2020年 ねじ子の楽曲ランキング(前編)
※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。
※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。
1位 世界が君を必要とするときが来たんだ / オーイシマサヨシ
タカラトミーのロボットおもちゃ販促アニメ『アースグランナー』オープニング主題歌。作詞作曲はオーイシマサヨシさんです。オーイシさん、2017年の『ようこそジャパリパーク』につづいての個人的楽曲大賞となります。
1番Bメロの歌詞「痛いのは無理 めんどくさいのはイヤだ 平気なフリしてマジちびりそうさ ってちょちょっとまってよベイベー これって現実なの!?」が、個人防護具もないのに謎のウィルスにとつぜん対峙せざるをえなくなった2020年4月の自らの現状にぴったりとよりそっていたことが受賞の理由です。
ミュージック・ビデオは時折山※、じゃなかった岩舟山で撮影されております。「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」の撮影でつねづね使われている採掘場跡地です。『アースグランナー』の裏番組かつ、視聴者もおもちゃ売上も完全に食いあうライバル作品のまさに「聖地」といえる場所でそれはもう堂々と、オーイシさんがヒーローになりきっております。爆発を背に嬉々としてヒーローを演じるその姿は、たいへんほほえましいです。
※息子たちはルパパトっ子なので岩舟山のことを「時折山」と呼びます。ルパパト14話で幼稚園児たちが遠足に行こうとしていた場所であり、映画『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』で最後の決戦場所として「明朝6時 時折山 怪盗BN団」と予告状に書かれていたあの場所です。彼らにとってこの山はーー関東近郊で本物の火薬を使った爆破撮影が唯一可能なのであろうあの山はーーいつまでたっても「時折山」なのです。さまざまな東映特撮番組で岩舟山がうつるたびに、彼らは「こんな危険な場所で遠足をするあの幼稚園はおかしい」と突っ込んでいます。いまでも律儀に。
さて、アニメ『アースグランナー』の内容はおもちゃ販促番組としてよく見るもので、特記すべきことはなかった。子ども達は早々に視聴から離脱してしまった。親がついでに見ている範囲としても、特に「引っかかり」を感じなかった。
おもちゃや販売促進や視聴環境もふくめた『アースグランナー』の私の所感は、以下の4つ。
①おもちゃの変身可動、造形のかっこよさ。これは本当に素晴らしい。
②新型コロナウィルスが直撃しても延期も再放送もせず、通常放送をつづけていた点。最高の評価に値すると思う。
③AmazonPrimeですぐに全話が見られること、YouTube見逃し配信の早さ。この二つはコロナウィルス流行下において非常に、非常に強かった。2021年の今、ネット配信が存在しないコンテンツは、幼稚園or保育園から中学校の子ども達にとって「存在しない」コンテンツである。ライダーや戦隊もこの姿勢を見習ってほしい、さもなければ子ども向け東映特撮おもちゃは死んでしまうであろう。
④既存の定番玩具(この場合はトミカ)との連携。
昨今のタカラトミーの児童向け玩具の販売力の強さは、以上の4点にあると思う。
2位 手を洗おう / パウ・パトロール
2020年はさまざまな「手洗いソング」が発表された。医療従事者として本当に本当にありがたい。「日本のみんな、手を洗ってくれてありがとう!みんなのおかげで私はまだ生きてるよ!本当にありがとう!!」って心の底から叫びたい。保証も強制もないのにステイ・ホームしてくれた地域住民の皆さんに、手を洗ってくれる皆さんに、今でもマスクをしてくれる皆さん全員に、大声でお礼を言いたい。これを当たり前だと思っちゃいけない。周囲への感謝は大切。とても大切。
