ねじ子web

医師兼漫画家 森皆ねじ子

ねじ子のLINEスタンプが発売されています

2021年 ねじ子の楽曲ランキング

※今さら2021年の記事です。新型感染症の流行に免じて許してほしい。
※一定期間がたったら、文筆時の時系列に記事を移動します。

第1位 Show Window / 岡崎体育



劇場映画『ポケットモンスター ココ』の挿入歌。

『ポケットモンスター ココ』はココという10歳の少年の物語だ。赤ん坊のころ川に流され、ザルードというポケモン(おそらくチンパンジーがモデル)に拾われて山奥で育った野生児ココの物語である。自分はポケモンだと信じていた彼が、サトシたちに出会い、たくさんの人々が集う街に連れていかれ、人間の文明に初めてふれる。そして自分はザルードではなく人間と気付く。そのとき流れるのがこの『Show Window』という曲だ。

初めて見るたくさんの人々、街のあかり、料理、見たこともない商品ときらびやかなショウ・ウィンドウ。華やいだ街の祭りがキラキラしたエフェクトとともに描かれる。それをながめるココが今まさに感じている高揚感と、サトシの「友達に素敵なものをたくさん見せてあげたい!」という少し浮かれた親切心。その二つがこちらまで伝わってくる。そんなシーンにぴったりのウキウキした曲だ。

『ポケットモンスター ココ』はザルードという父親のための物語である。しかも「自分の手で」子どもを世話している父親のための映画である。子育てを母親にまかせている父親ではない。金と口を出すだけの父親でもない。日々自分の手を動かし、食事や着替えや風呂や寝かしつけを一人でやっている父親の物語だ。ザルードはポケモンたちの社会の中で必死に子どもを育てているシングル・ファーザーなのである。実務としての子育てをしている孤独な父親だ。このテーマにきちんと向かいあった邦画をポケモンというジャンルでやったことに、私は心動かされた。アメリカの映画ならば1979年の『クレイマー、クレイマー』で通った道を、ついに日本の映画、それもポケモンで見られた。とても嬉しい。

日本の大手メディアで描かれてきた「父親」はおむつを替えないし、糞尿でよごれた子どもの下着を手洗いしないし、食事を手渡しで与えない。ひとときも目を離せない子どもに振り回されて自分の時間が食いつぶされることもない。育児に無限に使われていく時間と体力のせいで社会的自己実現ができず、途方に暮れることもない。ちなみに「子どものために料理を作る父の描写」はプリキュアや戦隊ものなど幼児向けコンテンツにおいて10年ほど前から行われていた。それすら、他の映像作品ではあまり見かけない。

しかしそれではもう現在の父親たちを表現することはできないのだ。現在の父親たちは自分の手を動かしている。少なくとも、動かそうと努力している。それはいままさに子どもと一緒にポケモンの映画を見に来ている観客の姿だ。

初代ゲーム『ポケットモンスター』が発売されてから25年たつ。当時サトシと同い年(10歳)だった男児は35歳だ。30歳で第一子が生まれれば子どもは5歳、もうポケモンが好きな年齢だ。ポケモンは名実ともに親子二代のコンテンツになった。

※ポケモンパンのCM『親子でポケモンパン篇』。
「息子よお前が大好きなそのシール お前がハイテンションで貼ってるそのシール 何を隠そう俺もハマってた ドはまりしてた そしていま父となった 俺はいま やっぱり好きだぜポケモンパン 親子で好きだぜポケモンパン」という歌詞を聞くと涙が出そうになる。

「なるほど!『ココ』は母である私じゃなくて、隣の子どもと、その隣に座ってる父のための物語なのか!」と私は劇場で感心した。ポケモンが好きだった父親と、ポケモンが好きになった子ども。その二人で見ることが想定されている。新しい視点であり、新しい試みだ。

しかし、残念ながら映画『ココ』の興業は振るわなかったようだ。なぜだろう?悲しい。映画限定ポケモン・ザルードの配布は、前売り券購入または映画入場者特典でのシリアルコード配布だった。以前は映画館に携帯ゲーム機を持ちこんで、上映後に館内でポケモンのダウンロードを行う形式であったが、今回はそうではなかった。その影響なのかもしれない。コロナのせいで親子連れの客足が伸びなかったせいかもしれない。わからない。

