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2020年 ねじ子の楽曲ランキング(後編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

6位 ご唱和ください 我の名を! / 遠藤正明

特撮番組『ウルトラマンZ』オープニング主題歌。テンションが上がる最高の曲。
『ウルトラマンZ』は最高の特撮ドラマだった。ウルトラマンは『Z』以降、大躍進している。私が思うその理由は以下である。

・Zのシナリオが完璧、完璧、完璧。
・ZのSF考証もバトルも映像も巨大特撮も最高。
・坂本監督は最高です!
杉原監督がルパパトで見せたあのグルグルまわるカメラワークを、坂本監督がリュウソウジャーで学び、ウルトラマンZに持っていったことがよくわかる映像美だった。あのカメラワーク、本家の戦隊では最近ぜんぜんやってくれないんだよね……。どうして……。
そして坂本監督の過去作リブートの巧みさは、あいかわらず卓越している。『MOVIE大戦アルティメイタム』のときに坂本監督は「石ノ森アベンチャーズやりたい」って言っていた(できていない)。それを実際に実現しているのが『ウルトラギャラクシーファイト』である。太っ腹にもYouTubeで無料配信である。世界中のファンが同時に盛り上がっている。ウルトラマンは古くなっておらず、10年前に買った指人形すらも現役のおもちゃとして使える。
・人物描写が最高だった、とくにヨウコ先輩とマッド・サイエンティスト・ユカ。キラメイジャーの女性描写の前時代ぶりと女子陸上選手をお尻のアップから撮るカメラワークとは雲泥の差であったと言わざるをえない。
・思わせぶりで、たっぷりと過去作を持つヘビクラ隊長の怪演。「ヘビクラの過去を知りたい!」というZ新規視聴者の欲求と、過去作がネットで見やすくなっているウルトラのネット環境の良さが、ぴったりとはまった。2021年12月現在ではついに、ニュージェネレーションのすべてがAmazonPrimeで見られるようになっている。これらは今のウルトラの強さの源だと私は思っている。
・ネット配信の充実ぶり
最も重要。『ウルトラマンZ』は、TV放送からすぐにYoutubeやAmazonPrimeで見ることができたため、簡単に本放送に追いつくことができた(緊急事態宣言のステイホーム中に見始めた)。ネット上での特別番組や見逃し配信も多く、子どもも親も非常にアクセスしやすい。コロナの自宅待機時期に放送されていて、一話も飛ばさずに全話放送できたことも(偶然のタイミングであったのだろうが)よかった。どこにも出かけられない子どもと親の憂鬱を、『Z』は大いに晴らしてくれた。

・ソフビの出来がよく、値段も手頃で、怪獣も含めたコレクタブルな玩具として充実している。ライダーの小物商法よりも廉価だし、一年で使い捨てにされない。出番も活躍もある。
ウルトラマンのソフビは『ウルトラマンギンガ』当時に一新され、サイズがぐんと小さくなった。私は同時とてもがっかりしたし、ぶーぶー文句も言った。言ったけど、いやぁ、私が完全に間違っていました。すみませんでした。
(現状の「仮面ライダー」ソフビは値段の高さと無駄な大きさと塗装の少なさが目立ちすぎるし、現状の「戦隊」のソフビはついにレッドと追加戦士以外はろくに販売されなくなってしまった。ギンガ当時のウルトラソフビの展開は、きちんと時代に沿った戦略だったんですね……。)
・怪獣の人気が根強い。過去怪獣を最新の番組に出せるシステムを、十年掛けて作り上げた。ヒーローと戦わせるブンドドの相手役として最適である。(仮面ライダーの怪人はおもちゃとしてなかなか根付かないのか、敵もライダーばかりになってしまった。)

・DX玩具の出来のよさ
ウルトラマンZの変身玩具『DXウルトラゼットライザー』は、10年に一度の傑作玩具『仮面ライダーオーズドライバー』と同じシステムであった。(そして偶然なのか何なのか『仮面ライダーセイバー』の三冊変身システムもオーズドライバーによく似ていた。)
私はDXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくて、いてもたってもいられなかった。しかし時は緊急事態宣言下である。おもちゃ屋さんも営業していない。仮面ライダーオーズのDX玩具を持っている子どもたちは、『ウルトラマンZ』をめちゃくちゃ楽しく見ているものの、DXウルトラゼットライザーとウルトラメダルにあまり興味を示してはくれなかった。長男には、はっきりと「うちにはオーズのベルトとメダルがあるから、Zライザーは別にいいかな」と言われてしまった。彼らの年齢的にも「なりきり」の欲求がすでに希薄になりつつあり、玩具の可動システム自体に興味が移行している時期ゆえの当然の反応なのだと思う。でも私は、DXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくてしかたがなかった。

