ねじ子web

医師兼漫画家 森皆ねじ子

ねじ子のLINEスタンプが発売されています

2018年 ねじ子の楽曲ランキング

1位 快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ


2018年最もくり返し聴いた曲。再生回数ナンバーワン。『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』劇中歌としても、作業用BGMとしても、何度もくり返し聴いた。テンションがめっちゃ上がる最高のジャズサウンドだ。イントロのリズム隊が最高。ピアノソロも最高。ルパンレンジャーの変身バンク → 乱闘開始のBGMとして劇中でもくり返し使われている。

ルパンレンジャーの最高潮にかっこつけた名乗りのあと、そのまま戦闘に突入する流れが毎回とてもかっこいい。無駄にスタイリッシュ。必要以上にきざったらしくマントを翻して「世間を騒がす快盗」を気取っているけれども、実際の中身は犯罪被害者家族のナイーブな未成年男女と、恋人を失った大人の男(保護者役)っていうのもいい。ドローンを多用し、マントをたなびかせてひらひらと回避しながら銃を撃つ戦い方も無駄に美しい。あふれるほどスタイリッシュ。

ルパンレンジャーの必要以上にきざったらしくかっこつけたアクションはそれ単体だと成立が難しい。あまりにかっこつけていると、見ているこっちが照れてしまうのだ。対比する無骨なパトレンジャーがいたからこそ、成立できる最大限の「かっこつけ」なのだと思う。快盗側の敵を出し抜く回避型の戦闘と、警察側の無骨な猪突猛進型の戦闘の対比は非常に見応えがあった。ドローンを多用した映像も素晴らしく、見たことのない絵ヅラがたくさんあって楽しかった。

武道館でのライブ「超英雄祭」にてこの曲の生演奏が行われたと聞く。わーい!やったー!Blu-rayがとても楽しみだー!

2位 M・A・X power / 谷本貴義

『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』で歌詞がある曲だと『M・A・X power』が一番好き。もちろんTV主題歌も好きだし初美花ちゃんの歌も両方好きだし、『氷の世界』も魁利くんの思春期特有の不安定で乾いたボーカルが歌詞の世界観とマッチしていて大変よいです。でも一番聴いた、かつ一番元気が出る曲は『M・A・X power』。サビがすごく耳に残る。「エックス!エックス!エーックス!」ってカラオケで連呼するのも楽しい。快盗にも警察にもなれる、当然どちらからも今ひとつ信用されず、出生に謎を秘め、そのくせとびきり明るく多動な高尾ノエルというキャラクターの魅力がよく出た一曲だと思う。

ノエルはおもちゃの販売促進という「大人の事情」に振り回されて、最後まで行動原理がはっきりしない、かつ勝利条件が満たされない人になってしまった。気の毒に思う。少なくとも私の周囲の子どもはみんなノエルが大好きだ。ノエルは快盗とも警察ともどちらとも仲良しだし、いつも明るくニコニコしているし、「好きだよ」って声に出して言ってくれるし、衣装も金と銀でキラキラしているし、いつもクルクルまわってるし、運動神経抜群だし。子供が大好きな要素しかない。みんなと仲良くしたい、みんな大好き、みんなと上手くやりたい、育ての親も取り返したい、というシンプルで欲張りな気持ちをたくさんあわせもち、そのすべてを実現するために近視眼的に行動する。そのうちのいくつかは裏目に出る。実にわかりやすいし、実に「子供」っぽい。純粋な子供の欲求だ。ルパレンもパトレンもどちらも大好きな視聴者の子供に最も寄り添った、メイン視聴者そのままのキャラクターだったと私は感じている。

そもそも快盗で、かつ警察で、コレクションの知識が作中で一番あるエンジニアで、ずば抜けた身体能力をもち、強く、顔もよく、あげくの果てに「異世界人」ってさ。一人のキャラクターにいくらなんでも要素を盛りすぎだろ!メアリー・スー呼ばわりされても不思議じゃないほど記号が乗っている。しかもテコ入れによって、大きなお友達に一番人気だった圭一郎の強化装備を奪い取っていったのだから、これはむしろ「高尾ノエルはなぜ嫌われずにすんだのか」不思議なレベルである。でもね、私もノエル大好きなんだよねぇ!子ども達もノエル大好き!まったく憎めないんだよ!ノエルが責任ある26歳の大人しかも警察官だと思うと、その行動にさまざまな矛盾や無責任を感じてモヤモヤするんだけど。それでもノエルが劇中で落ち込んでいると、私も悲しい。スパイと疑われて落ち込んでいるノエルを見ると私まで落ち込む。その次のクリスマス回でのびのび明るく楽しく浮かれたノエルを見たら、なんだかほっとしたもん。「ノエルが楽しそうで何より」って思っちゃったもん。高尾ノエルは視聴者そのものだったんだな。神の視点で怪盗と警察両方の事情を把握していて、快盗も警察も大好きで、どちらにも仲良くしてほしいしみんな幸せになってほしい。視聴者の子どもの願望そのものの存在。あるいは妖精やコレクションやグッドストライカーみたいなものだったのかもしれない。

御託はさておき、物語において高尾ノエルは結局「異世界人」だった。唐突な設定で私は正直よく飲み込めず、最後までルパンコレクションまたはコレクションコンプリート特典を発動するときに必要な条件じゃないかと思っていたよ。

ということは、ノエルは異世界人ながらヒトと変わらぬ外見で、栄養法も人間と同じ、幼児形態があり、下手したら人間と交配可能で、驚異の運動能力をもつ(これはノエルだけ?)長寿の生命体ということになる。これは面白い。メカニズムを解明すれば人類の夢である「不老不死」につながる研究ができるぞ。金持ちや権力者ほど健康長寿を強く望むから、ノエルの身体の構造究明は巨万の富を生む可能性がある。人類の医学の発展に貴重な生体だ。私も医者として興味がある。いったいどんな構造なんだろう?ゲリ・ル・モンドの画像を一時停止してガン見したんだけど、よくわからなかった。

そう考えるとゴーシュ、あいつ医者のくせに何やってんだ。もっとちゃんと調べておけよ。ゲリルモンドみたいな解像度が低い画像で満足せずに、さっさとCTかMRIを撮っておけよ。せっかく拘束したんだからDNAも採っとけよ。術前管理の手順にばかりこだわってるから、お前は本質を見失ってボスにも見捨てられるんだよ。

ゴーシュに比べればドグラニオのほうがよほどいい仕事してる。皮膚を剥離した下に毛細血管組織がはりめぐらされていて赤褐色の血液が流れてるってわかったもん。有益な情報だ。さすがドグラニオ様、伊達に生き残って地下室監禁緊縛くっころ要員になってないな。

まあノエル自身の物語とルパン家の謎はまったく語られることなく終わってしまったので、今後の外伝や小説やVシネマで補完されると信じています。どんな媒体でも見ます。その時はぜひVSチェンジャーの没音声を拾ってくださいね。Wヒロインアイドル回もよろしくね!!!!

3位 U.S.A. / DA PUMP


2018年ハロプロ楽曲大賞受賞曲。ハロプロじゃないけど。私たちハロヲタは2018年、DA PUMPにとてもいい夢を見させてもらった。

確かに私たちハロヲタは『U.S.A.』をいち早く発見した。豊洲のシングルリリースイベントになぜか大量のハロヲタが押しかけ、現場でハロプロ仕込みのコールをした。それを見つけたDA PUMPメンバーと古参ファンの皆さんはコールをあおり、もっともっとと盛り上げ、私たちをあたたかく受け入れてくれた。DA PUMPと古参ファンの皆さんの度量の深さにハロヲタは涙した。

私たちはもうずっと、全力でコールを入れられる曲を求めていた。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯!」ってほんとはずっと叫びたかった。全力でウリャオイしたかった、フワフワしたかった、PPPHしたかった。愛するメンバーの名前を大声でコールしたかった。ISSAさんたちは、大きな愛で私たちハロヲタの欲望を受け入れ、面白がってくれた。古参DA PUMPファンの皆さんも喜んでくれた。私たちは嬉しかった。だってクールハローとかいう糞計画をいつまでも捨てないハロプロは、私たちの願いをちっともかなえてくれないんだ。コールやヲタ芸を入れると最高に気持ちいい曲を、ちっとも出してくれないんだよ。

DA PUMPファンの意見を取り入れてハロヲタもいろいろ対応した。ハロプロでは「そのとき歌っている人」「パート割がある人」の名前を叫ぶルールがある。ISSAだけが歌を歌うDA PUMPでは、ISSAだけをコールすることになってしまう。「他のダンスメンの名も呼んでほしい」という古参ファンからの指摘により、ハロヲタはメンバー全員の名前を順番に叫ぶようになった。すると今度は、自分の名前がコールされたときにダンスメンバーもアピールしてくれるようになった。我々もメンバーの顔と名前を覚えた。BEYOOOOOOONDS全員の名前をねじ子はまだ覚えきれていないのに、DA PUMPの名前は覚えた。夏のハロコンにはDA PUMPがわざわざ来てくれて、満員の会場を盛り上げた。歌番組にもDA PUMPとモー娘。を一緒に呼んでもらえて、みんなで一緒にいいね!ダンスした。楽しかった。地上波歌番組の観覧には女性ファンばかり呼ばれるから、いつものハロヲタより高音で重低音が含まれないコールが新鮮だった。

そこから数ヶ月。地上波テレビをまったく見ない息子たちが、保育園や小学校で『U.S.A.』を覚えて帰ってきた。私はそのとき「え、USAってそこまで流行ってるの!?」と驚いた。年末の忘年会カラオケで仕事先の若い男子たちが『U.S.A.』を歌っている。「え、USAそこまで流行ってるの!?」と二度目の実感をした。必死でコールを入れないようにこらえたよ。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯くん!」という声が喉元まで出てきたのを必死でこらえたよ。自分を褒めてあげたい。8月のリリイベの時点では古参DA PUMPファンとハロヲタと新宿二丁目の皆さんしか知らなかった曲を、内輪だけで宝物のようにして楽しく盛り上がっていた曲を、いまや日本中の老若男女が知っている。踊っている。まさに夢のようだ。

しかしその夢はよっすぃの逮捕によりもろくも崩れ去った。我々ハロヲタは夢から醒めて取り残された。DA PAMP再ブレイクの夢の中にもうハロプロはいない。我々ハロヲタもいない。流行という大きな波を一緒に楽しむことはできなくなった。

