BEYOOOOONDS夏公演と立川ステージガーデン
BEYOOOOONDS夏のコンサートツアー「NEO BEYO」ENCORE千秋楽に行ってきた。ビヨのホールコンは完成度が高い!と聞き、ぜひ一度見てみたかったのだ。
今週末、2023年9月2日・3日はすべてのハロプログループ(モーニング娘。・アンジュルム・Juice=Juice・つばきファクトリー・BEYOOOOONDS)が立川ステージガーデンでコンサートを開催した。そのすべてで当日券が購入できる状態だった。
立川ステージガーデンに私は今日初めて来た。その座席配置は、確かに「インターネットで読んだことはぜんぶ本当だったんだね……」 と感じるものであった。座席番号を確認せずにこの会場のチケットを買うことは、私にはできそうもない。
しかしここまで来たからには、何があろうと全力で楽しむのだ。「楽しむことは人間の義務なんだよ」ってつんく♂さんも言ってるし。よし。立川ステージガーデンは、人気グループの千秋楽公演でも直前までチケットが買える ところがいいね!だから私も今日来られた!あとモノレールに乗れる!奥武蔵の美しい山々が見えるよ!このまま多摩動物園まで行っちゃおうかな!?たーのしー!!天気がいいとモノレールから富士山も見られるよ!あとあと、隣のIKEAでおいしいアイス(50円)とホットドッグ(100円)が食べられる!有料トッピング(+50円)でピクルスとフライドオニオンをたっぷりかけると、さらにおいしい!暑くても寒くても雨が降っていても、IKEAという快適な環境で退屈せずに時間をつぶせるのもいいね!
立川ステージガーデンの好きなところ:
・人気グループの千秋楽でも直前までチケットが買える
・当日券が出やすい
・新しくてトイレや設備がとてもきれい。トイレが一方通行なのもよし
・ロビーが広々としてソファーが多い
・ロビーに自動販売機が多い。自動販売機のドリンクの値段も高くない。
・会場内のピクトグラムがかわいい。エレベーターの乗客もトイレの男も女も車椅子の方もみんな拳を突き上げて盛り上がってる。かわいい。
おむつ替えスペースのピクトグラム。 赤ちゃんも拳を上げて盛り上がってる。
・周辺の飲食店が豊富
・周辺で買い物や休憩やひまつぶしができる店舗が豊富。コトブキヤは店内に入るだけで楽しい。
・周辺に緑も多く、天気がよければピクニックできる
・休憩時間にIKEAで買い物ができる
・休憩時間にIKEAでごはんが食べられる
・休憩時間にIKEAの50円アイスが食べられる。おいしい
・休憩時間にIKEAの100円ホットドッグが食べられる。おいしい。私のおすすめはプラス50円して有料トッピングのピクルスとフライドオニオンをたっぷりかけること。
・IKEAで買い物する口実ができる
・モノレールに乗れる。楽しい(東京の西側の一部の住民限定)
・夜になると周辺の建物のライトアップが美しい
・スピッツの名曲『夜を駆ける』は再開発された立川駅北口で夜に遊ぶ子どもをモデルに描かれた歌なので、夜公演が終わった後に立川駅へ歩いて帰ると『夜を駆ける』の世界を疑似体験できる
立川ステージガーデンのあまり好きじゃないところ:
・一部の座席からの視界が悪い。上記の利点すべてを上回るほどに悪い。
・上記の座席ガチャを乗り越えたうえで、さらに前の人の身長/座高ガチャがある。前の人の頭が視界にかぶる席が、あまりに多いのだ。
・客が私一人ならばどの席からも十全に見えるのかもしれないが、そんな公演は存在しない。
・サイド席の場合は、隣の人の体格ガチャになる。舞台に近い側の隣の人の恰幅がよいと、視界に被ってきて手前側の舞台が見えない。ペンライトを振られるとそれが視界に入る。ハロプロでペンライトを振るな!と言うのは野暮なので、絶対に言いたくない。
・サイド席が舞台に90度の椅子、しかも固いのでステージを見ていると首や腰が痛くなる
・椅子の背中があたるクッション部分に座席番号が書かれているため、人が着席している状態で座席番号が見えない。遅く入るとどこが自分の席かわからん。
・立川駅から遠い。15分くらい歩く。雨や酷暑など、天候が荒れているときにはきつい距離だ。帰り道はとくにこの距離が長く感じる。IKEAでいろいろ買い物していると、なおつらい。(コンサート帰りなのにそんなに買うなよ……と自分でも思うが、たまにしかIKEAに行けないのでついいろいろストックを買ってしまうのだ)
・モノレールの駅ですら駅前ではない
・そもそも立川駅自体が都心から遠い。東京都民であっても遠い。東京駅も羽田空港も遠いため、遠征組にとっては相当きつい場所だと思う。日帰りができなそう。
……さて、ここからはコンサートの内容を書く。
声出し可能なホールコンサートに生で入るのは、実に4年ぶりであった。もう、ウリャオイが生で聴けるだけで嬉しい。重低音のウリャオイが好き。大好き。コロナ禍で発売した新しい曲にもコールが入っているのが嬉しい。コロナ前の定番コールがちゃんと復活しているのも嬉しい。桃々姫の元気な姿が見られたのも嬉しい。心配してたのよ!『求めよ…運命の旅人算』→『Hey!ビヨンダ』→『英雄~笑ってショパン先輩~』という新曲の流れとコールと生歌にすっかり満足して、最初の三曲だけで私は満足していた。桃々姫のトークボックスとDJみいみによる三曲の「つなぎ」のジャンクション、間奏の即興ダンスも最高だった。BEYOOOOONDSの近未来的なイメージと卓越した技術がバッチリはまっている。まんぷくだー。
写真は子どもの保育園のお道具箱から借りてきたカスタネット。ビヨのコンサートには必須らしいので、持ってきてみた。BEYOOOOONDS公式のカスタネットもある模様。
中盤でカスタネットを使ったリズムゲームが突然始まったことにも驚いた。一曲目『アツイ!』は客が自由にリズムを取っていい方式(メンバーのカスタネットに合わせるルールはあるのかな?)で、「パラッパラッパー」形式のリズムゲームであった。一転して二曲目『涙のカスタネット』は打つ場所がバッチリ指示されている「太鼓の達人」形式の目押し音ハメリズムゲーである。モニターの右から左へカスタネットのイラストが流れていき、判定枠に重なった瞬間に叩くやつだ。「太鼓の達人」じゃねえか!しかもかなり長い連打があるぞ!楽しい!なるほどこれはマイ・カスタネットあった方がいいね。もっとやりたい!
随所に入る小演劇、生ピアノ、トークボックス、ヒューマンビートボックス、みいみDJなど、他のハロではみられない要素が次々とお出しされてくる構成はめまぐるしくも充実していて、とても楽しかった。歌も上手く、ダンスも上手く、小ネタがよく作り込まれている。個々のスキルも高い。メンバーのコンビネーションもよく、ダンスも完璧に揃っている。非常によく練習されていてコンサート全体の完成度が高い。 大満足だ!!!!
「これは完成形だ!」という思いとともに、完成しているがゆえに、ここから新しい要素をどんどん入れ続けていくのは大変だろうな……という気持ちも生まれた。私はBEYOOOOONDSの単独ホールコンサート初見なので非常に満足度が高かったが、繰り返し見ている人たちは、きっとどこかで飽きてしまう。同じメニューが続くと、たとえそれが高級食材で完璧に作り上げられた料理だとしても飽きる。または「一度でいい」と思ってしまう。お客さんが「新しい要素が欲しい」と思う時期が、そろそろ来る。
新しいアイディアを練り続けるのはとても骨が折れる作業だろう。でも、スタッフの皆さんには頑張って欲しい。ドルヲタってのは常に新しい刺激を求める罪深い生き物だから。
BEYOOOOONDSはあて書きの曲が多いため、「このメンバーじゃなくちゃ絶対ダメ!」というイメージが非常に強いグループだ。でも実は、ごく少数のメンバー卒業・加入(というか入れ替わり)によってBEYOOOOONDSはさらに魅力的になり得るんじゃねーかな?という印象を私は受けた。メンバー自身および、彼女らを支えるガチオタの皆さんはどうお考えなんだろうか?
