『けものフレンズ』10話までの所感と新創世紀
『けものフレンズ』は確かに、現在の日本の若者にとって、よくできた救済の物語だと思う。
日本の少子化と経済規模縮小は、おそらく避けられない未来だ。高度経済成長やバブル期に建てられた巨大建造物やインフラを維持するだけの生産力すら、我々は確保できないかもしれない。自分が子供の頃遊んだ楽しい建築物は、ED写真の遊園地のように廃墟になっていくだろう。実際、少し地方に行けば建物だけが残ったゴーストタウンや商店街がすでにゴロゴロしている。それを壊す金やマンパワーすら用意できない未来が来る。そんな予感はみんなの中にある。ジャパリパークは、確かに昔は巨大な動物園か遊園地であったはずの廃墟なのだ。
しかも、廃墟の中にはなぜか大きな火山があり、コントロールできず、毎年爆発してよくわからない物質を撒き散らしている。我々はそこにフクイチの影を見る。フレンズたちは今のところ一種につき一匹しかいない。それもメスのみだ。子孫を成す方法もない。
謎に満ちたこの状況は、すべて彼女らのせいではない。すべて前世代によって作られている厄災であり、「気付いたらそこにあった厄災」だ。それでも、その土地にそのとき生まれた数少ない生命たちが出会い、お互いの個性を紹介し、長所を認め、知恵を出しあい、できる限りの協力をして、小さな手で作業し、問題を解決していく。そしてみんなでジャパリマンを食べる。原始的快感も決して忘れず、すべり台を滑れば全力で「うわー!たーのしー!」と叫ぶ。震災後、未曾有の不況と少子化と経済縮小の中で生きるための知恵がそこには確かにあると思う。
我々の世代の多くは両親の生涯年収を越えることができないだろう。親が自分に与えてくれたサービスを、自分の子に与えることができない。個体数もどんどん減る。国民総中流と言われた時代は終わり、生まれながらに遺伝子や環境や資産が細かく違うと誰もが気付いている。
その一方で学校では「みんなちがってみんないい」と教わった。かつて「困った子」と大雑把にくくられていた子供達にも発達障害やADHDやLDの診断がついて、個別対応ができるようになった。フレンズたちは口数は少ないけれど、その会話は非常に前向きで気が利いている。尊敬と信頼にあふれ、決して相手を不快にさせない。それらはすべて第1話の「へーきへーき!フレンズによって、とくいなことちがうから!」というサーバルちゃんの台詞に集約される。そうやってお互いを尊重し、傷つけ合わず、少ない数でも協力して生きていくしかないのだ。
とすると、やはりそれを脅かす存在であるセルリアン、そしてフレンズを生み出す根源であるサンドスターの正体が非常に気になる。何なんだろう。前世代のヒトなのかな。まったく別の異形の存在かな。宇宙からの使者かな。圧倒的な暴力かな。マインクラフトによく似た「新しい創世記」だと考えれば、ラスボスは地中奥深くに潜んでいる巨大ドラゴンなんだけど、誰も倒しに行かず、みんなで海辺に家を作って「うわー!すごーい!たーのしー!」で終わりかな。なんでもいいよ。とても楽しみ。わくわくしてる。(2017.3.21)