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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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Buono!がラストってどういうこと?そんなもったいないことってある?

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Buono!ライブ2017 〜Pienezza!〜@横浜アリーナは最高でした。ハロプロの長い歴史の中でも一、二を争う素晴らしいコンサートだったと思います。今後のハロプロおよび女性ライブアイドルは、ここを目標に活動していくことになるのではないでしょうか。モ娘。プラチナ期の『ライバルサバイバル』がそうであったように。ハロプロがつんく♂さんを欠いたまま歴史を紡いでいくというのなら、ここしか目的地がないとさえ、思います。

きちんとカネがかかっているレコードを模した中心が上下するセンターステージ、広い花道の使い方、新旧取り混ぜたセトリ、暗転を上手に繋げる映像の面白さ、楽曲の良さ、歌唱力の高さ、バックバンドのクオリティ、そして何より、メンバーも衣装も歌声も、三者三様にかわいいこと。文句なくかわいい。「かわいい」ことを絶対に忘れていない。生歌で踊る「女性アイドル」という形態が到達した、一つの最高点だと感じました。

Cafe Buono!→Early Bird→こころのたまご→みんなだいすき と、しゅごキャラ!時代の曲をやってくれたのも嬉しかったです。短いメドレーでも、嬉しかったです。子供時代特有の高音をきちんと出してきた桃子と雅は本当に素晴らしかった。去年の武道館よりも、ずっと声が出る状態に仕上げて来るんだもん。すごいよ。

みやももは最後までみやももでした。服の趣味もメイクの好みも正反対だけど、お互いの実力を認めあっている。決してベタベタなんかしない。でも、桃子の大事な発表のとき、雅ちゃんはいつもその場に駆けつける。仲間だけどライバルで、ライバルだけど長年の戦友。近すぎない信頼関係が最高だ。さいこうだー!あー!あー!

あ、もちろん、現役バリバリの愛理の歌唱力と表現力は文句なく高かったです。安心できるお姉ちゃんが二人いる環境で、センターでもなく、末っ子ポジションでふにゃふにゃとリラックスし、何を言っているかさっぱりわからない滑舌で楽しそうにMCをして変人ぶりを披露する愛理。Buono!の愛理だけが出す、あのオーラ。その一秒後に突然、信じられないほど上手に歌い出す愛理。こちらはそのギャップに、何度でもひっくり返ってしまう。℃-uteとはまた違う魅力が全開で、とても可愛らしかったです。あの愛理がもう見られないのは、本当に残念だなぁ!

そして、どの曲もフルで聴きたかった。フルで聴くまでは成仏できないよ!星の羊たちと紅茶の美味しい店とwinter storyとGO!GO!ゴーダとタビダチの歌を聴かないと成仏できない。いや、本当は、『みんなだいすき』で桃子の「キャラなり〜♪」を聴いた瞬間に、報われなかった2009年のねじ子の怨念が昇天し始めたんだけど、あわてて魂をたぐりよせて、ぐっと地表に踏みとどまったよ。

 

ライブのサブタイトル〜Pienezza!〜は「お腹いっぱい!」って意味らしいけど、こちらは全然食い足りません。まだまだいくらでも食べられるんだからね!まだまだ、お腹すいてるんだからね!4年も待たされたんだから当たり前でしょ!我々はオタクなんで、待つのは慣れてますから。いくらでも待ちますから。どんなに迷惑だって思われても、勝手に待ちますから。オタクの忍耐力、なめないでください。こっちは庵野と冨樫とガラスの仮面とベルセルクと田中芳樹とFKMT先生に十年単位で鍛えられてますんで。ええ。

会場前は20代女子とその連れの若い男性ばかりで、「あれ?当時一緒にキッズを支えていた男性達はどこへ行ったの?私は、おばさんになったよ?みんなも、おっさんになったはずでしょ?」と不安を感じたけれども、いざライブが始まれば古い曲にもがっつり昔ながらのコールが入っていて安心しました。

ところで、平日夜のコンサートというのは社会人オタクにとって波動砲なんです。何発も続けては打てません。発射前の長い段取りや、発射直前のタメの時間はもちろんのこと、発射後のエネルギー充填時間が絶対に必要なんです。そしてハロプロを支えている多くのオタクは、社会人のDDなんです。かくいう私も、そうです。平日に働かないと、現場に行くお金と時間がなくなるのです。

