おたく活動備忘録 : 金澤朋子卒業公演をライブビューイングで見た
朋子が25歳定年の壁を打ち破った日、私は人生で初めて「本人不在の誕生会」を行った。ハロプロの伝統であった25歳定年制度が静かに打ち破られたことが、そのくらい嬉しかった。
しかしその一ヶ月後、朋子は病気によるグループ卒業を決断した。それ自体はしかたのないことだ。わかっている。私が朋子の主治医であったとしてもその決意を支持するだろう。挙児希望のある子宮内膜症の女性に勧めることは、結局のところ月経周期が一回でも少ない状況での妊娠出産を目指すことに尽きる。私は医者として彼女の決定を大いに肯定する。
朋子も、それからまーちゃんも、現代医学が不甲斐なくて本当に申し訳ない。あなたたちの活動を支えられる医療を、現代の医学では提供できなかった。それが悔しい。本人たちはもっともっと悔しくて悲しいと思う。
私は「ここだよ朋子」コールが可能になるまで、朋子には卒業しないで欲しいと思っていた。でもそれはかなえられなかった。市松模様の一席飛ばしで販売された横浜アリーナ卒業公演のチケットはとれなかった。この私が朋子の卒業に立ち会えないなんて、思ってもいなかった。でも私は世情を考えて粛々とそれを受け入れ、ライブビューイングのチケットを取った。
Juice=Juiceというグループは、安定して高いクオリティをキープしながら歌唱サービスを提供し続ける、ずっとそこにある組織であった。それはまるで朋子の人生目標であった「地方公務員」のような安定感とたたずまいで、ハロプロという組織の中にずっと存在し続けた。歌唱への過剰な鍛錬ぶりも、消防署の職員さん達のストイックな訓練と自己研鑽を見ているようだった。コンサートはさながら消防隊の出初め式やブルーインパルスの航空祭だ。娘。から大好きなズッキがいなくなったときも鞘師がいなくなったときも、Juice=Juiceは変わらずそこにあり続け、安定した歌唱力で私を支えていてくれた。私にとってJuice=Juiceは安定した自治体の福祉厚生であり、インフラであり、ベーシックインカムだった。
最初の武道館からの帰り道、高揚感に包まれながら私は「Juiceは最高だ。いつまでも存在し続けて欲しい。佳林と朋子と紗友希がいつまでも一緒に歌っていてくれたらいいのに」という強い幸福感に包まれていた。それと同時に、それが不可能であることもわかっていた。どこかで必ず終わりは来る。彼女たちがいなくなったら、私はどうなってしまうんだろう。私は幸福の絶頂の中にいながらそれを失うことにおびえていた。多幸感と、その消失への恐怖。両方を漠然と抱えながら、私は人混みにまぎれて田安門を通り皇居の堀の坂をくだっていた。九段坂駅への道は人混みにあふれ、アン・オフィシャルな写真を売るあやしげな露天のハロゲンランプでぎらぎらと輝いていた。
当時、武道館のチケットは苦労せず一般でも買えた。武道館の客席が満員になったのも直前であったように思う。だから当時の私は、朋子・佳林・紗友希という三人の歌姫が卒業するコンサートの「どれにも」現地で参戦することができないなんて、夢にも思ってなかった。ただ、ベーシックインカムがいつか途切れることだけを、漠然と不安に思っていた。そしてその日が来る。
私は朋子の卒業発表から一ヶ月の間ずっと目をそらし、発表を信じることができないままに卒業コンサートのライブビューイングに参加した。
オープニングは彼女の代名詞である『イジワルしないで抱きしめてよ』だ。ハロー・プロジェクトの全楽曲の中でも一二を争うくらい好きな曲である。『イジ抱き』のCD音源で朋子が歌っていたパートは、すべて朋子に戻っていた。私はそれが嬉しかった。そして他のパートは、すべてオリジナル当時とは違うメンバーたちが歌っていた。開始一曲目だったこともあり、朋子も含めた全員の声量や音程が安定していなかったが、それもまたグループの歩んできた歴史を感じさせてよかった。
コンサートはとても素晴らしかった。まず、朋子の美しさが極まっていた。あんな美しい姿のままステージからいなくなるなんて信じられないほどであった。生まれ変わったら朋子の卒コンの赤いストレートビスチェドレスの背中のサテンのリボンになりたい。Juice=Juiceの次の展望がほのかに予感できるパート割りやセットリストもよかった。つまりきちんと完成された、予定通りの卒業コンサートだった。
そして私は、紗友希がいなくなったことをここでようやく実感した。今日この日まで、紗友希がJuice=Juiceからいなくなったことを私は本当は信じていなかった。朋子の卒コンを見て私は初めて紗友希の突然の消失を自覚し、現実だと認識し、消化するとまではいかないものの、ゆっくりとかみ砕いてのみこむことができたのだ。
朋子と紗友希の友情と歌唱力における切磋琢磨こそが、Juice=Juiceという女性アイドルユニットの「核」であった。5人のオリジナルメンバーによって作られたJuice=Juiceの絶対的センターだった佳林ちゃんでもなく、初代リーダーのゆかにゃでもなく、朋子と紗友希という稀代の女性歌手2人が、歌割をめぐってせめぎ合い自己研鑽を重ねる姿。それこそがJuice=Juiceという女性アイドルグループの「核」であったと私は思う。2人は常にお互いを高めあっていた。2人のパワフルで声質が違う歌声の上に佳林のアイドル歌唱のクリスタルボイスが乗ることで、Juice=Juiceという歌唱グループは完成し、大きなグルーブを作っていた。
