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2019年ハロプロ楽曲ランキング(後編) ハロプロは本当に女の人生を救うのか

4位 高輪ゲートウェイ駅ができる頃には / CHICA#TETSU


明らかに松任谷由実『中央フリーウェイ』のオマージュである。私も若い頃、中央自動車道を走りながら「右に見える競馬場、左はビール工場~♪ってここのことか!なるほど!」と思った経験がある。しかも困ったことに恋人と乗っている車の中でそう思ったりするのである。おそらく現在の若い恋人たちも、電車に乗りながらこの曲の歌詞のように「右に泉岳寺、左に巨大な折り紙の屋根が確かにある!」と思うのだろう。彼らは車に乗らない、車を持っていないから。電車移動である。きっと電車から車窓を眺めてそう思う。そんな時代性を歌詞の中に封じ込めることも含めて、よくできた歌だと思う。この曲の賞味期限が非常に短いことを私は少し危惧していたのだが、そんなことはまったくなかった。高輪ゲートウェイ駅ができた後にも「高輪ゲートウェイ駅ができる前の空気」を思い出すためのトリガーにこの曲はなる。それだけの力がある。

5位 全然起き上がれないSUNDAY / アンジュルム


なんだこれ。すごいな。暗い。暗すぎる。土曜日の夜に失恋した、または失恋よりももっとひどい目にあった女性の日曜日の朝のお話。土曜の夜にいったい何があったの?

さっき「2019年は鞘師里保と工藤遥と田村芽実と和田彩花の年だった」と書いたように、今年は若いうちにハロプロを卒業したメンバーによる新しい挑戦が目立つ年だった。とすると現役ハロプロメンバーの中にも「私も早く次のチャレンジがしたい」「ここに長くいてはいけない」と感じる子が増えてくる。これは必然である。アンジュルムは和田彩花ちゃんの卒業以降、メンバーの卒業ラッシュが続いている。どの子も次の仕事や人生のステップを考え、25歳になる前に自分の意志で卒業していく子ばかりである。

カントリー・ガールズの意味不明な解体劇は「同じことを次は自分のグループにしてくるかもしれない」という不信感と恐怖心を娘。以外のすべてのメンバーとファンに植え付けた。「信用できない」「こんな恐ろしい場所に長くはいられない」と感じるのも当然だろう。モーニング娘。以外のグループのメンバーが「私はここにいてもこれ以上のチャンスを与えられない」と思ってしまうのもしかたない。だって、そうやってグループごとに扱いの差や、チャンスの優劣を付けてきたのは他ならぬ事務所なのだから。25歳以降の人生の指針を一切示さず、その後の人生を自分で切り開くように仕向けてきたのも事務所である。思春期の女子の自意識を満足させるだけの活動を現状でさせてあげられてないのならば、彼女らがハロプロという組織から飛び出していくのを止めることはできない。

彼女らの憧れでもあったBerryz工房と℃-uteの、25歳までがっつりアイドル活動を行ったメンバーの現状、そして早めに卒業した鞘師や田村芽実ちゃんや工藤の活躍を見ると、「定年までここにいてはいけない」「早く次のステップに進まないとその後の芸能活動のチャンスがなくなる」と若いメンバーが思うのもわかる。役者になるにも、26歳からでは配役のチャンスが減ってしまうようだ。もう正直に言っちゃうけど、道重さゆみと嗣永桃子が脈々とつないできた事務所のTVバラエティ枠を壊滅させるような岡井ちゃんの恋愛に私は困惑している。他人の恋愛に口を出すのは野暮だってわかってる。わかってるけど。仕事場の信頼関係も、先輩から受け継ぎ後輩へ譲るはずの椅子も、結構な力で破壊するタイプの恋愛だよ、あれは。

6位 ふわり、恋時計 / つばきファクトリー


ハロプロの女の子たちはある日突然、まったく悪意なく、威力の高いナパーム弾を一人で作り上げ、どこかに向かって投げることがある。爆撃された客席に死体が累々と転がり周囲が焦土になったあとに「何かが起こった」と気付く。その有名な例が飯田圭織の大人の七夕バスツアーであり、2019年の小野田紗栞ちゃんのデート疑惑ブログである。

飯田圭織の大人の七夕バスツアーはあんなに有名になってしまったが、実際当時のハロヲタはゲラゲラ笑いながら2chで実況していたし、参加しているオタクも自らを客観視しながら状況を楽しんでいる人が多かった。まず、あのツアーはアイドルを卒業してから2年も経った後の話である。あのバスツアーの最もダメなところは運営会社側(この場合は事務所と旅行代理店)が提供したサービスの悪さである。そこは大いに是正されるべきだと思うし、実際、飯田さんのバスツアーの悪評がネットに知れ渡った後のハロプロバスツアーの食事とタイムテーブルはかなり改善された。

飯田さん自身はむしろ「自分にとって最も重要な人生の節目を、自分のファンと共有したい」「ファンの皆さんに一番に報告したい!」くらいの幸福な心持ちであった、と私は予想している。それはまぎれもなく「善意」である。最愛の夫に恵まれ子供も授かった、その幸福をファンとも共有したい。自分の口から報告したい。きっとファンも祝福してくれる。そのくらいの夢見ごごちだったと、私は予想している。そこにあるのはアイドルとファンの間の悲しい気持ちのすれ違いと認知の「ずれ」だけである。どちらも「愛」によって構成されている。決して「悪意」ではない。彼女がオタクを人間として扱っていなかったわけではない。絶対にない。

それに対して当時の旅行会社の企画と事務所のやり口には、やはり多少の「悪意」を感じる。悲しいことに当時のハロプロでは「オタクを人間と思っていないのでは?」「我々にも人権があるということをご存知でしょうか?」と問いかけてしまいたくなるイベントが頻繁に開催されていた。残念なことにそれは当時の事務所の通常営業であった。リリイベの握手会で、アイドルの手に触れた1秒後に剥がしの男性に投げ飛ばされた(メンバーも驚いていた)ことを私は決して忘れない。私が今でも握手会を大の苦手とするゆえんである。エンドユーザーをなめ腐った価格とサービスの悪さゆえに、多くのドルヲタはハロプロを捨ててAKBへ流れた。当時の秋葉原のAKB劇場はファンをきちんと人間扱いしていたからだ(今は知らない)。AKBはその力を借りて大ブレイクし、ハロプロをこてんぱんにした。当然である。因果は巡っているのだ。

昔話はさておき、小野田さおりんのブログは女性アイドルが本当に好きな男の子とこっそりデートをしたときに書くブログとして1000点満点の出来栄えである。他の人間がこれを作ることはできない。あの日のさおりんのブログは唯一無二の芸術作品であると私は感じてしまう。そこに「あおり」や「悪意」を見いだしてしまうファンも多いようだけれど、私はあんまり悪意を感じないんだよね……。それよりもただ、生まれたばかりの恋の高揚だけを感じる……。「恋情に酔う少女の激情」がほとばしってる……。恋する人間だけが出す特別な粒子がwifiに乗ってブログの文字の隙間から流れてくるようだ……。『今夜だけ浮かれたかった』をさおりんが誰よりも上手に歌っている理由もわかったよ。今夜だけ浮かれてたんでしょ?わかる、わかるよ。最高に面白いよ!……と私は感じてしまうのだ。

もちろん、これはドルヲタとして最低最悪の感情であることはわかっている。悪趣味だってこともわかってる。私はアイドルの恋愛禁止は人権の侵害だと思っているし、矢口がモーニング娘。を辞めたときは彼女よりも「彼女を辞めさせた事務所」に対して怒髪天をつくほどの怒りを覚えていたけれど、そんなドルヲタは少数派だってこともわかってる。実際に金を出しCDを積みすべてのライブに通うタイプのおたくにとって、この一件が許し難いこともわかってる。つばきファクトリーという箱にとっても、この一件が致命傷になることは容易に想像できる。きっとファンは大いに萎えている。それもよくわかる。『ふわり、恋時計』はとてもいい曲だ。おのみずが大好きだ。きしもんも大好きだ。つばきファクトリーのみんなも大好きだ。もちろんさおりんのことも大好きだ。でも、つばきファクトリーがこの一件をどう乗り切ったらいいのかは、私にもわからない。

事務所は結局、小野田さおりんを「切らない」方針をとったようだ。それならば、これからのつばきファクトリーはさおりんがいかに何事もなかったように、または何事かはあったけれどむしろそれをうまく利用して「開き直っていくか」にかかっている。根性見せてほしい。

7位 トウキョウ・コンフュージョン / PINK CRES.


