ハロヲタのみんな、工藤は当たりを引いたよ
スーパーパトレン1号の情報が出て嬉しい。もう思い残すことはない。これでルパパトはきちんと完結した良い作品として終われる。正直、ほっとした。私は「サイレンパトカイザーと超パトレン1号を見るまで、サイレンストライカーは購入しない」と決めていたんだ。あのテコ入れが成功だったという業績を残したくない。私一人なんてちっぽけな売上だけど、それでも、貢献したくない。私はめんどくさいおたくだから、納得がいかないテコ入れに対する抗議の意味で、一人勝手に不買活動をしていたのだ。

ルパパトのDX玩具コンプリートまであと少し!あとはノエルの武器だけ!
散財は楽しい。この1年間とても楽しかった。適齢期男子の母であることをいいことに、私はルパパト関連商品を買って買って買いまくった。大人でよかった。わたしは幸せだ。なーに、聴きもしない同じCDを何枚も買うより、ずっと楽だ!ずっとずっと楽しい!なんといっても子供が遊んでくれるし、飾って見栄えがするし、なりきり遊びもできるし、がちゃがちゃ変形して楽しいし、飾ってニヤニヤできるし、さわってニヤニヤできるし、箱を見てニヤニヤできるし、組み立てても楽しいし、音を鳴らしても楽しいし、写真を撮っても楽しい。そこらじゅうの店で売ってるから入手しやすいし、思い出にもなるし、不要になっても処分が楽だし、バザーや中古屋に出すこともできるし。最高のオタクグッズだよ!
ドルオタってね、CDやグッズの処分がすげえ大変なんだよ。わざわざCDの大量破棄を手伝ってくれる業者まであるの。分別も大変だしね。グッズやチェキはアイドルが卒業したらすぐに1円の価値もなくなっちゃうから。それに比べて戦隊のおもちゃは、手放すのも簡単だし、次の世代の子供が楽しく遊んでくれる。こんなに幸せなことはないよ!
真野ちゃんが仮面ライダーなでしこに変身したとき発散しきれなかった購入欲を、私は存分に解放することができた。本当に嬉しい。いや本当は今からでも100億円分おもちゃを買い足してネットで好き放題言っている外野(そういう人たちはDX玩具を決して買わない)を黙らせてやりたい。そこまでの財力が私にないことを申し訳なく思う。ごめん工藤。(2019.2.1)
年末最後の推しごと
12月23日に『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』Gロッソ素顔の戦士公演・第4段の千秋楽を見に行きました。子供と一緒に「推しごと」に行けるなんて、家族にも喜んでもらえるなんて、私は幸せものです。ありがとう工藤。
武道館以来一年ぶりに見る舞台の工藤は、アドリブも冴え、生き生きと飛び回っていました。ふわふわの衣装で快活な少女を演じる工藤を見て、私は『ステーシーズ―少女再殺歌劇』のハム恵を思い出しました。軍用チワワと呼ばれていた頃の工藤。ロリヤクザと言われていた頃の工藤。まだモーニング娘。に数字がついていなかった頃の工藤。全能感にあふれ過剰に張り切っていたあの頃の工藤。
クリスマスイブ・イブだったこともありサンタ帽子をかぶった姿も、「メリークリスマス!」と言いながら客席へ投げキスする姿も、非常に愛らしかったです。当時の娘。舞台で受けていた男役ではなく、年齢相応の可愛い女子として工藤を配役してくれたことが私はとても嬉しい。可愛い女の子を見ると、乾いた心にうるおいが戻りますね。「工藤に会いに行くんだから、きちんとした格好しなくちゃ!汚いおばさんの姿を工藤のきれいな瞳に入れるわけにはいかない!」と思って締切前でヘロヘロだったけどちゃんと風呂にも入ったし。おめかしもしたし。一年最後のよい推しごとができました。
月並みですが、可愛い子が悪役にやられて倒れもだえ苦しむ姿って、なんともいえない高揚感が湧きおこりますね!どきどきしちゃった!これはハロプロのコンサートでは決して味わえない興奮だな!うふ!