三階サイド席で首を90度にひねりながら、私はそんなことをつらつらと考えていた。ああ、首と腰が痛い。正面が向きたい。なるほど、これが噂に聞く立川サイド席か。武道館のようにセンターステージや花道を作ってくれるならば、この椅子の向きも耐えられる。真ん中にリングを置いてバスケットボールをしてくれたら最高だ。でも、そうじゃない。ステージは私の90度左方にある。ステージの方を向いてない椅子を作りながら、少しは違和感を感じなかったのだろうか?人が座っていると座席番号が見えず迷子になることといい、前や横の観客が視界にかぶることといい、全席にお客さんがいる状態を本当に想定したのか?と疑いたくもなる。リリース前にテストプレイをせずデバック不足でバグだらけのゲームをやっている気分だ。客から金を取ってテストプレイさせるのはやめてほしい。
どうやらメンバーたちは会場の評判を知っているようで、観客をていねいに気遣ってくれていた。MCで高瀬くるみちゃんは「ちょっと不思議な形だから、見えにくかったりするかな?私たちからは皆さんのこと、全員、見えてますからね!」と言っていた。ありがたい。とてもありがたいが、そういう問題ではない。私はライブを見に来たのだ。「自分の顔」をメンバーに見てもらうために来たのではない。その二つはまったく等価交換ではない。 むしろ、オタクの出席確認なんてどうでもいいんだ。そんなもんは二の次なんだよ。ライブが見えなかったら、なんのお話にも!ならないんだよ……。ごめんね、くるみん。
少なくとも
・一階席をフラットにせず段差を出す
・視界が見切れる席は売らない、または注釈をつけて売る(なんなら少し安めの値段にする)
・一階後ろやサイド席に客席降臨する
・花道を作るか、出島を作るか、センターステージにする
これらを徹底することによって、少なくともハロプロの客の不満は「そこそこ」減らせると思う。今後も立川ステージガーデンを使うつもりならば、ぜひ一考してほしい。
正直に言うと、今回のハロプロ夏ツアー大千秋楽祭のすべての公演において「一階がフラット」であったことに、私はとてもがっかりした。「客席からの視界が悪い」と主催者側が把握しているのに、それを解消するための努力をしていない 。あまつさえメンバーに言い訳をさせている。これはよくない。次に立川ステージガーデンの公演チケットを予約するとき、大きな心理的足かせになる。 残念ながらオタクからの信頼度は大きく下がってしまった。見えにくいことがわかっているのなら、主催者は観客を楽しませるための工夫をできる限りすべてやってほしい。メンバーに言い訳させるのは、その次だと思う。よろしくお願いします。
(2023/09/04 文筆、2024/1/20アップロード)
2021年 ねじ子の楽曲ランキング ※今さら2021年の記事です。新型感染症の流行に免じて許してほしい。
※一定期間がたったら、文筆時の時系列に記事を移動します。
第1位 Show Window / 岡崎体育
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劇場映画『ポケットモンスター ココ』の挿入歌。
『ポケットモンスター ココ』はココという10歳の少年の物語だ。赤ん坊のころ川に流され、ザルードというポケモン(おそらくチンパンジーがモデル)に拾われて山奥で育った野生児ココの物語である。自分はポケモンだと信じていた彼が、サトシたちに出会い、たくさんの人々が集う街に連れていかれ、人間の文明に初めてふれる。そして自分はザルードではなく人間と気付く。そのとき流れるのがこの『Show Window』という曲だ。
初めて見るたくさんの人々、街のあかり、料理、見たこともない商品ときらびやかなショウ・ウィンドウ。華やいだ街の祭りがキラキラしたエフェクトとともに描かれる。それをながめるココが今まさに感じている高揚感 と、サトシの「友達に素敵なものをたくさん見せてあげたい!」という少し浮かれた親切心 。その二つがこちらまで伝わってくる。そんなシーンにぴったりのウキウキした曲だ。
『ポケットモンスター ココ』はザルードという父親のための物語である。しかも「自分の手で」子どもを世話している父親 のための映画である。子育てを母親にまかせている父親ではない。金と口を出すだけの父親でもない。日々自分の手を動かし、食事や着替えや風呂や寝かしつけを一人でやっている父親の物語だ。ザルードはポケモンたちの社会の中で必死に子どもを育てているシングル・ファーザーなのである。実務としての子育てをしている孤独な父親だ。このテーマにきちんと向かいあった邦画をポケモンというジャンルでやったことに、私は心動かされた。アメリカの映画ならば1979年の『クレイマー、クレイマー』で通った道を、ついに日本の映画、それもポケモンで見られた。とても嬉しい。
日本の大手メディアで描かれてきた「父親」はおむつを替えないし、糞尿でよごれた子どもの下着を手洗いしないし、食事を手渡しで与えない。ひとときも目を離せない子どもに振り回されて自分の時間が食いつぶされることもない。育児に無限に使われていく時間と体力のせいで社会的自己実現ができず、途方に暮れることもない。ちなみに「子どものために料理を作る父の描写」はプリキュアや戦隊ものなど幼児向けコンテンツにおいて10年ほど前から行われていた。それすら、他の映像作品ではあまり見かけない。
しかしそれではもう現在の父親たちを表現することはできないのだ。現在の父親たちは自分の手を動かしている。少なくとも、動かそうと努力している。それはいままさに子どもと一緒にポケモンの映画を見に来ている観客の姿だ。
初代ゲーム『ポケットモンスター』が発売されてから25年たつ。当時サトシと同い年(10歳)だった男児は35歳だ。30歳で第一子が生まれれば子どもは5歳、もうポケモンが好きな年齢だ。ポケモンは名実ともに親子二代のコンテンツになった。
※ポケモンパンのCM『親子でポケモンパン篇』。
「息子よお前が大好きなそのシール お前がハイテンションで貼ってるそのシール 何を隠そう俺もハマってた ドはまりしてた そしていま父となった 俺はいま やっぱり好きだぜポケモンパン 親子で好きだぜポケモンパン」という歌詞を聞くと涙が出そうになる。
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「なるほど!『ココ』は母である私じゃなくて、隣の子どもと、その隣に座ってる父のための物語なのか!」と私は劇場で感心した。ポケモンが好きだった父親と、ポケモンが好きになった子ども。その二人で見ることが想定されている。 新しい視点であり、新しい試みだ。
しかし、残念ながら映画『ココ』の興業は振るわなかったようだ。なぜだろう?悲しい。映画限定ポケモン・ザルードの配布は、前売り券購入または映画入場者特典でのシリアルコード配布だった。以前は映画館に携帯ゲーム機を持ちこんで、上映後に館内でポケモンのダウンロードを行う形式であったが、今回はそうではなかった。その影響なのかもしれない。コロナのせいで親子連れの客足が伸びなかったせいかもしれない。わからない。
ちなみに長男とDiscord越しにゲームをしてた中学生男子は、ぼそっと「だってザルード、かっこよくないもん……」と言っていた。「ザルードってゴリランダーとかぶってるし。なんならゴリランダーの方が強くね?」確かに。その通りだ。ぐうの音も出ない。ゴリランダーは最新ゲーム「ポケモンソード・シールド」で一番最初にもらえる草ポケモンの最終進化形である。そこそこ強くて、すでにみんな持っている。子どもの意見は残酷なほどに正しい。
子どもたちにとって、ポケモンが「かっこいい」ことはなにより大切 だ。見た目のかっこよさ と強さ 。この二つよりも重要なものはない。次のポケモン映画では、見た目がすっごくかっこよくて!めちゃくちゃ強い!ポケモンを配ってほしい。それなのに!ポケモン映画の新作が来ない。もう全然来ない。どういうこと?ポケモンの映画はもう新作を作らないの?おしまいになっちゃった?そんなのいやだよ!また映画館でポケモンもらいたいよー。頼むよ。
第2位 駆け上がるボルテージ / 浦島坂田船
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アニメ『シンカリオンZ』のエンディングテーマ。つんく♂さんのファンクだ!!やった!やったあ!やったあああああああああああああああああああああ!……と叫んだ一曲。つんく♂ファンクが好きだ。大好きだ。そして編曲はいつもの大久保薫さん。私が一番大好きな老舗の味!いつもの顔ぶれ!これだよ、これ!みんなが待ってたやつだよ!みんな聴いてえ!!