なんだかなんだかありえないなんだかなんだかありえない。サビの「そういう考え全然おしゃれじゃない ねぇ そういう考え全然時代じゃない」という歌詞が大好き。決めに決めたファッションで身を包んだ雅ちゃんだけが放つことができる謎の説得力である。

だから、だからね、女性ファッション雑誌ViViが自民党のキャンペーンで雅ちゃんをセンターに使ったことは許せない。まさにアイドルが政治利用されているその瞬間を見てしまった。やめてよ!糞事務所め!許さん!断れや!

その告知において雅ちゃんが出したコメント「Be Happy ハッピーに生きていける社会にしたい!」「いじめ問題などがなくなりみんなが明るく暮らしやすい世の中になればいいなって思ってます✌」は彼女なりに必死に考えたパーフェクトな解答だと思う。雅ちゃんすごい。雅ちゃん頑張ってるよ、だからこそ!上からの命令でアイドルを特定政党のキャンペーンに参加させるのは本当にダメ。もちろん彼女自身が彼女自身の意志で自らの支持政党を表明する(それによるリスクを理解し、引き受ける覚悟がある)なら何の問題もないし、むしろその姿勢を支持するんだけど。でもそうじゃないでしょ、あれは。こんなことをされると、『トウキョウ・コンフュージョン』の素晴らしい歌詞の意味が変わってきちゃうんだよ。事務所が断れや!!!まったく!

番外 ニッポンノD・N・A! / BEYOOOOONDS


曲とアレンジとメロディだけでいえば、今年のハロプロ楽曲大賞1位でもいい。でも歌詞が浅慮。あまりに歌詞がダメだから、この曲はおそらくメディアで推されることはない。非常にもったいないと思う。どうしてこの歌詞で「いい」と思ったんだ?どうしてこの曲の歌詞は(きついことで有名なハロプロ特有の)ダメ出しの対象にならなかったの?雨子やヒャダインの歌詞にダメ出ししまくっている場合じゃないんじゃないの?

まず、個人の性格や行動を遺伝子と結びつける議論は危うい。よほど慎重にやらないといけない。人格の形成は遺伝だけでなく、その後の環境や教育によって大いに左右される。「遺伝子で性格や行動が決まる」という考えは、優生学や血統主義や差別に利用されやすい非常に危険な思想である。「○○人種は犯罪を犯しやすい」「○○人種は知能が低い」というような、安易で差別的なレッテル貼りに容易に使われてしまう。貧困や教育資源の少なさなどの「社会的な不平等要素」を配慮せずに、あまりに少ないサンプルに基づく思い込みからそのような社会的レッテルを他人に貼りたがる人達は、残念ながらたくさんいる。そんな差別主義者に利用されてしまうから、DNAと個人の行動や性格を結びつける議論は非常に危険なものになる。後天的・社会的要素を「完璧に」排除してエビデンスを出すことは不可能であるとさえ、私は思っている。

ましてやこの曲で歌われているのは「集団」としての行動心理である。そんなもんをニッポンのDNAと言われては困る。コンビニで列になって会計を待っていることを「生粋の内弁慶」と言われても困惑するばかりだ。電車の中でみんながスマホを見ていることを「付和雷同の美学」とか言われても。関係なくない?スマホが便利なだけだろ?しかもそれを「日本のDNA」と言われても。いやそれ違うでしょ。DNAを一体なんだと思っているんだ?私の知っているDNAとはずいぶん違うぞ?まじで何を指しているつもりだ?「日本人らしい」と世間で言われている(私はそうは思わないが)集団心理の事象を「DNA」として勝手に再定義しているのだろうか?でも間奏で「デオキシリボ核酸!デオキシリボ核酸ですからー!」って前田こころちゃんに叫ばせているよな?それは辞書で引いた略語の説明をなぞっているだけ?

世界的な遺伝子解析によって、アフリカで発生した人類(ホモサピエンス)がどのような経路で世界中を移動し、日本列島までたどり着いたかの解析は順次行われている。解析しやすいミトコンドリアDNAやY染色体やHLAハプログループでさえ、かなりたくさんの種類があることが判明している。

日本人 – Wikipedia
ja.wikipedia.org › wiki › 日本人
分子人類学による説明

ニッポンのDNAって、このうちのどれかのつもりなんだろうか?それとも日本在住ってこと?使用言語が日本語ってこと?本当にDNAを何だと思っているんだ?大丈夫か……?などと思っていると、サビに「モンゴロイドDNA」と来る。

まじかよ。こりゃだめだ。大丈夫じゃなかった。やめてくれ。モンゴロイド以外の日本人は今すでにたくさんいる。日本中にいる。私の子どもの通う小学校にもたくさんいる。東京だからかもしれないが、コーカソイドもネグロイドもその他様々な人種の人々が、いたるところで働き生活している。もちろん彼らの子どもは地元の学校に通っている。モンゴロイドのDNAであることが日本のDNAではない。絶対にない。この曲は何を言っているんだろう?大丈夫か?

実際はただ音の面白さから「モンゴロイド」という言葉を採用しただけなのかもしれないし、さらに「DNA」もDA PUMPの「USA」の語感をもじっただけなんだろう。『USA』のアンサーソングという指摘も、その通りなんだろう。それにしても、思慮が足りなくないか?ニッポンのDNAって本当に何のこと?何を指しているつもりなの?今からでも遅くないから「モンゴロイド」の部分だけでも歌詞を変えませんか?

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さて、2020年2月号雑誌「ダ・ヴィンチ」にてハロプロが特集された。嬉しい。私がこのブログを立ち上げた頃、私は駆け出しの文筆家であった。まだ一冊の商業誌も出したことがなかった。モーニング娘。を好きといえば「モー娘。ってまだあったの?」と言われ、ハロプロはどん底の時期であった。私は仕事で会う様々な立場の編集者全員に「ハロプロのことが書きたいんです!」と訴えていた。当時すべての人に言われた。「もう遅い」「今の時代じゃない」「AKBならまあ、いいですよ」と。私はそのたびに、ルパンレンジャーVSパトレンジャー最終回のしほちんのごとく「そんなことありません!モー娘。は必ず復活します!」と叫んでいた。もちろん編集者さん全員が困ったように苦笑いしていた(相手は医療以外を求めていなかった、そりゃそうだ)。時は経ちあれから13年。いよいよ文芸雑誌でハロプロが表紙になった。女性目線で分析された歌詞が特集されている。私は嬉しい。生きていてよかった。もうこのブログは役目を終えたのかもしれない。

