々と続いていくところも、病気とともに三次元女性に耐えられなくなり二次元にはまっていくさまも、忌憚なく描いてほしかった。そのなかで上京した主人公が「俺だけは音楽で成り上がっていく!一緒に馬鹿やってた昔の仲間と離れて、なんとか成功したぜ!でも心の中では当時のことを決して忘れていない!だから、この物語を描いた!」まで突き抜けてくれれば、私は『トレインスポッティング』と同じ味わいで楽しむことができたと思うのに。でも、物語はそのずっと手前で終わってしまった。

実際の原作では、コズミン(役名)が死ぬとき、主人公はすでに神聖かまってちゃんのマネージャーとして表立った仕事を順調に行っている成功者になっている。でも、あまりそうは描写してくれない。もっとガツガツしてくれ、主人公。もっと野心をもってくれ、主人公。もっと自我を見せてくれ、主人公。それがオタクってもんだろ。そこになんだか「かっこつけ」というか、「照れ」が見えてしまったのだ。

私はオタクなので劔さんのその後のご活躍を知っている。だから、映画の後を脳内補完して楽しむことができる。でもそれはあくまで作品外の予備知識だ。ちょっとだけでも映画内で示して欲しかった。本音を言えば映画の中で現実と交差して、劔さんが自分の過去のマンガを描く、さらにそれが映画になるところまでやってくれたってよかった。ちょっとメタフィクションくさくて萎えるかもしれないけど、そこはまぁ上手くやってもらって。原作の「ダメな若者ばかりだけど妙に爽やかな読後感」との差は、結局、主人公があの後どうなるのかよくわからないことにあるのかなぁと思った。

演出や楽曲、小道具の時代再現や役者さんの演技は素晴らしかったと思う。コンサート会場の客席の再現度も完璧だった。石川梨華ちゃん卒業コンサートにいた、大箱の卒コンだけにはチケット譲渡も辞さずに参加するお堅い職業の一人参加の高齢女性ハロヲタは、一瞬自分のことかと思ってしまった。物語全体で見ればあの女ヲタはなんで出てきたのかよくわからない存在だったけれど、観客である私が「おっ自分のことかな?」と思う人物が出てきたという事は、ハロヲタを細部まで描けているということなんだろう。たぶん。

2021年は以上です。2022年は今のところモーニング娘。の『よしよししてほしいの』一強の予定です。いまだ続く新型感染症のせいで新曲をリリースすることすら大変なご時世かと思いますが、一曲でも多く新鮮な曲が聴けることを楽しみにしています。(2022/10/30)

2020年 ねじ子の子ども向けおもちゃランキング

※今更2020年末の記事です。新型感染症流行に免じて許してほしい。

ねじ子のおもちゃ大賞2020、簡易コメントつきです。

新型コロナウィルス流行下におけるステイホームの中、おうちで子どもたちと長時間過ごすために2020年はかなりたくさんの子ども向けおもちゃで遊びました。2020年おもちゃランキングのレビューを当時書いていたので、ここに載せておきます。自分で買って遊んだものの中からのランキングです。

2021年のハロプロ楽曲ランキングの筆がなかなか進まず、逃避してる間に書いた側面もあります。

1位 鬼滅の刃 DX日輪刀(竈門炭治郎)

素晴らしい。

まず、長い。DX日輪刀という玩具の素晴らしさはその「長さ」にある。きちんと長い。剣の長さと重さを感じながら、子どもたちが振り回すことができる。剣という武器は長く、重く、重心のコントロールが非常にむずかしい武器なのだ。だからこそ、持ち手から剣先まで十全にコントロールができた瞬間にもっとも強い威力を発揮する。身体的高揚感を味わうこともできる。刀とはそういう武器だ。ヒーローが長物をぶんぶん振り回して刃先をコントロールしているからこそ、かっこいいのだ。時代劇の殺陣やスターウォーズのライトセイバーだって同じ。チャンバラ・アクションの楽しさの起源はここにある。

近年の小児用の剣のおもちゃはどんどん刃が短くなっていた。新しい剣のおもちゃは毎年のように発売されていたけれども、少子化のせいなのか、原材料費高騰のせいなのか、安全基準のせいなのか、長さがどんどん短くなっていたのだ。「長物を振り回すと楽しい」という実感は、近年の剣の玩具から失われていた。

長さ比較。

上からビルドのDXドリルクラッシャー、ジオウで「ン我が魔王!」が口癖の人が使ってたステッキ(今検索したら仮面ライダーウォズのDXジカンデスピアーという商品名)、ゼロワンのDXアタッシュカリバー、アイドルのMIX口上そっくりな音声がやたらでかい音量で流れるニンニンジャーの刀、次男がこれまでの人生で最も長い時間遊んだおもちゃ・ルパンソード、リュウソウケン、そしてDX日輪刀。日輪刀が群を抜いて長いことが一目でわかると思う。

ちょっと昔の、長男のころのコレクションとも比較してみた。

上から仮面ライダー電王のデンガッシャー・ロッドモード、ディケイドのカードを入れる本の形の剣(DXライドブッカー。お気に入り)、Wのヒートメタルの棒をめいいっぱい伸ばした状態、オーズのメダジャリバー、鎧武の剣(これは二つの商品をくっつけてる。お値段二倍なのでちょっと反則)、DX日輪刀、キョウリュウジャーの獣電剣ガブリカリバー、シンケンジャーのDXシンケンマル、ゴーオンジャーのマンタンガン(変形して銃にもなる。お気に入り)。昔の商品と比べても、DX日輪刀はかなり長めの刀である。「長男と次男の間の数年に日本はこんなに不景気になったのか……」とも言えるし、「シュリンク・フレーションもいい加減にしろや!消費者舐めんな!親は気がついているぞ!」という憤りも、まぁ、ある。だからDX日輪刀の長さは素直に嬉しかった。これが売れたことはおもちゃ好きとして小気味よくすらある。いい商品が売れるのは嬉しい。

DX日輪刀は『鬼滅の刃』主人公・竈門炭次郎のなりきりアイテムである。なりきり玩具において最も重要なのは「子どもがなりきりたくなるかどうか」。つまり原作マンガおよびアニメの『鬼滅の刃』の充実度と没入しやすさこそが最も重要になる。

原作マンガ『鬼滅の刃』は2年ほど前から小学生の間で大流行していた。

炭治郎と禰?豆子の迷いのない家族愛。迷いなくわかりやすい理想の上司であり、恵まれた環境にいながらも弱者を救うために自身の力をすべて使い、強い暴力や権力への誘惑には決してなびかない煉獄さん。その喪失。わかりやすく女好きでへたれで普通の少年・善逸。いつも前向きで元気に強く、ギャグもこなしてくれる猪突猛進な伊之助。悩み多いクールな二枚目の義勇。プリキュアやセーラームーンそのものである女子戦闘集団の理想のトップ・胡蝶しのぶ。その姉・カナエは小学生女子が憧れる「大人の女性」として完璧であったが、妹のために死んでいる。しのぶの下には、人に心を開けない妹分の少女カナヲがいる。姉たちを見ながら、カナヲも他の少女たちも成長する。どのキャラも正しくて優しくて強い。子どもたちが自分を重ねるのにぴったりだ。その中の誰かを選び、共感し、キャラクターになりきりって物語を楽しむことができる、そんな登場人物が取り揃えられている。

弱者や市民を守るヒーローを冷笑する風潮は、一切ない。悪役が可哀想な過去を少しさらしただけで(これまでどれだけの悪行を重ねていても)「悪には悪の事情がある。だから人を殺していても許す。感動した!」というような、悪役への奇妙なおもねりも一切ない。弱者を守るために必死に闘う真面目で真摯な鬼殺隊が、悪い奴らを倒す。悪役はすがすがしく倒され、みじめに醜態をさらして死んでいく。

ステイ・ホーム期間に、インターネット上の様々なサブスクリクションサービスで『鬼滅の刃』一期アニメが全話公開されていたことも効果的であった。学校が休みで死ぬほど退屈していた日本中の子どもたちが、親のスマホやiPadやAmazon Fire stick TVで鬼滅のアニメを再生したのだ。紙の鬼滅の単行本は、その時期ずっと品切れであった。鬼滅のアニメ一期は、新型コロナウィルス感染症という突然来た世界的なパラダイム・シフトとステイホームの時代に奇跡的にぴったりと合ったのだ。そうやってステイホーム中にため込んでいた視聴者が、アニメの続きを見るために映画館に向かった。みんないっせいに向かった。

