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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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また10年後に会おう

ハロー!プロジェクトには25歳定年説がある。どんなに人気があるメンバーでも、26歳を迎えることなくハロプロという組織から卒業させられてしまう。当時エルダークラブと呼ばれる古参メンバーが全員ハロプロから卒業した2009年3月31日より後は、ずっとそうである。一人の例外もない。高橋愛でさえ、道重さゆみでさえ、矢島舞美でさえ、嗣永桃子でさえ、和田彩花でさえ、26歳になる前に卒業した。具体的にどういう契約になっているのか私たちには知るよしもないし、明文化もされていないけれど、現実として一人の例外もなく26歳前に卒業しているのだから、25歳での定年は「ある」のだろう。「25歳定年説」を否定したいのならば誰か一人でも26歳以上のメンバーを残留させればいいだけである。証明は簡単だ。それをやらないのだから、25歳での定年は「ある」という仮説は今のところ「真」である。私は25歳定年制を支持しないし、否定もしない。ただ、もし25歳での定年が契約として盛り込まれているのならば、それをしっかり明言して世間の洗礼と評価をきちんと受けるべきだと思っている。「声変わりまたはギムナジウム卒業の14歳で退団する」と最初から明言されているウィーン少年合唱団のように。もちろん事務所の責任者の名前で公言するんだよ。他人に代弁させるんじゃないよ。児玉雨子という天才を捕まえて『25歳永遠説』などとというあきれるほど陳腐なタイトルの歌詞を注文するのはもう二度とやめてくれよ。

25歳定年説はハロプロのおたくたちにとって共通認識になっている。だから私たちは勝手にメンバーのことを「25歳まで応援できる」と思い込んでしまう。25歳になる前に辞めると「道半ばだ」だの「早すぎる」だの「もうあきらめるの」だの、見当違いな意見も出てきてしまう。「25歳で辞めるのはもったいない、もっといてほしい」と言われることも、「25歳まであとn年もあるのか!長いわ!」と言われることもある。もちろん、どれも私たちおたくの勝手な意見である。

工藤遙はモーニング娘。に残っていれば25歳まで、あと7年は安定した地位が保証されていた。武道館、またはそれ以上の大きい会場で年2回以上のライブができる。全国をホールツアーで回れる。充実した活動と安定した高給が保証されている。TVの歌番組にも出られる。工藤は人気メンバーだから、センターまたはそれに近い位置が将来的にも確約されている。娘。のリーダーにもハロプロのリーダーにもなれただろう。どれもこれも、なかなか得ることができないポジションである。他の人気グループに入ってもそれだけの地位に登り詰めることは難しい。それなのに、工藤はその約束された地位を惜しげもなく捨てた。他でもないスーパー戦隊のために。それは大いなる賭けであった。

工藤はデビュー当時からずっと戦隊ものが好きだと公言していた。それはもう、私が彼女を初めて認識したハロプロエッグの頃から。「いつか戦隊に出演したい」という夢が彼女にはずっとあったのだろう。わかる。わかるよ。私だって今でもプリキュアになりたいしポワトリンになりたいし戦隊ヒロインになりたいし仮面ライダーになりたいよ。

しかし、その夢は多くのハロヲタにとってまったく理解できない心情であった。当たり前だ、大多数の大人にとってスーパー戦隊シリーズは単なる子供番組の一つに過ぎない。それほど高い価値を感じない人だって多い。心の底では「くだらない、子供だましだ」と馬鹿にしてる可能性さえある。なんでそんな(くだらない)もののために、世界で一番価値がある(とファンは思っている)モーニング娘。を捨てるのか?オタクにとってモーニング娘。は女神の集まりであり、信仰の対象であり、この世のすべてなのだ。工藤はどうしてそれを惜しげもなく捨てるのか。どうして自分の大切なグループ、大切な推しメンを捨てて、外に出ていってしまうのか。工藤にはモーニング娘。のリーダーになって欲しかった。なのにどうして工藤はこんなに早くいなくなってしまうのか。ひどい、薄情だ、おまえの選択は間違っている、私達は捨てられた。または私の推しメンは捨てられた。……たとえ口には出さなくても、そんな薄暗い感情を心に秘めているハロヲタはそこそこいたと、私は思う。

私がスーパー戦隊をそこそこ見ているからこそ感じる不安もあった。戦隊ヒロインはどんなに頑張っても脇役であり、決してメインにはならないこと。必ずしも活躍の場が与えられるわけではないこと。一年間撮影を続けられない役者も出るほど、きつい現場であること。年度ごとの当たり外れが激しく、大人が一年間連続視聴を続けるには厳しい内容の作品もあること。他のテレビドラマより販売促進要素が強く、玩具会社の都合に振り回され続けること。ニチアサ卒業女優にはさまざまな岐路をたどった人がいて、決して幸福な前例ばかりではないこと。ヒーローとしての仕事と収入が永遠に続くわけではないのに、ヒーローとしての「模範的行動」だけは半永久的に強要されること。特撮ファンの中には女性アイドルが特撮に出演することに好意的でない人もいること。工藤はずっと戦隊ものを見ていたのだから、そんな要素もすべて知っていたに違いない。それでも、彼女は戦隊ヒロインになるために約束された安寧を捨てて勝負に出たのだ。

