パニックになっている人ほど、他人に「パニックにならないように」と言う
最悪の事態を国民に説明してもパニックなんて起きないよ。日本人は優秀で達観してるから、みんな運命を受け入れる。むしろ今絶賛パニック中なのは、世界規模のミスを犯した東電、それを支えていた官僚(原子力安全保安院)、政府の皆さんだよなぁ。致命的な医療ミスを犯して、パニックに陥っている医者を見てるような気分だ。
医者なら、今の自分に判断能力が無いことを自覚し、素直に上級医に助けを求め、すべての情報を提供して判断を委ねるのがパニックの対処法だ。情報隠蔽は自ら(この場合、東電)の傷口を広げるだけ。そこのところわかっていない。(これまでやったミスを隠そうとしているのかもしれないが、結果として、それがさらなる今後の展開の悪さ、要するに後手後手を招いている。)東電と官僚(保安院)よりも「上級医」にあたる組織を作って、権限と情報をすべてそこに移す。それが政府のお仕事だと思う。たとえそれが米軍でも仏軍でもIAEAでも、私はかまわないぞ。
今回の福島原発事故は、チェルノブイリに並んで人類史上最悪の事故になることはもう決定している。政治家としては、むしろこういう場面で最高の仕事をすれば、後世に名を残すチャンスだと思うのだが、現状では、ただパニックに陥っているだけだ。東京電力上層部も政府も官僚も「こんな時期に責任者なんて俺は運が悪かった」くらいの勢いで、いまだに被害者ヅラをしているのだから、驚く。
どうやら日本人の作る巨大権力組織は得てして官僚型になり、官僚型組織において、「急場に強い」人はトップに行かないようだ。平時にヘタを打たない、慎重な調整型のタイプしか、上に行けないみたいだ。そういう人は、多数決を取っているヒマはない瞬時の判断が重要な場面(どちらをとっても賛否両論を招くが、責任を持ってどちらかに舵を切る必要がある場面)に、ひどく弱い。ただ、オロオロしているだけだ。医者で言うと、急変に弱いタイプ。それはそれで的確な場所にいれば良いのだが、救急外来には来ちゃダメだ。救急外来の医者は、手ぐすね引いて「目の覚めるような外傷」が来るのを待っている。急変が起こると、パニックどころか、むしろ「今こそ俺の出番だ!まさに俺はこのために仕事をしている!」と言わんばかりに、生き生きしている。不謹慎きわまりないが、そういう人にしか、救急の医者は勤まらないのである。そして、そういう人は、確かに、「白い巨塔」においてトップ――つまり大学教授――にはなりづらい。現場で、毎日必死に臨床を頑張っていたりする。
だとすれば、原子力発電のような、一回不具合が出ると損失が大きく、迅速なリスク管理と瞬時の判断が必要な技術を扱う能力は、「日本人のつくる組織」にはなかった、ということになる。地震大国で当然想定される危険にあらかじめ対応しておく能力も、起こってしまった事故に対処する能力も、明らかに「なかった」。政府にも官僚にも東京電力にも、なかった。残念だが、能力がないものは仕方ない。男性が子供を妊娠したいと願うようなもの、女性がウサイン・ボルト並みに走りたいと願うようなものである。日本人のつくる組織には原子力発電所を扱う「能力がない」、よって、これ以上の原発推進と高速増殖炉計画は無謀であり不可能である、という結論に、私は今至っている。(2011/04/19)
また会いましょう
大前研一さんの動画を見るまで、私の頭の中での「最悪の予想」は、福島第一原子力発電所の炉が一つでもダメになったら、もう誰も近づけなくなって、6本のロウソクのように、燃料が無くなるまで6つの火が燃え続けるイメージでした。または、『博士の異常な愛情』のラストシーンのように、ボーン!ボーン!ボーン!と6連発で爆発が起こり(まぁ実際は3つ爆発しましたが)、近づけなくなった福島第二も同様に爆発し、東日本は死の土地になり、なぜか政府閣僚だけは核シェルターの中で生き残る、という。
『博士の異常な愛情』のラストシーンは、世界中で水爆が爆発し、地上が滅亡する中、ミスマッチなほど甘い甘い曲(ヴェラ・リンの『We’ll meet again(また会いましょう)』)が流れます。歌詞は「また会いましょう。どことも知らず、いつともわからないけれど、いつかまた晴れた日に会いましょう。」核シェルターにもぐって放射線が減少するのを100年間待つ「選ばれた」人々が、残された地上の人々に贈る歌だと、解釈できます。ああ、なんていう痛烈な皮肉でしょう。 私の頭の中では、何日もその曲が流れ続けていました。
もちろん、そのような状況になるわけないことは、よくわかっています。しかし、『博士の異常な愛情』を見た大学生当時の私は、核戦争による人類滅亡の恐怖を実感すること、そしてそれを強烈なブラックジョークでいっそ清々しく、達観したように笑い飛ばす感覚を、まったく理解できませんでした。今なら違った心持ちで、あの映画を楽しむことができそうです。2011/4/13
ねじ子の参考サイト@福島原発事故による放射能汚染対策