そして私という一個人にとって、2020年もっとも口ずさんだ歌は、カナダのアニメ『パウ・パトロール』が作った『手を洗おう』であった。実用的な意味でもっとも役にたった一曲といえる。私はいまでも毎日、この曲を歌いながら子どもたちと一緒に手を洗っている。
日本語訳MVを出したタイミングの早さ、子どもにとっての歌いやすさ、適度な曲の長さ(手洗いは約20秒間、石けんの泡を皮膚につけた状態にしたい。そしてこれはとても長い。子どもたちにとってはダイオウグソクムシが餓死しそうなほど長い)、番組の最後のおまけ映像として今でも毎週流してくれる律儀さ。すべてが私の子どもたちにぴったりだった。そしてきっと、世界中の子どもたちにもぴったりだった。
子どもに手洗いをさせる(啓蒙する、といってもいい)歌としてもっとも大切なこと。それは「子ども自身が大好きなキャラクターである」ことだ。アニメ『パウ・パトロール』は2020年もっとも我が家で再生された番組であり、園児である息子の注意をもっとも引きつけ、私が休む時間をもっとも長く作ってくれた作品であった。
話が少し変わる。
私は2020年、戦隊もライダーもあまり楽しめなかった。特にコロナ中断から再開して以降、どちらの番組にも制作者と自分のあいだで価値観や倫理観の「ずれ」を認識する場面が多くなった。登場人物に対して「ああ、私は彼らにヒーロー性を見いだすことができない」と思う場面がたくさんあった。新型感染症の大流行で世の中が変わり、私自身も変わり、作品そのものも(撮影の中断と短縮によって)ストーリー展開を大きく変えざるをえなかったのだろう。だから、それに文句を言う気はない。ただ、作品と自分とのあいだで「英雄」に対する価値観があわなくなってしまった。
そんな中で私がヒーロー性を見いだせたのは『パウ・パトロール』と『ウルトラマンZ』と『ヒーリングっとプリキュア』の終盤の展開(2020年という時代に白い衣をまとって戦う少女たちがウィルスである敵と共存する終わりはありえない、根絶しかない)、『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎、そして早朝に再放送中の『暴れん坊将軍Ⅲ』であった。
パウ・パトロールは「戦隊もの」である。子どもたち、とくに2歳から4歳くらいまでの子どもたちは「戦隊もの」という「概念」が大好きである。私も大好きである。
「戦隊もの」という「概念」とは何か。それは、
①わかりやすく色分けされた複数の人間が
②それぞれの個性を生かし、得意な分野を合わせて「協力」することによって
③一人では絶対に勝てなかった強い相手を倒す
という物語の構造だとねじ子は思っている。これは石ノ森先生の偉大な発明である。
①色分けのおかげで、子ども、特に幼児前期(1~3歳くらいの低年齢)でも登場人物の区別をつけることができる。変身前の私服でも、メンバーは必ず自分の色をまとう。
②個性や特技。だれか一人、自分と似た性格や特技をもっていればいい。自分がなりきることができるキャラクターが見つかる。一人遊びを卒業した2~4歳くらいの児童が最も大好きな「象徴遊び」(いわゆる「なりきり」遊び)がしやすい。親は、敵やライバルキャラを演じればよい。
そして③である。協力することの大切さ、他者への思いやりを学べる物語が展開されるのだ。これは見事としか言いようがない構造であり、ねじ子は「20世紀でもっとも偉大な発明である」とさえ思っている。