……と思っていたのだが、この曲はあまり聴かれていない。赤羽橋ファンクあらため五反田ファンクが大好物なハロヲタでさえ、この曲にはたどり着いていない。宣伝が足りてないと思う。
私はたまたま適齢期の息子と一緒にアニメ『シンカリオンZ』初回を見ていたので、エンディングでこの曲を聴いた。つんく♂さんだと最初は気付かなかった。「お?男性声のファンクだな。いいじゃんいいじゃん!誰の歌だろう?」と思いながら一時停止してクレジットを見たら、つんく♂大久保ペア の名前が出てきてひっくり返った。突然あらわれる実家。 ぜんぜん違うところを旅していたら、いきなり頭上から実家の味噌汁が降ってきたかのようだ。
私は歌い手にもVチューバーにも明るくない。だから浦島坂田船さんがどんな人たちなのかよくわからない。頑張って検索してみたのだが、公式サイトを見てもWikipediaを読んでもつんく♂さんのライナーノーツを読んでも結局よくわからなかった。
『駆け上がるボルテージ』のライブ映像が見たい。どう検索してもたどりつくことができない。この曲を歌って踊る姿が見たい。どこにあるの?Youtubeでもニコニコでも有料配信でもいいから、公式のフル動画が見たい。出してください。
さて、アニメ『シンカリオンZ』は、親である私も子どももはじめの数回で視聴をやめてしまった。大好きだった前作『シンカリオン』のキャラとロボットがあまり出てこなかったことも一因だ。でもそれだけではない。『シンカリオンZ』という物語の大きな目的、登場人物たちの目標がよくわからなかった。それが一番きつかった。
一番の目的はタカラトミーが新しいシンカリオンの玩具を売ること だって?そんなことはわかってるよ。そうに決まってるでしょ。でもそれを言っちゃおしまいよ。ロボットの玩具の宣伝の中に、むりやり物語――子ども達が同一視できるヒーローと、子どもの玩具を使って本気で世界征服をもくろむ敵と、なぜか子どもたちが最前線に立って戦う理由と勝利条件をくっつけて――力業でダイナミズムを生んでこそのホビーアニメじゃないのかい?私はその切磋琢磨が見たいんだよ。
……ここまでアニメ『シンカリオンZ』のことを書いてきたが、よく考えると楽曲『駆け上がるボルテージ』はタイアップ先との関連がぜんぜんない。すがすがしいほどに、ない。アニメの内容をほのめかす歌詞も、新幹線や在来線やシンカリオンを連想させる単語も見いだせない。でもまぁ、名曲だからいいか!最高のつんく♂&大久保楽曲なので、皆さんぜひ聴いてくださいね!
このファンクっぷりと、アニメに関係ない歌詞にもかかわらず雰囲気は合っている気がしてくる力技は、まさしくつんく♂の仕事だと思う。ねじ子はチョコボールのキャラのアニメ「キョロちゃん」とココナッツ娘。『ハレーションサマー』を思い出したよ。Amazon Primeで第一話無料 だから、「キョロちゃん」のOPもついでに聴こう!名曲だよ!
第3位 ピーターパン / 優里
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ハロヲタの間で「紗友希の彼氏」として一躍名をはせた優里さんである。
優里さんのことを、私は寡聞にして知らなかった。私が彼を初めて認識したのは高木紗友希ちゃんの交際相手としてであった。世間的にはすでに『ドライフラワー』がヒットしており、ハロプロの誰よりも有名なミュージシャンだったのだろう。しかし私は極めて視野の狭いハロヲタなので、2009年のハロプロエッグの頃から10年以上見ていた紗友希の交際報道で優里さんのことを知った。
ちなみに私の脳内のカテゴリ分類において最も優先してつけられる項目は「ハロプロ」 である。私の脳内には棚があり、その中にはたくさんの本がある。図書館ならばジャンルごとに、映画ならば製作国別に並んでいるであろう棚。私の脳内の知識分類で、最も優先してつけられる第一類は「ハロプロ」なのだ。
だから日本一の投手兼メジャーリーガーであった田中将大選手は私の中ではどこまでいっても「サトタの夫」である。山崎育三郎さんは「なっちの夫」であり、庄司は当たり前のように「ミキティー!」だ。おはスタの名司会ぶりから「最も尊敬する男性声優」と思っていた山寺宏一さんは、ある日突然カテゴライズが「ポッシボーのロビンの夫」になった。BUMP OF CHICKENのボーカルもある日突然「えりりんと結婚できるとか、いいなあ!ちくしょー!うらやましい!えりりんと一緒の生活ってきっと毎日すっごく幸せでしょう。うらやましい!まぁでも、えりりんが元気で幸せに暮らしてるってことがわかってよかったよ。それが一番だよね。おめでとう……」に変化した。先日行われた2022ワールドカップの日本対スペイン戦なんて「愛理の彼氏が逆転ゴールを決めて真野ちゃんが国際映像に抜かれたからワールドカップは実質ハロコン」「グループリーグ突破は実質ハロプロのおかげ」みたいな我田引水の書き込みで試合結果を知ってしまった。いや、最後まで見ず寝落ちした自分が悪いんだけど、そんなネタバレを踏むとは思ってなかったよ。
というわけで、私のひどく狭い視野に優里さんは「紗友希の彼氏」として突然あらわれた。そのとき歌を初めて聴いた。紗友希の彼氏ならば歌が下手であることは許さない。口パクなど絶対に許さない。そう思いながら、Youtubeにある大量の動画もかいつまんで再生した。
それから数ヶ月がたった。
私はとある休日にひとり、近所の100円ショップで買い物をしていた。店内には流行曲の有線放送が流れていた。私はその中の一曲に惹かれた。「いい歌だ。声もいい」そう思った私は、その場で歌詞を検索した。曲名と歌手名を調べるために。その瞬間、気がついた。
優里さんだ。
これは優里さんの曲だ。
私たちから紗友希の心を盗んでしまった、優里さんの。
だから声に聞き覚えがあったんだ。
私のスマートフォンは無情にも「ピーターパン/優里」という検索結果を示していた。
くやしい。くやしい。
私の負けだ。
耳が惹かれてしまった。吸い込まれてしまった。
郊外の巨大な100円ショップの一角で流れるBGMをふと聞いて、いい曲だと思ってしまった。それがあの優里さんだと知らずに。
どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだ。
私はたまの休日に、息抜きのお買い物をしに来たんだ。決して立体化されないキャラクターのねんどろいどどーるを自作するために、布とフェルトと粘土とレジンを探しに来ただけだ。私の完全なる回復の時間、私の幸福なひとときに入り来んでくるな!ああ!でも。
※こういうの
ちくしょう。ちくしょう。紗友希をかえして。
……口には出さなくても、本当はずっとそう思っていた。他の多くのハロヲタと同じように、私もほんとはずっとそう思っていた。優里さんがTVに出てると聞くたびに生まれる「紗友希は歌手としてのキャリアを奪われてしまったのに、どうして彼はTVでのびやかに歌っているの?」というドス黒い感情 を抑える努力を、私はひとり必死で続けていた。これは無駄な感情だ。わかってる。私の思いは見当違いで、言葉に出してはいけない嫉妬だ。誰も悪くない。芸術に罪はない。それもわかっている。
私の耳は、彼の作った曲と歌声に、それとは知らずに惹かれてしまった。それも巨大なダイソーの片隅で。しかたない。私の負けだ。私は優里さんの歌声とメロディに殴られて一瞬で気絶したのだ。芸術の世界は、いいものを作り続けた人間が必ず最後に勝つ。 つまり私は負けたのだ。
優里さんには才能がある。悔しいが、もう認めざるをえない。紗友希が惹かれるのも当たり前だ。だって紗友希のアイデンティティはずっと歌にあるのだから。歌手という生物は、自分が生きていくために自分にいい楽曲を提供してくれる人間が不可欠なのである。ハロプロという組織は25歳以上の大人の女性に良曲を提供してはくれないだろう?そんなこと知ってるよ。
だからこのあとの長い人生を生きていくために、紗友希が彼に惹かれるのは当然なのである。紗友希にいい楽曲を提供してくれるのだから。自分が生きていくために必要なパートナーを選んだ、ただそれだけのことだ。彼女には見る目がある。そして、優里さんの趣味もいい。すごくいい。紗友希はとても魅力的な女性だ。歌手としても実力がある。優里さんが惹かれたのも当たり前だ。
私は、2014年当時まだ17歳だった紗友希が、東京都議会において女性議員がセクハラヤジをされた問題に言及して 、自分の意見をブログに書いていたことをきちんと覚えている。同時はまだ、女性の権利や社会人として生きていく中で受けるセクハラ問題を「女性自身が」インターネットで語ることが今ほど行われていなかった。「紗友希は自分の頭で女性の権利について考えてる。骨がある。好きだ」と私は思っていた。だから、自由恋愛でグループをやめさせられるという不条理に、彼女が怒りをもって対応したのも私は大いに納得できるのだ。
つまり、二人はただの「お似合いのカップル」 なのである。世界中にありふれているシンプルな自由恋愛だ。祝福以外の感情をいだく必要など、どこにもない。
こんな単純な話がどうしてここまでこじれてしまったんだ?中世ヨーロッパか?ここはヴェローナ?私たち、いつの間にか『ロミオとジュリエット』の観客席に座らされてるの? マジかよー、勘弁してくれよー。私たちただの小汚いハロヲタなんだから、中世の演劇をそのまま見せられても困っちゃうよー。そもそも『ロミオとジュリエット』ってシェークスピアの中でも現在の観客の価値観に合わせるのが相当きつい演目じゃありません?小池修一郎先生の潤色にしてくれなきゃ現代のおたくが見るに堪えませんよ?