ちなみに長男とDiscord越しにゲームをしてた中学生男子は、ぼそっと「だってザルード、かっこよくないもん……」と言っていた。「ザルードってゴリランダーとかぶってるし。なんならゴリランダーの方が強くね?」確かに。その通りだ。ぐうの音も出ない。ゴリランダーは最新ゲーム「ポケモンソード・シールド」で一番最初にもらえる草ポケモンの最終進化形である。そこそこ強くて、すでにみんな持っている。子どもの意見は残酷なほどに正しい。

子どもたちにとって、ポケモンが「かっこいい」ことはなにより大切だ。見た目のかっこよさ強さ。この二つよりも重要なものはない。次のポケモン映画では、見た目がすっごくかっこよくて!めちゃくちゃ強い!ポケモンを配ってほしい。それなのに!ポケモン映画の新作が来ない。もう全然来ない。どういうこと?ポケモンの映画はもう新作を作らないの?おしまいになっちゃった?そんなのいやだよ!また映画館でポケモンもらいたいよー。頼むよ。

第2位 駆け上がるボルテージ / 浦島坂田船


アニメ『シンカリオンZ』のエンディングテーマ。つんく♂さんのファンクだ!!やった!やったあ!やったあああああああああああああああああああああ!……と叫んだ一曲。つんく♂ファンクが好きだ。大好きだ。そして編曲はいつもの大久保薫さん。私が一番大好きな老舗の味!いつもの顔ぶれ!これだよ、これ!みんなが待ってたやつだよ!みんな聴いてえ!!

……と思っていたのだが、この曲はあまり聴かれていない。赤羽橋ファンクあらため五反田ファンクが大好物なハロヲタでさえ、この曲にはたどり着いていない。宣伝が足りてないと思う。

私はたまたま適齢期の息子と一緒にアニメ『シンカリオンZ』初回を見ていたので、エンディングでこの曲を聴いた。つんく♂さんだと最初は気付かなかった。「お?男性声のファンクだな。いいじゃんいいじゃん!誰の歌だろう?」と思いながら一時停止してクレジットを見たら、つんく♂大久保ペアの名前が出てきてひっくり返った。突然あらわれる実家。ぜんぜん違うところを旅していたら、いきなり頭上から実家の味噌汁が降ってきたかのようだ。

私は歌い手にもVチューバーにも明るくない。だから浦島坂田船さんがどんな人たちなのかよくわからない。頑張って検索してみたのだが、公式サイトを見てもWikipediaを読んでもつんく♂さんのライナーノーツを読んでも結局よくわからなかった。

『駆け上がるボルテージ』のライブ映像が見たい。どう検索してもたどりつくことができない。この曲を歌って踊る姿が見たい。どこにあるの?Youtubeでもニコニコでも有料配信でもいいから、公式のフル動画が見たい。出してください。

さて、アニメ『シンカリオンZ』は、親である私も子どももはじめの数回で視聴をやめてしまった。大好きだった前作『シンカリオン』のキャラとロボットがあまり出てこなかったことも一因だ。でもそれだけではない。『シンカリオンZ』という物語の大きな目的、登場人物たちの目標がよくわからなかった。それが一番きつかった。

一番の目的はタカラトミーが新しいシンカリオンの玩具を売ることだって?そんなことはわかってるよ。そうに決まってるでしょ。でもそれを言っちゃおしまいよ。ロボットの玩具の宣伝の中に、むりやり物語――子ども達が同一視できるヒーローと、子どもの玩具を使って本気で世界征服をもくろむ敵と、なぜか子どもたちが最前線に立って戦う理由と勝利条件をくっつけて――力業でダイナミズムを生んでこそのホビーアニメじゃないのかい?私はその切磋琢磨が見たいんだよ。

……ここまでアニメ『シンカリオンZ』のことを書いてきたが、よく考えると楽曲『駆け上がるボルテージ』はタイアップ先との関連がぜんぜんない。すがすがしいほどに、ない。アニメの内容をほのめかす歌詞も、新幹線や在来線やシンカリオンを連想させる単語も見いだせない。でもまぁ、名曲だからいいか!最高のつんく♂&大久保楽曲なので、皆さんぜひ聴いてくださいね!

このファンクっぷりと、アニメに関係ない歌詞にもかかわらず雰囲気は合っている気がしてくる力技は、まさしくつんく♂の仕事だと思う。ねじ子はチョコボールのキャラのアニメ「キョロちゃん」とココナッツ娘。『ハレーションサマー』を思い出したよ。Amazon Primeで第一話無料だから、「キョロちゃん」のOPもついでに聴こう!名曲だよ!