私はその決意を応援したかった。25歳まで保証された社会的地位を捨てて勝負に出た18歳の女の子の心意気を買いたかった。だって私も、娘。と東映特撮どちらも好きだから。両方を好きかつ適齢期の子どもがいる私が、この決意を応援しないでどうする。ルパンレンジャー出演決定のニュースを見た瞬間に「ルパンイエローを応援するのは私の使命だ」と思った。前年のタマ☆タマ☆キュー☆キュー☆は残念ながら家族の誰も視聴継続できていなかったこともあり、私一人が録画をチマチマ消費すると覚悟していた。おもちゃだって、子どもが遊ばなくても自分のために買うつもりだった。

結果としてルパパトはとても面白く、玩具にまつわる凄惨なテコ入れにも負けず無事にドラマは締まり、最高の結末を迎え、ギャラクシー賞という権威ある(らしい)賞も取った。私よりも夫と息子たちが日曜日を楽しみにするようになった。録画消費どころか、外出先で一秒でも早くオンエアを見るために東映特撮ファンクラブにも入った。DX玩具もデータカードダスもGロッソもファイナルライブツアーの名古屋遠征までも、家族全員が前のめりになって私に付き合ってくれた。私は正直とても楽だったし(子連れで行けるハロプロ現場は限られるのだ)、幸せなオタク活動をすることができた。それもこれも工藤が戦隊に人生を賭けてくれたおかげである。ありがとう。

奇跡のような一年は終わった。「ニチアサ卒業女優に幸福な仕事ばかりが続くわけではない」と先ほど書いたように、卒業後の道は決して平坦ではない。みんないろんな方向へ行く。引退も多い。不祥事もある。最近は売れっ子になる役者さんが増えたけど、一昔前はまことしやかに「特撮出身の役者は売れない」と語られていた。「殿」こと松坂桃李くんが売れてくれて本当によかった。私はシンケンジャーも大好きだった。10年前にきちんとシンケンジャーとお別れしたから、いまや立派なデュエリスト、じゃなかった立派な俳優になった松坂桃李くんを見ることができているのだ。とてもつらかったけれど、10年前にきちんとシンケンジャーとお別れしたから、ルパパトという素晴らしい作品に会うこともできた。ルパンイエローになった工藤に会うこともできたのだ。だから私もいま、ルパパトという作品ときちんとお別れしなくてはならない。

10年前コミケでシンケンジャーの薄い本を出し、全国津々浦々のファイナルライブツアーの客席を埋め、「日本オタク大賞ガールズサイド」でシンケンジャーを大賞に押し上げた当時の若い女性達は、10年後のいま母親になって特撮に帰還し、ルパパトを支えている。ソースは私の周囲。いまGロッソにいる若いお嬢さんたちも、きっと10年後に子供を引き連れて特撮に帰ってくる。特撮作品のストーリーに夢中になった過去があれば、ヒーローに夢中になる夫や子供を馬鹿にしたりしない。好意的に見てもらえるし、なにより財布の紐が緩む。おもちゃを買ってもらえる。そうやって回遊魚のように10年かけて巡る客によって東映特撮は支えられている。タイムレンジャーがあるからシンケンジャーがあり、シンケンジャーがあるからルパパトがあるのだ。

私のルパパト最後の現場は5月8日の『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』上映中イベント・ルパパトデー@109シネマズ木場 であった。ついに私は工藤のいない現場にまで行くほどルパパトという作品そのものが好きになった。本当のことを言うと、宇都宮プロデューサーをこの目で見たかったのだ。シンケンジャーとゴーカイジャーとルパパトという私の大好きな作品群を作ってくれた凄腕プロデューサーを、一目見たかった。サプライズで圭一郎の役者さんも来てくれて、なんだか得した気分。あとゴーバスターズ本人公演ぶりに見た陣さんがマジかっこよくて感嘆のため息を漏らしちゃった。マージマジかっこいいマージマジマジーロ。

会場は満席であった。同じ作品を好きになって同じ作品を買い支え、時にはチケットの争奪戦やグッズの通販競争をした皆さんを、私は戦友を見るような気持ちで眺めていた。工藤のいない会場を埋める、一年前にはみんなまったく違う場所にいて、なぜか今ここに集まって、この先はもう集まることがないだろうお客さん達を。

『10 years after』を実現するために、少なくともルパンイエローのことは私たちハロヲタが10年間支えていかなければならない。支えきれるのか正直私にはわからないが(ハロメンは自主性の強い子が多いので、私たちの手の届かない場所へ急に飛び立ってしまう瞬間が多々ある。あと糞事務所がわりと糞事務所)そうしないと他の役者さんとそのファンの皆さんに申し訳が立たない。男性俳優の皆さんのことは会場にいたたくさんのお姉さま方に任せる。Gロッソとファイナルライブツアーの客席を埋めていた皆さん――ぬいぐるみを小脇に抱えたお嬢さんと、鋭い眼光で舞台を見つめながらときどきメモをとる裁判の傍聴人のようなたたずまいの大人たち――お願いします。魁利くんと透真と圭一郎と咲也とノエルのことはまかせました。私たちはなんとか工藤を支えられるように頑張りますから、そちらはよろしくお願いいたします。みんなはどこから来たのかな?そしてどこへ行くのかな?何にしろ一年間どうもありがとう。楽しかったよ、元気でね。私はハロプロという名の閉鎖された村に帰るよ。10年後にまた、元気で会おう。(2019/6/30)

おたく活動日記 サンプラザとブロードウェイが私の魂のすみか

2019年初頭はルパパトの興業ばかり見ていた私の久しぶりのハロプロ現場は、2019年5月6日中野サンプラザJuice=Juice通常公演であった。10日間という長いゴールデンウィークの最終日だ。私はハロプロという大きな潮流の戻り鰹であり、またこの地に帰ってきた。