何が起こっているのかさっぱりわからないが、二人の周囲の大人たちは頼むからこの問題を「うまいこと」まとめてほしい。できれば、和解してほしい。時間はたっぷりかけていい。優里さんにはもっともっと売れてほしい 。紗友希には定期的に歌を歌ってほしい。それが私の願いである。
第4位 宇多田ヒカル / One Last Kiss
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映画『シン・エヴァンゲリオン』主題歌として劇場で聴いた。「初めてのルーブルはなんてことはなかったわ 私だけのモナリザもうとっくに出会ってたから」という最初のフレーズに心を打ち抜かれた。うらやましい。そんな人にすでに出会っている宇多田さんがうらやましい。宇多田さんにとっての「モナリザ」さんのことは、もっとうらやましい。
……ここらへんにしておこう。
さて、映画『シン・エヴァンゲリオン』である。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のときに「序・破・急のあとどうすんだ?」 という記事を書いてからはや14年。『シン・ゴジラ』が興行的に大当たりして以来、庵野さんが自らのブランドに「シン」と名付け、いろいろな過去特撮作品を新たに作り直してくれるようになった。嬉しい。いろいろあった、本当にいろいろあったエヴァンゲリオンの権利をきちんと取り返して、新作を作りつづけてくれたことも嬉しい。
私は高校生の頃エヴァンゲリオンのTVアニメシリーズを見ていた程度のライトユーザー である。エヴァンゲリオンの物語はいわゆる旧劇――正式名称『THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』――できちんと終わった と思っている。サードインパクトで全人類が液体になり、大好きな人の幻覚がお迎えに来たらパシャっと溶けて一つの液体になる。その展開が好きだ。そのときに流れるクラシカルな謎の楽曲『Komm, süsser Tod/甘き死よ、来たれ』も好きだ。なんなら私がエヴァンゲリオンというアニメを最も愛していたのは『THE END OF EVANGELION』の頃である。エヴァはあの映画できちんと終わった、と私はずっと思っている。
だから「エヴァの新作は不要だ」と私はずっと思っていた。庵野がやりたいなら好きに作ればいいけど、エヴァは「気持ち悪い」でちゃんと終わってるでしょ?だからあとは庵野の好きにすればいいんじゃね?と思っていた。Qの感想は「なんじゃこりゃ?」だったけど。
そんな斜に構えたライトファンである私も、『シン・エヴァンゲリオン』を見た客の「今回は本当にきちんと終わった」という感想を見て、なんだかんだで初日に見に行ってしまった。25年間の自分の気持ちを納める場所が欲しかったのかもしれない。
結果として、エヴァがきちんと終わってよかった。レイの田舎町での健康的な生活と農業といい、アスカを見守る大人になったケンケンといい、母ユイの後輩であった「理解ある彼女ちゃん」の具現化こと真木波マリといい、なんだか精神療法のオンパレードを見ているみたいな映画であった。それが面白かった。
どちらも幼少期に心に深い傷を持つシンジとアスカは、一瞬だけ寄り添うことはあっても、長い時間をともに生きることは不可能である。どちらにもそれぞれ長い時間そばにいてくれる精神的に安定した理解者が必要なのだ。それが大人になったケンケンと、マリである。これは「なるほど」と思う展開である。身も蓋もないことを言えば、「パーソナリティ障害の治療には精神的に安定した細く長く寄り添ってくれる理解者が不可欠である」という落ちだ。教科書にも確かにそう載っている。その現実的な「落ち」 にたどり着いて、かつエンターテイメントであることは素晴らしい。
そもそもシンジの父・ゲンドウという孤独な天才にとってのユイがそれであった。ユイが死んでしまったところから、エヴァンゲリオンという物語の一連の悲劇が始まる。TV版においてカヲルが現れたとき、カヲルはシンジにとっての「それ」になるためにここに来たことが示唆された。でもそのカヲルもさっさと死ぬ(しかもシンジが自分で殺す)ために、悲劇はさらに加速していく。シンジの精神的安定という「落ち」にいくためには、結局新しいキャラを出すしかなかったのだろう。現実的な終わり方である。
そしてその「落ち」にするためには、現実においても25年間の歳月が必要 だったこともわかる。当時シンジやアスカに強くシンパシーを抱いていた観客たちも大人になって、彼らが結ばれず、それぞれ別の道を進む結論を受け入れられるようになったのだろう。たぶん。なってるかな。なってるよね。あれ?違う?LASの皆さん生きてますか?大丈夫?心配してます。
ちなみに私は『シンエヴァ』を見た今でもなお、『THE END OF EVANGELION』の「自分と世界が完全に一体化した均一な液体であってほしい」という狂気 が好きだ。自他の区別がまったくできていない人間が、自他の区別がまったくない究極の状態を求めて突き進む。直球の欲望の最終形が見事に映像化されている。そののちの荒野に、自分と好きな女だけが(まるでアダムとイブ、イザナギとイザナミのように)残される。でもその好きな女には「気持ち悪い」って言われちゃう。そんな終劇もいまだに好きだ。お互いに傷つけ合っているハリネズミ同士の救いのなさを描ききっている。
エヴァが無事完結した今、庵野監督には思う存分趣味と実益をかねた新作を作り続けてほしい。シン・ゴレンジャーとシン・仮面ライダー555とシン・セーラームーンとシン・来来!キョンシーズとシン・美少女仮面ポワトリンとシン・キューティーハニー The Liveを、ぜひぜひ何とぞよろしくお願いします。あ、最後のやつはもうすでにやってたか。
第5位 東京スカパラダイスオーケストラ / 仮面ライダーセイバー
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特撮番組『仮面ライダーセイバー』のエンディングテーマ。タイトルはそのまま「仮面ライダーセイバー」。私はヒーローの名前を大声で叫んでくれる主題歌が好きだ。サビ前に変身!って声が最初から入ってるのも好きだ。
『仮面ライダーセイバー』のTV放送のエンディングにはダンスがあった。主役と二号ライダーとヒロインの3人が、とても広い部屋の真ん中で踊っている。「左右に妙に空いているスペースには、きっとこれからメンバーが増えていくのだろう。そして最後は群舞になっていくのだろう」と私は予想していた。でもそうはならなかった。最後まで三人だけのダンスだった。悲しい。味方の仮面ライダーが増えていくにつれ、ダンスする仲間がどんどん増えて最後には大演舞になると思っていたのに。大演舞に映える振り付けだと思っていたのに。
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ちなみに味方ライダー全員でのダンスは、この動画で演者さんたちが練習して披露してくれた。ありがとう。本音をいえば役の衣装でやってほしかったけど、贅沢は言うまい。コロナ禍によるさまざまな制約の中、本当によくやってくれたと思う。このダンス動画だって明らかにソーシャル・ディスタンスをとりながら踊っている。大変な中、どうもありがとうございます。
さて、私は仮面ライダーセイバーが好きである。なぜならここ5年の仮面ライダーの中で、唯一きちんと「ヒーロー」をしている のが仮面ライダーセイバーこと神山飛羽真だからである。
「利他をなすものが英雄であり、利己をなすものが悪である」これが英雄譚の基本だと私は思っている。でも近年の仮面ライダーはそうではない。どいつもこいつも私欲のために戦っている。自分を捨てて弱い者を助けたり、巻き込まれた見知らぬ市民を守ったり、自分の目的を捨ててでも他人の命を救ったりはしない。ただただ、自分の利益と目的の遂行のため「だけ」に戦っている。私はそれを英雄と呼ばない。ただの力の強い一般人だ。手に入れた強大な力を自分のためだけに使うならば、それはただの傲慢で尊大な人間であるとさえ私は思う。
私事であるが、私の次男はセイバーが大好きであった。我が家には13年分の仮面ライダーの玩具があったが、それでも次男が一番好きな仮面ライダーはセイバーである。それについてはまた今度書く。
東京スカパラダイスオーケストラによるライブバージョンも最高。生演奏と生歌はいいですね。
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第6位 BOYS AND MEN / どえりゃあJUMP!