第3位 ピーターパン / 優里


ハロヲタの間で「紗友希の彼氏」として一躍名をはせた優里さんである。

優里さんのことを、私は寡聞にして知らなかった。私が彼を初めて認識したのは高木紗友希ちゃんの交際相手としてであった。世間的にはすでに『ドライフラワー』がヒットしており、ハロプロの誰よりも有名なミュージシャンだったのだろう。しかし私は極めて視野の狭いハロヲタなので、2009年のハロプロエッグの頃から10年以上見ていた紗友希の交際報道で優里さんのことを知った。

ちなみに私の脳内のカテゴリ分類において最も優先してつけられる項目は「ハロプロ」である。私の脳内には棚があり、その中にはたくさんの本がある。図書館ならばジャンルごとに、映画ならば製作国別に並んでいるであろう棚。私の脳内の知識分類で、最も優先してつけられる第一類は「ハロプロ」なのだ。

だから日本一の投手兼メジャーリーガーであった田中将大選手は私の中ではどこまでいっても「サトタの夫」である。山崎育三郎さんは「なっちの夫」であり、庄司は当たり前のように「ミキティー!」だ。おはスタの名司会ぶりから「最も尊敬する男性声優」と思っていた山寺宏一さんは、ある日突然カテゴライズが「ポッシボーのロビンの夫」になった。BUMP OF CHICKENのボーカルもある日突然「えりりんと結婚できるとか、いいなあ!ちくしょー!うらやましい!えりりんと一緒の生活ってきっと毎日すっごく幸せでしょう。うらやましい!まぁでも、えりりんが元気で幸せに暮らしてるってことがわかってよかったよ。それが一番だよね。おめでとう……」に変化した。先日行われた2022ワールドカップの日本対スペイン戦なんて「愛理の彼氏が逆転ゴールを決めて真野ちゃんが国際映像に抜かれたからワールドカップは実質ハロコン」「グループリーグ突破は実質ハロプロのおかげ」みたいな我田引水の書き込みで試合結果を知ってしまった。いや、最後まで見ず寝落ちした自分が悪いんだけど、そんなネタバレを踏むとは思ってなかったよ。

というわけで、私のひどく狭い視野に優里さんは「紗友希の彼氏」として突然あらわれた。そのとき歌を初めて聴いた。紗友希の彼氏ならば歌が下手であることは許さない。口パクなど絶対に許さない。そう思いながら、Youtubeにある大量の動画もかいつまんで再生した。

それから数ヶ月がたった。

私はとある休日にひとり、近所の100円ショップで買い物をしていた。店内には流行曲の有線放送が流れていた。私はその中の一曲に惹かれた。「いい歌だ。声もいい」そう思った私は、その場で歌詞を検索した。曲名と歌手名を調べるために。その瞬間、気がついた。

優里さんだ。
これは優里さんの曲だ。
私たちから紗友希の心を盗んでしまった、優里さんの。
だから声に聞き覚えがあったんだ。
私のスマートフォンは無情にも「ピーターパン/優里」という検索結果を示していた。

くやしい。くやしい。
私の負けだ。
耳が惹かれてしまった。吸い込まれてしまった。
郊外の巨大な100円ショップの一角で流れるBGMをふと聞いて、いい曲だと思ってしまった。それがあの優里さんだと知らずに。

どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだ。
私はたまの休日に、息抜きのお買い物をしに来たんだ。決して立体化されないキャラクターのねんどろいどどーるを自作するために、布とフェルトと粘土とレジンを探しに来ただけだ。私の完全なる回復の時間、私の幸福なひとときに入り来んでくるな!ああ!でも。


※こういうの

ちくしょう。ちくしょう。紗友希をかえして。

……口には出さなくても、本当はずっとそう思っていた。他の多くのハロヲタと同じように、私もほんとはずっとそう思っていた。優里さんがTVに出てると聞くたびに生まれる「紗友希は歌手としてのキャリアを奪われてしまったのに、どうして彼はTVでのびやかに歌っているの?」というドス黒い感情を抑える努力を、私はひとり必死で続けていた。これは無駄な感情だ。わかってる。私の思いは見当違いで、言葉に出してはいけない嫉妬だ。誰も悪くない。芸術に罪はない。それもわかっている。