特集のサブタイトルは「ハロプロが女の人生を救うのだ!」である。大きく出たな。確かに少なくともハロプロは私の人生を救っている。それだけは確かだ、ありがとう。他の女の人のことは知らない。でも、困ったことにハロプロの「中にいる」女の人生が救われているのかどうか、今の私にはわからない。近年のグループ解体・解散・卒業ラッシュを見ていると、正直自信がなくなってきた。ハロメンには全員幸せになってほしい。卒業や脱退や突然いなくなってしまったメンバーも含めて、全員が幸せになってほしい。メンバーの幸福の前には、私たちオタクの救済なんてどうでもいいのだ。来年は幸福なお知らせが多いことを心より願っている。

※この文章をほぼ書き終わった後に新型コロナウィルス感染のパンデミックが起こった。ハロプロは現在、すべての興行を開催できていない。握手会もライブハウスもなくなりそうだ。ここに書いた事象のうちかなりのものが形を変えることを余儀なくされ、立ち行かなくなるものも出てくるだろう。世の中は本当に何が起こるかわからない。(2020/3/19)

2019年ハロプロ楽曲ランキング(前編)

突然だが、私は「自分が魅力的に感じるハロプロの歌詞」を大まかに3つのテーマで分類している。

①とある女子の日常風景
(例:『恋をしちゃいました!』『乙女パスタに感動』、ひとりきりイヤホンで音楽聴いている、『テーブル席空いててもカウンター席』など)
②女子の独立と自立、いわゆるジェンダー問題
(例:ガラスの靴はこの手の中にある、カボチャの馬車を正面に回して、女が目立ってなぜいけない、あぁ女なら感覚でわかるだろう、女の悲しみ三部作、『I’m a lady now』など)
③政治・環境問題
(例:選挙の日ってうちじゃなぜか投票行って外食、地球が泣いている、米がうまいぜ日本中、地球に流れる素敵な空気ぐっすり眠れる平和が好き、自由な国だから私が選ぶよ)

もちろん①女子の日常は②女子の独立と自立に直結しているし、②ジェンダーの抱える問題には③政治要素がたぶんに含まれているので、これらを分ける必要はないのだと思う。でもあえて3本柱に分けてみた。つんく♂はこの3つすべてにおいて高得点をたたき出す仕事をしてきた。その模倣を一人の作家で行うことはとうてい不可能である。つんく♂更迭後のハロプロにおいてハロプロをプロデュースしている人達(いったい誰なんだろう?個人名または団体名を公表してくれよ)は、この3種を様々な作家に分散させることによってハロプロらしさを担保しようとしている、と私は考えている。

①とある女子の日常風景と②ジェンダー問題は児玉雨子さんと山崎あおいさんと大森靖子さんがすごくいい仕事をしている。①とある女子の日常 は福田花音ちゃんも上手かった(彼女が辞めてしまうのはもったいない)。

そして②ジェンダー問題③政治環境問題を星部ショウさんや中島卓偉さんに無理矢理やらせようとして、あまり上手くいってない(ように私には見える)。そもそも、歌い手自身の思想を反映しているわけではない政治的議題を未成年女子に歌わせるのは、かなり危険な橋だ。作家自身が当事者ではないジェンダー問題を未成年女子に歌わせるのも危険な橋である。細部によほど気を使わないといけない。作詞家に対して「そんな大切なイシューは自分で語れ」「自分自身の作家生命をかけて世に語りかけろ」「他人、しかも社会的立場の弱い未成年女子を前線に出して自分の信条を語らせてるんじゃねーよ」という批判が来てしまう。とても繊細でむずかしい仕事だ。できる人の方が珍しい。星部さんと中島さんに②ジェンダーや③政治環境問題のハロプロの詞を作らせるのはあまり得策ではないと、私は思う。具体的には『赤いイヤホン』や『BRAND NEW MORNING』や『就活センセーション』あたりね。

『ニッポンのD・N・A!』の歌詞がかかえる違和感(後述)、『素直に甘えて』の「男のくせにおしゃべりが過ぎるわ」という歌詞にOKを出してしまえるところ、『赤いイヤホン』のサビに「男なんかのわがままに女はもう縛られない」という歌詞を入れてしまえるところを見ると、「つんく♂さん以外に①②③のすべてを上手に歌詞に乗せてハロプロの女子達に歌わせるのはむずかしいのではないだろうか」と感じてしまう。だって、逆に考えて「女なんかの〇〇〇〇に」という歌詞だったら、たとえそこにどんな単語が入ろうとも私は許容できないのだ。「男なんかのわがままに」という歌詞は主語が大きすぎると思う。「あなたなんかの わがままに 私はもう縛られない」だったら印象が全然違うのに。

ちなみにつんく♂さんの男性ジェンダーに関する最新の解釈は「なぜ『愛してる』それが言えないんだろう アホらしい「男」という意地のせいなら「男」はいらない」@岸洋介 なのだ。視点の深度が違いすぎる……。

実際のつんく♂さんのハロプロ歌詞は、①とある女子の日常②ジェンダー③政治環境問題 の三つの柱のうち一本だけをメインに歌詞を書くのではなく、三本すべてを一曲の中に内包させている。原子のまわりをふわふわとただよう電子雲のように。これはとんでもない曲芸であり、(よくできている方の)つんく♂歌詞の希有な点である。

最もわかりやすい例としてここでは『ザ・ピース!』を紹介する。軽く一聴しただけだと、都会で暮らす恋愛至上主義な女の子の脳天気な日常の歌に聴こえるかもしれないが、内包している要素は全然違う。好きな人のお昼ごはんを妄想しながら、選挙に行って外食する。まず若い女の子が安心して安全に選挙に参加できることが平和だし、投票後に家族で外食できることが平和である。まさに「政治」だ。「好きな人が優しかった」「大事な人がわかってくれた」「道行く人が親切だった」「愛しい人が正直でした」これらはすべてただの日常に見えて、実は確かに主人公を取り巻く世界が平和であることの象徴である。主人公はそれらを「感動的な出来事」と総括する。さらにつんく♂が後年語ったように、この曲の主人公は「夜に」「一人で」食べるデリバリーピザのサイズを悩んでいる。都会に暮らす女子の「孤独な」日常の風景でもあるのだ、実は。タイトルは直球で『ザ☆ピース!』。すげぇ。こんなもの、他の人には作れないよ。

私が2019年末に一番元気が出たのはつんくさんがVtuber向けに作った曲『OH!Young Heart』のライナーノーツにて、ずっと思春期女子がこれまでの自分とこれから世に出る決意を語っていたのに、最後に突然「だって、この地球を愛してるから。」という一文が挟み込まれたことであった。これだよ、これ。ゲラゲラ笑った後にすごく元気が出たよ。そうだよね!わたしもこの地球を愛してる!たとえコロナウィルスが私の身体にふりかかってARDSで死んだとしても、結局私はそんなウィルスを作り出してしまうこの地球の自然科学ごと愛しているのだ……。

つんくさんは咽頭がん術後5年を迎え「寛解」といっていいはずの状態のはずだが、ハロプロに帰ってくる気配はない。なぜだろう。さみしい。これはつんく♂がナイスガールプロジェクトをやっていた頃と同じ感覚である。あの頃も、ハロプロの外の人間の方がたくさんつんく♂の新曲を歌っていた。当時と違って今はYoutubeがあるから、マイナーな楽曲でもエンドユーザーに届く環境がある。つんく♂の作品を追うこともできる。それでもね、やっぱり私はハロプロの女の子がつんく♂のリズムと珍妙な歌詞に乗って歌い踊り出すときの高揚感が好きなんだよなぁ。

1位 KOKORO & KARADA / モーニング娘。’19

つんく♂のハロプロ最新曲。素晴らしい。正確には2020年の楽曲大賞として挙げるべきなんだろうけど、もう知らん。だって2019年秋の娘。ツアータイトルは「KOKORO & KARADA」だったんだぞ。この曲はずいぶん前から作られていたのに、どうして2019年のうちにリリースされなかったんだろう。2019年のモーニング娘。はなんと!1回しか!シングルを出さなかった。なんで?少なすぎるよ。今年は卒業もなかったし舞台もなかったのに。もっと新曲を出してほしかった。

