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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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第3回 交通外傷

東京郊外、といってもかなりド田舎の三次救急指定病院・七王子メディカルセンターの真夜中の日常をお届けする医局23時19分。続いてのお題は交通事故による外傷です。交通事故の診察は、日常診療とかなり勝手が違うようですよ。
赤城くん:研修医1年生。最近自分がいじられキャラな気がしてきて、少し鬱。

青葉くん:研修医2年生。開業医の息子。ハンサム。趣味はヨット。やや大雑把。

桃山先生:女性オーベン。自分が負け犬であると自覚しているが、どうする気もあまり起きない7年目。

赤城くん:いやー今日はヒマですねぇ。日本代表さまさまですよ!!*1)
桃山先生:ワールドカップの時は、救急外来もホント閑散としてたわ。どこの病棟も無医村状態*2)。
赤城くん:僕も授業サボって、部室でTV見てましたよ!
青葉くん:患者さんもハケたことだし、俺らもTV見ようぜ。そろそろ試合終わっちまうよ。 ピリリリリリリリリ!
青葉くん:げーっ。ホットライン*3)鳴りやがった!!赤城がヒマだとか言うからだ!!
桃山先生:そうよ!その言葉を吐くとバチが当たるのよ!!*4) はい七王子メディカルです。えーっ?……わかりました。現場から第二報お願いしまーす。がちゃ。陣馬街道でバイクがすっ転んでるって。あーぁ、こりゃ寝れないかもね。
赤城くん:あそこ事故多いなー。*5)
青葉くん:陣馬は走り屋のメッカなんだよ。
桃山先生:どうせ飛ばしてたんじゃないの?ま、二報待ちましょ。はい赤城!外傷の準備して!
赤城くん:は、はい!点滴と…。ラインライン…。
青葉くん:おい、点滴は温かいのだろ?*6)
赤城くん:あ、そうだった。
ぷるるる…

桃山先生:あ、二報だ。バイタルどう?サット90*7)なの?嫌だなぁ、酸素10 リットル流しといて。*8)同乗者いるの?…え?彼女も!?だってそっちは軽傷なんでしょ?*9)そんなのヤブイ市民*10)で充分よ!!……わかった。 生年月日と名前教えて。なるべく早く来てね。がちゃっ。はいIDとカルテ作って。二人分ね。
赤城くん:えっ、二人!?
桃山先生:同乗してた彼女もどうしてもこっちがいいってさ。七王子ヤブイはイヤだって。*11)彼氏が先だからかなり待ちますよ、って言っといた。
青葉くん:どんな状況だったんですか?
桃山先生:400ccで2ケツ。どっちもヘルメットしてた。単独で、カーブで曲がりきれずすっ転んだ。*12)運転手のレベルはクリアだけど、苦しがっててサット低い。彼女は後ろで、そっちはかすり傷程度みたい。彼女ラッキーだったわね。
青葉くん:二人ともハタチかぁ。デートで真夜中のツーリングとは、いいっスねぇ。
桃山先生:コケちゃー台無しよ。赤城、あの後、外傷のABC*13)覚えた?
赤城くん:はい、復習しました!
桃山先生:じゃ、やってみてね。