私の耳は、彼の作った曲と歌声に、それとは知らずに惹かれてしまった。それも巨大なダイソーの片隅で。しかたない。私の負けだ。私は優里さんの歌声とメロディに殴られて一瞬で気絶したのだ。芸術の世界は、いいものを作り続けた人間が必ず最後に勝つ。つまり私は負けたのだ。

優里さんには才能がある。悔しいが、もう認めざるをえない。紗友希が惹かれるのも当たり前だ。だって紗友希のアイデンティティはずっと歌にあるのだから。歌手という生物は、自分が生きていくために自分にいい楽曲を提供してくれる人間が不可欠なのである。ハロプロという組織は25歳以上の大人の女性に良曲を提供してはくれないだろう?そんなこと知ってるよ。

だからこのあとの長い人生を生きていくために、紗友希が彼に惹かれるのは当然なのである。紗友希にいい楽曲を提供してくれるのだから。自分が生きていくために必要なパートナーを選んだ、ただそれだけのことだ。彼女には見る目がある。そして、優里さんの趣味もいい。すごくいい。紗友希はとても魅力的な女性だ。歌手としても実力がある。優里さんが惹かれたのも当たり前だ。

私は、2014年当時まだ17歳だった紗友希が、東京都議会において女性議員がセクハラヤジをされた問題に言及して、自分の意見をブログに書いていたことをきちんと覚えている。同時はまだ、女性の権利や社会人として生きていく中で受けるセクハラ問題を「女性自身が」インターネットで語ることが今ほど行われていなかった。「紗友希は自分の頭で女性の権利について考えてる。骨がある。好きだ」と私は思っていた。だから、自由恋愛でグループをやめさせられるという不条理に、彼女が怒りをもって対応したのも私は大いに納得できるのだ。

つまり、二人はただの「お似合いのカップル」なのである。世界中にありふれているシンプルな自由恋愛だ。祝福以外の感情をいだく必要など、どこにもない。

こんな単純な話がどうしてここまでこじれてしまったんだ?中世ヨーロッパか?ここはヴェローナ?私たち、いつの間にか『ロミオとジュリエット』の観客席に座らされてるの?マジかよー、勘弁してくれよー。私たちただの小汚いハロヲタなんだから、中世の演劇をそのまま見せられても困っちゃうよー。そもそも『ロミオとジュリエット』ってシェークスピアの中でも現在の観客の価値観に合わせるのが相当きつい演目じゃありません?小池修一郎先生の潤色にしてくれなきゃ現代のおたくが見るに堪えませんよ?

何が起こっているのかさっぱりわからないが、二人の周囲の大人たちは頼むからこの問題を「うまいこと」まとめてほしい。できれば、和解してほしい。時間はたっぷりかけていい。優里さんにはもっともっと売れてほしい。紗友希には定期的に歌を歌ってほしい。それが私の願いである。

第4位 宇多田ヒカル / One Last Kiss


映画『シン・エヴァンゲリオン』主題歌として劇場で聴いた。「初めてのルーブルはなんてことはなかったわ 私だけのモナリザもうとっくに出会ってたから」という最初のフレーズに心を打ち抜かれた。うらやましい。そんな人にすでに出会っている宇多田さんがうらやましい。宇多田さんにとっての「モナリザ」さんのことは、もっとうらやましい。

……ここらへんにしておこう。

さて、映画『シン・エヴァンゲリオン』である。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のときに「序・破・急のあとどうすんだ?」という記事を書いてからはや14年。『シン・ゴジラ』が興行的に大当たりして以来、庵野さんが自らのブランドに「シン」と名付け、いろいろな過去特撮作品を新たに作り直してくれるようになった。嬉しい。いろいろあった、本当にいろいろあったエヴァンゲリオンの権利をきちんと取り返して、新作を作りつづけてくれたことも嬉しい。

私は高校生の頃エヴァンゲリオンのTVアニメシリーズを見ていた程度のライトユーザーである。エヴァンゲリオンの物語はいわゆる旧劇――正式名称『THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』――できちんと終わったと思っている。サードインパクトで全人類が液体になり、大好きな人の幻覚がお迎えに来たらパシャっと溶けて一つの液体になる。その展開が好きだ。そのときに流れるクラシカルな謎の楽曲『Komm, süsser Tod/甘き死よ、来たれ』も好きだ。なんなら私がエヴァンゲリオンというアニメを最も愛していたのは『THE END OF EVANGELION』の頃である。エヴァはあの映画できちんと終わった、と私はずっと思っている。