このツアーのラストに武道館で宮崎ゆかにゃ卒業公演が行われることもあり、新しい(と思われる)ファンは少なかった。会場は「歴戦の戦士」感が強い中年男性ばかりであった。ライトユーザーはおそらくみな、この後の武道館へ行くのだろう。

中野サンプラザの赤い絨毯が敷かれた2階ロビーはいつも我々を包み込んでくれる。変わらぬたたずまい。いつもの安心感。談笑するおたくの皆さん。男子トイレの長蛇の列とガラガラの女子トイレ。そう!そう、そう!この感じ!(突然のリュウソウケン)この感じだよ!!私が最もハロプロを愛していた13年前のハロプロと同じお客さんが、そこにはいた。私は時空が戻って歪んだようなめまいと、少しの安心感を覚えた。

そして公演を見終えた私は思った。「金澤朋子座長公演だ」と。少し目を離した隙に朋子のパフォーマンスが向上してた。センターポジションで歌う場面も多く、どっしりとした安定感があった。もちろんJuice=Juiceのセンターはかりんであり、卒業公演はゆかにゃが主役になるに決まってるんだけど、今日はなんだかひときわ「金澤朋子座長公演」に見えた。座長の風格だ。かなともにそんなものを感じたのは初めてだった。

彼女は病を抱えながら、歯列を整え、さらに歌が伸びた。目を見張った。だってかなともは初登場時から非常に歌がうまく、3年ほど前にはすでに歌が最高に上手い、いわば「安定した」状態だった。素人の私にはもうこれ以上の上がり目は想像できなかった。正直「もう伸び止まっている」と思っていた。彼女を見て感じる感情は「成長」ではなく「安定」だと。それでいいのだと。ところが彼女はさらに歌が上手くなっていた。凄みが出た。こんなに成長するとは思っていなかった。朋子は現在サブリーダーであり、おそらく次期リーダーになる(このときはまだ発表されてない)。立場が人を育てるということだろうか。

まぁ私は結局かなともが大好きだから、コンサート中もずっと彼女を見てしまう。『イジ抱き』サビ明けの「たんたんたん、カッ!」の部分で、毎回かなともが画面に抜かれるじゃないですか、三回が三回とも。スイッチャーさんもわかってるからね。三回が三回とも最高の顔してるんだよね。かなともの色気にあてられて、私、会場出てからずっと顔が赤かったもの。なんだか体がぽかぽかしてた。いやこれは会場がひどく暑かったのに水を忘れてしまったからか?熱中症かな?帰り道は「かなとも最高だわ!朋子が『私はローズクオーツ』って歌ってくれる限り私はあなたを見に行く!」と呟きながら、意味もなく一人で自宅までの長距離を歩いてしまった。街路樹のツツジは満開であった。

Juice=Juiceちゃんたち、いますごく良い。全員が自分の長所を出せている。弱点がない。2019年5月に私は確かにそう感じた。全員がいい、全員が好き。アイドルユニットがそういう状態になる瞬間って実はとても珍しいんだよ。今どきのアイドルはすぐに加入と卒業を繰り返して変化しちゃうから。この感覚は娘。14以来である。

何が良くて何が自分の心に響くのか、画面越しではわからない。現場に足を運んで自分の目で確かめないといけない。インターネットのみんなが信じている事象が正しいとは限らない。自分にとって大切なものは、その目で確かめに行かないといけない。実際に診察していない患者さんについてコメントをすると、判断を誤るのと同じだ。とにかく自分の目で直接見ずに、物事を語ってはいけない。「誰もみんな 信じている『真実』それだけが正しいとは限らないのさ その目で確かめろ!」って桜井侑斗も言っていたしね。あ、ねじ子の一番好きな仮面ライダーは仮面ライダーゾルダと仮面ライダーゼロノスです。シリーズとして一番好きなのは仮面ライダー龍騎と仮面ライダーオーズです。

話がそれた。この日、私のすごい近くの席にとても美しい女性客が座っていた。関係者でもおかしくない席だったのでねじ子は彼女の顔をちらりと見た。関係者席にはハロプロメンバーやその家族が来ていることが多いからだ。おたくである私には「ハロメンまたはその家族ではない」ということだけはしっかりわかったので(なんでわかるんだよ)「いやー、最近の女ヲタさんはおしゃれな人が多いな!」とのんきに思っていた。帰宅後、実は有名な俳優さんであったことをネットニュースを見て知った。

“美しすぎるハロヲタ”新木優子、ハロプロ尽くしのGWを満喫! 3グループのライブ参戦で大興奮「もうたまらないんです!」

よく読んだらどんなハロメンよりもよほど有名な方のようだ。うーん、ハロプロドラマか特撮かテニスの王子様のミュージカルに出てくれないと、ねじ子には役者がわからぬ。

そしていったん認識すると、彼女の出ているCMやポスターやプロモーションがちまたにあふれていることに気が付く。私がCMを見ながら「わたしこの方のすげー近くで一緒にコンサート見た、まったく気付かなかったけど」とふと呟いたら、長男は笑いながら「魁利くんが49話で言ってたことは本当だったんだね!堂々としていれば『案外ばれないもんだって』」と言っていた。この世のすべてを特撮から学ぶ正しい姿である。