それまで、私たちは本当に夢のような体験をさせてもらった。池袋のリリイベの映像を見ながら「私たちハロヲタはDA PUMPを再ブレイクさせることはできるのに、どうしてハロプロを再ブレイクさせることはできないのだろう?」などとしたり顔で奢ってみたりした。はーちんの卒業公演が彼女らしくとても清廉で美しかったこと、特撮戦隊にメインヒロインとして工藤が抜擢されて本当に大切に扱ってもらったこと、そのルパパトが歴代最高と言っても差し支えないドラマであったこと、夏のハロコンは久しぶりのOGがたくさん出場したこと、加護ちゃんが『I WISH』を歌ったというニュースを見て感動のあまりねじ子自宅でむせび泣く、など。2018年前半はハロプロにも明るい出来事が多く、私も久しぶりに楽しいオタク活動ができていた。ハロプロにも20周年らしい上昇気流が流れていた。流れていたのに。よっすぃの事件のせいで、それらはすべて無に帰した。

4位 ミッドナイト・ボルテージ / テンタクルズ Splatoon2

ゲーム『スプラトゥーン2』の追加コンテンツ「オクト・エクスパンション」の中の一曲。「2」の上にさらに有料追加コンテンツ。ハードルが高いね!『スプラトゥーン1』の人気キャラだったシオカラーズが脇役になり、その代わりに出てきたメインMCがこのテンタクルズである。めんどくさいドルヲタである私は、シオカラーズが更迭されたことに心理的抵抗を覚えていた。運営や事務所に猛プッシュされる新アイドルグループに対して懐疑の目を向けるのは、ドルヲタとして当然だ。ドルヲタあるある。メンバーの一人は敵である「タコ」だしさ。

しかし、この『ミッドナイト・ボルテージ』がすごくいい曲だったから、ねじ子はくるりと手のひらを返した。瞬時に返した。これまたドルヲタあるある。テンタクルズ最高ぅぅぅ!イイダさんのボーカルが大人っぽくてすっごくいいねぇ!「なんでタコがMCなのよ!?」とか思っててごめんね!ヒメの可愛い声が軽快に乗ってくるミスマッチ感も最高だね!うるさい客を黙らせるには、いい曲を作って、曲で上から殴るしかないんだよね。結局それしかないんだよ。

5位 命の灯火 / 大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL

嫌になるくらい繰り返し聴かされた曲。もう何回聴いたかわからない。たぶん今日の夜もスマブラしながら5回くらい聴くことになる。格闘ゲームで手を動かしながら、大声で高らかに歌いあげたくなってしまう不思議な魅力がこの曲にはある。もちろん歌いながら私の気分はカービィである。たった一人生き残って、強大な敵に侵略された大地を高台から見つめるカービィだ。それだけで私はなにも文句を言えなくなってしまう。最初聴いたときはそこまでいい曲だと思わなかったんだけどな……。やっぱりゲームの中で素晴らしい体験をすると、聴こえ方が変わってしまうのか……。スマブラは過去の名作ゲームの音楽を現代風にアレンジして、大量に収録し、シャッフル可能なライブラリを提供してくれる。これがまたいい。作業用BGMとして非常に便利だ。作業用BGMの再生マシンとしても8000円くらいの価値がある。ということはゲームは実質タダ。桜井さん最高だな。

6位 恋して♥ポプテピピック

※正しい映像は『ポプテピピック』アニメ第2話を見て下さい。

女性ボーカルver.


男性ボーカルver.

上坂すみれちゃんのオープニング曲『POP TEAM EPIC』の方が音楽的に出来がよいことを承知の上で、あえての『恋して♥ポプテピピック』。歌詞がたまらなく好き。「サブカルこねくり回しても 偽物だらけ」という歌詞が狂おしいほど好き。声優が15分おきに変わり、女子声優ペアで1回 → 男子声優ペアでもう1回歌う仕掛けも好き。毛糸人形アニメも好き。映像アイディア含めての「作り込み」が最高。

現在の女性アイドルは声優業界にあるのだと思う。若手女性声優の皆さんは正しく女性アイドルである。小倉唯ちゃんや上坂すみれちゃんを見ていると、より強くそう思う。ももちの目指していたアイドルとしてのロールモデルはどう見ても田村ゆかりさんであったし、偶像としての「アイドル」を貫きたい!という野望を持った女の子は、ハロプロやAKBよりも女性声優を目指したほうがずっといいように思う。ハロヲタの私ですら、そう思う。そっちの方がきっとやりたいことができるでしょ。

7位 進化理論 / BOYS AND MEN

ガンガンズダンダン!2017年の楽曲グランプリでねじ子は「シンカリオンがせっかくアニメ化するのに、なんでボイメンがオープニング曲なのぉ!山ちゃんを下ろさないでぇ!」って叫んでいたのだけれど、いまやボイメンのOPにもすっかりノリノリである。ガンガンズダンダン!クライマックスの戦闘シーンでこの曲がかかると一気に気分が上がる。いい曲だ。

「新幹線変形ロボ シンカリオン」はアニメもおもちゃも非常によくできていた。Youtube公開や玩具系YoutuberとのコラボやAmazon Primeなど、時代に合わせたプロモーションもうまかった。シンカリオンのアニメは好評につき2019年も続く。巨大新作ロボットアニメとして1年以上続く単独TVアニメは平成唯一であり、昭和でもマジンガーZやゴッドマーズ以来とのこと。すごいね。

昨年の放送の間にものすごい勢いで新しいシンカリオンが増えていったのを見るに、アニメ放送は当初1年で終わる予定だったのだろう。玩具もこの1年で出し尽くした感がある。シンカリオントリニティーとか、とつぜん登場して物語も駆け足だったし。あと1年放送するつもりがあったら、もう少しあとに登場を引っ張れたのでは?霧島タカトラも五ツ橋兄弟ももっとじっくり描けたのでは?リアル新幹線はタカラトミーの都合で勝手に増やせないし、2019年以降のシリーズ構成はきっと大変だろうと予想する。いったい今後どうなるんだろう?地底世界と父親世代の話を続けるのかな?シリーズ構成の下山さんにはぜひ頑張って欲しい。

ちなみに同じ下山さんがやってる『仮面ライダージオウ』は(白倉さんが)時間軸をこねくりまわしすぎなうえにパワーバランスの整合性が毎回違うので、私はあまり楽しめていない。理解が難しいし、理解しよう!と思って頑張って考察しても結局は「大人の事情に突っ込むやつは馬に蹴られる」って明言されちゃうんだもん。つじつまを合わせるために頭を使う気力が沸かないんだよね。ごめんね。

2018年、ルパパトとビルドとハグプリとシンカリオンが面白くて私は本当に幸せだった。こんなに豊作でいいのだろうか。2018年の土日の早朝、私はずっと幸せな時間を過ごした。そんな一年も終わり、生きる糧を失って私は自分を見失いかけている。

結局私は、日曜の朝になれば最高の脚本と演出のもと、大好きな女の子が必ず見られる生活に慣れすぎていたのだ。ルパパトが終わりこれからどうやって日々の活力を得ればいいのか、私にはわからない。去年の2月まで私は何を食べていたんだ?毎日どうやって生きていたんだろう?まるで思い出せないよ。ルパパト(とビルドとハグプリ)のおかげで、1年間ずっとわくわくして過ごしてた。家族みんなで来週の展開を予想するのが楽しかった。今の希望はルパパトのファイナルライブツアーのチケットを、たった1公演もっていること。これを糧に生きるしかない。

8位 We will rock you / QUEEN

今年は映画『ボヘミアン・ラプソディー』の大ヒットによりQUEENが再評価され、日本でもQUEENのリバイバル・ブームが起こりました。ちなみに私の中のQUEENブームは2005-2006年に勝手に旋風を巻き起こしまくっておりました。最初の同人誌『平成医療手技図譜 針モノ編』と『ねじ子のヒミツ手技 1st』の捨てカットを見ていただければわかるように、あの頃の私はQUEENに狂っておりました。フレディの最後のパートナー、ジム・ハットンによる書籍『フレディー・マーキュリーと私』を読んだこと、それを受けたドキュメンタリー『FREDDIE MERCURY Untold Story』を見たことが、当時の私のハートに火をつけたのです。CDアルバムもオリジナル・ソロ・アルバムもぜんぶ買いました。当時はYoutubeが発達していませんでしたから、MVやライブを見るためだけにDVDを買いあさりました。Paul Rodgersをボーカルに迎えた横浜アリーナ公演にも行きました。『手をとりあって』を日本語で合唱したときは、自分が古い物語の登場人物になれたような心持ちでした。「みんな、フレディの代わりに歌って!」と言いながら『Love Of My Life』を一人弾き語りするブライアンに涙しました。確かにあのとき、ブライアンの横にフレディが座っているのが見えました。フレディの魂は確かにあのとき、横浜アリーナにいた!絶対いた!ブライアンを「ダーリン」と呼ぶフレディが、あの優しく柔和な目でブライアンを見つめるフレディがいたもん!わたし見たもん!

しかし、映画『ボヘミアン・ラプソディー』の初報を聞いて「絶対見に行く~!」と思っていたこの私が、映画の内容を聞き日本でも大ヒットの報を受け、テレビでも特集されていくにつけ、だんだん陰鬱になってしまいました。そう、めんどくさいオタクである私は「映画を見たら絶対にフレディに関する解釈違いを起こす、そして憂鬱になってしまう」と、映画を見る前に気付いてしまったのです。

憂鬱がわかりきっているねじ子は、映画を見に行く気力が萎えてしまいました。あんなにQUEENが好きだったのに、ようやくブームになっているというのに、なかなか足が向きません。そんな私を見かねた大上先生が、わざわざ私を映画館まで連れ出してくれました。ありがとう大上先生。そして映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見た私は、感動しながらもやはり解釈違いを起こしてしまったのです。

いや、前半は最高だったんだ。アートスクールの学生だったうだつの上がらないフレディ、その頃の彼女、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド”スマイル”との出会い、日本で先に火がついた人気、コンピュータがない時代の多重録音、公式のプロモーション・ビデオがまだ存在しない時代の「キラークイーン」公式映像が「Top of the Pops」(BBCの老舗音楽番組)出演時の口パク映像であること、「オペラ座の夜」での合唱とロジャーのひときわ高い声、長い曲をラジオでかけるための攻防、いつも違う女を連れているロジャー、着物や伊万里焼などフレディの日本趣味、フレディの快楽主義的な一面、愛猫家、すべてがそのままその通り。素晴らしい再現度。出っ歯で美声のフレディの役者さんの似せっぷりはもちろんのこと、ロジャーもブライアンもディーコンも、まじでそっくり。本人が出演しているのかと思ったもん。いい映像を見せてもらって本当に嬉しい。

でもね、後半の時系列のぐちゃぐちゃに私は耐えられんのよ。特にHIV感染を自覚する時期と、免疫不全症候群(AIDS)を発症する時期と、実際のコンサートの時系列が狂っていて、どうにも違和感を覚えてしまう。当時の私は医学生で、まだ未知で克服できていない病であったHIVとAIDSとその感染ルートについて勉強する必要があり、フレディの事例をその勉強にも役立てたから、感染と発症時期の時系列にひどく敏感なのだ。