だから「エヴァの新作は不要だ」と私はずっと思っていた。庵野がやりたいなら好きに作ればいいけど、エヴァは「気持ち悪い」でちゃんと終わってるでしょ?だからあとは庵野の好きにすればいいんじゃね?と思っていた。Qの感想は「なんじゃこりゃ?」だったけど。

そんな斜に構えたライトファンである私も、『シン・エヴァンゲリオン』を見た客の「今回は本当にきちんと終わった」という感想を見て、なんだかんだで初日に見に行ってしまった。25年間の自分の気持ちを納める場所が欲しかったのかもしれない。

結果として、エヴァがきちんと終わってよかった。レイの田舎町での健康的な生活と農業といい、アスカを見守る大人になったケンケンといい、母ユイの後輩であった「理解ある彼女ちゃん」の具現化こと真木波マリといい、なんだか精神療法のオンパレードを見ているみたいな映画であった。それが面白かった。

どちらも幼少期に心に深い傷を持つシンジとアスカは、一瞬だけ寄り添うことはあっても、長い時間をともに生きることは不可能である。どちらにもそれぞれ長い時間そばにいてくれる精神的に安定した理解者が必要なのだ。それが大人になったケンケンと、マリである。これは「なるほど」と思う展開である。身も蓋もないことを言えば、「パーソナリティ障害の治療には精神的に安定した細く長く寄り添ってくれる理解者が不可欠である」という落ちだ。教科書にも確かにそう載っている。その現実的な「落ち」にたどり着いて、かつエンターテイメントであることは素晴らしい。

そもそもシンジの父・ゲンドウという孤独な天才にとってのユイがそれであった。ユイが死んでしまったところから、エヴァンゲリオンという物語の一連の悲劇が始まる。TV版においてカヲルが現れたとき、カヲルはシンジにとっての「それ」になるためにここに来たことが示唆された。でもそのカヲルもさっさと死ぬ(しかもシンジが自分で殺す)ために、悲劇はさらに加速していく。シンジの精神的安定という「落ち」にいくためには、結局新しいキャラを出すしかなかったのだろう。現実的な終わり方である。

そしてその「落ち」にするためには、現実においても25年間の歳月が必要だったこともわかる。当時シンジやアスカに強くシンパシーを抱いていた観客たちも大人になって、彼らが結ばれず、それぞれ別の道を進む結論を受け入れられるようになったのだろう。たぶん。なってるかな。なってるよね。あれ?違う?LASの皆さん生きてますか?大丈夫?心配してます。

ちなみに私は『シンエヴァ』を見た今でもなお、『THE END OF EVANGELION』の「自分と世界が完全に一体化した均一な液体であってほしい」という狂気が好きだ。自他の区別がまったくできていない人間が、自他の区別がまったくない究極の状態を求めて突き進む。直球の欲望の最終形が見事に映像化されている。そののちの荒野に、自分と好きな女だけが(まるでアダムとイブ、イザナギとイザナミのように)残される。でもその好きな女には「気持ち悪い」って言われちゃう。そんな終劇もいまだに好きだ。お互いに傷つけ合っているハリネズミ同士の救いのなさを描ききっている。

エヴァが無事完結した今、庵野監督には思う存分趣味と実益をかねた新作を作り続けてほしい。シン・ゴレンジャーとシン・仮面ライダー555とシン・セーラームーンとシン・来来!キョンシーズとシン・美少女仮面ポワトリンとシン・キューティーハニー The Liveを、ぜひぜひ何とぞよろしくお願いします。あ、最後のやつはもうすでにやってたか。

第5位 東京スカパラダイスオーケストラ / 仮面ライダーセイバー

特撮番組『仮面ライダーセイバー』のエンディングテーマ。タイトルはそのまま「仮面ライダーセイバー」。私はヒーローの名前を大声で叫んでくれる主題歌が好きだ。サビ前に変身!って声が最初から入ってるのも好きだ。

『仮面ライダーセイバー』のTV放送のエンディングにはダンスがあった。主役と二号ライダーとヒロインの3人が、とても広い部屋の真ん中で踊っている。「左右に妙に空いているスペースには、きっとこれからメンバーが増えていくのだろう。そして最後は群舞になっていくのだろう」と私は予想していた。でもそうはならなかった。最後まで三人だけのダンスだった。悲しい。味方の仮面ライダーが増えていくにつれ、ダンスする仲間がどんどん増えて最後には大演舞になると思っていたのに。大演舞に映える振り付けだと思っていたのに。