ハロプロの観客は結局ステージしか見ていないのだ。ステージに女神が続々降臨しているというのに、客席を見ている場合ではない。彼女は「ごくありふれた」ハロプロの女オタクとして現場にたたずんでいた。まわりの客も誰一人騒いでなかったし、誰も気に留めていなかった。私のように全く気がつかない鈍感な人ばかりでもないだろうに。ハロプロの歴戦のおたくたちは優しく礼儀正しい紳士淑女ばかりだと感じる瞬間であった。実は1月のサンシャイン池袋噴水広場での『微炭酸』リリイベの際も、見知らぬジューサーの紳士にふいに親切にしていただいて、私は平和と幸福を感じていたのだ。まさに「道行く人が親切だった うれしい出来事が増えました」である。歴戦のJuice=Juice familyはいい人達ばかりだと私は思っている。

『ひとそれ』以降、J=Jにもいよいよ女性新規客が増えてきた。それもまた今後が楽しみだ。わくわく。朋子リーダー、さゆきサブリーダー就任おめでとう。(2019/6/12)

2018年 ねじ子の楽曲ランキング

1位 快盗戦隊ルパンレンジャーのテーマ


2018年最もくり返し聴いた曲。再生回数ナンバーワン。『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』劇中歌としても、作業用BGMとしても、何度もくり返し聴いた。テンションがめっちゃ上がる最高のジャズサウンドだ。イントロのリズム隊が最高。ピアノソロも最高。ルパンレンジャーの変身バンク → 乱闘開始のBGMとして劇中でもくり返し使われている。

ルパンレンジャーの最高潮にかっこつけた名乗りのあと、そのまま戦闘に突入する流れが毎回とてもかっこいい。無駄にスタイリッシュ。必要以上にきざったらしくマントを翻して「世間を騒がす快盗」を気取っているけれども、実際の中身は犯罪被害者家族のナイーブな未成年男女と、恋人を失った大人の男(保護者役)っていうのもいい。ドローンを多用し、マントをたなびかせてひらひらと回避しながら銃を撃つ戦い方も無駄に美しい。あふれるほどスタイリッシュ。

ルパンレンジャーの必要以上にきざったらしくかっこつけたアクションはそれ単体だと成立が難しい。あまりにかっこつけていると、見ているこっちが照れてしまうのだ。対比する無骨なパトレンジャーがいたからこそ、成立できる最大限の「かっこつけ」なのだと思う。快盗側の敵を出し抜く回避型の戦闘と、警察側の無骨な猪突猛進型の戦闘の対比は非常に見応えがあった。ドローンを多用した映像も素晴らしく、見たことのない絵ヅラがたくさんあって楽しかった。

武道館でのライブ「超英雄祭」にてこの曲の生演奏が行われたと聞く。わーい!やったー!Blu-rayがとても楽しみだー!

2位 M・A・X power / 谷本貴義

『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』で歌詞がある曲だと『M・A・X power』が一番好き。もちろんTV主題歌も好きだし初美花ちゃんの歌も両方好きだし、『氷の世界』も魁利くんの思春期特有の不安定で乾いたボーカルが歌詞の世界観とマッチしていて大変よいです。でも一番聴いた、かつ一番元気が出る曲は『M・A・X power』。サビがすごく耳に残る。「エックス!エックス!エーックス!」ってカラオケで連呼するのも楽しい。快盗にも警察にもなれる、当然どちらからも今ひとつ信用されず、出生に謎を秘め、そのくせとびきり明るく多動な高尾ノエルというキャラクターの魅力がよく出た一曲だと思う。

ノエルはおもちゃの販売促進という「大人の事情」に振り回されて、最後まで行動原理がはっきりしない、かつ勝利条件が満たされない人になってしまった。気の毒に思う。少なくとも私の周囲の子どもはみんなノエルが大好きだ。ノエルは快盗とも警察ともどちらとも仲良しだし、いつも明るくニコニコしているし、「好きだよ」って声に出して言ってくれるし、衣装も金と銀でキラキラしているし、いつもクルクルまわってるし、運動神経抜群だし。子供が大好きな要素しかない。みんなと仲良くしたい、みんな大好き、みんなと上手くやりたい、育ての親も取り返したい、というシンプルで欲張りな気持ちをたくさんあわせもち、そのすべてを実現するために近視眼的に行動する。そのうちのいくつかは裏目に出る。実にわかりやすいし、実に「子供」っぽい。純粋な子供の欲求だ。ルパレンもパトレンもどちらも大好きな視聴者の子供に最も寄り添った、メイン視聴者そのままのキャラクターだったと私は感じている。

そもそも快盗で、かつ警察で、コレクションの知識が作中で一番あるエンジニアで、ずば抜けた身体能力をもち、強く、顔もよく、あげくの果てに「異世界人」ってさ。一人のキャラクターにいくらなんでも要素を盛りすぎだろ!メアリー・スー呼ばわりされても不思議じゃないほど記号が乗っている。しかもテコ入れによって、大きなお友達に一番人気だった圭一郎の強化装備を奪い取っていったのだから、これはむしろ「高尾ノエルはなぜ嫌われずにすんだのか」不思議なレベルである。でもね、私もノエル大好きなんだよねぇ!子ども達もノエル大好き!まったく憎めないんだよ!ノエルが責任ある26歳の大人しかも警察官だと思うと、その行動にさまざまな矛盾や無責任を感じてモヤモヤするんだけど。それでもノエルが劇中で落ち込んでいると、私も悲しい。スパイと疑われて落ち込んでいるノエルを見ると私まで落ち込む。その次のクリスマス回でのびのび明るく楽しく浮かれたノエルを見たら、なんだかほっとしたもん。「ノエルが楽しそうで何より」って思っちゃったもん。高尾ノエルは視聴者そのものだったんだな。神の視点で怪盗と警察両方の事情を把握していて、快盗も警察も大好きで、どちらにも仲良くしてほしいしみんな幸せになってほしい。視聴者の子どもの願望そのものの存在。あるいは妖精やコレクションやグッドストライカーみたいなものだったのかもしれない。