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2位に続いて、こちらも最高のつんく♂ファンク男性ボーカル曲。ハロヲタにもすぐに見つかって、熱心に聴かれていた。
その理由は、フルMVとダンスがよく見えるライブ映像が発売後すぐにYoutubeに上がっていたことにあると思う。宣伝がうまい。メンバーの顔のアップがたくさん入り、衣装の色が分かれているMVとライブ映像。まさにハロプロ。めっちゃハロヲタ好みの、つんく♂プロデュース作品である。初めてボイメンを見た人間にも個体識別がしやすい。誰が誰で、どのパートを歌っているのかわかりやすい。私も、ボイメンのことは仮面ライダーバロンことゆーちゃむと、ポケモンのバラエティ番組「ぽけんち」に頻繁に出ていた辻本達規さんしか知らなかったのだが、他のメンバーのこともきちんと認識できた。
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……そして、そのゆーちゃむこと小林豊さんが突然いなくなってしまった事実を、私はまだ子どもたちに伝えられていない。彼らは、ゆーちゃむが仮面ライダーバロンであることを知っている。バロンのおもちゃも家にある。ポケモン番組「ぽけんち」でも、彼は大活躍していた。子どもたちにどう伝えたらいいんだ?本当にわからない。「お店のものはお金を払ってから店の外に持っていく。お金を払わずに持っていったら絶対ダメだよ」と子どもたちには一番最初に教えなくちゃいけないのに。ちなみに『アナと雪の女王』が大好きな子どもたちに、神田沙也加さんが突然いなくなってしまった事実をどう伝えたらいいのかも、私にはわからない。「まだ早いな」ということだけは、わかる。大きくなって自分で検索して、経緯にたどり着くまで待ってもらうのがいいんだろうか。
第7位 野球 / くるり
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アイドルのファンはコールを奪われている。ロックミュージックのファンはモッシュを奪われている。ヒーローショーを見る子ども達は「がんばえー」という声援を奪われている。そして野球ファンも、何十年も続いた伝統文化である「声援」を奪われている。この曲を聴いて、私は初めてそれを実感した。「声援」を奪われて苦しんでいるのは私たちドルヲタだけじゃない。もっともっと、いろんなところにいる。スポーツのサポーターだってそのうちの一人だ。
2021年のいま、コロナのせいで野球における「声援」を奪われているからこそ、「それを残したい」という衝動が岸田さん(カープファン)の中に生まれたのだろう。音源として永遠に残る形にしたい、という欲求がこの曲を作ったのだろう。
歌詞の字幕も凝っている。選手の文字は所属したチームカラーの色になっている。移籍した選手はきちんと移籍した順に、所属チームの色をまとった文字になっているのだ。芸が細かくていいね。
第8位 うまぴょい伝説 / ウマ娘
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「ウマ娘 プリティダービー」というスマホゲームにおける勝利のご褒美の歌。「ウマ娘 プリティダービー」は、美少女に擬人化された実在の馬たちを育成し、史実にそった成長やストーリーを経てレース(見た目は女子の徒競走)で勝利を目指す育成ゲームである。レースで勝つと、センターでライブができる。
『うまぴょい伝説』という歌は、レース開始時のファンファーレと拍手と、競馬場を埋め尽くす観客の雄叫びから始まる。「うううううううううううううう」と叫ぶオーイングも、いかにもオタクたちがかぶせてコールしそうな「きみの愛馬が!」や「だいすーきーだよー」も、サビの「ふっふー!」も「3・2・1・ハイ!」も最初から音源に入っている。観客の野太い声のコールが、最初から音源に組み込まれているのだ。タイトルの「うまぴょい!うまぴょい!」は、ハロプロであればまぎれもなく「ウリャオイ」にあたるものである。女性アイドルのイントロやAメロに入れられる伝統のコール「ウリャオイ」。ショッピングモールのリリースイベントで通りすがりの一般客からよく「気持ち悪い」「なんだあれは」と揶揄されていたウリャオイすらも、最初から音源に入ってる。
観客のコールが少し箔から遅れて入っているのも、臨場感があっていい。広い会場(もちろん競馬場もそう)でのライブは、音速がそこまで早くないために、メロディよりも少し遅れて観客のコールが聞こえることがある。現実でもウマ娘たちがそんな大きい会場でライブできるようになった、それくらい人気者になったかのようなイメージが生まれてくるのだ。
コロナで忙殺されている中で私はこの曲を聴いた。そして心底「あぁ いいな!」と思った。コールがしたい。あの一体感と高揚を味わいたい。この曲には現場の高揚が最初から録音されている。だから再生するだけで高揚を味わえる。コロナ禍に適応した楽曲だ。時代にそった冴えたアイディアだと思う。女の子がたくさん出るアニメの楽曲には、やたらパートが多くて合いの手が数多く入るお祭り楽曲がよくあるが(「ようこそジャパリパークへ」など)コロナ禍に合わせた2021年における最高傑作だと思う。
数年後にコロナが収束して観客の声出しが復活したあかつきには、満を持して観客も一緒に大声で叫べばいい。音源と一緒にファンが叫ぶ。コロナ禍を越えて集まることのできたオタク全員での「うまぴょい!うまぴょい!」の大合唱は感動的な光景になるだろう。いいな!すごい盛り上がりそう!
これはハロプロでもぜひやってほしい。従来のハロプロ楽曲は、ファンがコールを入れる間を「空白」にして作られている。コールを入れる場所のリズムがわざと空けてあるのだ。コンサートで曲を聴き慣れると、コールが入っていない音源では物足りなさを感じるようになる。さみしい 。ハロプロもコロナ禍の間は、あらかじめ音源にコールを入れておいてくれてかまわない。「ここだよ朋子!」も「L・O・V・E LOVERY あーりー!」も、過去の録音を流してくれてかまわない。今だけは文句言わない。
……そんなことを思いながら、「FNS歌謡祭」に出ているウマ娘。と『うまぴょい伝説』を見ていたら、その日の夜に大好きな金澤朋子ちゃんの卒業のお知らせが発表された。かなともには「ここだよ朋子!」ってファンが叫べるようになるまでJuice=Juiceにいてほしかったのだが、それは叶わぬ夢になったようだ。さみしい。
以上です。2022年のランキング一位は米津玄師さんの『KICK BACK』一択です。ハロプロ楽曲大賞に『KICK BACK』を投票できなかったことを私はとても残念に思っています。どうしてだよー。完全にハロプロ魂の一曲じゃん!しやわせになりたい。ハッピー。ラッキー。こんにちはベイベー。良い子でいたい。そりゃつまらない。なんかすごいいい感じ。努力、未来、A BEAUTIFUL STARだよ。まさにハロプロ。これぞハロプロ。ハロプロの歌詞としか言いようがない。
そろそろ時代に追いつきたいので、さっと短文で完成させたいです。(2022/07/05にだいたい文筆、アップロードは2023/06/04)
2021年 ハロプロ楽曲ランキング ※今更2021年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。
私はこの文章を長いあいだ書くことができませんでした。2021年2月に高木紗友希ちゃんが突然いなくなったことに、私はひどく萎えてしまったのです。彼女をあんなにも早く──週刊誌の報道からたった一日で──Juice=Juiceというグループから脱退させる必要などなかった。お相手のミュージックステーション初登場にあてつけるかのように、生放送直前に脱退を発表する必要などまったくなかった。私は今でもそう感じています。せめて、紗友希とファンがお別れできる場所をどこかに作ってあげてほしかったです。
2021年2月12日、それは私が首を長くして待っていた新型コロナウィルスのワクチンがついに日本に届き、厚生労働省の専門家部会において承認が了承された日でした。私は早くから好きな酒を用意してこの日を待っていたのです。私にとって「今世紀最大の祝祭」といえる日に、大好きな女の子がクビになるとは。「なにこのニュース。最悪の対応だわ。古い悪習を断ち切る最大のチャンスを事務所は自らつぶした 」としか思えませんでした。
紗友希の彼氏が出ると聞いて、私は数年ぶりに生放送の音楽番組ミュージックステーションを録画予約したのに。「紗友希の彼氏ならば口パクは絶対に許さんからな!」「紗友希より歌が下手だったら許さんからな!」「いやそれはさすがに無理があるでしょ」などと笑いながら楽しみに待っていたというのに。優里さんは実力あるシンガーソングライターだと聞いていたから、ハロプロに曲を提供してくれればぜんぶ許す!と思っていたのに。
紗友希をグループからとつぜん脱退させたうえにM-LINEに引き留めることができなかった事務所、彼女を罵倒する少なくない数のハロヲタの仲間たち、彼女を引き抜いたっぽく?見える?周囲の大人たち。そのすべてに私は大いに冷めてしまいました。
「アイドルが恋愛することによって離れるファンがいる」と主張する人間がいるならば、私はハロプロ結成当初からずっと「アイドルに恋愛禁止ルールを押し付けていることが露呈することによって離れるファン」なのです。矢口がモーニング娘。を首になったときも、ものすごく、ものすごーく萎えました。私がハロプロから最も離れていたのは、矢口がモーニング娘。を首になったあとの二年間です。その期間だけ私はハロプロを追っていません。まあ正確には冠番組の『ハロステ』だけは毎週見ていたのですが、ろくすっぽ楽曲を聴いていませんでした。
恋愛は生命の根源的な衝動です。生命の根源的欲望を軽く見てはいけません。それを甘く見ると、反動で必ずひどいしっぺ返しが来ます。恋愛は私たち凡人が世界を変えるための唯一の方法であり、自分がこの世に存在していたことを歴史に残すたった一つの手段なのです。「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と太宰治も言っています。
10年間やり切った仕事──しかも人間として当然の権利を行使しただけなのにファンからの罵倒が待っているであろう仕事──と、いまの恋愛。どちらをとるかは明白です。私が紗友希でも恋人をとるでしょう。
現代日本において、一個人に恋愛を禁止することは人権侵害です。ハロプロがそのような人権侵害を若い女子に強いる組織であるならば、私の心が寄り添うことはできないのです。誰も得しない短絡的な人事に、私はすっかり萎えました。ハロプロのために長文を書く意欲がなくなってしまったのです。これは私なりの抗議のかたちでもあります。
私はずっとずっと、自分が思っているよりもずっと、紗友希のことが好きでした。みんなそうでしょう?ハロメンも、ハロヲタも、ハロプロに関わっているすべての人間が彼女の歌を愛していた。ハロプロに紗友希という歌姫がいることを自慢し、誇りに思い、鼻高々だった。そうだったでしょう、みんな。もう忘れちゃった?