コロナが落ち着いた7月頃に、私はようやくおもちゃ屋さんへ行くことができた。久しぶりに行ったおもちゃ屋からは、玩具を直接さわれる「試遊コーナー」が撤去されていた。そりゃそうだ。セブンガーはどこへ行っても見る影もなく、ウルトラメダルセットも売り切れの店が多かった。

たまたま仕事で東京駅を通ったとき、専門店・ウルトラマンワールドM78 東京駅店にて私は初めてDXウルトラゼットライザーをさわることができた。店員のお兄さんが飛んできて、本当に丁寧に、うれしそうに使い方を教えてくれた。東京駅のウルトラショップの店員さんはウルトラマンが大好きな人たちばかりで、いつも本当に親切にウルトラマンを教えてくれる。私は何年たってもウルトラマンと怪獣の解像度に自信がないので(頼まれたものと違うものを買ってしまいそうになる)いつも店員さんに助けてもらっている。コロナで会話がマスク越しになっても、以前と変わらず親切な店員さんが饒舌に商品を教えてくれることが嬉しかった。知らない人と好きな作品について長い時間話す、という体験自体も本当に久しぶりだった。
店員さんもきっと嬉しかったのだろう、私もいろいろと質問された。Zからウルトラマンを好きな子どもが保育園にどんどん増えていること、ほかに流行っているヒーローのこと(鬼滅と答えた)、どの媒体でZを見ているか(店員さんはYouTubeだと思っていたようだが私はAmazonPrimeと答えた)、ヘビクラの過去を知りたければ何を見ればいいのか、これからYoutubeで新作の配信が始まるからぜひ見て欲しい!おすすめです!ということ……いろいろ教えてくれた。
おそらく私よりも一回り以上若い店員さんから、ウルトラマンが大好きで大好きでしかたがないという激情があふれ出ていた。それはコロナ禍で人と人が分断されている中、私が久しぶりに感じる生命の息吹であった。10年ほど辛酸をなめながら地道に蒔きつづけていたウルトラマンというコンテンツの種が、ついに芽吹き美しいつぼみをつけ始めている。彼は再生の瞬間に立ち会っているのだ。その高揚感がこちらにも痛いほど伝わってきた。コロナによる圧倒的閉塞感と不景気の中で感じる、数少ない沸き上がる情熱に私も嬉しくなった。

7位 ポケモンしりとり / ポケモン音楽クラブ(増田順一/パソコン音楽クラブ/ポケモンキッズ2019)


アニメ「ポケットモンスター」エンディングテーマ。

2020年から始まった新しいアニメシリーズ、無印の「ポケットモンスター」。そのEDが『ポケモンしりとり』である。子どもたちと一緒に歌える、遊び歌だ。ポケモンセンター内の回復音のSEがジングルとして入るところがよい。「しりとりで一回『ん』になって瀕死になったけど、また生き返った」ということがよくわかる。子どもたちの歌声もいい。

この曲は今後、長く使える。これは私事であるが、たくさんの子ども達と、ある程度の時間を一緒に潰さなければいけないとき(電車を待っている、渋滞中のバスの中、遠足の合間の待ち時間など)私ができる最も効果的な遊びが「ポケモンしりとり」である。ポケモンの名前だけで、ひたすらしりとりをする。たとえ初めて出会った子どもばかりであっても、子どもがポケモンを知っていたら、これで30分は潰せるのだ。大変ありがたい。私はこれまでの人生でこの手段をすでに8回ほど使って、日常における危機的状況を乗り切っている。

ちなみに、子ども達がしりとりに飽きたら次は「ポケモンものまね」をする。LoVendoЯの宮澤茉凜ちゃんが当時ブログでやっていた「スボミーのものまね」からアイディアを得たジェスチャーゲームだ。ポケモンのポーズのマネをして、何のポケモンか当てる。