物語のクライマックスに使われるコンサート・LIVE AIDは確かにQUEENの健在ぶりをアピールする輝かしいコンサートだった。もう終わった70年代の古いバンドと評されていたQUEENが息を吹き返す、歴史的なライブだった。だけど、あのときまだフレディはHIV感染を知らなかったはずだ。LIVE AIDは1985/07/13、フレディがHIVの感染結果を知ったのは1987年のはず。時系列がおかしい。あそこで彼の病気をもってバンドが一致団結する描写は、あまりふさわしくないと私は思う。病気なんかまったく関係なく、バラバラになりかけたバンドが一致団結した瞬間だからLIVE AIDは素晴らしいのだ。フレディの歌唱力とメンバーの高い演奏力と楽曲の持つ圧倒的な普遍性をもって、QUEENはLIVE AIDの観客の心を鷲掴みにした。完全なる実力主義であり、そこがいいと私は思っている。ちなみにフレディの病気を受けてバンドが一致団結するのは最後のアルバム『Innuendo』の1991年あたりである。もちろんその頃の、だんだん歌が歌えなくなり痩せ細って衰えていく、それでも病気を公表できないフレディをみんなで支えるエピソードもすごく好きだ。

そもそもさあ!フレディはいつだってバンドの緩衝材だったの!フレディはいつも、音楽的対立を繰り返すブライアンとロジャーの間を取り持っていたはずだよ!「フレディがバンドのメンバーと喧嘩しているの見たことない」ってコメントもあったはずだよ!一時期のQUEENの活動休止は、ブライアンとロジャーの衝突が主な要因だったはず!当時の私は雑誌でそう読んだ!QUEENが休止したために、仕方なくフレディはその間だけソロ活動をやってたはず!それなのに、あの映画だとまるでフレディが自分の我儘でソロをやりたがり、そのせいでバンドが凋落したみたいじゃないか!違う!フレディはそんな子じゃない!決して解散危機の引き金を引くメンバーではなかったはずだ!「おい、お前が何を知っているんだ?」って感じだけど、私の解釈では、フレディはそうじゃないの!!

そして、社会について。フレディのHIVカミングアウトは死のほんの数日前であったし、フレディが自身のセクシュアリティを世間に公表することは死に至るまでなかった。そういう時代だった。当時「QUEENが好き」と言うと、女性ファンはともかく、男性ファンはわりとマジで「え?おまえホモなの?」と周囲から言われたりもした。ゲイ文化に(比較的)寛容な日本でさえ、そうだった。当時のAIDSは原因不明の死に至る恐怖の病気であり、無知による偏見がまん延していた。HIVがようやく分離されたのが1983年であり、LIVE AIDの2年前である。先進国でHIVが広がり始めていたこの頃、AIDS発症者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから、ゲイ・コミュニティへの偏見と差別が強く世界を覆っていた。この映画はその社会風景のど真ん中にありながら、それをあまり描写しない。もちろん、それはそれでいい。偏見や差別や未知の病気に対する恐怖などすべてなかったことにして、主人公の周辺に優しく理解ある世界を築き、主人公を大きな愛で包み込む手法はフィクションにおいて多用されている。それはそれで自由だ。でも実際は、ものすごい大きな偏見と恐怖が当時のHIVと免疫不全とゲイの世界には吹き荒れていた。フレディはまさにその中にいて、命を落としてしまったんだよね。演出上の時系列の歪みがその不自然さに輪をかけているように感じて、どうしても私はもどかしく思ってしまう。

まぁ当時の社会のLGBTに対する差別と偏見と、HIVに関する無知と、それにまつわるフレディの苦悩を描写していたらきっと「重すぎる」。大衆映画としてこんなふうにヒットしないんだろう。わかるよ。めんどくさいオタクの解釈違いだって、わかってるよ。役者さんたちの本人再現ぶり、文句なく素晴らしい楽曲郡、映像の再現度、コンサート会場にいるかのような臨場感、LIVE AIDが再び開催されたかのようなカメラワークは最高だった。それでいいんだ。ありがとうブライアンとロジャー。

****************************

さて、オリコンランキングという言葉すら知らない人間が増えている昨今、「俺コンランキング」というタイトルを続けるのもきつくなってきました。テーゼ自体が衰えると、アンチテーゼの文脈も意味をなさなくなっていくのは当然ですね。今年からはもう「楽曲ランキング」という簡素なタイトルにこっそり戻しました。

2019年はいまのところ新しいプリキュアのエンディング『パぺピプ☆ロマンチック』と新しい戦隊のエンディング『ケボーン!リュウソウジャー』が激しい首位闘いをする予定です。どちらも映像・ダンス込みでとても楽しい。楽曲そのものよりも、これから1年を通してどれだけ作品を面白く見続けることができるか。これからの1年を楽しみにしています。(2018.3.29)

2018年ハロプロ楽曲ランキング 私がどんなに傷ついてもハロプロは進む

ハロー!プロジェクトは「ハロメン」と「事務所」と「ハロヲタ」の三位一体によって作られている。突然だが私はずっとそう考えている。ちなみにつんく♂とまことはこの場合「ハロメン」にあたる。

「ハロメン」はたくさんいる。新しい子も次々入ってくる。でも、残念ながら、2018年は私が好きなハロメンが次々卒業を決めた。そういう時期なのだろう。

「事務所」についてはもうあえて何も言うまい。いろいろ事情もあるのだろうし頑張っているとは思うが、少なくとも今年は現状維持目的の活動が目立って新しいアイディアに乏しかった。つまり今年のハロプロは「ハロメン」と「事務所」に新要素が少なく、私はあまり楽しめなかった。

「ハロメン」と「事務所」が低調なとき、見ていて一番面白いのは3番目の要素「ハロヲタ」である。つまり客席が一番面白い。完全に本末転倒だけれど、「ステージよりも客席が面白い」という状況はハロプロにおいてしばしば発生する。

伝説の名曲『ロマンチック浮かれモード』など新しいヲタ芸を次々と生み出した時期もそうだった。そもそもヲタ芸は黄金期を終えたモーニング娘。の人気が急落し、大きい会場にもかかわらず後方席がガラガラでどうしようもないコンサートにおいて自然発生した鑑賞方法である。ステージが豆粒にしか見えない後方席が来ちゃった、どうしよう、周囲はガラガラで盛り上がりに欠け正直つまんない……という状況において、それでもコンサートを楽しむために作り出された応援方法なのだ。どうせステージは見えないから前方を見ない動きがたくさん入る(完全に横や後ろを向いたり、ぐるぐる回ったり)。周りに客がいないから振りが極端に大きい。手足も大きく動かす。ヲタ芸とはもともと、ステージが見えず音しか聞こえないガラガラの環境で楽しむためのいわば「ヤケクソの祭り」だったのだ。

だからモーニング娘。の人気が落ち着いて、来客数に見合った広さの会場でコンサートをするようになった(つまり狭い箱でライブをするようになった)ハロプロからヲタ芸は消えていった。そりゃそうだ、ステージが見えるならステージを見るに決まっている。あんなに動かれると隣の客に迷惑だし。ヲタ芸はハロプロから飛び出してアイドル声優や地下アイドル界隈へと流れていき、Youtubeやニコニコ動画に受け継がれ文化として花開いた。

青空期~プラチナ期の2003~2007年頃にハロプロの現場で成熟したオタク文化もそうであった。「推し」という概念や「推しメン」という言葉・誰でも大好き(DD)・箱推し・現場推し・サイリウム祭り・生誕祭・現場でのコール・振りコピ・踊ってみた・リリースイベント・握手会・チェキ2ショット撮影・そのためのCD大量購入・はがし・手のひら確認・カラーTシャツ・人気投票・年間楽曲大賞・匿名掲示板での活発な議論など、当時のハロプロの現場で成熟した文化は、その濃いファンたちが他の地下アイドルやAKBに流れていったことにより、まるでAKBグループにおいて生まれた文化であるかのように喧伝され世間で消費された。

それでも私たちハロヲタはどんな時期でも、自分たちがおたく文化の作り手の一部を担ってると過度に自負していた。握手会でアイドルを襲撃するAKBオタクが発生した年に、モーニング娘。のコンサートではなぜかアンコール中の誰もいない舞台に上がってピアニカを披露するオタクが爆誕した。アイドルが誰もいないステージに登って、ハロヲタの皆さんに自分の演奏を披露したい。これは確かに私たちハロヲタの一つの夢である。大きなコンサート会場では、終演後いつも場外で自作の紙芝居を披露しているオタクさんがいる。私もつい足を止めてしまう。「結局道重」というTシャツを着てブレイクしているロックバンドもいる。どれもこれもハロヲタらしいエピソードだ。ハロヲタの応援方法はいつも独自で特殊で、私はそれを見るのがとても好きだ。そして2018年、ハロヲタはTwitterでの宣伝力と現場の即興コールでDA PUMP再ブレイクのきっかけを作った。

たとえハロプロに面白みを感じられないときであっても、ハロヲタはいつだって優しくあたたかく変わらぬ姿でコンサート会場にあり続けている。中の一人一人は入れ替わっているはずなのに、なぜか寸分も変わらずそこにある。みんなを見てると心が躍る。重低音の聴いた地響きのようなコールを聴くと、私も元気が出る。私はいつもファミリー席で一人静かにペンライトを握っているただの暗い女オタクだけど、みんなのことを勝手に20年来の友人だと思っている。たとえ去年モーニング娘。が好きになったばかりの人でも、10代でも、ハロヲタであれば全員わたしの20年来の親友だ。私はずっとみんなに励まされている。

素知らぬ顔をしていたけど、ルパンレンジャーのGロッソにもきちんとハロヲタは来ていた。工藤に迷惑をかけないように、「ハロヲタのマナーが悪い」って言われないように、まるで大人の特撮オタクや母親や父親であるかのような顔をして、きちんと現場に来ていた。工藤の顔が映っているグッズを東京宝島で買い漁っている仲間をたくさん見た。私には同族がわかるのだ、だって私もそうだから。私達は名前も知らず顔も知らず、ただ現場やSNS空間で時折すれ違うだけの間柄だけど、魂の底でつながっている。

2018年の私はハロヲタとして散々であった。過去に10年間推していた吉澤ひとみちゃんが逮捕された。ハロプロの未来を今後10年間支えると確信していた梁川奈々美ちゃんが引退を決めた。大好きだった『HUNTER×HUNTER』には自分があまり得意ではないアイドルのネタばかり散見されるようになり、とても読みにくくなってしまった。

私のおたく心は負傷し、回復にしばらく時間がかかる。それでも他のハロヲタが、他のメンバーを推しているみんなが、ハロプロを支えてくれている。私がプラチナ期のモーニング娘。とベリキューを支えている間になんとか鞘師が来て、9期10期も入って、たくさんのドルヲタがハロプロに戻ってきたように、私も次の素敵な女の子がハロプロに入ってくるまで過去の名曲でも聴きながらゆっくり傷を癒やそうと思う。

1位  もう 我慢できないわ ~Love ice cream~ / モーニング娘。’17 (尾形春水、羽賀朱音、加賀楓、横山玲奈)

つんく♂の中にいる14歳少女に逢うために私はハロプロの曲を聴いている、そう改めて実感させてくれる一曲。つんく♀ちゃんかわいいいい!!会いたかったよ!!ずっとずっと君に会いたかった!!!