御託はさておき、物語において高尾ノエルは結局「異世界人」だった。唐突な設定で私は正直よく飲み込めず、最後までルパンコレクションまたはコレクションコンプリート特典を発動するときに必要な条件じゃないかと思っていたよ。

ということは、ノエルは異世界人ながらヒトと変わらぬ外見で、栄養法も人間と同じ、幼児形態があり、下手したら人間と交配可能で、驚異の運動能力をもつ(これはノエルだけ?)長寿の生命体ということになる。これは面白い。メカニズムを解明すれば人類の夢である「不老不死」につながる研究ができるぞ。金持ちや権力者ほど健康長寿を強く望むから、ノエルの身体の構造究明は巨万の富を生む可能性がある。人類の医学の発展に貴重な生体だ。私も医者として興味がある。いったいどんな構造なんだろう?ゲリ・ル・モンドの画像を一時停止してガン見したんだけど、よくわからなかった。

そう考えるとゴーシュ、あいつ医者のくせに何やってんだ。もっとちゃんと調べておけよ。ゲリルモンドみたいな解像度が低い画像で満足せずに、さっさとCTかMRIを撮っておけよ。せっかく拘束したんだからDNAも採っとけよ。術前管理の手順にばかりこだわってるから、お前は本質を見失ってボスにも見捨てられるんだよ。

ゴーシュに比べればドグラニオのほうがよほどいい仕事してる。皮膚を剥離した下に毛細血管組織がはりめぐらされていて赤褐色の血液が流れてるってわかったもん。有益な情報だ。さすがドグラニオ様、伊達に生き残って地下室監禁緊縛くっころ要員になってないな。

まあノエル自身の物語とルパン家の謎はまったく語られることなく終わってしまったので、今後の外伝や小説やVシネマで補完されると信じています。どんな媒体でも見ます。その時はぜひVSチェンジャーの没音声を拾ってくださいね。Wヒロインアイドル回もよろしくね!!!!

3位 U.S.A. / DA PUMP


2018年ハロプロ楽曲大賞受賞曲。ハロプロじゃないけど。私たちハロヲタは2018年、DA PUMPにとてもいい夢を見させてもらった。

確かに私たちハロヲタは『U.S.A.』をいち早く発見した。豊洲のシングルリリースイベントになぜか大量のハロヲタが押しかけ、現場でハロプロ仕込みのコールをした。それを見つけたDA PUMPメンバーと古参ファンの皆さんはコールをあおり、もっともっとと盛り上げ、私たちをあたたかく受け入れてくれた。DA PUMPと古参ファンの皆さんの度量の深さにハロヲタは涙した。

私たちはもうずっと、全力でコールを入れられる曲を求めていた。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯!」ってほんとはずっと叫びたかった。全力でウリャオイしたかった、フワフワしたかった、PPPHしたかった。愛するメンバーの名前を大声でコールしたかった。ISSAさんたちは、大きな愛で私たちハロヲタの欲望を受け入れ、面白がってくれた。古参DA PUMPファンの皆さんも喜んでくれた。私たちは嬉しかった。だってクールハローとかいう糞計画をいつまでも捨てないハロプロは、私たちの願いをちっともかなえてくれないんだ。コールやヲタ芸を入れると最高に気持ちいい曲を、ちっとも出してくれないんだよ。

DA PUMPファンの意見を取り入れてハロヲタもいろいろ対応した。ハロプロでは「そのとき歌っている人」「パート割がある人」の名前を叫ぶルールがある。ISSAだけが歌を歌うDA PUMPでは、ISSAだけをコールすることになってしまう。「他のダンスメンの名も呼んでほしい」という古参ファンからの指摘により、ハロヲタはメンバー全員の名前を順番に叫ぶようになった。すると今度は、自分の名前がコールされたときにダンスメンバーもアピールしてくれるようになった。我々もメンバーの顔と名前を覚えた。BEYOOOOOOONDS全員の名前をねじ子はまだ覚えきれていないのに、DA PUMPの名前は覚えた。夏のハロコンにはDA PUMPがわざわざ来てくれて、満員の会場を盛り上げた。歌番組にもDA PUMPとモー娘。を一緒に呼んでもらえて、みんなで一緒にいいね!ダンスした。楽しかった。地上波歌番組の観覧には女性ファンばかり呼ばれるから、いつものハロヲタより高音で重低音が含まれないコールが新鮮だった。

そこから数ヶ月。地上波テレビをまったく見ない息子たちが、保育園や小学校で『U.S.A.』を覚えて帰ってきた。私はそのとき「え、USAってそこまで流行ってるの!?」と驚いた。年末の忘年会カラオケで仕事先の若い男子たちが『U.S.A.』を歌っている。「え、USAそこまで流行ってるの!?」と二度目の実感をした。必死でコールを入れないようにこらえたよ。「エル!オー!ブイ!イー!ラブリー◯◯くん!」という声が喉元まで出てきたのを必死でこらえたよ。自分を褒めてあげたい。8月のリリイベの時点では古参DA PUMPファンとハロヲタと新宿二丁目の皆さんしか知らなかった曲を、内輪だけで宝物のようにして楽しく盛り上がっていた曲を、いまや日本中の老若男女が知っている。踊っている。まさに夢のようだ。

