冬コミのお知らせ 12/31(土) 東パ-29a 「ねじ子アマ」
冬コミ当選しました。
12/31(土) 東パ-29a 「ねじ子アマ」でお待ちしております。
新刊出せるよう頑張ります!意識の流れにそった新型コロナの本を出したいなー。
(2022/11/11)
医師兼漫画家 森皆ねじ子
冬コミ当選しました。
12/31(土) 東パ-29a 「ねじ子アマ」でお待ちしております。
新刊出せるよう頑張ります!意識の流れにそった新型コロナの本を出したいなー。
(2022/11/11)
※今更2021年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。
私はこの文章を長いあいだ書くことができませんでした。2021年2月に高木紗友希ちゃんが突然いなくなったことに、私はひどく萎えてしまったのです。彼女をあんなにも早く──週刊誌の報道からたった一日で──Juice=Juiceというグループから脱退させる必要などなかった。お相手のミュージックステーション初登場にあてつけるかのように、生放送直前に脱退を発表する必要などまったくなかった。私は今でもそう感じています。せめて、紗友希とファンがお別れできる場所をどこかに作ってあげてほしかったです。
2021年2月12日、それは私が首を長くして待っていた新型コロナウィルスのワクチンがついに日本に届き、厚生労働省の専門家部会において承認が了承された日でした。私は早くから好きな酒を用意してこの日を待っていたのです。私にとって「今世紀最大の祝祭」といえる日に、大好きな女の子がクビになるとは。「なにこのニュース。最悪の対応だわ。古い悪習を断ち切る最大のチャンスを事務所は自らつぶした」としか思えませんでした。
紗友希の彼氏が出ると聞いて、私は数年ぶりに生放送の音楽番組ミュージックステーションを録画予約したのに。「紗友希の彼氏ならば口パクは絶対に許さんからな!」「紗友希より歌が下手だったら許さんからな!」「いやそれはさすがに無理があるでしょ」などと笑いながら楽しみに待っていたというのに。優里さんは実力あるシンガーソングライターだと聞いていたから、ハロプロに曲を提供してくれればぜんぶ許す!と思っていたのに。
紗友希をグループからとつぜん脱退させたうえにM-LINEに引き留めることができなかった事務所、彼女を罵倒する少なくない数のハロヲタの仲間たち、彼女を引き抜いたっぽく?見える?周囲の大人たち。そのすべてに私は大いに冷めてしまいました。
「アイドルが恋愛することによって離れるファンがいる」と主張する人間がいるならば、私はハロプロ結成当初からずっと「アイドルに恋愛禁止ルールを押し付けていることが露呈することによって離れるファン」なのです。矢口がモーニング娘。を首になったときも、ものすごく、ものすごーく萎えました。私がハロプロから最も離れていたのは、矢口がモーニング娘。を首になったあとの二年間です。その期間だけ私はハロプロを追っていません。まあ正確には冠番組の『ハロステ』だけは毎週見ていたのですが、ろくすっぽ楽曲を聴いていませんでした。
恋愛は生命の根源的な衝動です。生命の根源的欲望を軽く見てはいけません。それを甘く見ると、反動で必ずひどいしっぺ返しが来ます。恋愛は私たち凡人が世界を変えるための唯一の方法であり、自分がこの世に存在していたことを歴史に残すたった一つの手段なのです。「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と太宰治も言っています。
10年間やり切った仕事──しかも人間として当然の権利を行使しただけなのにファンからの罵倒が待っているであろう仕事──と、いまの恋愛。どちらをとるかは明白です。私が紗友希でも恋人をとるでしょう。
現代日本において、一個人に恋愛を禁止することは人権侵害です。ハロプロがそのような人権侵害を若い女子に強いる組織であるならば、私の心が寄り添うことはできないのです。誰も得しない短絡的な人事に、私はすっかり萎えました。ハロプロのために長文を書く意欲がなくなってしまったのです。これは私なりの抗議のかたちでもあります。
私はずっとずっと、自分が思っているよりもずっと、紗友希のことが好きでした。みんなそうでしょう?ハロメンも、ハロヲタも、ハロプロに関わっているすべての人間が彼女の歌を愛していた。ハロプロに紗友希という歌姫がいることを自慢し、誇りに思い、鼻高々だった。そうだったでしょう、みんな。もう忘れちゃった?