- http://takedanet.com/
武田邦彦 (中部大学)のサイト。原子力学者さん。
先生のご意見
・「国際放射線防護委員会で決められたように安全という意味では、「1年間に1ミリシーベルト」」
・外部被曝と内部被曝をすべて足し算して「1年間に1ミリシーベルト」まで。空気も水も野菜も魚も、すべて合計。
は、とてもわかりやすく、かつ医学的に正しいと思います。先生の言う「放射性物質からの防御法」を、ねじ子も実践しています。放射線科医からではなく、原子力学者さんからこのような発言が出て、日本国民の健康と安全を今まさに守っていることを、医者として情けなく力不足に思い、かつ、心からの感謝をしています。
- http://atmc.jp/
全国の放射能濃度一覧、各地の水道データなど、まとまっていて見やすいです。元データは、文部科学省発表なので、話半分で聞きましょう。ドイツ・ノルウェーの拡散予想のリンクもあります。ドイツ気象庁の皆さん、本当にありがとう。
- http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/w-past_data.html
新宿の水道(蛇口からの水)の放射線データ。
水道局は、20Bq/kg以下を「未検出」とかいう、ふざけたデータしか出していなくて、心底腹が立ちます。WHO基準は10Bq/kg以下だっつーの!!!きちんと数字で出せや!!
- http://park30.wakwak.com/~weather/geiger_index.html
東京日野市のガイガーカウンタ。リアルタイム測定。
文部科学省発表のデータ(新宿)との解離が楽しめます。
政府発表が信じられない人にもオススメ。
- http://www.youtube.com/user/BBT757program
大前研一ライブ。2011/3/11以降のすべての動画を参考にしています。
ねじ子は原発に関しては当然シロウトなので、最悪の想定を含めた、原子力発電所の未来予想を発言してくれることが素晴らしい。
- http://twitter.com/uesugitakashi
フリーランスのジャーナリスト上杉隆さんのツイッター。5時に夢中!で上杉さんが記者クラブを叩いていたのは、こういうことだったんですね。まさか大本営発表と、それを支え続けるメディアと、いけしゃあしゃあと危険を隠した発言をする御用学者を、目が黒いうちに見られるとは思っていませんでした。
ACのCMは見ているだけで気が滅入る
そろそろ、極端な放射性物質の排除による緑黄色野菜の摂取不足で、壊血病になる人が出てきそうですね!野菜を取らなくなると、ビタミンCが不足します。「ただちに」健康に被害はありませんが(うふふ)長期的には壊血病になります。放射性物質による発癌よりも、もっとずっと高い確率で健康に害がありますので、気を付けましょう!
ねじ子は草野マサムネさんを心より敬愛しています
スピッツの歌がなかったら、私はマンガなんか描いていなかったでしょう。単行本「スピッツ」は、今でも、私の人生の指南書です。マサムネの歌が聴けなくなってしまったら、私の人生は、ネオンがまったくない今夜の東京の街並みよりも、暗くなってしまいます。「スターゲイザー」でマサムネは「明日 君がいなきゃ 困る~困る~」と歌っていましたが、私にとっては「マサムネがいなきゃ 困る~困る~」んだよ。
だからこそ、言います。テレビを消して情報をシャットダウンすることは、決して逃げではありません。東京から(避難できる人は)避難することも、決して逃げではありません。放射線量の問題ではなく、もはや精神の安定のために、多くの人がそうするべき時期が来ていると、私は思います。2011/3/29
弁当と病気は自分もち
基準値を引き上げるのだけはやたら迅速な政府に、医者として憤りを覚えます。
緊急作業に従事する労働者の放射線量の限度を100ミリシーベルト/年から250ミリシーベルト/年にさっさとひきあげたこと。これは許せません。こういう時のための、放射線量の「基準」だったはずです。状況が変わったら、お上の命令で引き上げられる基準なんて、一体何の意味があるのでしょうか。労働者を守るものは、もう何もなくなってしまったも同然です。現場の人間の健康を、人生を、あるいはその家族を、いったい何だと思っているのでしょうか。私だって「東京電力の社員は死ぬ気で復旧作業に取り組め」と思っています。しかし、基準は守られるべきです。それが近代社会であり、医学です。