しかしその夢はよっすぃの逮捕によりもろくも崩れ去った。我々ハロヲタは夢から醒めて取り残された。DA PAMP再ブレイクの夢の中にもうハロプロはいない。我々ハロヲタもいない。流行という大きな波を一緒に楽しむことはできなくなった。

それまで、私たちは本当に夢のような体験をさせてもらった。池袋のリリイベの映像を見ながら「私たちハロヲタはDA PUMPを再ブレイクさせることはできるのに、どうしてハロプロを再ブレイクさせることはできないのだろう?」などとしたり顔で奢ってみたりした。はーちんの卒業公演が彼女らしくとても清廉で美しかったこと、特撮戦隊にメインヒロインとして工藤が抜擢されて本当に大切に扱ってもらったこと、そのルパパトが歴代最高と言っても差し支えないドラマであったこと、夏のハロコンは久しぶりのOGがたくさん出場したこと、加護ちゃんが『I WISH』を歌ったというニュースを見て感動のあまりねじ子自宅でむせび泣く、など。2018年前半はハロプロにも明るい出来事が多く、私も久しぶりに楽しいオタク活動ができていた。ハロプロにも20周年らしい上昇気流が流れていた。流れていたのに。よっすぃの事件のせいで、それらはすべて無に帰した。

4位 ミッドナイト・ボルテージ / テンタクルズ Splatoon2

ゲーム『スプラトゥーン2』の追加コンテンツ「オクト・エクスパンション」の中の一曲。「2」の上にさらに有料追加コンテンツ。ハードルが高いね!『スプラトゥーン1』の人気キャラだったシオカラーズが脇役になり、その代わりに出てきたメインMCがこのテンタクルズである。めんどくさいドルヲタである私は、シオカラーズが更迭されたことに心理的抵抗を覚えていた。運営や事務所に猛プッシュされる新アイドルグループに対して懐疑の目を向けるのは、ドルヲタとして当然だ。ドルヲタあるある。メンバーの一人は敵である「タコ」だしさ。

しかし、この『ミッドナイト・ボルテージ』がすごくいい曲だったから、ねじ子はくるりと手のひらを返した。瞬時に返した。これまたドルヲタあるある。テンタクルズ最高ぅぅぅ!イイダさんのボーカルが大人っぽくてすっごくいいねぇ!「なんでタコがMCなのよ!?」とか思っててごめんね!ヒメの可愛い声が軽快に乗ってくるミスマッチ感も最高だね!うるさい客を黙らせるには、いい曲を作って、曲で上から殴るしかないんだよね。結局それしかないんだよ。

5位 命の灯火 / 大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL

嫌になるくらい繰り返し聴かされた曲。もう何回聴いたかわからない。たぶん今日の夜もスマブラしながら5回くらい聴くことになる。格闘ゲームで手を動かしながら、大声で高らかに歌いあげたくなってしまう不思議な魅力がこの曲にはある。もちろん歌いながら私の気分はカービィである。たった一人生き残って、強大な敵に侵略された大地を高台から見つめるカービィだ。それだけで私はなにも文句を言えなくなってしまう。最初聴いたときはそこまでいい曲だと思わなかったんだけどな……。やっぱりゲームの中で素晴らしい体験をすると、聴こえ方が変わってしまうのか……。スマブラは過去の名作ゲームの音楽を現代風にアレンジして、大量に収録し、シャッフル可能なライブラリを提供してくれる。これがまたいい。作業用BGMとして非常に便利だ。作業用BGMの再生マシンとしても8000円くらいの価値がある。ということはゲームは実質タダ。桜井さん最高だな。

6位 恋して♥ポプテピピック

※正しい映像は『ポプテピピック』アニメ第2話を見て下さい。

女性ボーカルver.


男性ボーカルver.

上坂すみれちゃんのオープニング曲『POP TEAM EPIC』の方が音楽的に出来がよいことを承知の上で、あえての『恋して♥ポプテピピック』。歌詞がたまらなく好き。「サブカルこねくり回しても 偽物だらけ」という歌詞が狂おしいほど好き。声優が15分おきに変わり、女子声優ペアで1回 → 男子声優ペアでもう1回歌う仕掛けも好き。毛糸人形アニメも好き。映像アイディア含めての「作り込み」が最高。

現在の女性アイドルは声優業界にあるのだと思う。若手女性声優の皆さんは正しく女性アイドルである。小倉唯ちゃんや上坂すみれちゃんを見ていると、より強くそう思う。ももちの目指していたアイドルとしてのロールモデルはどう見ても田村ゆかりさんであったし、偶像としての「アイドル」を貫きたい!という野望を持った女の子は、ハロプロやAKBよりも女性声優を目指したほうがずっといいように思う。ハロヲタの私ですら、そう思う。そっちの方がきっとやりたいことができるでしょ。

7位 進化理論 / BOYS AND MEN

ガンガンズダンダン!2017年の楽曲グランプリでねじ子は「シンカリオンがせっかくアニメ化するのに、なんでボイメンがオープニング曲なのぉ!山ちゃんを下ろさないでぇ!」って叫んでいたのだけれど、いまやボイメンのOPにもすっかりノリノリである。ガンガンズダンダン!クライマックスの戦闘シーンでこの曲がかかると一気に気分が上がる。いい曲だ。