会場を埋めるファン全員が彼女のパートを心待ちにしていた。どのグループのファンであっても、誰のメンバーカラーのTシャツを着ていても、どんな色のペンライトを振っていたとしても、紗友希のフェイクの後では「fuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!」と叫ばずにはいられなかった。彼女のパートのあとは、地が揺れるような喝采が自然にわいてホールを埋めつくす。それがハロプロでありハロヲタだったのだ。みんな彼女の歌を心の底から愛していた。「私たちが誇る歌姫・紗友希の歌を、みんな聴いてよ!」とハロメンもハロヲタも、おそらくスタッフも、ハロプロに関わる全員が思っていた。思っていたのに。
紗友希がハロプロを辞めると言うならば、周囲の大人たちは全力でそれを止めなければならなかったのです。せめて卒業イベントができるように、それまではなんとか、必死で説得するべきだった。紗友希自身が強固に辞めたがって、もうどうしようもなかったであろうことはなんとなくわかっています。それでも、なんとか説得してほしかった……。
紗友希はハロプロで文句なく一番歌がうまかったし、歌が上手くあり続けるために、子どもの頃から絶えず努力し続けていました。彼女はハロプロが掲げる「芸術至上主義」のいわば象徴と言える存在だったのです。そんな彼女が犯罪でも不倫でもない、ただの自由恋愛でクビになるというのは、はたから見たら「芸術至上主義が処女信仰に負けた」という極めてダサい結論に他なりません。私には到底受け入れられない結論です。極めて旧時代的な組織の、醜い末路としか思えないのです。実際、ニュースを受けてそのような外野の声がたくさん届きました。ハロヲタである私もそれにまったく反論することができません。ていうか私だってそう思うわ。
Juice=Juiceが主演したドラマ『武道館』の男性出演者陣の性的スキャンダルの多さを見るに(仮面ライダーメテオこと吉沢くんと仮面ライダーバースこと君嶋くんはどうか無事でいてほしい)、ハロプロのガチガチの恋愛禁止は「彼女たちを悪い共演者やスタッフから守るため」という要素がきっと多分にあるのでしょう。それはわかります。
それでも、私は紗友希の卒業コンサートが見たかった。なんなら円満卒業後に優里さんにハロプロに楽曲を提供して欲しかった。できたはずだよ。なんでできなかったんだ?私たちは、ミキティ10周年ライブで庄司さんが客席に表れたとき、歓声を上げて「庄司コール」をすることができるオタクなんだよ?その日の2ちゃんねる狼板に「同じ女を愛した男だからな」って書き込んじゃうのがハロヲタなんだよ?もっと私たちを信頼してくれよ。ていうか紗友希の一件の顛末を見る限り、誰よりも処女信仰が強いのは他ならぬ事務所自身じゃねーか!おたくのせいにするんじゃねーよ!!……と私は思わずにいられない。優里さんに「同じ女を愛した男だからな」と私たちが笑って言える日は来ますか?来てほしいよ。事務所さんは頑張ってくださいね。
庄司智春、藤本美貴と結婚時のネットの声に感動「同じ女を愛した男だから許してやろうぜ」
庄司さん、筋肉を仕上げてきたことは高く評価しますが、ロマンスの腕の伸びと顔と体幹の角度が甘いので、次はそこを練習してきてくださいね。あとサビはちゃんと360度回ること。
さて17年前の矢口更迭後しばらくして、私はまたハロヲタに戻ってきました。『テニスの王子様』アニメ再放送のついでに見たアニメ『きらりん☆レボリューション』のOP「バラライカ」がたいへん素晴らしかったことが帰還の理由です。月島きらりちゃんの楽曲とアニメがあまりに素晴らしかったから、私はハロプロに帰ってきました。今ものすごく萎えている私もまた、月島きらりなみに魅力的なコンテンツと『バラライカ』なみの名曲が発表されれば、またハロヲタに戻るのでしょう。
よって今年は記述が短いです。以下に順位を置いておきます。