私の行った公演には、実はしょこたんとはるなんも見に来ていたようです。気が付かなかった。武道館南1階の関係者席を双眼鏡で覗きながら来場メンバー全員の名前をつぶやいてくれるおたくが山ほどいるハロプロの世界に慣れすぎていました。不覚です。はるなんの卒業公演に行けなかったかったこと(しかも会場には藤子不二雄A先生もいたらしい!同じ空気を吸いたかった!)に私はかなり凹んでいたのだけど、まさかその一週間後に、G-rossoという座席数765席の狭い空間で卒メンそのものとすれ違うことになるとは。しかもそれにまったく気付かないとは。おたくとしての勘も感度も鈍ってるな、私。
2018年下半期のねじ子のオタク活動はさんざんでした。
過去10年推していたアイドルが、女神と崇めていた女の子が、ある日突然容疑者付きの名前で連日トップニュースになり、手錠と麻縄で連行されるやつれた姿をあまたのメディアで毎日見せられたら、精神の安寧を保つのはむずかしくなります。よっすぃが逮捕されたあの日以来、わたしは自分とハロプロとの距離を決めかねています。
愛の燃料タンクに突然銃弾を打ち込まれて穴があいたというか、風船にとつぜん針を刺されたというか、とにかくあれ以来「ハロプロを好きだ」という気持ちを膨らますことがむずかしくなってしまいました。MVやライブを見た直後は「やっぱりいいな!」と思えるんですけど、その気持ちがなかなか続かない。川の底の小石のようにすばやく流れていってしまう。
なんなら私は、彼女がマクドナルドの仕事を休んだニュースをお昼休みの休憩中に見て、彼女や息子さんの体調を心配すらしていたんだよ。それなのに。ばかみたいだ。
傷口を自ら晒していく圧倒的なスタイル。(新潟にはNegiccoがいるよ。もう15年間も真摯に活動を続けているよ。曲も手抜きなしで最高だよ)
医学部受験のとんでもない女性差別が明るみになった時期とそれはちょうど重なっていて、私は精神的にくたびれてしまい、各種メディアから断絶した生活をしばらく送りました。そうしないと今ここで立っていることすらできなくなってしまうからです。
そんな私の心の均衡を保ってくれたのは毎週日曜朝の『HUGっと!プリキュア』と『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』でした。ルパパトは脚本とキャラ設定が非常によくできています(サイレンストライカーの扱いとスーパールパンXという存在の矛盾以外)。工藤のおかげで私はなんとか健康に年を越すことができました。
ニチアサ適齢期男子の母でもある私は、勝手にルパレンのおもちゃやグッズを買いまくりました。ああ買ったさ。山ほど買ったさ。ダイヤルファイターもVSチェンジャーもマグナムもソフビもお菓子もふりかけもキャラデコケーキもフィギュアもブルーレイもswitchのゲームもユニクロのヒートテックも買ったさ。子供が別に欲しがってないものも勝手に買いあさったさ。「じゃあこれは運動会のごほうびね!」とか言ってごほうびプレゼントの機会を勝手に増やして、自分の欲しかったマシンを手に入れまくったさ。「じゃあ病院の待ち時間にこれ読もうね!」とか言っててれびくんやシール絵本も(工藤の写真が載っているものを選んで)買いあさったさ。だって工藤のためだもの。もっと言えば、これからハロプロを卒業して女優や声優になりたがる後輩たちのために、道をつなげたかった。「ハロプロ卒業メンバーを起用すれば、ハロヲタがおもちゃを買ってくれる」という実績を作りたかった。お金で買えるルパンイエローのグッズはすべて手に入れたし、ルパンレンジャーのダイヤルファイターはぜんぶコンプしてるし勇動もすべて揃えた。ぬいぐるみもイエローは両方買った。「君はどっちを応援する?」って煽られていたから、確かに警察側のおもちゃはあまり買わなかったかもしれない。
自由な組み合わせで出撃を待つ皆さん
しかしまさか、警察側の武器をすべてルパン側に回す無謀なテコ入れがやって来るとは思わなかった。30話のスプラッシュ温泉回はそんなテコ入れを逆手に取った最高の脚本だったけれど、サイレンストライカーとスーパールパンXのどうにも料理できない凄惨さには心底がっかりした。もう12月なのに心配ビームでキツツキが飛んでたときは先行きが心配すぎてこっちが倒れるかと思った。