「新幹線変形ロボ シンカリオン」はアニメもおもちゃも非常によくできていた。Youtube公開や玩具系YoutuberとのコラボやAmazon Primeなど、時代に合わせたプロモーションもうまかった。シンカリオンのアニメは好評につき2019年も続く。巨大新作ロボットアニメとして1年以上続く単独TVアニメは平成唯一であり、昭和でもマジンガーZやゴッドマーズ以来とのこと。すごいね。

昨年の放送の間にものすごい勢いで新しいシンカリオンが増えていったのを見るに、アニメ放送は当初1年で終わる予定だったのだろう。玩具もこの1年で出し尽くした感がある。シンカリオントリニティーとか、とつぜん登場して物語も駆け足だったし。あと1年放送するつもりがあったら、もう少しあとに登場を引っ張れたのでは?霧島タカトラも五ツ橋兄弟ももっとじっくり描けたのでは?リアル新幹線はタカラトミーの都合で勝手に増やせないし、2019年以降のシリーズ構成はきっと大変だろうと予想する。いったい今後どうなるんだろう?地底世界と父親世代の話を続けるのかな?シリーズ構成の下山さんにはぜひ頑張って欲しい。

ちなみに同じ下山さんがやってる『仮面ライダージオウ』は(白倉さんが)時間軸をこねくりまわしすぎなうえにパワーバランスの整合性が毎回違うので、私はあまり楽しめていない。理解が難しいし、理解しよう!と思って頑張って考察しても結局は「大人の事情に突っ込むやつは馬に蹴られる」って明言されちゃうんだもん。つじつまを合わせるために頭を使う気力が沸かないんだよね。ごめんね。

2018年、ルパパトとビルドとハグプリとシンカリオンが面白くて私は本当に幸せだった。こんなに豊作でいいのだろうか。2018年の土日の早朝、私はずっと幸せな時間を過ごした。そんな一年も終わり、生きる糧を失って私は自分を見失いかけている。

結局私は、日曜の朝になれば最高の脚本と演出のもと、大好きな女の子が必ず見られる生活に慣れすぎていたのだ。ルパパトが終わりこれからどうやって日々の活力を得ればいいのか、私にはわからない。去年の2月まで私は何を食べていたんだ?毎日どうやって生きていたんだろう?まるで思い出せないよ。ルパパト(とビルドとハグプリ)のおかげで、1年間ずっとわくわくして過ごしてた。家族みんなで来週の展開を予想するのが楽しかった。今の希望はルパパトのファイナルライブツアーのチケットを、たった1公演もっていること。これを糧に生きるしかない。

8位 We will rock you / QUEEN

今年は映画『ボヘミアン・ラプソディー』の大ヒットによりQUEENが再評価され、日本でもQUEENのリバイバル・ブームが起こりました。ちなみに私の中のQUEENブームは2005-2006年に勝手に旋風を巻き起こしまくっておりました。最初の同人誌『平成医療手技図譜 針モノ編』と『ねじ子のヒミツ手技 1st』の捨てカットを見ていただければわかるように、あの頃の私はQUEENに狂っておりました。フレディの最後のパートナー、ジム・ハットンによる書籍『フレディー・マーキュリーと私』を読んだこと、それを受けたドキュメンタリー『FREDDIE MERCURY Untold Story』を見たことが、当時の私のハートに火をつけたのです。CDアルバムもオリジナル・ソロ・アルバムもぜんぶ買いました。当時はYoutubeが発達していませんでしたから、MVやライブを見るためだけにDVDを買いあさりました。Paul Rodgersをボーカルに迎えた横浜アリーナ公演にも行きました。『手をとりあって』を日本語で合唱したときは、自分が古い物語の登場人物になれたような心持ちでした。「みんな、フレディの代わりに歌って!」と言いながら『Love Of My Life』を一人弾き語りするブライアンに涙しました。確かにあのとき、ブライアンの横にフレディが座っているのが見えました。フレディの魂は確かにあのとき、横浜アリーナにいた!絶対いた!ブライアンを「ダーリン」と呼ぶフレディが、あの優しく柔和な目でブライアンを見つめるフレディがいたもん!わたし見たもん!

しかし、映画『ボヘミアン・ラプソディー』の初報を聞いて「絶対見に行く~!」と思っていたこの私が、映画の内容を聞き日本でも大ヒットの報を受け、テレビでも特集されていくにつけ、だんだん陰鬱になってしまいました。そう、めんどくさいオタクである私は「映画を見たら絶対にフレディに関する解釈違いを起こす、そして憂鬱になってしまう」と、映画を見る前に気付いてしまったのです。

憂鬱がわかりきっているねじ子は、映画を見に行く気力が萎えてしまいました。あんなにQUEENが好きだったのに、ようやくブームになっているというのに、なかなか足が向きません。そんな私を見かねた大上先生が、わざわざ私を映画館まで連れ出してくれました。ありがとう大上先生。そして映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見た私は、感動しながらもやはり解釈違いを起こしてしまったのです。

いや、前半は最高だったんだ。アートスクールの学生だったうだつの上がらないフレディ、その頃の彼女、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド”スマイル”との出会い、日本で先に火がついた人気、コンピュータがない時代の多重録音、公式のプロモーション・ビデオがまだ存在しない時代の「キラークイーン」公式映像が「Top of the Pops」(BBCの老舗音楽番組)出演時の口パク映像であること、「オペラ座の夜」での合唱とロジャーのひときわ高い声、長い曲をラジオでかけるための攻防、いつも違う女を連れているロジャー、着物や伊万里焼などフレディの日本趣味、フレディの快楽主義的な一面、愛猫家、すべてがそのままその通り。素晴らしい再現度。出っ歯で美声のフレディの役者さんの似せっぷりはもちろんのこと、ロジャーもブライアンもディーコンも、まじでそっくり。本人が出演しているのかと思ったもん。いい映像を見せてもらって本当に嬉しい。