『無限列車編』映画公開は、たまたま、本当にたまたま、コロナウィルス感染者数が比較的少ない時期であった。でもなかなか遠出まではできない。海外旅行はもとより、都道府県をまたいだ旅行や、人が多いイベントを躊躇する空気の中、一席あけて市松模様で座席を販売をしてくれる「近所の映画館」は、さまざまな人にとって格好の週末の娯楽となった。家族連れも安心して行ける数少ない目的地にもなった。そのタイミングの奇跡こそが映画『鬼滅の刃 無限列車編』400億円の原動力であったと、私は思う。一期アニメの連作の素晴らしさ、公開タイミングの良さ、そしてもちろん『無限列車』のストーリーの素晴らしさと映画としての出来のよさ、これらすべてが重なった結果だ。こんな私でも、息子のお付き合いで1回、4DXを体感するために1回、計2回無限列車に乗った。どちらも客席は埋まっていた。

DX日輪刀はデザインもいい。アニメで刀の周りに出現するエフェクトをそのままプラスチックで再現させて、刀のまわりにくっつけちゃおう!と最初に考えついた人は天才である。刀は二本入っており、長い方がもともとの炭治郎の水の呼吸の日輪刀、短い方が刀が折れた状態でヒノカミ神楽を初めて出したときの日輪刀だ。本物の炭治郎の声優さんの声で、水の呼吸 拾ノ型まで鳴ってくれる。ヒノカミ神楽は「演舞!」のみ。

子どもたちはさらに上を求め「鍔が外れないのかー!煉獄さんの鍔を入れたいのに!外れたらもっとよかった!」「ヒノカミ神楽を長い刀で出したいよー!」と言う。アニメではまだそこまで放送してないので、それは玩具でネタバレをすることになってしまう。現時点では無理だ。このおもちゃが売れまくって、今後そのような商品が出ることを期待しよう。

余談ですが、私の好みは当然のように甘露寺蜜璃ちゃんです。蜜璃最高にかわいいよ!!でもたぶん蜜璃の子ども用玩具は出ない。だって観測中の保育園の女児人気は圧倒的にしのぶさん>>>>>>>>>>>>>禰?豆子=カナヲ>>>>>>>>>>蜜璃ちゃんだから……。どうして……。

2位 快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー -VS MEMORIAL SET-

最高。Wレッドの劇中音声が全部聞ける。とくに私の大好きな劇伴「快盗演舞」が変身音と名乗りの台詞とともに流れて嬉しい。

販売ページはここ↓
快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー -VS MEMORIAL SET-| プレミアムバンダイ 

2019年末、自分へのクリスマスプレゼントとして予約注文したあとでゆっくり商品説明の詳細を読んだが、このおもちゃには私の大好きなルパンイエローの要素が全然ない。ブロマイドに少しうつっているだけだ。

戦隊ブログvol.107 ルパパトのメモリアルアイテム、予約受付開始! | スーパー戦隊おもちゃウェブ | バンダイ公式サイト

商品開発者さんのライナーノーツがとても熱くて嬉しい、新規音声収録たくさんで嬉しい、私の一番好きな劇伴『快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ』がボタン一つで流れるだけでも1万円の価値はある。やったね!

しかしうみかちゃんの要素が全然ないな(小声)

全員分の音声を少しだけでも入れてくれてもいいのよ、ほら変身かけ声とか名乗りとかさ……。と思っていたのだが、まぁ結局、入りませんでした。メンバー全員の声を変身音だけでも入れてほしかった。その後発売されたDXリュウソウケンには全員分の音声が入っていて、とてもうらやましかった。

Wレッドの音声がたくさん聴ける(ほんの少しノエルも出てくる)のはとても楽しい。劇中再現もはかどる。当時販売のDX玩具にも音声対応しているので、そちらでの拡張遊びもできる。

※ここからはこの記事の再放送となります。

プレミアムバンダイはいつからか、私達ハロヲタの財布を狙わなくなった。当初はルパパトWヒロインのグッズだの何だのを出してきていたというのに、今はまったくない。最近のルパパト商品発売ラインナップを見ても、プレミアムバンダイはハロヲタの方を向いていない。Wレッドとエックスの商品ばかりだ。

これはルパパトという作品およびWレッドとノエルにたくさんの新規ファンがついて、金銭化のめどが立っているということなんだろう。ハロヲタを頼りにしなくてもルパパトという商材が購買力を得たのだ。素直に喜ぶべき、素晴らしいことだ。

癒してハロプロ てれびくんのルパパトヒロインDVD 本編16分で6500円っておかしくない?

ハロプロニュース : 【工藤遥効果】子供の味方「てれびくん」がおっきなお友達向けの商売に手を出してしまう

いつかのてれびくんDVDのように、おたくの財布を狙われまくって足元を見られまくって、ハロヲタの間でも激しく意見が割れてしまうような事態はもう二度とごめんだ。工藤ファンの中からも「あんな商品をあんな値段で買ってはいけない」「あんなぼったくりDVDでもファンは買う。足下を見られてるんだよ」「あんな値段でDVD買った奴がいるから、小学館は調子に乗って15000円もする超全集を出すんだ」という声も聞いた。その意見は正しい。私も当時、怒髪が天をついた。私は古い人間なので10年前に『てれびくん特せい 仮面ライダーオーズ超(ハイパー)バトルDVDクイズとダンスとタカガルバ』(本編23分)を送料込1250円で購入したことを、きちんと覚えている。物価高騰を加味したとしても、本編16分で6500円はあまりに高すぎる。ファンを分断するような売り方は二度とごめんだ。ごめんなんだけど。

……相手にされないとそれはそれで、嬉しいような、少しさびしいような。

3位 きめつたまごっち

2020年は結局ずっと鬼滅の年だった。この商品は「開発者はとても鬼滅が好きなんだろうな」とわかる仕様で、すごくよかった。きめつたまごっちは鬼滅の本編にそった成長をみせる。

最初は名もない「癸」の鬼殺隊士が登場する。この初期キャラクター(うちでは「村田さん(仮)」と呼ばれている)を「死なない」程度のギリギリで最大限ほおっておくと、伊之助になる。解釈一致。ほどほどに世話をして、あまり鬼を倒さないでいると「甲」の隊士には出世せず、かまぼこ隊のどれかになる。ちなみに炭次郎を育てたあと丁寧にお世話をしていると禰?豆子を連れてきてくれる。解釈一致。

村田さん(仮)をきちんと世話して定期的に現れる鬼たちを三回以上倒すと「甲」に出世する。その後、柱の誰かに分岐する。私はいつもご飯とお茶をたっぷりあげすぎてしまうので、蜜璃ちゃんに育つ。これまた完全な解釈一致。蜜璃ちゃん今日も最高にかわいいよ!!!(女性アイドルにかけるかけ声)

……私は大満足だが、息子たちは不満そうである。そしてリセットされてしまう。死ぬか、リセットするか、電池が切れないと次のたまごっちを育てられない仕様だからだ。

さまざまな鍛錬を何回も繰り返すこと、それがノーミスでできたか否か、鬼を殺すスピード、食事量などによってどの柱になるかの分岐先が変わる。これが結構むずかしく、なかなか狙った柱に育ってくれない。狙った進化先にするための発動条件は公式からいっさい発表されていない。ネット上にあるユーザーの経験談に頼るしかないのだ。

そして──これが最も重要なことだが──鬼滅たまごっちたちはあっさりと死ぬ。鬼に襲われて、本編通りにあっけなく死ぬ。たまごっちを家に忘れて仕事に行くと、帰ったら死んでいる。たまごっちの存在を一日忘れると、もう死んでいる。本編と同様に、決して生き返らない。なんたる解釈一致。原作と同様に、隠(カクシ)の皆さんがやってきて亡骸を持ち去っていく。

あんなに頑張って煉獄さんにしたのにさぁ!!!私の馬鹿!いまわのきわの煉獄さんに「俺の方こそ貴女のような人に生んでもらえて光栄だった」と思ってもらえるような立派な母に、私はなれていたでしょうか?どう考えてもなれてないです!