食品や水道水に関しても、同様です。これまで基準がなかったから泥縄的に「暫定基準値」を作ったのは、まぁいいでしょう。しかし、茨城のほうれん草の放射能数値がやたら高かったから、「洗ってから測定」に「厚労省通知」という非常にわかりにくいカタチで変更し、それでも高かったから、やむを得ず、洗ったことを隠して!公表する。これは詐欺です。政府は「あえて国民がミスリードする」ことを狙っているのでしょうか。例えば体重で言えば、「服を着て測定」だったものがいつのまにか「裸で測定」に変わっていたら、数値を聞いた人が誤解をしてしまうのは当然ですよね。まったく油断なりません。水道に関しても、WHO基準があるのに、その上に「日本独自の基準」を勝手に作る。そういったことをコソコソコソコソやって、どうにも仕方ないときにやむを得ず公表する。
放射能汚染は基本的には福島原発周辺の局所的な問題ですが、食品になると話は別で、遠く離れた地でも内部被曝を起こすのは、もうみなさんご存じだと思います。そのため日本全体が被害範囲になろうかという、そういうところで基準値の操作をして「安全です、冷静に」という完全なデマを発表する政府に、心底呆れかえりました。
原発事故の世界的基準である「最悪を想定した発表」は、最後まで、しないつもりなんですね。あれだけ、「最悪の想定でオーバーなくらいの対処をしろ」と、内外から言われているのに、日本の官僚組織にはそれが出来ないのですね。それでは、もう、風評被害を防ぐことは出来ません。買い占めを防ぐことも、責めることもできません。いくら大げさに身を守っても、もうそれを「大げさだ」と言うことは、出来なくなってしまいました。それは風評被害ではなく、自分の身を守るための「当然の自衛」です。むしろ、後世から見たら「賢い選択」かもしれません。政府が「最小」の発表しかしないから、国民は「過剰な防衛」をせざるを得なくなったのです。風評被害を作り出しているのは、いまだに放射能汚染を過小評価している政府の発表、そのものなのです。もう、私は、今回の原発の件に関して、「過剰防衛」と「風評被害」という言葉を、患者さんに対して一切使いません。それらはすべて、自分で自分の健康を守る、または親が子の健康を守る、人間として当然の「自衛」になりました。
よく診察室で「先生だったらどうしますか」「先生の家族だったらどうしますか」と聞かれます。それが人の心理というものです。自分または自分の家族に勧めないような治療法を勧めてくる医者の言葉は、誰も信じません。そんな医者の言葉に命を賭ける患者など、いません。
誰だって、自分だけは病気になりたくないんです。他人の言うことを信じて病気になったとしても、苦しむのは自分だけ。他人はその責任を取ってくれないし、痛みを分かち合ってはくれないのです。北関東の農作物が何もかも売れないのも、いわきに行くドライバーがいないのも、「風評被害」ではありません。残念ながら、すべて個人個人が「当然の自衛」をしている結果なのです。菅総理大臣だって、雨が降ったら福島に行くのを止めてしまいました。色々な言い訳も用意されているでしょう。でも、申し訳ありませんが「黒い雨」が怖いから辞めた、としか見えません。それも当然の心理なのです。それが、「弁当と病気は自分もち」という心理なのです。
菅さんはもう昔のように一市民ではなく、避難指示を出せる(出さなくてはいけない)立場にいるんですから、風向きを気にしないでいい50km範囲内の避難指示を出してあげてほしいと、ずっと思っています。そこにきて「20~30kmの自主避難」を宣言するにいたっては、もう、政府が国民を見殺しにしていることを、自ら露呈しているも同然です。もうこの政府は、積極的決断は何も出来ない、お前ら勝手に行動しろ、でも結果は自己責任だからね!と、自分で白状しているのです。非常に残念です。
チェルノブイリ原発事故で医師として医療支援に当たった菅谷昭松本市長の勇気ある発言から、ポーランドの対策を孫引きしておきます。
・チェルノブイリ事故から4日後に国の命令で、乳牛に新鮮な牧草を与えることを禁止。
・100ベクレル/kgの牛乳を子供や授乳中の女性に禁止。
・4歳以下の子供には原則として粉ミルクを飲ませる。不足部分をオランダから輸入。
・子供や妊娠、授乳中の女性は新鮮な葉物を控えるように指示。
・ヨウ素剤を全病院、保健所、学校、幼稚園に配備して1000万人超の子ども、700万人の成人に投与
これをやるのが、真の政治主導でしょう、管総理。あなたの鶴の一声で出来るのに、ポーランドで前例もあるのに、なぜやらない。今回の政府の対応は、今後の歴史の中で、医学的にも政治的にも国際的にも、繰り返し強烈な非難にさらされ続けることでしょう。
もはや政府の言うことの信憑性は地に落ちたので、データだけもらって、民間やネットやTwitterからもデータと情報をもらって、各自で自衛するしかなくなりました。ただちに健康に影響はありませんが(笑)今後の5年10年も、東京に住み続けられるかどうか。妊娠しようと思えるかどうか。小さい子供を安全な環境で、健全な精神状態で育て続けられるかどうか。どこかへ引っ越したところで、そこで経済的・精神的な安定を得られるかどうか。一人一人が自分の社会的条件を考えながら、色々な可能性を天秤に掛けて、行動をしなくてはいけなくなりました。
皆で健康で、生き延びましょう。2011/3/28