「やばい!娘。に動きが少なすぎてつまんないぞ!」というこの感覚には覚えがある。2008年である。この年、モーニング娘。はシングルを『リゾナントブルー』『ペッパー警部』の2枚しか出さなかった。2枚しかないうえに、そのうちの1枚は大人の事情にまみれたカバー曲。「今年のハロプロは面白くなかったなぁ。ハロプロができて以来、ハロプロが最も面白くない一年だった。寂しい。」と当時の自分もブログに書いている。この年にAKBは大ブレイクし、モーニング娘。の人気は歴史上最も深い地底まで落ちた。娘。に動きがないとハロプロ全体が低調になっちゃうんだよ。やめてよ。もっと動いてよ!私の心は娘。15期が決定するまで沈んでいた。

私の大好きな北海道研修生・山﨑愛生ちゃんが娘。15期に決定して私の心は舞い踊っている。『リアル☆リトル☆ガール』にて私は彼女の独特の声質に心を射貫かれていた。2018年のハロプロ研修生実力診断テストで『Wonderful World』をなぜか英語で歌ったのもすごかった。なんだったんだあれ。ひとり次元が違っていたぞ。今から思えば、ハロプロ研修生・北海道という謎団体は山﨑愛生ちゃんを守り育てるための組織だったんだな。ハロプロ研修生名古屋レッスン場が牧野真莉愛ちゃん一人を守り育てるためのゆりかごであったように。

愛生ちゃんがゴリ押し中の謎のキャッチフレーズ「パンダさんパワー!」は私への私信だと勝手にほくそ笑みつつ、私はこれからもハロヲタとして生きていくつもりです。あ、あと北川莉央ちゃんの顔とスタイルと大物然とした風格もまじで好み。Juice=Juiceの松永里愛ちゃんといいタコちゃんといい、今年ハロプロに入ってきた新人たちはみな独特の大物感がある。数年後が楽しみだ。

さて、前置きが長くなったが『KOKORO & KARADA』である。三人のメインボーカル(ふく・さく・まー)にぴったりあった一曲。

この曲はサビだ。もうサビ以外いらない!って思うくらいサビがいい。いや実際はサビ前の長いピアノソロが聴き手の感情をより高い場所へつれていく装置なんだろうけど。「君が好きさ そう好きさ もう心止められない 未来へ向かう雲に飛び乗って」「だから君もMore愛して Yes 体おもむくまま 太陽浴びてはためく帆のように」これだよこれ!相思相愛の二人のコールアンドレスポンスとしてこれ以上のものはない!最高!

止められないのは私の「KOKORO」。そして君に望むのは私をもっと愛して、「KARADA」がおもむくままに動くこと。これが逆だったら「心おもむくまま、体が止められない」であり、ちまたにあふれる凡百のラブソングになる。とくに「体が止められない」という表現は残念ながら歌謡曲によく使われがちで、脳や思考回路をあまりに軽視しており私には共感できない。肉体のせいにするんじゃないよ、その肉体をコントロールしているのは心だろう。心が阿呆であることを肉体のせいにするんじゃない。

つんく♂の描く女の子には先に「KOKORO」がある。私の心が暴走している。まず最初にそれがある。その後にあなたももっと私を愛して、心に体を従わせてくれと言ってる。素晴らしいシビリアン・コントロール。あくまで暴走するのは私の心。暴走の末、相手の心と体に対等に呼びかける。そこに古典的なマッチョイズムや男根主義や「支配と被支配」の関係性が入る隙間はない。対等に愛し合う二人の関係だけがある。

そして私は「未来へ向かう雲に飛び乗って」、対する君は「太陽浴びてはためく帆のように」私を愛する。なにこの比喩。なんと美しい、思い合う2人の歌詞だ。こんな綺麗に比喩できることがすごい。女をメロンジュース、男をバナナに例えたような流行歌もまだまだ日本には流布しているというのに、こんなに美しく対等に愛し合う二人の肉欲を表現できるとは。しかもそれがサビで、突然バックトラックの音が減り無音に近くなった中で流れる。日常から突如垂直に切り離された恋人たちの高いテンションが一瞬に封じ込められているように感じる。

 

2位 都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて / CHICA#TETSU


BEYOOOOONDSのファーストアルバム『BEYOOOOOND1St』はすごくすごくよかった。その中でも、女子の日常風景を描くことに大成功し、かつユニットのコンセプトに完璧にはまっている曲が『都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて』である。この曲は私の中の星部ショウさんの最高傑作記録を更新した。去年までは『眼鏡の男の子』が最高傑作だと思っていたのだけど、今はまさにこの曲が最高傑作。星部さんは最高を更新し続ける作家さんである。すごいね。

『眼鏡の男の子』といい『誤爆』といい、星部さんはシチュエーションがゴリゴリに固まった状況での起承転結のある寸劇的な歌詞が合っているんだな。先ほどの三本柱で言えば①である。これは特に新しいわけではなく、古典的には松本隆の『木綿のハンカチーフ』、つんく♂ならば『恋をしちゃいました!』『君の友達』『テーブル席空いててもカウンター席』などで行われている手法だ。同じ星部さんなら『誤爆』の歌詞がまさにこれ。星部さん、生き生きしている。②ジェンダーに言及する歌詞 や ③政治環境問題 に対する不器用さとは対照的だ。②ジェンダーを書くと「男なんかのワガママに女はもう縛られない」になっちゃうし、③政治的な歌詞をむりやり書かせると「新時代の幕開け!」になっちゃうんだもん。

結局、星部さんに最もしっくりくる歌詞は①とある女子の日常描写であり、『都営大江戸線』は素晴らしい案配の女子の日常の歌である。まあちょっと鉄道の小ネタによりすぎだけど、鉄ヲタのリーダー・いっちゃんの存在とCHIKA#TETSUというユニットのコンセプトとあわせて、奇跡的にいい位置に落ちついている。これがあと少しでも演劇性の方向へ振れてしまうととたんに「日常」性が薄れ、私の心はすっと冷めてしまう。「日常」だよ「日常」。『元年バンジージャンプ』の間奏で令和=丸と丸で眼鏡くんを思い出すのは、全然「日常」じゃないよ。

BEYOOOOONDSのファーストアルバムは全体を通して『眼鏡の男の子』の物語だ。星部ショウ著「眼鏡男子サーガ」である。「都営地下鉄を使うような東京23区内に住む、令和元年の女子高生たちの日常」を描いたコンセプトアルバムとして美しく収まっている。そのコンセプト通りの小劇場的なライブを生歌で行っているメンバーたちの努力も素晴らしい。私は『トミー』と『ジギー・スターダスト』に育てられたロックおばちゃんなので、なんだかんだコンセプト・アルバムが大大大好きなのだ。BEYOOOOONDSはこの素晴らしいアルバムをひっさげ、今年一年かけて小劇団一座のように全国を回るのだろう。そしてそれはとても上手くいくだろう。ライブも盛り上がるだろう。問題はその先だ。次の一手をどちらに転ばせてくるのか、私はとても注目している。

3位 「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの? / Juice=Juice

『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』時代を切り取った絶妙なタイトルである。まさに②ジェンダー問題、女子の独立と自立 そのままのタイトルと歌詞だ。令和元年、今の日本を生きる20代女性向けの立ち位置として完璧。素晴らしい。