*1)サッカー日本代表の試合がある日は、みんな本当に外に出ない。特に田舎。同様の理由で、大雨・台風・雪の日は、明日まで待てるような「しょぼ い」病気は来ず、どんな天候でも病院に来なくてはならない「本物」だけが来る。ちなみに都会だと試合が終わった途端に、羽目を外しすぎて大怪我した若者や 飲み過ぎた馬鹿者が、国立競技場および飲み屋周辺から万単位であふれ出すので、この限りではない。
*2)病院の中にもかかわらず医者が全く見あたらない状態のこと。カンファ中や教授回診中に頻繁に出現する。ワールドカップ日本戦の最中、病棟には医者が誰一人いなくなったという。患者さんのお部屋のTVで観戦する猛者も出現した。
*3)東京消防庁独自のシステム。普通は、現地で患者さんを拾った救急車から直接病院に交渉の電話が来るのに対して、3次対応の緊急疾患および、心筋梗 塞・脳血管発作などの「特に緊急で専門的な処置を必要とする疾患」については、現地の救急隊から → 中央指令センターに連絡が行き、センター自ら病院を 探すシステムのこと。ホットラインが鳴る=重症がやって来る!!ということなので、スタッフみんな露骨に嫌な顔をする。
*4)たとえ暇だと思っても、それを口にしてはいけない。口にした途端、天罰が下りとんでもない大物がやって来る。医療界のジンクスだ。
*5)救急外来をやっていると、近所の事故多発地点や自殺スポットに妙に詳しくなる。
*6)外傷時は体温が下がりがち。低体温になると代謝アシドーシスになったり、凝固系が狂ったりして良いことが一つもないので、37℃程度に温めた酢酸リンゲル(ヴィーンF(R))か乳酸リンゲル(ラクテック(R))を大量に用意する。
*7)動脈血酸素飽和度のこと。飽和度:saturationを略して「サット」。サット90=動脈血酸素飽和度90%=SpO2 90%。正常は99~100%なので、かなり低い。本来なら動脈に針を突き刺して採血しなければ測定できないが、パルスオキシメーターpulse oximeterという指サックのようなメカをはめるだけで測定することが可能。とても簡便で、救急隊にも愛用されている。
*8)外傷で酸素飽和度が急に悪くなったときは、100%酸素を大量に流しながら搬送してもらう。
*9)事故等により多数の患者がいっぺんに出た場合は、基本的に患者を重傷度順に、対応可能な病院に振り分けるべきである。あのDrコトーですらも、動け る医者が自分1人しかいないのに重傷を2人抱えてしまい、結果患者を一人は死なせてしまっている。この場合、重傷と思われる運転手への対応に人手がとられ るため、軽傷と思われる同乗者は他病院に搬送するのがスジ。だが実際はこのように上手くいかない事も多い。
*10)七王子メディカルセンターの近くにある二次救急対応病院。正式名称・七王子ヤブイ市民病院。
*11)軽傷の人ほど、病院を選択しがちである。それだけ元気だとも言えよう。どうやらヤブイ市民はご近所の評判があまりよくないらしい。
*12)交通事故の重傷度を判断するために必要な情報を、手際よく聞き出している桃山先生。
・単独か?複数の衝突か?
・本人は歩行者/原付/バイク/軽自動車/普通自動車/大型車のどれか?(重量が軽いものほど、重傷になりやすい)
・相手があるなら、それは何か?(相手の重量が重いほど、重傷になりやすい)
・どこからぶつかったか?(正面衝突・側面衝突など)
・車やバイクが大破しているか?
・安全装置(シートベルト・エアバック・ヘルメット)は使用していたか?
・受傷者は車内に閉じこめられたり、放り出されたりしたか?放り出されたなら、どこかにぶつかったりしたか?
・同乗者の怪我の程度 などが重要。
*13)一般の診療とはかなり異なる、一秒を争う外傷初期診療のガイドラインとして極めて有名な概念。普通のABCと少し違う。
A:Airway(気道)
B:Breathing(呼吸)
C:Circulation(循環)
D:Dysfunction of CNS(中枢神経障害)
E:Exposure & Environmental control(脱衣と体温管理)
重傷度の順になっているのがミソ。Aがダメな(例えば気道が閉塞している)時は、何らかの処置をしてAを確保する。Aが完全に大丈夫になるまでは、次のB に進んではいけない。これをA→B→C→D→Eの順に見落としなく進めてゆく。前回、赤城君はCがよくわからず桃山先生に怒られた。