①色分け ②役割分担 ③一人では乗り越えられない課題が提示され、いったんは負けるも、複数人で協力して課題を乗り越える という、石ノ森先生が発見した「概念」が下敷きになって生まれた作品は世界中に数えきれないほどある。スーパーマンに代表される、たった一人のスーパーヒーローが天才性と努力で敵にうち勝つ成長物語とは性質がまったくちがう。
「戦隊という概念」は世界にもそのままの形で通用している。パワーレンジャーは言うにおよばず、ベイマックスもそう、セーラームーンもそう、プリキュアもそう、メンバーカラー制度をもつアイドルグループもそう。そして『パウ・パトロール』はまさに「そう」なのだ。ちなみに『パウ・パトロール』は世界中のテレビで視聴率一位を取っているし、Netflixキッズ部門の再生回数において長期間トップを独走している状態である。
私は「戦隊もの」という「概念」が好きだ。だから何年も毎週欠かさず、戦隊ものを見ているのだ。仕事をし、家事をし、食事をつくって食べ、入浴して寝るという日々の生活において絶え間なく体を動かしていると、ふと「戦隊という概念」を補充したくなる。自分でもなぜかわからないけれど、補充したくてたまらなくなるのだ。これは禁断症状、医学的には離脱症状と言っていい。『美少女仮面ポワトリン』や『ナイルなトトメス』や『有言実行三姉妹シュシュトリアン』や『来来!キョンシーズ』を幼少期にあびて育った影響なのかもしれない。
そして2020年、アニメ『パウ・パトロール』はその役割をじゅうぶんに果たしてくれた。
それぞれに得意分野があり個性的な、きっちりと色分けされた服を着る犬たち。ポリスカーに乗る、かしこい実質リーダーの警察犬チェイス(青)。消防車にのる消防犬で、ちょっとおっちょこちょいだけど勇気があり、子どもたちが感情移入しやすいマーシャル(赤)。ヘリコプターに乗り、唯一空を飛ぶことができる雌犬スカイ(桃)。パワーブルドーザー乗りで関西弁、食いしん坊のブルドッグ、ラブル(まさにキレンジャーそのもののコメディリリーフ)。清掃車に乗るアイディアマンのロッキー(緑は少し軟弱な発明家、『ゴーカイジャー』と同じ)。ホバークラフトで水面移動が可能なズーマ(橙)。
まさに戦隊もの、まさにゴレンジャーである。三要素すべてが完璧にブレンドされている。そして主人公は、パウ・パトロールの司令官であるしっかりものの人間の少年ケント(10歳)。視聴者である子どもが、完全に自らをアイデンティファイできる存在なのだ。
様々な場所から集められた6匹の犬がいる。人々の助けを求める声を聞いた主人公の号令とともにそくざに基地に集まる。それぞれ得意分野のアイディアや知恵を出しあい、技術を発揮する。一人ではとうてい勝てない敵やどうにもできない災害も、全員で協力すれば必ず克服できる。命を救い、トラブルを解決し、人々の安全な暮らしを守る。これぞまさに平和を守る「戦隊」である。犬だけど。
今年の戦隊からは失われていた「戦隊ものという概念」が、『パウ・パトロール』にはあった。それはもうキラキラとまぶしいほどに満ちあふれていた。さらにジャッカー電撃隊が発明した第二の「戦隊概念」である「追加戦士」も登場するんだな。雪山救助に特化した白い雌犬・エベレストだ。最高の布陣である。
しかも!(ここから大声)『パウ・パトロール』には彼らに対抗する悪の戦隊6人組が登場するんだよ!!ライバール市長(いい名前だ)直結の、色分けされた衣を着る6匹の猫。その名も「ニャン・パトロール」だ!私はこれを見た瞬間いろめきだった。「VSだ!VSじゃないか!うそだろ?VS戦隊だよ!わーいわーい!私の大好きなVSだ!」と。これはもう『パウ・パトロール』は『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』である、と言ってもいいんじゃないかな!?よくないよ!