会場を埋めるファン全員が彼女のパートを心待ちにしていた。どのグループのファンであっても、誰のメンバーカラーのTシャツを着ていても、どんな色のペンライトを振っていたとしても、紗友希のフェイクの後では「fuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!」と叫ばずにはいられなかった。彼女のパートのあとは、地が揺れるような喝采が自然にわいてホールを埋めつくす。それがハロプロでありハロヲタだったのだ。みんな彼女の歌を心の底から愛していた。「私たちが誇る歌姫・紗友希の歌を、みんな聴いてよ!」とハロメンもハロヲタも、おそらくスタッフも、ハロプロに関わる全員が思っていた。思っていたのに。
紗友希がハロプロを辞めると言うならば、周囲の大人たちは全力でそれを止めなければならなかったのです。せめて卒業イベントができるように、それまではなんとか、必死で説得するべきだった。紗友希自身が強固に辞めたがって、もうどうしようもなかったであろうことはなんとなくわかっています。それでも、なんとか説得してほしかった……。
紗友希はハロプロで文句なく一番歌がうまかったし、歌が上手くあり続けるために、子どもの頃から絶えず努力し続けていました。彼女はハロプロが掲げる「芸術至上主義」 のいわば象徴 と言える存在だったのです。そんな彼女が犯罪でも不倫でもない、ただの自由恋愛でクビになるというのは、はたから見たら「芸術至上主義が処女信仰に負けた」 という極めてダサい結論に他なりません。私には到底受け入れられない結論です。極めて旧時代的な組織の、醜い末路としか思えないのです。実際、ニュースを受けてそのような外野の声がたくさん届きました。ハロヲタである私もそれにまったく反論することができません。ていうか私だってそう思うわ。
Juice=Juiceが主演したドラマ『武道館』の男性出演者陣の性的スキャンダルの多さを見るに(仮面ライダーメテオこと吉沢くんと仮面ライダーバースこと君嶋くんはどうか無事でいてほしい)、ハロプロのガチガチの恋愛禁止は「彼女たちを悪い共演者やスタッフから守るため」という要素がきっと多分にあるのでしょう。それはわかります。
それでも、私は紗友希の卒業コンサートが見たかった。なんなら円満卒業後に優里さんにハロプロに楽曲を提供して欲しかった。できたはずだよ。なんでできなかったんだ?私たちは、ミキティ10周年ライブで庄司さんが客席に表れたとき、歓声を上げて「庄司コール」をすることができるオタクなんだよ?その日の2ちゃんねる狼板に「同じ女を愛した男だからな」って書き込んじゃうのがハロヲタなんだよ?もっと私たちを信頼してくれよ。ていうか紗友希の一件の顛末を見る限り、誰よりも処女信仰が強いのは他ならぬ事務所自身じゃねーか!おたくのせいにするんじゃねーよ!!……と私は思わずにいられない。優里さんに「同じ女を愛した男だからな」と私たちが笑って言える日は来ますか?来てほしいよ。事務所さんは頑張ってくださいね。
ハロぺディア 同じ女を愛した男だからな
庄司智春、藤本美貴と結婚時のネットの声に感動「同じ女を愛した男だから許してやろうぜ」
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庄司さん、筋肉を仕上げてきたことは高く評価しますが、ロマンスの腕の伸びと顔と体幹の角度が甘いので、次はそこを練習してきてくださいね。あとサビはちゃんと360度回ること。
さて17年前の矢口更迭後しばらくして、私はまたハロヲタに戻ってきました。『テニスの王子様』アニメ再放送のついでに見たアニメ『きらりん☆レボリューション』のOP「バラライカ」がたいへん素晴らしかったことが帰還の理由です。月島きらりちゃんの楽曲とアニメがあまりに素晴らしかったから、私はハロプロに帰ってきました。今ものすごく萎えている私もまた、月島きらりなみに魅力的なコンテンツと『バラライカ』なみの名曲が発表されれば、またハロヲタに戻るのでしょう。
よって今年は記述が短いです。以下に順位を置いておきます。
1位 涙のヒロイン降板劇 / つばきファクトリー
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MVを見た瞬間に、Tsubaki Factory New Era !と叫びたくなる一曲。海外オタクのYouTubeコメント”New era for Tsubaki.” “Perfect start for a new era.”がすべてを物語っている。
小片リサちゃんという楽曲の核を失ったつばきファクトリーが出してきた新機軸だ。新メンバー4人も全員可愛く、個性的で、歌も上手い。現ハロプロ随一の歌姫であるきしもんが覚醒している。若い男性の間で流行している黒髪センター分けの髪とスタイルのよさが相まって、男性若手俳優のようだ。凛々しい。最高。MVもアイディアにあふれていて、小道具にお金がかかっている。顔のアップが多く、アイドルのMVらしさを忘れていないところもいい。
そしてなんと言ってもタイトルと歌詞が素晴らしい。タイトルは最初「『涙の』ヒロイン降板劇」と読んでしまって「おいおい、なんて攻めたタイトルだよ。いくらなんでも現状に寄り添いすぎだろう」と不安になったけれど、実際は「『涙のヒロイン』降板劇」であった。サビの歌詞「涙のヒロイン 降りる宣言 君の代わりはいるでしょう 私が私のこと愛さなくちゃだめ」から、それが伝わってくる。
歌詞はまるで、グループ一番人気だった小片さんの突然の脱退のあと新しいメンバーを加えて再出発するつばきファクトリーの状況にあわせて「あて書き」したかのようである。実際はあて書きではなく、山崎あおいさんが別の機会に提出済の歌詞がここで使われたという。この時期のつばきファクトリーに提供されたことによって、あまりにぴったりのタイミングで歌詞が現実に寄り添ってしまったことに、山崎さんは驚いたという。※ソース
歌を聴きながら「いったい誰が『涙のヒロイン』なんだろう?」と考えるのも楽しい。悲劇的につばきファクトリーを去ることになった小片さんこそが涙のヒロインと考えてもいいし、メジャーデビューをつかんで初舞台に立つ新人四人こそが涙のヒロインとも言えるし、この曲においてはセンターの立ち位置ではない樹々ちゃんの歌だと考えてもいいし、持ち前の歌唱力を存分に発揮して楽曲の柱になっているきしもんこそが涙のヒロインと思っても成立する。たくさんの女子一人一人の人生に合わせて、解釈が何通りも成立する歌詞なのだ。
そして最後はきしもんによるフェイクと「惨めな役は 似合わない 癪(しゃく)なスポットライト 躱(かわ)して つかもうぜ!華やかな Next ストーリー」で楽曲が終わる。素晴らしい。これまで泣いてばかりの悲劇のヒロインだった自分たちが、その悲劇から自力で脱け出し、この曲を手に次に進む。そんな現状にぴったりだ。つばきファクトリーは確かに再生した。それだけの力を持つ楽曲だ。
さて、ここからは私一人の勝手な喜びを書きます。
ルパパト好きの私としては、ルパパト第12話に車椅子の少女役として出演していた河西結心ちゃんが、前事務所であるアミューズを辞め一般の高校生になったあと、ハロプロのオーディションに合格して歌手デビューし武道館に立つ、という「物語」が見られたことがとても嬉しかった。ルパパト12話劇中の少女は、歌が大好きでステージに上がりたいという夢があるけれど、足を悪くして車椅子生活となり、その夢を諦めかけているという設定である。その物語の続きを見ているような、車椅子の少女が本当に数年後に夢を叶えたかのような錯覚に私は容易におちいった。大手事務所を辞めて山梨の田舎の一高校生として暮らしていた河西結心ちゃんが、ルパンイエローの事務所のオーディションに合格し歌手として武道館に立ったという「物語」は、まるで劇中の車椅子の少女の足が無事に治ってステージで歌う夢をかなえたかのような幸福な錯覚 を私に見せてくれる。物語の中の少年がルパンブルーに触発されて一念発起したように、現実でも、ルパンイエローに触発された一人の少女が一念発起して自らの夢を叶えたのだ。結心ちゃん、ハロプロに来てくれてありがとう。
2位 愛してナンが悪い!? / モーニング娘。’21