彼氏はストレッチャー、 彼女は救急車から歩いて登場

救急隊:酸素10リットルで来ましたが、サット93位までしか上がりません。
桃山先生:ありがと!彼女はピンシャンしてるわね。ちょっと待合いで待っててね。*14) 患者さん:うーうー。苦しいー。助けてー…。
赤城くん:うわっライダースーツだ。脱がせにくっ。
青葉くん:高いのに申し訳ないけど、服切るよ。*15)いいね?(ハサミで服をチョキチョキ切る)はいモニター付けて~。お、タキってる。*15)胸部骨盤ポータブルを!
赤城くん:うわっ、ふくらはぎ、ぱっきり折れてますよ!!すげー変形してるー。
桃山先生:赤城!足より先にABCでしょ!!*16)馬鹿!!
赤城くん:あ、はいっ!Airwayはしゃべってるから大丈夫。*17)Breathingはまず聴診*18)。あれ?(左側、呼吸音が聞こえない気がする…)
桃山先生:聞こえないの?そうなんでしょ!?はっきり返事しなさい!*19)あたしも聞く!!(聴診器越しに患者さんの左胸を触って)皮下気腫*20)あるじゃない!脱気するよ!!18ゲージ取って!!(留置針を患者さんの左胸に突き刺す*21)) 患者さん:うっ。(ぷしゅーっ)
桃山先生:レントゲン大至急呼んで!!トロッカー*22)の準備! 患者さん:あ、ちょっと楽になった…
青葉くん:サットも95位まで上がってきましたね。*23)
桃山先生:そうでしょうよ。血圧は大丈夫よね?緊張性気胸*24)よ、赤城。気道偏位*25)と頸静脈怒張*26)もちゃんと見た?
赤城くん:あ、見てませんでした。(患者さんをさわって)ありません!
桃山先生:ま、今、ちょっと脱気しちゃったしね…。はいレントゲン来たよ。技師さん!!印刷できたら大至急持ってきて下さい!トロッカーの準備できた?
青葉くん:はい。先生、僕やりたいです!
桃山先生:いいよ、そのかわり今すぐね。速攻でやるよ!!患者さん、歯医者さんで麻酔して気分悪くなったことないね?*27)局麻いくよー。 技師さん:レントゲン出来ました。縦隔寄ってます*28)よ。


桃山先生:やっぱりね。左肋骨3・4と折れてるな。フレイルチェスト*29)には…なってない。右肋骨は大丈夫。
青葉くん葉、これ見るとトロッカーは第5肋間がいいな*30)。頼むから心臓には刺さないでね*31)。 放射線技師さん:あーあ。こんな時間に交通外傷ですか。
桃山先生:今日はいっぱい撮るわよ。CT準備しといてね。
赤城くん:緊張性気胸、初めて見ました…。
桃山先生:ま、タキってはいたけど、血圧は下がってないから良かった。さ、ラインと血ガス取っちゃって。ヴィーンFガンガン落とすよ。*32)
赤城くん:はい!
青葉くん:トロッカー入りました。
桃山先生:あーやっぱり出血してるね。*33)500mlくらいかな。血圧に注意してね。*34) 患者さん:あー楽になった…。
桃山先生:じゃ、また胸部レントゲン呼ぼう。次はFAST*35)するわよ。赤城、頑張ってね。
赤城くん:はい!
桃山先生:(脇から見てて)左肺、よく見せて。出血はちょっとしか無いわね。これくらいなら大丈夫でしょう。 放射線技師さん:レントゲンできましたよ。縦隔、元に戻ってます。


青葉くん:よかった、治ってますね。
桃山先生:うん。サットも100%だし、酸素5リットルまで下げよう。というわけで、ようやっとB終了ね。次はC。造影CT*36)撮ろっか。赤城、同意書*37)取って。○○さん、頭は打ちました? 患者さん:…打ってないと思いますけど。でもよくわかりません…。
桃山先生:じゃ、頭も撮ろう。いちおうサチュレーションモニターだけはつけていこうね*37)。