ちなみに、パウ・パトロールの犬たちは人の言葉をしゃべる。なぜかペラペラとよくしゃべる。他の動物たちは人の言語をまったく話さない。ニャウ・パトロールの猫たちも非常によく訓練されているのだが、人の言葉を話さない。どうしてパウ・パトロールだけが人間と同じ知能を持ち、言語をつかうことができるのか?その理由は、最初から最後までまったく明かされない。作中の人間たちはどうしてそれを疑問に思わないのだろう。それも一切語られない。明らかに異常なのである。
それなのに、『パウ・パトロール』はリアリティ・ラインがしっかりしている。「なんで犬だけが人と同じアイデンティティと知能と言語をもっているの?世界観どうなってんだ?」などと疑問に思うのは野暮だ。だって大人である私も「私のところにもパウ・パトロールが助けに来てほしい!助けてパウ・パトロール!」と思ってしまうのだから。パウ・パトロールの「人助け」という正義の前に、そんなものは些細な問題なのだ。大人の視聴者にすらそう思わせるだけの力がパウ・パトロールにはある。パウッと解決。
2020年当時限定公開された映画『パウ・パトロール カーレース大作戦GO!GO!』も、奇想天外でありながらリアリティ・ラインがはっきりしていてわかりやすく、わくわくするカーチェイス・アクションの連続で、はっきりとした勧善懲悪かつ見応えのある成長物語だった。つまりは最高の脚本であった。主人公の犬の名前が「マーシャル」でありF1におけるメカニックの呼称と同じであることと、ルイス・ハミルトンそっくりのF1レーサーにもクスッときた。
2020年、キラメイジャーの録画をまったく再生しなくなってしまった次男は、一週間で5回くらいパウ・パトロールを見ている。母はさすがに1回で飽きるが、彼はお気に入りの回を複数回見る。それが子どもだ。親が子の興味をコントロールすることはできない。おそらく世界中のタブレットの中のNetflixで同じ現象が起きている。パウ・パトロールのおもちゃは今のところ店舗であまり売ってない。CMもほとんどない。コロナ不況が吹き荒れる中、母の財布は非常に助かっている。クリスマスにはDX日輪刀とスマホロトムと鬼滅のたまごっちと、いくつかの任天堂のゲームソフトがうちに届く。
3位 pray / 赤い公園
津野米咲さんの遺作。同時発売のシングル『オレンジ』をあわせて聴くと、津野さんの中に混在していたと思われる「陰と陽」の両方をかいま見ることができる。
小片リサちゃんがいなくなった10日後に、津野さんがいなくなってしまった。COVID-19流行という世界的にみても最悪だった2020年という一年間において、私が最も落ち込んだニュースは津野さんの取り返しがつかない極端な選択だった。
『pray』のMVを見ると「津野さんはこの作品を最後に旅立つことを、撮影当時から決めていたのではないだろうか」という気持ちになってしまう。実際はそうではないのだと思う。ふと、暗い森の中へ引きずり込まれてしまったのだろう。ふと通りすがった心の闇、死へのいざないに、突発的にのみこまれてしまったのだと思う。私がこれまで目にした、生命を絶つ選択をある日とつぜん取ってしまった症例の多くがそうであったように。
★★
ここからは私事である。
新型コロナウィルス感染症が流行っている。ステイホームしろ、と偉いひとたちは言う。家から出るな、他人に会うな、他人と話をするな、食事もするな、マスクを外すな、と言う。そして、ものすごくしっかりとそれを守ってくれる人達がたくさんいる。素直にありがたい、と思う。それと同時に「とてもつらいことを赤の他人に強制している」ことは、医者である私もわかっている。他人に無償で頼む範囲を、ゆうに超えていると思う。偉いひとたちの言うことを本当に律儀にぜんぶ守っていたら、ストレスが溜まりすぎて死んでしまうだろう、そんな人たちもたくさんいる。コロナウィルスを用心しすぎているゆえに鬱になってしまうほど感受性が高い人には「気にしすぎてはいけません、気晴らしを用意しましょう」「ネットやテレビは控えましょう、ニュースも感染者数も見る必要はありません」「三蜜を避けてたまには出かけましょう、その方がいいですよ」と伝えなければならない。
その一方で、「コロナは風邪だ」「コロナで死ぬのは自然淘汰だ」と公言し、あえてマスクもせず、手も洗わず、熱も測らず、大人数で会食し、大騒ぎしながら毎晩飲み歩いている人もいる。これはもう絶対に、ある一定数いる。そういう方々には、感染対策の具体的方法をゆっくりと時間をかけて説明しつづけ、そのうちの一つだけでも実行してもらう必要がある。