それでも、工藤が最初に言っていた通り、ルパパトは「歴代最高の戦隊」になるポテンシャルを今でも十分秘めていると思っている。ちなみに私の中の戦隊シリーズ最高傑作はデカレンジャーとシンケンジャーです。ルパパトは今のところその2つに並んでいます。もちろん「物語は終わって初めて完成する」と真木博士の言ってるとおり、物語は最後まで見なければわかりませんが。年明け後の怒濤の展開を楽しみにしています。
追伸。東映さん、工藤にソロ曲を2曲もくれてありがとう。ハロプロ在籍中は工藤のオリジナルソロ曲はついに最後までなかったけれど(舞台ではあったかも?)卒業したその年に、外部から2曲もソロ曲をフィジカルで出してもらえるなんて。とってもありがたい。東映カレンダーに抜擢されたことも嬉しい。工藤が大事にされていて私も嬉しい。イエローの声の目覚まし時計やグラビアがたくさん出たことも嬉しい。イエローのグッズを買いまくった甲斐があったよ!あったよ!……あったのか?正直わからん!!客には数字が見えないから!でも私は満足だ!(2019/1/15)
よっすの孤独を思う
どうしようもない内容だけれど、自分自身の混乱の解消と救済のために、この文章を書きます。
私はよっすぃこと吉澤ひとみさんが好きだった。よっすぃがいるから私はずっとハロヲタを続けられた。黄金期と呼ばれる誰もがモーニング娘。を知っていた時期から、人気が衰退し、売上が落ち、レギュラー番組も次々となくなり、音楽番組にもだんだん呼ばれなくなっていく時代を、彼女はリーダーとして支えた。私はそんな彼女が好きだったし、衰退期にも腐らない姿勢に勇気づけられていた。私のハロプロ現場デビューは彼女の卒業公演だった。一番好きな子が卒業するから私は、今よりずっと閉鎖的だった当時のアイドル現場に足を運ぶ勇気を持てた。彼女がモーニング娘。を卒業し、音楽ガッタスが消滅した後は熱心に情報を追うこともなくなったけれど、出演番組はほぼ見ていたし、ブログやインスタもたびたびチェックしていた。
よっすぃはずっと、自分の心の中やプライベートを他人に見せない人だった。ファンに見せなかったのはもちろんのこと、仕事仲間であるメンバーにも見せなかった。それはずっと昔からそうだった。おそらく彼女は長い芸能活動のかなり初期の段階で何かに深く傷つき、心を閉ざしてしまったのだろう。モーニング娘。卒業直前に弟さんが交通事故で死んだことも、よっすい本人の口から語られることはなかった(スポーツ新聞にすっぱ抜かれて公になった)。弟さんの不幸を使って商売をすることもほとんどなかった。モーニング娘。の他のメンバーがモーニング娘。から突然脱退したり、舞台に穴を開けたときも、特に文句も言わず、黙々と仲間をフォローする仕事をしていた。恋愛の報道はいっさいなく、婚約報告は突然だった。結婚のお相手の情報は事故が起こるまでかなりしっかりと(おそらく強い意志をもって)隠匿されていた。子どもが生まれたときも事後報告で、(ファンは当時やきもきしていたのだけど)誕生から一年経ったのちに「実は小さく産まれていて大変だった」ことをブログで明かした。その大変さをリアルタイムにブログやインスタで中継していれば相当のレビュー数を稼げていたであろうに(芸能人ママブログにはそういう要素もあるのに、彼女自身も同じような体験をした母親のブログを見て支えられていたと告白していたのに)彼女はそういう選択をしなかった。いつもしなかった。彼女は芸能人としては不適切なほど秘密主義であった。そして私はそういうところも好きだった。
これは私の個人的な事情だが、藤丼がハロプロからいなくなった時期と、よっすぃが子供の低体重に悩んでいたことをブログで告白したのはちょうど同じ時期であった。2017年7月だ。私はこのとき「あ、私たちファンはアイドルが一番大変なときに何もできないんだね」と強く感じた。そしていま、私はより強くそれを感じている。何もできない。私は無力だ。当たり前だよね、ファンごときが天下のアイドル様に何かできるわけないじゃん。わかってる。わかってるよ。でも、本当に何もできない。何もしてあげられないんだよ!私が人生に悩んでいるときに、アイドルたちは私の心の暗闇に光をともし、進むべき方向を指し示す灯台になってくれていたのに!その逆はできない。彼女たちが一番つらいとき、ファンである私にできることなんて何ひとつない。いやもっと大きく言えば、人間が人間に対してできること(家族でもない他人に対して、してあげられること)って、ひどく少ないのかもしれない。そんなことわかってる。わかってるけど、私はいま、強く無力感を感じている。今のよっすぃを救えるのは彼女の家族とごく限られた周囲の人間(事務所の人など)だけだ。他の人間が彼女にしてあげられることは何ひとつない。残念ながら。
