よっすの孤独を思う
どうしようもない内容だけれど、自分自身の混乱の解消と救済のために、この文章を書きます。
私はよっすぃこと吉澤ひとみさんが好きだった。よっすぃがいるから私はずっとハロヲタを続けられた。黄金期と呼ばれる誰もがモーニング娘。を知っていた時期から、人気が衰退し、売上が落ち、レギュラー番組も次々となくなり、音楽番組にもだんだん呼ばれなくなっていく時代を、彼女はリーダーとして支えた。私はそんな彼女が好きだったし、衰退期にも腐らない姿勢に勇気づけられていた。私のハロプロ現場デビューは彼女の卒業公演だった。一番好きな子が卒業するから私は、今よりずっと閉鎖的だった当時のアイドル現場に足を運ぶ勇気を持てた。彼女がモーニング娘。を卒業し、音楽ガッタスが消滅した後は熱心に情報を追うこともなくなったけれど、出演番組はほぼ見ていたし、ブログやインスタもたびたびチェックしていた。
よっすぃはずっと、自分の心の中やプライベートを他人に見せない人だった。ファンに見せなかったのはもちろんのこと、仕事仲間であるメンバーにも見せなかった。それはずっと昔からそうだった。おそらく彼女は長い芸能活動のかなり初期の段階で何かに深く傷つき、心を閉ざしてしまったのだろう。モーニング娘。卒業直前に弟さんが交通事故で死んだことも、よっすい本人の口から語られることはなかった(スポーツ新聞にすっぱ抜かれて公になった)。弟さんの不幸を使って商売をすることもほとんどなかった。モーニング娘。の他のメンバーがモーニング娘。から突然脱退したり、舞台に穴を開けたときも、特に文句も言わず、黙々と仲間をフォローする仕事をしていた。恋愛の報道はいっさいなく、婚約報告は突然だった。結婚のお相手の情報は事故が起こるまでかなりしっかりと(おそらく強い意志をもって)隠匿されていた。子どもが生まれたときも事後報告で、(ファンは当時やきもきしていたのだけど)誕生から一年経ったのちに「実は小さく産まれていて大変だった」ことをブログで明かした。その大変さをリアルタイムにブログやインスタで中継していれば相当のレビュー数を稼げていたであろうに(芸能人ママブログにはそういう要素もあるのに、彼女自身も同じような体験をした母親のブログを見て支えられていたと告白していたのに)彼女はそういう選択をしなかった。いつもしなかった。彼女は芸能人としては不適切なほど秘密主義であった。そして私はそういうところも好きだった。
これは私の個人的な事情だが、藤丼がハロプロからいなくなった時期と、よっすぃが子供の低体重に悩んでいたことをブログで告白したのはちょうど同じ時期であった。2017年7月だ。私はこのとき「あ、私たちファンはアイドルが一番大変なときに何もできないんだね」と強く感じた。そしていま、私はより強くそれを感じている。何もできない。私は無力だ。当たり前だよね、ファンごときが天下のアイドル様に何かできるわけないじゃん。わかってる。わかってるよ。でも、本当に何もできない。何もしてあげられないんだよ!私が人生に悩んでいるときに、アイドルたちは私の心の暗闇に光をともし、進むべき方向を指し示す灯台になってくれていたのに!その逆はできない。彼女たちが一番つらいとき、ファンである私にできることなんて何ひとつない。いやもっと大きく言えば、人間が人間に対してできること(家族でもない他人に対して、してあげられること)って、ひどく少ないのかもしれない。そんなことわかってる。わかってるけど、私はいま、強く無力感を感じている。今のよっすぃを救えるのは彼女の家族とごく限られた周囲の人間(事務所の人など)だけだ。他の人間が彼女にしてあげられることは何ひとつない。残念ながら。
私の中の冷静な医者の部分は「事故の時点で診断はついていなかっただろうし、病院に紐付けもされていなかっただろうけど、彼女はアルコール依存症に限りなく『近い』状態と推測されるし、少なくとも今後はアルコール依存症に『準じた』治療をする必要がある」と思っている。つまりそれは「一生の間、『永遠に』『一滴も』酒を飲まない」ということである。彼女の場合はさらに「車を運転しない」も加わる。この二つを一生守り抜くこと。それができなければ、アルコール依存症患者の未来にはさらなる地獄が待っている。今よりも状況は悪化し、人生は破滅に向かい、人間関係は粉々に砕け散る。私の中の冷徹な医者の部分はそう言っている。そんな患者さんはありふれていて、もう何十人と見てきた。