例:
・首を少し震わせた後に大きく左に傾ける → 「ミミッキュだ!」
・後ろから棒を抜いて振り回し、後ろに戻す → 「テールナー!」
・パントマイムの壁→「バリヤード!」
・タップダンスして両手を広げる→「バリコオル!」
・リフティングの後シュートの仕草→「エースバーン!」
・口を丸く開けて両手のひらを前に向けてゆらゆら左右に揺れる→「ルージュラ!」
など。これで15分は潰せる。

ポケモンしりとりもポケモンものまねも、子どもたちと一緒に長い時間を楽しく安全にすごせる遊びである。暇つぶしの道具を持ってきていないときにおすすめします。

前アニメシリーズであった『ポケットモンスター サン&ムーン』は、かなり思い切って低年齢向けに振り切った内容だった。永遠の10歳であるサトシが――ポケモン以外は頭の中に存在しないサトシが――初めて学校に通う描写がされた。学校生活の中で、ポケモンとのふれあいを全面に押し出す内容であった。

その反面、バトルは非常に少なく、タイプ相性などのポケモンバトルシステムの説明もほとんどなかった。ポケモンバトルが大好きな私や、高学年の長男にはバトル描写のない『サン&ムーン』は極めて不評であったが、保育園児である次男やその周囲の子どもたちには大人気であった。『サン&ムーン』は一話ごとにわかりやすく、入りやすく、親しみやすい。そのように作られていた。つまり対象年齢を下げたのだ。そしてそれは成功した。園児や小学校低学年児に『サンムーン』は大受けであった。YoutubeやAmazonPrimeにすぐにアニメが上がって世界中ですぐに見られるようになったのもよかった。同時期に『ポケモンGO』の大ブームも起こり、ポケモンはその対象を幼児から高齢者まで広げた。

その後、満を持して新作ゲーム『ソード・シールド』が登場。アニメは何も冠しない『ポケットモンスター』となった。ポケモンはいまや、3歳くらいの児童から社会人までの男女ともに大人気である。デジタル機器の普及によってゲーム開始年齢が低年齢化した影響もあるだろう。10年前は「ゲームは早くても小学校入学から」だったように思うが、いまや3~4歳からゲームを始めている子どもが多い。「お気に入りYoutuberのゲームプレイ動画を勝手に何時間も見続けている現状よりは、自分でプレイさせた方がマシだ」という親の(あきらめに近い)判断もある。

ポケモンが未就学児にも大人気になって私は素直に嬉しい。『XY』のころ、ポケモンをやっている未就学児は私の息子しかいなかった。園や学童の先生たち(20代が多い)には「彼とだけはポケモンの話題ができて嬉しい」と言われていた。あの頃、ポケモンバトルの解説動画をコンスタントに上げてくれていたのはニコニコ動画におけるもこう先生しかいなかった。私はポケモンバトルのすべてを「ポケモンXY 新・厨ポケ狩り講座!」で学んだ。時代が変わり、もこう先生がYoutube動画配信で大金を稼いでいるっぽいこともこっそり嬉しい。

8位 私がモテてどうすんだ / Girls²


映画「私がモテてどうすんだ」主題歌。

2020年はねじ子史上、最も「映画館で」映画を見た年でもあった。このご時世ならではである。
①休日が不定期な上に、友人と遊べない
②一人で時間を潰すしかない
③(感染対策)人混みはいやだ。すいているところがいい
④(感染対策)外食はまったく落ち着けない

この4つのコロナ対策を解決してくれる娯楽が、郊外の映画館いわゆるシネマ・コンプレックスであった。なんといっても客席はガラガラである。それでも毎日、朝から晩まで営業してくれている。一席とばしで席を販売しているので、ソーシャルディスタンスが「完全に」保証されている。これは本当に快適かつ安心であり、孤独な私に合っていた。コロナが終わっても市松模様で売りつづけて欲しいくらいだった。

映画館独自で様々なキャンペーンを行っていて、サービスもよかった。ドリンクが飲み放題だったり、ポップコーンも食べ放題だったり、どちらも半額だったりした。映画館内は周りに人がいないうえに、正面を見て食べればいいのだから「外食の感染リスク」はほぼゼロである。