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モーニング娘。新アルバム『16th~That’s J-POP~』冒頭の一曲。
当初、このアルバムは私の琴線にあまり触れなかった。それはコロナのせいで楽曲を披露する場所がまったくなかったゆえであると、佐藤優樹ちゃんの卒業公演で私は気が付いた。娘。のエースであるまーちゃんの卒業公演を見て、私は初めて「娘。の楽曲の魅力はライブでこそ出る」という当たり前の事実にたどり着いたのである。遅いね。
ハロプロにおいては(時系列的に)一番最初にCD音源が収録される。そのため、その後何十回と行われるライブで歌唱力と表現力がどんどん上達した結果「CD音源が一番下手」という珍現象が発生する。口パクせずに生歌のライブを地道に積み重ねる若い音楽集団ゆえだ。その上にオタクのコール(コロナ以前)やクラップが乗るため、楽曲はさらなる別物に進化していく。その変化と成長こそがハロプロの面白さである。簡単に言うと、曲がライブで成長していくのだ。
ハロプロの楽曲はライブでどんどん洗練されていく。これを逆に言うと、ライブがない場合、曲が変わらない。こっちも聞き込むことがない。音源を聞く機会が減る。歌詞への共感やなじみも減っていく。娘。は、いやハロプロは、くりかえされるライブと公式から(昔は一部有志によって)Youtubeに次々とあがるライブ映像ありきの集団芸術なのだ。
そんな状況の中、ライブなし、音源を聴いただけで好きになった曲が『愛してナンが悪い!?』。ライブで聴いたらさらに好きになった。つんく♂さん真骨頂の一曲。
歌詞は明らかに高木紗友希のためのものであり、彼女を肯定するための歌詞である。愛して何が悪い。もちろん、何も悪くない。いや本当は紗友希のためではないと思うけれど、タイミング的にはそうとしか思えない時期に発表された。愛して何も悪くない。当たり前だ。あの三島由紀夫でさえ「少年がすることの出来る──そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう 」と言っている。医学的に言えば、男女の恋愛を否定するのは、人類に「滅べ」と大声で叫んでいることと同じである。まあ別に世界破壊願望を持つこと自体はかまわない。反出生主義もよくわかる。しかし、それを他人に強要するのはまちがいだ。繁殖を否定されても困るし、女性の性欲を否定するのは女性の人権を否定していることと同じである。私たちには確かに肉欲があり、その相手を自由に選ぶ権利がある(もちろん相手の同意は必要)。肉欲のわく相手と一緒に過ごしたいと願う、その欲望自体を否定することは許されない(もちろん相手の同意は絶対に必要)。つんく♂さんありがとう。
さてこれが二番になると、「グーグーグーGood ! 親指が人気の基準じゃん アホらしい」とSNSのいいね!の数を競う世の中を憂いつつ、突然「シャーシャーシャーシャー洒落臭い 宵越しの恋愛」と、初恋の狂乱から急激に冷めた目線に主人公が変化している。いったい何があったんだ。1番の歌詞で「深夜焼き肉デート 親密じゃん」していた相手とは別れてしまったんだろうか?これまた味わい深い。そして最後は結局、人生の野望のために現実を見すえて、限界を決めずに想像力を発揮していくしかないよね!といういつもの結論に至る。これまた表現者たちの正しい現実主義で素晴らしい。バランスがとれている。
決めのパートの「Oh 愛して何が悪い!?」と「常識は非常識」を、入ったばかりの15期三人が順番に回しているところも好きだ。それぞれの声の個性が出ている。この曲がアルバムの一曲目に置かれているということは、つんく♂さんが新メンバーを軸にモーニング娘。の次の時代を考えているということである。よかった。
私がモーニング娘。に求めているのは「変化」である。大好きだった福田明日香がいなくなった23年前から、私が娘。に求めているのは常に「変化」である。変化が欲しい。それ以外はいらない。変化してくれ、モーニング娘。
3位 空を遮る首都高速 / 和田彩花
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ハロプロの事務所は「ハロプロを宝塚にしたい」という野望 があるんだな、と私が気付いたのはいつ頃だっただろうか。高橋愛ちゃんが宝塚の大ファンであったこと、その愛ちゃんが「宝塚には『すみれコード』があるけれどモーニング娘。には『モーニング・コード』がある。卒業して『モーニング・コード』がなくなったとたんに、これかぁ!って感じです」と発言した時(2011年11月27日帝国劇場での記者会見)だろうか。ハロプロエッグに大量に人材を投入し、そこからデビューさせたりグループを作り始めた時期だろうか。
① 25歳までの女子による
② 在京の
③ TVの歌番組にも出られる
「アイドル版宝塚」をハロプロは目指しているんだろうな、という意図を私は嗅ぎとりはじめていた。
その頃ハロプロを支えていたBerryz工房と℃-uteは、あまりに幼ない時期からあまりにも長い時間を固定メンバーで拘束していたために、新しいメンバーの中途加入を受け入れることはできなかった。メンバーもそうであったし、ファンもそうであった。Berryz工房と℃-ute(とその選抜ユニットであるBouno!)は結局最後まで卒業・加入制のグループにすることはできず、休止または解散した。
娘。以外に初めて卒業・加入制グループとして独り立ちできたのが、他ならぬアンジュルムである。アンジュルムは娘。以外のハロプログループで初めて、宝塚の一つの「組」にあたる存在になった。モーニング娘。が花組であるならば、アンジュルムは月組になったのだ。
宝塚の組にもそれぞれ得意分野とカラーがあるときく。モーニング娘。とアンジュルムにも、れっきとしたグループの色と存在意義がある。
モーニング娘。は結局のところ、どこまでいっても「つんく♂にインスピレーションを与える楽器」である。ではアンジュルムは何か。それは「日本における女性の自立を、女性自身が考えること」だと私は思う。まぁ、これをものすごーくおおざっぱに言うと、女性の自己選択権と自己決定権、ひいてはフェミニズムと呼んでいいのかもしれない。
これはあやちょの作った唯一無二の道である。そして、モーニング娘。には歩むことのできない道である。モーニング娘。は「つんくのインスピレーションを刺激する楽器」であることが最も強い命題のグループだから、「女性自身が考えて自己の表現を選択・決定する」という視点はどうやっても持ち得ない。それを持ったときは卒業するときであり、父性からの脱出こそが娘。卒業のメタファーとなる。
アンジュルムはスマイレージの創世期からずっと、あやちょがただ一人のリーダーであった。長い低迷期にも彼女は決してくじけなかった。大人の男性たちに「日本一スカートの短いアイドル」というキャッチコピーをつけて売り出された女性アイドルグループのリーダーだったあやちょが、自力でフェミニズムにたどり着いた。その成長過程こそがアンジュルムの核である。アンジュルムというグループの中に、一番太い、真ん中に通る骨を作った。アンジュルムの中心にはその柱が通ってしっかりと立っているから、新人として誰が入ってきても大丈夫なのだ。そんなグループになった。だからアンジュルムはモーニング娘。とは別の存在になれた。これはハロプロの新基軸であり、あやちょ以外の誰にも成しえなかった。
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だから私があやちょに思うことはたった一つ。どんどんやれ。この一言しかない。他の誰にも真似できない創造性を持った思想家に、ほかに言えることなんてある?想像がつかなかったものを生み出した芸術家に、他に言えることなんてある?何もないでしょう。
あえてアンジュルムの姿勢を言葉にするなら「可愛いこともきれいになることも否定せず、自分の権利も主張しながら表現者として成り上がり、かつ幸せになる道を自分で模索する女性」あたりだろうか。若い女性ファンが増えるのも当然である。そしてその信念通り、アンジュルムの女たちは自分の頭で考えて、自分の野望のために行動していく。ハロプロにいる間がキャリア・ハイではない。その先でもいろんな道へ進んでいく。田村芽実ちゃんは本当に素敵なミュージカル俳優になった。めいめいが私たちハロヲタをふたたび帝国劇場に連れていってくれると、私は信じている。