MVを見た瞬間に、Tsubaki Factory New Era !と叫びたくなる一曲。海外オタクのYouTubeコメント”New era for Tsubaki.” “Perfect start for a new era.”がすべてを物語っている。
小片リサちゃんという楽曲の核を失ったつばきファクトリーが出してきた新機軸だ。新メンバー4人も全員可愛く、個性的で、歌も上手い。現ハロプロ随一の歌姫であるきしもんが覚醒している。若い男性の間で流行している黒髪センター分けの髪とスタイルのよさが相まって、男性若手俳優のようだ。凛々しい。最高。MVもアイディアにあふれていて、小道具にお金がかかっている。顔のアップが多く、アイドルのMVらしさを忘れていないところもいい。
そしてなんと言ってもタイトルと歌詞が素晴らしい。タイトルは最初「『涙の』ヒロイン降板劇」と読んでしまって「おいおい、なんて攻めたタイトルだよ。いくらなんでも現状に寄り添いすぎだろう」と不安になったけれど、実際は「『涙のヒロイン』降板劇」であった。サビの歌詞「涙のヒロイン 降りる宣言 君の代わりはいるでしょう 私が私のこと愛さなくちゃだめ」から、それが伝わってくる。
歌詞はまるで、グループ一番人気だった小片さんの突然の脱退のあと新しいメンバーを加えて再出発するつばきファクトリーの状況にあわせて「あて書き」したかのようである。実際はあて書きではなく、山崎あおいさんが別の機会に提出済の歌詞がここで使われたという。この時期のつばきファクトリーに提供されたことによって、あまりにぴったりのタイミングで歌詞が現実に寄り添ってしまったことに、山崎さんは驚いたという。※ソース
歌を聴きながら「いったい誰が『涙のヒロイン』なんだろう?」と考えるのも楽しい。悲劇的につばきファクトリーを去ることになった小片さんこそが涙のヒロインと考えてもいいし、メジャーデビューをつかんで初舞台に立つ新人四人こそが涙のヒロインとも言えるし、この曲においてはセンターの立ち位置ではない樹々ちゃんの歌だと考えてもいいし、持ち前の歌唱力を存分に発揮して楽曲の柱になっているきしもんこそが涙のヒロインと思っても成立する。たくさんの女子一人一人の人生に合わせて、解釈が何通りも成立する歌詞なのだ。
そして最後はきしもんによるフェイクと「惨めな役は 似合わない 癪(しゃく)なスポットライト 躱(かわ)して つかもうぜ!華やかな Next ストーリー」で楽曲が終わる。素晴らしい。これまで泣いてばかりの悲劇のヒロインだった自分たちが、その悲劇から自力で脱け出し、この曲を手に次に進む。そんな現状にぴったりだ。つばきファクトリーは確かに再生した。それだけの力を持つ楽曲だ。
さて、ここからは私一人の勝手な喜びを書きます。
ルパパト好きの私としては、ルパパト第12話に車椅子の少女役として出演していた河西結心ちゃんが、前事務所であるアミューズを辞め一般の高校生になったあと、ハロプロのオーディションに合格して歌手デビューし武道館に立つ、という「物語」が見られたことがとても嬉しかった。ルパパト12話劇中の少女は、歌が大好きでステージに上がりたいという夢があるけれど、足を悪くして車椅子生活となり、その夢を諦めかけているという設定である。その物語の続きを見ているような、車椅子の少女が本当に数年後に夢を叶えたかのような錯覚に私は容易におちいった。大手事務所を辞めて山梨の田舎の一高校生として暮らしていた河西結心ちゃんが、ルパンイエローの事務所のオーディションに合格し歌手として武道館に立ったという「物語」は、まるで劇中の車椅子の少女の足が無事に治ってステージで歌う夢をかなえたかのような幸福な錯覚を私に見せてくれる。物語の中の少年がルパンブルーに触発されて一念発起したように、現実でも、ルパンイエローに触発された一人の少女が一念発起して自らの夢を叶えたのだ。結心ちゃん、ハロプロに来てくれてありがとう。
モーニング娘。新アルバム『16th~That’s J-POP~』冒頭の一曲。
