また会いましょう
大前研一さんの動画を見るまで、私の頭の中での「最悪の予想」は、福島第一原子力発電所の炉が一つでもダメになったら、もう誰も近づけなくなって、6本のロウソクのように、燃料が無くなるまで6つの火が燃え続けるイメージでした。または、『博士の異常な愛情』のラストシーンのように、ボーン!ボーン!ボーン!と6連発で爆発が起こり(まぁ実際は3つ爆発しましたが)、近づけなくなった福島第二も同様に爆発し、東日本は死の土地になり、なぜか政府閣僚だけは核シェルターの中で生き残る、という。
『博士の異常な愛情』のラストシーンは、世界中で水爆が爆発し、地上が滅亡する中、ミスマッチなほど甘い甘い曲(ヴェラ・リンの『We’ll meet again(また会いましょう)』)が流れます。歌詞は「また会いましょう。どことも知らず、いつともわからないけれど、いつかまた晴れた日に会いましょう。」核シェルターにもぐって放射線が減少するのを100年間待つ「選ばれた」人々が、残された地上の人々に贈る歌だと、解釈できます。ああ、なんていう痛烈な皮肉でしょう。 私の頭の中では、何日もその曲が流れ続けていました。
もちろん、そのような状況になるわけないことは、よくわかっています。しかし、『博士の異常な愛情』を見た大学生当時の私は、核戦争による人類滅亡の恐怖を実感すること、そしてそれを強烈なブラックジョークでいっそ清々しく、達観したように笑い飛ばす感覚を、まったく理解できませんでした。今なら違った心持ちで、あの映画を楽しむことができそうです。2011/4/13