これは二元論ではない。感染対策の「お願い」を内面化しすぎて「守りすぎてしまう人」と「完全に意にかいさない、またはかえって反発する人」。どちらもある一定数の人間がおちいる状態であり、両方への対策が同時に必要になる。どちらかだけ、になってはだめだ。二元論に走ってはいけない。絶対にいけない。前者で暴走すると鬱になり(飲食・芸能に従事する人たちがたくさん旅立ってしまったし、医療従事者のメンタルもちぢに乱れている)、後者が暴走すると感染拡大に歯止めがきかなくなる。どちらも地獄へと続く道であり、患者さんは崖へ向かってがむしゃらに突進する馬車のようになってしまう。
「人によって対策やアドバイスを変える」これは臨床医療において普通に行われていることだ。それなのに、これをメディアや電波やインターネット回線に乗せて「一般論」として語ろうとすると、とたんにむずかしい。どちらの立場に立ってアドバイスをしても、逆の立場の人からの異論や反論が瞬時にあふれ出てくるのだ。SNSというメディア上においてその勢いは猛烈なものとなり、一気にあふれて一個人に押しよせる。それは津波である。私ならばとても立ってはいられない。結果、うかつなことも言えず黙りこみ、ふさぎこんでしまう人がさらに増える。
そういう意味では、尾見先生も忽那先生も西浦先生も、もちろん岩田先生も、彼らの発言はいつもそれぞれに「医学的に正しかった」と私は思っているし、彼らの立場において最大限言えることを精一杯伝えようとしてくれていた。それはかけがえのない大仕事であり、私の精神の安寧は彼らによって支えられていたんだな、と今でも思っている。
4位 だいスキRAP / みんなのリズム天国
2011年発売のゲーム『みんなのリズム天国』の中の一曲。
2020年4月、世界中の人々が一斉に軟禁された。何も悪いことなどしていないのにとつぜん受刑者になったようなものである。外に出られない。運動もできない。買い物も行きにくい。近所の公園に行くことすらもはばかられる。旅行も行けない。コンサートも演劇も開催されない。こんな状況では、もうゲームをするしかないじゃないか。多くの趣味を絶たれた2020年の私は、任天堂のおたくになるしか道がなかった。
思い返せば私は、ファミコンを買ってもらった小学生の頃から極めて浅い任天堂ライトユーザーであり、極めて浅いマリオのおたくであった。いや、おたくですらないな。ほどほどに楽しんでほどほどに時間を費やし、できるならばクリアまでやるけれど、クリアできなかったら自然にプレイ時間が減ってしまうような、こだわりや執着の少ないゲームユーザーだ。いわゆる「エンジョイ勢」である。SNSのプロフに書くなら「ポケモン図鑑コンプ勢/あつ森マイペース時間操作なし/リズム天国switch正座待期/推しは桜井政博」といったところか。実際の私はろくにSNSをやってないのだが。
私はステイホーム中にストレスなく子どもと一緒にやれるゲームとして押し入れからwiiUを引っぱり出し、『みんなのリズム天国』を始めた。すごくよかった。『リズム天国』シリーズは「ゴールド」が最高傑作だと思っていたが、「みんな」もすごくいいな。つんくさん天才だわ!
最新作「ザ・ベスト」ももちろん大好きなのだけれど、ストーリーがどうしても悲しくて、つらくなってしまう。ゲームの中で天国に行くことを求め、それが叶えられそうになった直後にまた俗世に落っこちてしまうチビリくんがつんく♂さんに見えてしまう。そして、本当にそのまま天国に行ってしまった任天堂の岩田聡社長のことを思わないではいられない。※考えてはいけないと思うのに、考えてしまう。リズムゲームに集中できない。あとハロメン(ナイスガールプロジェクトもハロメンとしてカウントしています)や未成年少女の曲が少ないのが悲しい。
※『リズム天国 ザ・ベスト』が発売されたとき、リズム天国の企画者であるつんくさんと、それを支えていた任天堂の岩田社長は、どちらもガンの闘病中であった。2人の対談も残っている。
社長が書面で訊く『リズム天国 ザ・ベスト+』
その後、岩田さんは胆管腫瘍で55歳の若さで逝去。つんくさんは声帯切除の手術後も制作をつづけ、リズム天国続編の意見収集をTwitter上でおこなっている。
というわけで、2020年ねじ子が最も多く聴いたハロプロの曲は『僕らの世代!/ナイスガールトレイニー』である。スタッフクレジットもリズムゲームになっているのは『リズム天国』シリーズの恒例サービス。
しかもゲームクリア後のゲームセレクト画面のBGMがずーっと『僕らの世代!(Instrumental)』なのである。パーフェクトを目指して頑張っていると数百回は聴くことになるのである。いやぁ、2020年は小片リサさんの年でしたね!他のハロヲタのみなさんも、きっとそうだったでしょう!