当初、このアルバムは私の琴線にあまり触れなかった。それはコロナのせいで楽曲を披露する場所がまったくなかったゆえであると、佐藤優樹ちゃんの卒業公演で私は気が付いた。娘。のエースであるまーちゃんの卒業公演を見て、私は初めて「娘。の楽曲の魅力はライブでこそ出る」という当たり前の事実にたどり着いたのである。遅いね。
ハロプロにおいては(時系列的に)一番最初にCD音源が収録される。そのため、その後何十回と行われるライブで歌唱力と表現力がどんどん上達した結果「CD音源が一番下手」という珍現象が発生する。口パクせずに生歌のライブを地道に積み重ねる若い音楽集団ゆえだ。その上にオタクのコール(コロナ以前)やクラップが乗るため、楽曲はさらなる別物に進化していく。その変化と成長こそがハロプロの面白さである。簡単に言うと、曲がライブで成長していくのだ。
ハロプロの楽曲はライブでどんどん洗練されていく。これを逆に言うと、ライブがない場合、曲が変わらない。こっちも聞き込むことがない。音源を聞く機会が減る。歌詞への共感やなじみも減っていく。娘。は、いやハロプロは、くりかえされるライブと公式から(昔は一部有志によって)Youtubeに次々とあがるライブ映像ありきの集団芸術なのだ。
そんな状況の中、ライブなし、音源を聴いただけで好きになった曲が『愛してナンが悪い!?』。ライブで聴いたらさらに好きになった。つんく♂さん真骨頂の一曲。
歌詞は明らかに高木紗友希のためのものであり、彼女を肯定するための歌詞である。愛して何が悪い。もちろん、何も悪くない。いや本当は紗友希のためではないと思うけれど、タイミング的にはそうとしか思えない時期に発表された。愛して何も悪くない。当たり前だ。あの三島由紀夫でさえ「少年がすることの出来る──そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう」と言っている。医学的に言えば、男女の恋愛を否定するのは、人類に「滅べ」と大声で叫んでいることと同じである。まあ別に世界破壊願望を持つこと自体はかまわない。反出生主義もよくわかる。しかし、それを他人に強要するのはまちがいだ。繁殖を否定されても困るし、女性の性欲を否定するのは女性の人権を否定していることと同じである。私たちには確かに肉欲があり、その相手を自由に選ぶ権利がある(もちろん相手の同意は必要)。肉欲のわく相手と一緒に過ごしたいと願う、その欲望自体を否定することは許されない(もちろん相手の同意は絶対に必要)。つんく♂さんありがとう。
さてこれが二番になると、「グーグーグーGood ! 親指が人気の基準じゃん アホらしい」とSNSのいいね!の数を競う世の中を憂いつつ、突然「シャーシャーシャーシャー洒落臭い 宵越しの恋愛」と、初恋の狂乱から急激に冷めた目線に主人公が変化している。いったい何があったんだ。1番の歌詞で「深夜焼き肉デート 親密じゃん」していた相手とは別れてしまったんだろうか?これまた味わい深い。そして最後は結局、人生の野望のために現実を見すえて、限界を決めずに想像力を発揮していくしかないよね!といういつもの結論に至る。これまた表現者たちの正しい現実主義で素晴らしい。バランスがとれている。
決めのパートの「Oh 愛して何が悪い!?」と「常識は非常識」を、入ったばかりの15期三人が順番に回しているところも好きだ。それぞれの声の個性が出ている。この曲がアルバムの一曲目に置かれているということは、つんく♂さんが新メンバーを軸にモーニング娘。の次の時代を考えているということである。よかった。
私がモーニング娘。に求めているのは「変化」である。大好きだった福田明日香がいなくなった23年前から、私が娘。に求めているのは常に「変化」である。変化が欲しい。それ以外はいらない。変化してくれ、モーニング娘。