*14)顔を見た瞬間に「彼女は待たせて大丈夫」なことを一瞬で判断している桃山先生。こういう、重傷度を見抜く能力は現場で非常に重要。
*15)普段の外来の患者さんは、胸の前を開きやすい格好で来てくれる。しかし交通事故の患者さんは決してそんな格好では来てくれない。ジーンズだのツナ ギだのダウンジャケットだの、脱がせにくいことこの上ない。しかも大抵、首に頸椎カラーをして来る(なぜかは前号を参照しよう!)ため、カラーが邪魔で服 を頭から抜くことも出来ない。結果、1秒でも早く全裸に近い状態にするため服を切ることになる。
*15)頻脈tachycardiaのことを「タキる」と言う。ちなみに反対語・徐脈bradycardiaは「ブラる」とは言わず「ブラディ」と言う。 *16)ABCでもっとも大切なのは「その順にやること」。Bが駄目なのにCに行ったり、Cが駄目なのにDに行ったりすると、後で痛い目を見る。その代表 が、四肢の派手(に見える)外傷にばかり目が行って、大切な呼吸(B)や循環(C)の診察がおろそかになること。今の赤城だ。
*17)AはAirway=気道。空気の通り道がなければ、呼吸はしたくてもできなくなってしまう。大きい怪我や大出血があって鼻や口が塞がっていたり、 意識が無くて舌根が落ちてる、など。そんな時は、異物を取り除いたり、エアウェイを入れて気道を開通させたり、気管内挿管をしてしまう。ここでは、はっき り会話しているので、気道は大丈夫。
*18)BはBreathing=呼吸状態。胸部外傷の有無は、まず聴診から。全肺野で左右差がないことを確認する。左右で比較して明らかに呼吸音が聞こえなかったり、弱かったりするとヤバい。胸部X線等の検査でその原因を突き止めなくてはならない。
*19)往々にして初心者は自分の取った所見に自信がないため、曖昧な返事をしがち。
*20)外傷によって、気道や肺や胸郭に穴が開いて、皮下組織に空気が漏れだしてしまっている状態。皮下に空気の固まりがあるので皮下気腫と言う。皮膚の 上から触ると、雪をつぶしている時のような何とも言えないプチプチ感がある(握雪感(あくせつかん)という)。これがあったら緊張性気胸を疑う。
*21)緊張性気胸を疑ったら、すぐ第2肋間鎖骨中線に18G針を3本程刺して、脱気する(胸腔穿刺)。詳しくは*24)へ。
*22)ドイツ語Trokar。英語だとトロカールtrocar。皮膚から体の中の空間に向かってチューブを入れるための器具のこと。先のとがった針でで きた内筒と、チューブ状の外筒からなる。内筒に外筒を被せたものを皮膚からブスッと刺して、内筒の針の先端が目的の空間に入ったら、外筒のみを空間内に進 めて、内筒を抜く。ここでは、胸腔にチューブを入れるためのトロッカーを指している。
*23)皆さんも是非一度、サチュレーションモニターをして息止めをしてみよう。健常人がかなり気合い入れて息を止めても95%くらいにしかならない。というわけで、95%でも健常な若者にとってはかなり息苦しい状態といえる。
*24)気胸とは、何らかの原因で肺がパンクして、元々肺の中にあった空気が、肺の外の胸腔に漏れている状態のこと。肺が十分膨らまなくなるので、胸が痛 く、呼吸が苦しくなる。自然に起これば自然気胸(アンガールズ体型の人がよくなる)。今回のように外傷により折れた肋骨で肺が傷ついて起これば、外傷性気 胸という。