映画自体のチケットも安かった。一日見放題・半額キャンペーン・ポイントバックなどなど、人寄せのため様々なキャンペーンを行ってくれていた。そしてそれでも、客席は空いていた。たった一人の観客で貸切状態で映画を見たのも人生で初めてであったし、2本続けて見る体験も初めてであった。そんなこんなで私は2020年、人生で一番多く、映画館で映画を見た。「こんな中でも私は文化を支えているんだ!」という優越じみた使命感と、「私は困っている人につけ込む詐欺師のような客だな」という申し訳ない感情の両方が沸いた。

名作も迷作も洋画も邦画もアニメも実写も、とりあえず広告で何かがひっかかれば見た。ちなみに2020年個人的ベスト映画は『劇場版騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』と『アナと雪の女王2』、ワーストは『がんばれいわ!!ロボコン』だったような気がするのだが、『ロボコン』の後の『スプリンパン まえへすすもう!』があまりに、あまりに衝撃が大きかったため正直『ロボコン』の内容をあまりよく覚えていない。私の心もスプリンパンのお母さんと一緒に遠い夜空に飛ばされてしまったようだ。『スプリンパン』はAmazonPrimeに入っているので皆さんもぜひ見てほしい。「5分でいいから見て」というコメントであふれているが、まったくもってその通り。5分でいいから見て欲しい。サブ・スクリプションで見るぶんには最高の映画だ。映画館で見ていると、このドラッグ映像がどこまで続くのか本当にわからないから(『スプリンパン』は3本同時上演の中の真ん中だった、しかも多くの観客の子どもの本命は最後に上映される『人体のサバイバル!』であった)血の気が引くほどの恐怖を味わうことになる。鑑賞中に「もうどうしたらいいかわからないよ」と思った映画は初めてであった。横で見てる子どもにも、なんて声をかけたらいいかわからなかった。困惑で唇が震えた。終了時には3時間ロードショーを乗り切ったほどの疲労感を味わうことができた。あ、『人体のサバイバル!』は本当よくできたいいアニメでした、原作も大好きです。

スプリンパンはさておき。映画『私がモテてどうすんだ』を私は一人で見た。客席には私一人しかいなかった。どこの席に座ってもよかった。でも私はいつもと同じように、廊下に出やすくトイレに行きやすい後方の通路脇の席で映画を見た。(ちなみに続けて映画『ソニック・ザ・ムービー』も見た。『ソニック』はアメリカで受けるに決まっているヒーローものとして非常によくできており、ハリウッドのマニュアル通りの完璧な筋書きで、だからこそ、私があえて書かなくてはいけないこともなかった。)

『私がモテてどうすんだ』は、思春期女子が「恋愛すること」ではなく、「いま誰とも恋愛をしていないこと」を肯定する珍しい映画であった。思春期女子にまとわりつくルッキズムと、外見が変わることによって(中身は一つも変わってないのに)周囲(特に異性)のからみつくような視線の質が変化することへの嫌疑感と、努力する自己への肯定感を、時代に合わせて上手く表現していた。

女子高生の頃の自分であったら、映画の中に入りこみ、主人公または主人公の親友あまねちゃんにアイデンティファイして一喜一憂していたに違いない。「私のことを描いた映画だ」と思っただろう。そしてそれは「私を肯定してくれている映画だ」という自己肯定につながったであろう。主題歌の「行くぜ ベイベベイベ FU FU GiRL 恋も愛もくだらないわ!」と宣言するサビの歌詞は「腐女子」とダブルミーニングであり、その陳腐さにとまどい笑いながらも、歌詞に大いに共感し、励まされ、脳内に繰り返し鳴り響くアンセムになっていたに違いない。

しかし私はすでに女子高生ではない。

この映画の正しい見方。それはイケメン俳優目当てでシネコンに来た女子高生二人組が映画を見た後に、階下のフードコートでたこ焼きとフライドポテトを食べながら、「映画の中のどの男子が好みか」をきゃあきゃあと笑いながら伝えあうことなのである。親友といえる女子と映画を見た後に、映画館で飲みきれなかったメロンソーダとコカコーラをストローですすりながら「自分は五七派か、七五派か」を真剣に話しあうこと。かけがえのない、その年代でしか持てない貴重な時間を同性の友人と共有すること。それこそがこの映画の正しい鑑賞方法である。