冷静に戻って分析すると、私はつんく♂の「性に目覚める前の女子」と「性に目覚め始めたばかりの女子」と「好きな人とセックスをする決意をした女子」の歌が好きなのである。その方向で一番大好きなのは『夢見る15歳』。次に好きなのは『愛しく苦しいこの夜に』。残念な方向で大好きなのは『大人の途中』。この観点において『もう 我慢できないわ ~Love ice cream~』は一粒で二度楽しめる貴重な良曲だ。

シンプルに歌詞を読めば、アイスクリームに偏狂する変わった女子のお話である。ただの食欲旺盛な女子だ。でも、性行為やオーガズムを知ったあとの女にとって、この歌の「アイスクリーム」は彼氏やセックスの暗喩になる。ふと気がつくと頭の中アイツのことでいっぱいになるんでしょ。暑い日は当然、寒い日も震えながらほしいんでしょ。寝る前も求めちゃうし寝起きからのガツンでしょ。普段は忘れているのにふとした瞬間に思い出したら、他のすべてが手につかないんでしょ。えっちだなぁ。直接的すぎてこちらが照れるほどだ。無邪気な少女時代には、この曲のタイトルはただのアイスクリーム・ラブなんだけど、恋を知ったあとはアイ・スクリーム・ラブになる。愛を叫んでいるんだよね。完璧なダブル・ミーニングだ。つんく♀ちゃんすげぇよ!

モーニング娘。に加入したばかりのまだ擦れていない新人女子を選んでこの曲を歌わせている点も素晴らしい。彼女らは前者の感覚、つまり「ただの食品の歌」と思ってこの曲を歌う。後者の意味に気が付く年齢の女子には決してこの曲をあてがわない。これがまた、たまらなく味わい深い。終盤の「初めからないならば諦めもつくけれど、知ったからはもうやめられない!」という歌詞には、歌い手がもう一つの意味を「知った」あとに、振り返って赤面することができる二重構造が仕込まれている。「そういうことだったのか!騙されたよ!何を考えているんだつんく♂さん!いや、確かに、知ったからにはもう元には戻れないな……」と思う瞬間が、彼女たちの人生にも必ず来る。素晴らしい。はーちんとあかねちんとカエディとよこやんは、この暗喩にいつ気付くのかな?もちろん気付かなくてもいいし、実は最初から気付いていてもいいよ。

はーちんがいる間にこの曲を生で聞くことができなかったことが私の2018年オタク活動最大の心残りである。この曲を聴くために私は武道館のはーちん卒業公演に行ったのに、セットリストに入ってなかった。はーちんの名台詞「この感動を共有したい」が聴ける『Oh my wish!』もなかった。なんでだよ!卒業コンサートだというのに、はーちんを活躍させるつもりがないでしょ!?嫌になっちゃうよ!そんなセットリスト組むようだから、はーちんという逸材に逃げられるんだよ!はーちんは最も道重さゆみに近い存在だったのに!(5位につづく)

2位  眼鏡の男の子 / BEYOOOOONDS

最高。こんなにトンチキな曲なのに、終始笑いをこらえながら見ていたのに、最後まで見たら突如、自らの青春の記憶ともう二度と戻ることのできない失われた時間がよみがえってきて私は泣いていた。不覚。星部ショウさんの現時点での最高傑作だと思う。聞くところによると、この曲は星部さんが一番最初に事務所に持ち込んだ作品らしい。マジかよ。これが星部さんの本当にやりたい事なんだよな…。すげえな。一番の自信作がこれってことでしょ。めずらしい感性の持ち主だ。間奏のバックに流れてるつぶやき「megane…niau… megane…suteki…」も好き。いい意味で頭がおかしい。一体何を考えてるんだ。

無駄に高い技術力(彼女らはおそらく生歌をテレビで披露するのも人生初のはず)、演劇仕立てのダンスと歌詞と奇妙な衣装(麻雀牌柄の洋服なんて初めて見たよ)、小芝居の始まりと終わり風のイントロとアウトロ、そのくせ丁寧に描かれる思春期の都会の少女達の日常風景描写。これらすべてが見事に融合して、笑えるけど泣ける群像劇ができあがっている。

BEYOOOOOOOOOOOOOOOONDSの「小劇団をテーマにしたアイドル」というコンセプトを最初に聞いた時は「もー、事務所ってばまた変なことを言いだしたよ!いつまで変化球を投げるつもりなの?ハロプロでは普通に歌って踊える可愛いアイドルグループを絶対に作りたくないの!?」と大いに失望したのだけれど、この曲を聴いて評価が180°変わった。こんな曲があってこの曲でデビューするなら、小劇団アイドルは大正解だ。必要以上に芸達者な子役である桃々姫(女弁士役)と、地方アイドル上がりのくるみとみぃみと、電車好きのハロプロ研修生と、どこからか突然現れたお嬢様高校生・島倉りかと、圧倒的センターオーラのゆはねちんを同時に使うには、むしろこのくらいどぎついパッケージじゃないとダメだったんだろう。

ところがこの曲の続編である『文化祭実行委員長の恋』になると、私はとたんに恥ずかしい。共感性羞恥を発動して聴いていられなくなってしまう。なぜだ?「文化祭実行委員長が地味な男子に無理やり女装させる」「そこで彼のかっこよさに気付く」「彼女になる」という展開が、まるで現実味がない絵空事に見えるからか?もともと可愛い女の子の前田こころちゃんを男子役にした上で女装させるというねじれた行為に残酷さを感じてしまうからか?(普通に直球で可愛い女の子をやらせてあげなくていいの?)それともサビのパンチライン「彼は美人な男の子」が、古くより耽美小説やBL漫画で常用されている「使い古された文言」だからか?とにかく恥ずかしい。見ていられない。この違いは一体何なんだろうね。

3位  今夜だけ浮かれたかった / つばきファクトリー

児玉雨子さん珠玉の作詞。先ほどは「つんく♀が作る、好きな人とセックスする決意をした女子の歌が好き」と書いたけど、この曲はまさに好きな人とセックスをする決意をした女子の歌である。「ねえ わたし ほんとうを言うとこのまま帰るの いや、いや」「今夜だけ浮かれたかった 真面目心がじゃまをした」「口を滑らすはずだった」「誰にでも話せるような 思い出作りはしたくない」あたり、勇気を出して誘いたいけど誘いきれない思春期の少女の迷える心情がきれいに描写されている。雨子最高。歌詞から夏の夜風と火薬の匂いがするよ!

この曲の真骨頂はCメロの「浴衣を着なかった理由 まぶたをさす髪の毛 どしたら輝けるの 泣きたいわ」である。メンバー全員が浴衣を着たMVにもかかわらず、この曲の主人公は浴衣を着てないんだよ!最後まで聴くとそれが判明するんだよ!「浴衣を着なかった理由」それはもちろん、途中で脱ぐつもりだったんだよ!意中の相手とどこかの屋内で、裸になるつもりだったんだよ!自分で着られる服にしたんだよ!

でも、できなかったんだよね。少しの勇気を出すことができず、浮かれることもできず、彼女は玉砕する。グループで花火を見に行って精一杯頑張ったのに、決定的な一言を言えなかったんだよね。駅のロータリーで解散するんだよね。「なんでもないよ さようなら」と言って電車に乗るんだよね。帰り道、星空を見ながら「今夜だけわがまま言えば 星空を見なくてすんだ」と回想してるんだよね。うわー!最高の描写!甘酸っぱい!ほんの少し勇気を出して誘い文句を言うはずだったのに、言えなかったんだよね~!わかる!わかるよ!私も小野田さおりんに片思いされる少年になりたい!または、そんなさおりんの横顔を心配そうに見つめる女友達になりたいよ!

4位  素直に甘えて / Juice=Juice

Juice=Juice 2ndアルバムの一曲。朋子の声とボサノヴァサウンドが最高にマッチしている。かなともの歌声が好きだからこの曲が好き。自分でも属人的な選曲だと思う。この曲はかなとものための曲だよね。アルバム曲と言うこともあって、Juice=Juice不動のセンターである佳林ちゃんの出番は少ないけど、この曲の大人の女性の誘惑描写は佳林ちゃんには合わないので、これでいいと思う。

段原瑠々の「今時なフリだけは一丁前」、かなともの間奏あけの「男のくせにおしゃべりが過ぎるわ 愛してみたいのなら本音を晒して」(※とても好きなパートだけど、あまりにジェンダーバイアスの強い歌詞でどうかと思う)、稲場まなかんの終始クネクネした動き、すべてが大人。幼い少年を誘惑する大人の女性を演出している。そして最後の最後に、最年少の梁川奈々美ちゃんによる「覚えて~cherry~♪」。ここで我々ハロヲタは盛大にずっこける。まさにハロプロ。このミスマッチこそハロプロの真骨頂である。やなみんはきっとcherryの意味を「さくらんぼ」しか知らないはずだ。それがいい。「さくらんぼだと思ってるなー」って歌い方しかできないやなみんが、cherryの意味を完全に把握した大人の女性になったのちに、またこの曲を歌う。歌い方もきっと変わる。その時が来るまで10年間、この曲とやなみんの成長を見守るのがハロプロの醍醐味だ。それなのに!やなみんは卒業してしまう。いやだ!そんなのいやだよ!