この散り際のあっけなさと命の取り戻せなさも非常に『鬼滅の刃』らしい。それと同時に、往年のたまごっちと同じ楽しみ方もきちんとできるので、これは非常によくできたコラボだと思う。一日一回特に意味もなくお館様や無惨様や珠代さんの猫が出てきてくれたり、第二弾ではしのぶさんがカナヲちゃんに進化したり、煉獄さんのもとへ弟くんがたまに来て掃除してくれたり、細かいイベントも作り込まれていてやりがいがありました。

4位 DXゼロツープログライズキー&ゼロツードライバーユニット

仮面ライダーゼロワンのおもちゃはとにかくデザインが最高。可動変形も最高。機械仕掛けの音声も最高。

これは従来ならば最終フォームにあたる仮面ライダーゼロツーに変身するための追加玩具である。ゼロワンドライバーのパーツを一部外して、上からつけるシステムもすごく面白い。見た目が大胆に変わって楽しい。

TV本編中の仮面ライダーゼロツーは、コロナの放送中断が重なった不幸によって、ほとんど活躍の場がなくなってしまった。それはもちろんしかたのないことであり、そのハンデをもってしても、ゼロツーのおもちゃは最高におもしろかった。映画『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』でゼロツーの役割がとても美しいかたちで新しいイズに引き継がれたのもよかった。

ただし!ゼロワンTV最終回の「きみはイズだ」という或人の発言は、ヒューマギアという商品の存在意義、ヒューマギアに自我を認めるか否かという古典的議題への結論、或人のヒューマギア製作会社の社長としての社会的責任、つまり一年間積み上げてきた物語と「主人公のヒーロー性」をすべて台無しにする壊滅的台詞だと思う。あれはいったいなんだったんだ。

5位 ポケットモンスター スマホロトム

気の抜けた音声がとてもいい。ポケモンのアニメが新作になるたびに出る、液晶つきのおもちゃである。3DSやSwitchでポケモンの本編をやるにはまだ早い幼児向けの商品だ。簡単な物理操作でポケモンをゲットして、図鑑の完成を目指すことができる。ポケモンにふれてみたい、でもまだ数万円するビデオゲームを買い与えるには早い年齢の保育園・低学年幼稚園児にぴったりだ。

なんといっても玩具としての寿命が長い。これがスマホロトムの最大の利点である。3年間は使える。ゲーム本編ができるようになればこのおもちゃは不要になるが、それでも3年間は使える。ありがたい。

写真右は同機種の前の型、2018年発売の「ポケットモンスター ウルトラゲット! ロトム図鑑」である。2つの物理ボタンが「決定」と「戻る」にあたり、横についてるロトムの手(棒)を回して上下を操作する。液晶はタッチ対応してない。写真左、後継機であるスマホロトムは2020年発売。きちんとスマホっぽいユーザー・インターフェイスになっている。液晶もタッチパネルで、液晶タッチとホームボタンで操作する。自分のスマホが欲しいけれど、当然まだ買ってもらえない子どもたちの「憧れ」にぴったりフィットしたユーザー・インターフェイスに進化しているのだ。素晴らしいね。

6位 仮面ライダーセイバーのなりきり玩具類(DX聖剣ソードライバー)

2020年の園児用クリスマスプレゼント筆頭商品。次男はセイバーが大好きである。「剣で変身するライダーって他にいないでしょ。かっこいい」がその理由だそうだ。なるほど、確かに。セイバーのベルトをもらって本当に嬉しそう。変身ギミックは三冊並べて剣を抜く、という過程で、オーズドライバーにそこそこ似ている。

仮面ライダーセイバーのベルトには、初期装備である「プッシュ必殺技」ができないという致命的欠点があった。プラスチックのパーツが干渉してぶつかりあうために、ページを押し込むことができない。無理やり押すとミシミシ音がして、ライドブックのページ下部のプラスチックがへこんで傷がついてしまう。やりすぎると折れそう。そもそもあまりに堅く、うちの個体では大人が押しても必殺音が鳴るところまで至らなかった。子どもはそのギミックに気づいてすらいなかった。分解して改造したブログなどによると、内部のプラスチックのパーツ形状の不備で、単純な設計不良のようである。

プラスチックのおもちゃを傷がつくほど強く推すことを、4歳児に教えることはできない。おもちゃを壊してしまう。保育園や児童館のおもちゃ、友人に借りたおもちゃを子どもが同じくらいの力で押すことを覚えてしまったら困るから、プラスチックが壊れるほど強い力でおもちゃを押せとを推奨することは私にはできない。

きちんと試遊して欲しかった。対象年齢の子どもを使って試しているとは到底思えない。きっとコロナのせいで細部を作り込む時間がなかったり、工場との伝達がうまくいかなかったりしたのだろう。それでも、一万円近くする子ども向けおもちゃで大事なギミックが一つ死んでるのはきつい。そしてなによりも、これを「仕様」とし、メーカー対応がなかったことに私はとてもがっかりした。初期ロット以降はバンダイが対応してくれるかと思って、クリスマスまで待っていた親御さんもそこそこいたと思うのだが……。今どきの親子はTwitterやYouTubeでレビュー動画をじっくり見てからおもちゃの購入を決めるから、商品の不備にごまかされたりはしないんだよ……。

さてここからは少し話題を広く、コロナによるパラダイム・シフト後の仮面ライダーについて書いてみる。

悲しいことに、幼児の間で、仮面ライダーと戦隊の知名度がどんどん減っている。恒常的で手軽な安価の見逃しネット配信が存在していないからだ。(TTFCにいきなり1000円払って入る人はよほどのマニアしかいないし、マニアはすでに全員入っている。)いまや、特撮番組そのものよりも特撮玩具系Youtuberの方が子どもたちに名が知られているかもしれない。

子どもたちには、ネットで無料または、親がすでに加入している配信サイトで見られるコンテンツしか「存在すら」していない。それだけでも見きれないほどのコンテンツがある。

前述の『鬼滅』はもちろんのこと、『パウ・パトロール』(NetflixとHulu)、『ウルトラマン』シリーズ(YoutubeとAmazon Prime)、『すみっこぐらし』(Amazon Primeで見た映画が最高でした)、『フォートナイト』と『マインクラフト』(どちらもオンライン通信が無料。だから子どもに強い。ちなみにスプラトゥーンやあつ森やスマブラのネット通信対戦には、有料のNintendo Online加入が必要。年間500円しかかからないが、それでも子ども人口の差はそこで大きく出る。親がゲーマーでないと厳しい)。これらの商材の子ども向け利用率の高さの正体は、(子どもたちにとっては無料の)ネット配信の恒常性だと私は思う。

※『フォートナイト』はオンライン対人バトルロワイヤルであり、CERO:C(15才以上対象)のゲームである。小学生向けの児童雑誌「コロコロコミック」の『フォートナイト』の連載漫画の巻末には必ずこのような説明ページが入っている。

さて、今の話題は仮面ライダーシリーズだ。

2019年7〜9月頃に、それまでAmazon Prime Videoにあがっていた有名東映特撮TVシリーズが軒並み配信終了した。具体的には、TVシリーズの仮面ライダーカブト・仮面ライダー電王・仮面ライダーディケイド・仮面ライダーW・仮面ライダーオーズ・仮面ライダードライブ・仮面ライダー鎧武など。名作映画の『仮面ライダーW FOREVER A to Z/運命のガイアメモリ』『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』『劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』など。そしてクソ映画として誉れ高い『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』などもだ。ライダーも戦隊も、Amazon Prime Videoの動画見放題作品がほぼなくなってしまった。

なぜこれら過去の名作が突如レンタル扱いになったのかはわからない。その半年後に訪れたコロナ禍と、それに伴うステイホーム需要下においても、これはまったく変わらなかった。非常にもったいなかった。緊急事態宣言下において、仮面ライダーを追加料金なし配信で見られるサブスク環境はdTVかHuluくらいであった。どちらも入っていないご家庭が多いだろう。ちなみに私のHuluは、見たい作品があるときだけの限定契約である。最後に使ったのは何年前だろう?子どもがアンパンマンにガチはまりしていた時かな?