しかし私は女子高生ではない。子持ちの中年女性だ。年齢は彼女らの親に近い。すっぴんでボロボロの仕事帰りだ。鞄の中には、100円均一で買ったレインコートがぐしゃぐしゃに丸まって入っている。なーんも防護具がない環境を体験した2020年4月以来、医者の仕事に行くときは必ず持ち歩いている防護服代わりのレインコートだ。映画館階下のフードコートはガラガラで、映画を見た後に語り合っている女子高生など一人も見当たらない。そんな世情であることも悲しい。

ちなみに私は七五派だ。誰も聞いてない。そう、誰も聞いていない。そんなことを聞いてくれる友達は、この世にはいるけど、いま私の隣にはいない。

私にだって級友もママ友もパパ友も存在する。でもみんなそれぞれ忙しい。しかもコロナである。育児に仕事にいっぱいいっぱい、追い詰められて目が回るほどであるだろう。さらにコロナである。こんな状況で医療従事者に会うなんて、恐ろしいに違いない。子どものお迎えに行って、保育園の前ですれ違うときだって、お互い会話もせずにおじぎ程度ですませているというのに。このご時世で誰が医者なんかと会って話したいものか。今日の空き時間だって、たまたま予期せずできたものだ。仕事終わりの奇跡的にできた空白の時間に、私は一人でふらっと映画館に寄ったのだ。感染症流行中のこんな中でも、なんとか楽しめる余暇を見つけ出したのだ、たった一人で。そんな突然の気まぐれに、誰が付きあえるものか。

映画館から出たら外は霧雨であった。私はここまで自転車で来た。くしゃくしゃのレインコートを無言で広げた私は、びしょ濡れになりながら自転車をこいで家へ帰った。

※本家MV。ここまで歌詞と映像に関連性がないと、見ていて何かを語ることができない。Girls²には『ガールズ×戦士』シリーズで毎週見ていた女の子たちが所属しているはずなのだが、モノクロ眼鏡で同じような衣装のためそれさえも区別がつかない。名曲なのに、もったいないと思う。

9位 紅蓮花 / Lisa

アニメ『鬼滅の刃』の主題歌。曲自体は2019年の曲である。

2019年末にはすでに、音楽会で保育園の子ども達が(客席の小さい子ども含めて)自然発生的に『紅蓮花』を大合唱していた。「鬼滅はこんなに小さい子どもたちにも人気なのか!」と驚いた。「人があんなに簡単に死ぬのに!サイコロステーキになるのに!まじで!」という衝撃である。もちろん私の子どもたちも大声で一緒に歌っていた。彼らは勝手に『鬼滅』のアニメをAmazonPrimeで見ていたのだ。いつのまに。小学生の間ではアニメ化の前から『鬼滅の刃』の単行本が人気だったのは知っていたが、まさかここまで低年齢に浸透していたとは思わなかった。

さきほど「パウ・パトロールは戦隊ものである」と書いたが、『鬼滅』もまた「戦隊もの」なのである。「パウ・パトロール」と違って『鬼滅』は戦隊ものと直接かぶってはいないし、かぶせてきてもいない。ただ、消費者として子ども達が味わっている「要素」が、鬼滅と戦隊もので非常によく似ている。わかりやすく色分けされた個性の強いキャラ、一人では弱い主人公たちがチームとなって鬼に勝つ、頼れる複数の年長者の存在、滅私の象徴であるリーダー、これら全員が一丸となってより強い敵を少しずつ倒していきながら成長する……という物語構成が、たまたま戦隊とかぶっているのだ。例えばオタトークをするときに「チームの中で少し引いているようなクールで強いキャラが好き」という場合、昔ならば「戦隊ものでいうブルーのような」と言えば通じたのだが、今だとこれでは通じにくい。「鬼滅の冨岡義勇のような」と言うと通じてしまう。

非常事態宣言が終わった後にひさびさに近所の大型玩具店へ行ったら、『鬼滅』が一列を占めるようになっていた。戦隊の列はなくなり、仮面ライダーの列もなくなり、そのふたつはまとめて1/2列の棚に押し込められた。かわりに鬼滅と呪術とウルトラマンソフビとすみっこぐらしとアニアとポケモンと任天堂関連商品が、その場所を少しずつ埋めている。悲しい、と同時に「そりゃそうだろうな」とも思う。だって鬼滅の登場人物は男女ともに強く優しく、弱者を搾取する独裁者への誘いに決してなびくことがなく、滅私で弱者を救い続ける正しいヒーローばかりだから。