ハロプロの事務所は「ハロプロを宝塚にしたい」という野望があるんだな、と私が気付いたのはいつ頃だっただろうか。高橋愛ちゃんが宝塚の大ファンであったこと、その愛ちゃんが「宝塚には『すみれコード』があるけれどモーニング娘。には『モーニング・コード』がある。卒業して『モーニング・コード』がなくなったとたんに、これかぁ!って感じです」と発言した時(2011年11月27日帝国劇場での記者会見)だろうか。ハロプロエッグに大量に人材を投入し、そこからデビューさせたりグループを作り始めた時期だろうか。
① 25歳までの女子による
② 在京の
③ TVの歌番組にも出られる
「アイドル版宝塚」をハロプロは目指しているんだろうな、という意図を私は嗅ぎとりはじめていた。
その頃ハロプロを支えていたBerryz工房と℃-uteは、あまりに幼ない時期からあまりにも長い時間を固定メンバーで拘束していたために、新しいメンバーの中途加入を受け入れることはできなかった。メンバーもそうであったし、ファンもそうであった。Berryz工房と℃-ute(とその選抜ユニットであるBouno!)は結局最後まで卒業・加入制のグループにすることはできず、休止または解散した。
娘。以外に初めて卒業・加入制グループとして独り立ちできたのが、他ならぬアンジュルムである。アンジュルムは娘。以外のハロプログループで初めて、宝塚の一つの「組」にあたる存在になった。モーニング娘。が花組であるならば、アンジュルムは月組になったのだ。
宝塚の組にもそれぞれ得意分野とカラーがあるときく。モーニング娘。とアンジュルムにも、れっきとしたグループの色と存在意義がある。
モーニング娘。は結局のところ、どこまでいっても「つんく♂にインスピレーションを与える楽器」である。ではアンジュルムは何か。それは「日本における女性の自立を、女性自身が考えること」だと私は思う。まぁ、これをものすごーくおおざっぱに言うと、女性の自己選択権と自己決定権、ひいてはフェミニズムと呼んでいいのかもしれない。
これはあやちょの作った唯一無二の道である。そして、モーニング娘。には歩むことのできない道である。モーニング娘。は「つんくのインスピレーションを刺激する楽器」であることが最も強い命題のグループだから、「女性自身が考えて自己の表現を選択・決定する」という視点はどうやっても持ち得ない。それを持ったときは卒業するときであり、父性からの脱出こそが娘。卒業のメタファーとなる。
アンジュルムはスマイレージの創世期からずっと、あやちょがただ一人のリーダーであった。長い低迷期にも彼女は決してくじけなかった。大人の男性たちに「日本一スカートの短いアイドル」というキャッチコピーをつけて売り出された女性アイドルグループのリーダーだったあやちょが、自力でフェミニズムにたどり着いた。その成長過程こそがアンジュルムの核である。アンジュルムというグループの中に、一番太い、真ん中に通る骨を作った。アンジュルムの中心にはその柱が通ってしっかりと立っているから、新人として誰が入ってきても大丈夫なのだ。そんなグループになった。だからアンジュルムはモーニング娘。とは別の存在になれた。これはハロプロの新基軸であり、あやちょ以外の誰にも成しえなかった。
だから私があやちょに思うことはたった一つ。どんどんやれ。この一言しかない。他の誰にも真似できない創造性を持った思想家に、ほかに言えることなんてある?想像がつかなかったものを生み出した芸術家に、他に言えることなんてある?何もないでしょう。
あえてアンジュルムの姿勢を言葉にするなら「可愛いこともきれいになることも否定せず、自分の権利も主張しながら表現者として成り上がり、かつ幸せになる道を自分で模索する女性」あたりだろうか。若い女性ファンが増えるのも当然である。そしてその信念通り、アンジュルムの女たちは自分の頭で考えて、自分の野望のために行動していく。ハロプロにいる間がキャリア・ハイではない。その先でもいろんな道へ進んでいく。田村芽実ちゃんは本当に素敵なミュージカル俳優になった。めいめいが私たちハロヲタをふたたび帝国劇場に連れていってくれると、私は信じている。