いったんアルコール依存状態になってしまった患者は、一滴でも酒を飲むと、一瞬で元の依存状態に戻る。そこまでの断酒期間がどんなに長くても関係ない。「一生の間、一滴も、酒を呑んではいけない」のはそのためだ。これは大変なことである。「禁酒」を一生守らせるためには、ご家族の献身的なフォローが不可欠だ。残念ながら、これまでのよっすぃを取り巻く環境は彼女に酒を飲ませることを可能にしていたのだろう。つまり家族や周囲は「イネイブラー」だった。イネイブラー(enabler)つまり、アル中患者が酒を呑むことを(不本意ながらも)可能にしてしまっている人たちだ。
これからよっすぃは一切酒を飲まないように変わっていかなければならない。彼女自身も、周囲も、変わらなければならない。そしてこれはとてもむずかしい。酒はこの社会にありふれていて、安値で簡単に手に入れることができるからだ。それでも、彼女と周囲は大きな決意をもって変わらなければならない。さらなる悲劇を見たくなければ。子供の未来のためにも頑張ってほしい。私の中の冷静な医者の部分はそう言っている。
でも、おたくとしての私は違う。「ねぇ推しメンが手錠腰縄で連行される姿が連日報道されるってどんな気持ち?ねぇねぇどんな気持ち?」と私をからかってくる架空のドルヲタ仲間や、「お前はおたくとして一つ先へ行った!誰も見たことのない景色を今のお前は見ているんだぞ!冨樫よりもうすた京介よりも小林よしのりよりも、お前は先に進んでいる!最先端だ!喜べ!状況を楽しめ!」と神の視点で私に語りかけてくる人物を心の中に作りだしても、私の心は癒えない。全然だめだ。自らの心の傷を神の目線で俯瞰で見るのは有効な防衛機制のはずなんだが、心が萎えるばかりだ。
結局よっすぃは最初から最後まで普通の女の子だったのだ。とびきりかわいい、つんく♂の言葉を借りれば「天才的に可愛い」普通の女の子。普通の女の子を我々ファンが勝手に女神として持ち上げ、もてはやし続けたことで、彼女は何らかの闇と心の傷とプレッシャーを抱え、結婚し出産してもその不安を解消できなかったのだ。だからアルコールを飲み続けたのだ。しかも、それさえも、我々ファンは「酒豪」として楽しんでいた面がある。これは私たちが18年間彼女を追い詰めた結果でもあり、つまりは私たち自身がイネイブラーだったのだ。考えすぎなのかもしれないが、事故の報道があった日以来、私はそう思うことを止められないでいる。
私たちドルヲタは弱い。弱い人間だ。だからアイドルなんか好きになるのだ。そこらへんの少女を女神のように崇めるのが私たちの渡世だ。それがないと、この世はあまりにつらい生き地獄なのだ。彼女らは生身ではみなごく普通の女の子だ。女神なんかじゃない、そんなことわかっている。ぜんぶキモヲタの妄想だって自分でもわかってる。わかってるから、大目に見てほしい。そうやってアイドルに甘えて、アイドルというシステムに甘えて、私たちはここまで生き永らえてきたのだ。見たことも会ったこともないのに勝手に決めつけるけど、ユースケ・サンタマリアだってマツコ・デラックスだって柳原可奈子だって松岡茉優だって蒼井優だって吉田豪だって朝井リョウだってタワレコ社長だってピザーラ社長だってきっとそうなんだ。
でも、私は、勝手に女神扱いされてしまった女の子の気持ちを考えたことはあるのだろうか?羽を勝手に生えさせられた女の子側の気持ちを考えたことが、これまで本当にあったのか?勝手に女神扱いされるなんてたまったもんじゃないのでは?自分だって、医者を勝手に聖職者扱いする人間には辟易してるのに?
ジブリ制作・宮崎駿監督「On Your Mark」を初めて見たとき、若かった自分が日記に書いた内容を、今ここで引っ張り出し、コピー&ペーストしてみようと思う。以下がそれである。
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「On Your Mark」を見て思ったこと。「羽の生えた女の子の気持ちを考えたことはあるの?」
羽の生えた女の子を救うことが生きていることの意味だ、という男の人の気持ちはわかる。その通りだと思う。宮崎駿も村上春樹も谷崎潤一郎も、いつだってそうだった。勝手に理想の女性を作って、それを混沌とした世界で生きるための心の支えにしてしまう。それはきっと正しいのだと思う。少なくとも、戦歴や利益や金や名誉や権力のために生きることよりもずっと美しい。
でも、羽の生えた女の子の側の気持ちを考えたことがあるのだろうか?勝手に女神扱いされてしまった女の子の気持ちを考えたことはあるのだろうか?