私が20代だったころ、ジュラ紀か白亜紀あたりかな、当時は女性が「ひとりで生きられそう」という「仮定」自体が成立していなかった。経済的にも社会的にも「女性がひとりで生きられるはずがない」が、当時の社会を覆うジェンダーの大前提であった。だって初期雇用も賃金も昇進も昇級も、男女で歴然とした差があったのだ。頑張って労働を続けても十分なお金がもらえないんだから、そりゃ生きていけないに決まっている。シンプルに餓死である。「女性であるゆえに」ろくな賃金をもらえない会社や、「女性であるゆえに」昇進しない社会や(残念ながら医学界もそういうところである)、「女性であるゆえに」年齢によって辞めさせる不文律がある会社(ハロプロの悪口ではありません)は、今よりもずっとずっと多かった。女性がひとりで生きる道は(実際はひとりで生きている人もそこそこいたにもかかわらず)この世に存在していないかのように作られていた。今でも、氷河期世代の女性がひとりで生きるにはかなりの重労働と圧倒的な貧困がつきまとっている。これは現在進行形の問題であるが、特に救済は用意されていない。

昔話が過ぎた。そんな時代から幾星霜、この曲に共感する若い女子が多いということは、今の20代の女の子達には女性が「ひとりで生きられそう」という「仮定」自体が(いちおう)成立しているということである。少しずつでも時代は前進している。よかった!!ハロプロに女性ファンが増えていることも嬉しい。

今度映画になるという劔 樹人さん作「あの頃。男子かしまし物語」であるが、モデルとなった当時のハロプロ現場の男女比は98:2であった。2割どころか2%。当時の現場を再現するために200人のエキストラを募集するというのなら、男女比160:40のはずがない。196:4だね。いや199:1でもいいかもしれない。

『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』を中野サンプラザのJuice=Juice公演で初聴したときの私の感想は「え?これ新曲?タイトル長いね?うーん、普通にいい曲。普通のアレンジの普通のJPOP。落ちサビの段原瑠々ちゃんが素晴らしい。しかし、これをJJが歌う意味があるのか?」であった。正直に言うと、あまりピンときていなかった。もちろんその後何度も聴いて「なるほど」と思ったし、今はもうオープニングの佳林と落ちサビの瑠々の歌声に「待ってました!」と盛り上がっている。

結局、私がJJに求めているのは『イジワルしないで抱きしめてよ』や『生まれたてのBabyLove』や太陽とシスコムーンの曲を引き継ぐ姿勢に代表される「和製アイドルファンク」なんだな……。あ、これを「赤羽橋ファンク」って呼ぶのか。

クリスマスが来るたびに私は2016年クリスマスイベントでカバーされた『ENDLESS LOVE~I Love You More~』を聴きながら真夜中の原稿用紙を埋めている。もう何年もずっと。私の趣味はぜんぜん一般受けしない。私は古い辺境のハロヲタだ。わかってる。私の好みは売れ線からほど遠い。わかってる。『ひとそれ』が受け、JJにも女性客が増えた。来年は『プラトニックプラネット』『Va-Va-Voom』『ボーダーライン』のどれかに必ず楽曲大賞を投票します。だから音源化してよね、頼むから音源化してよ!お願いだよ!

私にとって今年のハロプロは金澤朋子の年だった。ハロプロOG まで含めれば2019年は鞘師里保と工藤遥と田村芽実と和田彩花の年だったと思うが、全員卒業している。現役ハロプロメンバーに限れば、私にとって今年は金澤朋子の年だった。まず非常に個人的なことだが、コンサートに参加できる日程がことごとくJuice=Juiceとしか合わなかった。アンジュルムの現場と日程があったのは後楽園ラクーアのアルバムリリースイベントだけだったし、娘。にいたってはカウントダウンまで予定が合わなかった。今年からコンサートのチケットが極端に手に入りにくくなったせいもある。オリンピック憎むべし。

中野サンプラザからの帰り道も武道館からの帰り道もカウコンライブビューイングの帰り道も、私は暖かいため息をはきながらずっとかなとものことを考えていた。いつもどこか不安そうだった彼女にリーダーとしての風格が出た。度肝を抜かれるほど美しいと思う瞬間が何度もあった。そして何より、歌がさらにうまくなった。これ以上上手くならないだろってくらい最初からとても上手かった歌が、さらによくなった。胸が熱くなる。かなともがハロプロという組織の中で行う仕事はおそらく2020年が最後なのだろう。2020年は、私のハロヲタとして使える時間をできるだけかなとものために使おうと思う。

(後編に続く)

2018年 ねじ子の楽曲ランキング

1位 快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ


2018年最もくり返し聴いた曲。再生回数ナンバーワン。『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』劇中歌としても、作業用BGMとしても、何度もくり返し聴いた。テンションがめっちゃ上がる最高のジャズサウンドだ。イントロのリズム隊が最高。ピアノソロも最高。ルパンレンジャーの変身バンク → 乱闘開始のBGMとして劇中でもくり返し使われている。

ルパンレンジャーの最高潮にかっこつけた名乗りのあと、そのまま戦闘に突入する流れが毎回とてもかっこいい。無駄にスタイリッシュ。必要以上にきざったらしくマントを翻して「世間を騒がす快盗」を気取っているけれども、実際の中身は犯罪被害者家族のナイーブな未成年男女と、恋人を失った大人の男(保護者役)っていうのもいい。ドローンを多用し、マントをたなびかせてひらひらと回避しながら銃を撃つ戦い方も無駄に美しい。あふれるほどスタイリッシュ。

ルパンレンジャーの必要以上にきざったらしくかっこつけたアクションはそれ単体だと成立が難しい。あまりにかっこつけていると、見ているこっちが照れてしまうのだ。対比する無骨なパトレンジャーがいたからこそ、成立できる最大限の「かっこつけ」なのだと思う。快盗側の敵を出し抜く回避型の戦闘と、警察側の無骨な猪突猛進型の戦闘の対比は非常に見応えがあった。ドローンを多用した映像も素晴らしく、見たことのない絵ヅラがたくさんあって楽しかった。

武道館でのライブ「超英雄祭」にてこの曲の生演奏が行われたと聞く。わーい!やったー!Blu-rayがとても楽しみだー!

2位 M・A・X power / 谷本貴義

『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』で歌詞がある曲だと『M・A・X power』が一番好き。もちろんTV主題歌も好きだし初美花ちゃんの歌も両方好きだし、『氷の世界』も魁利くんの思春期特有の不安定で乾いたボーカルが歌詞の世界観とマッチしていて大変よいです。でも一番聴いた、かつ一番元気が出る曲は『M・A・X power』。サビがすごく耳に残る。「エックス!エックス!エーックス!」ってカラオケで連呼するのも楽しい。快盗にも警察にもなれる、当然どちらからも今ひとつ信用されず、出生に謎を秘め、そのくせとびきり明るく多動な高尾ノエルというキャラクターの魅力がよく出た一曲だと思う。

ノエルはおもちゃの販売促進という「大人の事情」に振り回されて、最後まで行動原理がはっきりしない、かつ勝利条件が満たされない人になってしまった。気の毒に思う。少なくとも私の周囲の子どもはみんなノエルが大好きだ。ノエルは快盗とも警察ともどちらとも仲良しだし、いつも明るくニコニコしているし、「好きだよ」って声に出して言ってくれるし、衣装も金と銀でキラキラしているし、いつもクルクルまわってるし、運動神経抜群だし。子供が大好きな要素しかない。みんなと仲良くしたい、みんな大好き、みんなと上手くやりたい、育ての親も取り返したい、というシンプルで欲張りな気持ちをたくさんあわせもち、そのすべてを実現するために近視眼的に行動する。そのうちのいくつかは裏目に出る。実にわかりやすいし、実に「子供」っぽい。純粋な子供の欲求だ。ルパレンもパトレンもどちらも大好きな視聴者の子供に最も寄り添った、メイン視聴者そのままのキャラクターだったと私は感じている。