5位 アーバンけけ / とたけけ(あつまれどうぶつの森)
音源バージョン↓
ライブバージョン↓
ゲーム『あつまれどうぶつの森』には、すべての欲望を満たしてもらった。ステイホームの時期とゲームの発売日がぴったりと合ったことによる奇跡である。
旅行をしたい欲、海で泳ぎたい欲、南の島でのんびりしたい欲、釣りがしたい欲。天気のいい屋外で走り回って自然を感じたい欲望、ひなたぼっこしたい欲望、とつぜん降りだした雨にぬれたい欲望。友人が住む知らない土地を訪れてみたい、友人の家に集まって食事をしたい、誕生日を祝いたい、みんなでBBQがしたい。ウィンドーショッピングしたい、いろんな服を着てお出かけしたい、色ちがいのたくさんの家具を並べて吟味したい、つまりあらゆる物欲。そして、音楽ライブに行きたいという衝動。
2020年2月まで当たり前にあって、今では失われてしまった喜びを『あつ森』はすべて満たしてくれた。『あつ森』をプレイすると、あのときの閉塞した空気とガラガラの通勤電車、部屋にみちる次亜塩素酸のにおい(アルコールが手に入らなかったため、我が家ではドアノブとフェイスシールドを次亜塩素酸で消毒していました)を思い出す。それほどに『あつ森』というゲームは私のステイホーム生活を支えてくれた。
『あつ森』は動作中のサウンド・エフェクトもよかった。レンガの道をヒールで踏みしめる音、新雪をつぶす音、砂浜を踏みしめて足の指の間から砂がもれる音、芝生を駆けるスニーカーの音。そのすべてが、ステイホームでは決してえることのできない体感であった。これら「自然の与えてくれる五感」は、人が生きていくために必要な刺激であった。人が健全に生きていくために、周囲の環境からえられる五感は不可欠であると私は思い知った。拘禁状態ともいえるステイホームの状況下、『あつ森』というゲームの中で私はその音を何度も聴き、体にしみこませた。それらは私の脳を活性化させた。
というわけで私が今年最も愛聴したミュージシャンは「とたけけ」なのである。土曜の夜にアコースティック・ギターをもって私の島にふいと現れる、白いはだかの犬だ。彼はどんなジャンルの歌も歌う。アレンジの幅も広い。どんな悪天候の中でも屋外でライブしつづける心意気もいい。ライブとCDで音源がまったくちがうのもいい。ライブのときだけ「アオーン」っていうフェイクが入るのも最高だ。犬の遠吠え、とか言ってはいけない。あれはフェイクだ。そうだよ、こういうアドリブやフェイクや合いの手を聴くために、私はハロプロのライブに行っていたんだよ!COVID-19がはやる前は!
今の私にはもう本物のアイドルのライブに行くことができない。だから、右手に黄色く光る棒をもって友人の島に行き、アバターの仲間たちとバーチャルなライブを楽しむことができる、それだけでも嬉しかった。
アイドル好きとして『けけアイドル』は外せない。ウーハーの効いた値段の高いコンポを(ゲーム内で)買って、(ゲーム内の)自室のBGMとして『アーバンけけ』を流しながら(ゲーム内のアバターが)眠るのもたまらない。
後編に続く。(2021/11/30)