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というわけで5月の波動砲はBuono!に打ってしまったので、5月の娘。武道館には入れず、音漏れを聴きながら昼休みにみそ汁だけを買い出しに行きました。とほほ。6月はさらに娘。武道館・アンジュ武道館・℃解散SSA・ももちラスト野外と、大箱のライブを4本も入れられてしまいました。どうしようかな。困るな。(2017/5/31)

野生の息吹だゾゾゾ

『ゼルダの伝説BotW』の世界でずっと草を刈っていたい。小麦とたまごとバターときび砂糖を煮詰めてエッグタルトを作りたい。馬を駆け、まだ見ぬ海沿いの村に行きたい。初めて見る魚や虫や果物をたくさん採りたい。手に入れた食材は調理して売り払って、ゲルドの街で新しい服を買おう。

夜はハテノ村の自宅に帰ってぐっすり眠りたい。イチカラ村の古い友人を訪ね、宿を借りたっていい。獣のうごめくハイラル城に忍びこんで、城に眠るお宝たちをこっそりと持ち去っていくのも楽しい。

ゼルダ姫のことはしばらく助けに行かない。だって私はこの世界で、まだまだ楽しく、自然と共に暮らしていたいんだ。(2017/5/9)

『けものフレンズ』10話までの所感と新創世紀

『けものフレンズ』は確かに、現在の日本の若者にとって、よくできた救済の物語だと思う。

日本の少子化と経済規模縮小は、おそらく避けられない未来だ。高度経済成長やバブル期に建てられた巨大建造物やインフラを維持するだけの生産力すら、我々は確保できないかもしれない。自分が子供の頃遊んだ楽しい建築物は、ED写真の遊園地のように廃墟になっていくだろう。実際、少し地方に行けば建物だけが残ったゴーストタウンや商店街がすでにゴロゴロしている。それを壊す金やマンパワーすら用意できない未来が来る。そんな予感はみんなの中にある。ジャパリパークは、確かに昔は巨大な動物園か遊園地であったはずの廃墟なのだ。

しかも、廃墟の中にはなぜか大きな火山があり、コントロールできず、毎年爆発してよくわからない物質を撒き散らしている。我々はそこにフクイチの影を見る。フレンズたちは今のところ一種につき一匹しかいない。それもメスのみだ。子孫を成す方法もない。

謎に満ちたこの状況は、すべて彼女らのせいではない。すべて前世代によって作られている厄災であり、「気付いたらそこにあった厄災」だ。それでも、その土地にそのとき生まれた数少ない生命たちが出会い、お互いの個性を紹介し、長所を認め、知恵を出しあい、できる限りの協力をして、小さな手で作業し、問題を解決していく。そしてみんなでジャパリマンを食べる。原始的快感も決して忘れず、すべり台を滑れば全力で「うわー!たーのしー!」と叫ぶ。震災後、未曾有の不況と少子化と経済縮小の中で生きるための知恵がそこには確かにあると思う。

我々の世代の多くは両親の生涯年収を越えることができないだろう。親が自分に与えてくれたサービスを、自分の子に与えることができない。個体数もどんどん減る。国民総中流と言われた時代は終わり、生まれながらに遺伝子や環境や資産が細かく違うと誰もが気付いている。

その一方で学校では「みんなちがってみんないい」と教わった。かつて「困った子」と大雑把にくくられていた子供達にも発達障害やADHDやLDの診断がついて、個別対応ができるようになった。フレンズたちは口数は少ないけれど、その会話は非常に前向きで気が利いている。尊敬と信頼にあふれ、決して相手を不快にさせない。それらはすべて第1話の「へーきへーき!フレンズによって、とくいなことちがうから!」というサーバルちゃんの台詞に集約される。そうやってお互いを尊重し、傷つけ合わず、少ない数でも協力して生きていくしかないのだ。

とすると、やはりそれを脅かす存在であるセルリアン、そしてフレンズを生み出す根源であるサンドスターの正体が非常に気になる。何なんだろう。前世代のヒトなのかな。まったく別の異形の存在かな。宇宙からの使者かな。圧倒的な暴力かな。マインクラフトによく似た「新しい創世記」だと考えれば、ラスボスは地中奥深くに潜んでいる巨大ドラゴンなんだけど、誰も倒しに行かず、みんなで海辺に家を作って「うわー!すごーい!たーのしー!」で終わりかな。なんでもいいよ。とても楽しみ。わくわくしてる。(2017.3.21)