そもそも快盗で、かつ警察で、コレクションの知識が作中で一番あるエンジニアで、ずば抜けた身体能力をもち、強く、顔もよく、あげくの果てに「異世界人」ってさ。一人のキャラクターにいくらなんでも要素を盛りすぎだろ!メアリー・スー呼ばわりされても不思議じゃないほど記号が乗っている。しかもテコ入れによって、大きなお友達に一番人気だった圭一郎の強化装備を奪い取っていったのだから、これはむしろ「高尾ノエルはなぜ嫌われずにすんだのか」不思議なレベルである。でもね、私もノエル大好きなんだよねぇ!子ども達もノエル大好き!まったく憎めないんだよ!ノエルが責任ある26歳の大人しかも警察官だと思うと、その行動にさまざまな矛盾や無責任を感じてモヤモヤするんだけど。それでもノエルが劇中で落ち込んでいると、私も悲しい。スパイと疑われて落ち込んでいるノエルを見ると私まで落ち込む。その次のクリスマス回でのびのび明るく楽しく浮かれたノエルを見たら、なんだかほっとしたもん。「ノエルが楽しそうで何より」って思っちゃったもん。高尾ノエルは視聴者そのものだったんだな。神の視点で怪盗と警察両方の事情を把握していて、快盗も警察も大好きで、どちらにも仲良くしてほしいしみんな幸せになってほしい。視聴者の子どもの願望そのものの存在。あるいは妖精やコレクションやグッドストライカーみたいなものだったのかもしれない。

御託はさておき、物語において高尾ノエルは結局「異世界人」だった。唐突な設定で私は正直よく飲み込めず、最後までルパンコレクションまたはコレクションコンプリート特典を発動するときに必要な条件じゃないかと思っていたよ。

ということは、ノエルは異世界人ながらヒトと変わらぬ外見で、栄養法も人間と同じ、幼児形態があり、下手したら人間と交配可能で、驚異の運動能力をもつ(これはノエルだけ?)長寿の生命体ということになる。これは面白い。メカニズムを解明すれば人類の夢である「不老不死」につながる研究ができるぞ。金持ちや権力者ほど健康長寿を強く望むから、ノエルの身体の構造究明は巨万の富を生む可能性がある。人類の医学の発展に貴重な生体だ。私も医者として興味がある。いったいどんな構造なんだろう?ゲリ・ル・モンドの画像を一時停止してガン見したんだけど、よくわからなかった。

そう考えるとゴーシュ、あいつ医者のくせに何やってんだ。もっとちゃんと調べておけよ。ゲリルモンドみたいな解像度が低い画像で満足せずに、さっさとCTかMRIを撮っておけよ。せっかく拘束したんだからDNAも採っとけよ。術前管理の手順にばかりこだわってるから、お前は本質を見失ってボスにも見捨てられるんだよ。

ゴーシュに比べればドグラニオのほうがよほどいい仕事してる。皮膚を剥離した下に毛細血管組織がはりめぐらされていて赤褐色の血液が流れてるってわかったもん。有益な情報だ。さすがドグラニオ様、伊達に生き残って地下室監禁緊縛くっころ要員になってないな。

まあノエル自身の物語とルパン家の謎はまったく語られることなく終わってしまったので、今後の外伝や小説やVシネマで補完されると信じています。どんな媒体でも見ます。その時はぜひVSチェンジャーの没音声を拾ってくださいね。Wヒロインアイドル回もよろしくね!!!!

3位 U.S.A. / DA PUMP


2018年ハロプロ楽曲大賞受賞曲。ハロプロじゃないけど。私たちハロヲタは2018年、DA PUMPにとてもいい夢を見させてもらった。

確かに私たちハロヲタは『U.S.A.』をいち早く発見した。豊洲のシングルリリースイベントになぜか大量のハロヲタが押しかけ、現場でハロプロ仕込みのコールをした。それを見つけたDA PUMPメンバーと古参ファンの皆さんはコールをあおり、もっともっとと盛り上げ、私たちをあたたかく受け入れてくれた。DA PUMPと古参ファンの皆さんの度量の深さにハロヲタは涙した。

私たちはもうずっと、全力でコールを入れられる曲を求めていた。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯!」ってほんとはずっと叫びたかった。全力でウリャオイしたかった、フワフワしたかった、PPPHしたかった。愛するメンバーの名前を大声でコールしたかった。ISSAさんたちは、大きな愛で私たちハロヲタの欲望を受け入れ、面白がってくれた。古参DA PUMPファンの皆さんも喜んでくれた。私たちは嬉しかった。だってクールハローとかいう糞計画をいつまでも捨てないハロプロは、私たちの願いをちっともかなえてくれないんだ。コールやヲタ芸を入れると最高に気持ちいい曲を、ちっとも出してくれないんだよ。

DA PUMPファンの意見を取り入れてハロヲタもいろいろ対応した。ハロプロでは「そのとき歌っている人」「パート割がある人」の名前を叫ぶルールがある。ISSAだけが歌を歌うDA PUMPでは、ISSAだけをコールすることになってしまう。「他のダンスメンの名も呼んでほしい」という古参ファンからの指摘により、ハロヲタはメンバー全員の名前を順番に叫ぶようになった。すると今度は、自分の名前がコールされたときにダンスメンバーもアピールしてくれるようになった。我々もメンバーの顔と名前を覚えた。BEYOOOOOOONDS全員の名前をねじ子はまだ覚えきれていないのに、DA PUMPの名前は覚えた。夏のハロコンにはDA PUMPがわざわざ来てくれて、満員の会場を盛り上げた。歌番組にもDA PUMPとモー娘。を一緒に呼んでもらえて、みんなで一緒にいいね!ダンスした。楽しかった。地上波歌番組の観覧には女性ファンばかり呼ばれるから、いつものハロヲタより高音で重低音が含まれないコールが新鮮だった。

そこから数ヶ月。地上波テレビをまったく見ない息子たちが、保育園や小学校で『U.S.A.』を覚えて帰ってきた。私はそのとき「え、USAってそこまで流行ってるの!?」と驚いた。年末の忘年会カラオケで仕事先の若い男子たちが『U.S.A.』を歌っている。「え、USAそこまで流行ってるの!?」と二度目の実感をした。必死でコールを入れないようにこらえたよ。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯くん!」という声が喉元まで出てきたのを必死でこらえたよ。自分を褒めてあげたい。8月のリリイベの時点では古参DA PUMPファンとハロヲタと新宿二丁目の皆さんしか知らなかった曲を、内輪だけで宝物のようにして楽しく盛り上がっていた曲を、いまや日本中の老若男女が知っている。踊っている。まさに夢のようだ。

しかしその夢はよっすぃの逮捕によりもろくも崩れ去った。我々ハロヲタは夢から醒めて取り残された。DA PAMP再ブレイクの夢の中にもうハロプロはいない。我々ハロヲタもいない。流行という大きな波を一緒に楽しむことはできなくなった。

それまで、私たちは本当に夢のような体験をさせてもらった。池袋のリリイベの映像を見ながら「私たちハロヲタはDA PUMPを再ブレイクさせることはできるのに、どうしてハロプロを再ブレイクさせることはできないのだろう?」などとしたり顔で奢ってみたりした。はーちんの卒業公演が彼女らしくとても清廉で美しかったこと、特撮戦隊にメインヒロインとして工藤が抜擢されて本当に大切に扱ってもらったこと、そのルパパトが歴代最高と言っても差し支えないドラマであったこと、夏のハロコンは久しぶりのOGがたくさん出場したこと、加護ちゃんが『I WISH』を歌ったというニュースを見て感動のあまりねじ子自宅でむせび泣く、など。2018年前半はハロプロにも明るい出来事が多く、私も久しぶりに楽しいオタク活動ができていた。ハロプロにも20周年らしい上昇気流が流れていた。流れていたのに。よっすぃの事件のせいで、それらはすべて無に帰した。