メンバーがお互いに歌唱力という名の拳で殴り合いながらも楽しそうに歌ってる感じ、すごくいいですよね。ちょっと音程ミスしたり声がかすれちゃったあと、メンバー同士で目を合わせて一瞬ニヤッとするの。すごくいい。今これが見られるのってJuiceしか知らん。すごく楽しい。私にとって特別。
— 森皆ねじ子 (@nejiko_net) January 26, 2019
私が以前Twitterで書いたJuice=Juice『微炭酸』池袋リリースイベントのレポートにて、「お互いの声がちょっとかすれたり、ちょっとだけ音程がずれたりした直後にニヤっと笑いあう2人」というのは、朋子と紗友希であった。
どちらも女性アイドルとして最上級に(でも少し違う方向性で)歌の上手い二人が、お互いの歌を認め、技術を評価しあい、監視しあい(パートを奪いあうのだから)手を抜けない中で切磋琢磨する。それこそがJuice=Juiceというグループの中心をささえる本質であった、と私はいま思っている。最高のライバル、かつ最高の親友。それが朋子と紗友希だった。この9年間ずっと。いや実際は二人がそんな関係になったのはここ6年くらいな気もするが、とにかく私は、音楽に対する二人の真摯な姿勢にずっと励まされてきた。
2021年1月に紗友希がいなくなったということは、私にとってJuice=Juiceの「核」が突然消失することであった。生物の世界ならば核が消滅した細胞は死ぬ。細胞質が均一になり、あっという間に溶けていく。突然おこったビックバンを私はなかなか受け入れることができなかった。
2021年3月のひなフェスでは、紗友希のパートを引き継ぐのに明らかにみな四苦八苦していた。『DOWN TOWN』の大サビで紗友希の見せ場として作られたパートを歌わざるをえなくなった朋子は「つらくてしかたない」という表情で目に涙をためていたし(音程を外さなかったのはさすが)、瑠々ちゃんはCHOICE&CHANCE最後の紗友希パートを伸ばしきることができなかった(あの声量であの音程を出してオリジナルのフェイクを入れろっていうのが無理筋なのだ)。
朋子は25歳を過ぎても残留し、Juice=Juiceの核は残った。他のメンバーもふんばって紗友希のパートを練習してきた。細胞は生き残った、それがこの卒コンでわかった。特に瑠々ちゃんが紗友希のパートを随所でこなしていて立派だった。半年で仕上げてきたんだね。あぁ、Juice=Juiceのそういうところが好き。「Juiceはこれからも続く」と感じることができる卒業コンサートだった。
佳林と紗友希と朋子がいなくなったいま、Juice=Juiceという女性アイドルユニットがいったいどんな存在であったのか、ゆっくりと考えながら私は帰路についた。新宿バルト9の11階から続く長い下り階段は、女性客のヒールがステップをたたく音であふれていた。
ここからは未来の話をしよう。
『DOWN TOWN』『プラスティック・ラブ』という新曲の流れを見るに、2021年のJuice=Juiceはシティポップ路線に舵を切るようだ。シティポップか……。うーん、事務所の偉い人の趣向があまりに強く、観客は二の次というか完全においてかれているように感じるけれど、まあいいか……。紗友希というアドリブのフェイクの女王と、朋子という唯一無二の妖艶な歌声を失ったJuice=Juiceが、従来のファンキーな大人の女性の恋愛路線を続けるのはむずかしいだろう。まだ時間がかかる。シティポップを歌うためならば、新メンバー3人の人選も納得がいく。特に江端妃咲ちゃん。初めて見た江端ちゃんは、輪郭も顔立ちも体型も手足の細さも「初代リカちゃん人形」そのものであった。今のリカちゃんではなく「初代」リカちゃんね。
彼女のレトロでキッチュな、昭和のプラスティック人形のようなたたずまいと可愛らしさは唯一無二であり、確かに昭和シティポップおよび『プラスティック・ラブ』という楽曲という楽曲によく似合っていると思う。私にとっては新しい刺激に乏しく、あまりおもしろみがないけれど、あたたかく見守っていきたい。(2021/12/10)
※追記:
山下達郎氏が2023年7月9日にジャニー喜多川の児童性虐待問題について言及。この最後に「このような私の姿勢を忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」と発言した。なるほど、私には山下達郎氏の音楽は不要になったようだ。よって今後のJuice=Juiceでは彼の曲を歌わないでほしい。セットリストにも入れないでほしい。
山下氏のこの発言以降、私はJuice=Juiceのライブに足を運んでいない。彼の曲を聴きたくなくなってしまったからだ。わざわざ高い金を払って遠くまで足を運んで、悲しい気持ちになる必要はない。おうちで一人でJuiceの曲を聴くぶんには彼の曲を除外できるけれど、ライブではそうもいかない。流れる曲を選べない。だから私は7月9日以来、Juiceのライブに行く気力がしぼんでしまった。とても残念だ。
シティポップの世界的流行に乗りたいのならば、よその過去の有名曲にすがるのではなく、自分たちで新しい曲を作れ。私は事務所にそう言いたい。それが音楽事務所の役目ってもんでしょ、と思う。 (2023/09/13)