ちなみにカントリー・ガールズは「かわいいだけでなんとかなる、か?」というデビュー時の秀逸なキャッチコピー通り、「かわいい女の子がかわいい服でかわいい歌を歌う、という生身の人間が続けるには厳しいほど純度の高いアイドルらしさをキープするために、メタ視点とギャグを織り交ぜてプレゼンする」という最高のコンセプトでけっこう成功していたのだが、桃子の引退とともにつぶされてしまった。Juice=Juiceは「研修生から歌唱力エリートを次々と選抜して、歌のアベンジャーズを作る」という新機軸を見いだし、これもいったんは成功していた。Juice=Juice最初のCDアルバムの一曲目が『選ばれし私達』だったのは、まさにその象徴であったと思う。Juice=Juiceは宝塚における「雪組」になっていた、と思う、朋子卒業で横浜アリーナを埋められるくらい動員できていたんだし。それなのに、今はそのコンセプトが消えている。これからどうするつもりなのかよくわからない。つばきファクトリーもまだ未知数だ。両グループにはきっとこれから2、3年かけて、新しい色が出てくるのだろう。期待しながらゆっくり待っている。
4位 愛されルート A or B? / アンジュルム
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めずらしい三拍子の曲。この曲をもって卒業する、ももにゃこと笠原桃奈ちゃんの魅力が大爆発している。卒業直前最後のシングルでようやく卒業メンバーの魅力が開花して「何でもっと前からこれをやれなかったの!?」とファンが怒る。これもまたハロプロの恒例行事である。『泡沫サタデーナイト!』の鈴木香音ちゃんもそうだった。
おそらくこの現象は「星は爆発する前が最も輝きを増す」のと同じ原理なのだろう。辞めるからこそ、自分に知らず知らず課していた心のカセが外れて、好きなように自分を表現することができるようになる。結果として限界を超え、その人にしかない魅力が花開く。それにようやく周囲が気付く。でも、もう遅い。そのときにはもう若い少女の心はとっくによそにうつっている……。卒業のたびに、何回も繰り返されてきた悲劇だ。「私の魅力に気付かない鈍感な人」にはなりたくない!って私もずっと思っているんだけどね。むずかしいね。ごめんなさい。
5位 ミステイク / ハロプロ研修生ユニット(現OCHA NORMA)
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2021年・ハロヲタが聴かされた回数ランキング第一位の曲。なぜなら、ハロプロがおこなったほぼすべての興業でオープニングアクトとして披露されていたためである。私も何回聴かされたかわからない。研修生オタクの皆さんはもう聞き飽きて、うんざりしていたはずだ。でも私はこの曲好きよ。特に4人時代の『ミステイク』が好き。デビュー前のメンバー4人が不安そうな面持ちで登場しながらも、どんなアウェーの会場でも力強く歌い踊っていた印象が強い。歌も上手だった。落ちサビ導入部の斉藤円香ちゃんの「だめね」(この動画の2:54)と、落ちサビ最後でウィンクしながら観客を指鉄砲でうつ石栗奏美ちゃんの「だから」(この動画の3:10)が好き。好きだったんだけど、新メンバーの加入によって両方ともパート割が変わってしまった。残念。
誰かを好きになりそうで、でもまだその気持ちを認めたくない。初恋の感情のコントロールを知らない、でも不器用なりに策略をめぐらす少女の心の揺らぎを描いた歌詞も最高だ。
6位 このまま! / モーニング娘。’21
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ライブが楽しい、明るい曲。近年の娘。に提供された唯一の明るいアイドルらしい曲である。この曲だけを頼りに生きていくのはつらいです。つんく♂の初恋真っ最中の浮かれトンチキな楽曲をもっと出してください。私もそろそろ、ドクターストップがかかるほど「恋落ち」したいんです。よろしくお願いします。
7位 激辛LOVE / BEYOOOOONDS
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山崎夢羽ちゃんがサビ後に一回だけ舌を出すのがアップになるところが好き(この動画の1:46)。そこを見るためだけに20回くらいMVをリピートしている。他のメンバーがあまり舌を出さないのはどうしてなんだろう?カメラに抜かれていないだけなのかな?みんなやってほしい。
2021年の夢羽ちゃんといえば映画『あの頃。』である。夢羽ちゃんは劇中で、当時のあややこと松浦亜弥さんに扮している。これがきちんと当時のあややに見えて、すごくよかった。
『あの頃。』という映画は、なんだか筋書きに「照れ」があった。照れないで!もっとはじけてよ!上京して、「神聖かまってちゃん」のマネージャーとして売れて、ベーシストとしてもフジ・ロック・フェスティバルにまで出て、コミックエッセイも出してTVにも出て、素敵なパートナーができて子どもにも恵まれ、ハロメンとも共演して、ついに映画化したぜ!主演は松坂桃李だぜ!ハロメンに仕事を作ってハロプロに恩返しもしたぜ!うはははははは!……という主人公の展開まで含めてこそ、うだつのあがらない若者の「成り上がり」物語だと私は思うのだが。そこまで描いてこそおもしろい、いやむしろそれこそが必要では?その「落ち」がないと、ただの謎の若者集団の謎の趣味と謎の盛り上がりとその終了と別れの話になっちゃって、読後感がわけわかめだよ!!……と感じてしまった。アイドルへの情熱がだんだん冷めていくところも、それぞれにアイドルよりも大切な何かを見つけて徐々に散っていくところも、それでも友情は細々と続いていくところも、病気とともに三次元女性に耐えられなくなり二次元にはまっていくさまも、忌憚なく描いてほしかった。そのなかで上京した主人公が「俺だけは音楽で成り上がっていく!一緒に馬鹿やってた昔の仲間と離れて、なんとか成功したぜ!でも心の中では当時のことを決して忘れていない!だから、この物語を描いた!」まで突き抜けてくれれば、私は『トレインスポッティング』と同じ味わいで楽しむことができたと思うのに。でも、物語はそのずっと手前で終わってしまった。
実際の原作では、コズミン(役名)が死ぬとき、主人公はすでに神聖かまってちゃんのマネージャーとして表立った仕事を順調に行っている成功者になっている。でも、あまりそうは描写してくれない。もっとガツガツしてくれ、主人公。もっと野心をもってくれ、主人公。もっと自我を見せてくれ、主人公。それがオタクってもんだろ。そこになんだか「かっこつけ」というか、「照れ」が見えてしまったのだ。
私はオタクなので劔さんのその後のご活躍を知っている。だから、映画の後を脳内補完して楽しむことができる。でもそれはあくまで作品外の予備知識だ。ちょっとだけでも映画内で示して欲しかった。本音を言えば映画の中で現実と交差して、劔さんが自分の過去のマンガを描く、さらにそれが映画になるところまでやってくれたってよかった。ちょっとメタフィクションくさくて萎えるかもしれないけど、そこはまぁ上手くやってもらって。原作の「ダメな若者ばかりだけど妙に爽やかな読後感」との差は、結局、主人公があの後どうなるのかよくわからないことにあるのかなぁと思った。
演出や楽曲、小道具の時代再現や役者さんの演技は素晴らしかったと思う。コンサート会場の客席の再現度も完璧だった。石川梨華ちゃん卒業コンサートにいた、大箱の卒コンだけにはチケット譲渡も辞さずに参加するお堅い職業の一人参加の高齢女性ハロヲタは、一瞬自分のことかと思ってしまった。物語全体で見ればあの女ヲタはなんで出てきたのかよくわからない存在だったけれど、観客である私が「おっ自分のことかな?」と思う人物が出てきたという事は、ハロヲタを細部まで描けているということなんだろう。たぶん。
2021年は以上です。2022年は今のところモーニング娘。の『よしよししてほしいの』一強の予定です。いまだ続く新型感染症のせいで新曲をリリースすることすら大変なご時世かと思いますが、一曲でも多く新鮮な曲が聴けることを楽しみにしています。(2022/10/30)
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