もちろん煉獄さんの鎮魂歌『炎』も好きだ。『炎』を聴くと私の目は勝手に涙を出す。条件反射のようにこの曲を聴くと涙が出てしまう。困る。だから『炎』は「泣きたい」という気分のときにしか再生できない。

10位 ドンじゅらりん / 「みいつけた!」より

(カバー)

NHK Eテレ、3~5歳児向けの15分番組『みいつけた!』内の一曲。番組の主人公であるスイちゃん(6歳・四代目)が歌っている。作詞作曲はくるりの岸田繁。岸田バージョン配信希望。

くるりは今、私の中で第三次黄金期を迎えている。

第一次:アルバム『図鑑』のころの初期衝動ロック。
第二次:『ワールドエンドスーパーノヴァ』の電子打ち込み。
第三次:今。
教育テレビの5分間番組っぽいコンセプトに基づいた作り込みが随所に見られて楽しい。この「おふざけ感」はつんく♂っぽい、ハロプロっぽいとも言える。もちろん、くるりのほうがずっとずっと洗練されていますが。というわけでハロプロの事務所さん、いまこそ岸田氏に作詞作曲をオファーしませんか!?確実に断られる気もしますが!

アルバム『天才の愛』も最高でした。とんでもないタイトルですが最高です。2021年ねじ子の楽曲大賞最有力候補はくるりの『野球』か『コトコトことでん』です。

ここからは2020年ハロプロ楽曲大賞に続きます。続きますが、高木紗友希ちゃんの突然の消失をまだ現実と受け止めきれていない私に、果たして長文が書けるのでしょうか……。(2021/11/20)

会場推しとハロプロ新春おみくじ

ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザ新春恒例のハロープロジェクトコンサート、略称「冬のハロコン」です。毎年1月2日の中野サンプラザから始まり、全国を巡業してまた2月に中野へ帰ってきます。ハロヲタの初詣といえば中野サンプラザなのです。

私はハロコンのチケットを取っていませんでした。COVID-19の流行がどうなるかさっぱりわからない情況の中、チケットを予約することができなかったのです。

三賀日のたまたま空いた日に、私はひとり中野サンプラザへ向かいました。チケットもないのに。いわゆる「会場推し」です。チケットを持っていないからコンサートに入れないのに、会場前に行くことをハロヲタは「会場推し」と呼びます。雰囲気を味わうため、オタクに会うためだけに行くのです。COVID-19流行によって世界中の医療従事者が抱える孤独と分断を癒やすために、私はかつての仲間であるハロヲタの姿をひとめ見たかったのです。知り合いもおらず誰の名前も知らないのに(私は孤独なおたくです)みんなに会いたかった。ハロヲタの熱気と会場の雰囲気を久しぶりにこの身に浴びたかった。「私の帰る場所はなくなってなどいない」「私には帰れる場所があるんだ」と、ただ思いたかったのかもしれません。それは「新春ハロプロ詣」というよりも、「ハロヲタ詣」とよぶべき衝動でした。

オミクロン株の感染力の高さにあわせて、2022年1月に入ってから東京都の新型コロナウィルス感染者数はぐんぐんと伸び始めていました。「ハロコンは2月の中野サンプラザ凱旋に行けばいっか」と思っていましたが、それでは遅そうです。このままではもう2月までもたなそうだ。2月にはもう感染が拡大してコンサートが開催できない、または開催されたとしても私が参加することはできないだろう。そう判断した私は、1月某日、ハロコンの当日券販売に並ぶことに決めました。

当日券は抽選販売です。「ハロプロ新春おみくじ」ともよばれます。今年の冬のハロコンの倍率は「毎回150人程度並んで、10人程度が当たる」くらいでした。当選確率は1/10~1/20といったところでしょうか。

「ハロプロ新春おみくじ」はこういった仕組みになっています。
・定時に並んだ人数分の竹串が用意されて、小さい筒に入れられます。
・並んだ順番に前の人から、その竹串を引いていきます。
・当たりくじの先には赤い印がついています(これは毎回変わり、当たりが青だったり、当たりが無色で外れくじに赤や青が着色されていることもあります)。