現行作品は無理だというなら、東映特撮は今すぐ、過去作(特に名作と言われている作品)を有名どころのネット配信に全話まるごと永続的にあげておくことを私は強くおすすめする。そうだな、仮面ライダー龍騎と555とWとオーズとエクゼイドとビルド、デカレンジャーとゴーオンジャーとシンケンジャーとキョウリュウジャーとトッキュウジャーとルパパトあたりがいいかな……。これらをネット上のどこか、できればYoutubeかAmazon Primeで、いつでも全話見られるようにしておくことを本気でおすすめする。まじで。そうしないと、子どもたちがライダーと戦隊を知らなくなっていってしまう。

※これを書いた2021/2/28はまだそうでした。2022年3月からようやく、Amazon Primeに一部の仮面ライダーと戦隊シリーズが復活してきています。現行作品も、戦隊は2022年3月から、ライダーは2022年9月からようやく、Amazon Primeでアーカイブが配信されるようになりました。これは同業他社のウルトラマンのネット展開のフットワークの軽さと比べると明らかに遅く、コロナによる巣籠もり需要を逃してしまったように感じます。

2020年はこんな感じです。2021年はDX日輪刀(胡蝶しのぶ)がきっと私の中で一位になるでしょう。いや、煉獄さんのDX日輪刀が出るなら、煉獄さんかな。(2021/2/28文筆、2023/1/24 uploaded)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(後編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

6位 ご唱和ください 我の名を! / 遠藤正明

特撮番組『ウルトラマンZ』オープニング主題歌。テンションが上がる最高の曲。
『ウルトラマンZ』は最高の特撮ドラマだった。ウルトラマンは『Z』以降、大躍進している。私が思うその理由は以下である。

・Zのシナリオが完璧、完璧、完璧。
・ZのSF考証もバトルも映像も巨大特撮も最高。
・坂本監督は最高です!
杉原監督がルパパトで見せたあのグルグルまわるカメラワークを、坂本監督がリュウソウジャーで学び、ウルトラマンZに持っていったことがよくわかる映像美だった。あのカメラワーク、本家の戦隊では最近ぜんぜんやってくれないんだよね……。どうして……。
そして坂本監督の過去作リブートの巧みさは、あいかわらず卓越している。『MOVIE大戦アルティメイタム』のときに坂本監督は「石ノ森アベンチャーズやりたい」って言っていた(できていない)。それを実際に実現しているのが『ウルトラギャラクシーファイト』である。太っ腹にもYouTubeで無料配信である。世界中のファンが同時に盛り上がっている。ウルトラマンは古くなっておらず、10年前に買った指人形すらも現役のおもちゃとして使える。
・人物描写が最高だった、とくにヨウコ先輩とマッド・サイエンティスト・ユカ。キラメイジャーの女性描写の前時代ぶりと女子陸上選手をお尻のアップから撮るカメラワークとは雲泥の差であったと言わざるをえない。
・思わせぶりで、たっぷりと過去作を持つヘビクラ隊長の怪演。「ヘビクラの過去を知りたい!」というZ新規視聴者の欲求と、過去作がネットで見やすくなっているウルトラのネット環境の良さが、ぴったりとはまった。2021年12月現在ではついに、ニュージェネレーションのすべてがAmazonPrimeで見られるようになっている。これらは今のウルトラの強さの源だと私は思っている。
・ネット配信の充実ぶり
最も重要。『ウルトラマンZ』は、TV放送からすぐにYoutubeやAmazonPrimeで見ることができたため、簡単に本放送に追いつくことができた(緊急事態宣言のステイホーム中に見始めた)。ネット上での特別番組や見逃し配信も多く、子どもも親も非常にアクセスしやすい。コロナの自宅待機時期に放送されていて、一話も飛ばさずに全話放送できたことも(偶然のタイミングであったのだろうが)よかった。どこにも出かけられない子どもと親の憂鬱を、『Z』は大いに晴らしてくれた。

・ソフビの出来がよく、値段も手頃で、怪獣も含めたコレクタブルな玩具として充実している。ライダーの小物商法よりも廉価だし、一年で使い捨てにされない。出番も活躍もある。
ウルトラマンのソフビは『ウルトラマンギンガ』当時に一新され、サイズがぐんと小さくなった。私は同時とてもがっかりしたし、ぶーぶー文句も言った。言ったけど、いやぁ、私が完全に間違っていました。すみませんでした。
(現状の「仮面ライダー」ソフビは値段の高さと無駄な大きさと塗装の少なさが目立ちすぎるし、現状の「戦隊」のソフビはついにレッドと追加戦士以外はろくに販売されなくなってしまった。ギンガ当時のウルトラソフビの展開は、きちんと時代に沿った戦略だったんですね……。)
・怪獣の人気が根強い。過去怪獣を最新の番組に出せるシステムを、十年掛けて作り上げた。ヒーローと戦わせるブンドドの相手役として最適である。(仮面ライダーの怪人はおもちゃとしてなかなか根付かないのか、敵もライダーばかりになってしまった。)

・DX玩具の出来のよさ
ウルトラマンZの変身玩具『DXウルトラゼットライザー』は、10年に一度の傑作玩具『仮面ライダーオーズドライバー』と同じシステムであった。(そして偶然なのか何なのか『仮面ライダーセイバー』の三冊変身システムもオーズドライバーによく似ていた。)
私はDXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくて、いてもたってもいられなかった。しかし時は緊急事態宣言下である。おもちゃ屋さんも営業していない。仮面ライダーオーズのDX玩具を持っている子どもたちは、『ウルトラマンZ』をめちゃくちゃ楽しく見ているものの、DXウルトラゼットライザーとウルトラメダルにあまり興味を示してはくれなかった。長男には、はっきりと「うちにはオーズのベルトとメダルがあるから、Zライザーは別にいいかな」と言われてしまった。彼らの年齢的にも「なりきり」の欲求がすでに希薄になりつつあり、玩具の可動システム自体に興味が移行している時期ゆえの当然の反応なのだと思う。でも私は、DXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくてしかたがなかった。

コロナが落ち着いた7月頃に、私はようやくおもちゃ屋さんへ行くことができた。久しぶりに行ったおもちゃ屋からは、玩具を直接さわれる「試遊コーナー」が撤去されていた。そりゃそうだ。セブンガーはどこへ行っても見る影もなく、ウルトラメダルセットも売り切れの店が多かった。

たまたま仕事で東京駅を通ったとき、専門店・ウルトラマンワールドM78 東京駅店にて私は初めてDXウルトラゼットライザーをさわることができた。店員のお兄さんが飛んできて、本当に丁寧に、うれしそうに使い方を教えてくれた。東京駅のウルトラショップの店員さんはウルトラマンが大好きな人たちばかりで、いつも本当に親切にウルトラマンを教えてくれる。私は何年たってもウルトラマンと怪獣の解像度に自信がないので(頼まれたものと違うものを買ってしまいそうになる)いつも店員さんに助けてもらっている。コロナで会話がマスク越しになっても、以前と変わらず親切な店員さんが饒舌に商品を教えてくれることが嬉しかった。知らない人と好きな作品について長い時間話す、という体験自体も本当に久しぶりだった。
店員さんもきっと嬉しかったのだろう、私もいろいろと質問された。Zからウルトラマンを好きな子どもが保育園にどんどん増えていること、ほかに流行っているヒーローのこと(鬼滅と答えた)、どの媒体でZを見ているか(店員さんはYouTubeだと思っていたようだが私はAmazonPrimeと答えた)、ヘビクラの過去を知りたければ何を見ればいいのか、これからYoutubeで新作の配信が始まるからぜひ見て欲しい!おすすめです!ということ……いろいろ教えてくれた。
おそらく私よりも一回り以上若い店員さんから、ウルトラマンが大好きで大好きでしかたがないという激情があふれ出ていた。それはコロナ禍で人と人が分断されている中、私が久しぶりに感じる生命の息吹であった。10年ほど辛酸をなめながら地道に蒔きつづけていたウルトラマンというコンテンツの種が、ついに芽吹き美しいつぼみをつけ始めている。彼は再生の瞬間に立ち会っているのだ。その高揚感がこちらにも痛いほど伝わってきた。コロナによる圧倒的閉塞感と不景気の中で感じる、数少ない沸き上がる情熱に私も嬉しくなった。