ちなみに味方ライダー全員でのダンスは、この動画で演者さんたちが練習して披露してくれた。ありがとう。本音をいえば役の衣装でやってほしかったけど、贅沢は言うまい。コロナ禍によるさまざまな制約の中、本当によくやってくれたと思う。このダンス動画だって明らかにソーシャル・ディスタンスをとりながら踊っている。大変な中、どうもありがとうございます。

さて、私は仮面ライダーセイバーが好きである。なぜならここ5年の仮面ライダーの中で、唯一きちんと「ヒーロー」をしているのが仮面ライダーセイバーこと神山飛羽真だからである。

「利他をなすものが英雄であり、利己をなすものが悪である」これが英雄譚の基本だと私は思っている。でも近年の仮面ライダーはそうではない。どいつもこいつも私欲のために戦っている。自分を捨てて弱い者を助けたり、巻き込まれた見知らぬ市民を守ったり、自分の目的を捨ててでも他人の命を救ったりはしない。ただただ、自分の利益と目的の遂行のため「だけ」に戦っている。私はそれを英雄と呼ばない。ただの力の強い一般人だ。手に入れた強大な力を自分のためだけに使うならば、それはただの傲慢で尊大な人間であるとさえ私は思う。

私事であるが、私の次男はセイバーが大好きであった。我が家には13年分の仮面ライダーの玩具があったが、それでも次男が一番好きな仮面ライダーはセイバーである。それについてはまた今度書く。

東京スカパラダイスオーケストラによるライブバージョンも最高。生演奏と生歌はいいですね。

第6位 BOYS AND MEN / どえりゃあJUMP!


2位に続いて、こちらも最高のつんく♂ファンク男性ボーカル曲。ハロヲタにもすぐに見つかって、熱心に聴かれていた。

その理由は、フルMVとダンスがよく見えるライブ映像が発売後すぐにYoutubeに上がっていたことにあると思う。宣伝がうまい。メンバーの顔のアップがたくさん入り、衣装の色が分かれているMVとライブ映像。まさにハロプロ。めっちゃハロヲタ好みの、つんく♂プロデュース作品である。初めてボイメンを見た人間にも個体識別がしやすい。誰が誰で、どのパートを歌っているのかわかりやすい。私も、ボイメンのことは仮面ライダーバロンことゆーちゃむと、ポケモンのバラエティ番組「ぽけんち」に頻繁に出ていた辻本達規さんしか知らなかったのだが、他のメンバーのこともきちんと認識できた。

……そして、そのゆーちゃむこと小林豊さんが突然いなくなってしまった事実を、私はまだ子どもたちに伝えられていない。彼らは、ゆーちゃむが仮面ライダーバロンであることを知っている。バロンのおもちゃも家にある。ポケモン番組「ぽけんち」でも、彼は大活躍していた。子どもたちにどう伝えたらいいんだ?本当にわからない。「お店のものはお金を払ってから店の外に持っていく。お金を払わずに持っていったら絶対ダメだよ」と子どもたちには一番最初に教えなくちゃいけないのに。ちなみに『アナと雪の女王』が大好きな子どもたちに、神田沙也加さんが突然いなくなってしまった事実をどう伝えたらいいのかも、私にはわからない。「まだ早いな」ということだけは、わかる。大きくなって自分で検索して、経緯にたどり着くまで待ってもらうのがいいんだろうか。

第7位 野球 / くるり


アイドルのファンはコールを奪われている。ロックミュージックのファンはモッシュを奪われている。ヒーローショーを見る子ども達は「がんばえー」という声援を奪われている。そして野球ファンも、何十年も続いた伝統文化である「声援」を奪われている。この曲を聴いて、私は初めてそれを実感した。「声援」を奪われて苦しんでいるのは私たちドルヲタだけじゃない。もっともっと、いろんなところにいる。スポーツのサポーターだってそのうちの一人だ。

2021年のいま、コロナのせいで野球における「声援」を奪われているからこそ、「それを残したい」という衝動が岸田さん(カープファン)の中に生まれたのだろう。音源として永遠に残る形にしたい、という欲求がこの曲を作ったのだろう。