やなみんがいなくなってしまうことを私はまだ信じ切れていない。卒業するコンサートの箱がとても小さいことも悲しい。絶対に入れないじゃん、誰だよ会場決めたやつ。もっと大きいところでやれよ。武道館でやれよ。ひなフェスでやれよ。できたはずだよ。

他の人のことは知らない。少なくとも「私にとって」2016年に行われた新体制は失策であった。私が好きだったグループはどんどん形を変え、好きだったメンバーはどんどんアイドルに見切りをつけて辞めていく。それでもこの計画を主導した人たちは決して責任をとらない。決して失敗とは認めないし、計画の変更もしないし、損切りもしない。損切りをさせられているのは人生をかけている若い女子たちである。カントリーがあんなことになっていなければ、やなみんはまだ辞めなくてすんだはずだ。

そもそも現在のハロプロは誰が責任者なのかさっぱりわからない。作品をプロデュースするにあたり顔も名前も出さないでいいんだから、責任なんて取れるわけがないし取る必要もない。そりゃそうだ。でも、それって、芸術作品と言えるのかな?作品を作るという行為は、その作品が生み出す良い影響も悪い影響もすべて自分の名の下に責任を取る覚悟があるからこそ、許されるのだ。コミケや同人誌やpixivでさえ、奥付に作者名のない作品など許されない。

首謀者の顔も名前もわからないまま、ハロプロはきっと今後も続いていく。どんな失策をしても何のダメージもなく、のうのうと同じ場所に同じ首謀者たちが座り続けるのだろう。それは何より私の心を萎えさせる。つんく♂の「責任者がないならば組織である意味がない」という歌詞はシンプルに今のハロプロを指していると私は思う。SNSでは日大ラグビー部のタックル問題を予言しているといわれていたけど。

4位   自由な国だから / モーニング娘。’18

決して好きなメロディではない。制服の衣装も好きじゃない。でも、私のための歌詞だから。「この曲は私のためにある!この歌詞は私のために書かれた!」と感じる瞬間が今まで何度もあった。2018年ハロプロ歌詞だけランキングでは堂々1位である。

この曲はとにかくサビだ。「自由な国だから 私が選ぶよ」このワンフレーズだけが私の脳内で何度も反復される。特に去年の夏はそれが顕著で、医学部受験の女性差別のニュースを見るたびに、そのニュースを受けて自分の身を守るためのポジショントークしかできない現役医師たちを見るたびに、外野から物知り顔で意見を述べているつもりで実はただ自分の中の差別意識を露呈している状態の人を見るたびに、この曲のサビが何度も脳内で再生された。

つんく♂さんは「自由な国だから 私が選ぶよ」って言ってくれるけど、この国は自由な国じゃなかった。私たちは、ちっとも選んでなんかいなかった。私が自分で選んでいるかのように、とりつくろわれているだけだった。

私は医者になることを自分で選んだ。そのつもりだった。でも、そうじゃなかった。自分で選んでいる「つもりに」させられているだけだった。私たちはだまされていた。男も女も現役生も多浪生も、医学部受験生はみんなだまされていた。公開されていない条件で競わされていたんだから、受験生はみんなだまされていたのだ。

「自由な国だから」を聴くたびに、私は強い悲しみにとらわれているだろう当事者の女子を思って泣いてしまう。今も「自由な国だから」を聴くと涙腺が緩む。「つんくさんはそう言ってくれるけど、日本はちっとも自由な国じゃなかった!選ばせてもらえなかった女の子たちがたくさん、たくさんいるんだ!私の後輩になって、私の仕事を楽にしてくれるはずだった女の子たちだよ!」と叫んでしまう。

自分で選んだわけでもない「性別」のみによって明確に差別されたこと。いくら努力をしてもすべてを無にされること。そのくらいの圧倒的な差別を受けること。その差別を平然と、悪びれもなく、正当化する人たちがかなりの数でいること。そんな人たちが複数の大学の医学部の上層部に居座っていること。すべてが苦しくて、すべてが悲しい。

「あの時のセリフとニュアンス全然違うね 恥ずかしくないのが不思議だよ」という歌詞も、差別発覚後の医大側の対応に寄り添う歌詞だった。順天堂大学が出してきた、面接での男女差別を「(男子と比べ)女子のコミュニケーション能力が高いから」としたいいわけ、それを保証する根拠として米国の論文を出してきたのを見たとき、私は笑ってしまった。まさに「恥ずかしくないのが不思議だよ」。それ以外の感想を持てない。そんないいわけして恥ずかしくないのが本当に不思議だよ。

(もちろん論文の作者であるアメリカの学者・米国のテキサス大のローレンス・コーン教授は反論している。自分の論文を差別の根拠に使われてはたまったもんじゃない。当たり前だ。そんなことをされたら学者生命の危機だ。優生学の発展に寄与したナチス・ドイツの学者と同じ道を歩みたい学者など、どこにもいないのだ。)

私の後輩女医になるはずだった賢い女子学生達を苦しめることは絶対に許さない。少なくとも社会学的には「2018年当時の日本には明確な女性差別があった」例として、この事件は永久に教科書に載ることが決定している。その点では東京医科大学と順天堂大学と北里大学と聖マリアンナ医科大学(反論中)は歴史に名を残した。決して医学的業績ではないけれど。

ニュースを見るたびに私は怒りでどうにかなりそうだった。あまりに心が傷付き、目に入る何もかもを暴力的な言論でねじ伏せてやろうか、という衝動が沸くほどであった。私たちが「1928年のイギリスでは女性一人で図書館に入ろうとすると断られた」というヴァージニア・ウルフの文言を見て「うわー、当時のヨーロッパは野蛮な差別社会だったんだね……」と冷笑さえ浮かべるように、「2018年の日本では女性が医学部入試で減点されていた」という事実は、未来人にとって、2018年現在の日本があまりに野蛮で差別的な失笑ものの時代であることの証左となる。これはもう決定事項だ。だから私が個人的に憤る必要はない。わかっている。正しくない衝動だって自分でもわかっている。それなのに、ニュースを見るたびに怒りの業火が私を包んでしまう。

でも、つんく♂さんが私の代わりに怒ってくれてるから。「自由な国だから」って高らかに宣言してくれているから。だから私が大声をあげて抗議しないですんでいる。きっとそうだ。ありがとうつんく♂さん。これからも、憤りが私を支配するたびに『自由な国だから』を聴くよ。そしてこの世の残酷さを思って泣くよ。そしてこれからも「私が選ぶよ」。自由な国だからね。朝どの靴をはいていくかも、化粧をするかしないかも、スカートをはくかズボンをはくかも、タンポンにするかナプキンにするかも、コンドームと低用量ピルのどちらで避妊するかも、ドトールのミラノサンドをAにするかBにするかCにするかも、住む場所も、もちろん職業も、この文章を上げることさえも、すべて私が選ぶよ。私の選ぶ権利を迫害する存在には全力で立ち向かっていくよ。

5位  Are you Happy? / モーニング娘。’18

この曲を聴いていると脳がしびれる。頭蓋骨がゆれる。とんでもない熱量と圧を感じて一歩引いてしまう。「ここから出して!」の連呼と「すごい好きだから すごい寂しい」「一緒にいた後は 不安しかない」での主人公女子の意識のゆらぎにつられて、私の心も揺さぶられるんだろうな。

(1位から続く)はーちんは可愛かったなぁ。はーちんがいなくなって私はかなしい。量産型でない個性的な顔立ちなのにとびきり可愛く、一発で顔が覚えられる子だった。声質も可愛かった。頭もよかった。根性もあり、それを表に出さずにスイスイと動ける子だった。彼女に足りないのは歌唱力だけで、それ以外は何もかもを持っていた。それなのに彼女はいなくなってしまった。今のモーニング娘。は、はーちんがのびのびと長期間いられる環境ではないのだ。その事実が悲しい。

この曲ははーちんの卒業曲であり、はーちんの歌だと私は思っている。「ここから出して!」も「来年の誕生日の分 先に愛してね」も、そのままはーちん。モーニング娘。を辞めて名門大学を目指す関西上流階級出身の女子の歌だ。

おそらくはーちんの家族、はーちんの住んでいる世界において、彼女がモーニング娘。であることにそこまで高い価値はない。我々おたくにとってみれば「この世のすべて」と言ってもいいほど高い価値をもつモーニング娘。だけど、おそらく関西名門私立高校出身、フィギュアスケートをたしなむ御家庭において、モーニング娘。であることにそこまで価値はない。大学卒という学歴の方が家庭内での価値がよっぽど高いのではないだろうか。いや、ひょっとしたら「大学に行ってない人間など親戚じゅう見渡しても一人もいない」レベルかもしれない。大学に行かないこと自体があり得ない、考えられない環境なのかもしれない。

はーちんはきっと人一倍苦労しただろう。さまざまな大人の意見に挟まれて、自分が何者で何をしたらいいかわからなくなったのではないか。なんで自分がモーニング娘。に選ばれたのかも、よくわかっていなかったかもしれない。彼女は唯一無二の存在だから選ばれて当然なんだけど。その美貌と上品さと頭の良さ、自己主張の少なさ、すぐに溶けてしまう春の薄氷のような儚さは、彼女のイメージカラーである水色と相まって他の誰にもない魅力を醸し出していたのに。

2番のはーちん唯一のソロパート「努力してるでしょ わたし 幸せになりたい」のはーちんのアップが映るところで、私はいつも悲しい気持ちになる。そうだよ、はーちんは努力していたよ。誰よりも人一倍努力していたよ。はーちんが10年間いられるような、10年後に立派な花を咲かせるような、そんなモーニング娘。であってほしかったよ。

はーちんは道重さゆみと入れ替わるようにモーニング娘。に入ってきた。はーちんは誰よりも道重さゆみに近い存在だったと私は思う。さゆに憧れて芸能界に入ったアイドルは山ほどいる。でもその誰よりも、はーちんは道重さゆみに近かった。さゆのことを全く意識していないはーちんこそが、10年後に道重さゆみになれる。最初は歌もダンスも下手、西日本の名家のお嬢様、とびきりかわいくて個性的な外見、かわいい声質、頭が良くトーク力が高い、ファンサービスの上手さ、画像加工能力の高さ、人知れず努力できる根性。当時のさゆにそっくりである。はーちんが10年間モーニング娘。にいられたら、彼女は道重さゆみになれたはずだと私は今でも思っている。

でも、当時と今は時代が違う。モーニング娘。はもうそこまで人気がない。将来の保証もない。はーちんを引き留められるだけの満足感と充実感を彼女に与えることは、我々にはできなかった。はーちんは芸能の世界に見切りをつけ、自分の家族の世界に帰って行く。

はーちんは頭が良すぎたんだ。はーちんも、ももちも、やなみんも、藤丼も、たぶんよこやんも、みんな頭が良すぎたんだ。だから「ハロプロに長くいても意味がない」って気が付いちゃうんだ。気付いた瞬間にもうアイドルなんてやってられなくなるんだ。わかるよ、そりゃそうだよ。だって今どき、満足に大学にも行かせてもらえないくせに、25歳で追い出されるんだよ!そりゃないよ!現在の20代子女は、大学新卒就職がうまくいかなかったら将来飢え死にする危機感をもって就活に挑んでるんだよ!寿退社とか25歳定年とかあまりに非現実なんだよ!子供が生まれたって仕事は続けるんだよ!片方の親だけじゃ収入が足りないから!給料は上がらないから!高度経済成長時代のおじいちゃんたちと価値観がまるで違うんだよ!