でもね、後半の時系列のぐちゃぐちゃに私は耐えられんのよ。特にHIV感染を自覚する時期と、免疫不全症候群(AIDS)を発症する時期と、実際のコンサートの時系列が狂っていて、どうにも違和感を覚えてしまう。当時の私は医学生で、まだ未知で克服できていない病であったHIVとAIDSとその感染ルートについて勉強する必要があり、フレディの事例をその勉強にも役立てたから、感染と発症時期の時系列にひどく敏感なのだ。

物語のクライマックスに使われるコンサート・LIVE AIDは確かにQUEENの健在ぶりをアピールする輝かしいコンサートだった。もう終わった70年代の古いバンドと評されていたQUEENが息を吹き返す、歴史的なライブだった。だけど、あのときまだフレディはHIV感染を知らなかったはずだ。LIVE AIDは1985/07/13、フレディがHIVの感染結果を知ったのは1987年のはず。時系列がおかしい。あそこで彼の病気をもってバンドが一致団結する描写は、あまりふさわしくないと私は思う。病気なんかまったく関係なく、バラバラになりかけたバンドが一致団結した瞬間だからLIVE AIDは素晴らしいのだ。フレディの歌唱力とメンバーの高い演奏力と楽曲の持つ圧倒的な普遍性をもって、QUEENはLIVE AIDの観客の心を鷲掴みにした。完全なる実力主義であり、そこがいいと私は思っている。ちなみにフレディの病気を受けてバンドが一致団結するのは最後のアルバム『Innuendo』の1991年あたりである。もちろんその頃の、だんだん歌が歌えなくなり痩せ細って衰えていく、それでも病気を公表できないフレディをみんなで支えるエピソードもすごく好きだ。

そもそもさあ!フレディはいつだってバンドの緩衝材だったの!フレディはいつも、音楽的対立を繰り返すブライアンとロジャーの間を取り持っていたはずだよ!「フレディがバンドのメンバーと喧嘩しているの見たことない」ってコメントもあったはずだよ!一時期のQUEENの活動休止は、ブライアンとロジャーの衝突が主な要因だったはず!当時の私は雑誌でそう読んだ!QUEENが休止したために、仕方なくフレディはその間だけソロ活動をやってたはず!それなのに、あの映画だとまるでフレディが自分の我儘でソロをやりたがり、そのせいでバンドが凋落したみたいじゃないか!違う!フレディはそんな子じゃない!決して解散危機の引き金を引くメンバーではなかったはずだ!「おい、お前が何を知っているんだ?」って感じだけど、私の解釈では、フレディはそうじゃないの!!

そして、社会について。フレディのHIVカミングアウトは死のほんの数日前であったし、フレディが自身のセクシュアリティを世間に公表することは死に至るまでなかった。そういう時代だった。当時「QUEENが好き」と言うと、女性ファンはともかく、男性ファンはわりとマジで「え?おまえホモなの?」と周囲から言われたりもした。ゲイ文化に(比較的)寛容な日本でさえ、そうだった。当時のAIDSは原因不明の死に至る恐怖の病気であり、無知による偏見がまん延していた。HIVがようやく分離されたのが1983年であり、LIVE AIDの2年前である。先進国でHIVが広がり始めていたこの頃、AIDS発症者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから、ゲイ・コミュニティへの偏見と差別が強く世界を覆っていた。この映画はその社会風景のど真ん中にありながら、それをあまり描写しない。もちろん、それはそれでいい。偏見や差別や未知の病気に対する恐怖などすべてなかったことにして、主人公の周辺に優しく理解ある世界を築き、主人公を大きな愛で包み込む手法はフィクションにおいて多用されている。それはそれで自由だ。でも実際は、ものすごい大きな偏見と恐怖が当時のHIVと免疫不全とゲイの世界には吹き荒れていた。フレディはまさにその中にいて、命を落としてしまったんだよね。演出上の時系列の歪みがその不自然さに輪をかけているように感じて、どうしても私はもどかしく思ってしまう。

まぁ当時の社会のLGBTに対する差別と偏見と、HIVに関する無知と、それにまつわるフレディの苦悩を描写していたらきっと「重すぎる」。大衆映画としてこんなふうにヒットしないんだろう。わかるよ。めんどくさいオタクの解釈違いだって、わかってるよ。役者さんたちの本人再現ぶり、文句なく素晴らしい楽曲郡、映像の再現度、コンサート会場にいるかのような臨場感、LIVE AIDが再び開催されたかのようなカメラワークは最高だった。それでいいんだ。ありがとうブライアンとロジャー。

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さて、オリコンランキングという言葉すら知らない人間が増えている昨今、「俺コンランキング」というタイトルを続けるのもきつくなってきました。テーゼ自体が衰えると、アンチテーゼの文脈も意味をなさなくなっていくのは当然ですね。今年からはもう「楽曲ランキング」という簡素なタイトルにこっそり戻しました。

2019年はいまのところ新しいプリキュアのエンディング『パぺピプ☆ロマンチック』と新しい戦隊のエンディング『ケボーン!リュウソウジャー』が激しい首位闘いをする予定です。どちらも映像・ダンス込みでとても楽しい。楽曲そのものよりも、これから1年を通してどれだけ作品を面白く見続けることができるか。これからの1年を楽しみにしています。(2018.3.29)