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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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信用がなくなった医者の言うことを聞く患者はいない。

原発が使えなくなることを避けるために海水冷却を拒み、海外の援助を拒否し、もうダメと確信したら逃げようとしていた東京電力上層部および、この期に及んでレベル5という過小評価をし(スリーマイル島に失礼)、NHKで原発爆発の映像が出た直後(土曜日)から解説員が言っていた「自宅待避区域で屋外に出たときの対処法」をなぜか今更嬉々として発表する原子力安全保安院が、どうしようもないクズなのはもう決定的事項として、今回は「政府の大本営発表」がどう駄目だったかについて書きたいと思います。

 医療における隠語に「死にますムンテラ」というものがあります。ムンテラとは、医療情報を患者さんに説明すること。重症の患者が来たときに、「この患者はこのままでは死にます」と家族に最初に説明することを「死にますムンテラ」と言います。「考え得る最低の事態」を、最初に覚悟しておいてもらうのです。もちろん、実際そのまま放置すれば死ぬような状態の時だけ、これを言います。すると、ご家族は最悪の想定からスタートしてくれるので、どんな状態で落ち着いたとしても、その結果を納得してくれます。

しかし、最初に「たいしたことないですよ」「きっと治りますよ」などの過小評価した文言を言ってしまうと、その後、どんなに努力した最前の結果であっても、患者さんやその家族は、その結果に納得しません。障害が残ったりすると特に、「もっとよい結果があったのではないか」「藪医者だったのではないか」「ひょっとして医療ミスがあったのではないか」と考えるのです。医療の説明とは、そういうものです。過小評価や希望的観測や優しい嘘は、よけいな不信の元になります。癌の告知や余命の告知だって、今時は、ほぼ全例で「患者さん本人」に行います。それで取り乱す人は、実はそれほどいません。患者さんはみな、我々医者が思うよりずっと、知的で理性的なのです。

 今回の原発放射能漏れとそれに関わる被曝問題の「説明」は、まさに「生命に関わる重大な問題」を「ムンテラする」ことに似ていました。大前さんのyoutubeの解説によれば、おそらく、津波で電源がさらわれた時=つまり土曜日の段階から、この結末は想定されています。「最悪の事態」がどういう状態かも、その頃からわかっているのでしょう。原発はもう使いものにならず、放射性物質の量と半減期を考えれば、半径何十kmが何百年間と人の入れない土地になり、周辺の農作物は食べることができなくなり、東日本の第一次産業は壊滅的打撃をうけることは、もう決定しています。それ以上は今後次第。ねじ子はそれくらいで解釈しています。とにかく最初から「最悪の想定」を言うべきでした。

 しかし実際は、枝野さんも東京電力も原子力保安院も、会見において、最初に何の根拠も示さずに「大丈夫」と言ってしまいました。これでは、例えどんなに頑張っているにしても、どんどん状況が悪化しているように見えてしまいます。これは不安を増強する形になる、最低の説明方法です。こと健康に関して、最初にまず「大丈夫」と言ってしまうのは、非常にマズイのです。医者がこれをやると、徹夜で頑張って最前の手を尽くしたのに、こちらは何のミスもしていないのに、患者さんとその家族からは感謝もされず、何を言っても信じてもらえず、逆に恨まれ、裁判に訴えられる結果になります。未来を予測できなかった藪医者=つまり能力が著しく低いか、何らかのミスがあって想定外の事態に陥った、と判断されてしまうのです。最悪です。「官僚答弁」は、責任の所在を巧妙にぼかしながら、確定したことだけを言います。これは「緊急時の医療の説明」には全くもって向かないのです。それに気が付くのが遅すぎました。日本人は官僚が考えているよりもずっと賢いです。「最悪の想定」を言ってもパニックになどなりません。むしろ正確な情報を与えれば、あっというまに冷静で正確な対応をします。想像以上の商品を作ったりもします。各地のガイガーカウンタのまとめがすでにweb上にあり、原発からの距離測定iphoneアプリがすでにあるように。本来は、原発の建屋がまだピカピカのうちに、「これはチェルノブイリ並になる可能性がある。だからチェルノブイリ並みの対応をとる。」と宣言するべきでした。「可能性がある」なら、間違っていません。最初は患者さんは「えー、大げさだなー」と言います。でも、どんどんその通りになっていく現状を見て、「この先生の言う通りになった…すごい…この先生は信頼できる…」と思ってもらえるのです。そうやって信頼を作っていくのです。

国際的な放射能漏れ事故での対応でも、(チェルノブイリで公然として行われた)「過小評価」と「周辺住民への情報の隠蔽」が、最も唾棄すべき行為として認識されているというのに、今回の東京電力の行ったことはまさに「過小評価」と「情報隠蔽」でした。チェルノブイリではその不信からグラスノスチ(情報公開)が起こり、結果としてソ連という大国が消滅しました。天災では国は滅びませんが、人災で国は滅ぶのです。

いわき市に救援が来ないと、NHKで住民が悲鳴を上げていました。30km以上離れている地区なのに、もうそこを安全だと誰も思っていないのです。もう、国の発表を信じてないのです。そんな大本営を信じられる幸福な時代は終わりました。国民の知識はもっとずっと上です。福島の県民は自主的に避難を始め、関東の自治体はその受け入れを粛々と進めています。日本の「20~30kmは自宅待機」ではなく、海外の避難基準「避難範囲80km」を、みんな信じているのです。どちらが科学的に正しいか、そんなことはどうでもいいのです。「もう現場では、日本政府の言うことを誰も信じていない。」これがすべてです。この瞬間、日本の政府は、日本人の安全と健康を守ってくれる「主治医」ではなくなったのです。患者さんから、主治医として「失格」だと判定されたのです。こんな恐ろしいことがあるでしょうか。政府の大本営発表を国民がまったく信じなくなる時代を、この目で見られる時が来るとは、正直思っていませんでした。戦争の追体験をしている気持ちです。(2011/3/20)