こんなにハロプロが好きな私も、自らがハロプロに入ろうとは思わない(※もちろん見た目的にも年齢的にもまったく!入れるはずない!ってことはわかってます※)。私から「学問の自由」と「表現の自由」を奪う団体に私は所属できない。ハロプロ大好きだけど、その中に入ってたった一度の人生をかけることは絶対にできない。だからこそ、ハロプロでアイドルに人生をかける決意をした女子のことは全力で応援する。はーちんは彼女の魅力が詰まった儚く素晴らしい卒業コンサートをした。はーちんが大学に行きたいと思うのは当然の欲求である。「学問の自由」は憲法で保証されている。自分にしかないやり方で幸せになって欲しい。

6位   フラリ銀座 / モーニング娘。’18

フラリ銀座好き。つんく♀ちゃんの恋する乙女の歌がモーニング娘。のシングルで炸裂するのは久しぶりである。うれしい。

銀座から日本橋まで思ったより近いんだな、という現実感と、「腕組んでると二人 星まで行けそう」と感じる、時空を超越した高揚感。この2つが同居している歌詞の世界観がたまらなくつんく♀。好きだ。いつものつんく♀ちゃんの発情ソングだ。

そしてこの曲は石田亜佑美の曲だな。仙台の可愛い田舎娘が、あの!噂で聞く都会の街!銀座に!行くから!すごく頑張って!はしゃいじゃっている!様子がとてもよく出ている。ワクワクが手に取るように伝わる。自分なりに頑張った(結果的にレトロになってしまった)服で、初めて銀座に行く!しかも彼氏と歩く!その高揚感(星まで行けそう)と身近な現実感(銀座から日本橋まで思ったより近い、飯もうまい、という実際に街を歩いてみたときに心に浮かぶ意識の流れ)の両立が素晴らしい。ダンスのセンターをあゆみんが張ってるのは当然だと思う。

7位    46億年LOVE / アンジュルム

往年のSMAPの名曲を作っていた林田健司さんの曲。ハロプロ提供はこれが初めて。ファンキーでとてもいい曲だ。むしろなぜこの曲を男性アイドルに提供しなかったんだろう?ジャニーズの男性アイドル達が歌っていれば、かなりのヒット曲になったのでは?そっちの方が林田さんのもらえる印税額も多かったのでは?こんなにいい曲をもらえて、我々ハロヲタとしては本当に嬉しいしありがたいのだけれど、純粋に不思議です。

アンジュルムはこれまでいろいろな路線を模索してきた。その中でも私はファンク路線が好き。『臥薪嘗胆』が好き。『うまく言えない』が好き。男性ボーカル加工された『臥薪嘗胆』がとても好き。

こういう男性ファンクボーカルっていま、岡村ちゃん以外あんまりいませんよね。当時のSMAPや一時期の関ジャニ∞が担っていた役割。誰か来てくれ!和製ファンクで女性ファンを魅了してくれ!待ってます。

8位    ハロー! ヒストリー / ハロプロ・オールスターズ

ヒャダインさんがとても丁寧な仕事をしてくれている。ありがたい。ヒャダインさんはハロプロ全グループをよく見てるなぁ。もっといろんな場面でこの曲を歌って欲しい。

ドラマ主題歌になった『蓼食う虫も like it!』より、『ハロー! ヒストリー』がずっとずっと好きだ。ていうかどうしてドラマタイアップが『蓼食う虫も like it!』なの?ハロプロ楽曲大賞を取った『46億年LOVE』がB面扱いなのはなんで?

もちろんヒャダインが悪いわけではない。だってヒャダインの作った他の曲、『ハロー!ヒストリー』も『WE ARE LEADERS! ~リーダーってつらいもの~』もすごくいいのだから。どうしてハロプロは、良い商品ほど奥に隠して陳列するんだろう?どうして?客として純粋に不思議。結局のところ、ハロプロという組織はたくさんの大人の声が入れば入るほど楽曲がダメになっていく場所なのだと思う。なぜかは知らない。

9位   雑煮でケンカしてんじゃねーよ / 宮崎由加(Juice=Juice)、牧野真莉愛(モーニング娘。’17)、川村文乃(アンジュルム)

これから正月のたびに脳内でこの曲が流れる。確実に毎年流れる。私の灰色の脳細胞はそういうしくみになっている。雑煮でケンカなんか誰もしないわ。でも「雑煮」を話のネタにさまざまな食卓で自分の生家の風習について語らなければいけない場面は、私のこれからの人生においてきっとたくさんある。毎年ある。そのたびに私の脳内には「雑煮でケンカしてんじゃねーよ♥」という宮崎さんの少し外れた可愛い歌声が流れ続けるのだ。彼女が卒業した後も、歳をとった後も、ずっとずっと。こんなに恐ろしいことはない。渡部チェルさん恐るべし。

以上です。2018年は豊作の年でした。つばきファクトリーの曲ぜんぶ、「Never Never Surrender」「銀色のテレパシー」「春恋歌」「青春シンフォニー」「夜中 動画ばかり見てる…」「マナーモード」「Uraha=Lover」もよかったですが、特記すべきことが少ないので割愛しました。

2019年は術後5年を迎えるつんく♂さんの復活と、BEYOOOOOOOOOOONDSの展開に期待しています。奇妙奇天烈だけど現実味がある(ここ大事)小劇場をお願いします。(2018/3/20)

2017年 ねじ子のハロプロ楽曲ランキング

ここ三ヶ月ハロステよりもハロヲタステの方をよく見てるねじ子です、やっほーたい。今年はハロプロハーブが不足した一年でした。

いや、上半期は素晴らしかったんだ。集大成ともいえる卒業ライブが続き、悲しいながらもすがすがしい達成感のある充実したオタク生活を私も送っていたんだ。ところがどっこい、6月以降のハロプロは凄惨な別れと断絶がくりかえされるばかりで、私のやわなハートはぼろぼろである。単純に言えばみんな辞めすぎだし、グループは解体だの増員だので変わりすぎだし、結果どれも没個性になっているし、肝心のリリース活動は縮小しすぎである。困ったもんだ。

ハロプロが「アイドルの公務員」と揶揄されていた時代は終わった。父親のようにメンバーを長年守ってきたつんく♂もハロプロを去った。メンバー採用時の契約や雇用条件も徐々に変わっているのかもしれない。メンバーは大量に登用され、次々に辞めていく。時代に合わせてついにハロプロも、薄利多売の使い捨て商売に足を踏み入れたのかもしれない。

私は女性アイドルとの握手にもハイタッチにも2ショット撮影にも興味がない。でも、それらはお客さんにとても人気がある。お金も儲かる。接触商売と色恋商売は身の危険と隣り合わせの肉体労働だから、続けているアイドルはどんどん消耗し、辞めていく。既存のメンバーは次々と脱落し、新兵のように若いメンバーが投入されるも、見せ場を作ってもらえる機会もないままに続々と消えていく。サイクルだけがどんどん早くなり、結果として、女性アイドルという職業は「使い捨ての駒」になる。残念ながら、そこに愛はないし芸術もない。

私はただ、愛を持って長期的にメンバーを育てつつ、誠実に音楽を作り、「生歌で」踊るライブを続けてくれれば、それでいいのだが。ハロプロは20年間そうやってきたはずなのだが。現状はそれも難しいのだろうか?日本のポピュラー音楽を支える環境はそこまで困窮しているのだろうか?CDが売れず、Youtubeに対応できず、ものづくりもおぼつかなくなって、年端もいかない女の子に握手させるしか金儲けのアイディアが残っていないのだろうか?ひょっとして業界全体が破綻の道を進んでいるの?そんなのいやだよ。しっかりと音楽を作り続けてくれさえすれば、私はいくらでもハロプロという楽園に踏みとどまれるんだ。つんく♂という偉大な音楽家、兼父親のいなくなったハロプロに果たしてそれが可能なのだろうか?私にとって今後のハロプロは未知の領域に突入する。

私自身はつんく♂さんに帰ってきてほしいと思っている。特にモーニング娘。に関してはつんく♂さん以外の作品を求めていない。私はモーニング娘。をつんく♂さんの名の下に「作家買い」している。

そもそも鑑賞や評論というものは、どうあがいても作者に依存されて行われるものだ。それがさだめである。サラリーマンの給与の範囲で買った名もない仏像でも、運慶作だと判明したとたんに数十億円の値がついてサザビーで落札されるのだ。かくいう私も、三島由紀夫の長編小説が好きだから、彼の糞みたいな男尊女卑観満載のエッセイも我慢して読むのである。糞だけど。一人の作家を好きになったら、その人の全集を読む。それが鑑賞であると、私は高校時代に教わった。そしてモーニング娘。はつんく♂の全集であり、つんく♂の作品集だ。ほかのものはいらない。それがどんな名曲であっても、ほかのものはいらないんだよ。

正直に言えば、つんく♂さんという「がんサバイバー」に対する事務所の対応に、医者として少なからず憤りを感じている部分もある。もし発表されている病状が「事実ならば」、つんく♂さんの5年生存率は90%以上あるはずだ。つまり、ほとんどの場合、このまま生き延びる。逃げ切れるはずなのだ。「10%も死ぬじゃん!」と言われても、普通に生活している人間だって事故で突然死ぬことはある。「おまえ将来、交通事故で死ぬかもしれないからクビね」と言われたら、これはかなりの理不尽であり、誰もが就業差別だと思う。「おまえは5年後に10%死んでるかもしれない」という理由でつんく♂さんのライフワークを取り上げてしまっている現状に、私は結局、納得ができていないのだ。ただでさえ生きるのに不安と苦痛がともない、治療に結構なお金と時間がかかる「がんサバイバー」の皆さんを、さらに苦しめることになってしまう。そんなのは医者として認められない。「がんサバイバーから仕事を取り上げるな!つんく♂さんは私の心を何度も闇からすくい上げてくれた、命の恩人なんだよ!彼を排除した事務所を許せない!」という、非常に子どもじみた憤りにとらわれてしまうことが、正直に言うと何度もあった。

※ちなみに、がんになっても仕事を辞めない・辞めさせないことは、今の日本の医療におけるスタンダードである。がん患者の就労支援の取り組みとして、厚生労働省も「今すぐに仕事を辞める必要はない、と患者に伝えろ」と基幹病院にお達しを出している。

実際は発表されているよりも病状は重いのかもしれない。私からは見えていない真実だって、きっとたくさんあるだろう。私の憤りは、ただ一面からしか見ていない短絡的な思考である可能性が高い。それでも私は、今後何が起こっても、少なくともモーニング娘。だけはつんく♂さんの意のままに音楽をやらせてあげてほしいと思っている。

12月に発表されたモーニング娘。の新しいアルバム『⑮thank you,too』は素晴らしかった。アルバムを通して聴いた私は天を仰ぎ、叫んだ。「つんく♂はまだ、モーニング娘。をあきらめていないのか!」と。つんく♂さんがモーニング娘。をあきらめていないから、私もモーニング娘。をあきらめることができない。困る。こんなにいいアルバムを作られちゃ困るんだよ。藤丼がいなくなってから、私は糞事務所の糞事務所ぶりにうんざりして、もうハロプロごと見捨てようと、ずっとずっと思っていたのに!どうしてつんく♂さんはハロプロを、モーニング娘。を見捨ててくれないの!?あんなにひどいことをされているのに!?どうして!?あなたが見捨ててくれないから、私もモーニング娘。を見捨てることができないんだよ!困るよ!私は今ハロプロハーブが完全に切れていて、ようやく20年間にわたる依存から逃れられる、ハロヲタがやめられるかもしれないって思ってるのに!

