つんく♂の代わりは居やしない みんなを魅了する
つんく♂さんが初期の喉頭がんであることを発表した。ねじ子は憂鬱である。なんで喉頭がんなんだ。なんで彼なんだ。他にいくらでもあるだろう。神様はひどく残酷で理不尽だ。
つんく♂の声はもうずっと調子が悪く、かなり以前から専門医にフォローされていた。前ガン状態からガンに移行したのだとしても、すぐに発見されて治療が始まっているだろう。医学的な面ではさほど心配していない。初期の声帯がんは5年生存率も高く、もし発表が「本当ならば」治療にもよく反応するだろう。
でも、つんく♂もハロプロも、これまでとまったく同じではいられないようにも思う。つんく♂はこれまでと同じように声を酷使する仕事をできるのだろうか?あれだけの楽曲の量産ができるだろうか?歌唱指導は?コンサート演出は?声帯はつんく♂の一番の商売道具であり、アイデンティティそのものだ。アイデンティティを守るためならば、治療法の選択も一般人とは違ってくるだろう。それは果たして、寿命と引き替えの結果にならないですむのだろうか?つんく♂は自らも歌手であり、作曲家であり、たくさんの女子の未来を背負うプロジェクトのリーダーであり、三児の父でもある。どの立場も大切で、失うことのできないものだ。治療法の選択は非常に難しいと思う。どんな選択でも、私はファンとしてそれを受け入れる。でも正直に言うと、とても怖い。足下が真っ暗になって抜け落ちたような気持ちだ。
つんく♂の創作活動のスタンスはクリエイターとして理想的だと思う。ジャンルは違えど、つんく♂の創作姿勢をねじ子はいつも参考にしている。芸術性と商業主義の寄り添わせ方、長いものへの巻かれ具合、折れない心、あくなき多作志向、長期戦略の立て方、アレンジャーへの任せ具合、「巨匠」にならないような軽妙なキャラ設定、Twitterあしらい、ネットとの距離間、ライナーノーツへの熱の入れよう、どれも絶妙だ。かつ生涯現役を目指して、家庭生活も充実させ健康維持にも余念がなかった。
だからこそ、ねじ子は「あと30年間はつんく♂の音楽を楽しめる」と勝手に確信していたのだ。文字通りそれは盲信だったわけだけれど、つんく♂とハロプロが私の人生からなくなってしまうなんて思ってもいなかった。嫌だ。私からつんく♂の音楽を奪わないでほしい。私はつんく♂依存症なんだ。定期的に彼の音楽を摂取していないと生きていけない。少し前にTwitterで流行した、まさにこれなんだ。
どこにいるのかわからないけれど、つんく♂さんの通院している病院のスタッフの皆さん、つんく♂さんのことよろしくお願いします。あ、私の本でよければいくらでも寄贈しますから!(2014/3/12)