7位 ポケモンしりとり / ポケモン音楽クラブ(増田順一/パソコン音楽クラブ/ポケモンキッズ2019)


アニメ「ポケットモンスター」エンディングテーマ。

2020年から始まった新しいアニメシリーズ、無印の「ポケットモンスター」。そのEDが『ポケモンしりとり』である。子どもたちと一緒に歌える、遊び歌だ。ポケモンセンター内の回復音のSEがジングルとして入るところがよい。「しりとりで一回『ん』になって瀕死になったけど、また生き返った」ということがよくわかる。子どもたちの歌声もいい。

この曲は今後、長く使える。これは私事であるが、たくさんの子ども達と、ある程度の時間を一緒に潰さなければいけないとき(電車を待っている、渋滞中のバスの中、遠足の合間の待ち時間など)私ができる最も効果的な遊びが「ポケモンしりとり」である。ポケモンの名前だけで、ひたすらしりとりをする。たとえ初めて出会った子どもばかりであっても、子どもがポケモンを知っていたら、これで30分は潰せるのだ。大変ありがたい。私はこれまでの人生でこの手段をすでに8回ほど使って、日常における危機的状況を乗り切っている。

ちなみに、子ども達がしりとりに飽きたら次は「ポケモンものまね」をする。LoVendoЯの宮澤茉凜ちゃんが当時ブログでやっていた「スボミーのものまね」からアイディアを得たジェスチャーゲームだ。ポケモンのポーズのマネをして、何のポケモンか当てる。

例:
・首を少し震わせた後に大きく左に傾ける → 「ミミッキュだ!」
・後ろから棒を抜いて振り回し、後ろに戻す → 「テールナー!」
・パントマイムの壁→「バリヤード!」
・タップダンスして両手を広げる→「バリコオル!」
・リフティングの後シュートの仕草→「エースバーン!」
・口を丸く開けて両手のひらを前に向けてゆらゆら左右に揺れる→「ルージュラ!」
など。これで15分は潰せる。

ポケモンしりとりもポケモンものまねも、子どもたちと一緒に長い時間を楽しく安全にすごせる遊びである。暇つぶしの道具を持ってきていないときにおすすめします。

前アニメシリーズであった『ポケットモンスター サン&ムーン』は、かなり思い切って低年齢向けに振り切った内容だった。永遠の10歳であるサトシが――ポケモン以外は頭の中に存在しないサトシが――初めて学校に通う描写がされた。学校生活の中で、ポケモンとのふれあいを全面に押し出す内容であった。

その反面、バトルは非常に少なく、タイプ相性などのポケモンバトルシステムの説明もほとんどなかった。ポケモンバトルが大好きな私や、高学年の長男にはバトル描写のない『サン&ムーン』は極めて不評であったが、保育園児である次男やその周囲の子どもたちには大人気であった。『サン&ムーン』は一話ごとにわかりやすく、入りやすく、親しみやすい。そのように作られていた。つまり対象年齢を下げたのだ。そしてそれは成功した。園児や小学校低学年児に『サンムーン』は大受けであった。YoutubeやAmazonPrimeにすぐにアニメが上がって世界中ですぐに見られるようになったのもよかった。同時期に『ポケモンGO』の大ブームも起こり、ポケモンはその対象を幼児から高齢者まで広げた。

その後、満を持して新作ゲーム『ソード・シールド』が登場。アニメは何も冠しない『ポケットモンスター』となった。ポケモンはいまや、3歳くらいの児童から社会人までの男女ともに大人気である。デジタル機器の普及によってゲーム開始年齢が低年齢化した影響もあるだろう。10年前は「ゲームは早くても小学校入学から」だったように思うが、いまや3~4歳からゲームを始めている子どもが多い。「お気に入りYoutuberのゲームプレイ動画を勝手に何時間も見続けている現状よりは、自分でプレイさせた方がマシだ」という親の(あきらめに近い)判断もある。

ポケモンが未就学児にも大人気になって私は素直に嬉しい。『XY』のころ、ポケモンをやっている未就学児は私の息子しかいなかった。園や学童の先生たち(20代が多い)には「彼とだけはポケモンの話題ができて嬉しい」と言われていた。あの頃、ポケモンバトルの解説動画をコンスタントに上げてくれていたのはニコニコ動画におけるもこう先生しかいなかった。私はポケモンバトルのすべてを「ポケモンXY 新・厨ポケ狩り講座!」で学んだ。時代が変わり、もこう先生がYoutube動画配信で大金を稼いでいるっぽいこともこっそり嬉しい。

8位 私がモテてどうすんだ / Girls²


映画「私がモテてどうすんだ」主題歌。

2020年はねじ子史上、最も「映画館で」映画を見た年でもあった。このご時世ならではである。
①休日が不定期な上に、友人と遊べない
②一人で時間を潰すしかない
③(感染対策)人混みはいやだ。すいているところがいい
④(感染対策)外食はまったく落ち着けない

この4つのコロナ対策を解決してくれる娯楽が、郊外の映画館いわゆるシネマ・コンプレックスであった。なんといっても客席はガラガラである。それでも毎日、朝から晩まで営業してくれている。一席とばしで席を販売しているので、ソーシャルディスタンスが「完全に」保証されている。これは本当に快適かつ安心であり、孤独な私に合っていた。コロナが終わっても市松模様で売りつづけて欲しいくらいだった。

映画館独自で様々なキャンペーンを行っていて、サービスもよかった。ドリンクが飲み放題だったり、ポップコーンも食べ放題だったり、どちらも半額だったりした。映画館内は周りに人がいないうえに、正面を見て食べればいいのだから「外食の感染リスク」はほぼゼロである。

映画自体のチケットも安かった。一日見放題・半額キャンペーン・ポイントバックなどなど、人寄せのため様々なキャンペーンを行ってくれていた。そしてそれでも、客席は空いていた。たった一人の観客で貸切状態で映画を見たのも人生で初めてであったし、2本続けて見る体験も初めてであった。そんなこんなで私は2020年、人生で一番多く、映画館で映画を見た。「こんな中でも私は文化を支えているんだ!」という優越じみた使命感と、「私は困っている人につけ込む詐欺師のような客だな」という申し訳ない感情の両方が沸いた。

名作も迷作も洋画も邦画もアニメも実写も、とりあえず広告で何かがひっかかれば見た。ちなみに2020年個人的ベスト映画は『劇場版騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』と『アナと雪の女王2』、ワーストは『がんばれいわ!!ロボコン』だったような気がするのだが、『ロボコン』の後の『スプリンパン まえへすすもう!』があまりに、あまりに衝撃が大きかったため正直『ロボコン』の内容をあまりよく覚えていない。私の心もスプリンパンのお母さんと一緒に遠い夜空に飛ばされてしまったようだ。『スプリンパン』はAmazonPrimeに入っているので皆さんもぜひ見てほしい。「5分でいいから見て」というコメントであふれているが、まったくもってその通り。5分でいいから見て欲しい。サブ・スクリプションで見るぶんには最高の映画だ。映画館で見ていると、このドラッグ映像がどこまで続くのか本当にわからないから(『スプリンパン』は3本同時上演の中の真ん中だった、しかも多くの観客の子どもの本命は最後に上映される『人体のサバイバル!』であった)血の気が引くほどの恐怖を味わうことになる。鑑賞中に「もうどうしたらいいかわからないよ」と思った映画は初めてであった。横で見てる子どもにも、なんて声をかけたらいいかわからなかった。困惑で唇が震えた。終了時には3時間ロードショーを乗り切ったほどの疲労感を味わうことができた。あ、『人体のサバイバル!』は本当よくできたいいアニメでした、原作も大好きです。

スプリンパンはさておき。映画『私がモテてどうすんだ』を私は一人で見た。客席には私一人しかいなかった。どこの席に座ってもよかった。でも私はいつもと同じように、廊下に出やすくトイレに行きやすい後方の通路脇の席で映画を見た。(ちなみに続けて映画『ソニック・ザ・ムービー』も見た。『ソニック』はアメリカで受けるに決まっているヒーローものとして非常によくできており、ハリウッドのマニュアル通りの完璧な筋書きで、だからこそ、私があえて書かなくてはいけないこともなかった。)