いつだってそうだった。矢口が脱走したときも、℃-uteが5人になったときも、スマイレージからゆうかりんが抜けたときも、鞘師が留学したときも、私はいつも「もう終わりだ」と思った。ハロプロのすべてにうんざりして、既存の曲すら聴けなくなった。それでも、つんく♂の楽曲はいつだってハロメンを見捨てなかった。私はつんく♂の作る新しい曲によって、何度も何度もハロプロに引き戻されてきた。たった一曲しか書き下ろさなくても、その強大な引力によって、いつも私は第二宇宙速度を出し切れずに、ハロプロという星の重力圏内にむりやり引き戻されてきた。今回もそうだ。

唯一つんく♂とのつながりを明言しているモーニング娘。が、いろいろありながらもハロプロ内で文句なしの一強状態なのは至極当然のことである。だってまだそこにはつんく♂がいるから。そこにだけは、いるから。そもそも、つんく♂が苦手な人は、もうとっくに48だの坂だのスターダストだのアイマスだのラブライブ!だのアイドル声優だのに移行済みだよ。今さらハロプロを支えている酔狂な人なんて、つんく♂が好きだからに決まってるじゃないか。それ以外に何の理由があるのさ。あ、ロリコンの皆さんがいたか。そうだそうだ、彼らを忘れちゃいけない。和月先生、おへその国へ来て我々といっしょに松原ユリヤちゃんを今後20年間応援しませんか?こっちは完全合法ですよ?

つんく♂という巨大な引力を持つカリスマのいなくなったハロプロ(とくに娘。以外のグループ)が、現在の売上減少を乗り越えることができるのかどうか、私にはわからない。私自身も、セットリストにつんく♂の曲が少ないと判明しているライブへ足を運ぶ機会が極端に減ってしまった。今後どうするつもりなんだろう?『ジェラシージェラシー』よりも『BRAND NEW MORNING』を表題曲にする決定をしたハロプロ上層部(どうやら私とは感覚が違うらしい)のお手並み拝見である。

1位 モーニング娘。’17 ジェラシー ジェラシー / モーニング娘。’17

 

最高の歌詞とつんく♂節。

まず、白黒半分に分かれた衣装が好き。イントロをセンターでバキバキに踊る石田あゆみちゃんの動きが好き。ふくちゃんがクネクネしながら「羨ましいのに」って歌うところが好き。ふくちゃん史上最高のソロパートだと思う。これまでのふくちゃんの数あるソロの中でも最も表現力が高い。きっとふくちゃんは本当に、他のメンバーを見て「若いだけでうらやましい」「細いだけでうらやましい」と思ってるはず。ぴったりなんだよ。

「人間 脳なんてきっと多分ほとんどMade with Jealousy」の小田さくらにいたっては、もう人間ではない何者かに進化している。メーテルとか妖怪人間ベラとか日活ロマンポルノの未亡人とか指名手配ポスターの中にいる過激派政治団体の女幹部とか。たった一人で女王の風格。女子フィギュアスケートでいうなら、すでにカタリーナ・ヴィットかミッシェル・クワンかアリョーナ・レオノワ。他の女子たちが習い事の延長、または学校の部活でフィギュアスケートを滑っているのに、ひとりトリプルアクセルが飛べなくなった20代後半ベテラン女子選手が醸し出す妖艶な風格を身にまとっている。

そして誰もが評価する謎のラップ「Rich Young Girly 細い」。細い。Skinnyではなく、細い。突然の日本語。ダサい。そして大サビ前に音が一瞬止まっておっさんの声で突然入る「ジェラシー」。最高にダサい。笑っちゃう、でもそこがいい。くせになるダサさだ。これは昔からハロプロに参加しているラッパー・U.M.E.D.Y.さんの声である。一番有名なのは『恋愛レボリューション21』のイントロ「へいよー れんあい れぼりゅーしょん にじゅーいーち いくぞ よーなーう!」の声ね。

U.M.E.D.Y.さんは脳腫瘍(しかも悪性度の高い膠芽腫)で、もう長いこと闘病していた。この曲はつんく♂さんとU.M.E.D.Y.さんという、ともに40代でがんに罹患した音楽家の曲なのだ。そう考えると、歌詞の趣も変わってくる。他の女子にすぐに嫉妬しちゃうありがちな10代女子の心情だけではない。死に至る病と戦わざるをえない運命につき落とされた若き音楽家である両名が、健康で未来ある他の音楽家に嫉妬し、もがきながら作った曲なのである。なんで自分だけがこんなに早く死ななくちゃいけないんだ、悔しい、他の音楽家に嫉妬する。それでも「悔しさが明日を作る」と信じて「悔しさが情熱に着火」しながら作った作品なのだ。嫉妬を原動力に「だからこそ明日に向かう」し、そんな「私の努力を誰かたたえて」と叫んでいるのだ。このリリックをつんく♂さんがどんな気持ちで書いたのか、U.M.E.D.Y.さんがどんな気持ちで歌ったのか、それを思うとたまらない。U.M.E.D.Y.さんは闘病のすえ、この曲のリリースの10ヶ月後に亡くなった。こうなるともう、私にとって『ジェラシー ジェラシー』は断末魔の魂の叫びになってしまう。

この曲とカップリングで「新時代の幕開け!」などという単調な歌詞を書かされ、図らずも歌詞の深度を比較されることになってしまった星部ショウさんには同情を禁じ得ない。

2位 つばきファクトリー 笑って / つばきファクトリー

おしゃれで可愛い色合いのMV。「笑って」と言いながらも笑わない映像。可愛いメロディと歌詞。メンバーも全員可愛い。作詞作曲は「泡沫サタデーナイト!」でおなじみ津野米咲さんです。笑わないりさまるが好き。おのみずの歌声が好き。巻き込まれちゃった田舎娘感が強く残るあんみぃも好き。天才かつ天真爛漫な大阪娘のまおぴんも好き。ロコドル出身らしいあざとさをもつイカちゃんも好き。男性向けの薄い本で拉致監禁→快楽墜ちする美少女にありがちな要素をすべて兼ね備えた外見のりこりこも好き。つばきはいいな!この良さがずっと続いてほしいな!いつまで続くかな!ずーっと続いてほしい!けど!決してそうはならないんだろうな!

3位 Juice=Juice Fiesta! Fiesta! / Juice=Juice

Juice=Juice新メンバー加入後のデジタルシングル第一弾。作詞作曲はペルー出身のエリック・フクサキ。デジタルシングルの欠点は正しい歌詞の流布に時間がかかることである。MVの発表も妙に遅かったし。おかげさまで、Fiesta!Fiesta!スペイン語ラップ部分はニコニコ動画において空耳天国になってる。「キッコーマン!」「アフォ!」「物申す!」「馬!」「馬!」「馬!」「馬!」「バス移動!」「ダ~メよ~」は耐えられたけど、「一般のお客さんは座って!」と「飲み続けてゲロった!」で私の腹直筋は死んだ。

さて、Juice=Juiceに新メンバーが入ってきたのはつらかった。

わたしはやなみんのことをカントリー・ガールズ加入当初から「ハロプロの今後十年間を支える救世主だ」と思っていたし、『Ready Go~ありのままで~』は松たか子よりもMayJよりも、段原瑠々ちゃんがハロプロ研修生公演で歌ったやつが一番心に響くと思っている。デビューできるかどうかすらわからないのに、広島から単身出てきた彼女の悲壮の決意がにじみ出ていた。

私はJ=Jの5人もみんな大好きだ。追加メンバーの2人も大好きだ。それなのに、つらかった。J=Jの新体制を見るのがきつくてきつくてしかたなかった。「どうして私がこんな気持ちにならないといけないんだ!個人ではみんな大好きなのに!どうしていいのかわからない!」という状態で私は数ヶ月を過ごした。

ねじ子は初期のJ=Jつんく♂曲が大好きだ。作業用BGMとしてもう1000回は聴いている。特にかなともの声が好きで、彼女のパートはすべて覚えている。覚えるつもりなどなかったのに、耳が勝手に覚えてしまった。彼女の声が聞こえるはず、と心が期待しているところで、彼女以外の声が聴こえてくるのがつらい。彼女は辞めたわけじゃないのに、まだグループに健在で、病気を抱えながら日々がんばっているというのに。彼女のパートで彼女でない声が来るのがつらい。予想以上につらい。新しいパート割を聴くたびに心が沈んでしまう。もちろん、かなともが悪いわけではない。パートをもらった新メンバーが悪いわけでもない。メンバーを恨むのはお門違いだ。悪いのは決定権があり、かつ表には出てこない大人たちである。わかってる。それでも、がっかりしてしまう。「新しいパート割、きっついなぁ……」と思ってしまう自分もきつい。

Juice=Juiceの武道館公演へ行くかどうかもさんざん迷った。過去の曲、とくに『イジワルしないで抱きしめてよ』のかなともパートをかなともじゃない人が歌っているのを聴いたら、私は気が狂う。正気ではいられない自信があった。ぜったいにぜったいにがっかりして、膝から崩れ落ちてしまう。わざわざ仕事を早退し、周囲に迷惑をかけつつ子どもを夫に預け、寒空のなか武道館まで行き、明日も仕事だと言うのにわざわざ陰鬱な気持ちになるのかと思うと気が重かった。すると、とたんにチケット代8000円が重い。発券手数料と決済手数料の合計540円はさらに重く感じた。

そのたびに、私はFiesta!Fiesta!のライブ動画を見ることにしていた。

「金澤朋子のへそと尻を見るだけでも8000円の価値はある!」と呪文をとなえ、私はなんとかハーブを補充しつづけた。結果として行ったJ=Jの武道館公演はとてもよかった。歌が上手いって素晴らしい。フルコーラスって素晴らしい。つんく♂の古い曲をガンガンに歌ってくれるのも素晴らしい。全員にパート割があるのも素晴らしい。『Never Never Surrender』1番ラスト、全開の笑顔でセンターを張るかなともを見たときは昇天した。「ここだよ朋子!」って大声で叫べただけでも料金の元は取れている。うん。うん。それでもやっぱり、かなとものパートがかなともでないたびに、私のやわなハートにはヒビが入りまくったんだけどね……。特に「ねぇねぇ私のどこが好きよ」と「ねぇねぇあなたの匂い好きよ」と「今日も戦うエブリディ」は今からでも遅くないから、かなともに戻してくれないかな……。そして、あんなに求めていた!かなとものへそ出し衣装は!なかった!なんで?おかしくない?ここ、おへその国でしょ?おへその国を自称しているくせに最近のハロプロはへそ出し衣装が少なすぎるよね!?ちゃんと練習してきたん!?