4位 ミッドナイト・ボルテージ / テンタクルズ Splatoon2

ゲーム『スプラトゥーン2』の追加コンテンツ「オクト・エクスパンション」の中の一曲。「2」の上にさらに有料追加コンテンツ。ハードルが高いね!『スプラトゥーン1』の人気キャラだったシオカラーズが脇役になり、その代わりに出てきたメインMCがこのテンタクルズである。めんどくさいドルヲタである私は、シオカラーズが更迭されたことに心理的抵抗を覚えていた。運営や事務所に猛プッシュされる新アイドルグループに対して懐疑の目を向けるのは、ドルヲタとして当然だ。ドルヲタあるある。メンバーの一人は敵である「タコ」だしさ。

しかし、この『ミッドナイト・ボルテージ』がすごくいい曲だったから、ねじ子はくるりと手のひらを返した。瞬時に返した。これまたドルヲタあるある。テンタクルズ最高ぅぅぅ!イイダさんのボーカルが大人っぽくてすっごくいいねぇ!「なんでタコがMCなのよ!?」とか思っててごめんね!ヒメの可愛い声が軽快に乗ってくるミスマッチ感も最高だね!うるさい客を黙らせるには、いい曲を作って、曲で上から殴るしかないんだよね。結局それしかないんだよ。

5位 命の灯火 / 大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL

嫌になるくらい繰り返し聴かされた曲。もう何回聴いたかわからない。たぶん今日の夜もスマブラしながら5回くらい聴くことになる。格闘ゲームで手を動かしながら、大声で高らかに歌いあげたくなってしまう不思議な魅力がこの曲にはある。もちろん歌いながら私の気分はカービィである。たった一人生き残って、強大な敵に侵略された大地を高台から見つめるカービィだ。それだけで私はなにも文句を言えなくなってしまう。最初聴いたときはそこまでいい曲だと思わなかったんだけどな……。やっぱりゲームの中で素晴らしい体験をすると、聴こえ方が変わってしまうのか……。スマブラは過去の名作ゲームの音楽を現代風にアレンジして、大量に収録し、シャッフル可能なライブラリを提供してくれる。これがまたいい。作業用BGMとして非常に便利だ。作業用BGMの再生マシンとしても8000円くらいの価値がある。ということはゲームは実質タダ。桜井さん最高だな。

6位 恋して♥ポプテピピック

※正しい映像は『ポプテピピック』アニメ第2話を見て下さい。

女性ボーカルver.


男性ボーカルver.

上坂すみれちゃんのオープニング曲『POP TEAM EPIC』の方が音楽的に出来がよいことを承知の上で、あえての『恋して♥ポプテピピック』。歌詞がたまらなく好き。「サブカルこねくり回しても 偽物だらけ」という歌詞が狂おしいほど好き。声優が15分おきに変わり、女子声優ペアで1回 → 男子声優ペアでもう1回歌う仕掛けも好き。毛糸人形アニメも好き。映像アイディア含めての「作り込み」が最高。

現在の女性アイドルは声優業界にあるのだと思う。若手女性声優の皆さんは正しく女性アイドルである。小倉唯ちゃんや上坂すみれちゃんを見ていると、より強くそう思う。ももちの目指していたアイドルとしてのロールモデルはどう見ても田村ゆかりさんであったし、偶像としての「アイドル」を貫きたい!という野望を持った女の子は、ハロプロやAKBよりも女性声優を目指したほうがずっといいように思う。ハロヲタの私ですら、そう思う。そっちの方がきっとやりたいことができるでしょ。

7位 進化理論 / BOYS AND MEN

ガンガンズダンダン!2017年の楽曲グランプリでねじ子は「シンカリオンがせっかくアニメ化するのに、なんでボイメンがオープニング曲なのぉ!山ちゃんを下ろさないでぇ!」って叫んでいたのだけれど、いまやボイメンのOPにもすっかりノリノリである。ガンガンズダンダン!クライマックスの戦闘シーンでこの曲がかかると一気に気分が上がる。いい曲だ。

「新幹線変形ロボ シンカリオン」はアニメもおもちゃも非常によくできていた。Youtube公開や玩具系YoutuberとのコラボやAmazon Primeなど、時代に合わせたプロモーションもうまかった。シンカリオンのアニメは好評につき2019年も続く。巨大新作ロボットアニメとして1年以上続く単独TVアニメは平成唯一であり、昭和でもマジンガーZやゴッドマーズ以来とのこと。すごいね。

昨年の放送の間にものすごい勢いで新しいシンカリオンが増えていったのを見るに、アニメ放送は当初1年で終わる予定だったのだろう。玩具もこの1年で出し尽くした感がある。シンカリオントリニティーとか、とつぜん登場して物語も駆け足だったし。あと1年放送するつもりがあったら、もう少しあとに登場を引っ張れたのでは?霧島タカトラも五ツ橋兄弟ももっとじっくり描けたのでは?リアル新幹線はタカラトミーの都合で勝手に増やせないし、2019年以降のシリーズ構成はきっと大変だろうと予想する。いったい今後どうなるんだろう?地底世界と父親世代の話を続けるのかな?シリーズ構成の下山さんにはぜひ頑張って欲しい。

ちなみに同じ下山さんがやってる『仮面ライダージオウ』は(白倉さんが)時間軸をこねくりまわしすぎなうえにパワーバランスの整合性が毎回違うので、私はあまり楽しめていない。理解が難しいし、理解しよう!と思って頑張って考察しても結局は「大人の事情に突っ込むやつは馬に蹴られる」って明言されちゃうんだもん。つじつまを合わせるために頭を使う気力が沸かないんだよね。ごめんね。

2018年、ルパパトとビルドとハグプリとシンカリオンが面白くて私は本当に幸せだった。こんなに豊作でいいのだろうか。2018年の土日の早朝、私はずっと幸せな時間を過ごした。そんな一年も終わり、生きる糧を失って私は自分を見失いかけている。

結局私は、日曜の朝になれば最高の脚本と演出のもと、大好きな女の子が必ず見られる生活に慣れすぎていたのだ。ルパパトが終わりこれからどうやって日々の活力を得ればいいのか、私にはわからない。去年の2月まで私は何を食べていたんだ?毎日どうやって生きていたんだろう?まるで思い出せないよ。ルパパト(とビルドとハグプリ)のおかげで、1年間ずっとわくわくして過ごしてた。家族みんなで来週の展開を予想するのが楽しかった。今の希望はルパパトのファイナルライブツアーのチケットを、たった1公演もっていること。これを糧に生きるしかない。

8位 We will rock you / QUEEN

今年は映画『ボヘミアン・ラプソディー』の大ヒットによりQUEENが再評価され、日本でもQUEENのリバイバル・ブームが起こりました。ちなみに私の中のQUEENブームは2005-2006年に勝手に旋風を巻き起こしまくっておりました。最初の同人誌『平成医療手技図譜 針モノ編』と『ねじ子のヒミツ手技 1st』の捨てカットを見ていただければわかるように、あの頃の私はQUEENに狂っておりました。フレディの最後のパートナー、ジム・ハットンによる書籍『フレディー・マーキュリーと私』を読んだこと、それを受けたドキュメンタリー『FREDDIE MERCURY Untold Story』を見たことが、当時の私のハートに火をつけたのです。CDアルバムもオリジナル・ソロ・アルバムもぜんぶ買いました。当時はYoutubeが発達していませんでしたから、MVやライブを見るためだけにDVDを買いあさりました。Paul Rodgersをボーカルに迎えた横浜アリーナ公演にも行きました。『手をとりあって』を日本語で合唱したときは、自分が古い物語の登場人物になれたような心持ちでした。「みんな、フレディの代わりに歌って!」と言いながら『Love Of My Life』を一人弾き語りするブライアンに涙しました。確かにあのとき、ブライアンの横にフレディが座っているのが見えました。フレディの魂は確かにあのとき、横浜アリーナにいた!絶対いた!ブライアンを「ダーリン」と呼ぶフレディが、あの優しく柔和な目でブライアンを見つめるフレディがいたもん!わたし見たもん!