歌詞の字幕も凝っている。選手の文字は所属したチームカラーの色になっている。移籍した選手はきちんと移籍した順に、所属チームの色をまとった文字になっているのだ。芸が細かくていいね。

第8位 うまぴょい伝説 / ウマ娘


「ウマ娘 プリティダービー」というスマホゲームにおける勝利のご褒美の歌。「ウマ娘 プリティダービー」は、美少女に擬人化された実在の馬たちを育成し、史実にそった成長やストーリーを経てレース(見た目は女子の徒競走)で勝利を目指す育成ゲームである。レースで勝つと、センターでライブができる。

『うまぴょい伝説』という歌は、レース開始時のファンファーレと拍手と、競馬場を埋め尽くす観客の雄叫びから始まる。「うううううううううううううう」と叫ぶオーイングも、いかにもオタクたちがかぶせてコールしそうな「きみの愛馬が!」や「だいすーきーだよー」も、サビの「ふっふー!」も「3・2・1・ハイ!」も最初から音源に入っている。観客の野太い声のコールが、最初から音源に組み込まれているのだ。タイトルの「うまぴょい!うまぴょい!」は、ハロプロであればまぎれもなく「ウリャオイ」にあたるものである。女性アイドルのイントロやAメロに入れられる伝統のコール「ウリャオイ」。ショッピングモールのリリースイベントで通りすがりの一般客からよく「気持ち悪い」「なんだあれは」と揶揄されていたウリャオイすらも、最初から音源に入ってる。

観客のコールが少し箔から遅れて入っているのも、臨場感があっていい。広い会場(もちろん競馬場もそう)でのライブは、音速がそこまで早くないために、メロディよりも少し遅れて観客のコールが聞こえることがある。現実でもウマ娘たちがそんな大きい会場でライブできるようになった、それくらい人気者になったかのようなイメージが生まれてくるのだ。

コロナで忙殺されている中で私はこの曲を聴いた。そして心底「あぁ いいな!」と思った。コールがしたい。あの一体感と高揚を味わいたい。この曲には現場の高揚が最初から録音されている。だから再生するだけで高揚を味わえる。コロナ禍に適応した楽曲だ。時代にそった冴えたアイディアだと思う。女の子がたくさん出るアニメの楽曲には、やたらパートが多くて合いの手が数多く入るお祭り楽曲がよくあるが(「ようこそジャパリパークへ」など)コロナ禍に合わせた2021年における最高傑作だと思う。

数年後にコロナが収束して観客の声出しが復活したあかつきには、満を持して観客も一緒に大声で叫べばいい。音源と一緒にファンが叫ぶ。コロナ禍を越えて集まることのできたオタク全員での「うまぴょい!うまぴょい!」の大合唱は感動的な光景になるだろう。いいな!すごい盛り上がりそう!

これはハロプロでもぜひやってほしい。従来のハロプロ楽曲は、ファンがコールを入れる間を「空白」にして作られている。コールを入れる場所のリズムがわざと空けてあるのだ。コンサートで曲を聴き慣れると、コールが入っていない音源では物足りなさを感じるようになる。さみしい。ハロプロもコロナ禍の間は、あらかじめ音源にコールを入れておいてくれてかまわない。「ここだよ朋子!」も「L・O・V・E LOVERY あーりー!」も、過去の録音を流してくれてかまわない。今だけは文句言わない。

……そんなことを思いながら、「FNS歌謡祭」に出ているウマ娘。と『うまぴょい伝説』を見ていたら、その日の夜に大好きな金澤朋子ちゃんの卒業のお知らせが発表された。かなともには「ここだよ朋子!」ってファンが叫べるようになるまでJuice=Juiceにいてほしかったのだが、それは叶わぬ夢になったようだ。さみしい。

以上です。2022年のランキング一位は米津玄師さんの『KICK BACK』一択です。ハロプロ楽曲大賞に『KICK BACK』を投票できなかったことを私はとても残念に思っています。どうしてだよー。完全にハロプロ魂の一曲じゃん!しやわせになりたい。ハッピー。ラッキー。こんにちはベイベー。良い子でいたい。そりゃつまらない。なんかすごいいい感じ。努力、未来、A BEAUTIFUL STARだよ。まさにハロプロ。これぞハロプロ。ハロプロの歌詞としか言いようがない。

そろそろ時代に追いつきたいので、さっと短文で完成させたいです。(2022/07/05にだいたい文筆、アップロードは2023/06/04)