私の中の冷静な医者の部分は「事故の時点で診断はついていなかっただろうし、病院に紐付けもされていなかっただろうけど、彼女はアルコール依存症に限りなく『近い』状態と推測されるし、少なくとも今後はアルコール依存症に『準じた』治療をする必要がある」と思っている。つまりそれは「一生の間、『永遠に』『一滴も』酒を飲まない」ということである。彼女の場合はさらに「車を運転しない」も加わる。この二つを一生守り抜くこと。それができなければ、アルコール依存症患者の未来にはさらなる地獄が待っている。今よりも状況は悪化し、人生は破滅に向かい、人間関係は粉々に砕け散る。私の中の冷徹な医者の部分はそう言っている。そんな患者さんはありふれていて、もう何十人と見てきた。
いったんアルコール依存状態になってしまった患者は、一滴でも酒を飲むと、一瞬で元の依存状態に戻る。そこまでの断酒期間がどんなに長くても関係ない。「一生の間、一滴も、酒を呑んではいけない」のはそのためだ。これは大変なことである。「禁酒」を一生守らせるためには、ご家族の献身的なフォローが不可欠だ。残念ながら、これまでのよっすぃを取り巻く環境は彼女に酒を飲ませることを可能にしていたのだろう。つまり家族や周囲は「イネイブラー」だった。イネイブラー(enabler)つまり、アル中患者が酒を呑むことを(不本意ながらも)可能にしてしまっている人たちだ。
これからよっすぃは一切酒を飲まないように変わっていかなければならない。彼女自身も、周囲も、変わらなければならない。そしてこれはとてもむずかしい。酒はこの社会にありふれていて、安値で簡単に手に入れることができるからだ。それでも、彼女と周囲は大きな決意をもって変わらなければならない。さらなる悲劇を見たくなければ。子供の未来のためにも頑張ってほしい。私の中の冷静な医者の部分はそう言っている。
でも、おたくとしての私は違う。「ねぇ推しメンが手錠腰縄で連行される姿が連日報道されるってどんな気持ち?ねぇねぇどんな気持ち?」と私をからかってくる架空のドルヲタ仲間や、「お前はおたくとして一つ先へ行った!誰も見たことのない景色を今のお前は見ているんだぞ!冨樫よりもうすた京介よりも小林よしのりよりも、お前は先に進んでいる!最先端だ!喜べ!状況を楽しめ!」と神の視点で私に語りかけてくる人物を心の中に作りだしても、私の心は癒えない。全然だめだ。自らの心の傷を神の目線で俯瞰で見るのは有効な防衛機制のはずなんだが、心が萎えるばかりだ。
結局よっすぃは最初から最後まで普通の女の子だったのだ。とびきりかわいい、つんく♂の言葉を借りれば「天才的に可愛い」普通の女の子。普通の女の子を我々ファンが勝手に女神として持ち上げ、もてはやし続けたことで、彼女は何らかの闇と心の傷とプレッシャーを抱え、結婚し出産してもその不安を解消できなかったのだ。だからアルコールを飲み続けたのだ。しかも、それさえも、我々ファンは「酒豪」として楽しんでいた面がある。これは私たちが18年間彼女を追い詰めた結果でもあり、つまりは私たち自身がイネイブラーだったのだ。考えすぎなのかもしれないが、事故の報道があった日以来、私はそう思うことを止められないでいる。
私たちドルヲタは弱い。弱い人間だ。だからアイドルなんか好きになるのだ。そこらへんの少女を女神のように崇めるのが私たちの渡世だ。それがないと、この世はあまりにつらい生き地獄なのだ。彼女らは生身ではみなごく普通の女の子だ。女神なんかじゃない、そんなことわかっている。ぜんぶキモヲタの妄想だって自分でもわかってる。わかってるから、大目に見てほしい。そうやってアイドルに甘えて、アイドルというシステムに甘えて、私たちはここまで生き永らえてきたのだ。見たことも会ったこともないのに勝手に決めつけるけど、ユースケ・サンタマリアだってマツコ・デラックスだって柳原可奈子だって松岡茉優だって蒼井優だって吉田豪だって朝井リョウだってタワレコ社長だってピザーラ社長だってきっとそうなんだ。
