ねじ子web

医師兼漫画家 森皆ねじ子

ねじ子のLINEスタンプが発売されています

岡田斗司夫さん著、オタク・イズ・デッド

岡田斗司夫さん著、オタク・イズ・デッドの同人誌を今更ながら読んだ。最後の岡田さんの搾り取るような告白を呼んだとき、私の目から涙が流れてきた。そ う、オタクは死んでしまったのだ。その台詞を、あの岡田さんが、ガイナックスを退職して失意の中でオタキングという呼称をでっちあげ「自らのオタクぶり」 のみを売りに生きていこうと決めた人が、一体どんな気持ちで言ったのか。万感の思いをこめて、とはまさにこういうことを言うのだろう。

我々オタクが差別されていた貧民時代は終わったのだ。今やオタク文化は日本が世界に誇る一代産業だと認知された。私達はあんなにも求めていた桃源郷に辿り着いたんだ。そのはずなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。

今の秋葉原は、少なくとも当時の私達が探し求めていた街ではない。

改札を出た瞬間にオタクのオの字もよくわかっていなそうなキャバクラ感覚のメイドさんにチラシを渡され、どでかいキャラクター看板が街中に反乱し、そこら じゅうが私達オタクの財布を狙っている。動物園の珍獣を見るような目で私達を見る観光客たち。外人さんも喜んでデジカメを振りかざしている。確かに喜ぶだ ろうなぁ、日本人で東京人でオタクの私だってこの街の風景にはびっくりだもの。

岡田斗司夫さんの時代のオタクの定義、それは「細かい作画の機微や、演出の歴史や、コマ送りしないとわからない職人芸を『読む』」ことのできる人種」で あった。「通」であった。私の世代のオタク(俗に言う「エヴァ世代」)は、某連続幼女誘拐犯のせいでオタクな自分を徹底的に弾圧批判されながら生きてい た。その中で同じオタク代表の庵野君、おっとちがったシンジ君の魂の叫び「僕はここにいていいんだ!」に、恥ずかしながらも真に共感し、心から救われた人 間の集まりだった。そして今現在、「萌え」文化のオタク世代がやってきた。

歴史なんてどうでもいい、細かい作画の機微なんてどうでもいい。誰かの手のひらの上でもいい。ただ、「萌え」さえあればいい。そんな風に定義されている、 今のオタクのカタチ。まあ実際はそんなに単純なものではないことは知っている。しかしその「上澄みを吸おう」という魑魅魍魎が跋扈する街に、アキバはなっ てしまった。あふれんばかりの萌えの洪水、萌えのネズミーランド。与えられた萌えを、与えられたとおりに、消費する世界に成り下がった。

もちろん、そんなものに一人一人は流されてなんかいないと、審美眼はまだまだ失われていないと、私は信じている。「オタクは萌えとかいう笛を吹いときゃ、 簡単に踊るだろ」などという、オタクを舐めた匂いが少しでも感じられるものはきちんと拒否する。そういう眼を持っている。つるぺたスクール水着ツインテー ルの美少女が上目遣いで「お兄ちゃん、DVD買って」って言ったら、どんな内容でもDVD買ってしまうようなお馬鹿さんは、きわめて少数派であると、ねじ 子は信じている。

だがしかし、オタク界隈が巨大産業になり、金が大きく動くことがばれてしまった今。汚いハイエナ共が上辺だけをかすめ取ろうと鼻息荒く参入してくる姿が、 私には見える。寂しい。そこに職人の心はあるのか?世界も驚く匠の技はあるのか?存在を否定されていた人間が、救われる喜びはあるのか?それとも、そんな ものはもういらないの?私が古いだけなの?

市場が大きくなるのは正しいことだ。仕方のない事とも言える。たかが趣味一つのせいで人格まで否定される社会よりは、ずっといい。でも。

選ばれし者たちだけの、辛くとも楽しい「楽園の時間」は、終わってしまったのだ。

誰も理解してくれなくても、自分たちは違いのわかる人間だと思っていた。確かに格好悪くて、見た目も悪くて、全然モテなくて、犯罪者みたいな目で見られ て、実際にコミケ参加者から犯罪者が出て、でもでもそれでも。自分たちだけは漫画やアニメの本質がわかっていると。世界にも通用する本物の良さを、私達だ けは知っていると。そう信じることで、生きていくことができた。あの辛くて楽しかった時代は、もう戻らないのだ。今この世にあるのは、誰でも楽しめる漫画 とアニメと萌えのネズミーランドなんだ。

それは素晴らしいことなんだと思う。進歩なんだと思う。私の感傷は懐古趣味だと若い人に言われたら、ぐぅの音も出ない。でも、でも。悲しいもんは悲しいの よ。決死の覚悟で戦った戦争に敗け、アメリカに飼い慣らされてサムライの心を忘れた日本人を見た時の三島由紀夫もこんな気持ちだったのかなぁ。そういえば 三島由紀夫のアジテーションも、若い自衛官には全然響いてなかったもんなぁ。なんだかんだ言って大量消費文化の魅力には勝てないよ。

当時の私を救ってくれたオタキングの悲壮の決意に、涙が止まらなかった。一つの時代が終わったのだと感じた。(2007/6/14)