この物語の中に、XX遺伝子は羽の生えた女の子しかいない。私の体はXX遺伝子でできている。だから私は、とりあえず女の子の心のなかに入り込んでフィクションを鑑賞する。でも、入ってみたら、その心のなかには何もない。空虚。からっぽなのだ。それは、あえて空っぽに作られている。女の子の心情など描かれる必要はないのだろう。わかってる、この作品はそれでいい。
でも私はどうしても「羽の生えた女の子の気持ち」を考えて、そして深く落ち込んでしまう。そんな私に「女の子の気持ちを考える必要はない」と言ってくる人もいる。たいてい男性である。そう言われるとますます深く落ち込んでしまう。馬鹿になれ、と言われれているように聞こえてしまう。実際はそうではないとわかっていても。
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これが当時の私の感想である。若い女子であった私の。すでにハロヲタであった私の感想だ。そして40代になった私はいま、自分の弱さとずるさを心の奥底から引きずり出され、悲惨な結果を目の前に突きつけられている。どうしようもない。10年間推していたアイドルの名前に容疑者がつき、手錠と腰紐で連行されていく姿を毎日どこかで(ネットもテレビも一切遮断したのに電車の中の液晶に不意打ちで出てきたり、訪ねたコンビニの入口に置いてある新聞の一面にデカデカと名前が載っていたり)目に入れさせられて、私は気がふれたのかもしれない。よっすぃがモーニング娘。から卒業してからはや10年、救いようもないことに、私はいまだに年端もいかない女の子たちを女神としてあがめ立て続けている。懲りもせずに。目もあてられない。こんなときいつも私を癒やしてくれたつんく♂さんも、もういない。
私はよっすぃのことを何も知らなかった。
過去10年間推していたのに知らなかった。
あんなに酒に溺れているなんて知らなかった。
子育てに不安が強かったことも知らなかった。
(噂が本当なら)旦那さんにいろいろと事情があることも知らなかった。
だって彼女は何も言ってくれなかった。
ブログやインスタにもそんなこと書いてなかった。
富にあふれた豊かな暮らしと子育ての写真を毎日インターネットに載せて、
精一杯の幸福を演出をしたあと、
ふと真顔にかえって、
とんでもなく強い安酒を浴びるように呑んでいたんだろうか。
そんなことしないでいい、ぜんぶ、なにもかも、しなくてよかったのに。
どうして、君はいつから、こんなになったんだい?
自分ではいつからおかしくなったか、わかるはずだろう?
拘置所でずっとそれを考えていたんだろう?
いや、だからこそ、引退を選んだのか?
モーニング娘。になったことそのものから、君の歴史を直さなくちゃいけないのかい?
それなら、モーニング娘。のあなたをずっと応援していた私は、私たちは、いったいなんだったんだ?
……知は力なり。私は医者だから、困ったときは医学とサイエンスに帰るのだ。彼女と彼女の周囲がやることはもう決まっている。法律に則って粛々と罪を償い、被害者の皆さんに誠意ある謝罪とじゅうぶんな賠償をする。そして、アルコール依存症の「専門病院」にきちんとつながる。そこらへんの芸能人御用達病院じゃダメよ、都道府県に必ず一つはある、アルコール依存症専門病院よ。周囲の人間はイネイブラーにならないように努める。酒は絶対に未来永劫、一滴も呑まない。必要なら断酒薬を使う。そして、「アルコールのない状態で」日常生活をていねいに積み重ねていく。規則的に食事を作る、食べる。入浴する。よく寝る。朝が来たらお茶かコーヒーをいれる。朝食を作り、食べる。晴れた日には洗濯をし、雨の日には掃除をする。雨があがったら、外に傘をほして水滴を乾かす。常備菜を作る。それを毎日食卓に出し、かつ腐らせないように定期的に冷蔵庫にしまう。夜が来れば入浴し、歯を磨いて寝る。そうやって日々のなんでもない動作をくり返し、少しずつ積み重ねていく。子どもがいるなら、子どもとともに。それ以外の方法はない。一切ない。
きらびやかな芸能界のお仕事と比べれば、それは地味でつまらない作業のくり返しに見えるかもしれない。でもそんなことは決してない。アルコール依存からの復帰は、一生をかけるに値する重大な仕事だ。人生をかけてやり遂げるべき立派な仕事である。きっと大ディマジオだってマイケル・ジャクソンだって貴女を見たら褒めてくれるはずだ。もっと踏み込んで言ってしまえば、それをやり遂げなければ、貴女と貴女の周囲の人生はさらに崩れていく。これは医者として、かつ貴女のファンだった人間としての最後の助言である。まさに今が瀬戸際なのだ。周囲の人間もそれをわかって、支えてあげてほしい。
すでに一般人である個人に対してここまで踏み込んだことを書くのは、あまり褒められたことではないのかもしれない。でも私は彼女のファンだったから、彼女が最後の直筆メッセージで言及していた「今日まで応援し支えて下さったファンの皆様、ご支援いただいた皆様には、裏切るような結果となってしまったこと、本当に、本当に申し訳ございませんでした。」の該当者だと思うから、あえて書いた。私たちに謝る必要などまったくない。本当に申し訳ないと思うなら、いま今日まさにこの時から、一切の酒を断ってくれ。裁判で言っていた「急激に減っています」じゃあダメだ。一滴も呑むな。それを一生続けろ。私の云いたいことは畢竟ただそれだけである。(2018.12.20)