ちなみにカントリー・ガールズは「かわいいだけでなんとかなる、か?」というデビュー時の秀逸なキャッチコピー通り、「かわいい女の子がかわいい服でかわいい歌を歌う、という生身の人間が続けるには厳しいほど純度の高いアイドルらしさをキープするために、メタ視点とギャグを織り交ぜてプレゼンする」という最高のコンセプトでけっこう成功していたのだが、桃子の引退とともにつぶされてしまった。Juice=Juiceは「研修生から歌唱力エリートを次々と選抜して、歌のアベンジャーズを作る」という新機軸を見いだし、これもいったんは成功していた。Juice=Juice最初のCDアルバムの一曲目が『選ばれし私達』だったのは、まさにその象徴であったと思う。Juice=Juiceは宝塚における「雪組」になっていた、と思う、朋子卒業で横浜アリーナを埋められるくらい動員できていたんだし。それなのに、今はそのコンセプトが消えている。これからどうするつもりなのかよくわからない。つばきファクトリーもまだ未知数だ。両グループにはきっとこれから2、3年かけて、新しい色が出てくるのだろう。期待しながらゆっくり待っている。
めずらしい三拍子の曲。この曲をもって卒業する、ももにゃこと笠原桃奈ちゃんの魅力が大爆発している。卒業直前最後のシングルでようやく卒業メンバーの魅力が開花して「何でもっと前からこれをやれなかったの!?」とファンが怒る。これもまたハロプロの恒例行事である。『泡沫サタデーナイト!』の鈴木香音ちゃんもそうだった。
おそらくこの現象は「星は爆発する前が最も輝きを増す」のと同じ原理なのだろう。辞めるからこそ、自分に知らず知らず課していた心のカセが外れて、好きなように自分を表現することができるようになる。結果として限界を超え、その人にしかない魅力が花開く。それにようやく周囲が気付く。でも、もう遅い。そのときにはもう若い少女の心はとっくによそにうつっている……。卒業のたびに、何回も繰り返されてきた悲劇だ。「私の魅力に気付かない鈍感な人」にはなりたくない!って私もずっと思っているんだけどね。むずかしいね。ごめんなさい。
2021年・ハロヲタが聴かされた回数ランキング第一位の曲。なぜなら、ハロプロがおこなったほぼすべての興業でオープニングアクトとして披露されていたためである。私も何回聴かされたかわからない。研修生オタクの皆さんはもう聞き飽きて、うんざりしていたはずだ。でも私はこの曲好きよ。特に4人時代の『ミステイク』が好き。デビュー前のメンバー4人が不安そうな面持ちで登場しながらも、どんなアウェーの会場でも力強く歌い踊っていた印象が強い。歌も上手だった。落ちサビ導入部の斉藤円香ちゃんの「だめね」(この動画の2:54)と、落ちサビ最後でウィンクしながら観客を指鉄砲でうつ石栗奏美ちゃんの「だから」(この動画の3:10)が好き。好きだったんだけど、新メンバーの加入によって両方ともパート割が変わってしまった。残念。
誰かを好きになりそうで、でもまだその気持ちを認めたくない。初恋の感情のコントロールを知らない、でも不器用なりに策略をめぐらす少女の心の揺らぎを描いた歌詞も最高だ。
ライブが楽しい、明るい曲。近年の娘。に提供された唯一の明るいアイドルらしい曲である。この曲だけを頼りに生きていくのはつらいです。つんく♂の初恋真っ最中の浮かれトンチキな楽曲をもっと出してください。私もそろそろ、ドクターストップがかかるほど「恋落ち」したいんです。よろしくお願いします。
山崎夢羽ちゃんがサビ後に一回だけ舌を出すのがアップになるところが好き(この動画の1:46)。そこを見るためだけに20回くらいMVをリピートしている。他のメンバーがあまり舌を出さないのはどうしてなんだろう?カメラに抜かれていないだけなのかな?みんなやってほしい。
2021年の夢羽ちゃんといえば映画『あの頃。』である。夢羽ちゃんは劇中で、当時のあややこと松浦亜弥さんに扮している。これがきちんと当時のあややに見えて、すごくよかった。