そして緊張性気胸とは。肺の穴が、息を吸う時に開いて、吐く時には閉じてしまう「一方向弁」になっている状態のこと。胸腔に空気が大量に漏れ出るが、それ を出すことができないので、穴の開いた方の胸腔に空気が溜まり「膨らませすぎた風船」状態になる。胸膜腔内の圧力が非常に高くなり、大気圧を越えると、健 康な方の肺まで空気を取り込めなくなって、完全に呼吸ができなくなる。それがまず一つ。次に。もともと静脈の血は胸腔内圧が低いことを利用して心臓に戻っ ている。気胸によって胸腔内圧が高くなると、全身を回った血液が心臓に戻れなくなる。心臓に環流する血液量が減る→心臓から出る血液量も減る→血圧が下が る→循環不全になる。心臓の空打ち状態だ。この状態がまさに「緊張性気胸」で、あっという間にショックになり、トロッカー1本で助かる命なのに助からなく なる。
治療はまず「とりあえず空気を抜くこと」。膨れ上がった風船に針を指すように、胸に針を突き刺すのだ。その後、継続的に空気を抜くためにもっと太いチューブ(つまりトロッカー)を挿入する。
*25)ノド仏の気道を触ってそれがどちらかにズレている状態のこと。緊張性気胸であれば、片方の胸腔がパンパンに膨らんでいるため、気道が対側に押されて、寄る。
*26)前述のように緊張性気胸があると胸腔内圧が上がり、静脈の血が心臓に戻れなくなる。頸静脈で渋滞を起こして、怒張して見えるのだ。ちなみに正常で も横に寝ころんでる時は必ず、頸静脈は皮膚から盛り上がって=怒張して見える。45°以上に起きあがると見えなくなる。つまり「45°以上に頭を上げてい るにもかかわらず頸静脈が見えたら」異常で、頸静脈怒張と言える。
*27)何かのクスリを入れるときは、そのクスリに対してアレルギー反応を起こしたことがないか必ず聞く。局所麻酔(大抵リドカイン、商品名キシロカイン)は歯科の麻酔で頻用されているので、局所麻酔中毒やアナフィラキシーショックの既往を聞きやすい。
*28)胸にある、肺以外の「真ん中らへんにある臓器」を、全部まとめて「縦隔」という。具体的には心臓、大動脈、気管、食道、リンパ節など。パンパンに膨らんだ胸郭により、縦隔は反対側の胸腔に押しこまれてしまう。
*29)flail chest、日本語で動揺胸郭。3本以上の隣接する肋骨が、2カ所以上の場所で骨折した時にみられる。周囲とのくっつきをなくして浮動状態になった骨のか けらが、本来骨がふくらむべき時に、胸腔内の陰圧に引っ張られてそこだけペコッとへこんでしまい、換気を妨げてしまう。これを奇異呼吸という。そのままだ と呼吸が出来ない上に、呼吸しようとするたびに骨が動くので、骨折がくっつかず大変。
*30)胸腔ドレーンは、空気を抜くのが目的なら「中鎖骨上第2肋間」、液体なら「中後腋窩線の中間の第4・5肋間」で行う。外傷性気胸の時は大抵、一緒に血も出ているので第4・5肋間からやる。
*31)左胸に思い切ってトロッカーを刺したら、心臓まで刺さっちゃった!という笑えない事故が結構ある。ゆっくり入れよう。
*32)外傷による出血がある時は、大量輸液が基本。体重あたり20ml(つまり成人なら1000ml)を一気に入れて、血圧を見よう。これで血圧が回復しなかったら輸血を考えなくちゃいけない。
*33)骨折した肋骨が肺に刺さって、肺から出血している状態。医者っぽい言葉で書くと、緊張性気胸+肺挫傷+血胸。
*34)大量出血により、急激に血圧が落ちることを心配している桃山先生。
*35)Focused Assessment with Sonography for Traumaの略。ファストと読む。胸・腹・心臓に致命的な大出血がないかをエコーで素早く確認する方法。ABCにおけるCにあたる。ここらへんの大出血 は見過ごすと数分で死に至るので、早く見つけることが大切。下図のようにエコーを当てる。