当選確率1/10~1/20ですから、これは「外れて当たり前」です。寒空の中ひとりで中野サンプラザまで行くこと、じっと当日券販売開始の掛け声を待つこと、そのために家でしっかり防寒対策をとってくること、ソーシャル・ディスタンスを取って並びつづけること、前公演が終わって会場から出てくるオタクたちの満足そうな笑顔をながめること、彼らの高揚を感じること。これらすべてがいわゆる「前戯」であり、ハロコンという「お祭り」の一部です。ディズニーランドのアトラクションの行列に並びながらポップコーンを食べている時間や、サッカースタジアムへ続くさわがしい徒歩の道のり、競馬場でテイクアウト・フードを片手にパドックをまわる馬をながめている時間と同じです。それらの過程をふくめてイベントであり「お祭り」なのです。私の正月ハロコンはすでに始まっています。たとえチケットが当たらず、このまま中野ブロードウェイに寄ってフィギュアを一通りながめたあと、家へ帰ることになっても。

私のくじの順番が来ました。あまりの寒さにふるえる手で、私は竹串をいっぽん抜きました。竹串の先端には、赤い色が付いていました。その意味がわからずぽかんとしていた私に、係員さんが大きな声で「おめでとうございます!」と声をかけてくれます。私の後ろで行列していたオタクの皆さんの拍手の音を聞いて、私は初めて自分がチケットに当選したとわかりました。

ハロコンの当日券抽選に並んでいるオタクたちは、数少ないチケットを奪い合うライバルです。それなのに、彼らは自分より前で当たりが出ると、その当選を祝って拍手をするのです。当たりはどんどん減っていくのに、当選した見知らぬオタクへ「おめでとう」の拍手をするのです。古き良きハロヲタの素晴らしさがよくあらわれた光景だと思います。私の心は正月から喜びに満たされ、感動的な出来事となりました。ザッツオールライト。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,PEACE,PEACE。Wow Wow,Wow Wow,Wow Wow,YeahYeahYeah !

嬉しさのあまりそこらへんの石のベンチで撮った記念写真↑

まさに公演名のとおり、LOVE&PEACEです。これから私が入るのはPEACE公演。公演のテーマ曲は『ザ・ピ~ス!』。まさにその通りです。ハロプロもハロヲタも素晴らしく、世界は平和で愛に満ちている。さっきまで私は、私を取り巻く世界がオミクロン株に侵食されはじめている現状にひたすら絶望していたのに。いまは世界が愛と平和に満ちている!そう思える瞬間でした。神様、仏様、わたしにハロコンを見せてくださってありがとうございます。

ハロプロの「現場」に入ることができたのは、Ballad武道館公演以来1年半ぶりでした。
かなとももさゆきもまーちゃんも卒業してしまったので、今の私はこの手でゆらすペンライトの色がありません。通俗的な言葉でいえば「推しメン」がいない状況です。ハロメン全員が出てくる場面において、ペンライトを何色にしたらいいのか、自分でもわからないのです。私のキングブレードはズッキがいる間は緑、桃子がいる間はピンク、そしてその後はずっと朋子のりんご色に輝いていました。その色を選ぶことに、なんの迷いもありませんでした。でも今はそうではない。こんなにフラットな気持ちでハロプロを見るのはひさしぶりのことです。

1月9日PEACE公演のベストアクトは『ジェラシージェラシー』の上國料萌衣ちゃんと『背伸び』の北原ももちゃんでした。かみこはただでさえ歌がうまかったのに、さらに歌唱力が上がってる!そしてなんといっても!表現力が!抜群に上がってるよ!『ジェラシージェラシー』がぴったり合っていて、本当にめっちゃジェラシー持ってそうな感じがした。かみこの歌からヒリつくような強い情念を感じたのは初めてだった。すごかった。かみこの圧倒的表現力に敬意を表して、その後はずっとペンライトをかみこのアクアブルーにしましたよ。楽しかった。2022年のハロプロは私にとって一推しを探す行程の旅になりそうです。(2022/01/15)

追記:結局オミクロン株の蔓延による第6波によって緊急事態宣言が発動し、2022年2月の中野サンプラザ凱旋公演は中止になった。予想通り。誰も悪くない、悪いのはウィルス。悪いのはウィルスだけ。