4位 誤爆~We Can’t Go Back~

これだよ、これ。星部ショウの真骨頂はこれだよ。こっちでしょ?『BRAND NEW MORNING』も『弩弓のゴーサイン』も『五線譜のたすき』もぜんぜん面白くなかったけど、この曲はとても面白い。ていうか、『BRAND NEW MORNING』において星部さんは自分の書きたいことなんて一文字も書かせてもらえなかったんじゃないかな。あれ、全部上からの指示でしょ?指示された文言しか入ってない歌詞でしょ?そのくらい、あの曲からは作者の意思が感じられなかった。作者の上から入った指示と、その下でぺしゃんこに潰されている星部さんと児玉さんの肉片の残骸はよく見えるんだけど。だから『BRAND NEW MORNING』も『弩弓のゴーサイン』も『五線譜のたすき』も、作品としてはつまらなかった。それに反して『誤爆~We Can’t Go Back~』は最高に面白い。ハロプロ研修生北海道の『リアル☆リトル☆ガール』も面白い。Juice=Juiceの『TOKYOグライダー』『Never Never Surrender』も面白い。インディーズ向け作品や、タイアップが何もない時期にスッと挟み込まれる楽曲の方が出来がいいという、つんく♂にありがちだった法則が、星部ショウさんにもすでに当てはまってしまうのか……。ああ……。

5位 モーニング娘。’17 邪魔しないで Here We Go! / モーニング娘。’17


変な曲。そしてねじ子が今年最も萌えた曲。どぅーが卒業するに当たって最後に作られた、まーどぅーのための曲である。いしよし・辻加護以来の、モーニング娘。の長い歴史においても屈指の人気を誇ったカップリング・まーどぅーの片割れが卒業するにあたって、つんく♂が作った最高のレクイエムだ。まーどぅーは奇跡、まーどぅーは宇宙。まったくもってその通り。

こうは言うが、工藤はいい時期に卒業したと思う。よく決断した。よく頑張ったよ。モーニング娘。にいる間は、歯列矯正もさせてもらえないだろうし、髪も伸ばさせてもらえないし、化粧もろくにさせてもらえないし、工藤個人のことだけ考えれば今抜けるのは正しい選択だ。娘。ヲタ的には大打撃だけど。工藤の外見を美しく保つためには今のモーニング娘。には奇妙な制約が多すぎる。これからは加入時に見せていたギラギラ感、「狂犬チワワ」「ロリヤクザ」と言われていた頃の小生意気さと愛くるしさを武器に女優として頑張って欲しい。実際、武道館で見た最後の工藤には、ハロプロエッグの頃のギラギラした野望とそれに似合わない愛らしさが戻っていたように思う。

これは一般論であるが、障害児のための特別なクラスにおいて、比較的障害の軽い子が重度障害の子の「お守り役」にさせられてしまうことが往々にしてある。重症の子どもは(一瞬)落ち着くし、先生は楽になるし、周囲の大人たちは安心する。でも実際は、お守り役にさせられてしまった子どもへの負担があまりに大きい。お守り役の子の成長が見込めなくなってしまうのだ。それはそうだ、普通の子どもの世話を普通の大人がするのだってたいへんなんだから、さらにきつい仕事を子どもにやらせたら負担が大きいに決まっている。今では「お守り役の子ども」を作るのはよくないこととされ、教育現場では禁物になっている。それでもまあ実際は、「禁物」という戒めが必要なくらい「行われがち」なことなのだが。

気持ちを言葉でうまく表現できず、どうしても周囲から浮いてしまうまーちゃん。音楽的才能にあふれ、天真爛漫で自由な天才モーツアルト型のまーちゃん。そのまーちゃんに最も信頼される同期であり、努力家で真面目なサリエリ型の工藤。工藤は周囲から「まーちゃんのお守り役」として大なり小なり期待されていただろう。そしてそれは、野心がある思春期の少女にとって非常につらいことでもあったはずだ。だって工藤は誰からも愛され、誰とでも上手に付き合うことができる美少女なのだから。モーニング娘。は教育機関ではないから、「お守り役をつくることはお守り役の子どもの負担があまりに大きい、やめておけ」という定石が共有されているとは思えない。工藤と佐藤の関係の下には、観客には見えない数多くの葛藤と矛盾があっただろうと容易に想像される。だからこそまーどぅーはドラマティックであり、多くの百合女子を魅了したのだ。

「今まで何やってたんだろう All I do 自分の夢の責任者 自分だってことを ようやくわかった気がする」と歌う工藤。外へ出ることを決めた工藤が最後の大サビ導入で高らかに「邪魔しないで」と歌う。その工藤の左肩をさわり、後ろに押しのけながらセンターにあらわれ「やさしいキスも 今いらない 無駄はやめて!」と歌いあげるまーちゃん。2017年9月19日の「The Girls Live」で披露されたこの部分が、私が今年最も萌えたシーンだった。

工藤はモーニング娘。を去る。邪魔しないで、翼を広げるために場所を開けて、と言う。残されたまーちゃんは、優しい言葉はいらない、無駄だ、と最愛の工藤に言いながらもモーニング娘。に残り、センターとして孤独に歩いていく。これからのモーニング娘。の姿そのものである。二人の道はここでいったん分かれた。まーどぅーという、いびつで、かつ完成されたコンビの別れに対する最高のレクイエムをつんく♂さんは作ってくれた。私が言っていることがピンとこない皆さんは、とりあえずなんでもいいので自分が今萌えているカップリングの切ない別れのSSをpixivで適当に見繕い、この曲をBGMにして読んでみてほしい。私の言っている意味が少し伝わると思う。

あ、ちぃちゃんはおそらくあとから大人にねじ込まれたセンター。この曲のコンセプトとは驚くほど関係がない。

6位 モーニング娘。’17 若いんだし! / モーニング娘。’17

一転して、つんく♂が工藤個人に送る卒業ソング。映像がいい。私も今すぐつくばの研究学園駅に行って、工藤と一緒に、いや工藤になりきって風を切って歩きたい。そんな衝動に駆られる美しい映像だ。このMVをもってアイドルを卒業できたことを、つんく♂さんからこんなに素晴らしい曲をもらって皆に祝福されながらアイドルを卒業できることを、工藤は一生の誇りにして生きていっていいと思う。ちなみにこの曲調はトロピカルハウスというらしい。知らなかった。

工藤がルパンレンジャーに選ばれたことも嬉しい。ルパンレンジャーがとても面白いことも嬉しい。東京ドームシティのお披露目公演にも本人公演にも4年ぶりに行きたい、たぶんチケット取れないけど。大泉東映で入待ち出待ちしたい、寒いからとても無理だけど。ハロプロエッグ加入時から工藤はずーっと「戦隊モノが好き!」と言っていたの、私はちゃんと覚えてるよ。軽薄でいっちょかみ発言が多い工藤だけど、戦隊モノに関しては、にわかじゃないって私が証明する。当時、生田が「仮面ライダーゼロノスが好きです!」と言ったのに対して工藤が「私はマジレンジャー世代です!」と発言し「おいおいつい最近じゃねーかよ!」と戦慄したのも、おばちゃんきちんと覚えてるよ。あの頃の戦隊は面白かったね。デカレンジャー→マジレンジャー→ボウケンジャーの流れは最高だった。女の子たちも可愛かったなぁ。みんな元気でやってるかな。これで生田が持ち前の運動神経を生かして仮面ライダー出演者に抜擢されたら、当時の伏線がすべて回収されるね!やったあ!

7位 キレイ・カワイ・ミライ / PINK CRES.

PINK CRES.は今どきの女子である。今どきの女子を狙いすぎていて、ほほえみがこぼれるほどである。インスタ、カラコン、オルチャンメイク。インフルエンサー、バズ狙い。はやりの服、はやりの靴、はやりのスタイル、はやりのメイク。あまりに流行通り、あまりにメーカーの狙い通り。もちろん、アラフォーの私はまったくターゲットではない。それでも最高にかわいい彼女たちをほほえましい気持ちで見ていられる。いろんなものを乗せすぎて傾きかけたタワー状のチョコレートパフェがこちらに運ばれてくるときのようなドキドキ感だ。

おそらくこれは雅ちゃんの天性の明るさ、嫌みのなさゆえだと思う。全力で流行通りにふるまっていても、まったく気負いが感じられない。流行に全力で乗るのって実はとても疲れることだ。お金もかかるし、常に周囲の目線を気にしなくちゃいけないし、すぐに流行遅れにされるし、少しでもほころびが見えたら馬鹿にされるし。自分だって徐々に歳をとるし、体型も変わるし、肌も荒れるし、髪も伸びるし。それなのに雅ちゃんはまったく気負いがないのである。頑張っていなさそう。ただ生きているだけのように見える。ファッションという大きな流れの真ん中で、常におだやかにたたずんでいる。決して流されず、決しておぼれず、決しておごらず、他人を馬鹿にせず、ゆうゆうと、ファッションという名の激流の真ん中に彼女は立ちつづけている。必死であがき続けるもその場所に長くはいられなかった梨沙子とは対照的な姿である。まったく希有な人だ。

実際は、雅ちゃんもものすごーく努力しているんだろう。そうでなければあの場所にずっといられるはずがない。それなのになぜか、まったく!努力してる感じがしないのよねぇ。なんでだろう。実は雅ちゃんって、桃子よりも陰の努力を見せない人である。桃子は「白鳥が水面下では実はジタバタもがいてたなんてファンの方たちは知りたくないと思いますし」と口に出してファンに伝えてくる子だったけれど、雅ちゃんはそれすら言わない。すげぇ。徹底している。何歳までこれで行くのだろう。その名のとおり「雅」な姿に、私は感嘆し続けている。

今年は以上です。来年はモーニング娘。最新アルバムから『もう我慢できないわ~Love ice cream』がぶっちぎりで一位を取る予定です。アイスクリーム・らぶでありかつ、アイ・スクリーム・らぶ、ね。愛を叫んでいるのね。アイスクリームは当然のようにセックスの暗喩ね。ふと気がつくと頭の中アイツのことでいっぱいになるんでしょ。初めからないならば諦めもつくけれど、知ったからはもうやめられないんでしょ。暑い日は当然、寒い日も震えながらほしいんでしょ。寝る前も求めちゃうし寝起きからのガツンでしょ。えっちだなぁ。つんく♀ちゃん久々の女子発情ソングが味わえて私はすっかり恵比寿顔です。(2018.3.31)