『私がモテてどうすんだ』は、思春期女子が「恋愛すること」ではなく、「いま誰とも恋愛をしていないこと」を肯定する珍しい映画であった。思春期女子にまとわりつくルッキズムと、外見が変わることによって(中身は一つも変わってないのに)周囲(特に異性)のからみつくような視線の質が変化することへの嫌疑感と、努力する自己への肯定感を、時代に合わせて上手く表現していた。

女子高生の頃の自分であったら、映画の中に入りこみ、主人公または主人公の親友あまねちゃんにアイデンティファイして一喜一憂していたに違いない。「私のことを描いた映画だ」と思っただろう。そしてそれは「私を肯定してくれている映画だ」という自己肯定につながったであろう。主題歌の「行くぜ ベイベベイベ FU FU GiRL 恋も愛もくだらないわ!」と宣言するサビの歌詞は「腐女子」とダブルミーニングであり、その陳腐さにとまどい笑いながらも、歌詞に大いに共感し、励まされ、脳内に繰り返し鳴り響くアンセムになっていたに違いない。

しかし私はすでに女子高生ではない。

この映画の正しい見方。それはイケメン俳優目当てでシネコンに来た女子高生二人組が映画を見た後に、階下のフードコートでたこ焼きとフライドポテトを食べながら、「映画の中のどの男子が好みか」をきゃあきゃあと笑いながら伝えあうことなのである。親友といえる女子と映画を見た後に、映画館で飲みきれなかったメロンソーダとコカコーラをストローですすりながら「自分は五七派か、七五派か」を真剣に話しあうこと。かけがえのない、その年代でしか持てない貴重な時間を同性の友人と共有すること。それこそがこの映画の正しい鑑賞方法である。

しかし私は女子高生ではない。子持ちの中年女性だ。年齢は彼女らの親に近い。すっぴんでボロボロの仕事帰りだ。鞄の中には、100円均一で買ったレインコートがぐしゃぐしゃに丸まって入っている。なーんも防護具がない環境を体験した2020年4月以来、医者の仕事に行くときは必ず持ち歩いている防護服代わりのレインコートだ。映画館階下のフードコートはガラガラで、映画を見た後に語り合っている女子高生など一人も見当たらない。そんな世情であることも悲しい。

ちなみに私は七五派だ。誰も聞いてない。そう、誰も聞いていない。そんなことを聞いてくれる友達は、この世にはいるけど、いま私の隣にはいない。

私にだって級友もママ友もパパ友も存在する。でもみんなそれぞれ忙しい。しかもコロナである。育児に仕事にいっぱいいっぱい、追い詰められて目が回るほどであるだろう。さらにコロナである。こんな状況で医療従事者に会うなんて、恐ろしいに違いない。子どものお迎えに行って、保育園の前ですれ違うときだって、お互い会話もせずにおじぎ程度ですませているというのに。このご時世で誰が医者なんかと会って話したいものか。今日の空き時間だって、たまたま予期せずできたものだ。仕事終わりの奇跡的にできた空白の時間に、私は一人でふらっと映画館に寄ったのだ。感染症流行中のこんな中でも、なんとか楽しめる余暇を見つけ出したのだ、たった一人で。そんな突然の気まぐれに、誰が付きあえるものか。

映画館から出たら外は霧雨であった。私はここまで自転車で来た。くしゃくしゃのレインコートを無言で広げた私は、びしょ濡れになりながら自転車をこいで家へ帰った。

※本家MV。ここまで歌詞と映像に関連性がないと、見ていて何かを語ることができない。Girls²には『ガールズ×戦士』シリーズで毎週見ていた女の子たちが所属しているはずなのだが、モノクロ眼鏡で同じような衣装のためそれさえも区別がつかない。名曲なのに、もったいないと思う。

9位 紅蓮花 / Lisa

アニメ『鬼滅の刃』の主題歌。曲自体は2019年の曲である。

2019年末にはすでに、音楽会で保育園の子ども達が(客席の小さい子ども含めて)自然発生的に『紅蓮花』を大合唱していた。「鬼滅はこんなに小さい子どもたちにも人気なのか!」と驚いた。「人があんなに簡単に死ぬのに!サイコロステーキになるのに!まじで!」という衝撃である。もちろん私の子どもたちも大声で一緒に歌っていた。彼らは勝手に『鬼滅』のアニメをAmazonPrimeで見ていたのだ。いつのまに。小学生の間ではアニメ化の前から『鬼滅の刃』の単行本が人気だったのは知っていたが、まさかここまで低年齢に浸透していたとは思わなかった。

さきほど「パウ・パトロールは戦隊ものである」と書いたが、『鬼滅』もまた「戦隊もの」なのである。「パウ・パトロール」と違って『鬼滅』は戦隊ものと直接かぶってはいないし、かぶせてきてもいない。ただ、消費者として子ども達が味わっている「要素」が、鬼滅と戦隊もので非常によく似ている。わかりやすく色分けされた個性の強いキャラ、一人では弱い主人公たちがチームとなって鬼に勝つ、頼れる複数の年長者の存在、滅私の象徴であるリーダー、これら全員が一丸となってより強い敵を少しずつ倒していきながら成長する……という物語構成が、たまたま戦隊とかぶっているのだ。例えばオタトークをするときに「チームの中で少し引いているようなクールで強いキャラが好き」という場合、昔ならば「戦隊ものでいうブルーのような」と言えば通じたのだが、今だとこれでは通じにくい。「鬼滅の冨岡義勇のような」と言うと通じてしまう。

非常事態宣言が終わった後にひさびさに近所の大型玩具店へ行ったら、『鬼滅』が一列を占めるようになっていた。戦隊の列はなくなり、仮面ライダーの列もなくなり、そのふたつはまとめて1/2列の棚に押し込められた。かわりに鬼滅と呪術とウルトラマンソフビとすみっこぐらしとアニアとポケモンと任天堂関連商品が、その場所を少しずつ埋めている。悲しい、と同時に「そりゃそうだろうな」とも思う。だって鬼滅の登場人物は男女ともに強く優しく、弱者を搾取する独裁者への誘いに決してなびくことがなく、滅私で弱者を救い続ける正しいヒーローばかりだから。

もちろん煉獄さんの鎮魂歌『炎』も好きだ。『炎』を聴くと私の目は勝手に涙を出す。条件反射のようにこの曲を聴くと涙が出てしまう。困る。だから『炎』は「泣きたい」という気分のときにしか再生できない。

10位 ドンじゅらりん / 「みいつけた!」より

(カバー)

NHK Eテレ、3~5歳児向けの15分番組『みいつけた!』内の一曲。番組の主人公であるスイちゃん(6歳・四代目)が歌っている。作詞作曲はくるりの岸田繁。岸田バージョン配信希望。

くるりは今、私の中で第三次黄金期を迎えている。

第一次:アルバム『図鑑』のころの初期衝動ロック。
第二次:『ワールドエンドスーパーノヴァ』の電子打ち込み。
第三次:今。
教育テレビの5分間番組っぽいコンセプトに基づいた作り込みが随所に見られて楽しい。この「おふざけ感」はつんく♂っぽい、ハロプロっぽいとも言える。もちろん、くるりのほうがずっとずっと洗練されていますが。というわけでハロプロの事務所さん、いまこそ岸田氏に作詞作曲をオファーしませんか!?確実に断られる気もしますが!