おたく活動備忘録 : 佐藤優樹卒業公演をライブビューイングで見た

佐藤優樹ちゃんの卒業公演へ行った。武道館はもとより、映画館のライブビューイングですらチケットがぜんぜん取れなかった。ようやく買えたのは、練馬区大泉の駅から遠く離れた映画館であった。わざわざ行った。遠かった。映画館で一番大きいスクリーンが使われていたが、それでも会場は満席だった。

まず、モーニング娘。の単独コンサート自体がとってもひさびさだ。2020年の新型コロナウィルス流行以来、ハロプロで定期的に開催される公演はハロコンだけになってしまった。正確に言うと、5つのグループをシャッフルして4つに分け、入れ替わりで公演するコンサート(花鳥風月)だけになった。グループごとの単独コンサートが行われるのは、誰かが卒業するときのみ。もちろんそれは大人気公演になり、チケットは争奪戦になる。ハロプロ一番人気のまーちゃんの卒業コンサートともなれば、チケットが取れるはずもない。武道館では狭すぎる。

モーニング娘。の単独コンサートはファンタスティックで魔法のような音楽体験を私にくれる。この高揚は他では得られない。ファンのコールなしでも、ぜんぜん退屈しなかった。

セットリストは新しいアルバム「16th~That’s J-POP~」中心でよかった。『愛してナンが悪い!?』と『このまま』が聴けてよかった。そもそも新アルバムが出てから、モーニング娘。が単独公演をするのもこれが初めてなのだ。ライブで聴くとどの曲も新鮮に生まれ変わる。生歌と表情とダンスがステージにはえて、別物になるのだ。シングル先行曲の『よしよししてほしいの』はやはり最高であったし、『ビートの惑星』も単純明快で楽しかった。

私の脳と体は映画館を出たあとも16ビートに細かく揺さぶられている。これはおそらく今日の夜、ベッドに入ってからも続く。

これは私の主食だ。

私はモーニングの単独コンサートが開催されなかったこの二年、いったい何を食べて生きてきたんだろう?本気でわからない。ひょっとしたら死んでいたのかもしれない。

モーニング娘。はつんく♂さんという最高の農家が腕によりをかけて作ってくれている白米だ。またはつんく♂さんという最高の料理人が出してくれる最高のディナー。実際のモーニング娘。の名前の由来は喫茶店のモーニングセットであり、トーストとコーヒーとサラダとゆで卵が食べられて、みんなが気軽に親しめるお得な朝食なんだけど、私にとっては最高のごちそう。一番のメインディッシュだ。

私はいま混乱している。足に力が入らない。こんな経験はズッキ卒業公演以来だ。あのときも私は武道館の席からしばらく立ちあがれず、周囲の見知らぬオタクに心配そうにのぞき込まれながらも席で長いことうずくまっていた。2021年のいまの私は、映画館のロビーにすわってただただぼーっとしている。これから一人で暗い夜道を歩いて帰らなければいけないのに。

今日はモーニング娘。’14のペンライトを持ってきた。今日で何かと決別するつもりだった。’14の楽しかった思い出が、今日で終わる気がしていた。あの夢のような時間がひと段落する気がしていたのだ。

まーちゃんは’14の末っ子だった。実際はどぅーの方が年下で、さくらの方が加入は後だったけれど、まーちゃんは確実にカラフル期のモーニング娘。の末っ子だった。そして誰よりも早い速度で、毎日のように、みるみる成長した。パートがどんどん増えていった。あの頃から娘。を見ている人ならば、この感覚をわかってくれるだろう。

まーちゃんは私の娘だ。私が産んだ。そのくらいの気持ちでいたんだよ、わたしは!気持ちが悪いことに!卒業の日までどうしてそれに気が付かなかったんだろう?柳原可奈子さんは2014年当時から「私がまーちゃんを産みたかった」と宣言していたというのに!

私の娘がいま巣立つ。巣立つことを自ら選んだ。病気ゆえもあるだろう、コロナ禍ゆえもあるだろう。口惜しい。でも旅立ちを祝福したい。楽しかった’14がこれで終わる。心が千々に乱れている。どうしていいかわからない。わからないから私は、ロビーで食べきれなかったポップコーンと烏龍茶を口につめこみながらこの文章を書いている。心の中の混濁を吐き出して、いったん落ち着いてから帰ることにする。

映画館のライブビューイングのいいところは、こういったときに決してせき立てられたりせず、ゆっくり心を落ち着かせてから帰れることだと思う。(2021/12/13文筆、2023/9/18投稿)