しかし、映画『ボヘミアン・ラプソディー』の初報を聞いて「絶対見に行く~!」と思っていたこの私が、映画の内容を聞き日本でも大ヒットの報を受け、テレビでも特集されていくにつけ、だんだん陰鬱になってしまいました。そう、めんどくさいオタクである私は「映画を見たら絶対にフレディに関する解釈違いを起こす、そして憂鬱になってしまう」と、映画を見る前に気付いてしまったのです。

憂鬱がわかりきっているねじ子は、映画を見に行く気力が萎えてしまいました。あんなにQUEENが好きだったのに、ようやくブームになっているというのに、なかなか足が向きません。そんな私を見かねた大上先生が、わざわざ私を映画館まで連れ出してくれました。ありがとう大上先生。そして映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見た私は、感動しながらもやはり解釈違いを起こしてしまったのです。

いや、前半は最高だったんだ。アートスクールの学生だったうだつの上がらないフレディ、その頃の彼女、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド”スマイル”との出会い、日本で先に火がついた人気、コンピュータがない時代の多重録音、公式のプロモーション・ビデオがまだ存在しない時代の「キラークイーン」公式映像が「Top of the Pops」(BBCの老舗音楽番組)出演時の口パク映像であること、「オペラ座の夜」での合唱とロジャーのひときわ高い声、長い曲をラジオでかけるための攻防、いつも違う女を連れているロジャー、着物や伊万里焼などフレディの日本趣味、フレディの快楽主義的な一面、愛猫家、すべてがそのままその通り。素晴らしい再現度。出っ歯で美声のフレディの役者さんの似せっぷりはもちろんのこと、ロジャーもブライアンもディーコンも、まじでそっくり。本人が出演しているのかと思ったもん。いい映像を見せてもらって本当に嬉しい。

でもね、後半の時系列のぐちゃぐちゃに私は耐えられんのよ。特にHIV感染を自覚する時期と、免疫不全症候群(AIDS)を発症する時期と、実際のコンサートの時系列が狂っていて、どうにも違和感を覚えてしまう。当時の私は医学生で、まだ未知で克服できていない病であったHIVとAIDSとその感染ルートについて勉強する必要があり、フレディの事例をその勉強にも役立てたから、感染と発症時期の時系列にひどく敏感なのだ。

物語のクライマックスに使われるコンサート・LIVE AIDは確かにQUEENの健在ぶりをアピールする輝かしいコンサートだった。もう終わった70年代の古いバンドと評されていたQUEENが息を吹き返す、歴史的なライブだった。だけど、あのときまだフレディはHIV感染を知らなかったはずだ。LIVE AIDは1985/07/13、フレディがHIVの感染結果を知ったのは1987年のはず。時系列がおかしい。あそこで彼の病気をもってバンドが一致団結する描写は、あまりふさわしくないと私は思う。病気なんかまったく関係なく、バラバラになりかけたバンドが一致団結した瞬間だからLIVE AIDは素晴らしいのだ。フレディの歌唱力とメンバーの高い演奏力と楽曲の持つ圧倒的な普遍性をもって、QUEENはLIVE AIDの観客の心を鷲掴みにした。完全なる実力主義であり、そこがいいと私は思っている。ちなみにフレディの病気を受けてバンドが一致団結するのは最後のアルバム『Innuendo』の1991年あたりである。もちろんその頃の、だんだん歌が歌えなくなり痩せ細って衰えていく、それでも病気を公表できないフレディをみんなで支えるエピソードもすごく好きだ。

そもそもさあ!フレディはいつだってバンドの緩衝材だったの!フレディはいつも、音楽的対立を繰り返すブライアンとロジャーの間を取り持っていたはずだよ!「フレディがバンドのメンバーと喧嘩しているの見たことない」ってコメントもあったはずだよ!一時期のQUEENの活動休止は、ブライアンとロジャーの衝突が主な要因だったはず!当時の私は雑誌でそう読んだ!QUEENが休止したために、仕方なくフレディはその間だけソロ活動をやってたはず!それなのに、あの映画だとまるでフレディが自分の我儘でソロをやりたがり、そのせいでバンドが凋落したみたいじゃないか!違う!フレディはそんな子じゃない!決して解散危機の引き金を引くメンバーではなかったはずだ!「おい、お前が何を知っているんだ?」って感じだけど、私の解釈では、フレディはそうじゃないの!!

そして、社会について。フレディのHIVカミングアウトは死のほんの数日前であったし、フレディが自身のセクシュアリティを世間に公表することは死に至るまでなかった。そういう時代だった。当時「QUEENが好き」と言うと、女性ファンはともかく、男性ファンはわりとマジで「え?おまえホモなの?」と周囲から言われたりもした。ゲイ文化に(比較的)寛容な日本でさえ、そうだった。当時のAIDSは原因不明の死に至る恐怖の病気であり、無知による偏見がまん延していた。HIVがようやく分離されたのが1983年であり、LIVE AIDの2年前である。先進国でHIVが広がり始めていたこの頃、AIDS発症者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから、ゲイ・コミュニティへの偏見と差別が強く世界を覆っていた。この映画はその社会風景のど真ん中にありながら、それをあまり描写しない。もちろん、それはそれでいい。偏見や差別や未知の病気に対する恐怖などすべてなかったことにして、主人公の周辺に優しく理解ある世界を築き、主人公を大きな愛で包み込む手法はフィクションにおいて多用されている。それはそれで自由だ。でも実際は、ものすごい大きな偏見と恐怖が当時のHIVと免疫不全とゲイの世界には吹き荒れていた。フレディはまさにその中にいて、命を落としてしまったんだよね。演出上の時系列の歪みがその不自然さに輪をかけているように感じて、どうしても私はもどかしく思ってしまう。

まぁ当時の社会のLGBTに対する差別と偏見と、HIVに関する無知と、それにまつわるフレディの苦悩を描写していたらきっと「重すぎる」。大衆映画としてこんなふうにヒットしないんだろう。わかるよ。めんどくさいオタクの解釈違いだって、わかってるよ。役者さんたちの本人再現ぶり、文句なく素晴らしい楽曲郡、映像の再現度、コンサート会場にいるかのような臨場感、LIVE AIDが再び開催されたかのようなカメラワークは最高だった。それでいいんだ。ありがとうブライアンとロジャー。

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さて、オリコンランキングという言葉すら知らない人間が増えている昨今、「俺コンランキング」というタイトルを続けるのもきつくなってきました。テーゼ自体が衰えると、アンチテーゼの文脈も意味をなさなくなっていくのは当然ですね。今年からはもう「楽曲ランキング」という簡素なタイトルにこっそり戻しました。

2019年はいまのところ新しいプリキュアのエンディング『パぺピプ☆ロマンチック』と新しい戦隊のエンディング『ケボーン!リュウソウジャー』が激しい首位闘いをする予定です。どちらも映像・ダンス込みでとても楽しい。楽曲そのものよりも、これから1年を通してどれだけ作品を面白く見続けることができるか。これからの1年を楽しみにしています。(2018.3.29)