アルバム『天才の愛』も最高でした。とんでもないタイトルですが最高です。2021年ねじ子の楽曲大賞最有力候補はくるりの『野球』か『コトコトことでん』です。

ここからは2020年ハロプロ楽曲大賞に続きます。続きますが、高木紗友希ちゃんの突然の消失をまだ現実と受け止めきれていない私に、果たして長文が書けるのでしょうか……。(2021/11/20)

2019年 楽曲ランキング(後編)

(前編はこちら

※この文章はCOVID-19流行前の2020年2月末までにほぼ9割を書いています。文章がまとっている時代の空気が明らかに現在と違いますが、2019年のランキングなので、あえてそのままにしています。

6位 お願いマッスル / 紗倉ひびき(ファイルーズあい) & 街雄鳴造(石川界人)

渋谷のまんだらけでルパンレンジャーVSパトレンジャーの中古玩具を探しながら店内BGMとして耳にし、一気にひき込まれた曲。古典的かつ普遍的な音楽との出会いである。その場で歌詞を検索し、『ダンベル何キロ持てる?』アニメ主題歌であることを知った。なんといっても主役二人の声優さんの掛け合いが素晴らしい。石川界人さんすごい。

三島由紀夫は小説の中で自らが感情移入する右翼軍人の主人公に「どんな時代になろうと、権力のもっとも深い実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。」と言わせていた。当時の私にはその意味がさっぱりわからなかった。でも今ならわかる。若者の衝動をもって筋肉――つまり接近戦で行われる一対一の突発的で避けきれない暴力――を使うことは、確かに人を畏怖させ、周囲の人間を萎縮させ、結果的に集団を動かしてしまう「力」になる。つまり権力になる。

一部の富裕層が若者や女性や貧困者の身分を下位で固定し、古くは小作人/現在日本ならば派遣社員や低賃金労働者として搾取し、その差を決して埋めず、格差をますます拡大・固定化しようとする時代において、肉体至上主義が台頭してくるのは必然である。つまり若い部下が尊厳を破壊された瞬間に、かっとなって暴力を使い、ひょろひょろでしょぼしょぼな老人の上司相手の肉体を一瞬で破壊したくなる衝動だ。映画『Mr.インクレディブル』冒頭のあれ。米国のマッチョイズムにもきっと似たような根幹があるのだろう。

自分よりも弱い相手だけ攻撃する(強い相手とは戦わない)人間はたくさんいる。「反撃の可能性がない」と判断した相手に対して、どんな失礼なことも平気で行う人間はいる。本当にたくさんいる。そういう奴らに舐められないために必要なのが「わかりやすい見た目の強さ」、つまり筋肉だ。というわけで筋肉至上主義が台頭してくるのは歴史の必然。「私も体を鍛えよう!」そう思った私は、自宅でNintendo Switch リングフィットトレーニングを始めた。ジムへ通う社交性は、ない。どこまでもインドア。

7位 やる気のない愛をThank you! / 吉本坂46

先ほど「メジャーボーイ」を知った同じスレッドの中で、「吉本坂2ndシングルのチームREDみたいなのをモー娘。がやって欲しかったよね」というコメントとともに紹介されていたゆえに聴いた曲。

中の人は全員吉本所属であり、他に本業がある。グループ名に数字と「坂」が付いている。作詞は秋元康である。もう清々しいほどに「企画もの」である。企画以外の何ものでもない。おそらく広告代理店主導。どの程度の期間やるのか、どの程度の手間と予算を割くつもりなのか、どの程度新しいアイディアを盛り込むか、そのすべてが「企画」で決まり「企画」で始まり「企画」で終わることは、火を見るより明らかである。はっきり言うと萎える。そこに芸術家のほとばしる衝動が発露することも、魂がこもることも期待しにくい。それでも、この曲はいい。このMVが好きだ。歌詞は薄目で見ないようにしている。カジキイエロー↑↑ことスパーダこと新撰組リアンこと榊原徹士くんがいることに、4周目の再生で気が付いた。

8位 朝日のように輝きたい / 眉村ちあき

眉村ちあきちゃんの即興曲の質の高さ、ライブにおける歌唱力、どう見ても孤高のシンガーソングライターであるのにも関わらずなぜか「女性アイドル」を自称してのびのびと活動する姿、全てが最高。いまさら私のような部外者が語るまでもないほど良い。新しいアルバムだって素晴らしかった。それでも、私が一番感情を揺さぶられたのは『朝日のように輝きたい』。深夜バラエティ番組『ゴッドタン』2019年9月21日の放送にて朝日奈央ちゃんのために作られた即興曲である。「何かやれ、何かやれ」というサビの歌詞が心に響く。

「具体的に」やるべき行動を提示することができる人って、実はそんなに多くない。具体的に「〇〇をやれ」って言えないんだよ。だってそう言っちゃったら、その結果の責任を自分が取らなくちゃいけないから。責任を取る勇気や決断力がある上司は実は非常に希有である。

何が受けて何が売れるかなんて、本当は誰にもわからない。そこで勝負できる独自のアイディアや自信のある人は少ない。そもそもそんなアイディアがあったら組織に所属せず独立してやる方が、今の日本ではてっとり早かったりする。

だから自分よりも若い人、自分よりも社会的地位が低い人に「何かやれ」と言う。何「を」やれ、とは言わない。丸投げである。組織の責任者であるにも関わらず「具体的に」何をやるか指示をしないのだ。そういう管理職は以前よりも増えているように私は感じている。

丸投げされた若者は窮地に陥り、とりあえず「何か」をやる。偉い人たちはただそれを「評価」する。「面白い」「使える」「使えない」「だめだこりゃ」などの評価。何も作り出さず、出来上がった作品をただ評価する。これは非常にたやすい。優越感さえ感じるだろう。その「何か」行われた事象について、責任を取る必要もない。だって具体的な指示をしていないのだから。「あいつが勝手にやった」と言える。責任を取らされるのは、その「何か」をすることに決めた若者である。偉い人はその「何か」を具体的にやれと指示したわけではないのだから、売れなくても面白くなくても炎上しても責任を逃れる(または逃れようとする)。「何か」をやらされた若者たちは、パニックになったり、炎上して社会的に抹殺されたり、トカゲの尻尾のように切られたり、何もできなかった自分に凹んだり、自分に才能がないと落ち込んでしまったりする。そんなことないのに。(ちなみに、それが奇跡的に当たった場合は「俺が育てた」と言い始めたり、自分の手柄にしたりする。)

会議において偉い人たちがただ「何かやれ」と言ってきたとき、それは「自分には今とくに新しいアイディアがない」と白状しているも同然の状態なのである。今ならわかる、私も歳をとったから。「具体的なアイディアが今のこの人には浮かんでいないのかもな」と思う。でも、世に出たばかりの若い頃はそうは思えなかった。ただ自らを責めるだろう。そうやって潰され、自信を失い、表舞台を去っていく作家志望の若者たちやハロプロの女の子たちを私はたくさん見てきた。彼女らのことを思い出し、私はテレビを見ながら泣いていた。朝日奈央ちゃんも泣いていたし、松丸アナも泣いていた。

若者たちはそうやって心を折られ、去っていく。創作の現場には(創作の現場であるにも関わらず)何も生み出せずアイディアのない年老いた権力者だけが残り、新商品を生み出せず、保守的な再生産品ばかりになって組織は立ち枯れていく。日本のいろんな社会に見られる縮図だと思う。

9位 Over “Quartzer” / Shuta Sueyoshi feat. ISSA

『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズOP主題歌。AAAの末吉秀太さんとDA PUMPのISSAさんのコラボ。

『仮面ライダージオウ』のテレビシリーズは結局、文脈がよくわからないまま終わってしまった。シリーズ脚本の下山さんにとって2019年は大変な年であったと思う。「東映特撮の最大のライバルに成長したシンカリオンを意識しまくった結果、シンカリオンのシリーズ脚本の下山さんを連れてきたのかな?」といううがった見方をしてしまったほどである。私は意地が悪いな。下山さん、昨年は大変でしたね。シンカリオンの映画、サービス満点で最高によかったですよ。映画興行成績が思ったより振るわなかったとしても、それはあなたのせいではありません。だってシンカリオンの映画は見たいものが全部入ったサービス満点な最高の脚本だったから。TVシリーズが突然終わってしまったこと(そして需要がどこにも見当たらないオリンピックの特番が始まったこと)と、映画まで期間が半年あいたことが、視聴者の子供が離れた最大の要因だと私は思っています。

さて2019年8月、私は貴重な夏休みを一日潰してひとりでジオウの夏映画を見に行った。誰も私に付き合ってくれなかった。子どもも夫もすでに『ジオウ』という作品の物語に何かを期待していなかった。