でも、私は、勝手に女神扱いされてしまった女の子の気持ちを考えたことはあるのだろうか?羽を勝手に生えさせられた女の子側の気持ちを考えたことが、これまで本当にあったのか?勝手に女神扱いされるなんてたまったもんじゃないのでは?自分だって、医者を勝手に聖職者扱いする人間には辟易してるのに?
ジブリ制作・宮崎駿監督「On Your Mark」を初めて見たとき、若かった自分が日記に書いた内容を、今ここで引っ張り出し、コピー&ペーストしてみようと思う。以下がそれである。
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「On Your Mark」を見て思ったこと。「羽の生えた女の子の気持ちを考えたことはあるの?」
羽の生えた女の子を救うことが生きていることの意味だ、という男の人の気持ちはわかる。その通りだと思う。宮崎駿も村上春樹も谷崎潤一郎も、いつだってそうだった。勝手に理想の女性を作って、それを混沌とした世界で生きるための心の支えにしてしまう。それはきっと正しいのだと思う。少なくとも、戦歴や利益や金や名誉や権力のために生きることよりもずっと美しい。
でも、羽の生えた女の子の側の気持ちを考えたことがあるのだろうか?勝手に女神扱いされてしまった女の子の気持ちを考えたことはあるのだろうか?
この物語の中に、XX遺伝子は羽の生えた女の子しかいない。私の体はXX遺伝子でできている。だから私は、とりあえず女の子の心のなかに入り込んでフィクションを鑑賞する。でも、入ってみたら、その心のなかには何もない。空虚。からっぽなのだ。それは、あえて空っぽに作られている。女の子の心情など描かれる必要はないのだろう。わかってる、この作品はそれでいい。
でも私はどうしても「羽の生えた女の子の気持ち」を考えて、そして深く落ち込んでしまう。そんな私に「女の子の気持ちを考える必要はない」と言ってくる人もいる。たいてい男性である。そう言われるとますます深く落ち込んでしまう。馬鹿になれ、と言われれているように聞こえてしまう。実際はそうではないとわかっていても。
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これが当時の私の感想である。若い女子であった私の。すでにハロヲタであった私の感想だ。そして40代になった私はいま、自分の弱さとずるさを心の奥底から引きずり出され、悲惨な結果を目の前に突きつけられている。どうしようもない。10年間推していたアイドルの名前に容疑者がつき、手錠と腰紐で連行されていく姿を毎日どこかで(ネットもテレビも一切遮断したのに電車の中の液晶に不意打ちで出てきたり、訪ねたコンビニの入口に置いてある新聞の一面にデカデカと名前が載っていたり)目に入れさせられて、私は気がふれたのかもしれない。よっすぃがモーニング娘。から卒業してからはや10年、救いようもないことに、私はいまだに年端もいかない女の子たちを女神としてあがめ立て続けている。懲りもせずに。目もあてられない。こんなときいつも私を癒やしてくれたつんく♂さんも、もういない。
私はよっすぃのことを何も知らなかった。
過去10年間推していたのに知らなかった。
あんなに酒に溺れているなんて知らなかった。
子育てに不安が強かったことも知らなかった。
(噂が本当なら)旦那さんにいろいろと事情があることも知らなかった。
だって彼女は何も言ってくれなかった。
ブログやインスタにもそんなこと書いてなかった。
富にあふれた豊かな暮らしと子育ての写真を毎日インターネットに載せて、
精一杯の幸福を演出をしたあと、
ふと真顔にかえって、
とんでもなく強い安酒を浴びるように呑んでいたんだろうか。
そんなことしないでいい、ぜんぶ、なにもかも、しなくてよかったのに。
どうして、君はいつから、こんなになったんだい?