①心窩部 → 心タンポナーデはないか?
②モリソン窩 → 肝臓・右腎臓の損傷、腹腔内出血はないか?
③右肺 → 血胸はないか?
④脾腎境界 → 脾臓・左腎臓の損傷、腹腔内出血はないか?
⑤左肺 → 血胸はないか?
⑥ダグラス窩 → 腹腔内出血、後腹膜出血はないか?
*36)エコーでは見つけきれない実質臓器の出血や、少量の腹腔内出血を確認するために、造影CTを撮る。これもABCのCにあたる。
*37)造影剤のアレルギーは、軽い皮膚の痒みからアナフィラキシーショックを起こして死んでしまうものまで、実に様々。実際に死んでしまう例は40万分の1とかなりレアだが、死ぬような副作用の可能性がある以上、同意書を書いてもらう。
*38)前回も書いたように、CT室は急変のメッカ。バイタルが変化しそうな患者さんの時は必ずモニターを持っていく。被爆覚悟で隣に付いていなくてはならないことも多い。

CT室にて伝票を書きながら

赤城くん:造影CT、どこ撮りますか?
桃山先生:(ニヤリ)どこを撮ると思う?考えてみ。
赤城くん:えっと…。気胸だったから胸。あと、腹腔内を見るため腹部・骨盤。あと、頭ですか?
桃山先生:その通り!
赤城くん:限りなくすべてに近いですね。
桃山先生:交通外傷はね、仕方ないのよ。*39)お、造影始まるわよ。赤城、中に入って見て*40)。
赤城くん:はーい。
桃山先生:(画像を見ながら)お、トロッカーいい所に入ってるじゃん。合格合格。青葉は手技だけは上手いわよね!腹腔も頭も、何もないわね。さて赤城君、単純はどこを撮るかな?
赤城くん:…左下腿。
桃山先生:あったり前でしょ、あんなに折れてちゃ。他よ、他。
赤城くん:……。
桃山先生:DよD!頭と首!この間やったでしょ!?*40)その次にやっと四肢よ!ちょっとでも打ったとか、痛いところあったら全部撮ってね。*41)
赤城くん:てことは、頸部3方向…。右下腿2方向*42)…。あと両手ともキズあるから右手・左手各2方向。左膝も擦ってるから左膝2方向プラス、sky line view*43)。はーすげぇ量。クラクラする…。 放射線技師さん:僕もクラクラしますよ。
赤城くん:そうですよね…。

*39)とかく交通事故は金にまつわるモメごとが多い。最初は大丈夫だと思っていたのに実は骨折していた、もう示談しちゃったよ!この治療費は誰が払うんだ!だの、保険会社から多額の金を取るために痛くもないのに痛いふりをするだの、枚挙にいとまがない。
結果、少しでも怪しい点は過剰なほど調べる事になる。悲しいけどそれが交通事故の診察の鉄則だ。
*40)造影剤を静脈から流すとき、血管から漏れていると検査にならないし、かなり大量の造影剤が皮下に溜まってしまう。造影剤の流れを横でチェックし、見届けたら被爆しない内に部屋から逃げる。
*41)外傷のABCDEのDは前回のこのページを参照のこと。
*42)「交通事故は疑わしきはすべて検査」の代表的な例。
*43)普通の科で当直しているのなら、四肢の骨は正面・側面の2方向撮っておけば十分。キミが整形外科なら話は別だが。
*44)膝の皿(膝蓋骨)を斜め45°空から撮るような撮影のこと。皿の骨折が見やすい。

ようやっとレントゲン撮影終了して 外来に帰ってきました

桃山先生:出血量はどうなってる?
青葉くん:はじめに500出ただけで、後はほとんど出てませんね。
桃山先生:このくらいならオペなしでいけそうね*45)。
赤城くん:採血結果、Hbも生化も大丈夫です。*46)
桃山先生:よっしゃ。あとは、骨折かー。整形呼ぼうかなぁ。とりあえず今日のオン コールのベルでも鳴らしてみるか。まだいるかも知れないし。*47)おっ、つながった。あ、整形の先生ですかー!?……来てくれるってさ。よかった。さー あとは、家族が来たらムンテラ*48)して、今日一日はICU*49)がいいかな。明日以降は出られそうね。

*45)胸部外傷の出血の量があまりに多いと、手術をして血を止めなくてはならない。①最初の出血量が1000ml以上②開始後1時間で1500ml以上の出血③その後200ml/時間以上の出血 の3つのうち一つでも満たすと手術適応になる。今回は大丈夫そう。
*46)出血による貧血はないこと、肝酵素・腎機能正常=肝・腎損傷がなさそうなこと、をここでも確認。
*47)整形外科もオンコール制のようだ。といっても整形の先生は残業していて帰っていなかったっぽい。これでまた帰れなくなる。不憫だ。
*48)独語Mundtherapieの略。直訳すると「口で治療する」。よーするに病状を本人や家族に説明すること。上手いムンテラをすると、患者さんの不安や不満が落ち着いて、本当に症状が緩和したりするから不思議だ。
*49)intensive care unit集中治療室の略。各病院に必ずある、最も重症で手間のかかる患者さんための部屋。1秒も絶えずにモニターし続けている状態になるため、ベッド数が 少数固定である。大きいオペ後の患者や病棟の急変患者など続々と入ってくるので、軽症になってきたらすぐに一般病棟へ追い出されるのが常。

彼女:あのー、私、まだでしょうか…。
青葉くん:あー、彼女!!
赤城くん:すっかり忘れてた……。
桃山先生:…ていうかもう1時じゃない。あーぁ、日本代表が~。青葉、赤城、彼女のことは頼んだ!あたしICUで入院指示出してる。今と全く同じ事を、かなり端折ってやればいいから!あんたたちなら大丈夫!じゃ!
赤城くん:……押しつけられた。
青葉くん:こりゃまだまだ寝れねえな…。