結論として、この映画にはきちんとした物語があり「脈絡」があった。『ジオウ』でスタッフが本当にやりたかったのは、もしかしたら「これ」だったのかもしれない。TVの『仮面ライダージオウ』という物語には、結局のところ脈絡はなかった。私はなかったと思うし、あったと思う方はその筋を私に教えてほしい。『ジオウ』の結末を映画のようにしたかったのに、いろんな理由でそれができなかったのだとしたら(例:ウォズを悪役ライダーにできなかった)私は制作陣に同情する。映画の物語をTV本編でやらせてあげたかった。横やりがあったのかもしれないし、予算やスケジュールの都合もあったのかもしれない。わからない。わからないけれど、『ジオウ』の脚本をなんとか一年間成し遂げた下山さんと毛利さんには、あたたかいお風呂に入っておいしいごはんを食べてほしい。

ジオウの夏映画は私の大好きな「やけくその祭り」要素が満載で、とてもよかった。DA PUMPもよかった。一茶さん最高。メタフィクションも盛りだくさんで、あまりのテンションの高さと不条理さをゲラゲラ笑って楽しんだ。

特に秀逸だったのは長篠の戦いである。馬が一頭もいない。かわりに3人の人間による「運動会の騎馬」がいる。てっぺんに乗っている騎手は仮面ライダーである。「いけー!」と言いながら突き進んでいるのだ、「運動会の騎馬戦の騎馬」が。確かに騎馬ではある、騎馬ではあるが、まさかこれがあの有名な武田の騎馬隊なのだろうか。

織田軍の鉄砲隊も、もちろん存在しない。それどころか火縄銃は一丁も画面に写ってない。織田軍所属の仮面ライダーと、武田軍所属の仮面ライダーがそれぞれ巨大ロボを召喚し、乗り込み、小さい小川の狭い河原で戦っている。なんだこれ。こんな長篠の戦いを私は見たことがない。「ずば抜けた描写である」と言わざるをえない。

しかもその後のシリアスなシーンで主人公が「僕たちの知っている歴史って、後世の俺たちが勝手にイメージした話に過ぎないんじゃない?」という識者っぽい台詞を挟み込むのである。確かにそうだ。近年の研究では、三段構えの鉄砲隊は江戸時代の創作であり、実際は存在していなかったと言われている。武田の騎馬隊もそこまで多くなかったと言われているそうだ。本当の歴史では、武田騎馬隊に馬なんか一頭もいなかったのかもしれないし、銃だって一丁もなかったのかもしれないし、仮面ライダーが戦って勝敗を決めていたのかもしれない。現代の人間がそれを否定することは、決してできない。誰にもできない!「低予算で馬が用意できなかったんでしょ?」とか言ってはいけない。

「平成」生まれだけを吸い込むブラックホールといい、仮面ノリダーといい、平成額縁ライダーキック(そうとしか言いようがない)といい、どれもこれも2時間の映像をもたせるネタとして最高だった。でも、2時間「しか」もたないようにも思う。これをTVで1年間続けていたらどうなっていたんだろう?それはそれでキツいのかな?

10位 Keepin’ Faith /パトレン1号/朝加圭一郎(結木滉星)

さてここからはいきなり時間が戻り、2020年8月パンデミック後の世界線でこの文章を書いている。

2018年に発表の特撮番組のキャラクター・ソング。当時、私はこの曲にそこまでの思い入れはなかった。武道館の超英雄祭のトップバッターで初披露されたときも、「難しい曲だな!武道館公演の一番手でこんなに難易度が高い曲を歌うなんて結木くんは大変だ!」という感想しか持っていなかった。

当時の超英雄祭の映像。これを見ても分かるように、初披露においてはサビのオイ!くらいしか観客のコールは入っていない。

特撮ものの番組は、TV本編終了後に「ファイナルライブツアー」という名の全国をまわる興行ツアーをする。前半はヒーローショー、後半は番組主題歌やキャラクター・ソングの披露の合間にキャストのトークが入る二部構成だ。全国の劇場を回って、地方の子ども達に夢を届ける。キャストは子ども達から生の声援をもらう。この公演をもって役者たちは一年間続いたヒーローという役職から「卒業」する。ハロプロでいうところの「モーニング娘。コンサートツアー 2019春 ~○○○○卒業スペシャル~」と同じ構造だ。

https://natalie.mu/eiga/news/319317

キャラクター・ソングの披露は場所ごとに2~3人ずつ行われる。『Keepin’Faith』は浜松・福岡・大阪で合計7回披露された。その課程の中で「Keepin’ Faithのコールがすごいことになっている」という観客レポートを私はよく目にしていた。「圭ちゃんコールがだんだん増えている」と。私はそれを生で見ることは叶わなかったので(チケットは争奪戦であった)映像を楽しみにしていた。

(映像を見たい方はこのDVDを購入して下さい)

2019年ファイナルライブツアーラスト公演のDVDに入っているこの曲を聴いて、私は腹を抱えて笑った。コールが進化してる!!!!しかもこれはハロヲタが入れたコールだ!私にはわかる!これ、ハロヲタのコールじゃねーか!ハロプロの文脈ですくすくと成長したコールだよ!
しかも、「ハロヲタのしわざだ」って絶対にばれないように、各会場に少しずつ紛れ混んでいただろう工藤のおたくたちが少しずつ丁寧に育てたコールだ。私にはわかる。

どこらへんをもってして「ハロプロのコールっぽい」と思うのか?詳細はめちゃくちゃ長くなるが、これから意を決して書く。「くだらねぇ」と思う方は読み飛ばしてくれて構わない。本当にくだらないので。

★★★★ここの部分執筆作業中(書けたらリンク貼ります)★★★★

このライブ映像を持って『Keepin’ Faith』は私の中で「最も魅力的なキャラクター・ソング」に一気に躍り出た。現場で育ったコール&レスポンスの持つ力である。この曲の作詞家であるSoflan Daichiさんがつばきファクトリーの新曲の歌詞を書く、と聞いて私は一人で納得の微笑みを浮かべている。さすがアップフロント!いいところに目を付ける!ハロヲタに受ける曲を作れる作詞家だって、一曲で見抜いたんでしょ?だから声をかけたんでしょ?さすがである。

ここからは余談だが(ずっと余談では?)私は「全然ハロプロじゃない人達の歌にたまたま居合わせたハロヲタが即興で入れるコール」が大好物なのだ。

※参照例

久住小春ちゃんが主演していた女児向けアニメ「きらりんレボリューション」のイベントに突如出てきた男子二人組・SHIPSに、初見にもかかわらず全力でコールを入れる皆さん。男子二人の名前の区別がいまいち付いていない状態でもメンバーコールを入れるおたくの皆さんが愛おしい。間違った名前をコールしている人もいる、推しジャンしてる人もいる、間奏のMIXが不発に終わっている(当時のハロプロではMIXが残存していたこともわかる)。

悲しいけれど、このような文化・このような現象が起こることはきっともうないだろう、という確信めいた予感が私の中にはある。

2020年8月現在、ハロヲタがコールできる現場は完全に失われてしまった。ヒーローショーで子供たちが声を出してヒーローを応援できる環境も、半永久的に奪われている。この2つがたまたま出会い、日本全国を回りながらゆっくりと時間をかけて成熟し、男性ヒーローのキャラクターソングに女性アイドルの客が集まり、アイドル文脈の応援コールがのってコール・アンド・レスポンスが育っていくという奇特な現象が起こることは、おそらくもう二度とない。それを語れる機会も、今しかない。それを語る人間も、きっと私しかいない。だから、いま書いた。ここまでお付き合いいただいた皆さま、どうもありがとうございました。

★★★★★★★★

以上です。即売会もできず楽曲のリリースがままならぬ中、2020年楽曲大賞選びはどれも困難を極めると思います。今のところ、私の中ではアニメ「アースグランナー」主題歌である『世界が君を必要とする時が来たんだ』がぶっちぎりの一位となる予定です。「痛いのは無理 めんどくさいのは嫌だ 平気な振りしてマジちびりそうさ てちょちょっとまってよベイビー これって現実なの!?」という歌詞が、個人防護具もないのに謎のウィルスに突然対峙せざるをえなくなった自らの現状にぴったりと寄り添いまくっていて、本当に困っています。私は世界を救うヒーローなんかになるのはまっぴらごめんです。自分と家族と周囲の知人と、自分の患者さんたちだけで手一杯ですから。(2020.9.30)