『あの頃。』という映画は、なんだか筋書きに「照れ」があった。照れないで!もっとはじけてよ!上京して、「神聖かまってちゃん」のマネージャーとして売れて、ベーシストとしてもフジ・ロック・フェスティバルにまで出て、コミックエッセイも出してTVにも出て、素敵なパートナーができて子どもにも恵まれ、ハロメンとも共演して、ついに映画化したぜ!主演は松坂桃李だぜ!ハロメンに仕事を作ってハロプロに恩返しもしたぜ!うはははははは!……という主人公の展開まで含めてこそ、うだつのあがらない若者の「成り上がり」物語だと私は思うのだが。そこまで描いてこそおもしろい、いやむしろそれこそが必要では?その「落ち」がないと、ただの謎の若者集団の謎の趣味と謎の盛り上がりとその終了と別れの話になっちゃって、読後感がわけわかめだよ!!……と感じてしまった。アイドルへの情熱がだんだん冷めていくところも、それぞれにアイドルよりも大切な何かを見つけて徐々に散っていくところも、それでも友情は細々と続いていくところも、病気とともに三次元女性に耐えられなくなり二次元にはまっていくさまも、忌憚なく描いてほしかった。そのなかで上京した主人公が「俺だけは音楽で成り上がっていく!一緒に馬鹿やってた昔の仲間と離れて、なんとか成功したぜ!でも心の中では当時のことを決して忘れていない!だから、この物語を描いた!」まで突き抜けてくれれば、私は『トレインスポッティング』と同じ味わいで楽しむことができたと思うのに。でも、物語はそのずっと手前で終わってしまった。
実際の原作では、コズミン(役名)が死ぬとき、主人公はすでに神聖かまってちゃんのマネージャーとして表立った仕事を順調に行っている成功者になっている。でも、あまりそうは描写してくれない。もっとガツガツしてくれ、主人公。もっと野心をもってくれ、主人公。もっと自我を見せてくれ、主人公。それがオタクってもんだろ。そこになんだか「かっこつけ」というか、「照れ」が見えてしまったのだ。
私はオタクなので劔さんのその後のご活躍を知っている。だから、映画の後を脳内補完して楽しむことができる。でもそれはあくまで作品外の予備知識だ。ちょっとだけでも映画内で示して欲しかった。本音を言えば映画の中で現実と交差して、劔さんが自分の過去のマンガを描く、さらにそれが映画になるところまでやってくれたってよかった。ちょっとメタフィクションくさくて萎えるかもしれないけど、そこはまぁ上手くやってもらって。原作の「ダメな若者ばかりだけど妙に爽やかな読後感」との差は、結局、主人公があの後どうなるのかよくわからないことにあるのかなぁと思った。
演出や楽曲、小道具の時代再現や役者さんの演技は素晴らしかったと思う。コンサート会場の客席の再現度も完璧だった。石川梨華ちゃん卒業コンサートにいた、大箱の卒コンだけにはチケット譲渡も辞さずに参加するお堅い職業の一人参加の高齢女性ハロヲタは、一瞬自分のことかと思ってしまった。物語全体で見ればあの女ヲタはなんで出てきたのかよくわからない存在だったけれど、観客である私が「おっ自分のことかな?」と思う人物が出てきたという事は、ハロヲタを細部まで描けているということなんだろう。たぶん。
2021年は以上です。2022年は今のところモーニング娘。の『よしよししてほしいの』一強の予定です。いまだ続く新型感染症のせいで新曲をリリースすることすら大変なご時世かと思いますが、一曲でも多く新鮮な曲が聴けることを楽しみにしています。(2022/10/30)
エキスパートナース2022年9月号で『3・4回目のコロナワクチン接種について』の特集記事を描きました。
COVID-19関連記事は情報が一日で古くなります。今回の特集も、ご多分にもれずそうでした。校了の直前に発表された医療従事者3回目ワクチンのエビデンス論文が反映できて嬉しかったり、校了2日後に出たオミクロン対応ワクチン日本上陸のニュースが入れられなかったことを残念に思ったりしました。まさに雑誌メディアらしい、「そのとき」にしか書けない内容です。時々刻々と変化していく状況を、今この瞬間にパッケージングして後世に残すことにもきっと意味があるのだろう、と思いながら描きました。