自分ではいつからおかしくなったか、わかるはずだろう?
拘置所でずっとそれを考えていたんだろう?
いや、だからこそ、引退を選んだのか?
モーニング娘。になったことそのものから、君の歴史を直さなくちゃいけないのかい?
それなら、モーニング娘。のあなたをずっと応援していた私は、私たちは、いったいなんだったんだ?
……知は力なり。私は医者だから、困ったときは医学とサイエンスに帰るのだ。彼女と彼女の周囲がやることはもう決まっている。法律に則って粛々と罪を償い、被害者の皆さんに誠意ある謝罪とじゅうぶんな賠償をする。そして、アルコール依存症の「専門病院」にきちんとつながる。そこらへんの芸能人御用達病院じゃダメよ、都道府県に必ず一つはある、アルコール依存症専門病院よ。周囲の人間はイネイブラーにならないように努める。酒は絶対に未来永劫、一滴も呑まない。必要なら断酒薬を使う。そして、「アルコールのない状態で」日常生活をていねいに積み重ねていく。規則的に食事を作る、食べる。入浴する。よく寝る。朝が来たらお茶かコーヒーをいれる。朝食を作り、食べる。晴れた日には洗濯をし、雨の日には掃除をする。雨があがったら、外に傘をほして水滴を乾かす。常備菜を作る。それを毎日食卓に出し、かつ腐らせないように定期的に冷蔵庫にしまう。夜が来れば入浴し、歯を磨いて寝る。そうやって日々のなんでもない動作をくり返し、少しずつ積み重ねていく。子どもがいるなら、子どもとともに。それ以外の方法はない。一切ない。
きらびやかな芸能界のお仕事と比べれば、それは地味でつまらない作業のくり返しに見えるかもしれない。でもそんなことは決してない。アルコール依存からの復帰は、一生をかけるに値する重大な仕事だ。人生をかけてやり遂げるべき立派な仕事である。きっと大ディマジオだってマイケル・ジャクソンだって貴女を見たら褒めてくれるはずだ。もっと踏み込んで言ってしまえば、それをやり遂げなければ、貴女と貴女の周囲の人生はさらに崩れていく。これは医者として、かつ貴女のファンだった人間としての最後の助言である。まさに今が瀬戸際なのだ。周囲の人間もそれをわかって、支えてあげてほしい。
すでに一般人である個人に対してここまで踏み込んだことを書くのは、あまり褒められたことではないのかもしれない。でも私は彼女のファンだったから、彼女が最後の直筆メッセージで言及していた「今日まで応援し支えて下さったファンの皆様、ご支援いただいた皆様には、裏切るような結果となってしまったこと、本当に、本当に申し訳ございませんでした。」の該当者だと思うから、あえて書いた。私たちに謝る必要などまったくない。本当に申し訳ないと思うなら、いま今日まさにこの時から、一切の酒を断ってくれ。裁判で言っていた「急激に減っています」じゃあダメだ。一滴も呑むな。それを一生続けろ。私の云いたいことは畢竟ただそれだけである。(2018.12.20)