そしてその次の号、エキスパートナース2022年10月号では『小児のコロナワクチン接種のこと』という記事を作りました。小児のワクチン特有のトピックを中心にまとめています。
上の写真はエキナスさんが見本誌と一緒に送ってくださったJUMP SHOPのお土産たちです。ありがとうございます。中野や秋葉原に行くたびに、関連商品のあまりの多さに「鬼滅や呪術が好きな人たちは財布がいくつあっても足りないのではないだろうか?」と心配になりながら照林社社屋の方角を見つめています。エキナスちゃんは大丈夫でしょうか。
小児用新型コロナワクチンはもちろんのこと、他の小児ワクチンで留意する点や手技についても言及しています。
子どもは子どもゆえに必ず注射を嫌がること、しかし子どもだからこそ予防接種は必要であること、親との協力、子ども本人へ説明することの重要性、固定の仕方、過去の筋肉注射による大腿四頭筋拘縮症筋やHPVワクチンにおいて発生した事象について、などです。
このような視点から小児ワクチンについてまとめた記事は、これまで日本になかったはずです。つまり今回はがんばって新規性をたくさん盛り込みました。緊張しました。その甲斐あってか、思ったよりもいろいろな方に褒めてもらえて嬉しかったです。ほっとしています。みんな読んでね。
さて、昨年のぶんも合わせると雑誌「エキスパートナース」に私は計4回分コロナワクチン関連記事を書きました。ぎちぎちの密度で14P/16P/19P/18P、全部合わせて67ページです。ふえー。そろそろ同人誌一冊になる量だ。えらい。よく頑張った、わたし。
誰も経験したことがない新型ウィルスとの戦いの中、こんな私でも一臨床医としてなにか役に立つことができたらいいな。そう思ってこの一年半、筆をとってきました。読者の皆さまのより簡潔な理解と、心の安寧につながっていることを願っています。
これらの原稿はどれも同人誌からの抜粋ではなく、雑誌そのものの締切に合わせて描きました。プレッシャーの強い仕事ですが、さまざまな分野のプロの皆さんのアイディアやご指摘を取り入れながら作品を徐々に完成させていくのは、同人誌とはまた違う楽しさがありました。同人誌は基本的に、一人で粘土をこね一人で窯に火をくべ、一人でちまちまと完成させて一人で売るものですから。孤独な衝動を昇華させた結晶が私にとっての同人誌です。どちらのやり方にも、それぞれの良さがあります。
さて次はどうしようかな。そろそろCOVID-19のことを書くのはいったんお休みして、ただのハロヲタに戻りたい……いや違った、手技やノウハウをマイペースに解説するねじ子に戻りたい……という欲望はあります。うっすらとあります。あるのですが、医療従事者の対コロナウィルス全面戦争は続いています。終わってなどいません。世間はすっかりコロナを忘れ始めているようですが、私たちはまだまだ新型コロナウィルスと戦わされています。それはさながらマリアナ諸島に取り残された旧日本軍の残存兵のようです。え、戦争って終わってるの?知らないんだけど?玉音放送こっちまで届いてないよ?アメリカのバイデン大統領は「アメリカのパンデミックは終了した」って高らかに宣言していたけど、日本の政治家は何か言わないのかな?終戦なら終戦って、お国はきちんとお知らせしてほしいな。ポツダム宣言受諾しちゃった?それならそれでいいし、自分の中の戒めとして自制しているコンサートやイベントや観劇や首都圏外遠征やコール・モッシュがありそうな現場参戦を解禁するんだけど。
このままだと、日本のお上はパンデミック終了宣言などやらなそうです。ひょっとして第二次世界大戦って、玉音放送が放送されただけまだましだったのかしら?……うーん、いったん休息して古い映画でも見ながら、ゆっくり考えることにします。またお会いしましょう。(2022/10/2)